序章7 『運命の門出』
時は2025年3月9日。
鳴神翔太郎は16歳、普通の高校一年生として、最後の終業式を終えたばかりだった。
あれから約6年と2ヶ月。
修行を始めてから、彼の生活は大きく変わった。全日制の普通高校には通っているものの、孤児院での生活が中心で、そこではほとんどの子供たちが異能力を持っていない。
翔太郎は施設の中で最年長として信頼され、自然と剣崎からもリーダー的な立場を任され、本来妹想いだった彼の性格も相まって、子供たちにとっては頼りがいのある兄のような存在になっていた。
現在、剣崎は海外に出張中で、翔太郎はひとりで新たな自分を模索し続けている。長い間、剣崎と直接の修行は続けられていないが、彼の異能力の成長と心の強さは日に日に増している。
「翔兄ぃ! なんかお手紙来てる!」
「手紙? 先生からか?」
「ううん、なんか漢字ばっかでよく読めない」
そう言って手紙を持って駆け寄ってきたのは、この施設の中でもかなり幼く、甘えん坊気質なミミカだった。
ミミカはかつて両親から捨てられ、この孤児院に流れ着いた子供の一人だ。この孤児院は異能力者のみならず、普通の家庭環境に問題を抱える子供も多く預かっているので、そういった境遇の子供を見るのは割と珍しくなかった。
彼女は入居直後、親に捨てられた寂しさや新しい環境での生活に精神的に不安定になり、夜中などに急に泣き出すことも多く、他の子供達とも距離を置いていた。
ただ、翔太郎は根気強く何度も彼女に話しかけに行き、次第にミミカは翔太郎を始めとして剣崎や他の子供たちにも笑顔を見せるようになった。
翔太郎はミミカをはじめ、他の子供たちにも優しく接し、心を開かせていた。彼の穏やかで親身な対応が、次第に子供たちの信頼を集め、いつしか「翔兄ぃ」と慕われる存在となった。
「漢字ばっかの手紙……少なくとも先生からじゃなさそうだな」
剣崎が送ってくる手紙は、子供たちにも分かりやすいように、ひらがなが多く使われていることがほとんどだ。
もちろん、翔太郎や他の年長者宛てには漢字も使われるが、そうではない場合が多かった。
「なんだこれ」
手紙というよりも、封筒そのものがかなり厚みがあった。真っ白な封筒は、葉書ではなく、何かしらの冊子も一緒に入っているような感触だ。
軽く封を破ると、封筒の中から一枚の手紙と、いくつかの冊子が出てきた。
「転入の手続き……?」
手紙に目を通すと、そこには転入に関する詳細が書かれていた。だが、それだけではなかった。手紙と一緒に入っていた冊子には、驚くべきものが載っていた。
「零凰学園……。え、零凰学園?」
その手紙の送り主をもう一度見直して、翔太郎は自分の手が震えるのを感じた。
零凰学園。
日本屈指の偏差値を誇る異能力者専門のエリート校で、国家が直接運営している事でも有名だ。
学力だけでなく、将来国家の中枢を担う異能力者を育成することを目的としている。入学者は名門家系出身者が多いが、異能力の実力が認められれば名家でなくても入学できる為、この学園で力を付けて将来的に大成し、名門の一代目となる者も多い。
入学試験を受けるためには並外れた能力が求められ、普通の学校とはワケが違う。それこそ、家柄に恵まれて将来的に余裕のある生徒たちが通う学校という認識であった為、修行に明け暮れ『夜空の革命』を追う今の自分には関わりのない存在だと思っていた。
手にしたパンフレットに目を移す。
『零凰学園2025年度生徒募集』と大きく書かれたその表紙を見て、翔太郎の心は一瞬、途方もなく動揺した。
『鳴神翔太郎様』
翔太郎は手紙の上に書かれた自分の名前を見て、目を瞬かせた。自分宛てにこんな手紙が来ることなど、今まで一度もなかった。手が震えるのを感じながら、慎重に手紙を開く。
紙を広げ、書かれた内容を目で追いながら、次第に頭が混乱していった。
『貴殿は、2025年度の零凰学園新入生として、推薦による転入が決定しました。剣崎大吾様より、特別推薦をいただき、鳴神様の能力を見込んで、次の4月より正式に零凰学園に転入していただくこととなります』
その後の文章も目には入るが、翔太郎の脳内で何度もその一文が反復されている。
「推薦? 俺が……零凰学園?」
翔太郎は手紙を握りしめたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。頭の中では次々と質問が湧いてきた。これからどうすればいいのか、何をどうするべきなのか、
