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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章39 『鳴神翔太郎VSゼクス(後編)』

「キミも、セカンドオリジンを使えることを隠していたなんてね!」


 ゼクスは勢いよく空中へと跳び上がった。

 巨大な灰の身体は無数の粒子へと散らばり──

 空中全域から、まるで弾丸の雨のように、圧倒的な量の灰が翔太郎目掛けて降り注ぐ。


 それは文字通り、絶望の雨。

 空間全てを灰色に染め上げる、ゼクスの本気。


 だが──


「遅えよ」


 翔太郎は静かに呟くと、背後に浮かぶ八つの雷太鼓へと双剣を振り上げた。

 左手、右手。交互に。

 バチの形をした双剣が太鼓を打ち鳴らす。


 その瞬間。

 ゼクスの真上──天頂から、雷が生成された。


 空間そのものが割れるように、雲も何も無いはずの地下空間の天井を突き破るかのように雷鳴が響き渡る。

 雷雲すら生まず、雷そのものが発生した。


 ゼクスの義眼が震える。


「──なっ……!」


「堕ちろ」


 翔太郎は冷たく呟いた。

 振り返らず、見上げず、ただ真下から雷神として宣告する。


 その声に応じるように。

 空間を切り裂き、天から落ちてきた雷柱が──ゼクスの灰の巨体を貫いた。


 天罰の雷は、音すら追いつけない速度で、上から叩き落とされた。


 ゼクスは雷柱に貫かれながら、異様な悲鳴を上げた。


「うおおおおおおおおおおおッッ!!」


 その巨体は空中で焼き裂かれ、灰の塊が音を立てて崩れ落ちる。

 着地した瞬間、ゼクスは発狂したように叫んだ。


「──灰散(アッシュ・シルト)!」


 ゼクスの全身が、一瞬で粒子へと崩壊する。

 己の肉体、意識、存在そのものを灰に変える緊急脱出。

 完全な物理無効化──逃亡専用の能力だ。


 ゼクスはそのまま、地下施設の奥へと逃げようとした。

 だが。


「遅えって言ってんだろ」


 ゼクスが粒子のまま逃げ出す寸前──翔太郎はすでに、視界から消えていた。

 疾風のように、音すら置き去りにして。


 次の瞬間、ゼクスの灰の奔流を追い越し──翔太郎は既に先回りしていた。


「らぁっ!!」


 雷光の刃が振り抜かれた。

 一閃。

 翔太郎は雷双剣を構えたまま、すれ違う形で駆け抜けた。

 ゼクスの灰は裂かれ、分断され、雷光で強制的に固着されたまま弾き飛ばされる。


 ゼクスの意識は、そこで初めて理解した。

 逃げられない。

 この雷神の前では──逃げ道など存在しないと。


「まさか、このワタシが……! この最終形態のワタシがぁ……!」


 ゼクスの思考すら、雷鳴がかき消した。

 翔太郎は背後の太鼓を一度だけ叩きながら、

 ただ、静かに切り捨てた。


 圧倒的だった。

 雷神の名は──伊達ではない。


「やっぱりこの程度かよ。この程度の力を手に入れるために、一体何人もの人生を狂わせてきたんだ?」


「ぐっ……!」


「現実を見ろよ、ゼクス。俺程度にここまでやられるんなら、お前の野望は一生叶わない」


 翔太郎が冷たくそう言い放った瞬間、灰の奔流が逆流した。


 施設全域から、壁を伝い、床を這い、空間全てを埋め尽くす勢いで、灰が一斉に中心へと向かう。


「モルモットの分際で、データの分際で、ワタシの崇高な研究をここまで邪魔するとは……!」


 ゼクスだった。

 灰の中心で、なお粒子のまま存在し続ける彼が、狂った指令を発していた。


「全部だ……全部ワタシに還れ……!」




