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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章27 『宿泊』

 結局、その夜は遅くなったこともあり、翔太郎と玲奈はそのままオールバーナー邸に泊まることとなった。


 本来であれば、火曜日は通常通り学園があるはずだった。しかし、不審者に関する一連の騒動が公に取り上げられたことで、学園側から正式に、臨時休校の連絡が電子生徒手帳に届く。


 おかげで翌朝の心配は消えたが、それとは別の問題が持ち上がっていた。


 オールバーナー邸は、まるで貴族の館のように広い。

 本来であれば、それぞれに個室を与えることも容易なはずだった。


 だが──。


「……なんで応接室で、全員一緒に寝ることになってるの?」


 アリシアが明らかに不満げな顔で口を開いた。

 眉間にはうっすらと皺が寄り、声にも少し棘が混じっている。


 すかさず、ソルシェリアが甲高い声で即座に反論した。


「あんた、バカぁ? この屋敷、広すぎるわりに中にいるのって、私たち5人だけなのよ? もしも、誰かが個室で寝てる時に襲撃されたらどうすんの! こんな簡単なリスク管理もできないで、よく十傑第九席なんて名乗れるわね!」


 まるで某式波系ヒロインのようなテンションで叫びながら、ソルシェリアは手をブンブン振り回す。


 アリシアは思わず一歩引いた。

 だがソルシェリアの言うことは──少なくとも、理屈の上では正しい。


 ゼクスが狙っているのは、アリシアと玲奈の両名。

 明確に標的が存在している以上、互いに身を寄せ合い、護り合う形で寝泊まりするのは、理に適っている。


 ──だが、それとは別に、どうしても気になる点がある。


「……で、みんなはその。鳴神翔太郎も一緒の部屋ってこと、気にしないの?」


 アリシアの問いかけに、場の空気が一瞬だけ凍った。


 そう──最大の問題はそこだった。


 応接室には、既にフレデリカの手によって敷布団が5枚並べられている。

 その5人とは、アリシア、玲奈、ソルシェリア、フレデリカ、そして──唯一の男子、鳴神翔太郎。


 若き男女たちが一つの空間で寝るというのは、普通に考えればかなりセンシティブな状況のはずである。


「別にアタシは気にしないけど? 人形だし」


「ええ、私も構いません。むしろゼクスの標的がはっきりしている以上、戦闘力の高い能力者が一人でも傍にいた方が安心です。お嬢様」


 ソルシェリアは、そもそも人間としての羞恥概念が希薄であり、フレデリカもまたこの場の中では唯一の大人として冷静に判断していた。


 しかし──。


「……氷嶺玲奈は? こういうの、気にならないの?」


 アリシアの視線が玲奈に注がれる。

 問いかけられた玲奈は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった後、柔らかく微笑んだ。


「私ですか? 別に気にしませんよ。もう慣──」


「だあああっ! 玲奈、髪の毛になんか付いてる!」


「あっ、は、はい……」


 慌てて翔太郎が口を挟み、咄嗟に玲奈の言葉を遮る。


 ──危ない。

 もう慣れましたなんてセリフをこの場で言ってしまえば、二人が一緒に暮らしている事実がバレてしまう。


 アリシアは眉ひとつ動かさず、じっと二人を見つめている。

 玲奈はややバツの悪そうな顔で目を逸らし、翔太郎はひたすら気まずそうに後頭部を掻いていた。


 ちなみに玲奈自身も、かつては同じ空間に、二段ベットとはいえ同級生の男子と寝るという事実に、人並みに戸惑いと羞恥心を覚えていた。


 だがある晩、ふとベッドの中で静かに横になっていたとき、下の段から「ぐごぉ……ごごごぉ……」と想像を超える翔太郎のいびきが聞こえてきた。


 その瞬間、全てがどうでもよくなった。


 羞恥とか、緊張とか、警戒心とか、そういったものが音速で吹き飛び、彼は異性と同じ部屋で寝ている自覚が無いのだという妙にムカつく結論に達して以降、玲奈は普通に寝られるようになったのである。


