第三章3 『取材』
「十傑会議って、だいぶ長引いてんのかな……」
放課後、夕暮れの柔らかな日差しが教室に差し込む2年A組。
翔太郎は欠伸をひとつ吐き、窓の外をぼんやり眺めながら、玲奈の到着を待っていた。
本当なら旧校舎の前で待ちたかったが、今の自分は学園内で少し目立つ存在になりつつある。
放課後に外をうろつくのは得策ではないと考え、教室に留まる選択をした。
教室には他のクラスメイトの姿はなく、静寂が支配している。
机に体を預けながら、翔太郎は溜め息を吐いた。
「ふぁ〜っ……。暑いし、暇だぁ……」
6月に入り、夏服が解禁されている。
茹だるような暑さだが、外出する時は玲奈が、たまに首元に冷気を浴びせてくれるので、本当にありがたい。
スマホのホーム画面を開くと、既に17時。
そろそろ終わる時間ではないかと考え、荷物をまとめ始めた時だった。
「──取材してもいいですか、鳴神翔太郎くん」
「うわぁ!? ビックリしたぁ!?」
正面から声をかけられ、翔太郎は思わず飛び上がる。
いつからそこにいたのか、全く気づかなかった。
「だ、誰? 急に何だよ」
「僕は2年F組の御手洗圭介って言います! 今日はちょっと、鳴神くんにどうしても会いたくて来ました! いやぁ……まだ残ってくれてて良かったぁ……!」
小柄な少年は一眼レフを構え、瞳をキラキラさせている。御手洗の名前で、瞬時に電子生徒手帳を検索すると、情報が出てきた。
御手洗圭介。
2年F組で、学園ランキングは724位。
順位自体はこの学園でも下位層の生徒だった。
「僕、零凰学園新聞部で活動してるんですけど、最近鳴神くんの活躍が気になって、気になって仕方なくて!」
「ああ……この学園に新聞部ってあったんだ」
「ありますよ! いつも学園前の掲示板にちゃんと載せてるんですけどぉ!?」
不服そうに詰め寄ってくる御手洗。
転入生だから知らなくても無理はない。
いや、転入生でなくても新聞部の存在を知らない生徒は学園中に数多くいるのだが。
「鳴神くんの取材を新聞に掲載したいんです! どうかインタビューを受けてくれませんか?」
「なるほどな。目的は分かったけど、普通はこういうのって、アポ取ってから取材するんじゃないの?」
「アポを取らないケースを、世の中では突撃インタビューって言うんですよ」
「いや、知ってるけども」
御手洗はますます前のめりになり、興奮気味に声を張る。
「放課後にスクープを撮りに行こうと思ったら、たまたま良いネタ────いえ、良いネタが転がってたので、こうして突撃取材してみた次第です!」
「良いネタ呼ばわりは言い直せてないっての」
取材する側の立場であるはずなのに、言葉の端々で失礼さをちらつかせる御手洗に、翔太郎はつい苦笑した。
「突然なんですが今お暇ですか? 暇ですよね? さっき暑いし暇だぁ……って呟いてましたよね? 僕の取材、受けてくれますよね?」
「押しが強すぎるだろ……。何なの、君」
本当に何なのだ、この男は。
目をキラキラさせながら取材を強要してくる。
確かに暇だったのは事実だが、十傑会議もそろそろ終わりそうなので、玲奈を迎えに行こうとしてた矢先の話だ。
校内新聞がどういうものかよく分かってない為、正直、断っておきたいところだった。
「本当に! 10分……いえ5分だけでも良いので、お話聞かせてください! 鳴神くん!」
「……」
だが、目の前の少年の熱量は尋常ではなく、突っぱねるより、ここは協力して短時間で済ませる方が楽だと直感的に判断した。
「まぁ、そのぐらいなら良いか……。俺も人と待ち合わせしてて、この後すぐ行こうと思ってたから、短く済めば助かるんだけど」
御手洗はガッツポーズを作り、目を輝かせる。
「ありがとうございます! やったぁ! これで新聞部の今日のスクープは僕が一番だぁ!」
「……はぁ」
断って食い下がられるのも面倒だし、今後も関わってこられるかもしれないことを考えれば、ここで引き受けてしまった方が良いか。
