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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章46 『天変地異』

 鏡の世界の境界を、翔太郎は全力の疾走のまま突破した。


 一瞬の浮遊感。

 足元の地が消え、重力の向きが変わるような奇妙な感覚に、身体の感覚が乱れながら、そのまま着地する。


「っ……うおッと!」


 翔太郎の足がもつれ、膝から崩れるように転倒。

 アリシアを守るように抱き締めたまま、二人は鏡の世界の石畳に勢いよく倒れ込んだ。


「おっそいわよ!何してたのよ、ほんっとに!」


 怒鳴り声が響く。

 声の主は、入り口のすぐそばで待ち構えていた小柄な人形──ソルシェリアだった。


 両手を腰に当て、今にも飛びかかりそうな勢いで怒っている。けれど、瞳の奥には明らかな安堵の色が浮かんでいた。


 翔太郎は息を切らしながら顔を上げる。


「わ、悪い……結構ギリギリだった……」


「ギリギリ過ぎなのよ! アリシアを連れてさっさと離脱すれば良いのに、あんな化け物に二人だけで戦おうなんて頭おかしいんじゃないの!?」


「いや、ホントにもうおっしゃる通りで……」


「もう少しでワープ口を閉じるところだったんだからね!? アタシをなんだと思ってんのよ!」


「……ソルシェリア」


 アリシアが、静かに名を呼んだ。

 その声は掠れていて、どこか切実だった。


 次の瞬間。

 アリシアは、地面に膝をついたまま、ソルシェリアの小さな身体を両腕でぎゅっと抱きしめた。


「──……!」


 ソルシェリアの目が大きく見開かれた。

 怒鳴りかけていた口が止まり、言葉が凍る。


 アリシアの身体が、小さく震えている。

 まるで壊れ物を抱えるように、彼女の腕がソルシェリアの細い背中を確かめるように強く引き寄せていた。


「……心配、したんだけど。アリシア」


 ようやくソルシェリアが口を開いた。


 けれど、それは怒気ではなかった。

 ただの強がり。

 自分は心配してなんかないという態度で、それでも言葉は震えていた。


「アンタが居なくなったら……アタシの飼い主、いなくなるんですけど」


 その言葉は、どこか拗ねたようでいて──芯のところで震えていた。


 照れ隠しのように、ソルシェリアは頬をぷいと膨らませたまま、そっぽを向く。

 けれど、小さな手はアリシアの震える背中にそっと添えられていた。


 ぎこちなく、でも確かにそこにある抱擁。

 それは機械仕掛けの命ではなく、人と人とを繋ぐあたたかな温もりだった。


 アリシアはしばらく何も言えず、ただ静かに、ソルシェリアの肩に額を預けるようにしていた。

 やがて、細く割れるような声が漏れる。


「……ごめん、遅れて。助けてくれてありがとう」


 震えながら、それでも言葉にした。

 その声には、感謝と、後悔と、安堵と──数え切れない想いが重なっていた。


 翔太郎はそんな二人の姿を見つめていた。


 深く、静かに呼吸を整えながら。

 地面についた手にはまだ力が入らず、全身が悲鳴を上げているはずなのに──その光景だけが、彼の痛みを遠くへ押しやっていた。


「……よかった。誰も死ななくて」


 ぼそっと呟くように笑みを漏らす。

 ふと、ソルシェリアに抱きついたままのアリシアが、ゆっくりと翔太郎の方へ振り返った。


「翔太郎の先生って人……本当に大丈夫なの? あんなに強い人だって、相手は四季条だよ? あの人、今一人で戦ってるんでしょう……?」


 不安が滲む声が漏れる。


 その心配は当然かもしれない。

 アリシアにとって四季条は化け物である。

 常識の通じない異質な力を持ち、殺意に満ちた怪物。それを、たった一人で迎え撃つなんて、普通なら無謀にも程がある。


 だが──翔太郎の返答は即答だった。


「大丈夫だ」


 静かに、でもはっきりと。何の迷いもなかった。


「俺は先生──剣崎大吾より強い能力者を、見たことがない。いや、聞いたことすらない。あの人は、紛れもなく日本最強クラスの実力者だよ。どれだけ相手が異常でも、先生なら必ず勝つ」


