第二章41 『最後の言葉』
夜空の革命。
国際的な異能力犯罪組織であり、近年、世界各国の政府や軍事機関から、最大最悪の異能テロ組織と認定された存在。
事件の規模は常に大規模。
狙われる標的に一貫性はなく、無能力者の一般市民から、鳴神陽奈やローフラム・オールバーナーのような国家戦力級の異能力者に至るまで、国籍・性別・人種を問わず選ばれる。
その思想すら不明のまま、夜空の革命はただ破壊と死だけを世界各地にばら撒いてきた。
そして──この組織は、翔太郎にとって宿敵である。
かつて、彼の故郷を焼き尽くした鳴神村災害。
その裏で動いていたのもまた、この夜空の革命だ。
組織の構造は単純だ。
中核に据えられた七人の幹部──『七つの大罪』と呼ばれる彼らが、夜空の革命の正規メンバーにして指導者。七人以外の能力者は、全員が下部構成員という扱いになる。
正規メンバーの七人は、それぞれが日本政府からS級異能力者に指定される危険人物たち。
S級異能力者の実力は、一国の軍事力に匹敵するとも言われる。
かつて鳴神村を焼き尽くした事件を引き起こしたのも、暴食の席が空白だった当時に動いていた、残り六名の正規メンバーだとされていた。
そして今回、正規メンバーの一角。
『嫉妬』の称号を持つ幹部の名が、ついに明らかになった。
夜空の革命、“嫉妬”の能力者──四季条輪廻。
翔太郎は、ゼクス・ヴァイゼンから拷問によってその名を引き出した。
夜空の革命という闇に、初めて具体的な名前という形の爪痕を残した瞬間だった。
人類の進化と神の領域への到着。
そうする事で、異能力者による新たな人類種の確立。
それが彼らの目的だと、ゼクスは語った。
そして、その正規メンバーである四季条が今、翔太郎たちの目の前に立ち塞がっている。
♢
「ソルシェリア! お前の能力で、全員連れてここから逃げてくれ!」
怒鳴り声が空間を裂いた。
「はぁ? いきなり何を──」
ソルシェリアの反論は最後まで届かない。
そのわずかな言葉の隙間で──翔太郎の身体が、爆ぜた。
「──疾風迅雷!」
電撃と共に、空間そのものが引き裂かれるような音が響く。
次の瞬間には、ゼクスを担いでいた翔太郎の姿は消えていた。
ゼクスの身体は、まるで不要な荷物でも投げ捨てるように、コンクリートの床へと叩きつけられる。
「鳴神様!?」
「「翔太郎!」」
驚愕と困惑が混じった声が響いた。
玲奈とアリシアもほぼ同時に、予想外の翔太郎の行動に声を上げる。
だが──翔太郎には、もはや何も見えていなかった。
視界の全ては敵だけを捉えている。
(間違いない! こいつが──四季条輪廻!)
ゼクスを拷問してまで聞き出した夜空の革命『嫉妬』の能力者。
仲間たちに逃げる時間を作るには、自分が正面から抑えるしかない。
その結論に至った瞬間、迷いなど残っていなかった。
全身を疾雷の鎧で包み、空間を裂くように──翔太郎は一直線に突っ込む。
「──雷閃!」
雷と共に放たれた拳。
雷撃そのものを圧縮した一撃は、国家戦力級の異能力者すら容易に捉えられぬ速度で襲い掛かった。
だが──
「なに? 急に何なのさ?」
その拳が、あっさりと受け止められた。
空間を切り裂くような凄まじい轟音が響いた。
「……!?」
雷撃を帯びた拳が掴まれている。
受け止めたのは、あの青年──四季条輪廻。
ラフなパーカー姿のまま、まるで風に吹かれるだけのような軽い態度で、それでも完璧に止めて見せた。
「な────」
全員の思考が止まる。
ソルシェリアは言葉を失い、アリシアは目を見開く。
フレデリカでさえ、咄嗟に防御姿勢に入れなかった。
玲奈はただ、震えそうになる指先を握り締めていた。
そして──翔太郎自身が、一瞬、現実を受け入れられずにいた。
それは、ありえない光景だった。
疾風迅雷。
文字通り、音すら置き去りにする雷速の拳。
防げるはずがなかった。
にもかかわらず──
「……どうしたの?」
目の前の青年は、平然と笑っていた。
それも、驚きも警戒も怒りもない。
ただ、不思議そうに首を傾げながら。
「オレ、君に何かしたっけ?」
掴まれた拳越しに伝わる強度は異常だった。
異能力の防御ではない。
ただの腕力と握力で、雷撃を纏った拳を抑え込まれている。
(嘘だろ!?)
