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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章29 『現場調査』

 フレデリカが運転する黒塗りの車は、東京都の杉並区へと向かっていた。


 東京と聞いて翔太郎が思い浮かべていたのは、超高層ビルが立ち並び、どこもかしこもスーツ姿の人々がせわしなく行き交う──いわゆるオフィス街の大都会というイメージだった。


 だが、実際に車窓から見えたのはイメージとは少しズレた光景だった。


 見渡す限り、穏やかな住宅街。

 低層のアパートや一戸建てが続き、道端には花壇や公園の緑が自然に溶け込んでいる。

 駅前には商店街があり、地元の人々がのんびりと買い物を楽しんでいた。


「23区の中にも、ビルだけじゃなくて普通に人が住んでる場所多いんだな」


 思わず漏れた翔太郎の声に、助手席のアリシアが頷いた。


「杉並区は、東京23区の中でも比較的“住むための場所”に分類される地域。新宿や渋谷といった繁華街とは雰囲気が違う。緑も多くて、落ち着いている」


「へぇ……。今まで行こうと思って行ったことないから知らなかった」


 都会の喧騒を想像していた翔太郎には、その静けさが少しだけ拍子抜けで──けれど、不思議と嫌いではなかった。


 高層ビルの影に覆われるのではなく、木々の影に守られているような感覚。

 ここで異能力者による連続放火があったという事実が、どこか現実味を持たずに感じられるほどに。


 だが、この静かな町にも、確かに火は放たれた。

 そして、ゼクスの気配が残されているとすれば──油断は許されない。


 車を降りた瞬間、翔太郎は思わず鼻をひくつかせた。

 焦げたような、煤けた空気がまだわずかに残っている。

 数日前に火災があったとは思えないほど、現場は静かだった。


 目の前に広がっていたのは、「杉並区立・善福寺文化交流センター」

 ──地域の人々が集う、公共の複合施設だった。


 図書室や多目的ホール、書道や音楽などのカルチャー教室に使われる部屋もあり、平日でも高齢者や子供たちの姿がよく見られる、いわば地域に根ざした平和の象徴のような場所。


