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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章26 『二人で戦おう』

 部屋に入るタイミングを、完全に失っていた。

 応接室の扉の向こうから──フレデリカの声が聞こえてきたのだ。

 それも、自分の過去を……あの忌まわしい、過去を語る声が。


(……どうして。なぜ、あの人たちに)


 アリシアは思わず、扉に背をつけて立ち尽くす。

 彼ら──翔太郎と玲奈は、アリシアにとって決して親しいと言える存在ではない。

 心音にすら語らなかった過去を、なぜ彼女は彼らに……。


 だが、聞こえてきたフレデリカの声は、どこまでも穏やかで、痛々しいほどに真摯だった。




『お嬢様は、自分から人を遠ざけます。友達を作らない。誰かに好かれることにも、好意を向けることにも臆病なんです。──でも、心のどこかでは、きっと、助けてほしいと願っているんです』




 あの言葉に、アリシアの心が小さく軋む。

 長年仕えてきた彼女に、ここまで見透かされていたことに──驚きと、悔しさと、そしてほんの少しの安堵を覚える。


(ばか。私のこと、勝手に、わかってるみたいな顔して……)


 やがて、話が終わったのか、誰かが応接室の扉を開ける気配がした。


 足音が近づいてくる。

 アリシアは反射的に、廊下脇の小部屋に身を滑り込ませた。


「……なんで自分の家なのに、隠れなきゃいけないの」


 小さく、独りごちる。

 本来なら、こんな真似をする必要はなかったはずだ。

 すべては──フレデリカが、あの二人をこの家に招こうなどと言い出さなければ。


(余計なことを……)


 吐き捨てるように思った矢先、ドアの隙間から人影が横切った。

 ──鳴神翔太郎だった。


 彼はアリシアに気づく様子もなく、廊下を抜けてトイレへと向かっていく。

 その背中を見送りながら、アリシアは静かに息を吐く。


(……戻ってきたら、何食わぬ顔で部屋に入ればいい)


 そう自分に言い聞かせ、再び気配を潜めた。


 ──数分後。

 トイレのドアが開き、足音が戻ってくる。

 だがその足音は、アリシアが隠れている扉の前で、ふと止まった。


「……なぁ」


 低く、けれど妙に優しい声が扉越しにふと響く。

 まるで独り言のように。それでいて、確かに“誰か" に向けられた言葉だった。


「そこにいるんだろ? ……別に、出たくないなら、出てこなくてもいいけど」


 少しだけ間を空けて、翔太郎は続ける。

 その声音に、責めるような色は一切なかった。ただ、穏やかにいつも通りの調子で。


「なんとなく……話しかけたいだけだからさ。返事がなくても、まぁ、それはそれで」


 まるで壁に向かって語るような、不思議な会話。

 だがそれは、無理に距離を詰めようとしない翔太郎なりの、最大限の気遣いだった。


 ──そして、その声を受けて。

 アリシアの中で、ほんの僅かに何かが揺らいだ。


「今から言うのは、ただの独り言だぞ」


 廊下の向こうから、聞こえてくる低く落ち着いた声。


「だから、別に返事はしなくていい。聞かれてない前提で喋るから」


 アリシアは息を詰めたまま、扉の隙間越しに気配を感じ取る。

 翔太郎は、自分がそこにいると分かっている。


 けれど、無理には踏み込んでこない。


「──俺が、ゼクスと戦う」


 ぽつりと、投げかけるような一言。

 その一言に、思わずアリシアは息を呑んだ。


「ゼクスを倒して、カレンを連れて帰ってくる。……今の俺がやるべきことって、多分、それなんだ」


 瞬間、アリシアの視界が揺れた。

 その一言が、まるで心臓を握られるように響いた。


(……違う。そんなの、違う)