 ♢




 一方で、地下施設の隅々にまで広がっていたゾンビたちの肉体が、次々に崩壊した。

 アリシアが焼き払い、ソルシェリアが鏡で撃退していたゾンビさえも、バラバラに崩れて消えていく。


「消えた……!? ゾンビが……!」


 アリシアは、燃え尽きた炎の中に立ち尽くしていた。

 自身の掌から滴っていた赤熱の異能力が、急速に鎮まっていく。

 消えゆくゾンビを見て、目を細めた。


「ゼクスが、自分の手駒を捨てた? まさか、翔太郎がゼクスに勝ったの?」


 ソルシェリアは鏡の盾を抱えたまま、冷ややかな視線で辺りを見渡した。

 ゾンビの肉体が砂のように崩れていく光景は、まるで悪夢の終焉のようだった。


「いや……違います。遠くからですが、翔太郎の異能力の圧が明らかに変化しています。ゼクスの反応も小さくなってはいますが、まだ生きています」


 玲奈は、アリシアの横で息を殺していた。

 今、翔太郎とゼクスの戦いは、自分たちの考えがつかない展開を迎えているのだと予感する。


「まさかゼクスは、翔太郎を倒すために全ての灰を自分に集めて……!」


「ですが、明らかに量が異常です。これほどの質量を、ひとつの身体に……」


 フレデリカは槍を突き立てたまま、硬く唇を結んだ。

 土の中から様子を伺っていたはずの彼女も、今や隠れる必要はないと判断して地上へと姿を現している。


「あれほどの灰を自身に集めるなど、セカンドオリジンを使えるからと言って、異能力者の限界を超えております。あれはもう、人ではありません」


 四人それぞれの異なる反応──だが、その視線は全員が同じ場所を見据えていた。


 崩壊するゾンビの山。

 その向こうに広がる、灰の嵐。


 そして。

 静かに倒れていたカレンが──仰向けのまま、薄く笑った。

 彼女の声は、掠れていたが、それでもはっきりと響いた。


「ゼクス。鳴神翔太郎に……存外に苦戦しているようよ」


 その言葉に、誰もが無言で息を呑んだ。




 ♢




 ゼクスは、完全に制御の限界を越えていた。

 本来ならば意識が持たない。

 異能力の回路が焼き切れるはずだった。


 だが、彼はまだ動いていた。


「──聖者の灰葬(ラザロ・アッシュ)!」


 それは本来許されない領域。

 集めた灰そのものを自らの神経回路に組み込み、

 自分自身を灰でできた異形として再構築する第二段階。


「ワタシは負けない。ワタシは、進化し続ける……!」


 狂気の声が響いた。


 翔太郎は目の前の灰嵐を見つめながら、ゆっくりと双剣を構え直した。

 すでに空気は雷で焦げついていた。

 だが、その表情は──何一つ変わらなかった。


 十六本の禍々しい手足──それは、もはや異形の怪物だった。

 空間ごと薙ぎ払う巨腕。

 灰と血の塊でできたそれが、音もなく翔太郎に迫る。


「無能力者を異能力者に変えることの──何が悪い!」


 ゼクスの叫びは狂気に満ちていた。


 異能力は人類の進化。

 停滞した旧人類を救済しているだけだと信じている。

 だが、それは歪んだ選民思想だった。


「異能力は三十万年もの停滞を打破する、進化の火種なんだ! 劣等種どもを……ワタシが変えてやっているだけだ!」


 その手足が一斉に翔太郎を潰そうとする。

 触れれば終わる。


 それでも──


「ふざけんなよ!」


 翔太郎は足を踏み出す。

 雷が地を裂いた。

 旋回し、迫り来る巨大な腕の隙間を読み、間一髪で回避する。


「異能力者も無能力者も、みんな同じ人間だろうが!」


 ゼクスの思想を切り捨てる言葉。

 落ちこぼれだった自分だからこそ言える、真っ直ぐな怒声だった。


