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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章24 『喋る人形』

 数時間後。

 柔らかく沈むレザーシートに身を預けながら、翔太郎は窓の外を流れていく街並みに目を向けていた。


 後部座席には、玲奈と並んで座っている。

 運転席には、変わらず隙のない所作でハンドルを握るフレデリカの姿。


 車体は無駄のない光沢を放つ深い紺色。

 どこかクラシカルな風格を持ちつつ、内部は最新式の快適装備が整えられている。間違いなく、庶民の暮らしからはかけ離れた高級車だった。


「……なんだか、普通に緊張しますね」


 ぽつりと玲奈が呟く。

 肩をすくめながら、小声で翔太郎に寄り添う。


「今日の放課後だけで、色々な事が起こり過ぎです」


「同感だな」


 思えば、全ては図書室で“聖夜の魂喰い”について調べていた時から始まった。

 その後、玲奈と心音が岩井に呼び出され、さらに病室を抜け出した水橋と共に学園外の広場へ向かったことで、ゼクスとカレンに襲われる事態にまで発展した。


 夜遅くまで警備に囲まれて事情聴取を受けた末、ようやく帰れると思った矢先の出来事だった。


「まさか、アリシアさんの家に行くことになるなんて、想像もしませんでした」


「だよな。普通なら、今ごろ家で飯食って寝てるはずだった」


 翔太郎も苦笑しながら言う。

 無理もない。

 あまりに展開が詰まりすぎている。

 そして、そんな会話をよそに、助手席のアリシアは無言のまま、窓の向こうをじっと見つめていた。


 ただ、その表情にはどこか諦念にも似た静けさがあった。

 翔太郎には、それが折れたというより仕方なかったという類の感情に見えた。


 やがて車は市街地を抜け、静かな郊外の区画に入っていく。緑の多い並木道を進むにつれ、周囲の空気が少しずつ静まり返っていった。


「もうすぐで到着いたします」


 フレデリカの落ち着いた声が、車内に穏やかに響く。


 それから数分。

 車がゆっくりと減速すると、重厚な鉄製の門の前に差し掛かった。センサーが感知したのか、何も言わずとも門が自動で開いていく。


 その先に現れたのは──。


「……うわ。結構広いな」


 思わず翔太郎が声を漏らす。

 現れたのは、灰色の石造りを基調とした二階建ての屋敷。


 噴水広場や庭園があった氷嶺家ほどのスケールではないものの、それでも住居としては明らかに過剰な広さ。


 手入れの行き届いた芝庭と、円形に整えられた花壇。

 高い塀に囲まれた空間は、外界から切り離されたような静謐さを保っていた。


 車がゆっくりと屋敷の車寄せに停車する。

 フレデリカが素早く降車し、後部座席の扉を丁寧に開けた。


「到着いたしました。どうぞ、お足元にお気をつけて」


 その完璧すぎるエスコートに、翔太郎は少しだけ気後れしながらも車を降りる。

 玲奈もそれに続き、最後にアリシアが静かに車外へ出た。


 屋敷を見上げた翔太郎が、アリシアの方をちらりと見やる。


「……これが、アリシアの家か」


 アリシアはその視線に気づいていたはずだが、特に反応を見せることはなかった。


「別に見ても面白いものじゃない。話があるなら、早く済ませて」


 どこか冷めたように、そう呟いた。


 翔太郎は苦笑を浮かべつつも、心の奥でほんの少しだけ胸騒ぎを覚えていた。

 何が彼女をここまで頑なにさせているのか──それを知るには、もう少しこの屋敷の奥に踏み込む必要がありそうだった。


 フレデリカが屋敷の正面扉を静かに開く。

 どこか仄暗い空気が、微かに廊下の奥から滲んできていた。


「ご案内いたします。皆さま、どうぞこちらへ」




 ♢




 玄関を抜けた一行は、柔らかな絨毯と間接照明が灯る廊下を抜け、重厚なドアの前に案内された。


 フレデリカが静かにドアを押し開けると、そこは落ち着いた色調の応接間。木製の書棚とアンティークの調度品、そして暖炉の上には精緻なレリーフと絵画。


 氷嶺家ほどの規模ではないにせよ、十分に広く、格調ある空間だった。

 すぐにフレデリカによって紅茶が出され、高級そうなソファーに座るように促された。


「すごく綺麗な場所ですね」


 玲奈が思わず息を呑む。


「なんか、クラシック映画のセットみたいだな」


 翔太郎も見回しながら呟くが、その時だった。


 ──カタ、カタカタ……。

 どこからか、かすかに何かが動く音がした。

 誰もが足を止め、耳を澄ます。


「フレデリカ……」


「申し訳ございません、お嬢様。出てこないように言い聞かせたつもりだったのですが」


 次の瞬間。


「おっそーい! 待ちくたびれたってば!」


 鋭く響いた、甲高い少女の声。

 ただ、それ以上に衝撃的だったのは──その声の主の姿だった。


「え……? は? なんだコレ?」


「う、嘘……っ」


 翔太郎と玲奈が同時に声を上げる。


 声の主は、暖炉の上にちょこんと座っている身の丈三十センチ程の、小さな人形だった。


 真っ白な陶器肌に、淡いローズゴールドの髪をふわふわと広げ、宝石のような赤い瞳。

 レースとリボンのドレスに身を包んだ、まるで絵本の中から抜け出してきたような可愛らしい少女の姿。

 しかし、口元はキュッと尖っていて、腕を腰に当てて今にも怒鳴りそうな様子だ。


「い、今、喋った……よな……?」


「し、翔太郎! 人形が喋って……!? 目、動いてますよ……!」


 玲奈が慌てて翔太郎の腕を掴む。

 翔太郎も後ずさりながら、指をさして叫んだ。


「な、な、なんで人形が喋ってんだよ!? っていうか今、普通にキレたぞあの人形!?」


 翔太郎が目を剥いて叫ぶと、件の人形はさらに腕をバタバタと振り回しながら反撃してきた。


「失礼ね! アタシは人形じゃなくて『ソルシェリア』ってれっきとした名前があるの! 異能力者にして、この屋敷の番人なんだから!」


 人形・ソルシェリアの、アニメに出てきそうな甲高い声がビリビリと空間に響く。


「それに、あんた達の帰りが遅いのが悪いんでしょ! 何時間待たせる気よ、この腰痛製造機たち!」


「人形が異能力者……!? 喋る人形が屋敷の番人って、何だよそれ!?」


 翔太郎の脳が悲鳴を上げたその時、ようやく隣からアリシアの冷え切った声が響いた。


「……だから言ってるでしょ。人が来る時は、絶対に出てこないでって」


 アリシアはこめかみに手を当て、心底面倒くさそうにため息をついた。


「なんで、アタシがあんたの命令聞かないといけないワケ? こっちはずーっと暇してたのよ。もうホコリかぶるかと思った!」


「そんなの知らない。テレビでも見てれば良いでしょ」


「最近のゴールデンはどれも似たような芸人しか出ないの! テレビ局も視聴率稼げる上に制作費があんまり掛からないからって、グルメ番組とクイズ番組ばっかやってるから面白くない!」