 それは盲信に近いほどの信頼だった。

 戦場で命を預けてきた者だけが持つ、揺るがぬ確信。


 アリシアは息を飲んだまま、その言葉の重みを受け取るしかなかった。

 そんな中、ソルシェリアが少しだけ身体を離し、片眉を上げながら口を開いた。


「……で? その超人先生とやら、アタシが鏡の中から見張ってた時、こっちの視線感じたのか、いきなり倉庫の壁に向かって『誰か見てるのか?』って話しかけてきたんだけど」


「先生なら当然だな」


「何なの、あの人。人間やめてるでしょ?」


「まあ、先生は人一倍……いや十倍は敏感だからな。見られてる、とか、殺気がある、とか……そういうのに関しては獣みたいな嗅覚してる」


 翔太郎は苦笑しながら答える。

 だがその表情には、確かな誇らしさがあった。


「視線だけで鏡の世界を察知できるって、もう頭おかしいのよ。しかも翔太郎たちは最深部にいるって言ったら、床ぶち抜いて一直線に降りてきたんだから! あれ、常識人だったらやらないわよ!? 本当にあんたの知り合い!?」


「うん。俺の先生だから」


 そう言い切った翔太郎の瞳には、微塵の疑いもなかった。ソルシェリアが文句を垂れる横で、アリシアはそのやり取りを聞いている。


 信頼。絆。覚悟。

 翔太郎の言葉の一つ一つに、アリシアの胸が打たれていた。


「──翔太郎が信じる人なら、きっと大丈夫かな。私も、あの人を信じてみる」


 アリシアの声は、かすかに震えていた。けれど、それでもしっかりと前を向こうとしていた。


 そう思えるだけの「力」が、翔太郎の背中には確かにあった。

 だが──その背中が、ふいに揺らぐ。


「ああ……先生は……最強なん……だ、けど……」


 声が、急激に細くなった。


「翔太郎?」


 アリシアが怪訝そうに顔を向けたその瞬間、翔太郎の膝がカクンと折れた。

 そのまま、ぐらりと身体が傾ぐ。


「翔──」



 膝をつく間もなく地面に崩れ落ち、土埃が舞い上がる。反応も、声もない。


「翔太郎ッ!?」


 最初に声を上げたのはソルシェリアだった。

 あれだけ大勢のゾンビや、セカンドオリジンを発動したゼクスですらを捻じ伏せた男が、今、まるで糸が切れたように倒れたのだ。


 その事実が、彼女の安堵感を一気に吹き飛ばした。


「ちょっと、嘘でしょ!? ねぇ翔太郎、聞こえてる!? ふざけないでよ、冗談にしたって悪質すぎ──!」


 叫びながら、ソルシェリアが駆け寄る。

 その声に被さるように、もうひとつの足音が響いた。


「翔太郎──!」


 アリシアだった。


 悲鳴にも似たその叫びとともに、彼女は翔太郎の傍へ飛び込むようにして膝をついた。


「翔太郎っ、ねぇ、目を開けて、お願いっ……!」


 震える手でその身体に触れる。

 腕を引き寄せ、顔を覗き込む。

 額が触れるほどに近付いても、彼のオレンジ色の瞳は閉じたままだ。


「嫌だ……! やっと、やっと生きて逃げられたのに、こんなの嘘でしょ……?」


 声が掠れて、潤んだ目から大粒の涙が零れ落ちた。


 その声。その温もり。その涙。

 全部、翔太郎の耳には、確かに届いていた。

 けれど──もう、応えることができなかった。


 翔太郎の意識は、深く、暗く、沈んでいく。


(……ああ、ダメだな。俺って……)


 頭の奥に霞むように浮かぶ、自己嘲笑のような声。


(今日だけで、何回アリシアを泣かせたんだろうな)


 目の前が、砂のように崩れていく。

 音も、光も、全て遠ざかる。

 まるで、魂をどこかへ引き摺られるような感覚。


(……それでも、守れたかな。アリシアを)


