序章6 『決意』
2018年12月29日。
この日は『夜空の革命』が日本政府に対し、都心の重要施設を複数爆破するという犯行予告がされた日だった。
かつて日本の異能裏社会を牛耳っていた闇の皇帝・エニグマ。そのエニグマを殺害し、新たな闇を担う組織として頭角を表したのが『夜空の革命』と名乗る謎の国際テロ組織である。
目的は不明。
主な活動は殺人・破壊工作。
メンバーの数は確認されている限り六人。
全員が黒いフードを被っており、神出鬼没に現れてはその場所において甚大な被害を齎す。
12月22日に発生した鳴神村災害。
日本政府は世間に情報統制を行なっているが、彼らの直属の異能力者はあの災害の原因がテロ被害だということを理解していた。
今回のテロ被害は鳴神家の新たなる当主・鳴神陽奈が殺害され、並びに一族関係者・鳴神村の住民はたった一人を残して生存は確認出来なかった。
そして時は現在。
本来、夜空の革命の犯行声明として指定されていた様々な場所に、政府が用意した異能力者を配置していたが、そのいずれも夜空の革命は現れなかった。
よって、2018年12月29日のテロ被害は0。
これをただの愉快犯と見る程、今の日本政府やその関係者に楽観的な者など居ない。
何故なら、犯行予告の日の一週間前には鳴神家は彼らの手によって村ごと滅ぼされてしまったのだから。
つまり、12月29日の犯行声明はブラフと見る声が異能力関係者の中で強まった。
12月29日に犯行声明を出したことで、政府はそれまでの期間に人材を用意し、対策を練り、万全の構えでテロの撃破に向かうはずだった。
だが実際には当日にテロは発生せず、一週間前には政府が派遣した筈の鳴神家が壊滅した。これは対応を後手に回った政府が、まさか夜空の革命の本当の狙いが鳴神家だとは考えてなかったからだ。
そして、あの村の惨劇を目撃していたのは生き残った少年・鳴神翔太郎ただ一人。
彼は鳴神村の救援に向かった剣崎大吾によって命を救われ、現在、剣崎が運営する孤児院の『あじさい』に在籍している。
♢
「これが政府の出した結論だ。翔太郎」
「……」
「やはり、あの犯行声明はブラフだったな。目的は明白だ──鳴神村への襲撃を政府や他の異能力者たちに悟らせない為だ。12月29日という指定された期限があることで、人々は警戒して対策を講じる。だが、それが守られる保証はない。その心理を逆手に取られたという訳だ」
孤児院の空き部屋にて、剣崎は日本政府からの通達をそのまま翔太郎に伝えていた。
翔太郎の表情は依然として暗い。
無理もない──少年からすれば、たった一晩で全てを失ったのだ。もし今、何の感情も湧かなかったとしたら、それこそ本当に心が壊れてしまっている証拠だった。
「アイツらは?」
「ん?」
「だから、夜空の革命は今どこに?」
「あの日、俺たちが到着している頃には、既に奴らは姿を消していた。そして、鳴神村以外で奴らが異能を利用した痕跡は存在しない。あの災害から一週間経ったというのに、一切位置が掴めていない」
「……っ!」
剣崎は、一切隠すことなく正直に話した。
今の翔太郎には、下手な誤魔化しや慰めは逆効果にしかならないと判断したからだ。
翔太郎がこの施設に来てから一週間が経ち、ようやく剣崎に心を開きかけていた。そんな彼に、無理に希望を持たせるための嘘をつく必要はなかった。
「夜空の革命の行方は引き続き調査中だが……何か他に聞きたいことはあるか?」
「被害者について教えて欲しい」
「被害者についても同じだ。お前が眠っていた三日間で何度も大規模調査したから間違いない。生存している、と断言できるのは少なくともお前だけだ」
「断言ってことは生死不明がいるってこと……?」
「ああ、鳴神村の人口は497人。そのうち生存者は翔太郎、ただ一人だ。確認された遺体は432人。火傷などで損傷が激しく、身元不明が63人。そして、行方不明が1人――それが誰かは、まだわかっていない」
「行方不明者っていうのは?」
翔太郎は剣崎の言葉を反芻するように呟いた。
何か、とてつもなく悪い予感がした。指先がかすかに震えるのを自覚しながら、彼は続きを待った。
剣崎は僅かに目を伏せ、それから静かに言葉を紡ぐ。
「昨日までのお前にはまだ伝えるのが早いと思ったが……今なら伝えられる。行方不明者は──鳴神家当主にして、お前の妹である鳴神陽奈だ」
「──────は?」
翔太郎の意識が一瞬で真っ白になった。
今、何て言った?