「おい、喋る人形が暇つぶしにテレビを見て、最近のゴールデンを酷評するって状況にはツッコまなくていいのか?」


 普通に喋る人形と平然と会話するアリシア。

 翔太郎が引きつった笑みで二人を見ていると、ソルシェリアは仁王立ちでツンと胸を張る。


 アリシアは完全に聞き流していたが、ソルシェリアはさらにヒートアップ。


「帰りが遅いと思ったら来客? あんたに友達なんか心音ぐらいしかいないでしょ?」


「心音のこと知ってるのか?」


「当然知ってるわよ、あの子、この家に遊びにきた事あるし。見たところ零凰学園の学生みたいだけど、なんでこの家にカップル連れ込んできてんのよ!」


 ピッと指を翔太郎と玲奈に向けてくる。


「べ、別にカップルなんかじゃありません!」


 玲奈が真っ赤な顔で思わず前に出るが、アリシアが小さく手を上げて制する。


「無視していい。気にしたら負け」


「喋る人形を気にしない方が無理あるだろ」


 翔太郎は頭を抱えながら二人を交互に見ていたが、ふと気づく。この状況、突拍子もないのにどこか小気味よい空気が流れている。


 キンキン声で喋るちょっと毒舌な人形。

 だがその態度や存在感は、妙にこの屋敷に馴染んでいて、アリシアとの関係性にもどこか長年の夫婦漫才感がある。


「っていうか、誰かが異能力で操ってるワケじゃないのか? 自律型ってやつか……?」


「当たり前でしょ! アタシほどの存在がただの腹話術で済むわけないでしょ!?」


「なんで人形がドヤ顔してんだよ」


「ドヤってないし! むしろ軽く憤ってるし!」


 完全に振り回される翔太郎と玲奈に対し、アリシアはようやくソファに腰を下ろして一言。


「……疲れた。紅茶、淹れてくる」


「紅茶なら今私が淹れたばかりですよ、お嬢様」


「他の紅茶にするの。あとお菓子も持ってくるから。なんかソルシェリアの事情説明するのも面倒臭いし」


「え、この喋る人形について、何も説明なしに俺たちは置いていかれるのか?」


「知りたかったらソルシェリアに聞いて。この子お喋りだから、何でも話してくれると思う」


 アリシアはフレデリカを部屋に残し、淡々とした口調で、翔太郎たちにソルシェリアの相手をするように言いつけた。




 ♢




 お喋り──と言っても、ほとんどソルシェリアの一方的なマシンガントークであった。


「でさー、聞いてくれる? アタシ、元は人間だったらしいのよね!」


 そのトークは、いきなり衝撃的すぎるカミングアウトから始まった。


 ソファの背もたれに仁王立ちしながら、両手をブンブン振り回す人形。

 その姿に、翔太郎と玲奈は反応に困ったまま固まっていた。


「待て待て。のっけから意味分かんない会話の豪速球投げんなよ。今、なんて……?」


「だから、アタシは元人間だったの。信じられないでしょ? でも記憶はゼ〜ロ! 何もないのよ、すっからかん!」


「いやいやいやいや、そんな話あるか?」


「あるのよ! 信じなさいよ! だって目覚めたらこの姿だったんだもん!」


 ソルシェリアは肩をすくめるという動作をしたつもりらしい──そのままテンポを落とすことなく喋り続ける。


「目覚めたのは今年の1月3日! 年明け早々、気がついたらこのドールボディよ! なんでか分かんないけど、この人形に憑依しちゃったみたいでさ〜。何これオカルト!? ってアタシ自身が一番パニックになったわけ!」


「1月って……丁度5ヶ月くらい前か」


「そう。自分の正体も記憶も分からないまま彷徨ってて、このお屋敷の裏庭でポツンと転がってたアタシを、たまたまアリシアが拾ってくれて──っていうか蹴っ飛ばしかけたんだけどね、最初」


「人形蹴っ飛ばしたのか、アイツ!?」


「んで、喋れるの見てビックリして、なんやかんやで『じゃあ一応飼っとくか』ってなって、今に至る!」


「端折り過ぎだし、全く意味が分からん」


 テンポが速い。内容が重い。情報量が多い。

 だがそれよりも翔太郎と玲奈の脳が処理に困っていたのは──


「まるで、さも当然のように言ってるけどさ。魂が人形に宿るなんて、どう考えてもおかしいよな?」


「はい……あの、信じがたいですけど、信じていいんでしょうかコレ……?」


 二人は顔を見合わせて、完全にペースを乱されていた。


「信じる信じないとかどうでもいいの! 実際にこうして喋って動いてるんだから、現実と向き合いなさい!」


 ソルシェリアはぷんすか怒りながら、腕をぶんぶんと振り回す。

 中身が詰まっていないせいか、ふわふわと揺れる姿はなんとも愛嬌があった。


「あとさ、アタシってば元が誰だったのかも分からないし、人間時代は何の能力だったのかも不明! ただ、この体になったのは“何か特別な異能”が関わってるってのは、感覚的に分かるの!」