諦めるはずがなかった。
翔太郎は即座に次の行動に移る。
掴まれた拳から逃れず、そのまま反動を利用して──
(当てるっ!)
無言で、右足を振り抜いた。
疾雷の迸る脚が、空間を切り裂いて敵の頭部へ──
「らぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
──届かなかった。
「だから、何なのさ。君」
ただ、それだけだった。
軽く。
本当に軽く、四季条は身体をひねった。
それだけで、翔太郎の雷撃の蹴りは空を切る。
高速。
いや、それ以上の雷速すら、目の前のただの青年には届いていなかった。
「……」
全員が──動けなかった。
ソルシェリアの目が大きく開かれる。
アリシアが呆然と口元を押さえる。
玲奈は恐怖と動揺に支配され、声すら出せず立ち尽くす。フレデリカでさえ、その場で固まっていた。
何より、翔太郎本人が理解できない。
ゼクスのような能力による回避ではない。
四季条は避けている。
異能力を使わず──純粋な身体能力だけで。
雷の速さを、単なる人間の動きで凌駕していた。
「君さ」
微笑んだまま、まるで会話でも続けるように。
目の前の怪物──四季条輪廻は、ふわりとした声で言った。
「なんか必死なのは分かるけど──オレ、本当に君の敵だっけ? ほんとに、心当たりないんだよね」
その声音に敵意は無かった。
心底、不思議そうに。
心底、どうでもよさそうに。
だが、だからこそ恐ろしかった。
翔太郎は構わず叫ぶ。
「雷──」
「いい加減にして欲しいな」
ふっと、微笑んで。
その刹那、目の前の青年は呟いた。
「何も言わずに殴りかかられるのは、いくら温厚なオレでも許せる限度があるよ」
──その瞬間だった。
雷閃が放たれる寸前。
四季条の右掌から“何か”が零れた。
それはあまりに唐突で、自然で──異常だった。
黄金の炎。
ただ燃え上がっただけ。
だがそれだけで、翔太郎の雷は呑まれた。
掻き消され、溶かされ、破壊された。
「────があああああああああっっ!!」
次の瞬間、雷纏う翔太郎の身体は爆風ごと吹き飛ばされた。
彼自身の叫びと共に空中で翻り、壁に叩きつけられ、石造りの床に何度も跳ねた。
紫電が散り、呻き声すら出せないまま地面を転がる。
「翔太郎っ!!」
玲奈が絶叫しながら、即座に前へ飛び出す。
両手から生まれたのは鋭い氷刃。
無数の刃を形作り、一切の迷いなく、それを四季条目掛けて撃ち出す。
「氷嶺様! 両側から挟みます!」
「はいっ!」
続いて大地が砕ける音が響く。
フレデリカが足元から鋭利な岩槍──大地の槍を創り上げ、一気に四季条を左右から挟むように突き上げた。
だが──
「だから何なのさ、君たち」
まるでため息のように。
まるで怒りすら感じない軽い口調で。
四季条はわずかに首を傾けて呟いた。
次の瞬間。
またしても黄金の炎が散った。
何の溜めも演出もない。
手を掲げた訳でも、詠唱した訳でもない。
ただ、そこから燃え上がっただけだった。
玲奈の氷刃は、触れた瞬間に蒸発した。
抵抗すらさせてもらえなかった。
フレデリカの大地の槍も同じだった。
灼熱が全てを上回る。
コンクリートの槍は、火花一つ散らせず、音もなく焼き崩された。
「────ッ!!」
「うそ……!」
全てを理解する前に。
氷と大地、二人の少女は黄金の炎に巻かれ、爆ぜる熱風に叩き飛ばされた。
玲奈は氷刃を生成しながら叫び声をあげ。
フレデリカは咄嗟に両腕で身を庇いながら、悲鳴を上げながら吹き飛ばされていく。
(あれは……違う……あの炎は……!)