 ──とはいえ、もちろんそんな話を翔太郎本人にするつもりはない。


「みんなは良くても、私は嫌」


 ただ一人、アリシアだけは最後まで首を縦に振らなかった。


 翔太郎と寝る事に慣れてる玲奈。

 合理的に守りを固めようとするフレデリカ。

 人形のソルシェリア。

 他の面々がおかしいだけで、むしろアリシアの感覚の方が常識的と言える。


「何? アリシア、あんたもしかして翔太郎と同じ部屋で寝る事で“何か起きる”って思ってんの?」


 ソルシェリアが悪戯っぽく笑いながら口を挟んだ。

 その表情はまさに、揶揄うことを楽しんでいる人形。

 心が読めるわけではないのに、彼女には人の感情の隙を突く天才的な勘がある。


「そうは言ってない。単純に──同じ部屋で男女が寝るっていう状況が、嫌だって言ってるの」


 声のトーンは変えず、アリシアは冷静に返した。

 だが、その頬がうっすらと赤く染まっているのを、誰も指摘しなかっただけだ。


「え〜? どうだか〜? 本当は気にしてるんじゃないの? こういうお泊まりするのも初めてだし、もしかして同級生の男子と“何か起きる”って期待しちゃってるんじゃないの〜?」


「し、してないっ」


「お嬢様」


 一歩、前に出たのはフレデリカだった。

 その声は柔らかく、けれど凛としていて、決してからかうものではない。


「ゼクスは手段を選ばない人間です。あの男の執念深さは、常人のそれではありません。今もこの家の住所を突き止めようとしている可能性は十分にあります。……それに、私はB級能力者です。ゼクスが手段を選ばずに来た場合、時間を稼ぐのが精一杯でしょう」


 静かに、事実だけを淡々と並べるその口調が、かえって現実味を持たせた。


「ですが、氷嶺様と共にゼクスを迎撃してくださった鳴神様が同じ部屋にいてくだされば──お嬢様の安全を、少しでも高められる。それは間違いありません」


「……でも、嫌なものは嫌」


 アリシアは視線を逸らしながら、かすかに眉をひそめたまま、頑として譲らない。


 それは決して単なる意地ではない。

 いくらこれから一緒に戦う相手でも、異性と寝室を共にするということに、アリシアなりの警戒心があるのは自然なことだった。


 すると、アリシアの肩越しにいた玲奈が、不機嫌そうに小さく息を吐いた。


「……もしかして、翔太郎のことを寝てる女の子に下劣な理由で手を出すような人間だと考えてるんですか?」


「おい玲奈。言い方ってもんがあるだろ」


 翔太郎が苦笑しながら割って入るが、玲奈は眉を寄せたまま続けた。


「誤解は早めに解いた方がいいんです。それに、フレデリカさんの言ってることは的を射てます。一時の羞恥心よりも、現実的な安全性を優先すべき場面だと思いますけど」


 若干ムキになっているのは否めないが、それは決して、“私は何度一緒に寝ても、一度も手を出されたことがない”という妙な感情から来るものではない──多分。


 アリシアはそんな玲奈の様子に、言葉には出さないまま目を見開いた。

 まさか、この少女が鳴神翔太郎にここまでの信頼を寄せているとは思っていなかった。


(氷嶺玲奈って、そんなにこの男を信じてるの? なんかイメージと違う……)