 それが今は鉄骨が歪み、壁面は焼け焦げ、窓という窓が黒くすすけていた。


「……完全に狙ってやってるな。ここ、たまたま火事になったって感じじゃない」


 翔太郎がつぶやくと、後ろからソルシェリアがひょいと肩の上に飛び乗ってきた。


「だろうね。アタシの分析によると、中心からじゃなくて、四隅から火を回してる。逃げ道を封じる火の付け方よ」


「それって……」


「明らかに誰かを狙って行われた放火ってコト。異能力で火を使ってる以上、普通の放火とは意図が違う」


 アリシアは、建物全体を見渡しながら呟く。


「ここには子供向けの音楽教室があったはず。燃えたのはその部屋の真上──第三会議室。定期的に地域の異能力研修プログラムが開かれていたらしい」


「研修って?」


「無能力者の民間人が異能力に触れる機会を作るための啓発事業。最近は治安対策の一環として広まってる。けど──」


 アリシアは足元に落ちた焦げた案内板を拾い上げ、淡々と続けた。


「そういう“能力と社会の接点”をあえて焼く。無能力者を排斥して異能力者を作ることを目的に置いてるゼクスの思想からして、十分あり得る動機」


 玲奈は一歩踏み出し、炭のように黒く変色した床を見つめた。


「人がよく集まる場所を狙った理由、もう一つあると思います」


「何だ?」


「恐怖心の植えつけ。ここが燃やされたってニュースを見れば、誰も安全じゃないって印象を広められます」


 玲奈の静かな言葉に誰も反論はしなかった。

 これは、ただの放火ではない。


 一行が目の前に立っているのは、かつて子どもたちや地域の人々で賑わっていた文化交流センターの入口。

 だが今は、入り口から建物全体にかけて黄色と赤の立入禁止テープが張り巡らされており、所々には「関係者以外立入禁止」の注意喚起の看板がぶら下がっている。


 敷地内には複数の作業員が入り、重機や仮設足場が動いていた。

 焼けた屋根や外壁の一部はすでに取り壊され始めており、現場は明らかに再建の準備段階に入っていた。


「これだけ人がいると、中には入れそうにないな」


 翔太郎が、焼け焦げたフェンス越しに現場を見つめながら言う。


「明らかに無関係の私たちが徘徊していたら、目立ちすぎますしね。とはいえ、ゼクスの事情を話して協力してもらうのも出来ないんでしょうか?」


 玲奈が視線を巡らせながら、そっと指をさす。

 ソルシェリアが腕を組みながら、足元の地面をつま先でつついた。


「事情の知らない人間からすれば、ゼクスの話したって混乱するだけでしょ。一応、あの屋上側と裏手の駐輪場は誰もいないみたい」


 敷地全体は思った以上に広く、正面入口やホール周辺には作業員の姿があったが、建物の裏手──かつて軽食スペースや屋外講習に使われていたエリアは、今は手つかずの状態で残されているようだった。