転がりながらも、玲奈は絶望的な確信を抱いた。
カレンの黒炎とは違う。
この黄金の炎は──それ以上。
全てを焼き尽くすという意味で、次元が違った。
「急げ、ソルシェリア!早く!今すぐみんなを連れて逃げろ!!」
「逃げろったって……!」
必死な叫びが響く。
それは翔太郎の声だった。
壁に叩きつけられたまま、彼はそれでも声を絞り出していた。
目の前で玲奈とフレデリカが、殺されかけた。
二人の叫びを聞き、焦りと恐怖に駆られた。
「ソルシェリア! アリシアとカレンだけでもいい、早くここから────」
その必死な声に、ソルシェリアが怯えながらも動き出す。
だが。
「邪魔」
四季条は退屈そうに、興味もなさそうに、両手を未だポケットに突っ込んだまま、焦げた空間の中心で疲れたように呟いた。
圧倒的だった。
それはもう戦いではなかった。
この場にいる誰一人──彼に届かない。
それが、痛いほど明らかだった。
──黄金の炎。
それを見た瞬間、アリシアの動きは止まっていた。
燃え盛る金色の奔流が視界を支配している。
目の前の四季条輪廻という男が、それを当然のように操っている事実が──アリシアの理性を麻痺させた。
「……っ!」
身体が、冷えた。
足が、動かない。
喉が、声を拒む。
違う。
これは──ただの炎の異能力なんかじゃない。
それをアリシアは知っている。
「なんで……?」
思わず呟いていた。
唇が震える。
彼女の中で最悪の予感と現実が重なり、思考が混乱していた。
あの炎は。
あの黄金の炎は──
(私のお祖父ちゃんの……)
ローフラム・オールバーナー。
かつて、ドイツ最強と呼ばれた炎の異能力者。
彼女の祖父であり、育ての親でもある。
その祖父が操っていた、世界にただ一つの異能。
それと、全く同じもの。
「──なんで、黄金の炎を」
目の前の青年は、かつての祖父と同じ能力を使っている。
それが何を意味するのか、アリシアは考えたくなかった。
「その炎、どういうこと!? ──なんで貴方が、その炎を使えるの!?」
アリシアは絶叫していた。
自分でも意識しないまま声を上げていた。
混乱と怒りと恐怖が混じった叫びだった。
だが──
「はぁ?」
四季条は本当に面倒そうに首を傾げた。
何度目か分からない、心底呆れたような声だった。
「さっきから何なのさ君たち。いきなり攻撃してくるわ、炎が何だと言い出してくるわ……。オレ、最初に言ったよね? ゼクスを渡せって」
まるで話が噛み合わない相手と会話しているような態度だった。
ポケットに手を突っ込んだまま、彼は興味もなさそうにぼやいた。
「その炎は──」
アリシアは止まらなかった。
絶望を叫ぶように、四季条を指差す。
「世界で……ただ一人。私の祖父が使える能力なのに!」
その瞬間、四季条の動きが止まった。
それまでずっと面倒そうに、退屈そうにしていた青年が初めて、完全に動きを止めた。
アリシアの顔を、まじまじと──じっくりと見つめる。
「……え?」
表情が変わった。
戸惑いと驚き、そして何か納得したような色。
「あれ……?」
四季条は数秒の沈黙の後。
ゆっくりと呟いた。
「もしかして、君……アリシア・オールバーナー?」
完全に知られていた。
その名前は、確かに彼の中にあった。
四季条輪廻の眼差しが変わる。
興味も警戒もなかったその視線が、アリシア一人へと向けられた。
その瞬間──場の空気が、凍り付いた。
「やっぱりそうじゃん! うわ、マジか! 本物じゃん!」
「わ、私は貴方のことなんて知らな──」
「え、覚えてないの?」
四季条輪廻は、まるで昔の友人にでも再会したかのように、気軽な笑みを浮かべたままだった。
「君の目の前で──ローフラムを殺したのって、オレじゃん」
その瞬間、何もかもが止まった。
アリシアの思考が。フレデリカの呼吸が。
玲奈の心臓が。翔太郎の視線が。
全員の意識が、完全に凍り付いた。
言葉の意味が理解できなかった。
いや──理解したからこそ、世界が静止した。
「……ローフラム様を、あなたが?」
それを最初に零したのは、彼の弟子のフレデリカだった。
普段沈着な彼女ですら、声を震わせていた。
「アリシアの、お祖父さんを……」
玲奈は絶句していた。
目の前の光景が現実とは思えず、今にも崩れそうな声だった。
そして──アリシア。
「……殺した?」
呆けた声。
震える唇。
「……嘘。……だって……」
四季条輪廻の言葉が、何度も頭の中で繰り返された。
ありえない。
認めたくない。
だけど、視界が揺れる。
──目の前で見た。
忘れるはずがない。
あの日。あの夜。
幼い自分が、叫びながら泣き崩れたあの光景を。
『ダメだ、アリシア……ここにいては……』
『いやだ……!お願い、目を開けてよ……!』
赤い夜の中。
祖父──ローフラム・オールバーナーの喉を、鮮やかに切り裂いたあの男。
それが──
(この男だった……?)