陽奈が行方不明?
生きている可能性がある?
違う。違う。違う。
陽奈は――死んだ。
確かに俺の目の前で、心臓を抉り取られた。
「……冗談だろ?」
自分の声が震えていた。
剣崎は冗談を言うような人間ではないとわかっているのに、どうしてもそう思いたかった。
「冗談ではない。行方不明者は鳴神陽奈で間違いない」
「さ、さっき身元不明体が63人もいるって話だったよな!? その中に陽奈がいる可能性だって──」
「それはない。鳴神陽奈は九歳にして電次郎氏を超える異能を持っていた。その彼女が死ねば、遺体には異能の痕跡が残るはずだ。だが、身元不明の63人の遺体に、彼女ほどの異能の痕跡はなかった」
「俺は陽奈が殺されるのを、見たんだぞ……?目の前で!心臓を抉られて!!」
翔太郎は吐き出すように言った。
その瞬間、あの夜の光景が脳裏に焼き付いたように蘇る。
真っ赤な血。
倒れる陽奈の小さな身体。
無感情なあのフードの男の手の中にある、鼓動を止めた心臓──。
翔太郎は肩で息をしながら剣崎を睨んだ。
「そんなのある訳ないだろ! 俺は、陽奈が死んだのを見た。それなのに、どうして……」
剣崎は黙って翔太郎を見つめていた。
その表情には、哀れみも、同情もない。
ただ、冷静な現実だけがそこにあった。
「お前の見たものが何だったのか、俺には分からない」
「……」
「だが、事実として遺体は発見されていない。これは記録に残っている公式な情報だ。もし、お前が見たものが本当に妹の死だったのなら──その遺体は、一体どこに消えた?」
翔太郎は息を呑んだ。
そんなこと、考えたこともなかった。
陽奈は確かに死んだ。
でも、剣崎の言う通りなら──あの後、陽奈の遺体はどうなった?
誰かが持ち去った?
何かの目的で?
陽奈の死が“偽装”だった可能性は?
「……そんなはず、ない。陽奈は死んだんだ」
けれど、頭の奥で声がする。
──本当にそうか?
──あれは本当に、陽奈だったのか?
──お前は、何を見た?
少年の手は震えていた。
思考がぐちゃぐちゃになりそうだった。
「翔太郎」
剣崎が低く、しかし確かな声で呼んだ。
「お前の見たものが何であれ、今の事実は一つだ。鳴神陽奈の遺体は発見されていない。つまり、彼女がまだ生きている可能性はゼロじゃない」
「……」
「信じるかどうかは、お前次第だ。だが、お前が今すべきことは、陽奈は死んだと決めつけることじゃない。可能性があるなら、探す。それしかない」
翔太郎は拳を握りしめた。
(俺は……何を信じればいい?)
陽奈は死んだ。
目の前で見たから間違いない。
だが、剣崎の言っていることが事実ならば、心臓を抜かれた筈の遺体はない。
もし……もし、あの時、見たものが偽りだったとしたら――。
♢
「……」
「ようやく落ち着いたか?」
剣崎の言葉が脳内で反響し続ける。
──陽奈は、死んでいない?
あの瞬間、翔太郎は確かに見た。妹の小さな体が崩れ落ち、血が広がっていく光景を。
しかし、剣崎は「行方不明だ」と断言した。
それが事実なら、まだ希望は残されているのかもしれない。
けれど──翔太郎は思い出す。
自分がどれほど無力な存在だったのかを。
あの時、翔太郎が誰よりも強ければ、陽奈を救えたかもしれない。村を守れたかもしれない。
翔太郎は拳を握りしめ、目の前の男をまっすぐに見据えた。
「先生」
「何だ」
「俺に、異能力を教えてくれませんか?」
剣崎の表情が僅かに変わった。
だが、驚きはない。まるで何かを見透かすような、厳しい視線だった。
「一応聞いておくが、何のためにだ?」
その問いに、迷うことなく答えた。
「俺はもう、誰も泣かせたくないんです」
声には迷いがなかった。
自分が弱かったせいで、村は滅びた。
妹も、故郷も、すべてを奪われた。
あの夜、何もできずに立ち尽くし、絶望するしかなかった。
──あんな思いをする自分のような人間を、もう二度と増やしたくない。
翔太郎は拳を握りしめ、剣崎を真っすぐに見据えた。
「何を言われても、俺は……夜空の革命と戦う」
「……」
剣崎は翔太郎の決意を静かに見つめていた。
やがて、彼はゆっくりとため息をつき、静かに口を開いた。
「翔太郎がどんな気持ちで言っているのかは分かる。何となくだがな」