「……お前、何者なんだよ」


「だからそれをアタシが知りたいのよォ!」


 思いきり嘆くように叫び、ソルシェリアはその場でどすんとソファに倒れ込む──といっても、体重がほぼ無いので軽くコテンと転がっただけだった。


「何なんだこの展開。事件の後でクタクタのはずなのに、変なテンションで疲れ倍増なんだけど……」


 翔太郎が目を回しかけながら頭を抱えると、玲奈も苦笑混じりに頷いた。


「異能力の世界って、思ってたより奥が深いんですね」


「でしょ? だからアタシって、すっごく重要な存在っぽくない?」


 ソルシェリアは転がったまま、どこか得意げに鼻を鳴らした。

 けれど、その言葉の奥には、ふと一瞬だけ沈んだ影がのぞく。


「でも、怖くないのか? 元人間って自覚はあるのに、記憶も思い出せないまま人形になるって」


 そう問いかけた翔太郎の声には、純粋な疑問とわずかな同情が滲んでいた。


「……まぁ、最初は思いっきり悩んだわよ」


 ソルシェリアはしばらく沈黙したあと、くるりと身を起こし──ぬいぐるみのような小さな体で、翔太郎と玲奈の方を見上げた。


「誰を頼ればいいかも分からなかったし、行く宛なんてなかった。ただ、急に世界から切り離されたみたいで──何より、自分の名前すら信じていいか分からなかった。ソルシェリアって言うのも、元々この人形のタグに付いてた名前だし」


 少しだけ、声が静かになる。

 だけど次の瞬間、その瞳はどこか強く、遠くを見ていた。


「でもね、こう思うことにしたの。記憶がないのも、身体が変わったのも──意味があるからだって。アタシが生きてるってことは、まだこの物語の舞台から降りてないってことなんだってさ」