 驚きと、ほんの少しの混乱が胸の中に生まれる。

 その空気を感じ取ったのか、翔太郎がやや苦笑まじりに口を開いた。


「まぁまぁ、玲奈。アリシアの気持ちも汲んでやれよ」


 そう言いながら、翔太郎は玲奈の方に向き直る。


「玲奈だって、ほら。もし俺と出会ってすぐの頃に、いきなり同じ部屋で寝てくれなんて言われたら、絶対『無理です』って言ってたろ?」


「それは……そうかもしれませんが……」


 玲奈は言葉に詰まり、頬を染めながら視線を逸らす。

 その反応に、翔太郎は「ほらな」とでも言いたげな顔をして、少しだけ場の空気が和らいだ。


 彼は強引に踏み込まない。

 相手の壁を壊そうとはせず、ただ隣に立とうとする。

 それが、玲奈を変え、アリシアの心にも、少しずつ信頼の種を落としていく。


「まあ、それでもアリシアの言い分も最もだし、俺は廊下で寝るよ。応接室のすぐ前なら何かあっても気付けるし」


 ──その一言が、議論の火種になった。


「ダメです。翔太郎が廊下で寝るなら、私も廊下で寝ます」


「なんでよ。俺が廊下に出る意味ないじゃん」


「うわ〜っ! 玲奈、超大胆! 翔太郎、アンタ幸せ者だねぇ〜! わざわざ自分の寝床に女の子がくっついてくれるとか、しかも玲奈みたいな超美人に!」


「お前も話の腰を折るな」


「私も反対です。鳴神様が廊下で寝るとなると、応接室の警戒が手薄になりますし、空調も効いていないため、健康を害する可能性が高いです。それに──オールバーナー邸に訪れた客人を、廊下で寝かせるなどという非礼、私には看過できません。今は亡きローフラム様もきっとお許しにならないでしょう」


 気が付けば、当事者であるはずのアリシアを置いて、翔太郎の寝床をめぐる議論が勝手に白熱していた。


 翔太郎としては、別に床で寝るのは苦ではないし、応接室の近くで待機できればそれでいい……くらいの気持ちだったのだが、玲奈とフレデリカが断固として譲らない。


(……俺の寝場所で、なんでこんな言い合いになってんだよ)