用意が早い御手洗は、翔太郎の前の机をくっつけて、手元からメモ帳とボイスレコーダーを取り出す。
「おいおい、録音ってそんなマジな取材すんのかよ?」
「当たり前です! 新聞部たるもの、情報はメモだけじゃ足りません! 本人の表情、仕草、息遣いまでスクープに収めるのが使命ですから!」
鼻息を荒くする御手洗の様子に、翔太郎は眉をひそめて机にもたれる。
「分かった。それで何を聞きたいんだ?」
御手洗の目はキラキラしている。
「──単刀直入にお聞きしますが、鳴神くんって、十傑の氷嶺玲奈さんと、お付き合いされてるんですか?」
「帰る」
案の定の下世話な質問に、翔太郎は大きくため息をつきながら立ち上がる。
すると御手洗が、必死の形相で腕を掴んできた。
「あーっ! 何で帰るんですか!? まだ取材は始まったばかりなのに!」
「その質問なら、もうA組だけで何回も受けてんだよ。やってること週刊誌じゃん」
最近は玲奈のファンの男連中にも目を付けられて、上級生にすら絡まれるようになったぐらいだ。
スクープを抑えたい新聞部に話したら、有ること無いこと書かれそうだ。
「新聞を週刊誌と一緒にしないでくださいよ! 単純に言えばあなたと氷嶺さんの関係、全校生徒が気になってるって言っても過言じゃないですよね!」
「全校生徒関係なくない?」
「いやぁ、それは氷嶺さんがどれだけモテるのか知らないから、そんなセリフが出てくるんですよ! ほら、ハッキリしてください!」
確かに玲奈はモテる。
この二ヶ月で、それは嫌というほど思い知らされた。
放課後になると、彼女はよくこう口にする。
『別のクラスの男の人に呼び出されましたが、行かなくていいですよね?』
翔太郎にはどう答えるのが正解なのか分からず、結局は玲奈の意思に任せるしかなかった。
だが彼女はいつも、迷うことなく翔太郎とさっさと帰る方を選んだ。
──そして翌日。
玲奈に無視された男から、理不尽に翔太郎が詰め寄られることになる。
それはもう、一度や二度ではなかった。
「いろんな人に何回も答えてるけど、別に俺と玲奈は付き合ってないよ。4月にパートナーを組んで、5月に一緒に試験を乗り越えたってのはあってるけど……」
御手洗は目を輝かせ、すぐさまメモ帳を開く。
「どうやらA組女子生徒の証言によりますと、ゴールデンウィーク中に横浜デートをしていたとの事ですが、これは事実でしょうか?」
「やってる事、マジで週刊誌じゃん。証言って裏取りまでしてるぐらいだし」
「で、実際どうなんですか? デートしたんですか?してないんですか?」
──玲奈と出会って、まだ二ヶ月。
それでも彼女と過ごした時間は、どれも強烈に記憶に残っている。
鳴神翔太郎にとって、氷嶺玲奈は間違いなくこの学園で一番距離の近い存在だった。
クラスでは隣の席、試験ではパートナー。
さらには同居までしていて、彼女の顔を見ない日は一日もない。
特にゴールデンウィークに一緒に出かけた横浜。
あの時に玲奈が見せてくれた、心の底から楽しそうな笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。
あの瞬間を思い返すたび、彼女を大事な存在だと心から思えるのだ。
──けれど、それはあくまで『相棒』として。
「デートって付き合ってる男女がするもんだろ? 確かに玲奈と横浜に行ったけど、俺たち付き合ってないし。あれはデートじゃないよな」
翔太郎の言葉に、御手洗は絶望的なほど大げさに机を叩いた。
「デートですよ! 年頃の男女が休みの日に二人で出かけるって、世間一般じゃデートって言うんですよ!」
「声でかっ」
要は、御手洗も他の生徒と同じく──いや、それ以上に下世話な噂話が大好物なだけだ。
新聞部だとかスクープ魂だとか言っているが、実態は週刊誌の記者そのものである。
「で、それ知ってどうすんの? 書くの? 新聞に」
「え、ダメですか?」