 翔太郎と玲奈が、思わず息を呑む。

 そしてソルシェリアは、にっと口角を上げて笑った。


「だからアタシは、自分を探す旅の途中なの。──全部思い出すその時まで、誰にも物語を終わらせさせないわよ!」


 その一言は、妙に重く響いた。

 まるでこの先に待ち受ける“何か”を、彼女だけが知っているかのような──そんな気配を残して。


 ──人形の身体に宿った、魂だけの存在。

 けれどその言葉には、間違いなく人間の意志が宿っていた。


 翔太郎は、ふっと小さく息をつくように笑った。


「なんか、良いな。お前」


「……は?」


 ソルシェリアが首をかしげる。

 ぬいぐるみのようなその顔が、どこか間の抜けた表情を浮かべた。


「前向きで、自分を探す旅ってのもカッコ良いな。……まだちょっとしか喋ってないけど、俺、お前のこと普通に好きになりそうだ」


「ふーん、あんたよく分かってんじゃない──って、ちょい待ち! なに急に口説きモード入ってんのよ!?」


「いや、口説いては……ない、けど?」


「はいはい、そうやってみんなアタシをその気にさせてすぐ投げるパターンね!? だ・ま・さ・れ・な・い・わ・よっ!」


「話聞けよ」


 人形のくせに、やけにエラそうに腕を組んでそっぽを向くソルシェリア。

 翔太郎は苦笑しながら肩をすくめた。


「でも、本当に誰か好きだった記憶とかないのか? 人間の時代の、そういうの」


「ん〜……実はね、記憶は曖昧だけど──いたっぽいのよ、好きな人。多分、かなり好きだった」


「えっ、そうなのか?」


「うん。顔も名前も思い出せないけど、心の奥の方が、ずっと会いたいって言ってるの。……ま、今のアタシは人形だけど──」


 ソルシェリアは、ぽんぽんと自分の胸(というか布の綿部分)を叩いて笑った。


「いつか人間に戻った時に同じこと言ってくれたなら、その時は……あんたと付き合ってあげてもいいわよ」


「──っ!?」


 翔太郎は盛大にむせた。

 目が泳ぎ、頬は真っ赤。

 完全に挙動不審である。


「な、なんだよそれ! 急にそういう訳分かんないこと言うなよ!」


「あはははっ! 照れちゃってカワイイ〜。……もしかして、案外チョロい?」


 ソルシェリアはころころ笑いながら、ぴょこんと翔太郎の膝に飛び乗った。

 人形なのでめちゃくちゃ軽い。

 そのまま上目遣いで見上げてくる。


「そんな反応されたらさ〜、ちょっと本気にしちゃいそうじゃない?」


「顔近いっての。人間相手ならともかく、人形相手に照れる訳が──」


 翔太郎は戸惑いつつも、明らかに照れている。

 ソルシェリアも満更ではない様子で、その場の空気だけがやけに甘くなっていく。


 だが、次の瞬間だった。


「……人形相手に何本気で照れてるんですか?」


 玲奈が、低く、淡々とした声で呟いた。

 顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

 が──その目は全然笑っていない。

 むしろ、刺さるレベルで冷たい。


「べ、別に! 照れてなんか──!」


「“好きになりそう”って言ってたじゃないですか。堂々と」


「いやあれは、その、こう……人生観として? リスペクトの方向で?」


「ふぅん……良かったですね。人形にモテて」


 にっこりと微笑む玲奈の背後に、明らかに圧を感じた。


 あれは気のせいではない。

 物理的に冷気が発生していた。

 和やかだった空気は今、見事にホラーの季節に突入している。


「話聞いてよ、玲奈さん……!」


「知りません。……まさか、翔太郎が布と綿に欲情するとは思いませんでしたけど。人形趣味とは新境地ですね」


「言い方がひどい! いや、ちょっと待って!? そこまで言ってないから!?」