どうして自分にこんな手紙が送られたのか──。
「どうしたのー?翔兄ぃ?」
思わずその一言で現実に戻される。
翔太郎の動揺が大き過ぎたのか、目の前にいたミミカが怪訝そうな表情を浮かべている。
「ごめんな。ちょっと先生に電話しなきゃいけないみたいだ」
手紙に書かれた「推薦」で転入が決まったことに動揺しつつも、翔太郎は冷静さを取り戻し、携帯電話を手に取った。
迷うことなく、番号を押す。
剣崎に電話をかけるのは久しぶりだった。
数秒後、電話が繋がった。
「先生、俺だけど」
電話口からは少し驚いた様子が伝わってきた。
少しだけ静かな時間が流れた後、剣崎が低い声で返事をした。
『翔太郎か。どうした?』
「これ、なんだ? 零凰学園から手紙が来ててさ、先生の推薦で俺が転入するとか、なんか変なこと書いてあるんだけど」
『そうか。やっと届いたんだな』
剣崎の声は、あまりにも冷静だった。
まるでこの状況をすでに見越していたかのように。
「やっと届いたんだなじゃなくて、いきなり何なんだよこれ!」
『何って転入手続きだ。今日で高校の終業式だろ? お前には俺の推薦で来月から転入生として、零凰学園に通ってもらう。あと東京だから、引越し手続きも並行してやってもらう』
「いや、待ってよ先生!どういうことだよ、これ。俺が転入するって、何でそんなことを勝手に決めてるんだ?」
突然の転入の決定に翔太郎は電話の向こうの剣崎に対して、声を荒げた。
「しかも東京に引っ越せって? 俺がいない間、施設のみんなはどうするんだ? アンタ、まだ海外いるんだろ?」
『お前に施設に任せきりにしておいてなんだが、施設のことは心配する必要はない。来週からは別の大人がやってくる。俺の信頼できる仲間だ』
「そんな急に……」
『急ってほどでもない。 俺が日本にいない間、しっかりと修行は怠らなかったんだよな?』
「当たり前だろ」
『なら尚更だ。お前の転入は決定事項だ』
「……っ!」
『零凰学園といえば、今の異能社会となった日本ならば誰でも聞いたことがある超名門校だ。夜空の革命を追うお前は力を付ける必要がある。違うか?』
「零凰学園に入ることよりも、もっと大事なことがあるだろ。そんな場所に行くぐらいなら、今すぐ海外行くから先生の手伝いをさせてよ」
電話越しに、剣崎のため息が聞こえた。
しばらく沈黙が続き、翔太郎はそれを耐えながらも、何とか自分の気持ちを伝えたかった。
『翔太郎、お前はまだ気付いていないだけだ。零凰学園に行けば、お前に必要なものが得られる。あそこは普通の学校じゃない。お前が学ぶべき事はそこにある』
「先生の修行とこの施設を守ることよりも大事なことが、その高校にあるのか?」
『ああ。翔太郎、お前が施設を離れたくない気持ちも分かる。だがな、エリートとは言えど、少なくとも学生レベルの零凰学園でやっていけなければ、夜空の革命を倒すなんて無理な話だ』
「……」
『それに今の電話口のお前からは戦いに焦りすぎている様にも思える。あの学園に行くことは決して無駄じゃない』
「それでも俺強くなったよ、先生。アンタが一番よく分かってるはずだ」
『お前はまだ世界を知らな過ぎる』
剣崎の言葉が冷徹に響く。
翔太郎はしばらく言葉を失った。
自分でも分かっていた。
このままでは何も変わらない。
それでも、来月から環境を大きく変えなければならないという目の前の現実を受け入れられない自分がいた。
『夜空の革命のような連中を相手にするには、ただの力じゃ足りない。お前のように心優しくて、弱さを感じさせない気持ちを持ってる奴が、戦うために必要な力を得るためには、適正レベルで学ぶことが必要なんだ』
「適正レベル……」
『6年前、お前が俺に異能を教わり始めた頃に比べて、信じられないほどの力を身につけたな。正直、俺も驚いている。才能の欠片も無かったお前が根性と努力だけで、少なくともA級能力者レベルの実力に到達するとは思わなかった』
電話越しに、剣崎が静かな声で答えた。
『ただ、それでもお前は経験が無さすぎる。他の異能力者を知らな過ぎる。これは今後、夜空の革命との能力戦を考えれば致命的すぎる弱点になる。同世代の能力者と共に学び合うことは、お前が思っている以上にお前の糧となるだろう。相手がエリートなら尚更な』