 心がそう呟く。

 だが、その声すら──風にさらわれるように消えていった。


 深く、静かに、闇が降りる。

 翔太郎の呼吸はかすかにあるものの、意識はもうどこにもなかった。

 ソルシェリアは唇を噛み、地面を叩いた。


「クソ……ッ、あんな無茶してりゃ、こうなるに決まってるでしょ……!」


 玲奈と合流するまで大勢のゾンビを退け、ゼクス・ヴァイゼンと対峙し、セカンドオリジンを一日で二度も発動し──そして、四季条との超高速戦闘。


 常人なら即死してもおかしくない。


 それでも彼は戦い続けた。

 玲奈のために。アリシアのために。

 ──けれどその代償は、あまりにも大きかった。


 アリシアは彼の胸にすがりつき、必死に名前を呼び続ける。


「翔太郎……お願い、返事して……私、まだ──」


 声が嗚咽に変わっていく。

 その震えと涙が、まるで時間を止めたかのように場を包んでいた。




 ♢




 灰塵と化した地下空間の最深部。

 鉄骨は曲がり、コンクリートの床には亀裂が走っている。

 空気中に舞う硝煙と、焼け焦げた臭い。

 沈黙が不気味なほどに重い。


 ──その中央に、二つの影。

 一人は、狂気に彩られた青年。

 そして、もう一人は──冷徹な殺気を纏う男。


「……あーあ。逃げられちゃった」


 誰に言うでもなく、四季条輪廻がぽつりと呟いた。

 その目は楽しげに細められ、手には乾いた血が滴る。


「アンタさ、何してくれてんの? オレが殺そうと思った相手を逃すなんて、今回が初めてなんだけど?」


 舌打ちするように肩をすくめながら、軽く足で地面を蹴る。

 細かな破片がパラパラと跳ねる中、彼はふざけた口調のまま続けた。


「まあ、どの道いいけどさ。すぐ探して、引きずり出して、殺すだけだし?」


 クスクスと喉の奥で笑うその声音は、まるで本当に楽しんでいるようだった。


 だが──その前に立つ男は、一歩も動かない。


 剣崎大吾。


 コートの裾が揺れる。

 視線は微塵も逸らさず、ただまっすぐに四季条を見据えていた。


「……そいつは不可能だな」


 低く、鋭い声が空気を裂いた。

 硬質な刃のような響きに、場の温度が数度下がる錯覚すら起きる。


「お前の命日は、今日になるからだ」


 ──瞬間。

 空気が張りつめ、音が死ぬ。

 それは戦場を歩んできた者たちにしか感じ取れない、死の宣告。


「へぇ?」


 四季条の口元が緩んだ。

 まるで、気に入った玩具を目の前に出された子供のような顔で笑う。


「言うねぇ……いいねぇ、こういうハッタリ。久々にワクワクしてきたわ。オレ、こういう自信過剰なやつ、だーい好きなんだよね」


「ハッタリだと思うか?」


「思うよ? だってさ、アンタがどれだけ強くても、オレを殺せるわけ──」


 その瞬間、剣崎の手が微かに動いた。

 ほんの、数ミリ。

 ただそれだけで、四季条の笑みが微かに引き攣る。


「……なるほどね」


 鋭敏な危機感が背筋を走る。

 これは、冗談では済まない何かだ。


「──知ってるよ、アンタの顔。剣崎大吾、だろ? 日本に数人しかいないS級能力者の一人。オレたち、夜空の革命の正規メンバーとタイマン張れる、数少ない能力者だ」


 その顔に初めて、明確な戦闘者の顔が浮かぶ。


「やっぱいいね、そういうの。殺気だけでゾクッと来る相手って、ほんっと貴重だわ。さっきの二人──アリシア・オールバーナーと鳴神翔太郎も、伸び代はあると思うけどさ……アンタに比べたら小粒に等しい」


「小粒か。まるで見る目が無いな」


 剣崎の言葉は静かで、冷ややかだった。

 しかしその一言には、鋭い刃のような苛烈な否定が込められていた。


「へぇ? 先生ってのは、自分の教え子を贔屓目で見るクセでもあんの? あのガキ、自分が助けに来た女一人も守れずに、地面に這いつくばって、酸欠で目も虚ろだったじゃん。あれのどこが将来有望だって? まさか、精神力とか根性とか、そういう古臭い美徳で勝てるとでも思ってんの?」


「勘違いするな。俺が見てるのは今の鳴神翔太郎じゃない。……これからの翔太郎だ」


 四季条の笑みが少し歪む。

 嘲るように、肩をすくめながら鼻で笑った。


「それ、もしかして才能がない奴でも努力すれば報われるって話? ハッ、青臭すぎるよ。現実はもっとシビアなんだ。アンタこそ、本気で鳴神翔太郎がオレたちと戦えるように鍛えたつもりかよ? あんな凡才のガキが?」