アリシアの瞳から、意識が抜けていく。
「……う……ぁ……」
言葉にならない嗚咽。
崩れそうな膝。
感情が決壊する寸前で──
「あー、ごめんごめん」
まるで約束の時間に遅れた友人にでも謝るかのように、四季条は呆れたように笑った。
頭を軽く掻きながら、全く罪の意識も緊張感もない声で続ける。
「いやぁ……何年も経ってるし、覚えてないのも仕方ないよね。でもさ、ローフラムの孫娘ってまだ生きてたんだね。びっくり。もうとっくに死んだと思ってたし……いやぁ、成長したなぁ。マジで懐かしい」
はしゃぐような口調だった。
祖父を殺した当人の目の前で、その孫娘を前にして。
罪悪感も謝罪も、負い目すら一切ない。
場違いな軽さ。
命の重さが全く通じない世界にいる人間。
いや──人間ですらない何か。
アリシアは動けなかった。
震える指先を唇に当てたまま、目を見開いて立ち尽くしている。
翔太郎は、ただ歯を食いしばった。
手が震えるのを抑えられない。
今すぐ目の前の男に飛び掛かりたい衝動を、必死に飲み込む。
──これが、“嫉妬”の能力者。
夜空の革命・七人の正規メンバーの一人。
『四季条輪廻』という怪物の正体だった。
「んー……よく見ると、見知った顔がチラホラいるな」
四季条はアリシアだけではなく、場にいる仲間たちにも目を向け始める。
まるでクラスメートでも確認するかのような気安さで。
「氷嶺玲奈でしょ? フレデリカ・ノルディエンもいるし……あっ、鳴神翔太郎もいるじゃん。いやぁ、有名人ばっかで豪華だな、ここ」
彼が指差すたびに、翔太郎たちは身構えた。
まるで刃を向けられるような威圧感。
だが、本人にその自覚はない。
「あー、ごめんね。とりあえず話はあとね」
笑顔のまま、四季条は手をひらひらと振る。
仲間に手を振るようなその仕草。
殺意も悪意もなく、ただ──狂っていた。
「先にゼクスの方、済ませるからさ」
その言葉と共に、ふと背を向けた。
場にいる誰も動けないまま──四季条は、歩き始める。
そのまま地面に投げ捨てられているゼクス・ヴァイゼンの元まで、迷いなく歩いていく。
「おい、起きろよ無能」
止まることなく、軽く言い放った。
次の瞬間──無造作に、何の躊躇もなく、ゼクスの顔面を蹴りつけた。
「──ッッ!!」
倒れたままのゼクスの顔面が跳ねる。
鈍い音と共に、苦鳴すら漏らさずにゼクスの身体が痙攣した。
「オレさ、待つのとか苦手なんだよね。ほら、起きろ。さっさと終わらせたいんだけど」
ぐったりしたままのゼクスに、なおも蹴りを入れる四季条。
まるで倒れた小石を蹴飛ばすかのように、そこに情など一切無かった。
翔太郎たちの見ている前で。
彼は──夜空の革命の仲間であるはずのゼクスすら、道端のゴミのように扱っていた。
ゼクスは蹴られた痛みに呻きながらも、顔を上げた。
その目に映った四季条の姿に、思わず声が漏れる。
「……ミスター四季条」
救いの手に見えたのだ。
ゼクスは、それが“救援”だと信じて疑わなかった。
声は掠れ、血に濡れた唇で、それでも懸命に話し出す。
「すまないね……少し、下手をしてしまった。だが、研究自体は上手くいきそうだ。今回の戦闘データを元に、新たなる異能力開発のテーマを思いついたよ」
その言葉を、呆れるように見下ろしていた四季条が、ふいに口を開く。
「お前、右足ないじゃん。誰かにやられたの?」
無感情な声だった。
ただ事実を確認するかのような冷たさで。
ゼクスは、まるで告げ口する子供のように短く答えた。
「ああ……ワタシの右足を持っていったのは、鳴神翔太郎だ」
その名前が出た瞬間、四季条の視線が緩やかに翔太郎へと向く。
初めてほんの僅か、興味を示したように。
「へぇ……まさか、お前がここまでやられるとか。結構やるじゃん」
その目は、まるで壊れかけたおもちゃを見ているようだった。
そして、四季条が翔太郎を見ている隙に、ゼクスはなおも喋り続ける。
「ミスター四季条、氷嶺玲奈とアリシアの研究は……引き続きワタシにやらせてくれないか? それと……助けに来てもらって悪いが、回復の異能を頼めるかな。右足が無いんじゃ、立ち上がることもままならない」
そう告げながら、さらに付け加える。
「ついでに、氷嶺玲奈とアリシア以外は──消してもらって構わない。あの二人だけいれば、ワタシの研究は完成する」
その瞬間だった。
これまで穏やかに微笑んでいた四季条の口元が、わずかに歪んだ。
「へぇ」
初めて、その笑みに冷たさが滲む。
