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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
74/92

第二章40 『尋問と脱却』

「分かってると思うけど」


 雷光を纏ったままの右手を、ゼクスの目の前に突き出す。

 焼け焦げたゼクスの顔面に、紫電が音を立てた。

 翔太郎の声は、静かな怒気を含んでいた。


「お前の話が嘘だと俺が判断したら──その瞬間に、紫電を流す」


 ゼクスは何も言えず、荒い呼吸を繰り返した。

 それでも翔太郎は止まらない。

 冷酷なまでに忠告を突き付ける。


「最初から、正直に全部話してくれ」


 焼け焦げた喉を震わせながら、ゼクスは僅かに笑う。

 乾いた声が、血と焦げ臭さの中で滲む。


「キミにとって、あまりに有利じゃないかい……?」


 その虚勢に、翔太郎の表情が僅かに歪んだ。

 イラつきを隠そうともしない。


「ふざけんなよ。お前、今、自分がどういう立場にあるのか分かってんのか」


 雷鳴が弾ける。

 ゼクスは身体を小さく震わせた。

 だが、それは恐怖ではなかった。

 それでも語る価値があると判断したからこそ、命乞いではなく情報を選んだ。


「……いいだろう。命には代えられない……」


 そう呟くゼクスの顔は、どこまでも冷静だった。

 痛みにも、恐怖にも屈しない科学者。

 だが──彼が研究対象として己の命を見積もった以上、情報は流れる。


「ワタシが知っているのは断片的なことだけだ。下部構成員全員がそうだよ。……我々下部構成員は、“事件屋”──派遣されるだけの外部戦力だ。組織の全容は知らされていない」


「知ってることだけでいい。吐け」


 翔太郎は雷を収めなかった。

 右手はゼクスの皮膚に触れる寸前で止められている。

 それは尋問と拷問の境界線だった。


「夜空の革命の正規メンバーは七人──それだけは間違いない」


 翔太郎の眉が疑念にわずかに歪む。

 息も絶え絶えの癖に、ゼクスは得意げに続けた。


「正規メンバーの七人は“七つの大罪”と呼ばれている。それが彼らの象徴であり位階だ。強欲、傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、色欲──そして暴食。七つの罪、それぞれの名を持つ七人の幹部たちで、組織の中枢は構成されている」