「その違いでどれだけ人が殺されたと思ってる! お前みたいな奴が沢山いるから、この世界から悲劇が終わらないんだよ!」


 ゼクスの目がわずかに見開かれる。

 その瞬間──


「紫電!」


 翔太郎の双剣が閃いた。

 太鼓が響き、天から雷が降り注ぐ。

 ゼクスの巨腕一本が──焼き裂かれた。


「貴様ァアアアア!!」


 だがゼクスは怯まない。

 崩れた腕の欠片をも灰に変え、翔太郎に向けて弾丸のように撃ち返してくる。


「それに勘違いすんなよ、ゼクス。俺が戦ってるのは、そういう大層な理由なんかじゃない」


 応戦する翔太郎。

 双剣を交差し、雷光を纏わせながら迫り来る灰の弾丸を切り裂く。


「まず、その話をする以前に、俺はただ──アリシアを傷つけたお前を許せないだけだ!」


 それは決定的な言葉だった。

 思想も、正義も──全ての理屈を超えた怒り。


 翔太郎は雷神だった。

 思想の戦いではない。

 目の前の敵を倒すためだけに、雷光は咆哮する。


「キミが許さないから何だと言うんだ!」


 灰の弾丸が雨のように降り注ぐ。

 ゼクスは狂ったように翔太郎へ灰弾を撃ち続けながら、叫び続けていた。


「12番はワタシの最高傑作! 彼女はワタシの手で異能力者になれた。それこそが、ワタシの研究が正しいと証明する最大の証だ!」


 だが──雷鳴がそれを打ち消す。

 翔太郎は双剣を交差させ、迫る灰弾を斬り裂きながら、重く言い放った。


「アリシアは……お前の存在理由のために生きてきた訳じゃない」


「12番はワタシの研究の為に生きてきた! 彼女の人生は全て、ワタシのモノなのだよ!」


「確かに、無能力者だったアリシアはお前のせいで力を持った。それは曲げようのない事実だ」


 巨大な灰の両腕を破壊しながら、翔太郎は少しずつゼクスへと歩みを進めていく。


「でも……だからって、アリシアの人生は決してお前のものなんかじゃない」


 ──雷鳴。

 ──雷光。

 ──雷神。


「アリシアは、アリシア自身の意思でここまで生きてきた。誰かの実験成果を証明するためじゃない。お前の自己満足のために、生きてた訳じゃないんだよ!」


「違う!」


 ゼクスの叫びは、もはや執念そのものだった。

 禍々しい巨腕が新たに生え、空間全てを塞ぐ勢いで翔太郎を押し潰そうとする。


「12番はワタシのモノだ! 元々、売春婦の親に捨てられ、何の価値も無かったような娘を、ワタシが価値ある存在に作り変えてやった! 彼女はワタシの為に生きなければならない! なぜ凡才の貴様に奪われねばならんのだ!」


 それは、彼自身の存在証明だった。

 ゼクスにとって、アリシアは成果そのもの。

 最高傑作を奪われる事は、存在理由の喪失を意味していた。


 ──だが。


「そんなくだらない理由で、アリシアに触れるな。何度も言わせんなよ、アリシアはお前のモノじゃない」


 その瞬間だった。

 ゼクスが全ての腕を翔太郎に集約しようとした、その刹那──雷鳴が掻き消えた。


「どこに──!?」


 ゼクスが気付いた時には、もう遅かった。

 翔太郎は一瞬で消えていた。


 そして──


「雷閃!」


 怪物の懐。

 ゼクス自身の心臓部に、翔太郎はいた。

 全身の雷を纏い、右足一閃を振り抜く。


 轟雷が炸裂。

 次の瞬間──ゼクスの巨大な身体が、雷に貫かれ、高く高く、天井まで突き上げられていた。


「ギィイイイイアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 怪物の叫びが、地下施設全体を揺るがせた。