「とりあえず、俺たちで固まってると目立ちすぎる。二手に分かれよう」


 翔太郎が周囲を見渡しながらそう言うと、その場にわずかな緊張感が走った。


「アリシアは俺と一緒に裏手を回ってくれ。フレデリカさんと玲奈──それからソルシェリアは、正面周辺の外周を探ってくれ。残留した異能の痕跡があるかもしれない」


 一拍の沈黙。

 その指示に、玲奈はほんのわずかに目を伏せた。

 表情はいつも通り穏やかだが、そこにかすかな不満が滲んでいる。


「……」


 ──どうして、自分ではなくアリシアなのか。


 言葉にはしない。

 けれど、翔太郎の言葉を聞いた瞬間、心の奥に小さなひっかかりが生まれていた。


「了解です。氷嶺様、ご一緒に」


 すかさず、フレデリカが一歩前に出る。

 玲奈の方に優雅に微笑みながら、隣に寄り添うように立つ。


「氷嶺様の警護は、私にお任せください。どのような脅威があろうとも──決して近づけません」


「まっかせときなさいっての。翔太郎がいなくても、アタシがついてりゃ心配いらないって!」


 隣では、ソルシェリアが偉そうに胸を張る。

 小さな体で態度は誰より大きい。


「……ありがとうございます、フレデリカさん。ソルシェリアも……頼りにしてますから」


 玲奈はそう言って小さく微笑むが、その声にはわずかに曇りが差していた。

 心のどこかで釈然としないものを抱えている──そんな空気がにじんでいた。


 一方で、アリシアは当然のように翔太郎の隣に立つ。

 それが最初から決まっていたかのように、自然な動きだった。


「ゼクスやカレンの異能力を、最も正確に分析できるのは私。私が鳴神翔太郎と行動するのは最も合理的」


 誰に聞かれたわけでもないのに、アリシアは淡々とそう言い切った。


 その口調には迷いも遠慮もない。

 あくまで調査だからという理屈の上での行動。

 感情は介在しない、そう言いたげな硬質さだった。


 そんな三人のやり取りを眺めながら、ソルシェリアが肩をすくめて前へ出る。


「ふ〜ん。アリシアって、分析した情報は真っ先に翔太郎に教えるつもりでいたんだ? まあ、別にいいけどさ。アタシも玲奈とは、ちょっと喋ってみたいと思ってたし」


 そう言いながら、ちゃっかり玲奈の隣に並ぶソルシェリア。

 人形のくせに態度は大きいが、妙に場の空気を和らげるのは彼女ならではだった。


 翔太郎は一通り全員の顔を見渡してから、小さく頷いた。


「それじゃあ、行こうか。何かあったらすぐ携帯で連絡を取り合おう。人目もあるし大丈夫だとは思うけど……一応、気を付けてくれ」


 その言葉にフレデリカは丁寧に一礼し、ソルシェリアは「はーい」といい加減に返す。

 玲奈は、一瞬だけ視線を伏せながら静かに言った。


「翔太郎も気をつけてください。学園島の時みみたいに、ゼクスやカレンがどこかに潜んでるかもしれませんから」


 その声音には、淡く沈んだ感情が混じっていた。

 翔太郎はその気配にふと立ち止まりそうになるが、すぐに表情を引き締め、頷いた。


「──うん、任せて。玲奈も何かあったらすぐに連絡するんだぞ?」


 彼がフェンス沿いに歩き出すと、アリシアが静かにそれに続く。


 残された玲奈・フレデリカ・ソルシェリアの三人は、反対側から敷地を回り込み、建物の正面外周へと向かっていく。

 まだ微かに焦げの匂いが残る空気の中、立ち入り禁止のテープ越しに、焼け跡と周囲の植え込みを目で追い始めた。


 ここには、確かに異能力が行使された痕跡がある。

 目に見える火傷の跡だけではない。

 気配、痕跡、違和感……それらを見落とさず拾い上げることが、ゼクスという存在を浮かび上がらせる糸口になるかもしれない。


 そう信じながら──彼らは、焼け焦げた風景の中を、慎重に歩み出していった。




 ♢




 焼け焦げた施設の壁に、アリシアがそっと手を触れた。

 その指先が触れる場所は、まだ熱を帯びているかのように見えた。


「……やっぱり、この施設を焼いた能力者はカレンで間違いない」


 アリシアの声はかすかに震えていた。

 辛そうで、どこか悲しみに染まっている。

 彼女はその青く燃え盛る炎をかつて知っていたからこそ、例のニュースで火災の跡を見てすぐに確信したのだ。


「アリシアって、カレンの異能力を直接見たことがあるのか? 俺は玲奈や心音からは青い炎って聞いてるけど、具体的に見た事はないんだよね」


 アリシアは遠くを見つめながら答える。


「昔、ヴァルプルギスの炉にいた時に見た。火力はマッチの火程度だったけど、指先から放たれる炎は鮮やかな青色だった。毎日のように研究データが刷り込まれてたから、異能力の形状は見るだけで分かる」


 翔太郎は焼け焦げた壁をもう一度撫でるように触れながら呟いた。


「つまり、この焦げ跡がまさにカレンの炎の痕跡ってことか……」


 アリシアは小さく頷く。

 彼女の瞳には、何とも言えない複雑な色が映っていた。


「この施設が燃えたのは一週間前。ゴールデンウィークの真っ只中だった。確か被害者も出てるんだよな?」


「……うん。既にカレンは、誰かの命をあの炎で焼き尽くしてしまった」


 その言葉が空気を重く沈ませた。

 二人の間には言葉では言い尽くせない複雑な感情がゆっくりと流れていく。


「──起きてしまったことは、ちゃんと償わなきゃいけない」


 翔太郎がふと顔を上げ、決意のこもった目で言った。


「だから、一秒でも早く止めさせないと。カレンの異能力を分析して、奴らの居場所を突き止める──それが、ここに来た理由だ」


 翔太郎の声には強い覚悟が込められていた。

 その言葉にアリシアはしばらく黙り込み、視線を下げていたが、やがてゆっくりと息を吐き、顔を上げて彼を見つめる。


「分かってる。貴方の言うことは間違っていない」


 淡々とした口調の中に、決して揺るがない覚悟が隠れていた。


「ゼクスとカレンを止められるのは、結局、私たちしかいない。たとえカレンが罪を重ねたとしても、そこで諦めるわけにはいかない」


 翔太郎はその言葉を静かに受け止め、力強く頷いた。


「そうだな。俺も最後まで手伝うよ」


 翔太郎は焼け焦げた壁に手を添えながら、ゆっくりと歩き出した。

 その背中には迷いはなかった。


 アリシアは少し間を置いてから、小さく呟いた。


「……ありがとう」


 その声は静かだったが、確かな感謝を含んでいた。


「え?」


「カレンのこと、まだちゃんとお礼を言ってなかったから」


 翔太郎は少し肩をすくめ、軽く笑みを浮かべた。


「いや、別にお礼を言われるような事はまだ何もしてないって。現に俺一人じゃ、あの二人がどこに居るのか探りようもないし」


「それでも……貴方が考えて、こうして一緒に来てくれたことだけで、凄く救われてる。一人で戦ってる訳じゃないって。そう考えるだけで心の持ちようが全然違うって初めて知った」