 組織の正規メンバーは七人。

 その単語が、翔太郎の思考を静かに引っかいた。


 七つの大罪。

 何かが噛み合わない。


「七人……? 六人じゃなくてか?」


「間違いない。ワタシたち下部の者にすら、それは徹底されて伝えられている。夜空の革命の中枢は七人。そこだけは、誤魔化されることはない」


 その言葉を聞いて、翔太郎は確かに記憶を呼び起こしていた。


 鳴神村災害。

 あの地獄で自分が見たのは、確かに六人の黒フードの人影だった。


 あの時見たのは、男が四人で女が二人。

 ゼクス自身も確か語っていた。

 鳴神村災害に関与したのは正規メンバーのみで、人数は六人だったはずだ。


「……鳴神村災害に関与したのは六人のはずだ。七人いたなら、最後の一人はどこにいたんだ」


 低く問う翔太郎に、ゼクスは笑った。

 皮膚の剥げた顔で、血に染まった歯を覗かせながら。


「あの時は『暴食』の席だけが、空席だったと聞いている。残りの六人が総出で鳴神村災害を引き起こしたと……」


「暴食……」


 それは欠けた大罪だった。

 鳴神村で六人の幹部たちが動いたその裏で──

 誰かが、確かに動いていなかった。


「つまり災害が起きた2018年12月時点では、正規メンバーは六人。夜空の革命の中枢はまだ完成してなかったって事か」


「そうだね。暴食だけが、存在しなかったのか──あるいは、何かの理由で現場にいなかったのか……それはワタシにも分からない」


 ゼクスの目が細められる。

 狂気に濁ったその眼差しの奥にだけは──真実があった。

 それは知ってはいけないことだと、彼自身が悟っているかのような目だった。


 翔太郎は無意識に拳を握っていた。

 七人目の幹部である暴食。

 自分の知らない何かが、まだ背後に蠢いている。


 鳴神村災害は、組織の全力ではなかったのかもしれない。

 思わず奥歯を噛む。


「……とにかく夜空の革命の中枢は、その七人。鳴神村災害の時にはいなかった『暴食』を含めて、七つの大罪ってわけか」


「ああ。正規メンバーだけで構成された──完全な閉じた中枢。恐らく、それが夜空の革命の本当の姿だ」


 ゼクスの声は乾いていた。

 もはや自嘲に近い響きすらあった。

 だがそれでも、まだ研究者としての誇りだけは捨てていない。


「ワタシたち下部構成員は、ただの道具にすぎない。事件を起こせと言われれば起こす。戦えと言われれば戦う。それが“事件屋”としてのワタシの役目だよ」


 その言葉を聞いて、翔太郎はようやく理解した。

 ゼクスでさえ、この組織の深部には触れていない。

 幹部たちは情報を徹底的に分断している。

 余計な情報は、下部には絶対に流れない。


「連絡手段はどうしてる? 正規メンバーについても大して知らないのに、どうやって指示を受け取っているんだ」


「ワタシのような下部構成員は、任務の指示を受けるだけ。連絡手段は暗号化されたメールか、異能力で隠蔽されながら届く手紙のみだ」


 ゼクスは淡々と──ただ、理知的に語る。

 まるで自らの焼かれた肉体を忘れているかのように。


「ワタシたち下部構成員は、夜空の革命という組織にさえ、属しているとは言えない。ただ必要な時に、利用されるだけ」


 翔太郎の手がわずかに下がった。

 だが怒りは消えていない。

 その声には刺々しい苛立ちが残る。


「じゃあ──お前は本当に何も知らずに従ってたのか。奴らの目的も知らずに?」


「いや、目的だけは知っている。人類の進化と神の領域への到着。──そうする事で、異能力者による新たな人類種の確立だ」


 それは、ゼクス自身の思想とも一致していた。

 だからこそ彼は疑問を抱かず、ただ命令に従っていただけだった。


「何度も言うが、組織の中核は七人の幹部たちだ。ワタシたち下部構成員は使い捨ての駒に過ぎない」


 薄ら笑いすら浮かべた。

 だが、その顔色は既に青白く、酷く乾いていた。


「これが……ワタシの知る限りの全てだ」


 翔太郎は沈黙した。

 雷を纏った右手を、ゆっくりと下ろす。

 それを見た翔太郎は、あからさまに嫌悪を滲ませて言った。


「知っていることがそれで本当に全部なら、もうお前に用は無い」


「ワタシを……始末すると?」


「いや、お前を殺せば、お前の能力で生きているカレンも死ぬんだろ。だったら俺はお前を殺さない」


「……意外に甘いんだな、キミは」


「勘違いすんなよ。お前の為でもカレンの為でもない。アリシアの為だ」


 雷は──もう放たれることはなかった。