「その凡才のガキが、たった六年でセカンドオリジンを覚醒させるという奇跡を起こして見せたんだ。あと数年でお前たちを壊滅させるぐらいの力を身に付けるかもな」


「あはははっ。アンタの口からそんなギャグが出るなんて傑作だよ。マジで言ってんの? オレは通常時で、セカンドオリジンの二人を死ぬ一歩手前まで追い詰めた。これがどういう意味か分かるか?」


「現に逃げられたんだから、お前の負けだろう」


 四季条の笑顔から、冗談めかした色がほんの一瞬消える。


「くくくっ……確かにそれもそうだね。だから次こそは逃がさない。ああいうキラキラとした目で、未来のこととか仲間のこと語る奴って壊したくなるんだよね。次は確実に仕留めてみせるよ」


「だから出来ないって言ってんだろ。今日がお前の命日だ」


 その時だった。

 最深部の天井の瓦礫が、ひと塊──パラパラと、剥がれ落ちた。


 剣崎と四季条の視線が、ぴたりと交差する。


 瓦礫が、床に音を立てて落ちたその瞬間。


「「────っ!」」


 二人の目が、一気に見開かれる。


 剣崎は背中の大剣を掴み、重力すらねじ伏せるような一閃で構える。

 四季条はその両手に、黒い雷と黄金の炎──相反する二属性を同時に纏い、獰猛な獣のような姿勢で剣崎に喰らいつかんとする。


 そのまま、空気を引き裂くように──激突。

 極大の爆風と、鉄を歪めるような異能の衝突が、地下の最深部を瞬時に揺るがす。


 爆音。


 鉄壁の床を砕く爆圧とともに、大剣が唸りを上げる。

 剣崎大吾が一歩踏み込んだだけで、石造りの空間が歪み、空気が裂けた。


「──あははははははっ!ははははははっっ!!」


 四季条輪廻は笑っていた。

 だが、瞳だけは研ぎ澄まされた狩人のように、剣崎の剣筋を追っている。


「俺の動きについて来ているな。ローフラム爺さんの炎と翔太郎の雷を同時に使用しているからか?」


 低く鋭い声とともに、大剣が横薙ぎに振り抜かれた。

 空間を裂く剣圧が雷鳴のように走る。


「残念、ハズレでしたー!」


 黄金の炎が、まるで生き物のように四季条の身体を包む。その炎は、蛇のようにうねって、大剣の軌道を読んで撥ね退けた。


「その程度、押し潰せないと思ったか?」


 剣崎は眉一つ動かさぬまま、大剣を回転させて振り下ろす。


 今度は真上からの一撃。

 鉄骨すら叩き折る剛力で、四季条の頭蓋を粉砕せんと迫る。


「──雷閃!」


 火花。

 だが防いだのは、黄金の炎ではない。


 四季条の掌からほとばしった黒い雷閃が、異能の衝突点を正確に打ち抜き、軌道を逸らした。

 コピー元の翔太郎を超えるほどの、圧倒的な反応速度が剣の先を滑らせる。


「……そういうことか」


 重力を揺るがす大剣を引き戻しながら、剣崎の脳裏に、ある推論が浮かぶ。


(──ローフラムの爺さんの黄金の(ヘファイストス・)(フレア)。それに翔太郎の雷閃。異なる能力を、同時に操り、組み合わせることで、もはや別の能力と化している)


 思考の隙間を縫うように、四季条が跳びかかってくる。

 二属性の異能を纏い、咆哮のように叫ぶ。


「どうしたよ、さっきまでの威勢は? もう分析モードかよ、剣崎先生!」


「──いや。もう大体把握した」


 刃と雷と、炎のうねりがぶつかり合う。

 互いに一歩も譲らず、火花と震動が地下全体を支配する中──剣崎は静かに言葉を継いだ。


「通常時のお前は、一度に扱える能力は一つまでだ。だが今は二つの異能を同時に使い、しかも連携させている。黄金の炎で軌道を逸らし、黒雷で精密に迎撃。どちらか一つでは成立しない、完璧な能力の融合だ」