 二人で戦おうと、昨晩翔太郎は確かに言った。

 といっても、アリシアの過去は彼女自身が自分で乗り越えるしかない。


「昨日、布団に入ってる時ずっと考えてた。どうして私と貴方は立場も境遇も、何もかもが同じなのに、こんなに考え方が違うんだろうって」


「……」


「貴方は辛いことがあっても、誰かを助けようと、前に進もうとする。けど私は……これまでずっと塞ぎ込んでいた」


 アリシアの声は淡々としているが、その奥には深い痛みが隠れていた。


「どうして? 貴方も色々辛い思いをしたんでしょ? 何でいつも、多くの人たちを率先して助けようなんて出来るの?」


 だからこそ、アリシアには分からなかった。

 辛い思いをして塞ぎ込んだ自分と違って、彼は人と関わることを辞めない。むしろ、誰かを助けることの方がずっと多かったからだ。


「いや正直、俺だって辛い時はあった。だけど……辛い過去に囚われてばかりじゃ、何も変わらないと思ったんだ。だから、人を助けることで自分を動かすしかなかった」


「助けることで?」


「うん。自分の痛みや弱さに押し潰されそうになる時、誰かのために動くことで自分を保ってきた。誰かと繋がっていることが、きっと今の俺を作ってる」


「そういう考え方が、私には分からなかった。私はずっと自分の殻に閉じこもってたから」


 胸の奥がひりつくような感覚と共に、過去の重さが蘇る。

 孤独で、誰とも関わらずにいた日々。

 誰かに頼ることも、助けを求めることも、自分には許されないと思っていた。


「でも、今は違うだろ? アリシアがこうして俺も一緒に連れて来てくれたことが、その証拠じゃん」


「あっ……」


「な?」


 翔太郎の口元に浮かんだ笑みは、まるで太陽のように温かく輝いていた。

 彼の瞳はどこまでも真っ直ぐで、その強さと優しさが、アリシアの胸に静かな光を灯す。


 そんな、彼を見て────。


「──私も、もっと昔に……」


 言葉が喉で詰まり、アリシアはすぐに言葉を飲み込んだ。


「え?」


 翔太郎が首をかしげる。


「ううん、何でもない。早く次の場所に行こう。カレンの痕跡は見つけられたけど、ゼクスの痕跡はまだ見つかってないし」


「そうだな」


 アリシアはそう言うと、言葉を詰まらせたまま先を歩き始めた。

 何か言おうとして、今確実に言い辞めたことに、翔太郎はそれ以上何も言わなかった。


 一方で、アリシアは────。


(いくら助けてくれてるからって、甘えちゃいけない)


 心の中で何度もそう繰り返す。

 彼の善意を、無条件に受け取ることはできない。

 それは、あくまで自分にとって都合の良い幻想でしかないと思った。


 ──自分は今、彼に何を言おうとした?


(私も、もっと昔に貴方と出会えていたら?)


 そんな仮定など、何一つ意味をなさない。

 過去の自分が、もし彼に出会えたとしても、きっと拒み、受け入れなかっただろう。

 近付かないで欲しい。きっと不幸になるからと、自ら距離を置き、関わりを断っていただろう。


 それでも──。

 それでも、今の自分は違った。


「っ……」


 胸の奥で、確かな何かが少しずつ動き始めている。

 自分から、その一歩を踏み出してみたい──そう思える相手は、アリシアにとって、白椿心音以来のことだった。




 ♢




 焦げ跡の残る施設の正面外周。

 立ち入り禁止テープが揺れる中、別チームはその向こうを睨みながら歩いていた。


 玲奈はずっと無言のまま、表情を曇らせていた。

 普段なら丁寧で冷静な振る舞いを崩さない彼女にしては、明らかに落ち着きがない。


 玲奈の腕に抱かれて人形のフリをしているソルシェリアが、ふと面白そうに首をかしげた。


「なんかさっきから機嫌悪くない、玲奈?」


「……そうでしょうか。別に普通です」


 玲奈はきっぱりと答えたものの、声のトーンにはどこかしら不満の色が混じっていた。


「あっ、さては翔太郎とアリシアが二人きりで行動してるの、気にしてるんでしょ?」


「気にしてません」


「うそー。めっちゃ不機嫌オーラ出てるし。翔太郎とアリシアが二人きりでイチャイチャしてるかもしれないって思ってたりして」


「翔太郎は誰かとイチャイチャなんてしてません。アリシアさんをお供に選んだのも、彼女が奴らの分析に長けているからです」


「はいはい、そういう建前ね〜。そうじゃなかったら、翔太郎は自分を選んでるはずだって?」


「あなたって、本当に意地悪な人形ですね……」


「アリシアたちと別れた直後から不機嫌オーラを隣で浴びせられてたんだから、このぐらい許して欲しいんだけど! 口調だって、ちょっと早口気味になってたよ?」


「……なってません」


 玲奈は少しだけ頬を膨らませながら言い返す。

 その仕草には怒りではなく、拗ねたような幼さが見え隠れしていた。


「……ただ、私だけ何も知らないのが……嫌なんです」


「カレンとかゼクスの話?」


 玲奈は小さくうなずいた。


「翔太郎は、アリシアさんのことをよく知ってて助けたいって言ってます。でも私は、翔太郎の過去もゼクスのことも何も知らない。何も知らないままで『翔太郎と一緒に戦う』なんて、ただ味方って名乗ってるだけで……」