 そして、威圧するように吐き捨てた。


「そして、お前今──俺に嘘をついたな?」


 雷を纏った右手は静かに揺れていた。

 だが、その雷より恐ろしかったのは、翔太郎の声音だった。

 淡々と──まるで真実だけを追求する、機械のように。


「……何の話かな?」


 ゼクスは喉を鳴らした。だが、その動揺を悟られまいと虚勢を張る。


 だが翔太郎は、逃がさない。


「さすがに正規メンバーの顔を誰一人知らないってのは──無理があるだろ」


「……何?」


「なら、説明してみろ。4月にカレンが玲奈を襲った時のことだ。お前がカレンに着せた黒フード──あれは何だ?」


 ゼクスの表情が一瞬だけ硬直した。


「……手紙と一緒に送られてきた。放火事件を起こす際に、それを着て起こせ──そう指示されただけさ」


 即座に返した言葉は、明らかに用意されたものだった。翔太郎はその瞬間、確信した。


 そして、鼻で小さく笑う。

 雷よりも鋭い冷笑を。


「──バカだなお前。言い訳が雑すぎるんだよ」


 ゼクスの肩が僅かに震えた。

 翔太郎は間髪入れず、矛盾を突き崩す。


「カレンに黒フードを着せたのは手紙の指示だって? じゃあ質問を変える。──その指示、カレン宛てだったか? それとも、お前宛てだったか?」


 ゼクスは言葉を失った。

 翔太郎は容赦なく続ける。


「カレンは当時、お前に従って動いてたんだろ。自我があるって、お前が誇らしげに言ってたよな? ならカレンに直接命令すればいい。わざわざ“お前”に黒フードを送る理由なんて、どこにも無いんだよ」


 雷が弾けた。


「──にも関わらず、黒フードはお前経由でカレンに渡された。つまり、指示は下部構成員の“お前宛て”だった。黒フードを渡されたのは、お前自身だったんだ」


 ゼクスは喉を詰まらせた。

 翔太郎の声は、その隙を逃さず深く抉り込む。


「そして、誰が送ってきたのかも分からない相手からの荷物──それを、お前が疑いもせず受け取った。自分の研究と誇りを持ってるお前が?」


 目の奥で、翔太郎の怒りが静かに燃え上がる。


「違うだろ。信用したんだ。直接、指示を受けたから。信頼できる誰かに、目の前で渡されたから。だからお前は黒フードを受け取り、従ったんだ」


 ゼクスは言葉を失っていた。

 敗北は、認めたくなくても分かるものだ。


「黒フードを渡したのは正規メンバーだ。顔を見て、直接命令を受けた。それ以外──説明できないだろ?」


 ゼクスは、ただ震えた。

 恐怖か、それとも敗北の怒りか。

 どちらにしても、翔太郎はその全てを見下ろしていた。


「最初から嘘をつくなよ。俺に」


 雷を纏った右手が、ゼクスの皮膚ギリギリで止まる。


「……名前を言え。お前に黒フードを渡した奴──命令を下した正規メンバーの名前を」


 ゼクスはとうとう唇を噛み切った。

 それでも、翔太郎の確信から逃げられないことだけは分かっていた。

 誤魔化しも、虚勢も、全て破られた。


 だから──観念したように、呻くように言った。


「ワタシに黒フードを渡したのは、夜空の革命『嫉妬』の能力者──四季条輪廻(しきじょうりんね)という男だ。それだけは……間違いない」


「四季条……輪廻……」


 その名前を聞いた瞬間──翔太郎の全身に戦慄が走った。


 だが、それは恐怖ではない。

 ようやく掴んだ。

 手探りだった夜空の革命という霧の中に、確かな輪郭を持つ何かを。


 ついに──敵の実名を。


 喉の奥で、乾いた息を殺す。

 眉根がわずかに震える。

 内心の昂ぶりは抑え切れない。

 けれども翔太郎は、容赦なく詰め寄った。


「だが、本当にそれ以上は知らない……。奴はワタシたちと接触し、能力を見せ、指示を出した。それだけだ……」


 ゼクスは今や敗北した研究者だった。

 それでも情報だけは守ろうと、最後のプライドをかろうじて繋ぎ止めている。

 だが──翔太郎はそれすら許さない。


「──つまり、そいつが“嫉妬”の幹部ってことか」


 低い声でそう呟いた翔太郎の目は、まるで獲物に喰らいつく獣そのものだった。


 全身から放たれる喜びと焦り。

 今、ようやく組織の尻尾を掴んだ──その実感が胸を焦がしている。


「七人の中核──その内の、一人……!」


 雷光が一際強く右手に集まる。


「その四季条輪廻って奴について詳しく教えろ。どこで奴と接触した? どんな見た目だった? 使ってた異能力は? 『嫉妬』って位は、幹部の中でどれくらいの立場なんだ?」


