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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
47/93

第二章13 『共通点』

「──事件が起きたのは、去年のクリスマス。2024年12月25日の夜だった」


 アリシアの声は、まるで風の音のように静かだった。


 自販機の前のベンチに腰かけ、黒猫を膝の上に抱きながら、彼女は淡々と語り始める。

 それは数字や事実を並べるような、機械的な口調。

 けれど──語られている内容は、そんな冷静さでは到底済まされないものだった。


 翔太郎は、すぐにその異質さを察した。

 言葉のトーンは穏やかなのに、心がざわつく。

 まるで、足元に落ちた影だけが先に動き出したような不穏さがあった。


「去年、この学園島では零凰学園が主催したクリスマスパーティーがあったの」


「クリスマスパーティー?」


「対象者は全校生徒。任意参加だったけど、大半は出席していた。特に上級生たちは学園島ではなく、島の外にある別会場でのパーティーに参加してた」


「ってことは……学園島に残ってたのは、当時の1年生だけか。つまり、アリシアたちが──」


「うん。私たちと、一部の教職員だけ」


 アリシアは静かに頷いた。


「──そこで、事件は起きた」


 アリシアの声は、変わらず平坦だった。

 それでも、翔太郎の胸には妙な圧迫感が広がっていく。

 言葉の一つひとつが、じわじわと心を締めつけていくようだった。


「生徒たちが、次々と倒れていったの。意識を失ってるけど死んではない。理由は分からないけど、魂の抜け殻になって」


 淡々と語られるその一言が、想像を絶していた。

 魂の抜け殻──あまりにも現実離れしたその表現が、かえって異様な生々しさを持って迫ってくる。


 翔太郎の背筋に、ぞわりと冷たいものが走った。

 彼女の口から、そんな言葉が出てくるなんて思ってもいなかった。


「魂が、抜かれる……?」


 思わず、心の中で反芻する。

 映像も匂いも残らない。

 ただ魂を喰われるという言葉だけが、脳裏に焼き付いた。


「被害者は全部で十七人。その中に──影山龍樹の幼馴染がいた。水橋美波(みずはしみなみ)。……彼女も倒れた」


 一瞬、名前に聞き覚えがあると気付く。

 確か玲奈が言っていたのを思い出した。

 影山と口論していたあの朝、「水橋さんは休学している」と。


 その時は、特に気にも留めなかった。

 だが──今、その背景にあるものが見えた気がして、翔太郎は言葉を失った。


「影山の幼馴染か……」


 無意識の内にそう呟いていた。

 誰に向けた訳でもない、ただの確認。

 けれど、自分でも驚くほど声が掠れていた。


「事件の首謀者は、海道杏子(かいどうきょうこ)という少女。私たちと同じ一年生。──推薦枠で零凰学園に入学してきた子だった」


 アリシアの顔には、変化がない。

 けれど翔太郎には分かる。

 彼女は感情を押し殺しているわけじゃない。

 最初から、そういう感情を語る必要がないという、冷徹な選択をしているのだ。


「海道杏子は異能力で、多くの生徒の魂を喰らった。直接的な攻撃じゃない。ただ──彼女に触れられた瞬間に、魂が抜かれる」


「な……なんだよ、それ」


 声が震えた。

 恐怖でも、怒りでもない。

 もっと根源的な、理解の外にあるものへの困惑だった。


 魂を抜く異能力。

 対象に触れただけで、心を奪う力。

 それは、もはや戦いですらない。

 ただの一方的な蹂躙だった。


 翔太郎の脳裏に、ふと浮かんだのは夜空の革命の存在だった。

 見境なく命を奪い、理屈も正義もない暴力で全てを塗りつぶす連中。海道杏子のやったことは──やり口だけを見れば、あのテロ組織と何も変わらない。


「事件の対応に当たったのは、今の十傑メンバーである私、心音、影山龍樹、風祭涼介。それと残っていた職員。でも、私たちはまだ未熟だった。……犠牲は止められなかった」


 アリシアの声が、ほんの一瞬だけかすれたように聞こえた。

 気のせいかもしれない。けれど──それでも、そこには確かに痛みがあった。


 翔太郎は、思わず口を開いた。


「そんな中で戦ったのか? アリシア達だって、まだ一年生だったんだろ?」


「もう、それしかなかったの。放っておけば、もっと多くの魂が喰われていた」