「ダメに決まってんだろ。ぶっ飛ばすぞ」
悪びれるどころか、むしろ嬉々としている。
危ない、事前に確認しておいて正解だった。
「何でですか! あんなに美人な氷嶺さんと、真実はどうあれ恋人関係かもしれないなんて噂されたら、鳴神くんだって悪い気分じゃないでしょう!? もうウハウハですよね?」
声色に妙な熱がこもっている。
翔太郎は眉をひそめ、面倒そうに手を振り払った。
「真実はどうあれって、自分で言ってるじゃん。それにそんな噂流されたら、玲奈に迷惑かかるって、普通に考えれば分かるだろ」
「えー……そうでしょうか? むしろ氷嶺さんは、鳴神くんと噂されるの悪く思わないような……」
「は? どういうこと?」
「いやいや、これ以上は僕から言うのも野暮ですよ。ただ、氷嶺さんってこれまで誰とも親しくしてこなかった美人な優等生で有名じゃないですか。だからこそ、鳴神くんが異様に目立ってるんですよ」
「まぁ、それはそうかもしれないけど……」
確かに──翔太郎と玲奈の距離感は、周囲から見ればどうしても特殊に映る。
4月から転入してきた自分と、1年以上も周囲と壁を作っていた十傑の玲奈。
なぜこの二人がこんなに親しいのか、不思議に思う者が多いのも仕方ない。
「でも玲奈だって最近は友達増えてるぞ。クラスの女子と話すようになったし、アリシアや心音とも普通に話してるし」
翔太郎は思い当たることを口にした。
玲奈は以前に比べれば確実に周囲との距離を縮めている。最初の頃の氷のような孤立した雰囲気は、もう薄れつつあった。
「でも氷嶺さんの男友達って、たぶん鳴神くんだけですよね?」
「え、そうなの?」
「そうですよ。ご自分で気付いてないんですか?」
御手洗の言葉に、翔太郎は少し考え込む。
確かに──言われてみれば、玲奈が自分以外の男子と話しているところはほとんど見たことがなかった。
彼女は誰かに呼び出されても、必ず翔太郎を伴い、普段から男子生徒と必要以上に距離を取っている。
「どうやら最近はその件で殺気立ってる人たちが多いらしく、なんで鳴神くんだけが、あんなに周りに冷たい氷嶺さんと、そこまで仲良しなのか……って気になってる男子が多いみたいなんですよ」
「別に普通だけどな。冷たいって言う割には、むしろ玲奈は学園の中でもかなり話しやすい方だぞ」
「鳴神くんはともかく、他の男子はそうではない訳です」
御手洗はニヤリと笑い、目を細める。
「ここで一発、鳴神くんと氷嶺さんの熱愛報道を出せば、零凰学園もさらに盛り上が──いえ、活気付くのではないかなと」
「面白がってんじゃん。マジでやめてくれ」
翔太郎は額に手を当てる。
この調子では何を口にしても記事にされかねない。
そろそろ真剣に無視して帰った方がいいかもしれない、と考えていたその時──御手洗の目がふっと鋭くなった。
「と、冗談はここまでにして。僕が本当に聞きたいのは、それ以上に君のことなんですよ、鳴神くん」
「俺のこと?」
「はい。君の噂は耳にしています。──4月に推薦制度を使って転入し、転入直後には氷嶺玲奈を巡って、あの雪村真を叩きのめして不登校に追い込み、彼女をパートナーにした」
「待て。なんか俺が玲奈のために雪村を潰したみたいな言い方になってるけど、喧嘩売られたのは俺の方だぞ」
事実は違う。
あの一件の裏には玲奈の兄・氷嶺凍也の仕掛けがあったが、それを説明すると、氷嶺家関連のことまで話さないといけなくなるので、わざわざ御手洗に説明する筋合いはない。
「さらに5月のパートナー試験では、推薦生を嫌う影山龍樹と死闘を繰り広げ、最近では、氷嶺玲奈と同じ十傑のアリシア・オールバーナーや白椿心音を侍らせている……」
「侍らせてないから」
御手洗は息もつかず、ペン先で机を叩くようにリズムを刻みながら言葉を続ける。
「要するに、君は今この学園で最も注目を集める男子生徒だと」
「話聞けよ。なんか色々尾ひれ付いてんぞ」
御手洗はメモ帳を軽く叩き、目を細めて頷いた。