そして、少しだけ声のトーンを落とす。
「だが、辞めておくことだ」
それは拒絶ではなかった。
だが、それ以上に強い、重い現実を突きつける言葉だった。
「……え?」
「俺の見立てでは、お前に異能力の才能はない。やるだけ無駄になる可能性の方が遥かに高いってことだ」
剣崎の声は冷静だったが、その奥には別の感情が隠れていた。
「異能力というのは、生まれ持った潜在的な素質がものを言う。努力でどうにかできる範囲には限界があるんだ。確かに鳴神家は優れた異能力者の一族だったかもしれないが……お前は違う」
翔太郎の心臓が、強く締め付けられる。
そんなこと、言われなくても自分自身が一番分かっていたからだ。出来ることは精々、掌で静電気を発生させることぐらい。
総合的なスペックで見ても無能力者と大差ないことぐらい、鳴神家で分からせられてきた。
「でも、それでも……!」
「せっかく生き残ったんだ。忘れて前向きになれとは言わないが、せめて異能力なんてモノから離れて、一から一般人としてやり直せ」
剣崎の言葉は、どこか気を遣っているようにも思えた。戦う才能が無いからこそ、翔太郎に戦わせたくない。そう思っているのが分かる程に。
「忘れられる訳ないだろ」
だが──俯きながらも、拳を握りしめ、震える声で呟いた。
「才能がないって、そんなの俺が一番よく分かってる。だって、ずっと言われ続けてきた。お前は落ちこぼれだって、何の役にも立たないって。でも、だからって……何もせずに諦めるなんて、出来る訳ないだろ!」
翔太郎は顔を上げた。
その瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
「俺が才能ないっていうなら、それでも戦えるようになれば良いだけだ。俺は……誰も泣かせたくないんだ。俺みたいに、何もできずに絶望する奴を増やしたくないんだよ……!」
剣崎は、翔太郎の目をじっと見つめた。
才能がないことは明白だ。
戦えば、誰よりも苦しむことになる。
夜空の革命を倒すことよりも、翔太郎が死ぬ確率の方が遥かに高い。
「駄目だ」
それでも尚、剣崎は翔太郎の意思を拒絶する。
剣崎大吾は国内でもトップクラスの異能力者だ。
故に彼に下される任務は過酷なモノが多い。
この前の鳴神村災害の救助のように凄惨な現場に立ち会う事も多かった。
現に施設にいる子供たちも、翔太郎に近い境遇を持つ者も何人もいる。
「どうしても?」
「どうしてもだ。子供を死地に送るような真似は俺には出来ない」
彼らは辛い過去と向き合いつつも、施設で少しずつ心を取り戻し、今は仲間たちと一般人として元気に生きている。
剣崎は翔太郎にこそ、そういう道を歩んで欲しいと願っていた。
「じゃあ、あんたが戦わせてくれないなら……」
翔太郎の言葉は冷徹で、確固たる決意に満ちていた。
「ここを出て、一から師匠を探す」
剣崎はその言葉を聞いて、眉をひそめた。
少年の眼差しは如何な理由でも揺るがないと分かってしまったから。
「俺は──もう誰も泣かせたくないんです。最後に泣くのは俺だけでいい」
翔太郎は自分の中で抱えていた痛みを、今すぐにでも乗り越えるつもりだった。強くなるために、何が必要か、何をすべきか。それを自分で決める覚悟ができていた。
剣崎は静かに息を呑んだ。
「お前、そこまで覚悟を決めたのか」
翔太郎は頷いた。
「どんな方法を取ってでも、俺は強くなる」
その言葉に、剣崎はしばらく黙って翔太郎を見つめていた。
「……」
ようやく、彼は視線を外してため息をつく。
それでも、目の前の少年は諦める気配を見せなかった。
「……本当に、覚悟はあるんだな?」
「あります」
即答だった。
剣崎は静かに息を吐き、目を閉じた。
そして、数秒の沈黙の後──
「……分かった」
彼はゆっくりと翔太郎を見つめ、口角をわずかに上げた。
「やると決めた以上は俺も一切手を抜かない。それでも修行をすると言うなら、あの時以上の地獄を見る羽目になるぞ」
翔太郎は表情を変えず、背筋を伸ばして言った。
「必ず、強くなります。俺は、戦います」
剣崎は無言で頷き、静かに一歩踏み出す。
その後ろ姿を、翔太郎はじっと見つめながら心の中で誓った。
誰も泣かせない──そのために、どんな代償を払ってでも強くなり、必ず生き抜くことを。