 焦り。怒り。だが確かに希望も混じっていた。

 今度こそ掴める。

 今まで追っていた組織の──核心に。


 翔太郎は必死だった。

 ゼクスの言葉をひとつ残らず、聞き逃すまいとしていた。


 この場で組織の実態を吐かせる。

 それが翔太郎の執念だった。


 しかし──その瞬間。


「翔太郎──っ!!」


 遠くから。

 聞き慣れた声が地下に響いた。


「……!」


 ピクリと翔太郎の表情が揺れる。

 喉奥にまで迫っていた尋問の言葉が、飲み込まれた。


「玲奈……?」


 振り返ると同時に──複数の足音。

 光。仲間たちの気配。


「翔太郎ー!無事ですかー!? どこにいるんですか!」


 玲奈の声だった。

 それだけで、鋭く尖っていた翔太郎の精神が一瞬だけ緩む。


 否、緩んでしまった。

 仲間の声が、敵への執念を断ち切る。


「っ……!」


 ゼクスに再び視線を戻す。

 奴はすでに、その一瞬の隙を狙って微かに口元を歪めていた。


「……タイミングが悪かったね、鳴神翔太郎くん」


 ゼクスは嗤っていた。

 満身創痍、右足を消し飛ばされ、皮膚は焼け爛れ、骨まで晒しているというのに、なおも哂っていた。

 その笑顔は、敗北を悟った者の笑みではない。

 延命の手段を見つけた狂人の──逃げ場を得た者の微笑みだった。


 だが、もはやそれは強がりでしかなかった。

 誰がどう見ても、その姿は惨めだった。

 追い詰められた獣の、無様な最後の抵抗。


 一方の翔太郎は、静かに右手に纏っていた雷を収めていく。

 肩がわずかに上下していた。


 激戦の疲労は隠せない。

 だがその身体に致命的な傷はない。

 わずかに息が荒く、顔色が少しだけ青ざめているだけだった。


 勝者は、明らかだった。

 地下の空間に、焦げた肉の匂いと静寂が漂う中。


「……まぁ、いいさ」


 翔太郎はゆっくりと息を吐いた。

 右手を下ろしながら、疲れた声で呟く。


「時間はまだたっぷりある。お前を連行して対能力者用の手錠をつけて──後でたっぷり尋問してやる」


 次の瞬間だった。


「翔太郎……!」


 こちらを見つけた玲奈が、凄く心配したような声を上げた。

 彼女の声が、これまでの重苦しい流れを全てを断ち切る。


 振り返ると同時に、玲奈が翔太郎へと駆け寄ってきた。

 迷うことなく。迷うはずもなく。


「翔太郎……! 良かった……!」


 次の瞬間。

 翔太郎の身体は、玲奈の細い腕に抱きしめられていた。


「玲奈」


 小さく戸惑う翔太郎。

 だが、その声には嫌がる素振りはなかった。

 むしろ──心底、安堵したような声音だった。

 彼女たちも、ゾンビの包囲網を抜けてここまで辿り着いたのだろう。


「無事で……本当に、良かったです」


 玲奈の声は震えていた。

 安堵と涙声が入り混じる、か細い声。

 翔太郎の胸元で、小さく震えていた。


 その後ろからも、仲間たちの足音が聞こえてくる。

 ボロボロになったゼクスと地下空間の有様で彼女らは察した。


 ゼクス・ヴァイゼンは敗れたのだ。

 鳴神翔太郎に。

 そして今、ようやく戦いの終わりを実感した。




 ♢




「翔太郎」


 玲奈との抱擁を解くと、背後から静かな声がした。

 振り返れば、そこにはカレンに肩を貸して歩くアリシアの姿があった。


「アリシア。無事だったか」


 仲間たちを守りながらゾンビたちを相手にしていた、この戦いのもう一人の立役者。

 翔太郎はその姿にふっと表情を緩めた。


「カレンは寝てるの?」


「……うん。移動中に気を失ったみたい」


 アリシアの肩にぐったりと寄りかかるカレンは、眠っているのか、あるいは気を失っているのか。

 今はもう何も語らない。

 だが、アリシアはその身体を、無言で確かに支え続けていた。


「カレンとは、その……色々、話せたのか?」


 たったそれだけ。

 けれど、その問いに込められたのは、アリシアへの信頼だった。


 信じていた。

 この少女ならカレンと向き合えると。


 アリシアは目を瞬かせ、そして小さくとも確かに微笑んだ。


「……うん。しっかりと話せた」


 それは短い返事だった。

 けれど、それで十分だった。

 翔太郎は安堵したように頷いた。


「お互いに、やるべき事はしっかり出来たみたいだな」


 アリシアはカレンの頭を一度だけ撫でると、静かに言葉を紡いだ。


「今回の件、貴方には……大きな貸しが出来た。カレンと向き合うことが出来たのは、紛れもなく貴方のおかげ」


「俺は何もしてないよ。カレンと戦ったのだって玲奈だし、向き合ったのはアリシアだろ?」


「確かにそうかもしれない。でも、翔太郎が居なかったら、ゼクスと代わりに戦ってくれなかったら、私はきっとカレンに辿り着けなかったと思う」


 きっぱりと否定するアリシア。

 その顔は強さではなく、心からの感謝で満ちていた。


「私はずっと、自分の過去に向き合う勇気が持てなかった。誰かが背中を押してくれなければ、今も屋敷で蹲ってただけだと思う。翔太郎……貴方のおかげよ。本当に、ありがとう」