茶化すような雰囲気は薄れ、むしろ獲物を追い詰める記者のそれに変わっていた。
「君のことについて調べていくうちに、色々興味が湧きました。どうしてこの学園に入学しようなんて思ったんですか?」
「どうしてって……まぁ、他の異能力者と競い合って強くなるために?」
「それは何のためにですか?」
「何のためって──」
翔太郎の視線がふと遠くへ流れる。
剣崎大吾の背中に追いつくため。
夜空の革命を倒すため。
そして、もう誰も泣かせないため。
胸の奥に刻み込まれた決意が一瞬だけ顔を出す。
しかし、それを無関係の他人に明かすのは場違いだと、本能が告げていた。
「異能力者が強くなりたいって思うのは当然のことじゃないの? 今は異能力を職業にしている人だって多い訳だし」
「確かにそうですね。でも僕は、あなたにそれ以上の目的があるような気がしてならないんです」
御手洗の眼差しは真剣そのものだった。
軽口を叩く姿からは想像できないほどに、鋭く、核心を探り当てようとする視線。
翔太郎は眉をひそめ、無意識に唇を噛んだ。
「……まぁ、目的はあるにはあるけど、そこまで話す気にはなれないかな」
短く切り捨てるように答える。
その声音には、壁を築こうとする硬さがあった。
御手洗はほんの一瞬、残念そうに首をかしげたが、すぐに表情を整え、淡々とメモを取り直す。
切り替えの早さは異常で、まるで逃げる獲物を絶対に追い詰める記者のそれだった。
「そ、それでも! 鳴神くん、僕は聞きますよ! 強さの秘密、推薦入学の理由──全部! どんな小さなことでも構わないんです! 僕の好奇心は、もうマグマのように溢れています!」
机を叩くような勢いで身を乗り出す御手洗。
その熱量に翔太郎はたじろぎ、苦笑いを浮かべながら片手を上げる。
「一回落ち着け、御手洗。とにかく俺は誰とも付き合ってないし、この学園に来たのも強くなるためだよ。一応、質問には答えたでしょ?」
「だって、こんなに丁寧に答えてくれるんですから! 押せばもっと引き出せるに違いないんです! スクープの匂いがプンプンするんですよ!」
「……本音ダダ漏れだぞ、お前」
御手洗はもはや取材対象を前にした部員ではなかった。
ノートを机に叩きつけるように置き、次の瞬間にはボイスレコーダーをスタンバイ。
両腕を大げさに広げ、まるで自分が司会を務める番組のゲストに翔太郎を招いたかのように、満面の笑みで迫ってくる。
「お願いです、鳴神くん! ここで答えてくれたら、僕が新聞部を総動員して、外堀を埋めて、氷嶺玲奈さんと付き合っても違和感ないように協力しますから!」
「いや、玲奈に迷惑かけたくないから普通にやめてくれ。余計なお世話ってやつだ」
「だって、これは取材ですよ!? 新聞部として責任を持って報道するためには、君の口から直接聞くしかないんです! 記録に残すために、ね!」
翔太郎が止める間もなく、御手洗は勝手に独演会を続ける。
まるで「答えが出るまで帰りません」と宣言するかのような粘着質な熱意。
教室の空気がどんどん騒がしくなる。
──その時だった。
教室の扉が勢いよく開かれ、冷たい風が吹き込んだかのような感覚が走る。
御手洗の声がぴたりと止まり、空気が一瞬で凍りついた。
「──さっきから、何を騒いでいるんですか?」
鋭く澄んだ声。
「え?」
「……あ、玲奈。会議終わったのか?」
十傑会議を終えたばかりの氷嶺玲奈が、静かに黒髪を揺らして教室に立つ。
その瞳は、まさに絶対零度。
氷の刃のように鋭く、御手洗に突き刺さる。
さっきまで威勢良く騒いでいた彼の勢いは、一瞬にして凍りついた。
「はい、本当につい先ほど終わりました。なので教室に戻ってきたんですけど……少し聞こえてきました。私と翔太郎が──何ですか?」
御手洗は目を見開き、顔面が蒼白になる。
手元のメモ帳をガタガタと震わせ、まるで犯人扱いされた小学生のように後ずさる。
「ひ、ひぃっ!? え、えっと、その……その、これは取材で……」