 それは恐怖でも怒りでもなく、

 自分という存在が──破壊される恐怖だった。


 灰の嵐が、再び集束する。

 空中で霧散しかけたゼクスは──なお、諦めていなかった。

 喉の奥から絞り出すような叫びが、地下空間に響き渡る。


「ワタシの……邪魔を、するなァアアアアアアアアッ!!」


 その咆哮と共に、空中の灰は再び収束。

 腕。脚。尾。禍々しい質量となってゼクスの身体に纏い付き、怪物の再生が始まる。

 だが──


「いい加減、しぶといんだよ」


 空中で翔太郎の雷光が閃いた。


 既にゼクスにとって、あの雷光は死そのものだった。

 だが、灰の怪物は恐怖を振り払うように腕を伸ばす。

 異形の腕が、翔太郎へ迫る──。


「夜空の革命に! このワタシに! 楯突いたことを後悔させてやるぞぉぉぉぉぉお!!」


「俺に喧嘩売って後悔するのは──お前の方だろうが」


 その声は、雷鳴だった。

 次の瞬間、翔太郎は空間ごと消えた。


「友達一人を救えないような奴が、夜空の革命なんかに勝てるかよ!」


 否。

 あまりにも速すぎて、視認出来なかっただけだった。

 雷そのものと化した翔太郎は、空中で怪物の目前に現れた。


 ゼクスの義眼が見開かれる。


「──っ!?」


 だが──もう遅い。


 翔太郎の背後。

 雷で形作られた八つの太鼓──雷神の輪──が唸る。

 それを両手に持った雷の双剣で一気に叩き込む。


 空間が、震えた。


「アリシアはお前なんかに絶対渡さない! アイツの人生を縛るお前は、俺がここでぶっ倒す!」


 雷が凝縮される。

 怪物の目前で、翔太郎は──最後の宣告をした。


「雷閃っ!」


 雷光が空間を裂いた。


 最大級の雷閃が、ゼクスを貫いた。

 怪物の再生途中だった灰の質量は瞬時に蒸発し、ゼクスの本体を巻き込んで──地下空間ごと爆ぜた。


 その閃光は、天井すら貫いた。

 轟音が遅れて地下に響き──全てを包み込んで消滅させた。


 ゼクスの絶叫は、もう聞こえなかった。

 残っていたのは、ただ雷鳴だけ。

 そして──雷の中心に立つ一人の少年。


 友のために。

 アリシアのために。

 怒りも憎しみも超えた意志で──戦った雷神だった。




 ♢




 雷光の嵐が収まる。

 瓦礫と灰の雨が降り注ぐ中──翔太郎は、ゆっくりと着地した。


 背後の雷太鼓は消え去り、雷の双剣も霧散する。

 黄金の輝きを放つ髪は再び空色に戻り、息をつく。


「くそ、流石に疲れたな……。久しぶりにセカンドオリジン使ったし……」


 そう呟いた声は、どこか呆れすら混じっていた。


 視線の先。

 地面に叩きつけられたはずのゼクスは──それでも、死んでいなかった。


「本当にタフだな、ゼクス。あれ、本気の一撃だったんだぞ」


 身体は焼け焦げ、皮膚も爛れ、骨まで露出している。

 それでもなお、口元に滲む血で笑いを作りながら、倒れたまま嗤っていた。


「──やはり、やるじゃないか鳴神翔太郎……。ワタシの最終形態を、ここまで破壊するなんて想定外だったよ……。いやぁ、良い研究データになった」


 あれだけの一撃を受けてもまだ懲りてないのか、乾いた声でバカにするようにゼクスは翔太郎を嘲笑った。


「まだデータとか、研究とか言ってんのかよ」


 翔太郎はそんなゼクスを無言で見下ろしていたが──次の瞬間、鋭く言い放った。


「……俺は基本的に、敵の能力者は殺さない主義なんだけどな」


 言葉の切れ味は、雷より鋭い。


「お前は別だ。下部構成員とはいえ、夜空の革命の一員だからな」


 歩み寄りながら、雷を纏う右手を静かに掲げる。

 その手に宿るのは殺意だった。


「組織の情報を色々喋ってくれるなら──苦しまずに、一瞬で済ませてやる」


「優しいキミに、敵とはいえ人が殺せるのかな?」