 静かに、微笑んだ。

 これまで見せたことのない、素直なアリシアの顔だった。


「アリシア……」


 翔太郎は一瞬、言葉を失った。

 そして、ふっと肩の力を抜くように息をついた。


「……そっか。なら、本当に良かったよ」


 どこか救われたような表情だった。

 その声も、まるで自分に言い聞かせるかのように優しかった。


「ゾンビの方は、大丈夫だったか?」


「うん。貴方が相手をしてたゼクスに比べれば、特に問題なかった」


「まぁ、アリシアが居るなら大丈夫だと思って離れたけどな。……ありがとな」


 アリシアは微かに微笑んだまま、カレンを支える手に力を込めた。

 その姿はまるで、姉が妹を守るようで──どこか柔らかかった。


 そんな二人の空気を壊すまいとするように、玲奈がそっと翔太郎の袖を掴んでいた。

 心配そうな表情のまま、言葉にはせずに翔太郎の隣へと並ぶ。


 一方で──ソルシェリアは明らかに不満そうに唇を尖らせていた。


「戦ってたのはアリシアだけじゃなくて、アタシたちもなんですけど〜?」


「今は会話に割り込む雰囲気じゃないですよ。ソルシェリア」


 フレデリカが苦笑混じりにたしなめる。

 その場には、戦いの後にしか訪れない静かな安堵と、仲間たちの温かさが広がっていた。


 翔太郎は仲間たちの気配を背に感じながら、改めてゼクスへと視線を向けた。

 地面に転がったままのゼクス・ヴァイゼンは、既に右足を失い、皮膚のほとんどは焼け焦げたまま──それでも、なお爬虫類のような眼光を保ち続けていた。


「12番……」


 苦しげな呻き声に混じって、ゼクスは含み笑いを漏らした。


「クク……多少13番と和解できたからと言って、本当に過去を乗り越えたつもりでいるのかい?」


 その視線は、アリシアに向けられていた。

 いつかの過去と同じ。

 だが──今回は違った。


 アリシアは一歩も退かない。

 金髪のポニーテールを僅かに揺らしながら、翔太郎の横をゆっくりと進み、ゼクスの前に立つ。

 カレンの身体を片腕で支えながら、それでも堂々とゼクスを見下ろしていた。


「まず、その呼び方をやめてくれる?」


 静かだった。

 だが、凛と響く声だった。


「私は番号じゃない。アリシア・オールバーナー。それが私の名前よ」


 一切の迷いもなかった。

 その言葉は、過去と決別した証。

 ゼクスは一瞬だけ目を細めたが、すぐに薄く笑う。


「知らないねぇ。キミはいつだって“検体番号12番”だ。あるいは“爆炎のプリンセス”──どっちもワタシ好みの呼び方だ」


 過去を思い出させるような嘲弄。

 だが──アリシアの心は、もう揺れない。


「そうやって他人の痛みや苦しみを利用してしか研究できないまま、ここまで来たのね」


 淡々と告げたその言葉は、静かな軽蔑と断絶の意思そのものだった。


「翔太郎にそこまでやられて、まだ余裕ぶってるのは流石だと思う。私、本当に貴方のことが……生理的に受け付けないレベルで嫌い」


 それはかつて恐れていた相手に向けた、拒絶の宣言だった。


 ゼクスは目を見開いた。

 嫌悪も怒りもないその言葉は、今まで浴びたどんな罵倒よりもゼクスの自尊心を切り裂いた。


「それは非常に残念だ」