 刃の衝突とともに、剣崎は低く告げた。


「……つまり、それが──お前のセカンドオリジンの真価。“能力の複数同時使用”、そして“異能と異能の融合”。まるで組み合わせ式の錬金術だな」


 その言葉に、四季条の口元から一瞬だけ、薄笑いが消えた。


 事実、剣崎の読みは正確だった。


 四季条輪廻のセカンドオリジンの固有能力。

 その名は──《輪廻転生りんねてんせい》。


 本来、彼の能力は“エンヴィー・フェイク”というコピー能力。

 自身が妬んだ、もしくは羨ましいと考えた異能力を一時的に自分の力として使用する。


 だが制限はあった。

 通常時では、同時に行使できるのは一つまで。

 写すことはできても、積み上げることはできない。それが彼の限界だった。


 しかし、セカンドオリジンが発動された今──その制限は完全に消失する。


 同時使用数、無制限。

 異能の自由な組み合わせ、無制限。

 能力の性質改変・強化・合成──すべて可能。


 たとえば、対象を追尾する炎と、雷速で直線射出される閃光。

 それらを融合すれば「標的を自動追尾しながら、光速に近い速さで到達する炎と閃光の能力」が生まれる。


 異能と異能を噛み合わせ、機能として再構築し、全く新しい殺傷法へと転生させる。

 まるで他者の力を解体・再構成する悪魔的な職人芸。

 他人の魂を食いちぎり、自らの武器に打ち直す所業。


 まさに、最悪の才能。

 異能社会において、最も凶悪で、最も危険な能力の一角。


 他人の力を奪い、喰い、ねじ曲げ、自分だけの殺戮兵器に変貌させる。その執念深さと悪辣さは、能力という枠すら超えている。


 その本質は──『嫉妬』そのもの。


 誰かの力を欲しがり、羨み、模倣し、そして……超えて、殺す。

 それが、輪廻転生という異能の真髄であり、四季条輪廻という男の本性だった。


「分かってるなら話が早くて助かるよ。アンタも、このオレの敵じゃないってことがさぁ!」


「所詮はコピーだろ。他人の真似で得た力で、よくそこまで良い気になれるもんだ」


 剣崎の大剣が唸る。

 真空を切り裂き、雷鳴のような音と共に四季条の肩口を叩き伏せる。


「──がぁっ!?」


 速すぎる。

 思わず四季条は自分の目を疑った。

 なんだ、今の速度は。人類が出せる速度じゃない。


 金属がぶつかる音が、時空を裂く。

 剣崎の大剣が放つ一閃は、見た目の鈍重さとは裏腹に、音速すら置き去りにする斬撃だった。


「堕ちろ。夜空の革命」


 金属がぶつかる音が、時空を裂く。

 剣崎の大剣が放つ一閃は、見た目の鈍重さとは裏腹に、音速すら置き去りにする斬撃だった。


 それが、四季条の肩口を叩き割る。

 血が舞う。肉が裂け、骨が砕ける。

 人間なら絶叫して崩れ落ちる──だが。


「──癒しの加護」


 その血が、黄金に染まる。

 瞬間、肌が再生する音が響く。肉が蠢き、筋繊維が勝手に縫い合わさっていく。

 血は体内へと逆流し、傷はなかったかのように消えた。


「ほう? 治癒能力か? 誰のコピーかは知らんが、自分の傷なら一瞬で治せるのか。コイツは厄介だな」


「理解した? アンタの攻撃が通っても、オレのコピーですぐに治せんの」


 剣崎が目を細めた瞬間、四季条の肉体が軋む音を立て始める。

 骨が変形し、皮膚が銀鉄色へと染まり、肌から熱が蒸発する。


「鋼鉄化か」


「お返しだ、剣崎大吾ぉ!」


 その鋼の肉体が砲弾じみた速度で、真正面から剣崎へ突撃した。


「──っ」


 剣崎は即座に大剣を盾のように構えるが、地が裂けるような突進が大剣に命中し、衝撃はそのまま剣崎を数十メートル以上後方へ弾き飛ばした。


「──中々、重い一撃だな」


 しかし、空中で一回転した剣崎は、地を踏みしめるように滑り着地する。


「この俺ですらぶっ飛ばせるんだから、今の翔太郎じゃ確かに荷が重いか」


「簡単に吹っ飛ばされたのに、随分と余裕じゃん!」


 砂煙が舞う。

 剣崎が後ろ足で地面を裂きながら着地した瞬間、地が膨れ上がる。

 その中央に立つのは、なおも笑みを絶やさぬ四季条輪廻。


岩穿槍(がんせんそう)!」


 彼の足元──触れた地面が、波のように蠢く。

 地面が隆起し、槍のような石柱が咆哮を上げながらせり上がる。


 ただの石ではない。

 重さも硬度も異常だ。

 重力さえ味方につけた杭が空間を圧する。


 四季条が指先で地面に触れた刹那、足元から膨れ上がった土壌が音を立てて変形を始めた。


 石柱。石柱。石柱──。

 十数本もの尖塔が、四方八方から襲いかかる。


「今度は物量で来たか」


 剣崎は大剣を水平に振るい、正面から迫る石柱を豪快に叩き割る。

 飛び散る破片。跳ねる土塊。


 だが、その身は止まらない。


「──よっと」


 反射神経すらも殺意に変え、剣崎は一つの石柱に乗る。

 凹凸を一瞬で読み取り、そこから更に連続跳躍。

 空中を駆けるように、石柱から石柱へと飛び移りながら、爆走する。


「あはははっ! マジで!? アンタ、本当に人間かよ!」


 すると──空が焼けた。


 辺りに満ちた空気が爆ぜる音。

 重力すら逆巻くように、黄金の焔が旋回する。四季条の周囲に咲く、死を告げる火葬の花。


 炎が意思を持ったように螺旋を描き、上昇する剣崎を包囲する。


 もはや純粋な熱ではない。

 制圧する光として襲いかかる殺意。


黄金の(ヘファイストス・)(フレア)!!」


「結局、なんだかんだ一番威力が凄まじいのはローフラム爺さんの炎という訳か」


 剣崎はすぐさま前方の柱を跳躍し、振り下ろした大剣から衝撃波を発する。

 巻き上がる爆風が、迫る炎をいくらか押し返すが──それでもすべてを防ぎきることはできない。


 灼熱が目前まで迫る。

 石が焼け、空気が呻く。

 あらゆる異能が四季条の手のひらの上で回されていた。


 自己再生に近い治癒能力。

 全身を砲弾のように変形させる鋼鉄化。

 地面の形を変えて相手を串刺しにしようとする地形操作。

 そして、ローフラムの黄金の(ヘファイストス・)(フレア)


 ──すべて別々の能力。


(これが、無制限コピーの力か)