「あんまり俺を舐めるなよ。確かに今まで誰も殺したことはないけど、先生から異能力を習った時には、もう覚悟は決めてる」


 殺すことを、躊躇っていない声だった。

 人を殺す覚悟──それは、翔太郎の内にもあった。


 だが──


「……はっ……は、はは……」


 倒れているはずのゼクスは──大笑いを始めた。


「アハハハハハハ! やれるものなら、やってみると良いさ!」


 翔太郎は動きを止めた。

 ゼクスは、どこまでも愉快そうに笑う。


「殺せばいい。納得するのなら、キミも遠慮なくワタシを殺すと良い」


「……本気で言ってんのか? 死ぬんだぞ、お前」


「友のため、滅ぼされた家と故郷のため、あれこれ理由をつけて激情にワタシを殺すキミの表情は、さぞワタシにとっても最後の研究データに相応しいだろう!」


「ハッタリだと思ってんのか? いつでも俺はやれるんだぞ」


 翔太郎のピストルを模したような右手が、ゼクスに向けられる。


「今のお前じゃ、もう灰になって逃げることも出来ない。この距離で最大級の紫電を流せば、心臓が止まって死ぬ」


「さっさとやって見ると良い。キミが守ろうとしていた12番を泣かせる事になったとしてもね」


「……アリシアはお前が死のうが、別に悲しまないと思うぞ」


「確かに、ワタシが死んでも彼女は悲しまない。“ワタシ”はね」


「何だと?」


 雷光が、静かに弾けた。

 翔太郎の指先──ピストルを模した右手には、確実に殺意が宿っていた。


「ごちゃごちゃハッタリを言うのも、その辺にしとけよ。さっさと組織の情報だけ喋ってくれ」


 声は低く、冷たかった。


 ゼクスは地に伏しながら、皮膚の焼け落ちた顔で口角だけを吊り上げた。

 焼け焦げた喉で、乾いた笑い声を零す。


「……ああ、やれるだろうね。今のキミなら」


 翔太郎の雷光が更に強まった。

 既に撃つ覚悟は固まっているし、殺す覚悟は持っている。


 ──だが。

 目の前の男、ゼクス・ヴァイゼンは笑っていた。

 肉が焼け、皮膚が爛れ、骨が覗く醜悪な顔で。

 それでもなお、誇らしげに、勝者のように。


「でも、本当にそれでいいのかなぁ?」


 優しく、まるで親しい友へ向ける声色で。

 その声は、獲物を狩る直前の肉食獣のような愉悦に満ちていた。


「ワタシを殺したその瞬間──“あの娘”は確実に死ぬよ」


 何を言っている。

 翔太郎の思考は、呆気なく途切れた。

 ゼクスの言葉の意味が理解できず、雷は消え去り、視界すら揺らいでいた。


「……誰の話だ」


 自分でも驚くほど、声は乾いていた。

 だが、ゼクスは楽しげに答えた。

 まるで子供に答えを教える教師のように。


「カレン。検体番号13番──キミたちが連れて帰ろうとしているあの娘のことさ」


 一瞬、翔太郎の表情から感情が消えた。

 だが次の瞬間、強烈な怒りがその瞳に宿る。


「ふざけるな……どういう意味だ。何でお前を殺すと、カレンが死ぬようなことになるんだよ!」


 ゼクスは、喉の奥でククと笑った。

 皮膚の焼け落ちた顔が、酷く醜悪に歪む。




「説明してやろうか? キミたちが生きていると信じているその娘はね──元々、死人だよ」




「は?」


 瞬間、翔太郎の世界が崩れる音がした。

 ゼクスはその音を、きっと聞いていたのだろう。

 笑い声に、それが滲んでいた。


「……クックック」


 それは、あまりに容易く告げられた真実だった。

 まるで今日は良い天気だと言うかのように、淡々と。

 だが翔太郎にとっては──心臓に刃を突き立てられたも同然だった。


「……嘘だ」


「いいや、嘘じゃない」


 ゼクスは血を垂らしながら首を振った。


「生きてる? 何を見てそう思った? あの娘は生きているように見えるだけだ。ワタシの異能力──聖者の灰葬(ラザロ・アッシュ)の産物。あの娘は、紛れもなくゾンビだよ」