 彼は何も分かっていない。

 あれはアリシア自身の問題。

 彼女が向き合って、決着をつけるべき過去。

 それを──この男は、平然と横から掻っ攫おうとしている。


「──どういうつもりなの」


 アリシアの声は震えていた。

 怒りか、困惑か、それとも恐怖か、自分でも分からない。ただ、胸の奥が焼けるように痛い。


「俺、独り言だって言ったんだけど?」


「ちゃんと答えて」


「どういうつもりもなにも、そのままの意味だ。ゼクスを倒して、カレンを連れて帰る。それだけだよ」


「……違う。それは、貴方じゃなくて、私がやらなきゃいけないことなの! 私の問題に、なんで貴方が勝手に首を突っ込むの!?」


「勝手にじゃない」


 翔太郎は静かに言った。

 声を荒げることも、言い訳することもなく、ただ事実として。


「何回も言わせんな。玲奈が狙われてる時点で、俺にだって関係あるんだよ」


「っ……でも、それでも……!」


 アリシアの声が震える。

 唇を噛み、奥歯を噛み締める。

 感情の波が、胸の奥からどうしようもなくこみ上げてくる。


「貴方がそんなことして、どうなるか分かってるの!? あいつは──ゼクスは、ただの異能犯罪者なんかじゃない! 自分の目的のためなら手段なんて一切選ばない、悪魔みたいな奴……」


「分かってる。戦った時に嫌でも分かったよ。でも、だからって絶対に勝てない相手なんかじゃない」


 一瞬の沈黙。だが、翔太郎の声は続く。

 淡々としているのに、不思議とあたたかい。


「──俺は見て見ぬフリなんてできない。何もせずに今回の件が片付いて、誰かが傷ついて……その時に『自分は傍観者でした』なんて顔して立ってる自分を、きっと俺は許せない」