「そうよ! 今のは人形差別よ!」


「お前は黙ってろや!」


 ギャーギャー喚く二人を他所に、玲奈はぷいっとそっぽを向いたが、耳までほんのり赤い。


 しかも何かぶつぶつと聞こえる。


「──人形のくせに、男の子を揶揄うとか意味分からないんですけど……」


 どうやら、完全に拗ねていた。

 いや拗ねたというより、悔しくてムキになってる小動物のようである。


「全く、ちょ〜っといたいけな男女をからかってあげただけなのに、女の方が大地雷だったのね〜?」


 ソルシェリアは面白がるようにくるりと回転し、そのままソファにぴょんっと飛び乗る。


「ま、どっちが本命かは、いずれ白黒つけてもらうとして……今日もアタシの可愛さが世界を狂わせてるってことで!」


「お前は鏡でも見てろ」


「わりと毎日見てますけど〜? めちゃ可愛い!」


 翔太郎はその場に膝をついた。


 ──人形に煽られ、女の子に睨まれ、なんだこの精神ダメージの三連コンボは。

 彼は頭を抱えながら、ふと天井を見上げた。


(……静かな館だと思ってたのに、なんか想像以上にうるさいぞ、ここ)


 でも、先ほどの保健室の張り詰めた雰囲気よりはずっと悪くないかもしれない。




 ♢




 ソルシェリアの怒涛のマシンガントークがようやく終わり、リビングには静寂が戻っていた。


 ひとしきりアリシアやフレデリカ以外の人間と、久々の会話を堪能した彼女は、満足げにソファに沈みこみ、あっさりと寝息を立て始める。

 フレデリカが毛布を肩に掛けてやると、翔太郎は視線を扉の方へ向けた。


「……フレデリカさん。アリシア、紅茶を淹れに行ったまま、もう30分は戻ってきてない気がします」


「ええ。あれも、皆さんから離れるための方便ですよ」


「え?」


「ソルシェリアが落ち着くまで待ってはいるんですが……お嬢様って、こういう時、実に分かりやすく距離を取るんですよね」


 フレデリカは苦笑を浮かべながら、手にしたカップを揺らした。

 しかしその瞳は、揺れる紅茶ではなく、はるか昔のどこか遠い記憶を見ているようだった。


 翔太郎はしばし黙っていたが、やがて、静かに問いを発した。


「アリシアをあんな風にしたゼクスって……どんな人間なんですか。アリシアから聞ける雰囲気じゃなさそうなので……代わりに、教えてほしいです」


 フレデリカの指先が、カップの縁で止まる。

 まるで、時が一瞬だけ凍りついたかのように、沈黙が落ちた。


 そのまま彼女は、ゆっくりとまぶたを閉じる。

 睫毛が微かに震え、数秒の呼吸の後──囁くような声が落ちた。


「……本当は、言うべきではないんですけどね」


 まるで自分に言い聞かせるように、吐息と共に。


 そして、背をソファに預けながら、ほんの少しだけ視線を上に向けた。


「でも……まあ、貴方たち二人は、もう“当事者”なのでしょう。少しくらい話しても、きっとバチは当たらない……はずです」


 カップをそっとソーサーに戻しながら、彼女は言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「その代わり──私から聞いたことは、お嬢様には決して言わないでください。あの方は、自分の話を誰かの口で語られることを、ひどく嫌いますから」


「分かりました」


 翔太郎が頷くと、フレデリカは短く息を吐き、ほんの一瞬、遠い過去を振り返るようにまぶたを閉じる。


 やがて彼女の唇が、少しだけ苦笑を帯びながら開かれた。


「──これは、炎に愛され、炎に呪われた……そんな、一人の少女の物語です」


 そう言った彼女の声音には、どこか詩的で、凍てついた時間をそっと指でなぞるような静けさがあった。

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