「……そんなわけ、ない。だってカレンには、意思も感情もあって──」


「ああ。そこが他のゾンビたちとの最大の違いさ。ワタシがセカンドオリジンを解除しても、彼女は自律で動き、感情を持っている。13番は、灰のゾンビの実験において、ワタシの最初の被験体にして成功例だよ」


 脳が理解を拒絶していた。

 耳が聞こえなくなったのかと思うほどだった。


 翔太郎の足が震えた。

 違う。動けなかった。


「カレンは、生きているだろ。お前が生かしたんじゃないのか」


「違う。13番は既に死んでいる」


 翔太郎は──何も言えなかった。

 言葉を探すことさえ、今の彼にはできなかった。


 ゼクスの告げた事実は、あまりに残酷だった。


 カレンは生きている。

 アリシアが焼き殺した訳じゃ無かった。

 そう信じていた。


 だからこそ、この地獄のような地下施設まで、命を賭けて戦ってきた。


 けれど──違った。


「あの夜、12番──アリシアに燃やされてね」


「嘘だ……」


 その瞬間、翔太郎の中で時間が止まった。

 耳鳴りがした。

 目の前の男の声が聞こえない。

 ただ、アリシアの姿だけが頭に浮かんだ。

 必死に泣き叫びながら、カレンを──

 あの日、少女を焼き殺した、アリシアの姿が。


「死んだ13番を──ワタシの異能力で、灰のゾンビとして繋ぎ留めた」


 ゼクスの声が、遠くに聞こえた。

 ただ、それだけのことだと。


 翔太郎は呼吸を忘れていた。

 酸素が入らない。

 肺が動かない。

 目の前の現実があまりにも冷たく、重すぎた。


 ずっと信じていた。

 カレンは生きていると。

 アリシアが燃やさなかったと。

 何とか、奇跡のように命を繋いでゼクスが生かしているのだと──

 だからこそ、アリシアは“あの夜”を救われたのだと。


 ──なのに。


 違った。

 アリシアは、あの夜──殺してしまっていた。

 自分の手で、大切な存在を。

 ゼクスはただ、死体を玩具のように動かしていただけだった。


 その事実が──翔太郎の心臓を貫いた。


 言葉にできない苦しみが、喉に張り付いた。

 何かを叫びたいのに、声が出ない。

 何かを否定したいのに、言葉が浮かばない。


 だがゼクスは──そんな翔太郎の苦しみに目を細め、微笑んでいた。

 それが、何よりも美しい研究成果だとでも言うように。


「キミは何も悪くない。鳴神翔太郎」


 その声は、甘い毒だった。

 瓦礫の中に転がりながら、ゼクスは愉悦に満ちた瞳で翔太郎を見上げる。


「だって、キミは“知らなかった”んだろう?」


 ズタズタの身体で、男は笑った。

 倒れているはずの敗者は──勝者のように嗤っていた。


「キミたちは12番と13番を救ったつもりでいた。でも違う。12番は、あの夜──親友を燃やして殺した。そして、何も知らないまま13番との再会を喜び合った。キミが本当に守るべき相手は一体、誰なんだろうね?」


 ゼクス・ヴァイゼンは最後の最後まで、悪魔だった。

 翔太郎の一番守りたかったものさえ、破壊しようとしている。


 友の命ではない。

 信じていた優しさではない。

 アリシアの心を。アリシアの救いを。

 翔太郎の“願い”そのものを。


 この男は──破壊しようとしている。


「今も13番はワタシの灰で動いている。ワタシが死ねば、繋ぎ止めている異能力の効果は消え、13番はただの灰に戻る」


 その言葉は、翔太郎の魂を抉った。

 これ以上ないほど、悪辣だった。


 倒れ伏す敗者のゼクスは、そこに横たわっているだけの死体のように見えるはずだった。


 なのに、この男は、自分が既に勝者であるかのように、勝ち誇っていた。


「さぁ──どうする鳴神翔太郎? ワタシを殺せば、あの娘は死ぬ。同時に過去と向き合うことを決めた12番にも、深い心の傷が残るだろう。だが殺さなければ、組織からの脅威は依然として続き、再び氷嶺玲奈くんや大勢の人間に被害が及ぶ」