「所詮、使いっ走りの下部構成員のお前が?」
笑った。
だがそれは、侮蔑と嘲りの笑みだった。
「正規メンバーのオレに指図とか……随分と大きく出るじゃん?」
ゼクスが硬直する。
全身の血の気が引くのが分かった。
そして四季条は、あくまで軽い声で、致命的な宣告を口にした。
「あと、何か勘違いしてるみたいだけど、オレはお前を助けに来たんじゃなくて──消しに来たんだよね」
ゼクスの呼吸が止まった。
その表情から、一瞬で色が消え失せる。
「もうお前の研究とか、正直どうでも良いんだ」
四季条の声には、完全な興味の喪失が滲んでいた。
「オレたちがお前に命令したのは氷嶺玲奈の監視だけ。それを研究だの開発だのって騒いで、挙句にカレンとかいうゴミが先走って暴れてくれた。お前のパシリもだけど、お前も大概使えないよね」
ゼクスは震えた。
足元から崩れるように力が抜けるのが自分でも分かった。
だが四季条は一歩も動かず、ただ笑っていた。乾いた、薄っぺらな笑顔で。
「ち、違うっ! 途中までは完璧だったんだ! 氷嶺玲奈と12番のアリシアをここに誘き出した時点で、大体の問題はクリアしていた! あとは……あとは、ワタシが鳴神翔太郎を処分さえ出来ていれば──!」
声は必死だった。
だがその言葉の途中で、四季条はあくび混じりの声で遮った。
「──それが何だよ。彼に負けて組織の情報をペラペラ喋ったのって、お前だよね?」
「なっ──」
ゼクスの呼吸が止まる。
それを見て、四季条はもう興味すらないと言わんばかりに肩をすくめた。
「気付いてないと思ってた? いや、バレバレだよ。その傷跡と拷問された身体見りゃさ。組織のこと、どれだけ喋ったの?」
ゼクスは言葉を失った。
「……ああ、もういいや。オレ、さっきから聞いててずっと思ってたんだけどさ──」
四季条の目は笑っていた。
だが、その声は氷のように冷たかった。
「前から思ってたんだよね。お前の研究って、効率悪くない?」
ゼクスは意味が分からず、口を開きかけた。
だが、四季条は更に追い打ちをかける。
「異能力者だけの世界が作りたいなら、無能力者を能力者にするために人体実験とか、遠回りじゃん。手っ取り早く──無能力者全員を皆殺しにしちゃえばいいだけじゃないの?」
四季条は笑った。
「そうすれば異能力者だけの世界、即完成。わざわざ時間かけて無能に力与えてさ、実験は順調とか……ずっと馬鹿がやることだと思ってたんだよね。お前のこと」
突き放すように、突き刺すように。
言葉の一つ一つがゼクスを切り裂いていく。
「そもそもオレがここに来た理由分かってる? お前の研究を見るためじゃない。ただ確認に来ただけだよ。放火事件の進捗と、氷嶺玲奈の監視がちゃんと出来てるか、それだけ」
そこまで言って四季条は最後に、静かに言い放った。
「……でも、お前は負けて、組織の情報を売った。そっちの方が──お前が消される理由としては十分でしょ?」
その言葉で、ゼクスの表情は完全に崩壊した。
救援だと思っていたものが、ただの死刑執行人だったと悟った。
ゼクスは言葉を失ったまま、膝をついていた。
顔色は蒼白。今にも泣き出しそうな目で、救いを求めるように四季条を見上げる。
だが──四季条の笑顔は微塵も変わらなかった。
「やめてくれ、ミスター四季条……! 待ってくれ。まだ、研究は……!」
その言葉が終わるより早く、四季条は手を伸ばした。
まるで煙草でも摘むような、気だるい動きで。
ゼクスの顎を掴む。
「黄金の炎」
瞬間、ゼクスの身体から煙が立ち上った。
四季条の掌から零れるように現れた、あの金色の炎が、掴まれた顎からゼクスの全身に──燃え広がっていた。
「──ああっ……!! があああああああっ!!」
ゼクスの悲鳴が響く。
皮膚が焼ける音すら、静かな地下空間に響いた。
だが、炎は爆発しない。
広がらない。
ただ、ゼクスの肉体だけを選んで、静かに、着実に焼いていく。
足元に倒れ込むゼクスを、四季条は無感情な目で見下ろしていた。
「熱いよね。でもこれ、外側からじゃなくて内側から燃やしてるんだよ。まあ研究者なんだから、少しくらい自分が研究対象になるのも悪くないでしょ?」
ゼクスは転げ回ろうとした。
だが、燃える肉体はもう動かない。
指すら動かせない。
目だけが見開かれたまま──喉の奥で、かすれた声を漏らす。
「──ミ、スター……たす、け……」
ゼクスの喉から絞り出された声は、もはや声ですらなかった。