 そこで言葉が詰まる。


「それって、なんだか都合のいいポジションにいるだけじゃないかって……思ってしまって」


 そんなものはパートナーではない。

 彼は玲奈のことをよく知ってくれているが、逆は無い。

 一方的に翔太郎に助けられるという関係が、今の彼女にとっては、何故だかたまらなく嫌だった。


 ソルシェリアは腕を組んで、ふんっと鼻を鳴らした。


「まーでも、玲奈はそれだけ翔太郎のこと、ちゃんと見てるってことでしょ?」


「……それは、はい」


「だったら、後でちゃんと本人に聞けばいいじゃん。翔太郎ならどうせ、隠し事とか出来ないタイプだし。嘘ついたら顔に出そうだし」


「ソルシェリア。あまりそういう下世話な詮索を助長するのは、感心しませんわ」


 ぴしゃりと言い放ったのはフレデリカだった。

 その声音はあくまで穏やかで、表情もやわらかいが、その瞳にはわずかな戒めの色が宿っている。


「氷嶺様にも、関係のない他人に指摘されたくない部分もあるでしょう?」


「なにそれ〜、やけに玲奈へのフォロー手厚くない? 実は玲奈に、アリシアの面影感じてたりしてんの?」


 フレデリカはふと小さく微笑む。


「確かに、氷嶺様はお嬢様に少し似た雰囲気があるのは認めます」


「私が……アリシアさんとですか?」


 玲奈が不意に立ち止まり、小さく問い返す。

 思いがけない比較に少し驚いた様子を見せた。


「声の調子や立ち居振る舞いだけでなく……表情など、大変似ております。まだ氷嶺様と知り合って短いですが、お二人がそっくりだと感じる瞬間が時折あります」


「フレデリカが誰かとアリシアが似てるって言うのなんて初めてだね。もしかして、玲奈もどこかの名家のお嬢様だったりするの?」


「……違います」


 一瞬、心臓が止まるかと思った。

 氷嶺家の事は隠しててもいずれバレることではあるが、今の自分は氷嶺家とは一切関係がない。


 過去の自分を語るべきではない。

 ましてや、翔太郎の家に身を寄せている今の立場で、余計な詮索を招くわけにはいかなかった。


「ふーん? ま、別に何でもいいけど」


 ソルシェリアはそのまま特に深追いすることもなく、ふわふわと玲奈の腕に抱かれながら笑った。


「けどさ、玲奈も分かってるでしょ? アリシアって、他人を頼るのが苦手なタイプだし。翔太郎はそれに気付いてんのよ。だから放っとけなかっただけなんじゃない?」


 ソルシェリアは肩をすくめて、こともなげに言う。

 口調は軽いが、的は射ていた。


「……はい、それも、分かってはいます。だからこそ、余計に……」


 玲奈は言いかけて、少しだけ唇を噛む。


「……自分だけ、遠くに置いていかれるみたいで。アリシアさんは翔太郎の過去を知ってる。私は何も知らない。そんなままで彼の隣に立つのは、どこか……ずるいような気がして」