 彼の炎には秩序がなかった。

 だが同時に、規格外の理があった。


 奪った能力を組み合わせ、再構築して吐き出す。

 もはや、ただのコピー能力ではない。

 四季条輪廻は、異能そのものを自分の言語として再構成し、次元を歪ませている。


「オレはね、出し惜しみって言葉が嫌いなんだよ。せっかくコピーした力、使わなきゃ損だろ?」


 四季条の声音は、まるで遊戯に興じる子供のようだった。


「だって──オレには無限に選択肢がある。能力一つで戦ってる奴らなんて、可哀想だよな?」


 そう。

 これこそが、《輪廻転生》の恐ろしさ。


 もはや、ルール無視の異能のバーゲンセール。

 通常の異能者がたった一つの能力を研ぎ澄ませて戦っている間、四季条輪廻は無数の他者の力を掠め取り、組み合わせ、改造し、悪意に染めて吐き出してくる。


 それはまるで、異能社会そのものに対する冒涜であり、侮辱。


 しかし、たとえ炎が迫ろうとも、石柱が崩れようとも、鋼の突撃で吹き飛ばされようとも──剣崎の足は止まらない。


「──飽きたな」


 四季条が目を細める。

 それは、嘘でも煽りでもなかった。

 ただ、本心の独白だった。


 次の瞬間。

 異空間から出現し、剣崎の肩に担がれる黒鉄の筒が、ガチリと音を立てる。


 ──対戦車携行誘導兵器。

 通常兵器としては、既に時代遅れとも言える旧式の破壊装置。


 だが、それが剣崎の異空間にある所有武装であるというだけで、性能、威力共に最大十倍となり、兵器の世界の意味が変わる。


 轟音。閃光。

 ミサイルが飛ぶ。

 それは飛ぶというより、怒りを纏って空を裂く行為だった。


 衝突。

 爆発ではなく、衝突。

 それが触れた瞬間、周囲一帯の空気が爆ぜ、地面が盛大に引きちぎられた。

 防壁も、地形操作も、回避も──何もかも無意味。


 四季条の全てのコピーが、純粋な破壊の暴力の前に上塗りされた。


「──治癒能力があるんだったな」


 そして。

 土煙の中に姿を消した剣崎は──次の瞬間、連続の斬撃として現れた。


「ならば、再生が追いつかないぐらい斬り刻んでしまえばいいだけの事だろう?」


 治癒が、追いつかない。

 四季条の肉体は、既にその速度に対応できていない。

 鉄の肉体も、加護の治癒も、それより速く裂かれるという現象の前に、ただ血を流すのみだった。


「っが……ぁ、っ、ああ、アアアアアアアアアアァァッ!!」


 四季条が絶叫した。

 怒りでも、苦痛でもない。

 それは──理解の崩壊に起因する、思考の悲鳴である。


(何故、再生が追いつかない……!?)