組織の下部構成員に成り下がったとはいえ、かつて、ヴァルプルギスの炉の最高責任者と呼ばれた男の最後の懇願だった。
それは、これまで何百人もの命を実験材料として踏みにじってきた男の、あまりに惨めな命乞いだった。
だが──
「……そうだね。そろそろ、終わらせた方が良いかな」
四季条は、軽く笑った。
同情でも怒りでもない。
ただ、飽きたおもちゃを捨てるような声だった。
右掌がわずかに動く。
次の瞬間、ゼクスの頭部が黄金の炎に包まれた。
「……っあ……あ、あ──あ、ああああああぁぁあああああッッ!!!」
断末魔。
それは、人間の声ではなかった。
ゼクスの顔は恐怖に歪み、血走った目は弾けそうなほど見開かれ、口は何かを言おうと開かれたまま、炎に喰われた。
燃える。
燃えながら、それでもゼクスは叫び続けた。
腕も脚も動かせず、何百回と繰り返してきた人体実験を行った今、自分自身が焼かれているという事実を知りながら。
「ああああっ!!……あ……や、だ……た、すけ……」
か細い懇願すら、黄金の炎に喰われて消えた。
炭化する音が、静かに、ゆっくりと。
音もなく。
声もなく。
最期は苦悶の表情すら剥ぎ取られ、ゼクス・ヴァイゼンという男は黒い炭と化し、崩れ落ちた。
人間としての最後の尊厳すら残らない、呆気ない終焉だった。
「……やっぱパシリの始末って、つまんないね」
そう呟きながら、四季条は炭化した残骸を興味なさげに足で蹴り退ける。
崩れた破片が床に散らばる音すら、軽かった。
「はー、マジめんどくさ。こんなの片付ける為だけに東京来るとか、超アホらしいんだけど」
まるでコンビニにでも寄るような調子だった。
だが──その場にいる誰一人、何も言えなかった。
実験のために何百という命を奪ったゼクスが、あまりにも呆気なく。
惨たらしく。
命乞いすら届かずに──焼き尽くされた事実に。
アリシアは震えていた。
玲奈も。
フレデリカも。
ソルシェリアすら声を失っていた。
翔太郎でさえ。
その喉からは、息すら漏れなかった。
そして四季条は笑った。
今度は、心の底から面白いものでも見るかのように。
──その時だった。
ゼクスの死と同時に。
アリシアの隣で、ずっと気を失っていたはずのカレンが突然──息を詰まらせるような呻き声を上げた。
「が、あっ……!」
「……カレン?」
アリシアは目を見開いた。
だが、次の瞬間。
カレンはアリシアの腕の中から、まるで恐怖に怯えるように身を引き剥がした。
自分の胸元を必死に押さえ込みながら、苦悶の表情で地面に崩れ落ちる。
「……がっ、あっ、ああああああああっっ!!」
「カレン!」
アリシアは声を震わせた。
何が起きているのか理解できず──いや、理解したくなくて、縋るように名前を呼んだ。
だが、カレンの身体は、すでに異変を始めていた。
胸元から、腕から、足から、ゆっくりと──光を帯び始める。
厳密に言えば、それは光ではなく、細かい灰だった。
カレンの肉体が、削れるように崩れ始める。
触れた空気に溶けるように、光の粒になって消えていく。
「え……? な、何でカレンまで……?」
信じられないものを見るような声で、アリシアは震えた。
目の前で、カレンの身体が崩れている。
砂のように、灰のように──何もかも。
「ゼクスの奴……やっぱり、そうだったのね……」
カレンは呻きながら、それでもどこか諦めきった笑みを浮かべた。
消えかけた声で、呟くように。
「ごめんなさい、アリシア。私、ゼクスによって命を取り留めてた訳じゃなかったみたい……」
「……え?」
「まぁ……薄々、分かってたんだけどね。アイツの命令、絶対に逆らえなかったし……身体の感覚も、ずっと変だったから。最初から私も、ゾンビだったってことか……」
ぼろぼろに崩れ落ちる肉体の中で、カレンはそんなことをぼやき続けた。
その声はあまりにも弱く、乾いていて。
そして残酷だった。
「カレン! ……ねえ、何言ってるの!? カレン!!」
アリシアは泣きじゃくった。
掴もうと伸ばした手の中で、カレンの腕は灰になり、指先から崩れ落ちた。
「なんで……なんで、カレンが……! ダメ、せっかく戻ってきたのに! 嫌だ……やだぁ……!」
泣き叫ぶアリシアの前で、カレンは淡々と言った。
「ゼクスの……セカンドオリジンの能力。私も、あのゾンビたちと同じだった、みたい。ゼクスの聖者の灰葬って能力で、動いてただけ」
「……!」
「能力者のゼクスが死んだなら……制御下の私も、終わりってことよね」
カレンは穏やかに、静かにそう言った。