 語り口は変わらない。

 静かで、どこまでも淡々としている。


「最終的に、海道杏子の肉体は消滅した。影山龍樹が徹底的に攻撃してたのもあるけど……多分、多くの魂を取り込みすぎたことで、彼女自身の肉体が持たなかったんだと思う」


「つまり自滅か?」


「そう。でも、あの事件は単なる異常者の暴走──それだけで終わらせられるものじゃなかったの」


 夜の空気が、ぐっと重みを増す。

 翔太郎は静かに息を呑み、隣に座るアリシアの横顔を見つめた。

 彼女は、まだどこも見ていない。

 ただ前を向き、まるで記録を読み上げるように語っていた。


「彼女は推薦生だった。そして──彼女を推薦した推薦者や保護者は、事件の直後に突然、姿を消した」


「姿を消した?」


「うん、特に彼らに対して社会的な処分は何も課されなかった。ただ、いなくなっただけ。誰も居場所を知らない。だから事件の責任を取る人間もいなかった」


「そんな……」


 思わず、翔太郎の口から言葉が漏れる。

 その声には、反射的な動揺が混じっていた。


 理解できない。

 許されるはずがない。

 だが、それでも誰も咎められていない。


「学園は推薦制度を見直さなかった。形式上の改革はあったけど、制度そのものは今年も続いている。──だから、推薦生への風当たりは、以前よりずっと厳しくなった」


「……事件の後、被害者たちはどうなったんだ?」


 言葉を探しながら、翔太郎は尋ねた。


「海道の肉体が消滅したことで、大半の生徒の魂は元に戻った。でも──ただ一人、水橋美波だけは後遺症が残ったまま。今も入院してる」


「…………」


 翔太郎は、ようやく気付いた。


 推薦生に向ける、あの視線。あの空気。

 ただの妬みや偏見だけではなかったのだ。


「影山龍樹はその現場で、自分が幼馴染を守れなかったことをずっと気にしている。彼が推薦生を、そして制度そのものを憎む理由はそこにある」


 アリシアが、初めて翔太郎の方を向く。

 その目に感情の色は薄い。

 だが、語られる内容はどこまでも重かった。


 そして、伝わってくる。

 これは事実だ。偽りのない記録だ。


「──だから、貴方が推薦生として認められようとすればするほど。彼の憎しみは、より深くなるかもしれない」


 その言葉は、まるで冷たい雨のように翔太郎の胸に落ちてきた。

 音もなく、確かに染み込んでいく。


「……知らなかった。そんな事があったなんて」


 ぽつりと漏れた翔太郎の声は、思わず出た本音だった。

 事実の重みが、じわじわと胸に沈んでいく。


「私たちも、事件の全てを知っている訳じゃない。なぜ海道杏子があんなことをしたのか──今でも、はっきりした理由は分かっていないの」


 アリシアの声は変わらず淡々としている。


「だって犯人は消滅したし、彼女の保護者も推薦者も……事件の後、跡形もなく姿を消した。誰も行方を知らないから追いようがない」


 翔太郎は返す言葉を探すように小さく息をついた。


「……じゃあ残ったのは、被害と憎しみだけか」


 翔太郎の声には、どうしようもない虚しさがにじんでいた。

 ただ理不尽だけが残された──そんな現実に、胸がざらつく。


「そう。事件が終わった後も、私たちは後始末と偏見の中で過ごした。何も知らない人たちに、ただ推薦生というだけで見下されて。……逃げ場なんてなかった」


「でも、それって……おかしいだろ?」


 翔太郎は思わず身を乗り出すように言った。

 言葉が先に出ていた。

 それだけ、胸の奥に引っかかるものが強かった。


「悪いのは海道杏子だろ? たまたま海道が推薦生だったってだけで、他の推薦生まで責められるなんて理屈が通らない」


 その言葉には、自分が推薦生だという立場以上に、それでも間違ってるものは間違ってるという真っ直ぐな想いが込められていた。


 だが、アリシアは首を横に振る。


「確かに、貴方の言ってることは正論。けれど──それはあくまで、推薦生側の理屈」


「え……?」


「“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”。そういう感情が、人にはあるの。たとえ本来の原因が別にあっても、近いもの全てが憎まれることがある。……推薦制度も例外じゃなかった。海道が推薦生だったという、それだけの理由で、制度全体が忌避された」