玲奈の視線は容赦がない。
まるで全身の空気を凍らせるかのような冷気が漂い、御手洗の言い訳は一切通用しない。
「取材? まるで取り調べみたいな雰囲気でしたが。翔太郎が断りきれないと分かっていて、その態度とは……良い度胸をしていますね」
「あの、玲奈さん。俺は別に大丈夫なんだけど」
視線の先には、確実に圧力を感じる御手洗。
玲奈の口調には冷たさと威圧が混じり、瞬時に彼の小物感を暴き出す。
「というか、そもそもあなた誰なんですか? 翔太郎に迷惑をかけるつもりなら──私にも考えがあります」
凍える様な視線を向けられた御手洗は、思わず後ずさり、手元のメモ帳を握りしめたまま足を震わせる。
小さな体を必死に縮め、まるで丸腰で熊に出くわしたかのようだ。
「待て待て、玲奈! 本当に、俺は気にしてないから!」
翔太郎は必死で制止する。
玲奈の冷気が流れ込むと、さすがに耐性のない相手はひとたまりもない。
御手洗は声を裏返し、ボイスレコーダーを必死に隠そうとするが、まるで意味がない。
「誰もいないことを良いことに、放課後の教室でこういう下世話な質問をするのはやめなさい。分かりましたか?」
「は、はいっ……しゅ、しゅみましぇんっ……!」
御手洗の肩は小刻みに震え、逃げるように教室のドアへと走る。
翔太郎は苦笑しながらも、少しだけ安堵の息をつく。
「あはは……あいつ今、廊下で派手に転んだぞ」
玲奈に凄まれることは、翔太郎ですら忌避する。
御手洗の自業自得であることに変わりはないのだが、僅かながら同情心が沸いた。
教室には再び静寂が戻る。
逃げ去った御手洗の姿を背に、玲奈は翔太郎に向けて微笑みかけた。
「お待たせしました、翔太郎。一緒に帰りましょう」
「うん」
二人は教室を出て歩き始める。
しばらく無言で歩いた後、翔太郎がふと口を開いた。
「帰りどっか寄る? セントラルモールとか」
「……私は別に構いませんが、良いんですか?」
「良いって何が?」
「いえ……真っ直ぐ帰るのではなく、私と放課後に遊んでいるところを見られたら……さっきの人みたいに、翔太郎に迷惑をかけようとする人が出るかもしれません」
「今に始まったことじゃないって。俺は別に気にしないからさ。行こうぜ」
一方の翔太郎は、朗らかに笑って歩き出す。
「気にしない……ですか……」
翔太郎は自分と噂されても何とも思わないのだろうか。
それに対して、玲奈は小さく息を吐き、心の中でほんの少しだけ動揺する。
玲奈は少し後ろで、足を揃えて歩きながら、まだ自分でも整理できない小さなモヤモヤを胸の奥に抱えつつ、微かに頬を赤らめる。
その温度差は、二人の間にほんの少しだけ、奇妙な距離感を作り出していた。
♢
セントラルモール付近を歩いていると、翔太郎は思い出したように玲奈に話しかけた。
「そういえば、十傑会議って何話してたんだ?」
「……」
玲奈は足取りを止めることなく、少しぼんやりと前を見つめたまま答える。
ここ数日、翔太郎と二人で歩いていると、こうして何も考えずに空を見上げたり、遠くの人ごみを眺めたりすることが増えていた。
「玲奈?」
「あっ、えっと……話していたことは主に二つです。先月のゼクスとカレンが起こした学園島の不審者の件についてが、まず一つですね」
「あー……」
新学期初めから頻発する、連続異能放火事件。
そして、それに付随して起きた学園島不審者騒動。
翔太郎の読み通り、裏では夜空の革命が糸を引いており、更には玲奈やアリシアを巻き込んだ事件にまで発展していた。
「アリシアは大丈夫そうだったか?」
その瞬間、玲奈の足が一瞬だけ止まる。
翔太郎の口から、アリシアの名前が出たことに自分でも気づかないうちに、軽く眉をひそめ、顔を少し上げて翔太郎を見やる。
「アリシア……ですか?」
「うん。事件の詳細ってなったら、どういう反応してたんだろって」