その声は、死を受け入れる者の声だった。
そして、それはアリシアの心臓に鋭く突き刺さる。
「そんな……」
アリシアは震えていた。
崩れる。世界が、心が、すべてが。
目の前で消えていくカレンの姿が、現実だと認められない。
けれど──分かってしまった。逃げられない事実だった。
「じゃあ……じゃあ……あの時……」
震える声で縋るように問う彼女に。
カレンはまるで慰めるように、静かに微笑んだ。
「うん……私の身体が燃えたあの時には、もう……終わってたんだと思う」
それが、答えだった。
否定などしてくれない。
もう誰も──救ってはくれない。
アリシアの世界は崩れた。
全身から血の気が引いていく。
言葉は震え、喉は裂けそうで、心臓が音を止めたように冷たくなっていく。
「私のせい……なの……?」
崩れる声。
呆然としたまま、アリシアは崩れゆくカレンに縋りついた。
腕が、どんどん灰になっていく。
その指先は、アリシアの手の中で崩れ落ちる。
「嫌だ……消えないで……いやだよ……」
祈るように抱きしめた腕の中で、カレンはさらさらと消えていく。
どうして触れられないの。
どうして繋げないの。
そんなはずじゃなかったのに──。
「私が……あの時……カレンを燃やして……」
涙が零れる。
止められない。
息も、声も、涙も、嗚咽も、すべてが溢れて。
「その時に……カレンが……カレンが死んじゃってぇ……!!」
声にならない叫びだった。
この手で殺した。自分が殺した。
何度も、何度も、何度も。
心の中で否定しても──現実は覆らない。
壊れそうな自分を必死に支えて、それでも崩れていく感覚。
そんなアリシアの頬に、カレンは指先で涙を拭った。
崩れかけた手で、そっと。優しく。あたたかく。
「……泣かないで」
弱く、静かな声。
死を受け入れた者だけが持つ、穏やかで、壊れそうな声だった。
「悲しまないで、アリシア。私ね……最期に、アリシアに会えて……アリシアが会いにきてくれて……すごく、凄く嬉しかったの」
微笑むその顔は──涙で濡れていた。
カレン自身も、泣いていた。
「私はね……ずっと……アイツの命令に逆らえなくて……自分の意志なんて、何一つ持てなくて……ずっと死んでたようなものだった。でも、最後に──」
それでも、笑っていた。
もう戻れない終わりが近いことを、誰より知っている顔で。
「最後に、自分の意志で……アリシアに触れられて……やっと、自由になれた気がするの」
その言葉は、救いか、呪いか。
アリシアにはもう分からなかった。
「あなたは悪くない。あれは……事故よ、アリシア。私も、アリシアも、運が無かっただけ──」
「違う!」
咽び泣きながら、アリシアは崩れるカレンの身体を強く抱いた。
灰になろうとするその腕を必死に掴んで。
それでも腕は崩れる。触れるたびに、粉になって空へ消えていく。
「違う……全部私のせいなの! 私がっ……あの時カレンを燃やしたから……! お願い……私に出来ることなら何でもする……償うから……! ずっと一緒にいるから……! だから、お願い……消えないでよ……! 消えちゃ嫌だぁぁぁぁぁ!!」
嗚咽が止まらなかった。
涙が止まらなかった。
心が、壊れていく。
自分の願いが、何一つ届かない現実が、耐えられなかった。
「ううん……」
それでもカレンは、首を振った。
崩れゆく身体で、微笑んで。
泣きながら、微笑んで。
「私は……ここで終わりで、いいの。私は……アリシアと違って……罪なき人を大勢焼いた。ゼクスの命令とはいえ……私は、たくさん……殺したから。私は……死んで当然の、人間──」
その言葉はまるで、自分自身に言い聞かせるようだった。
まるで、誰かに許されることなど、最初から諦めているみたいに。
──でも、アリシアには聞こえていた。
心に、鋭く突き刺さっていた。
「それも、違う!!」
喉が潰れるほど叫ぶ。
声が、涙でかき消されそうになりながらも。
それでも、アリシアは叫び続けた。
「違う……っ! それを言うなら……悪いのは全部ゼクスじゃない!! カレンを操って、放火させて……そんな身体にしたのも、私のせい!!」
「……」
「悪いのは……私とゼクスで……! カレンは、何一つ……悪くない!! 何一つっ!!」
震えながら、崩れていくカレンに縋る。
指先から灰になっていく身体に、必死に触れようとして。
「それに、カレンの罪は私の罪でもある……! さっき、私も一緒に背負うって言ったよね!?」