 翔太郎は言い返そうとして──けれど、何も言えなくなった。


「……っていうか、元々一般入学した生徒たちからは、あんまり好かれてなかった制度だったんでしょ? 推薦制度って」


「うん。特別枠なんて、そもそも一般生からすれば反感を買いやすいものだった。だからあの事件は、ただ嫌悪を加速させる燃料になっただけ」


 翔太郎の喉がごくりと鳴る。

 正しいことを言えば届くわけじゃない。

 それが、零凰学園という場所なのか──そう思い知らされる。


 アリシアはちらりと彼を横目で見て、小さく肩をすくめた。


「……まぁ、今となっては私は十傑第九席。去年ほど露骨に嫌われることは少なくなったけど」


「……」


「貴方も、パートナー試験で1位を取った。だからその内、周囲の見る目も変わると思う。──実力は、偏見すら黙らせることがあるから」


 翔太郎は黙ったまま、アリシアの言葉を胸に落とし込んだ。

 何が正しいかではなく、何を選び、どう進むか──ここでは、それがすべてなのだと。




 ♢




 アリシアと長く話し込んでいた事で、翔太郎が教室を出てからもう三十分以上が経っていた。


 空はすっかり茜色に染まり、校舎の影が地面に長く伸びている。

 二人が座る自販機前のベンチにも、淡い夕闇が差し込んでいた。


 翔太郎はふぅと小さく息を吐いて、ようやく言葉を口にした。


「……にしても、アリシアって結構喋るんだな」


「そう?」


「うん、もっと淡々としてるかと思ってた。必要最低限しか話さないタイプっていうか……」


「貴方が影山龍樹の過去を教えてほしいって聞いてきたんでしょ。だから答えただけ」


 そっけない返事に思わず苦笑する。


「まあ、それはそうなんだけどさ。それでも、あそこまで丁寧に説明してくれるとは思ってなかった。学園のことについて、色々知れた気がする」


「そう。なら良かった」


 翔太郎の礼に、アリシアはやはり心のこもっていない相槌を返すだけだった。

 義務を果たした──それだけの態度。


 けれど、翔太郎にはその不器用なやり取りも、どこか嫌いになれなかった。


「ありがとう。今日、アリシアと話せてよかった」


「……」


 一瞬だけ、アリシアがまぶたを伏せたように見えたが、特に何を返すでもなく、彼女はただ自販機の方を見つめている。


 沈黙が落ちた。

 だがその静けさも、すぐに翔太郎の言葉で破られた。


「でも、やっぱ分かんないんだよな……。海道杏子って、なんでそんな事件を起こしたんだろう」


「……それは、私に聞かれても困る」


「まあ、そうだよな」


 ぼそりと呟いたその声に、アリシアは首を傾けた。


「理解しようとしても無駄だと思う。彼女はもういないし、推薦者も消えた。動機も背景も、全ては闇の中」


 アリシアの言葉に、翔太郎は思わず空を仰いだ。

 茜に染まる雲が、形を変えながら流れていく。


 ──魂を喰らう異能力。

 触れただけで、命が奪われる。


 その光景は、翔太郎の記憶の奥底に眠る“あの日”と重なっていく。


 一瞬で人が死に、叫び声が消え、笑っていた顔が地に伏せた。

 鳴神村を襲った、理不尽で圧倒的で理解の及ばない暴力。

 あれこそが本物の悪だった。


 言葉では説明できない。

 けれど確かに──似ていた。


 大勢の魂を喰らった女。

 そして、笑いながら村を燃やした黒い集団。

 翔太郎の胸の奥に、冷たく、鋭い何かが突き刺さる。


「……まるで、夜空の革命じゃないか」


 その言葉は、ごく自然に、翔太郎の口から零れた。


 ただの独り言のつもりだった。

 誰に向けたわけでもない。

 ただ、そうとしか思えなかった。


 ──だが。




「──今、なんて言ったの?」




 空気が一瞬で張りつめた。

 静寂の中、低く鋭く響いたその声に、翔太郎の背筋が凍る。


 隣にいたはずのアリシアが、いつの間にか真正面に立っていた。

 彼女の右手が、まっすぐに翔太郎へと突き出されている。

 指先には、血のように紅い炎がぼうっと灯っていた。


 無風のはずなのに、衣服が揺れた気がした。

 重力さえも変わったような、圧迫感。