 翔太郎は心の中でぼやきながら、争点となった寝床──いや、廊下を見やった。


 一番良いのは、ローフラムが存命で、剣崎も屋敷にいてくれたらという布陣。

 それだけ実力者が揃えば、ゼクス如き、一切寄せ付けもしない最強かつ鉄壁の守りが完成する。


 ……けれど、そんなないものねだりをしても、今さら意味はない。


「ダメったらダメです。翔太郎一人だけが廊下で寝るなんて、そんな仕打ちを受けさせる訳には行きません」


 毅然と言い放つのは玲奈だった。

 その姿は、まるで飼い主に死んでも付いていくと言わんばかりの忠犬のようですらある。


「仕打ちって……提案したの俺なんだけどな」


 翔太郎が苦笑を浮かべたその横で、ソルシェリアが肩をすくめながら口を挟む。


「まぁ翔太郎がそれで良いって言うんならいいんじゃない? 玲奈の添い寝付きだったら逆に寝たくても寝れなさそうだしね〜」


「頼むからソルシェリアはもう黙っててくれ……」


 苦情を挟む暇もなく、今度はフレデリカが前に出る。


「鳴神様。廊下のお掃除は、まだ完璧には済んでおりません。衛生面の観点から見ても、やはりこの部屋で寝泊まりしていただくのが最も安全かと」


「フレデリカさん。そのありがたい申し出、すっごく感謝はしてるんだけど……」


 そう言いながら、翔太郎の視線がふと部屋の隅で黙っていたアリシアへと向けられる。

 翔太郎の視線を追うように、全員の視線がアリシアに向けられた。


 一瞬だけ、視線が交差する。


 その視線を受け、アリシアはわずかに肩をすくめ──そしてため息をひとつ、吐いた。


「……分かった。私がワガママだった。鳴神翔太郎が同じ部屋でも、別に文句はない」


 唯一の反対者だったアリシアが折れる形で、翔太郎の寝床が応接室に決定した瞬間だった。

 そうと決まればとばかりにフレデリカと玲奈が手際よく布団の用意を始める。


 ソルシェリアは布団の上でぴょんぴょん跳ねていたが、そもそも人形に睡眠は必要なのか──そんな疑問が浮かぶくらいには賑やかだった。


 それでも、自分のせいで遠慮させてしまったような気がして、翔太郎は少し申し訳なさそうにアリシアの元へと歩み寄る。


「……なんか、同調圧力で決めたような感じでごめんな。アリシア」


「別にいいけど。もう腹括ったし」


「安心してください、アリシアさん」


 玲奈がすかさず口を挟む。


「さっきも言いましたけど、翔太郎は寝てる女の子相手に変なことするような人じゃありませんから」


「……その言い方、まるで何度も一緒に寝てるみたいに聞こえるんだけど」


「へっ!? そ、そんなことあるわけないじゃないですか! い、今のは生活態度の話ですっ!普段から見てるからっていうか……!」


 ボロが出まくってるポンコツの相棒。

 庇ってくれるのはありがたいが、別の方向で誤解を招きかけていて若干ピンチだ。


「まあ……もし翔太郎が少しでも変なことしようものなら、ちゃんと潰しますので、安心してください」


「一応聞くけど玲奈さん、潰すって……どこを?」


「……女の子の口からそれを言わせるんですか、翔太郎?」


「怖っ!」


 思わずタマがヒュンってなった。

 目が全く笑ってないのがまた怖い。


 絶対にそういうことはするなという念押し。

 もちろん、同じ部屋で寝る以上、変なことをするつもりなど毛頭ない。

 でもこうして念押しされると、逆に何かフラグが立ったようで不安になるのだった。




 ♢




 夜中の二時過ぎ。

 翔太郎は、ふと目を覚ました。


 部屋は静まり返っていて、耳に届くのは規則正しい寝息だけ。

 少し目を慣らしながら周囲を見渡すと、敷かれた布団には数人の少女たちの寝顔が並んでいた。


 ──全員、異性。

 それがごく自然なことのように、同じ空間で、無防備に眠っている。


 だが、翔太郎にとってこの状況は今さら驚くようなものではなかった。

 玲奈とはすでに同居生活をしているし、彼女の寝顔を横目に朝を迎えることにも、最初のうちは困惑していたが、今では慣れた。

 耐性という鎧は、もうとうに着込んでいる。


 フレデリカは年が少し離れているし、ソルシェリアは人形だ。アリシアに至っては、年不相応に幼い見た目からも、保護対象という感情に近い。


 ──必然的に、唯一意識が向きそうなのは玲奈だけなのだが。

 不思議なことに、今ではその玲奈に対してすら慣れが上回っている。


 だから目が覚めたのは、そんな理由ではない。

 単純に、不安だった。


 アリシアの過去。

 玲奈が狙われている事実。

 そして、ゼクス・ヴァイゼンという存在──。


 もし奴がただの異能犯罪者ではなく、夜空の革命の後ろ盾を持ち、目的を持って動いているのだとしたら。


「……俺、一人でどこまで守れるんだろうな」


 ぽつりと零れた独り言に、当然返事はない。

 だがその静寂が、かえって不安を濃くする。


 翔太郎はスマホを手に取り、ゆっくりと息を吐いた。


「先生……起きてるかな」


 画面を開いて、剣崎宛にいくつかのメッセージを打ち込む。

 非常時の連絡は、たとえ深夜であっても許容範囲だ。


 ──次にゼクスたちと相対するとき、無策で挑むわけにはいかない。

 あれはそういう敵だ。


 カレンが組織関係者疑惑が拭えていない以上、ゼクスもまた同じだと見ていい。こちらも対抗戦力を整えておく必要がある。


 だが──アリシアの過去を知っていて、なおかつ信頼できる能力者は限られていた。


 パッと頭に浮かんだのは、やはり玲奈と心音だ。

 だが、あの二人を巻き込むのは本来の望みではない。


 フレデリカはB級能力者。

 善戦はできるかもしれないが、命のやり取りとなれば分が悪い。


 となれば、やはり剣崎に来てもらうのが一番だ。

 師匠としても、能力者としても、彼は心強い。

 あらゆる意味で、頼れる保険だ。


(先生を抜きにしても──最低でも、あと一人は必要だ。いざって時にアリシアのサポートに回れる、信頼できる誰かが……)