 アリシアの肩がビクリと揺れた。


「なんで……!」


 掠れた声が、絞り出される。


「なんで……そんなことを……。どうせフレデリカから、聞いたんでしょう。私の過去を」


 視界が滲む。

 怒りか、悔しさか、哀しみか、それとも──。


「関わったら、傷付くのは貴方の方だって分かってるの! ゼクスに関わったら、きっと取り返しがつかなくなる。私がやるべきなの、私だけが……!」


 その先が言えなかった。


 怖い。

 あの過去と再び向き合うのが。

 自分の罪が、誰かを傷つけた記憶が。

 今度こそ、我を忘れてしまうかもしれないという、得体の知れない不安が。


 アリシアは俯いた。

 震える手をぎゅっと握る。


 その沈黙に、翔太郎の声が落ちてくる。


「──でも、一番傷付いてるのはアリシアだろ?」


 その一言は、まるで刃のようだった。

 けれど、斬りつけるのではなく、縛られていた心を解き放つような──そんな切れ味だった。


「……っ」


 声にならない声が、喉の奥で嗚咽のように詰まった。


 アリシアの中で、ずっと誰にも触れさせなかったもの。誰にも見せないようにしていた痛みが──彼には見えていた。


 けれど彼はそれを暴こうともしない。

 責めるでも詮索するでもなく、ただ静かに、自分の言葉で彼女の傷を抱えようとしていた。


 ──その姿が、あまりにも温かくて、ずるかった。


「……前に言ってたよな。夜空の革命に殺されたっていう、アリシアの“祖父”の話」


 扉の外から、落ち着いた声が聞こえる。

 まるで、誰にも聞かせない独り言のように。

 けれど、それがアリシアに向けられていることはすぐに分かった。


「──ローフラム・オールバーナーのことだろ?」


「……っ、どうして……」


「アリシアの話に出てきた人物を、一人ずつ整理してみたんだ。アリシアを引き取って育てた人物ってなると、アリシアにとっての祖父はローフラムしかいない」


 カレン。

 ゼクス・ヴァイゼン。

 フレデリカ・ノルディエン。

 そして、ローフラム・オールバーナー。


 この中で、夜空の革命の被害者になった可能性があるのはどう考えても、ローフラムしかいなかった。


 翔太郎の声は事実を淡々と述べるようでいて、どこか優しさを帯びていた。

 押しつけでも、突きつけでもない。

 ただ静かに、心の扉をノックするように。


「アリシアはローフラムに引き取られて、ほんの少しの平穏を得た。でもその矢先に、夜空の革命がそれを壊した。大切な人を奪って、全部を焼き尽くした──」


 そうして、彼女は零凰学園に来たのだ。

 あの組織を見つけ出し、倒すために。


「──俺も、全く同じだよ」


 短く、けれど確かな言葉。


「俺の故郷を焼いて……一番大切だった妹を殺したのが夜空の革命だ。俺はあいつらを絶対に許さない。必ず見つけ出して、捕まえて、罪を償わせる。その為に零凰学園に来た」


 翔太郎は、鳴神家の落ちこぼれだった。

 でも、孤児院では仲間に囲まれ、信頼され、少しずつ歩いてきた。

 アリシアは母に売られ、友を手にかけ、ずっと独りで凍ったように生きてきた。


 ──境遇は似ているのに、歩んできた道はあまりにも違っていた。


「カレンは、俺が夜空の革命が起こした事件の生き残りだって知っていた。組織の一員なのか、それとも……関係者なのかは分からない。少なくとも、カレンから話を聞かなきゃいけないのは確かだ」


「……」


「思えば、最初に連絡先を交換しようって言ったのは、アリシアの方だったよな? お互い、夜空の革命の情報を持ってるかもしれないって」


 あの日。

 放課後の静かなベンチで交わした、たった一つのやり取り。

 でも翔太郎にとっては、忘れられない出来事だった。


「俺さ、同じ境遇で頑張ってるアリシアがいるって分かって……ちょっとだけ嬉しかったんだ」


 たどたどしく、でも真剣に。


「いつも誰かに囲まれてるようで……でも、ずっと俺一人で戦ってるんじゃないかって思ってたから」


「……」


「同じ推薦生で、同じように家族を失って……本当は、普通に生きてた方が絶対に幸せだったはずなのに──それでも、こうしてここにいる。前に進もうとしてる。アリシアも、俺も」