「……アリシア?」


 ようやく口を開いた翔太郎の声は、わずかにかすれていた。


 だが、アリシアは応えない。

 その瞳が、翔太郎の目をまっすぐに射抜いている。


 冷たい。

 けれど、どこか揺れている。

 いつもの淡々とした彼女ではなかった。


「もう一度言って。今──なんて言ったの?」


 声が震えていた。

 怒っている──そう思うにはあまりに鋭く、あまりに深い。

 怒りよりもずっと強く、複雑な何かが、その言葉の裏に潜んでいた。


 翔太郎はその目に、思わず息を飲んだ。

 鋭く射抜くような視線。

 視線だけで、身動きを封じられたようだった。


 まるで狙われている。

 指先に灯る紅い炎が、冗談でないことを告げている。


 頭の中で警鐘が鳴る。

 だが、それ以上に別の考えが浮かび上がってきた。

 この反応──もしかして。


「……お前、まさか連中のことを知ってるのか?」


 気付けば、言葉が口を突いていた。

 聞くつもりなんてなかった。

 けれど、口をついて出たのは、それだけ彼女の反応が常軌を逸していたからだ。


 アリシアの表情がピクリと動いた。

 その瞬間、背筋に冷たいものが走る。

 無表情の仮面が、僅かにひび割れた気がした。


 瞳の奥に走る、鋭い光。

 理性の裏に隠された何かが、今にも溢れ出しそうになっている。


 指先に灯る炎が、跳ねるように激しく揺れた。

 その揺れが、彼女の内側で揺れている感情を代弁しているかのようだった。


「聞いてるのは、私の方」


 低く震える声。

 怒っているわけではない。

 だが、怒りよりもずっと深く、熱く、そして危うい何かがあった。


 翔太郎の心拍が跳ね上がる。

 まるで何かを踏み越えてしまった感覚。

 一線を越えた、そんな確信。


「どうして……貴方が、夜空の革命を知ってるの?」


 語気が強くなる。

 アリシアの目が揺れている。

 その奥には、明確な動揺があった。

 翔太郎は、それを見逃さなかった。


「どこで、それを聞いたの? 誰から教えられたの? どうして──どうしてそれを、“まるで”なんて軽々しく口にしたの……?」


 その声音は、静かでありながら切迫していた。

 怒鳴りもしない、詰め寄りもしない。

 それなのに、逃げ道のない重圧だけが迫ってくる。


 翔太郎は、ただ息を呑むしかなかった。

 声を出そうとしても、喉が詰まる。


 ──怖い。


 目の前の彼女が、何よりも怖かった。

 理屈じゃない。異能力でもない。

 ここまで感情を露わにするアリシアを、翔太郎は初めて見た。


(まさか、アリシアも──)


 脳裏に浮かぶ仮説に、胸がざわつく。

 彼女は知っている。夜空の革命のことを。

 だとすれば、どこまで? いつから? どうして?


 何かが噛み合わない。

 彼女はあくまで、ただの高校生のはずだ。

 推薦生で、十傑で──けれどその奥に、知らない彼女がいる。


 アリシアの炎が目の前まで近付いた。

 揺れる光が、翔太郎の頬を照らす。


「今のは冗談でも、軽口でも済まされない」


 その声には、もはや淡々とした口調の片鱗すら残っていなかった。

 抑え込まれていた激情が、ひび割れた面の下から滲み出てくる。


「さっき、私は影山龍樹の過去を知りたいっていう貴方の質問に答えた。……今度は、貴方が答える番」


 アリシアの声は冷静だった。

 けれどその静けさは、鋭利な刃物のようだった。

 一切の逃げ道を許さない、そんな問いかけ。


 翔太郎は、一度深く息を吐いた。

 視線を逸らすこともできず、拳を握りしめる。

 頭の中で、言葉がまとまらない。


 ──言うべきじゃない。


 ずっとそう思っていた。

 この過去は、自分一人のものだ。

 誰にも話す必要なんてない。

 話したところで、何も変わらない。


 けれど、アリシアの瞳はまっすぐにこちらを見据えていた。

 冷たく、けれど揺れていた。

 彼女もまた、何かを背負っている。

 そう感じてしまった瞬間、心のどこかで決壊するものがあった。


(……もう、隠していられる状況じゃない)