 斬撃が、止まらない。

 何処から振るわれたのかすら掴めないまま、ただ斬られたという事実だけが結果として存在する。


 見えない。読めない。防げない。

 彼の全身が、一度は模倣した鋼化すら貫かれ、紅に染まり始めていた。


 いまこの瞬間、四季条輪廻という存在は剣崎の連撃に対応できていないという未曾有の事実と直面していた。


 いや──違う。

 殺されると、理解してしまった。


 その言葉を頭で繰り返すことすら叶わない。

 それは思考ではなく、本能の領域に刻み込まれた死のイメージだった。


 己が裂かれ、焼かれ、砕かれ、血塗れの肉片となって地に伏すその光景が、幻覚のように脳裏に焼きつく。


 その瞬間──彼の瞳孔が、かすかに震えた。


「このオレが……!」


 異能力の出力が、微かに滞る。

 周囲を覆っていた黄金の焔が、まるで怯えるかのように後退し、黒雷の閃光が、ほんの一瞬だけ脈を止めた。


 恐怖だ。

 四季条輪廻は、認めたくもなかった感情に、確かに触れていた。


 ──だというのに。

 風が払われ、土煙が流れ、現れたのは……たった一人の男だった。


 一振りの大剣を肩に担ぎ、虚無のような視線でこちらを見据える、ただの男。

 異能の光も、闘志の炎も、何も纏っていない。


 それなのに──この男は、まだ本気を出していないという確信だけが、鋭利な刃となって四季条の首筋をなぞった。


 このままでは殺される。

 この男は、あの先を隠し持っている。

 自分が誇りとした全ての能力を並べても、届かない頂がある──そんな想像は、もはや妄想ではない。


「化け物はオレじゃなくて、アンタの方だったのかよ」


 四季条の中で、何かが悲鳴を上げていた。

 だが、その震えを悟らせまいとするかのように──彼は、笑った。


「ハ、ハハ……ハッハァ……ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」


 咆哮とともに、異能が爆ぜた。


 彼の肉体から、爆発的な異能の奔流が吐き出される。

 黄金の焔が暴走し、灼熱の奔流が天を焦がし、黒雷が縦横無尽に空間を裂き、轟音と閃光と熱が混ざり合い、まるで天変地異そのもののように空間を蹂躙する。


「なら、絞り出してやるよ。オレの全てを!!」


 崩落する大地、燃え尽きる空気、消し飛ぶ空間。

 それは人間の感情の揺らぎを、暴力で塗り潰そうとする異能の咆哮だった。


 嗤いながら、全てを吐き出す。

 焼き尽くすしか、逃れる術がなかった。

 この目の前の男が持つ本気という名の地獄から。


「死ね、剣崎大吾ぉぉぉぉぉ!!!」


 炎が、天を衝く。

 雷が、大地を裂く。

 大気を覆い尽くす灼熱と黒雷、隆起した石柱が無数の槍のように天井へと突き上がる。


「……まずいな。このままだと、地下空間が崩れかねない」


 剣崎大吾は、ついに後退した。

 その瞳が、初めて慎重に周囲を測っている。


 地下空間ごと灼熱の閃光に呑み込まれ、視界は既に失われて久しい。

 爆ぜる音、崩れる岩、焦げた鉄の匂いが混ざり合い──まるで空間そのものが咆哮を上げているかのようだった。


「最後の最後で悪あがきしやがって」


 大剣を構え、剣崎は足を止めた。

 膨大な魔力の爆発があまりにも荒く、接近を許さない。

 それでも、風に舞う一筋の影──ただそれだけを、彼は見逃さなかった。


 四季条輪廻。

 石柱の間、稲妻の裏。

 一瞬だけ垣間見えた影を頼りに、剣崎はすでに軌道を描いていた。


 ──行ける。

 この一撃で仕留める。