「……はい。私もその話題が出た時に心配になったのですが、むしろ積極的に自分から事件の詳細を話していました。……あんな事があったばかりだと言うのに」
「そっか」
玲奈は再び視線を前方に戻すが、胸の奥にぽっと小さな熱が上がるのを感じていた。
「とりあえず学園島の警備体制は強化したまま、十傑を始めとした各生徒が危機意識を常日頃から持つ事が結論として出ました。幸い、ゼクスの事件そのものは既に解決してますので」
「休校が解除されたのは良かったけど、ゼクスが倒されたからって、四季条が退くとも思えない。これからも気は抜けなそうだな」
「そうですね」
実際に黒幕である四季条の所在は未だ不明。
ゼクスを倒したことで、玲奈を監視する人間こそ居なくなったものの、またいつこちらに牙を剥いてくるか分かったものではない。
早急に見つけ出して、捕える必要がある。
「それでもう一つの話って何だ?」
「新十傑の事についてです。1学期が終われば学園ランキングも更新されて、順位変動が起こるでしょうから」
「あー……もしかしたら、今の十傑メンバーが降ろされるかもしれないって話か?」
「はい。そして新しい十傑候補の一人として、議題には翔太郎の名前が挙がってました」
「マジか」
そこで翔太郎は思わず歩みを止めた。
まだ転入して二ヶ月程しか経ってないが、パートナー試験で1位を取ったことで注目を集めたのか、第一席の獅堂の口から翔太郎の名前が出ていた。
「十傑になれるチャンスですよ。翔太郎」
「……うーん、十傑かぁ」
「何か問題でもあるんですか?」
「いや、ランキングが上がる分には別にいいんだけどさ。俺、実際に十傑って学園でどんな立場なのか、ちゃんとよく分かってないんだよね」
翔太郎にとっては、まずそこからである。
学園の選ばれし十名──あらゆる施設や試験、スクールマネーにおいて特権や補助が効く立場というのは把握しているが、それ以上の具体像は曖昧だった。
「十傑と言っても、メリットばかりではありません。学園側からの緊急要請には可能な限り参加しなければなりませんし、今日みたいに十人全員で定期的に集まって会議を開く義務もあります」
「まぁ、そうだよな。あんまり立場とか興味無いから詳しくは知らなかったんだけどさ」
「ですが、学園で過ごす上でランキングが一つの指標になっているのも事実です。5月の試験で1位を取ったとはいえ、未だ推薦生の翔太郎を認めない生徒は非常に多い……。だからこそ、翔太郎が十傑に入れば、その見方も大きく変わると思うのですが」
「推薦生の十傑なら、既にアリシアがいるじゃん」
アリシア・オールバーナー。
彼女もまた、翔太郎と同様に外部の人間から推薦されて零凰学園に入学してきた生徒である。
自分から推薦生であると言っている訳では無かったが、知ってる人間からは当然レッテルを貼られている。
それでも圧倒的な実力によって、現在は零凰学園十傑の第九席に座っているのが彼女である。
「アリシアは面倒事を避けるために、自分が推薦生であると公にはしていません。それに彼女の場合は、翔太郎のように目立つ行動はしていませんからね」
「おいおい、まるで俺が悪目立ちしてるような言い草だな」
「実際そうです。雪村くんたちとの騒動、私とのパートナー契約、影山くんと競り合ったことも……その全てが既に周囲に知れ渡っていますから」
玲奈は感情を抑えた口調で事実を並べる。
翔太郎は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべるしかなかった。
二人で話し込んで歩いていると、セントラルモールの前に花屋のリアカーがあった。
「珍しいですね。花屋のリアカーなんて」
「確かに。……あれ?あそこにいるのって」
そこには、少し眉を寄せて花を選ぶ心音の姿があった。どうやら、どの花を買うかで悩んでいるらしい。
「心音? 何してんだ?」
「あっ、鳴神くん。玲奈も一緒か!」
翔太郎が声をかけると、心音は顔を上げてニッコリと笑う。