 それは覚悟ではなかった。

 ただ、必要なことだと、理屈ではなく本能が告げていた。


「……夜空の革命っていうのは、異能力を悪用して世界中で事件を起こしてる国際テロ組織だ」


 喉の奥から掠れるように、言葉が出る。


「昔、俺の故郷は──奴らによって滅ぼされた」


 その言葉を口にした瞬間、全身が強張る。

 喉の奥が焼けるように痛い。

 だが、言い切った。


 アリシアは、じっと翔太郎を見つめていた。

 その視線は揺れていた。

 驚愕とも、恐怖とも、哀しみともつかない。

 ただ、何かを受け止めようとする意志だけがそこにあった。


 やがて、指先の炎が静かに消えていく。

 手が下ろされ、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。


 だが、安堵などなかった。

 むしろ──ここからが始まりだと、身体が告げている。


 翔太郎の胸の奥で、ずっと押し込めていた記憶が軋んで揺れた。

 燃える村、崩れ落ちる笑顔、助けられなかった声。


 その記憶が、今のアリシアの表情と重なって見える。


 ──アリシア・オールバーナーは、夜空の革命を知っている。


 それは確信だった。

 だが、その知識は偶然にしては深すぎる。

 あの名に対する反応、感情の揺れ、そして言葉にこめられた怒気。


 彼女はどこまで知っているのか。

 なぜ知っているのか。

 そしてなぜ──これまで黙っていたのか。


 翔太郎は、その問いを呑み込んだ。

 今は、投げかけるには早すぎる。


 だが一つだけ、確かなことがあった。

 互いに、一線を越えた。

 踏み込んではならない領域に、踏み込んでしまった。


 この話は簡単には終わらない。

 翔太郎は、そう確信していた。


 アリシアの視線が、まだ翔太郎に注がれていた。

 彼女の中にある何かが、今にも溢れ出しそうなほどに張り詰めているのが分かる。

 このまま一歩でも踏み込めば、きっと──もう引き返せない。


「夜空の革命について知ってる事を──」


 アリシアの言葉に翔太郎は息を呑んだ。

 もう、過去の続きを語るのは無理だった。

 自分の中の何かが、これ以上を拒んでいる。


 その時だった。

 ポケットの中でスマホが震え、着信音が鳴り響いた。


(……玲奈?)