 扉の向こうにいる彼女に、届いているのかは分からない。

 けれど、それでも言葉を紡ぐことをやめなかった。


「勝手かもしれないけど──俺は、アリシアのことを仲間だって思ってる。……いや、友達だって本気で思ってるんだよ」


 最後の一言は、どこか照れくさそうに。

 でも、その声には微塵の迷いもなかった。


 扉のこちら側で、沈黙するアリシア。

 だが確かにその胸の奥で、何かがゆっくりと、静かに動き始めていた。


 ──それは、もう何年も閉ざしていた扉の鍵が、わずかに軋んで動いたような気がした。


「……私には、誰かと笑い合う資格なんてない」


 扉越しに聞こえてきたのは、心の奥底から零れ落ちた、寂しく、儚い声。

 アリシアの言葉は、自分を縛る過去の呪いそのものだった。


「私には、誰かに仲間だって……友達だって言ってもらえる資格もないの」


 翔太郎は静かに、けれどはっきりと否定する。


「そんなことないだろ」


 即答だった。

 その声音に、彼のまっすぐな意志が宿っていた。


「あるの。──あの日、私はカレンを焼き殺した。あの瞬間、私の人生はもう終わってたの。……いや、今だって思う。なんでこんな風に、ズルズルと生き続けてるのかって」


 言葉を絞り出すように吐きながら、アリシアの声は震えていた。


「ローフラムお祖父ちゃんに拾われて、生かされた。フレデリカと暮らして、心音に出会って……ようやく、普通の人間として生きていいのかなってそう思えたのに」


 だが、過去は彼女を決して逃がしてはくれなかった。


 再び現れたゼクスという悪魔。

 そして、アリシアの罪の象徴とも言えるカレン。


 神は尚も一人の少女を試す。

 彼女がその罪を越えられるのか、それとも潰れてしまうのか。


「怖いのか?」


 翔太郎の声は静かだったが、確かに彼女の心を打った。


「……怖いよ」


「自分の過去と向き合うことが、そんなに怖いのか?」


「──怖いに決まってるよ!!」


 それは、胸の奥に押し込めてきた想いを、ようやく吐き出せた瞬間だった。

 少女の心が砕け、こぼれ落ちるような叫びだった。


「私には……カレンと向き合う自信がない。ゼクスに立ち向かう勇気もない。……でも、それでも! 他の誰かに背負ってもらうなんて──もっと嫌なの!!」


 嗚咽が混じるその声に、翔太郎はただ黙って耳を傾けていた。

 扉一枚を挟んで、彼女の孤独と、叫びと涙が響いていた。


 不思議なことに、顔が見えないからこそ話せることがある。

 翔太郎は、それを知っていた。


「私は……どうすればよかったの……? 貴方なら、その答えが分かるの?」


 その問いに、翔太郎は息をひとつだけ吐き出し、正直に応えた。


「──分かるわけないだろ。俺はアリシアじゃないし、アリシアの過去に勝手に答えなんて出せるはずがない」


「……そう。やっぱり、誰にも分からないんだ」


「でも、一つだけ。俺にも教えられることがあるとしたら──」


 翔太郎の声は今までで一番優しく、けれど揺るがない強さを帯びていた。


「俺が育った孤児院『あじさい』ではな、喧嘩をした時は悪いことをした方が、きちんと謝るって決まりだった。“お互いに謝る”んじゃない。“悪い方が”だ」


「え……?」


 アリシアは思わず聞き返す。

 なぜ今、そんな昔話をするのかと疑問に思いながらも、どこか心に引っかかった。


「アリシアはずっとカレンのことを悔いてきた。後悔して、罪だと背負ってきたんだろ? でも──死んだと思ったカレンは、どんな形であれ生きてたんだ」


 翔太郎の言葉は、少しずつアリシアの心に染み込んでいく。


「だったら、やることなんて一つしかないだろ」


 それは、あまりにも単純で。

 けれど、あまりにも重い真実だった。


「──カレンに、『ごめんなさい』って言わないと」


 アリシアの目から、静かに涙がこぼれ落ちる。

 翔太郎がそう言ったからではない。

 彼が、その言葉を言わせようとしなかったからこそ──自然と、胸の奥からあふれ出てしまった。


 扉の向こうとこちら。

 交わったのは、ほんの少しの言葉と、ひとしずくの涙。それだけで、閉ざされていた心の扉が、わずかに軋んで開いた気がした。


「ただ……そうなると、やっぱりあのゼクスが邪魔だろ?」


「あっ……」


 その名を口にした瞬間、アリシアの呼吸が浅くなる。


 分かっていた。

 どれだけ勇気を出しても、最後にはあの存在が立ちはだかる。


 結局のところ、ゼクスをどうにかしない限り、カレンを連れ戻すことなど不可能なのだ。


 やはりカレンに謝るには、あの男に立ち向かわなければいけない。

 それも頭では分かっているが、いざ対峙した時に先程のように暴走しないとも限らない。


「空気読めないんだよな、アイツ。こっちが勇気出して、ちゃんと向き合おうとしてる時に限ってズカズカ入ってくる。ほら、友達にちゃんと謝ろうって思った時に、外野から余計な茶々入れてくるアホみたいな」