それでも、崩れた身体は、アリシアの指の隙間から消えていく。
彼女の手は何も掴めなかった。
「……何もしてないアリシアが、そんな事する必要ない。アリシアは、これから幸せに生きて欲しいの。私は罰を受ける……死んで全部チャラになるなんて思ってないけど……償うなら、やっぱりこれが一番だから」
「お願い……もう、自分を責めないで……! 私のせいだよ……! カレンは悪くない……!!」
──叫びは祈りだった。
届いてほしいと願う、祈りだった。
だが、カレンは──泣きながら微笑んだ。
その手は、崩れかけながらも、アリシアの涙を最後まで拭おうとしていた。
触れられる最後の瞬間に、誰より優しく。
「学園島の広場で……再会した時は敵としてだったけど……それでもね、アリシアと──同じ空の下にいられたことが、嬉しかったの」
「カレン……!」
「施設を二人で出ようって約束……叶っちゃったね」
「うん、うんっ……! 他にもあったよね……制服着て……パフェ食べて……! それから……っ」
「……私は……もう一度アリシアに会えた。それだけで……十分だったよ」
──それは諦めの言葉じゃなかった。
最期の、感謝の言葉だった。
「生き地獄だったこの人生で……唯一、光だったのは……アリシア。私の……唯一の友達だった……」
「か、れぇん……っ!!」
「本当は……もっと……アリシアと……いろんなこと、したかったんだけどね」
崩れかけた唇からこぼれ落ちたその言葉は、まるで夢の名残のように儚くて。
砕けていく身体とは裏腹に、微笑みだけは変わらずそこにあった。
──強く、美しく。最期まで、優しかった。
そして、声にならない唇が、そっと動く。
──ありがとう。
ただそれだけ。
もう言葉にする力すら失っても、それでも想いだけは伝えたくて。
触れたぬくもりに、どうか届いてほしくて。
アリシアが、その唇の動きを読み取った瞬間──胸の奥が焼け付くように痛んだ。
カレンが、何かを告げようとしている。
最期に、言わなければならない言葉を。
そして。
「──大好きだよ、アリシア」
それは、風に溶けるほど小さな囁きだった。
消えゆく魂の、最後の震え。
全てを赦し、全てを抱いて、それでも「好き」と告げた──あたたかな祈り。
その言葉とともに、彼女は──消えた。
アリシアの腕の中で。
確かに抱いていたはずの、命の重みが、ふっと抜け落ちる。
血も涙も通っていたはずのその身体は一片の光となり、粉雪のように舞い上がり、音もなく空へと還っていった。
まるで──初めから、この世に存在しなかったかのように。
二人で交わした幼き日の約束も。
すれ違いの果てに分かち合えた、再会の涙も。
業火の中で積み重ねてきた、罪と贖罪の記憶さえも──全てが、灰になって、静かに散っていく。
「……か、れん……?」
アリシアは、呟いた。
もういないはずの名を、息が尽きるほど繰り返して。
抱きしめたはずの空虚を、何度も掻き抱こうとして。
けれど──そこにはもう、誰もいなかった。
指先からすり抜けていく現実。
心のどこかで理解していても、受け入れたくない現実。
ついさっきまでそこにいた命が、ただの空白へと変わっていく理不尽。
──せっかく、会えたのに。
──ようやく、心が繋がったのに。
──また、一緒に生きていけるかもしれないって、思ったのに。
その全てが、永遠に失われた。
胸の奥で叫び声が渦巻く。
けれど声帯は、とうに壊れていた。
喉が張り裂けても、息が尽きても、アリシアの声はもうどこにも届かない。
「カレン……」
呼んでも呼んでも、その名に返事はない。
空を掴むように伸ばされた手は、行き場を失い、ただ彷徨う。
触れたぬくもりを探して、さまようように。
たった一人の、たった一度の再会。
光が差したと思ったその瞬間に、再び世界は陰りに沈んだ。
それはまるで──救いを与えるふりをして、すべてを奪っていく神のような、残酷な運命。
もう、彼女はいない。
どれだけ祈っても、どれだけ嘆いても──二度と、帰ってこない。
アリシアは、ただその場に膝をついたまま、砕け落ちた欠片を抱きしめるように、空を見上げていた。
そこには、ひとひらの灰が漂っていた。
まるで、カレンの微笑みの名残のように。
永久に届かない空に溶けていく、それが彼女の最期だった。
──もう、声は届かない。
──けれど、想いだけは。
──どうか、どうか……。
アリシアの頬を、最後の涙が静かに伝った。
それは、もう二度と流れることのない、魂の別れの雫だった。