 ゼクスは、微笑んだ。

 研究者の顔で。悪魔の顔で。


「あの広場で、キミに邪魔をされた研究テーマの“命の選択”の続きだ。選べ、キミの守るべき存在を。決して泣かせたくない存在を」


 その瞬間、翔太郎の中で何かが砕けた。

 目の前の化物は、ただの人殺しじゃない。

 目の前のこの男は──命の選択すら研究として愉しむ、本物の狂人だった。


「さぁ、どうする? 英雄気取りの鳴神翔太郎くん。ここでワタシを殺して、13番を間接的に殺して、せっかく向き合うと決めた12番をキミ自身の手で傷付けるのかい?」


 大笑いは、止まらなかった。

 それは痛みに耐えるための虚勢ではない。

 勝ちを確信した者の──純粋な愉悦だった。


「アハハハハハ! さぁ、選べよ! “ヒーロー”!!」


 雷光が明滅した。

 爆ぜるような音の直後──乾いた銃声に似た破裂音。


「さっきから、うるさいんだよお前」


 その言葉と同時に。

 ゼクスの右足が、膝から先ごと消し飛んだ。


「ギィアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 悪魔の叫び。

 今度こそ、悲鳴だった。狂気も快楽もない。

 純粋な──痛み。

 苦痛に歪むゼクスの顔は、今まで見せたことのない人間そのものだった。


 翔太郎は──ただ無表情に、足元のゼクスを見下ろしていた。

 右手にまだ雷光を宿しながら。


「ワタシの説明を……聞いていなかったのか!? ワタシを殺せば──!」


 ゼクスは喚く。

 悲鳴混じりの声で、自分の説明を繰り返そうとする。


 だが。


「ああ。聞いてたよ」


 静かに、翔太郎は言った。

 その声に感情はなかった。

 けれど──確かに決意だけが宿っていた。


「お前が死んだらカレンが死ぬって事は、よく分かった。そうなったら、アリシアも……きっと、立ち直れない程の心の傷を負うってこともな」


 ゼクスの目が揺れる。

 ようやく、自分の言葉が通じたと思ったのか。


「──あんまり俺を舐めんなよ」


 だが、それでも翔太郎は一歩踏み出す。

 その姿はまるで処刑人。

 雷を纏った右手を、銃のようにゼクスに向けながら。


「勘違いしてるみたいだけど、俺は別にヒーローなんかじゃない」


「何……?」


「お前を死なない程度に痛めつけるくらい、今の俺にだって出来る」


 翔太郎の声は、どこまでも冷たかった。


「お前を異能力の使えない収容所にぶち込んで、一生……飼い殺してやるよ」


 ゼクスの顔から──笑みが消えた。

 狂った科学者の仮面は剥がれ、怯えた人間の顔がそこにあった。

 雷光はまだ翔太郎の掌で蠢いている。

 いつでも二発目を撃てる。


「ここで楽に死ねると思うな。お前にそんな贅沢、俺は許さない」


 雷光が爆ぜた。

 無慈悲で、静かな怒りの音だった。


「ギィアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 鳴神翔太郎は──決してヒーローなど、自分では思っていない。