 思考を巡らせていたその時。

 ふいに、耳元で柔らかな声が囁いた。


「……眠れないんですか?」


 ドキリとして顔を上げると、すぐ傍に寝巻き姿の玲奈が座っていた。

 月明かりが窓から差し込み、彼女の髪と瞳に淡い光を落とす。


「まあ、ちょっとな。今日いろいろあったし……アリシアの事情も、知っちゃったからさ」


 その言葉には、軽さよりも深い疲れと戸惑いが滲んでいた。


 玲奈は何も言わず、ただ静かに頷いた。

 翔太郎がどんな気持ちでその言葉を口にしたのか──きっと、彼女にはわかっていたのだろう。


「っていうか、もしかして起こしちゃったか?」


「いえ、少し前から起きてたんですけど、翔太郎の寝床からスマホのタップ音が聞こえてきたので」


「……ごめん、うるさかったよな」


「そんなことないです。……むしろ、私も翔太郎と同じ気持ちでしたから」


 玲奈はそう言って、小さく微笑んだ。

 だが、その表情の奥には不安と迷いが確かにあった。


 アリシアの過去。

 ゼクス・ヴァイゼンの素性。

 そして何より、自分自身が狙われているという事実。

 敵の目的が分からない今、恐れるなというほうが無理というものだった。


 だからこそ、彼女は口を開いた。


「一つ、翔太郎に聞きたいことがあります」


「どうした?」


 その声音は、思ったより真剣だった。


「今日、ゼクスとカレンが私たちの前から逃げようとした時から、ずっと思ってたんです。──なぜ、翔太郎はそれ程までにカレンを追おうとしているんですか?」


 かつて、玲奈を送り迎えしていた際に車の中で言われたことの続きだった。


「前にも言ったよな。俺が関わることで、少しでも早くアイツを捕まえられるからって」


「……また、それだけですか?」


「いや全部本当のことだよ。だって、もしまた何かあったら、後悔するのは嫌だろ?」


 一瞬だけ視線を逸らす、その仕草。

 玲奈の目には、そこに明確な嘘が映ったように見える。


 玲奈は翔太郎の言い分に納得出来なかった。

 明らかに彼のカレンへの執着は異常だ。

 単純に正義感だけで捕まえようとしている訳ではないのが、事情を知らない玲奈にも分かるほどだった。


 何か翔太郎には、明確な理由と目的があって、そのきっかけとなるカレンを追おうとしているのは明白だった。


「……そうやって、また誤魔化すんですね」


「誤魔化してなんかない。俺にできることは全部やる。それだけの話だよ」


「だったら、教えてください。私、知りたいんです。翔太郎がなぜ、そこまでしてカレンを……!」


 その言葉に、翔太郎の指がピクリと動いた。

 見えないところで、何かが心の奥をかすめたように。


「今日、ゼクスたちが逃げる時に言っていた“災害の生き残り”って言葉。あれも、翔太郎と関係あるんですよね?」


「──っ」


 ついに、核心に触れられた。

 玲奈の声は震えていなかった。

 むしろ、静かな決意に満ちていた。


 踏み込まれた、ような気がした。


「今日、私ははっきり分かりました。──私、まだ全然あなたのことを知らないんだって」


 その言葉は、まるで心の奥に突き刺さる針のようだった。


「別に、玲奈に話すような内容じゃないよ。そう楽しい話でもないし、誰かに共有するものでもない」


「……あなたは、ずるい人ですね」


 玲奈の声が、ほんの少しだけ怒気を帯びた。


「あなたは、私の問題には平気で踏み込んできたくせに。氷嶺家のことも、カレンのことも、詳しいことは何も聞かずに私を助けてくれた。なのに私は、あなたに近付くことも許されないんですか?」