翔太郎はしばらく黙って聞いていた。
自分の中で納得できない思いが膨らんでいくが、同時に剣崎の言葉も理解できる部分があった。どちらも間違ってはいない。
だが、どうしても気持ちが落ち着かない。
「でも、どうしても……」
『翔太郎』
剣崎は一度だけ名前を呼んだ。
『お前にはもっと広い世界を見てほしい。今はその準備が必要なんだ。俺が今、強くなるためにお前を学びの場へ送ろうとしているのは、そういう理由だ。いずれ、戦いの時が来たら、俺と一緒に立ってくれ。それがお前の戦いだ』
翔太郎はもう一度、深いため息をついた。
剣崎の言葉が、少しずつ理解できるようになってきた。
「俺がいなくなった後、施設はどうするんだ?」
翔太郎は心の中で決意を固めながらも、迷いがまだ残っていた。
『お前が心配していることは、俺が全て引き受ける。だからこそ、今は自分のために前に進んでくれ。お前の力が必要になる時が必ず来る』
翔太郎は電話の向こうの剣崎の言葉に、しばらく沈黙を落とし込んでいた。心の中で葛藤を抱えながら、ようやく口を開く。
「分かった……先生がそう言うなら信じる。でも、みんなのことを忘れたりはしないからな」
『もちろんだ。翔太郎の成長が、最終的には皆を守る力になる。だから、今は信じて進んでくれ』
「学園に行ったからって、そこに縛られるつもりはないからな。俺は俺で、もう先生の手伝いが出来るぐらいには強くなっているつもりだから」
『それでこそ、鳴神翔太郎だ』
渋々とはいえ、自分の口から学園に行くことを決めさせたことが、剣崎にとって嬉しかったのかもしれない。電話の向こうから、あからさまにその気配を感じ取ることができた。
言葉には出さずとも、確かにその笑い声が聞こえてくるような気がした。まるで、自分が何か大きな決断を下したことに対して、剣崎がほっとしたような、満足げな笑みを浮かべているかのようだった。
翔太郎が深く息をつき、電話を切った後、少しだけ心が軽くなったような気がした。
それと同時に、やはりその先に待つ道のりに対する不安も込み上げてきた。しかし、剣崎が自分を信じて導いてくれたのだという事実は、翔太郎の背中を押す力となった。
どこか遠くで、剣崎が満足げに微笑んでいる、そんな気がした。
「翔兄ぃ?」
「ん?どうしたミミカ?」
ミミカは心配そうに顔を覗き込んできた。
その瞳には、翔太郎が電話で剣崎と何か言い争っているところを見ていたのだろう。
子どもの前で、大人げなく取り乱した事を後悔しても遅い。ミミカは小さな体で不安そうに口を開く。
「なんか、先生と喧嘩してたの……?」
翔太郎は一瞬、言葉に詰まった。
普段から優しく接してきた子供たちに、こんな姿を見せるのは初めてだ。
ミミカに心配をかけたくはなかったが、ついさっきのやり取りを思い出し、少し声を荒げてしまったことを後悔した。
「違うよ、ミミカ。先生とはちょっと話をしてただけさ」
「じゃ、じゃあ……」
ミミカはそう言いかけて、目をそらした。
どうやら先ほどの電話の会話で何かを察したようで、すぐに言葉を飲み込んだ。
「今日中にみんなに言わないといけないし、本当にさっき決まったんだけど。翔兄ぃ、東京に引っ越すことになったんだ」
♢
2025年4月6日。
翔太郎は大きめのキャリーケースを持って、施設の玄関までやって来ていた。
翔太郎が零凰学園への転入を決めた後、話はスムーズに進んでいった。
ただ、最初の一日は少し特別で、東京に引っ越すことを施設の子供たちに伝えたその日、思いがけない大騒ぎになった。翔太郎を慕う幼い子供たちは泣き出し、年長組も、剣崎と翔太郎がいなくなった後、どうすれば良いのか不安そうにしていた。
もし剣崎大吾が父であるなら、鳴神翔太郎はまさに皆の兄のような存在だった。彼の優しさと責任感は、施設の子供たちにとって欠かせないものであり、いつの間にかそれが自然な役割となった。大吾が海外に出張している今、翔太郎はその空白を埋めるように、子供たちのリーダーとしての役割を担っていた。
翔太郎がいなければ、施設の中はきっと一層の混乱を招いていただろう。その存在感は、既に剣崎大吾に匹敵するほど大きかった。
「翔太郎くん。荷物の方は大丈夫?」
「ありがとうございます。秋山さん」
幸いにも、転入届を出した翌週に剣崎の知人である秋山が施設にやってきて、子供たちの新しい保護者となった。