 大切な友を傷付けた者への、報いを与える者だった。


 翔太郎の瞳は──雷より冷たかった。

 踏みつけるようにゼクスの目前に立ち、感情を捨てた声で告げる。


「組織のことを話してもらおうか。夜空の革命の本拠地、構成人数、目的、計画、思想……お前の知ってること、全部だ」


 翔太郎の声は低く、冷徹だった。

 それは命乞いの余地など許さない声。


 だが──ゼクス・ヴァイゼンは怯えてなどいなかった。

 むしろ、その眼は笑っていた。

 血塗れのその顔で、歪んだ笑みを浮かべたまま、か細く息を吐き出す。


「……やはり、鳴神翔太郎。キミは面白い男だ」


 それは誇り高き科学者の矜持。

 恐怖を押し殺すための虚勢ではない。

 命と引き換えにさえ、彼が何か観察し続ける者であることの証明だった。


 だが──


「──がああああああああああっ!!」


 紫電が襲った。

 翔太郎は一言も発さず、その指先から雷撃を放っていた。

 ためらいなど、微塵もなかった。


 脇腹を焼かれ、皮膚の焦げる音と匂いが空間を満たす。

 ゼクスの悲鳴が、ただ響き渡る。


 翔太郎は無表情だった。

 相手が何者であれ、どんな思想を持とうと関係ない。

 敵として自分の前に立った以上──雷神の慈悲など存在しなかった。


「言ったよな。ちゃんと喋ったら、苦しまずに一瞬で済ませてやるって」


 吐き捨てるように言った声は、氷よりも冷たかった。

 ゼクスでさえ──その時、初めてわずかに背筋を凍らせた。


 だが、それでも彼は笑う。

 焼かれる肉体の痛みの中で、目だけは狂気の色を宿したまま、尚も言い放つ。


「これまで多くの人間を人体実験してきた研究者にとって……痛みなど、些細な誤差だ」


 その瞬間──


 二撃目。左腕に雷撃。

 ゼクスの身体が跳ねる。

 科学者である前に──彼は人間だった。

 脳が痛覚を拒絶しようとする中、筋肉は痙攣し、歯を食いしばる音が鳴り響く。


「……ぐ、あ……っ」


 それでもなお、ゼクスは呻きながら口角を上げた。

 血まみれの顔で、無理やり作られた笑み。

 それは命乞いでも、屈服でもなかった。


「知識は金で買えない……ましてや死んだら……データは回収できない……だから……キミは、やりすぎない……。だろ?」


「お前は自分が拷問されながら、交渉できる立場だと思ってんのか?」


 翔太郎は呆れるように言った。

 だが目は一切笑っていない。

 指先の雷は収まらず──三撃目が腿へと突き刺さった。


 今度は声にならない呻き。

 涙が、一筋だけ頬を滑り落ちた。


 ようやく──ゼクス・ヴァイゼンの理性が、痛みに屈しかけていた。


「……っ……ひ……ふ……ふざけ……」


「さすがに敵を拷問してるとこなんて、玲奈やアリシアに見られたくないからな」


 不意に。

 翔太郎は表情すら変えずに、静かに笑った。


「だから、頼むよ。……さっさと喋ってくれ」


 ──それは優しさなどではなかった。

 拷問を合理的な作業と割り切る、冷酷な処刑人の微笑みだった。


 そして──四撃目を前にして。

 ゼクスはとうとう崩れた。


「わ……わかった……っ! わかったっ……!!」


 壊れた喉で、悲鳴に近い声を上げた。

 かつての威厳も、尊厳も、狂気さえ──その瞬間だけは砕け散っていた。


「ワタシの知っていること……すべて話す……。だから……それ以上は……」


「最初からそう言えば良かったんだよ。クソ野郎」


 涙と涎に濡れた顔。

 この男は誇りを捨てたわけではない。

 ただ──死を受け入れる程には壊れていなかっただけだった。


 翔太郎は見下ろし続けた。

 そして、ひとつだけ呟く。


「たった四回程度で根を上げるとは、とんだ根性無しだな。お前は何度、泣き叫ぶアリシアやカレンの身体を弄り回したんだ? 殺されないだけ感謝しろよ」


 雷音の消えた地下空間に、その声だけが響いていた。

 殺さず──しかし救いもないまま。

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