先ほどの会議ぶりもあってか、心音が二人の姿を視界に捉えると、何やらニヤついた様子でこちらを見てくる。
「おやおや、いつものお二人さん。今日はまた放課後デートってやつですかい?」
その茶化す口調に、翔太郎と玲奈は思わず顔を見合わせる。
先ほどの御手洗の取材もあって、二人とも少し辟易していたが、心音の笑顔には威圧感がなく、自然と緩んでしまう。
「悪い、その手の茶化しは、さっき色々あって今日は疲れてるんだ。出来れば勘弁してくれ」
「あちゃー、ごめんごめん」
心音は苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
雰囲気が恋人のそれっぽく、二人の気付いてない所で噂は絶えない。
だからこそ、思わず二人が放課後に歩いているとつい茶化してしまうのだが。
「二人はもう帰り?」
「帰る前にちょっと寄り道しようと思ったんです。心音は何か買うんですか?」
「うーん、そうなんだけど……どれにしようか迷っててさぁ。こうやって悩む時間もまた楽しいんだけどね」
心音の声には自然な軽やかさがあり、二人を茶化しつつも、まるで放課後の空気を柔らかくするような温かさがあった。
「なるほどな……じゃあ、俺たちも一緒に見て回るか?」
「そうですね」
玲奈は少し考えてから、ふわりと頷いた。
三人は肩の力を抜き、ゆるやかに花屋のリアカーに近づいていった。
「自分用ですか?」
「あー違う違う、贈り物だよ。ちょっとここで花を買った後に寄る場所があってさ」
「誰に贈るつもりなんですか?」
心音はふと目を細め、口元ににやりとした笑みを浮かべる。
「えー? 玲奈も気になっちゃう?」
「はい、気になります。わざわざ心音がお花を買って贈るほどの相手ですから、どんな方なのかと」
「──私の大切な人だよ」
心音は一瞬だけ視線を遠くに逸らし、いつもの快活さに薄く影を落とした。
笑みは浮かべているのに、そこに漂うのはほんのりとした寂しさ。
普段との落差に、翔太郎と玲奈は思わず息を呑む。
「心音、それって……」
いつもは明るく場を盛り上げる彼女が、唐突に見せた儚げな表情に、二人は顔を見合わせてドキリとした。
「ぷはっ、今、私の好きな人への贈り物って思ったでしょ? ねぇ、絶対思ったでしょー?」
「そりゃあまぁ、なぁ?」
「はい。雰囲気からそんな感じかなと」
「ごめんごめん。実はね、今入院してるお母さんに持って行こうと思ってるんだ」
その言葉に、二人は思わず目を丸くした。
「え、心音のお母さんって入院してたのか?」
「うん、私が小さい頃からずっとね。もう十年になるかな」
心音は柔らかく微笑むが、その声色は少しだけ掠れていた。
「たまにはこうやって花でも贈らないと、お母さんも元気出ないでしょ? 私もこういう時くらいしか役に立てないからさ」
軽く口にした言葉なのに、その笑顔はどこかぎこちなく、ほんの少し滲む痛みを覆い隠しているようだった。
十年近くも病院で過ごしているという現実がどれほどの重みを持つのか──翔太郎も玲奈も、言葉にせずとも察してしまう。
「私ってさ、お父さんも昔に死んじゃったから親戚の家を転々としてて、今は寮で一人暮らしなんだよね。たまにお母さんのお見舞いとか行ってるけど、最近は行けてなくてさ……」
「……そうだったんですか」
「大丈夫か?」
「んー? 大丈夫大丈夫! 二人が気にする必要ないって。私なんか全然平気だからさ!」
心音はあっけらかんと笑って、店員に声をかけた。
「店員さん、これにします!」
差し出された指先に摘まれていたのは、陽の光をそのまま閉じ込めたかのような黄色のガーベラだった。
優しさ・親しみ──そんな花言葉を持つ花だ。
「ほら、これならお母さんもきっと明るい気持ちになれるでしょ?」
心音は笑みを深め、まるで本当に楽しい買い物をしているかのように振る舞っていた。