 画面に表示された名前に、翔太郎は一瞬だけ戸惑い、そして指を伸ばす。

 アリシアが何かを言いかけたようだったが──翔太郎はその視線を受け止めることすらできず、そっとスマホを耳に当てた。


「──もしもし?」


『今、どこにいるんですか?』


 開口一番、玲奈の声はどこか冷たかった。

 言葉の端に、僅かに刺がある。

 その一言で、翔太郎は「あ、ちょっと怒ってるな」とすぐに察した。


『教室を出てから、もう三十分以上戻ってきてませんよね。……もう、みんな帰っちゃいましたよ』


「あ……そうだったな。悪い、ちょっと人と話し込んでて」


 気まずさをごまかすように曖昧に答える。

 だが、若干不機嫌な玲奈の追及は止まらなかった。


『人と? 誰とですか?』


「いや、別に大した話じゃなくて……たまたま外で会って、ちょっと雑談をな」


『……もしかして、喋ってた人って白椿さんですか?』


 思わぬ名前に、翔太郎は一瞬だけ反応が遅れた。


「え? 別に違うけど?」


『本当に?』


「本当だよ。玲奈は何でそんなこと気にすんだよ?」


『いえ、別に……。前にも翔太郎は学食にいる私を放置して、自販機のベンチの方で白椿さんと話し込んでいたので、もしかしたらと思っただけです」


「なんか言い方に棘があるって」


 玲奈の声は落ち着いていたが、何とも言えない微妙な間が挟まる。

 その裏にある感情は、少し読み取れた。


「てか、玲奈って今教室にいるのか? もしかして一人?」


『その通りです。私は今、超無防備です。一応、翔太郎はフードの女の件で、私の護衛も続けてくれてるんですよね?』


「ああ、もちろん」


『……だったら、護衛対象から少しでも目を離すのは如何なものかと』


「ほんとごめん。今すぐ戻るから」


 返事の声は、どこか緩んでいた。

 口調こそ厳しめだが、どこか安心しているような、そんな響きも混じっている。


『いえ……私の方こそすみません。元はと言えば、私が話し込んでたのが悪かったですよね』


「いやいや、こっちこそ。なんか空気が重くなっちゃってて、気が抜けたよ。玲奈の声ってやっぱり落ち着く」


『……そうですか?』


 玲奈の声が、少しだけ柔らかくなった気がした。


『その……私は、別に急いでほしいとか、そういうわけじゃないんです。ただ……その……』


「うん、分かってるよ。だから、すぐ戻るって。玲奈が一人で教室で待ってるなら、尚更さ」


『……はい。待ってます』


 言葉の最後が、ほんの少しだけ甘かった。


 通話が続いている間、アリシアは一言も発さなかった。

 視線も合わせず、ただ静かにその場に立っている。

 彼女の周囲に漂っていた炎の気配も、完全に沈黙していた。


 けれど──それが、かえって重い。

 玲奈との会話を終えたあとにもかかわらず、空気は軽くならなかった。


 むしろ逆だ。

 目には見えない、得体の知れない重圧がアリシアの周囲に立ち込めていた。

 今も彼女は、先ほどまでとは違う。

 どこか触れてはならない静けさを纏っている。


 翔太郎はスマホを耳から離したまま、しばらくその場で静止した。


「俺、もう行くよ」


 それ以上は何も言えなかった。

 アリシアに言葉をかけるべきか、目を合わせるべきか──それすらも判断がつかない。ただ、一つだけ分かるのは、このまま話を続けるのは、きっと良くないということ。


 だから彼は、そっと背を向けた。


「待って。まだ話は終わってない」


 足が動きかけたその瞬間、アリシアの声が刃のように背中を突き刺す。


 それは懇願ではなかった。

 問いかけでも、慰留でもない。

 冷たく、鋭く、ただ意志だけが込められていた。


「……なんでアリシアが夜空の革命を知っていて、そんなに動揺してるのか、俺には分からない。でも、知ってるなら尚更だ。関わらない方がいい。奴らに関わると、まともじゃいられなくなる」


 彼の声は、珍しく低く沈んでいた。

 それは忠告ではない。

 誰よりも痛みを知る者の、真摯な叫びだった。


 翔太郎がこの話題を避けたいのは、単なる怠慢ではない。

 心の奥に拭いがたい傷があるからこそだ。


 だが──それでも彼女は一切引かなかった。


「故郷を、滅ぼされたって──さっき言ってた」


「……」


「私も、夜空の革命に祖父を殺されてる」


 その一言は、まるで重い鐘の音のように翔太郎の胸を打った。


「な──」


 思わず言葉が詰まる。

 それは、あまりにも自分の過去と重なりすぎていた。

 信じられない、いや──信じたくないほどに。


「アリシア、お前も……」


「だから、夜空の革命の足取りを少しでも知りたいの。何か、ほんの僅かな情報でもいい。私は……奴らと戦える力を身に付けるために零凰学園に来たの」


 アリシアの目は、揺れていなかった。

 その瞳には、悲しみも憎しみも焼きついている。

 それでも、その奥にはもっと強い、確かな意志が燃えていた。


 ──絶対に、逃さない。

 今この瞬間に手繰れる情報を、決して無駄にはしないという決意。


「アリシアも、テロの被害者だったのか……」


 自分と同じように、愛する者を奪われ、世界が一変した人間がここにもいた。

 衝撃と戸惑い、そして奇妙な共感が、翔太郎の胸を揺らす。


「それなら……教えてやりたい。でも、俺もあいつらについて知ってることは、ほとんどないんだ。知り合いに探してもらってはいるけど……まるで足取りが掴めない。影すら見えない」


「……本当に何も?」


 アリシアは一歩踏み込む。

 静かな声の中に、焦りと切実さが滲んでいた。


「ああ。本当に何も……俺自身だって、何度も夢で見るくらいで……。組織の名前も、フードで隠した顔も……あの夜の光景すら、未だに鮮明だってのに」


 翔太郎は苦々しく笑った。

 それは記憶に囚われ、振り切れずにいる人間の、どうしようもない呟きだった。


 アリシアはそんな翔太郎の表情を、わずかに悲しげに見つめた後──それでも、言葉を紡ぐ。


「……そう。なら、私から一つだけ教えてあげる」


 アリシアが少しだけ間を置いて、目を細める。


「あなたの推測、当たってると思う。海道杏子──彼女は、夜空の革命によく似ている。私は彼女も、実は組織の一員だった可能性が高いと考えてる」


「……え?」


 一瞬、何か聞き間違えたかと思った。

 だがアリシアは、真っ直ぐに翔太郎を見据えて続ける。


「異能力の性質。ゲリラ的に起こした事件の手口。そして、あの時彼女が着ていた黒いフード。全部が、過去に夜空の革命が引き起こした事件と一致しているの」


 翔太郎の目の奥が揺れた。


「本気で、そう思ってるのか?」


「本気。少なくとも、ただの偶然じゃないと思ってる」


 アリシアの声は冷静だったが、その奥には確信が滲んでいた。


「夜空の革命に関わる者たちは──あの黒いフードをただの衣服じゃなく、儀式服のように扱っている節がある」


「儀式……?」


 翔太郎は眉をひそめる。


「そう。行動の節々に、そう感じさせる傾向があるの。大勢の人間を殺す時や、世界に向けて何かを誇示する時──あの黒いフードを必ず被っている」


「黒のフードか……」


「事件を起こす時、あるいは大勢の人間を殺す時、必ずそれを身につける。私の祖父が殺された時も、相手は黒いフードを被っていた。彼らの姿を見た人間は少ないけど、テロ被害の生き残りからの報告が世界中でいくつもある」