 かすれた喉でゼクスは呟いた。

 それでも強がるように、血まみれの口元に、わざとらしい皮肉げな笑みを貼り付ける。


「ワタシはキミを……研究対象として誰よりも高く評価しているというのに」


 アリシアは黙っていた。

 一瞬だけゼクスを見下ろしたまま、静かに──本当に静かに、その価値すら測っているかのような目で彼を見つめた。

 そして、ふと淡々と口を開く。


「──私はもう、貴方のことなんて何とも思っていない。どうでもいいの。もう本当に、心底どうでもいい」


 その声は、ゼクスを拒絶する声ではなかった。

 完全に無関心という名の絶縁だった。

 まるで灰になった過去を振り返る価値すらないと言わんばかりに。


「貴方のことは、翔太郎に任せてある。これからは……彼が貴方の話し相手になると思うから。そのつもりで」


「……っ」


 ゼクスの顔が、今度こそ歪んだ。

 これまで何を言われても嗤っていたその狂人が、初めて無様に歪めた表情だった。

 それを見てもアリシアは興味すら持たなかった。


 彼女は気づいていた。

 ──ゼクスの右足が消えた理由も。

 ──焦げた肉の匂いも。

 翔太郎があの戦いの後、ゼクスに何をしていたのか。

 何も聞かずとも、アリシアは理解していた。


 それでも、何も言わなかった。

 それは翔太郎への最大級の信頼だった。

 もし立場が逆なら、自分も同じことをしていたと思ったから。


 ゼクスは、もはや仇ですらない。

 アリシアにとって、夜空の革命の情報源に過ぎなかった。

 感情の一切を断ち切った先で、彼女は完全に過去から自由になっていた。


 その処理は、自分ではなく翔太郎に任せてある。

 ──彼は間違わない。

 アリシアはそれを信じていた。


 翔太郎はそんなアリシアの背中を、何も言わずに見つめていた。

 だが、彼には分かっていた。

 この瞬間こそが、アリシア・オールバーナーという少女がゼクス・ヴァイゼンという過去から完全に解放された瞬間なのだと。


「……まあ、そういうことだから」


 紫電の音が低く鳴る。

 翔太郎の右手には、ごく僅かな電流が絡んでいた。


「通報した警備が来るまで、ちょっと寝ててくれよ。ゼクス」


 ぼそりと呟く声は疲れ切っているのに、不思議と冷たかった。

 それでも、ゼクス・ヴァイゼンは嗤っていた。

 嗤いながら──必死に言葉を絞り出そうとする。


「待て……!待て!12番……っ!知っているのか!? キミが今、肩を貸している13番は──」


 声が詰まった。


「──紫電」


 瞬間、翔太郎の指先から放たれた微弱な電流がゼクスの首筋を正確に穿つ。

 それは拷問のためのものでも、殺すためのものでもない。ただ気絶させるためだけの最適解。


 呻き声すら残さず、ゼクスの意識はぷつりと落ちた。

 全身から力が抜け、血まみれの身体が地面に沈黙する。


 ──間に合った。


 翔太郎はそれを確認すると、小さく吐息を漏らした。

 玲奈が思わず小さく声を呑んで、だがすぐに安堵の息をつく。


「終わった……?」


 アリシアは、目の前の出来事にだけ違和感を覚えていた。

 ゼクスが最後に何か言いかけたこと。