 爆炎の奔流を潜り、幾重にも交差する石槍をすり抜け、稲妻の閃光が刃を焦がす寸前で身体を捻り──最後の一閃。


「終わりだ」


 大剣が、風を裂いたその瞬間、四季条の瞳孔がこちらを嘲笑うかのように見開いた。




「──灰散(アッシュ・シルト)




 剣崎の一撃が、確かに届いたはずの四季条の身体が、灰となって崩れた。


 一瞬で、四季条の姿が塵のように空気へと溶けていく。それは消滅ではない。

 分散と回避に関しては、この世界でもトップクラスの性能を誇る灰の異能力──“灰散(アッシュ・シルト)”。


「ゼクスの異能力か……!」


 剣崎の目が、わずかに見開かれる。


 四季条輪廻は、最後の最後で、自分の部下だった下部構成員──ゼクス・ヴァイゼンの能力を模倣し、あらゆる干渉から完全に逃げるという選択を取った。


「くそっ、逃げるな……!」


 剣崎の周囲を、灰が漂う。

 その粒子は、まるでせせらぎのように地面に低空飛行する。

 この地下空間の通気口……その隙間から、四季条輪廻は本当に、完璧に姿を消した。


 残されたのは──ただの声。

 灰となった空気の中から、振動するように響く、四季条輪廻の最後の言葉。


「──バイバイ。楽しかったよ、剣崎大吾」


 声に、焦りも恐怖もなかった。

 ただ愉悦と、悪意と、名残惜しささえも滲ませるような、柔らかくて不気味な煙のような響きだった。


「今日は、お前の勝ちでいい。認めてやるよ。オレの負けだ」


 地下空間に漂う灰が、まるで嗤うように蠢く。

 その中に潜む“声”は、もうすでにどこにも姿を持っていなかった。


「でも……次に殺し合う時は、お前の目の前で──大切なもん、全部壊してやるね」


 その全部が、何を意味するのか。

 四季条は明確には口にしない。


 だが、剣崎にはそれで十分だった。

 あの声の底に、あの目の奥にあった、自分への殺意と憎しみの意味を、彼は知っている。


 通気口から立ち昇る灰が、やがて完全に消え去る。


 気づけば、あれだけ轟いていた炎も雷も、もう何もない。

 地下空間には、灼けた鉄と血と硝煙の臭いだけが、静かに残っていた。


「……俺の失態だな。翔太郎に何を言われるか、分かったもんじゃない」


 剣崎大吾は、そっと息を吐いた。

 勝ったはずの戦いの果てにある、奇妙な空虚。

 握りしめた拳にはまだ熱が残るのに、何かを掴み損ねたような、鈍い痛みだけが確かに残っていた。


 ──彼が最も警戒していたのは、四季条輪廻に逃げられることだった。


 その最悪の未来が、たった今、確定してしまった。




 ♢




 ──2025年5月18日、日曜日。

 第五湾岸埠頭、その巨大倉庫地下に広がるゼクスの工房にて。

 連続異能放火事件は、実行犯のカレンと、主犯のゼクス・ヴァイゼンの死亡によって終結した。


 だがそれは、あくまで表層に過ぎない。


 事件の真の首謀者──夜空の革命の正規メンバー、『嫉妬』の名を冠する四季条輪廻は、全ての破壊を演出し、剣崎の刃をも潜り抜け、ゼクスの異能を模倣してこの地から消えた。


 崩壊した瓦礫の向こうで、海風が静かに吹いている。

 誰もいない地下空間の天井から、剣崎の剣によって断たれたパイプが鈍く鳴る。


 戦いは、終わった。

 けれど、戦乱の炎はまだ消えていない。


 ここから先の戦いが、どれほど深く、痛ましいものになるのか──そのことを誰よりも、剣崎大吾が知っていた。


 第五湾岸埠頭での死闘は、こうして幕を下ろす。

 それは、新たな災厄の前兆に過ぎなかった。

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