秋山の協力のおかげで引っ越しの準備も順調に進み、必要な家具や家電はすでに東京の新しい住居に手配されていた。
目の前には、他の子供たちが集まっている。
みんな一様に悲しそうな顔をしていて、普段の明るい雰囲気とはまるで違っていた。
翔太郎がここを離れることを知り、その心の準備ができていなかった子供たちの中には、もう泣き出している者もいる。
「翔兄ぃ、やっぱ行っちゃ駄目!」
ミミカが必死に翔太郎にしがみついてきた。
小さな手で腕をつかんで、泣きじゃくっている。普段は強がっているミミカが、こんなにも弱く、そして切なそうに翔太郎を求める姿に、胸が締め付けられる。
「ねぇ、次はいつ戻ってくるの?」
別の子が、翔太郎にしがみついている。
みんな、彼の優しさに触れ、そして翔太郎がいなくなることへの不安を口にする。孤児院に来たころから、皆を見守り支えてきた彼にとって、こんなにも大勢が泣いている光景は、ただ心苦しいものだった。
「いつ戻ってくるかは分からない」
それでも正直に伝えた。
行くと決めた以上、余程のことがない限りは戻らないとも決めていたからだ。
翔太郎は、目の前の子供たちを一人一人、じっと見つめた。無力さを感じている自分に、どうしても言葉が出てこない。
しかし、どれだけ心が痛くても、彼にはこの道を進むしかなかった。
「大丈夫。俺は向こうに行ってもっと強くなる、それこそ先生以上に。誰も泣かせないように、みんなを守れるように頑張るから」
翔太郎は、ミミカをそっと抱きしめると、他の子供たちにも優しく微笑んだ。
自分がここを離れることで、みんなに悲しみや寂しさを与えることは分かっていたが、彼はそれでも前に進まなければならない。自分が成長し、もっと強くなって戻ってくる。
それが皆の為になるはずだと信じている。
「その内、必ず戻ってくるから。それまで、みんなは元気に仲良く過ごしてくれ」
その言葉を聞いて、子供たちは少しだけ落ち着いた様子を見せた。だが、目の前の翔太郎がいなくなる事実をどうしても受け入れられず、彼らの涙は止まらなかった。
それでも、翔太郎は微笑みながら、最後に一度だけみんなを見渡すと、手を振った。
その瞬間、翔太郎は、施設の玄関前に立っている秋山さんに目を向けた。
彼女は静かに見守っていたが、その顔には、子供たちの泣き声に対する少しの寂しさが見て取れた。
だが、何も言わずに翔太郎にただ頷く。
「翔太郎くん、これからも頑張ってね。子供たちは君のことを信じてるよ。いつでも帰ってきて。みんな待ってるから」
数週間の付き合いだが子供たちを任せるに足る人物であることを翔太郎は理解している。
秋山の言葉に、翔太郎は少しだけ安堵した。
そして、再び子供たちを見つめ最後に深呼吸をして言った。
「秋山さん。すみませんが、みんなを頼みます」
秋山は頷きながら、翔太郎の肩を叩いた。
翔太郎は、きっとこれで心を決めたのだろう。
今、施設に残していく子供たちを守るために、自分は一人、東京へと向かうのだと。
その覚悟を胸に、翔太郎は背を向け、静かに施設を後にした。
その後ろ姿に、子供たちは泣きじゃくりながらも、必死に手を振り続けた。翔太郎もまた、決意を込めて前を向き続けた。
♢
そして、2025年4月7日。
鳴神翔太郎は、運命の門出を迎える。
新たな舞台、零凰学園へと足を踏み入れるその時、少年の心には揺るがぬ決意が宿っていた。
「──もう、誰も泣かせない為に」
この信念が少年を突き動かし、どんな試練も乗り越える力を与えてくれるだろう。
守る為力を求め、宿敵──夜空の革命との闘いに挑むその一歩は、ただの旅路ではない。
翔太郎にとってこれは、守るべき者たちの為に進む、運命を背負った戦いの始まりだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
序章はこれで完結となりますが、次の章でようやく零凰学園に転校し、本編スタートです。
これから翔太郎たちの活躍をどんどん描いていきますので、楽しんでいただけたら嬉しいです!
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皆さんの応援が、今後の執筆の活力になりますので、ぜひよろしくお願いします!
それでは、次の第一章でまたお会いしましょう!