 13番──カレンのことを指していたのは確かだ。

 だからこそ、翔太郎がその言葉を封じた理由が分からず、怪訝な顔で彼を見た。


「翔太郎。今、ゼクスは何を言いかけたの?」


 アリシアの問いに、翔太郎は静かに顔を向けた。

 その疲弊した目には、わずかに迷いが滲んでいたが、何かを決めるように肩をすくめ、柔らかく微笑む。


 けれどその笑みは、アリシアを守ろうとする優しさだった。


「さぁな。だけど──まあ、こんな奴の言うことなんか、あんまり気にすんなよ」


 その一言で全てを打ち切った。

 “言わない”ことを選んだのだ。

 アリシアに余計な傷を与えないために。


 その意味に気づいたのか、アリシアは戸惑い、何も言わずに黙ってカレンの身体を支え直した。

 翔太郎の選んだ沈黙を、受け入れたのだった。


 翔太郎はそのまま、仲間たちを一人ずつ見渡した。

 アリシア、玲奈、ソルシェリア、フレデリカ──皆、酷く疲れていたが、その表情には安堵の色があった。


「……とりあえず、これでこの戦いは終わりだ。この地下空間は通報した警備が何とかしてくれると思う。俺はゼクスを運ぶ。みんなは先に脱出してくれ」


 倒れたゼクスを無造作に担ぎ上げながら、そう言った翔太郎の声音は静かで穏やかだった。

 まるで長い悪夢が、ようやく終わったかのように。


「手伝いましょうか?」


 玲奈がそっと声をかけた。

 さっきまで戦っていたとは思えないほど柔らかな声で。

 翔太郎の隣に並び、彼を心配そうに見上げている。


「それなら、アリシアの方を手伝ってくれ。俺は一人でも大丈夫だから」


「……大丈夫。私も平気」


 しかし、それに答えたのはアリシアだった。

 カレンの身体をしっかりと支えながら、けれどその声音は穏やかだった。


 その声は、自分の選んだ道に迷いがない証だった。

 目の前のカレンが救えたという小さな確信が、アリシアを支えていた。


「二人がいいなら、良いのですが……」


 玲奈は短く答えると、アリシアの決意を尊重するように一歩引いた。


「それでは、早くここから脱出しましょう。また落とし穴のような罠や、消えていないゾンビがいるかもしれませんので、私が先行して皆様の安全を確保します」


 隣ではソルシェリアも、心底疲れ切ったようにフレデリカに先を歩かせた。


「ま、よく帰るまでが遠足って言うしね。それじゃフレデリカ、肉壁は頼んだわよ」


「はい。いざとなれば、ソルシェリアを盾にしてでもお嬢様たちの身の安全は確保させていただきます」


「どういう意味よ、それ!」


 そんなくだらないやり取りに、アリシアも玲奈も思わず小さく笑った。

 翔太郎もまた、わずかに頬を緩めた。


 束の間の安堵。

 仲間が無事でいることを確認し合える、ささやかな時間。

 この異様な地下空間からようやく抜け出せる──誰もがそう思った、まさにその時だった。




「──ああ、ちょっと待ちなって」




 唐突に、あまりにも軽薄な青年の声が前方から響いた。


「せっかく、わざわざこんなとこまで来たんだ。もうちょい遊んでいきなよ?」


 その瞬間、全員の足が止まった。

 背筋に嫌な寒気が走る。

 その声の主は──いつの間にか、彼らの出口だったはずのドアの前に立っていた。