 言葉を紡ぎながら、玲奈の声はだんだんと小さくなっていった。


「──なーんだ、ただのジェラシーってやつだね!」


 突然明るく言い放ったのは、やはりソルシェリアだった。

 口元にはにやにやとした笑みが浮かんでいる。


「違います」


 玲奈は即座に否定しつつも、ため息混じりにぽつりと続けた。


「ただ、私ももう少し、ちゃんと翔太郎の隣に立てるようになりたいだけです。彼の過去も、彼が何と向き合っているのかも、ちゃんと知って……理解した上で」


「そうやって、言葉にできる氷嶺様は……もう十分、鳴神様にとっても頼もしい人であると、私は思います」


 フレデリカがそっと口を開く。

 その声音は、どこか優しく、どこか懐かしげだった。


「自分で足りないものを口にできる方は、この世界では案外少ない。貴女は、根っこの部分では強くて優しい人だと思います」


「……フレデリカさん」


 玲奈は目を見開き、すぐに少しだけうつむいた。

 わずかに頬を染め、照れ隠しのように小さく息を吐く。


「……ありがとうございます」


 その言葉に、フレデリカは柔らかな微笑みを浮かべた。

 けれど、その次の一言には、どこか遠くを見つめるような響きがあった。


「……あの少年は、昔からそういう子ですから」


「昔から?」


 玲奈がすぐに問い返す。

 今の言い方は──まるでフレデリカが、ずっと以前から翔太郎を知っているようだった。


 けれど、フレデリカはその視線をふっと外す。

 わずかに微笑みを深めながら、あくまで屋敷の従者としての口調で続けた。


「申し訳ありません。あくまで、屋敷に仕える者の戯言です」


 その言い回しには、はっきりとした否定も肯定もなかった。


「うわ、めっちゃ気になる言い方するじゃん。何それ? ひょっとしてフレデリカ、翔太郎と昔になんかあったりして〜?」


「そういう下世話な妄想はお止めなさい。貴女はすぐにそうやって、会話を安っぽくする」


「あっはは、ちょっとからかっただけだよ。でもさ、玲奈も気になるでしょ? フレデリカって、結構秘密主義なところ多いし」


 玲奈は何も答えなかった。

 けれど、その表情はどこか複雑だった。

 翔太郎の過去に自分の知らない人たちがいる。


 それを知らないまま「パートナー」だなんて名乗るのは、やはり後ろめたさが残る。


 三人が建物の角を曲がった先は、吹き抜けになった中庭のようなスペースだった。

 黒く焦げたコンクリートの地面には、崩れたベンチの残骸と、真っ黒に焼け焦げた植え込みの枠が無惨に広がっている。

 空気には、まだ微かに炭のような臭いが残っていた。


「──この辺り、火の回りが特に激しかったみたいですわね」


 フレデリカが足元に目を向け、瓦礫を慎重に避けながら言う。

 玲奈も黙って頷き、焼け跡に残る形跡を目で追っていた。


「うーん、ただ燃やしたってだけじゃなさそうだけど……痕跡、まだ残ってるかな」


 そう呟いたソルシェリアが、ふと立ち止まる。


「じゃ、ちょっとやってみるね。──“反射(リフレクト)映像(ビジョン)"」


 手のひらを上に向けると、彼女の指先に光が集まり、小さな鏡面のような楕円が空中に浮かび上がった。

 ゆらゆらと水面のように揺れながら、やがて空間の一部を切り取ったように静止する。


 玲奈がそれを見つめ、少し驚いたように声を落とす。


「それが、あなたの異能力ですか?」


「そ。鏡の異能力。“光の屈折と反射”を応用しててね、焼けた空間の“前後”を再構成できるんだよ。……つまり、“火事が起きる前”の様子を、ちょっとだけ覗けちゃうってわけ」