 そう言って、翔太郎は苦笑する。


 でも、アリシアには分かっていた。

 これは単なる愚痴じゃない。

 翔太郎なりの優しさであり、気遣いだった。


 だからこそ──。


「だからさ、ゼクスとはやっぱり俺が戦うよ」


「──っ、だ、だめ! それだけは! 貴方が、私の問題を背負うのなんか──」


 言いながらも声が震えていた。

 どれだけ強がっても、アリシアの奥底には恐怖が根を張っている。


 ゼクスの目。声。匂い。痛み。

 全てが脳裏に焼き付いている。


 けれど──そんなアリシアを前に、翔太郎はどこまでも自然体だった。


「その“背負う”って言い方辞めようぜ。別にアリシアの過去抜きで、単純に俺がゼクスにムカつくからぶっ飛ばしに行くって話なんだけど」


「で、でも……!」


 反論しようとしても、声にならない。

 彼が無理しているのか、強がっているのか、あるいは本心からそう言っているのか──分からない。


「だったら──二人で戦おう」


「えっ……?」


 戸惑いに揺れる声が、扉の向こうから漏れた。

 アリシアのいる部屋の前に立ったまま、翔太郎は扉を開けることもせず、ただ静かに言葉を紡ぐ。


「分担で行こう。俺がゼクスを止める。その間に──アリシアはカレンを、取り戻してくればいい」


 それは、押しつけでも命令でもない。

 誰よりも彼女の傷を理解しているからこそ、翔太郎は“代わりに”じゃなく“共に”を選んだ。


「……本当は怖いんだろ? ゼクスと会うのも、話すのも、戦うのも、全てが」


 まるで、アリシアの胸の奥をそのまま覗いたかのように、翔太郎の声は真っ直ぐだった。


 責めている訳ではなく、共感だった。

 恐怖を否定せず、ただ受け止める優しさ。


「だったら俺がアリシアの前に立つよ。アリシアは自分の想いと向き合ってくれればいい。カレンと、過去と、自分自身と」


「どうして、そこまで……」


 か細い声が、扉越しに漏れる。


 翔太郎は、アリシアの恐怖を理解していた。

 彼女がゼクスと向き合えないことも、その恐怖の深さも分かっている。


 だから彼が立つ。

 代わりに、アリシアに求めたのは──自分自身の想いと向き合うことだった。


「どうして、私にそこまでしてくれるの」


 アリシアの声は震えていた。

 抑えていた疑問が、ついにこぼれ出た。


「どうしてって……」


「だって、そうでしょ。私たち、別に学園でもそこまで仲が良い訳じゃない。夜空の革命とか、氷嶺玲奈が狙われた話があるにしても……貴方が、私のためにそこまでしてくれる理由が分からないの」


「前にさ、一度玲奈にも同じようなこと言われたよ。どうしてそこまでするのかって」


 あの時と、動機は全く同じだ。

 玲奈を氷嶺家から助けようとした、あの夜と同じ気持ち。理由なんて、最初から一つしかなかった。




「アリシアがどう思っても……俺にとっては、唯一お互いの境遇を理解し合える友達だからだ」




「……っ!」


 心の奥深くを突かれたような感覚。

 アリシアの胸が、小さく震える。


「どんなに一人になろうとしても、俺はちゃんと見てる。……見えない壁の向こうで、誰にも関りたくないってフリをしているアリシアのこと、もう大体分かってるつもりだ」


 それは、ずっとアリシアが恐れてきた言葉だった。

 誰かと繋がること。誰かに必要とされること。

 それが怖くて、苦しくて、だからこそずっと誰にも心を開かないでいた。


「だから……一人になんてさせたくない」


 苦しくて、怖くて──だからずっと、壁を作って生きてきた。


 なのに、今。

 その言葉だけが、まるで氷に触れる陽だまりのように、冷え切っていた心の奥に確かに届いていた。


「……俺に、一人で戦ってほしくないんだろ?」


 翔太郎が続ける。


「だったら一緒に戦って欲しい。俺たち二人で、あの二人に立ち向かおう。カレンに向き合うために。そして、アリシア自身のために」


 静かで、けれど真剣な言葉。

 それはただの慰めじゃなかった。

 本気で、アリシアを隣に立たせようとする意志だった。


「約束だ。二人で絶対に取り戻そう。カレンも、過去も──アリシアの想いも」


 ぽたり、と。

 凍っていたはずの瞳から、一粒、涙がこぼれた。

 ずっと張っていた意地も恐れも、もう支えにならなかった。


 ──だから。


 手が伸びる。

 扉にかけた手が、震えながらもしっかりと開く。


 カチリ。


 少し軋んだ音と共に、扉が開かれる。


「……なんだよ。いつも無愛想な顔してんのに、今日は随分と泣きっ面じゃんか」


 そこに立っていたのは、いつも通りの天然で無神経な顔をした鳴神翔太郎だった。

 でも今は──そんな彼の顔が、誰よりも頼もしく見えた。


「私が泣いてたら……おかしい?」


 アリシアが、目元を拭いながら尋ねる。

 翔太郎は、少しだけ笑って答えた。


「ううん。何もおかしくないよ。──ここまで、よく頑張ったな」


 それは、これまで誰にも言われたことのない言葉だった。アリシアの中で、また一つ何かが優しく崩れ落ちていく。


 ここに来て、ようやく気付くことが出来た。

 たった一人で戦う物語は、もう終わってもいいんだって。

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