 まるで、そこから出すつもりはないとでも言うように。


 そして──その男は、あまりにも場違いだった。


 焼け焦げた地下空間。

 死体と瓦礫が転がる地獄の中。

 その空間に、まるで異質な色彩が立っていた。


 黒いパーカーに、ダボッとしたジーンズ。

 パーカーの袖は指先が隠れるほど長く、フードは下ろしたまま。

 だが一番目を引くのは、その髪だった。


 ピンク、水色、茶色、白髪。

 何色ともつかない、カラフルなメッシュが何層にも重なった髪。

 肩まで伸びたロン毛が、照明の下で光を帯びるたび、まるで虹色のように見えた。

 どこか気怠そうに揺れる髪が、その目元の整った顔を隠したり覗かせたりする。


 その整った顔──いや、美形と呼ぶべき顔立ちに似つかわしくないのは、その表情だった。

 ひどく軽い。

 そして何より、どこまでも他人事のような無関心さ。

 それでいて、底知れない冷たさが滲んでいた。


「……誰?」


 ソルシェリアが呟いた。

 今までの軽口が嘘のように、顔が強張っている。


「新手……ですか?」


 玲奈の声も震えていた。


「いや、敵意は感じない……けど……」


 アリシアは違和感を覚えた。

 目の前の男から、殺気や敵意がほとんど感じられない。

 だが──だからこそ、底知れなさが恐怖に変わっていた。


 男はポケットに両手を突っ込んだまま、首を軽く傾げている。

 退屈そうに、面倒そうに──けれど、口元だけは薄く笑っていた。


「何者ですか」


 一番先頭にいるフレデリカの声が、硬くなる。

 だが──男は、まるで退屈な質問だとでも言いたげに眉をひとつ動かした。


「オレの名前? いやー……それ聞く? いや別にいいんだけどさ」


 軽薄な声。

 ふざけているわけでも、挑発しているわけでもない。

 ただ本当に、どうでもいいという調子。


「ま、女の子に聞かれたら、教えないわけにはいかないよな」


 にやりと。

 音すら聞こえそうなほど、見事な軽薄な笑顔。


「──オレは、四季条輪廻しきじょうりんね


 その名を聞いた瞬間。

 ゼクスを担いだ翔太郎の足が止まった。

 視界が一瞬、揺らいだ。


四季条輪廻(しきじょうりんね)、だって……?」


 背筋に凍えるようなものが這い上がる。

 先ほどゼクス・ヴァイゼンを拷問してようやく聞き出した名前。

 夜空の革命。七人の幹部。

 “嫉妬”の称号を持つ正規メンバー。


 その“本物”が。

 今、目の前にいる。


「訳あって、そこのゼクス・ヴァイゼンを用があって来たんだよね。……突然で悪いんだけどさぁ、そいつの身柄、渡してくれる?」


 ポケットに手を突っ込んだまま。

 顔だけで微笑んだまま。

 信じられないほど軽く。


 だが──その声には、絶対が宿っていた。

 自分に逆らうなとすら言わずに伝わってくる圧力。


 翔太郎は肩に担いだゼクスの重みが、急に何倍にも増した気がした。


 息が詰まる。

 それほどまでに、この青年は──本物だった。






第二章、最終局面です。

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