 ソルシェリアが得意げに笑う。


「ふふーん、アタシがいると、こーいう現場は楽勝でしょ?」


「……思った以上に役に立つんですね、ソルシェリアって」


「それ褒めてる? それとも遠回しにディスってる?」


「どちらかと言えば、前者です」


 玲奈の素直な返しに、ソルシェリアが一瞬むっとしてから笑う。

 そんなやり取りの横で、フレデリカがそっと歩み寄った。


「焼ける前の情報が見られるなら、異能が発動した瞬間も分かりますわね。……これは助かります」


「でしょー? ほら、出た出た。こっち見て」


 鏡面が淡く光り、揺らぎの中にぼんやりと映像が浮かび上がる。

 それは、放火が始まる直前のこの中庭だった。


「黒いフード、細身の体格、青い炎……」


 玲奈が低く呟く。


 鏡に映るのは、フードを深く被った小柄な人影。

 その指先に燃え上がるのは、確かに青白い炎だった。


「この姿、この炎……間違いありません。カレンですね」


 その名を口にした玲奈の声には、どこか静かな確信があった。


 一度だけだが、戦場で見たことがある。

 青く揺れるその炎。

 異能としてはあまりに異質で、寒々しいほど冷たい光──それは確かに、氷嶺玲奈の記憶に残っていた。


「ふぅん……ちゃんと顔は映ってないけど、仕草も体格も女の子っぽいし、玲奈とアリシアの言う通り、あの青い色の炎……やっぱりカレン本人が犯人で確定かぁ」


 ソルシェリアが肩をすくめながら、鏡面をそっと閉じた。


「……火力の規模、広がり方、周囲へのダメージの残り方。全部見ても偶然じゃない。これは、示威行動。はっきり見せつけるためにやってる」


 玲奈の表情がさらに引き締まった。


「誰も安全じゃないと、そう見せつけるための放火。もし、この犯行がカレンの意思なら……なおさら許せません」


「氷嶺様……」


 フレデリカがそっと玲奈を見つめ、何か言いかけて辞めた。

 彼女の中で、玲奈に伝えるべき言葉があるのだろう。

 だが、それを今言うべきではないと判断した様子だった。


 一方で、ソルシェリアは少し顔をしかめながら、鏡の余波を手で払う。


「やれやれ、ちょっとばかし嫌な気配が残ってるわね。これ、相当悪意こもってたわよ。単に燃やすんじゃなくて、誰かに見せるための炎って感じ」


「ゼクスの指示、でしょうか?」


「うーん、ゼクス本人がいたかは分かんない。でも──あの映像、微妙に“別の異能”が干渉してた」


「別の異能?」


「そう。カレンの炎だけじゃなくて、背後にうっすら黒い煙……っていうか黒い灰みたいなのが意思を持つように揺れてた。ほんの一瞬だけど」


 再び映し出されたのは、青い炎を操るフードの人物──おそらくカレン。

 そして、その背後には何か黒い影がちらついていた。


「……やっぱり、誰かに付き添われてますね。映りは不明瞭ですが、ゼクスの灰ですか?」


「灰の異能力って断定はできないけど、カレン一人だけじゃないってのは分かるかな。アタシ、ゼクスの異能力は直接見たことないからさ」


 玲奈がぎゅっと唇を噛む。

 やはり、カレンの行動にはゼクスが絡んでいる。

 そしてソルシェリアの見せてくれた反射では、カレンが放火殺人を犯している場面も映っていた。


「──やはり、許せません」


 玲奈は拳を握りしめる。

 かつてアリシアと笑い合っていた少女が、今ではゼクスの指示で、脅しと殺しのために異能を使っている。


「……翔太郎は、アリシアさんと一緒にこの場所に来て、何を思ったんでしょうか」


「おーっと、また気になること言ったね?」


 ソルシェリアが即座に茶化すように割り込む。


「今ごろ二人でしんみり語り合ってるんじゃない? 『実はカレンは昔こうで……』みたいな?」


「からかわないでください。別に気にしてるわけじゃ……」


「気にしてんじゃん」


 玲奈はふっと視線を逸らし、けれどその頬はほんのり赤みを帯びていた。


「私は……もっと知りたいだけです。彼が何と戦っているのか、何を背負っているのか……アリシアさんや、カレンとどんな関わりがあるのか。全部知らないままで、隣に立ちたいなんて、おこがましいと思ったから」


「じゃあ知って理解して、それでも“支えたい”って言うなら──そっちの方が全然カッコいいと思うけどね」


 ソルシェリアは軽く笑って、玲奈の背をぽんと叩いた。


「……私は一度、翔太郎に助けられてきましたから。今度は、私が彼を支えたいんです」


 その目に、一瞬だけ迷いの色があった。

 だが、それ以上に強く、揺るぎない意志も宿っていた。


 フレデリカは、その横顔を静かに見つめていた。

 どこか懐かしむような視線で、ほんの少し口元を緩めて。


「……あの少年も、罪な人ですね」


「また翔太郎のこと、あの少年って言った!」


 ソルシェリアが振り返り、ニヤニヤとした笑顔で指差す。


「ってか、フレデリカってば昔の翔太郎を知ってそうだよね? やっぱり何かあったでしょ、ねぇねぇ教えてよ〜!」


「さぁ、何のことでしょうか?」


 フレデリカは涼しい顔で視線を外し、ひと足先に歩き出した。

 玲奈もその背を追いながら、小さく呟く。


「──もうすぐで、全部分かる気がします」


 焼け跡に残る焦げた匂いを、夕風がそっと運び去っていく。三人の影が、斜めに伸びた日差しの中で静かに揺れていた。

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