だが翔太郎と玲奈は、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えていた。
彼女の笑顔が眩しいほどに、そこに隠された想いが、逆に鮮明に浮かび上がって見えてしまう。
二人は何も言えず、ただ黙って心音の背を見守るしかなかった。
「──あ、それと今思い出したんだけど……。私、二人には怒ってるんだからね」
心音は買ったばかりの黄色いガーベラを胸に抱え、くるりと振り返った。
その顔には、まるで子供のように頬をふくらませた仕草が浮かんでいる。
だが、さっきまでの儚げな微笑みを見ていた二人にとって、その様子は余計に胸をざわつかせるものだった。
「翔太郎、心音に何かしたんですか?」
「え、俺? いや何もしてないって。玲奈こそ、心音にまた態度悪くしてないだろうな?」
「してませんよ。心当たりなんて……」
二人は慌てて言い合うが、心音はぷいと顔を背けて肩を揺らす。
「──アリシアのこと。あの事件、二人は最後までアリシアに付き添ったみたいだね」
「え? ああ、先月の……」
第五湾岸埠頭の戦闘。
アリシアを中心に展開された騒動の中で、玲奈がカレンと交戦し、翔太郎がゼクスと交戦し、そして剣崎までもが参戦した一晩の出来事。
実行犯のカレンと、主犯のゼクスは死亡。
そして黒幕である四季条は逃亡し、後味の悪い形で終わった事件でもある。
「アリシアとソルシェリアから全部聞いたよ。あのフードのカレンって女の子のことも、ゼクスっていう頭のおかしい白衣の男のことも、ぜーんぶね。……なんで私だけ置いてきぼりにしたの?」
心音は口を尖らせ、軽口を叩く調子で言う。
だがその眼差しには、冗談だけでは済まされない色が混じっていた。
「それについては申し訳ありませんでした。ゼクスの狙いが私とアリシアだったので、これ以上、心音に迷惑をかける事もできず……」
「まぁ、そのゼクスよりヤバい奴が裏で手を引いてたのもあって、正直行かない方が良かったと思うぞ。マジで」
玲奈は申し訳なさそうに、翔太郎は苦笑を浮かべながら言い訳めいた言葉を探す。
「ふーん……。でもさ、私だって二人のこと仲間だと思ってたんだよ? 大事な時に危ないからって理由ではぶられるの、結構ショックなんだからね」
「……拗ねてますね」
「……うん、これ絶対アリシアにも同じこと言っただろ」
「さぁ、どうかなぁ?」
心音はガーベラを揺らし、いたずらっぽく笑う。
けれど、ほんの一瞬だけ、瞳の奥に影が落ちる。
「アリシアね……カレンを亡くして、すごく辛そうだった。正直、私なんかにはどう声をかけていいのか分からなかったんだ。でも……二人がいたから、あの子は前を向いて歩いていられるんだと思う。だから──ありがとう」
最後は、柔らかくて透き通るような微笑み。
先ほどまでの拗ねた仕草はすっと消え、心音の素直な想いがそのまま言葉になっていた。
「なーんてね。怒ってるのは半分冗談。でも……置いていかれるのはやっぱり嫌だな。次は忘れないでよね?」
そう言って心音はひらひらと手を振り、ガーベラを抱えたまま背を向けて歩き出す。
黄色い花が揺れるたびに、その小さな背中がどこか遠くへ消えていきそうに見えて、翔太郎も玲奈も自然と目で追ってしまった。
「……心音の気持ち、私も少しだけ分かります」
ぽつりと、玲奈が呟く。
「え?」
「だって私も、誰かさんに何度も置いていかれそうになりましたから」
じとっとした視線が翔太郎に突き刺さる。
普段は冷静沈着な彼女のその仕草が、思わず可愛らしく見えてしまい、翔太郎は苦笑でごまかすしかなかった。
「……悪かったって」
けれどその時、翔太郎の心に小さな違和感がよぎった。
──父を亡くし、母が病に伏し、親戚の家を転々としている少女。
心音が語った境遇は、どこかで聞いたことがあるような気がした。
胸の奥を掠める既視感。
それが誰の記憶と重なるのか、すぐには思い出せない。
だが確かに、自分の中に同じような影を抱えた誰かの姿が、重なりかけていた。