 確かに、アリシアの言う通りかも知れない。

 必ず夜空の革命は事件を起こす際にフードを被る。


 夜空の革命の目撃者は極めて稀である。

 なぜなら、連中は事件を起こした際に目撃者が出ないように全てを殺し尽くすからだ。


 事実、鳴神村災害が起きた際も、狙いは陽奈だけだったが、あの村に住んでいた翔太郎以外の全ての人間が皆殺しにされた。


「海道杏子も、その事件の最中──同じようにフードを被ってたのか?」


「ええ。あのクリスマスの夜。彼女が教職員を襲い、無数の生徒たちの魂を“喰った”とき──彼女は黒いフードを身につけて現れた。しかも、まるで何かの儀式を始めるみたいに、ゆっくりと。堂々と」


 翔太郎は息を呑んだ。

 思い出す。あの忌まわしい炎に包まれた夜のこと。

 村を襲ったあまりにも理不尽な暴力。

 そして、残された何の説明もない痕跡。


「でも、それだけじゃ偶然かもしれない。黒いフードなんて、探そうと思えばどこにでもあるし──」


「問題はそこじゃない」


 アリシアが静かに言葉を遮る。

 その瞳が、鋭く翔太郎を見据えた。


「海道が使った異能力、“魂そのものを媒体にして相手を喰らう”っていう性質。……それも、夜空の革命が使う能力と極めて近いものなの」


「……!」


 翔太郎は無意識に拳を握っていた。

 胸の奥から、じわじわと怒りとも焦燥ともつかない感情がこみ上げる。


「同じ系統の力ってことは、零凰学園で起きた事件以外にも魂が抜け殻になる事例があったってことか?」


「うん。報告は限られた数しかないけど」


 アリシアの瞳が、鋭く翔太郎を射抜く。


「別に起きた魂喰い事件と同系統の力。少なくとも、そういう風に私は感じてる」


「もしそれが本当なら、海道は夜空の革命と何か関わりがあったってことか」


「彼女の異能力は、既知の分類に入らない。調査しても明確な系統や弱点が見えなかった。まるで、他人には再現も分析もできないオリジナルの異能力みたいだった。……夜空の革命のメンバーも、そう」