 翔太郎は答えなかった。

 けれど、その沈黙が何よりも雄弁だった。

 言葉にはできない迷いと葛藤が、はっきりと伝わってくる。


 玲奈を氷嶺家の呪縛から解放したのは、頼まれたわけじゃない。

 彼自身の意思で動き、率先して助けた。

 それは、誰に強いられたものでもなかった。


 玲奈と親しくなったきっかけは、カレンの襲撃。

 あの事件を機に、二人は一緒に帰ることが多くなり、自然と言葉を交わすようになった。


 もし、あの出来事がなければ。

 もし翔太郎が護衛に就くこともなかったなら、

 今でもただの「隣の席のクラスメイト」のままだったかもしれない。


 そんな中、玲奈が静かに口を開く。


「私は……ただ、一緒に戦いたいだけなんです」


 彼女の声は穏やかだったが、その中には確かな決意が込められていた。


「翔太郎が何を背負ってるのか、少しでも知っていたい。知らないまま、ただ守られるだけなんて、私には耐えられません」


 その言葉に、翔太郎は思わず小さく息を呑んだ。

 ──これは、黙っていられる問いじゃない。


 それでも。


「もう少しだけ、待ってほしい」


 かすれた声で、彼はそう答える。


「全部を話すには、まだ俺の中の整理がついてない。この件が終わるまで少しだけ待って欲しい」


 玲奈は静かに頷いた。

 彼の言葉に嘘はないと、すぐに分かったからだ。


「──分かりました。約束ですからね」


「……ああ」


 一瞬、静かな空気が流れる。

 ほんの少しだけ、互いの距離が近づいた気がした。

 けれど次の瞬間、玲奈はふいに唇を尖らせた。


「……でも、パートナーの私より先に、アリシアさんに話すなんて。やっぱり、それはちょっと納得いかないです」


「えっ? な、なんでそれを──」


「分かりますよ、そのくらい」


 玲奈は苦笑まじりに、そっけなく言う。

 けれど、その目は少しだけ寂しげだった。


「あなたたちの態度を見ていれば、だいたい察しがつきますから」


 翔太郎は何も言えなかった。

 けれど今度は、その沈黙も嘘じゃないと分かっていた。

 彼が誠実に向き合おうとしていること、その真っ直ぐさは、ちゃんと伝わっていたから。


 少し間を置いて、玲奈はふと視線を落としながら問いかけた。


「……アリシアさんのこと、助けたいんですか?」


「──助けたい」


 即答だった。

 迷いは一切感じられない。


「それは、どうしてですか?」


 問い詰めるような言い方ではなかった。

 ただ、彼の中にある“理由”を確かめたかった。

 それが、どうしても知りたかった。


「俺が玲奈を助けたいと思った時と、同じ理由だよ」


 翔太郎は短く息をついて、ゆっくりと答えた。


「アリシアも──俺の、友達だから」


「……そうですか」


 その答えは、既に分かりきっていた。

 きっと彼ならそう答えるだろうと。

 それでも、胸の奥にほんの少しだけ痛みが走った。


「やっぱり、あなたはそういう人なんですね」


 玲奈は小さく笑った。

 どこか、自分に言い聞かせるように。


 ──誰かが苦しんでいたら、見過ごせない。

 きっとそれが自分でなくても、翔太郎は同じように手を伸ばすのだろう。


 自分だけが、彼に取っての特別ではない。

 そのことに、思うところが無い訳じゃない。

 でも──それでも。


 そういう翔太郎だったからこそ、あの時、彼の言葉を信じることができた。

 家を出る決心もついた。

 そんな彼に救われたのだと、今なら素直に思える。


 だから、きっとこれでいい。

 少なくとも今は、彼の隣にいられるから。

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