「……!」


「それに、彼女には推薦者がいたはず。なのにその人物は事件後に失踪して、詳細は一切不明のまま。あのタイミングで消えるなんて、あまりにも不自然」


 翔太郎は黙り込んだ。

 静かに震えていた。


 夜空の革命。海道杏子。黒いフード。

 魂を喰う異能力。そして、推薦制度の闇。

 全てがどこかで繋がっているような気がした。

 アリシアの言葉が、翔太郎の胸の奥を貫く。


「アリシア。お前、そこまで調べてたのか……?」


「私は夜空の革命に祖父を殺された。だから来たの。ここで力をつけて、必ず探し出す。それだけのために──私は今、零凰学園にいる」


 彼女の言葉に嘘はなかった。

 その声に込められた覚悟は、鋼のように冷たく、重かった。


「あっ」


 彼の唇から、小さく思い出したような声が漏れた。


「何?」


 アリシアが眉をひそめる。


「いや、ちょっと……今、思い出したんだ。関係あるかは分からないけど……」


 翔太郎は額に手をやりながら、言葉を探すように口を開く。


「入学式の翌日の放課後、覚えてるか? 学園島の公園で、不審者が出たって騒ぎになった」


 アリシアは一瞬目を細めた。


「……不審者。確か生徒の一人が襲われて、それを別の生徒が撃退したって話? 教員経由で耳に入ってるけど」


 あの騒動は凍也が情報統制していたとは言え、不審者情報自体は学園島に通達されていた。


 次の日の朝のホームルームにて、岩井がA組の生徒たちに通達したことからも、他クラスや他学年にも不審者が出たことについては伝達してる様子だ。


「あの時に襲われたの、玲奈だったんだ」


「──なっ」


 アリシアの顔色が変わる。


「撃退したのは、俺。たまたま居合わせて……」


「ちょっと待って。それ、今初めて聞いたんだけど?」


 アリシアが一歩、前に出る。

 翔太郎は少し後ずさりながら、肩をすくめた。


「玲奈の家の人間が個人情報の保護とかで、詳細は伏せたままだったんだ。俺も、誰にも言うつもりは無かったんだけど……」


「別にそれはいい。で? その襲撃者って、どんな奴だったの?」


 翔太郎は一拍、息を整えてから言った。


「──黒いフードを深く被った女だった」


「っ……!」


 アリシアの手が、思わず翔太郎の制服の胸元を掴みかける。


「何で、それをもっと早く言わないの!」


 アリシアが睨むように目を細め、掴みかけた手をゆっくりと引っ込めた。


「……続けて」


 翔太郎は頷き、静かに語り始める。


「奴は理由も素性も何も分からないまま、いきなり現れて玲奈を襲った。俺がその場にいたから、異能力で応戦して追い払ったんだよ」


「その女、何か言ってた?」


「ああ。一言だけ。やっぱり生きてたんだ、お兄さんって」


 アリシアの表情が凍りついた。

 まるで、何かが一致したかのように。


「零凰学園の生徒を狙っていて、テロ被害に遭った貴方が生きていると知っていて、黒いフード姿……海道杏子が本当に組織のメンバーだったなら、夜空の革命の関係者だと見ていい」


 翔太郎はそのときの情景を思い返す。

 湿った風。海の匂い。驚いていた玲奈の表情。

 そして、こちらの姿を見ても一切動じなかった、あの女の目。


「あの襲撃、偶発的には思えなかった。玲奈が狙われる理由も説明がつかないし、何より──あの女の態度が異様だった。俺の存在に一切動じないどころか、何か確信めいたものを持ってた」


「今も、その女の動向は分からないの?」


「完全に逃げられた。追跡も無理だった。……それ以来、玲奈もずっと気にしてる。だから俺が護衛って形で一緒にいるんだ。今でも──狙われる可能性があるから」


 翔太郎の言葉に、アリシアはしばし沈黙した。


 陽奈と、アリシアの祖父を殺した黒いフード。

 海道杏子があの夜に身につけていた黒いフード。

 そして、玲奈を襲った黒いフードの女。


 すべてが単なる偶然だとは思えなかった。


 ──いや、もしかしたら黒いフードというだけで、勝手に夜空の革命に連想つけているだけなのかも知れない。


 だが、翔太郎とアリシアは互いにテロの被害者。

 それぞれの周囲で起きた事件のいくつかに、共通して、黒のフードが映り込んでいることは事実だった。


「……やっぱり、何かが繋がってると思う」


 アリシアの声は低く、しかし内に強い決意を孕んでいた。

 その瞳の奥に浮かぶ静かな怒りは、他者には決して理解できない重さを帯びていた。


「携帯を出して。鳴神翔太郎」


「え? あ、ああ」


 唐突な指示に戸惑いつつも、翔太郎はポケットからスマートフォンを取り出す。


 アリシアは無言で自分の端末を操作し、無機質な音と共に画面を突き出した。


「これ、私の連絡先」


「え。交換してくれるのか?」


「別に貴方と仲良くなりたいわけじゃない。けど──貴方も私と同じで、夜空の革命に被害を受けた人間。何か気付いたことがあったら、報告して」


 言葉は冷たい。距離も近づかない。

 だが、どこかで確かに共通点としての線だけは繋げようとする誠実さがあった。


「なんか意外だな。アリシアってこんなに喋る奴だったんだ」


「普段はそんなに喋らない。必要な時だけ」


「今日だけでも、随分喋ってる方だと思うけどな……」


 翔太郎は苦笑しながら、彼女の連絡先を登録した。

 その指先には、ほんの少しだけ嬉しそうな色が混ざっていた。


「でもさ、正直嬉しいよ。同じ推薦生で、夜空の革命が起こした事件で大切な人を失って、それでも連中と戦おうとしてるのが、俺の他にもいたって分かっただけで」


「勘違いしないで。私はあくまで私の目的のために動いてるだけ。……でも、利用価値はあると思ってる。お互いにね」


 翔太郎は少しだけ目を細めた。


「まぁ、そういうのでも別に構わないよ。どうせやることは同じだしな」


 アリシアは翔太郎に対して心を開いた訳でも、信頼してくれた訳でもない。


 それでも、共に敵を追う者としての線は確かに結ばれた。

 そしてそれは、彼らが歩む戦いの中で、確かな始まりの一歩だった。


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