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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章8 『パートナー試験(中編)』

 迷宮の長い石畳の通路を、眩い雷光が一直線に駆け抜けていく。

 雷閃を纏った翔太郎が、その腕に玲奈をしっかりと抱きかかえたまま、異常な速度で突き進んでいた。


「どうだ玲奈! 結構速くて快適だろ!」


 前方から吹きつける風圧を受けながら、玲奈は目を細めて顔を少し翔太郎の胸元へと寄せる。


 身体ごと預けるようなこの姿勢には、やはりまだ慣れない。普段は冷静沈着を貫く彼女にとって、こうした距離感はあまりにも近すぎた。


「快適というより、速すぎて……その、風で髪がぐちゃぐちゃになります」


 声は聞こえているのに、彼女の心の中では別の言葉が渦巻いていた。


 何故か心臓がさっきからうるさい。

 彼の吐息や胸の鼓動が感じられるほどに距離が近く、この前の訓練でも全く慣れなかった。


「翔太郎、その距離が──」


「贅沢言うなって。これでもまだ本気の半分だぞ!」


 玲奈の訴えが聞こえていないのか、翔太郎は屈託のない笑顔でそう返す。


 雷の軌跡を残しながら、床から飛び出すトラップも、今にも崩れ落ちそうな吊り橋も、一瞬で駆け抜ける彼の動きには、一切の迷いがない。


 そんな中、玲奈は自分の頬がほんのり熱を持っていることに気づき、そっと目を逸らす。


「それに、その、あまり長時間こうして抱えられるのは……ちょっと、いろいろと困ります」


「え? 何か言った?」


 無邪気な翔太郎の問いかけに、玲奈は思わず視線を逸らして答えを濁した。


「いえ、誰かに見られていないことを祈るだけです」


 玲奈の声は小さく、それでいて確かに揺れていた。

 しかし翔太郎は気づく様子もなく、楽しげに笑っていた。


「まだ先は長いけど、このままゴールまで一直線に行って良いよな?」


「……はい。よろしくお願いします、運び屋さん」


 玲奈の声には、照れくささと信頼の入り混じった色が滲んでいた。

 その一言を背に受けながら、雷鳴はさらなる勢いで迷宮の奥へと加速していく。


 ──だが次の瞬間、気配が変わった。


「翔太郎! 二時の方向です!」


 鋭く告げる玲奈の声に、翔太郎は反射的に首を傾ける。

 同時に、石壁が音もなく開き、無数の鉄槍が殺到してきた。


「うわっ、こりゃマズ──」


「そのまま全速力で進んでください!」


 翔太郎が避けるよりも速く、玲奈が冷気を纏った息を前方に吐き出す。

 瞬間、空気が一気に凍りつき、飛び出した槍はまるで氷の中に閉じ込められたかのように動きを止めた。


「……!」


 霜に包まれた鉄槍が音を立てて崩れ、床にバラバラと砕け散る。

 進路は完全に開き、翔太郎は凄まじい速度で通過する。


「ナイスアシスト。ドンピシャだったな」


「当然です。……運び屋さんとは言いましたが、私はただの荷物ではありませんから」


 玲奈は少し頬を膨らませながらも、どこか誇らしげに言い放つ。

 翔太郎はその言葉に頷いて、足元の出力をさらに上げた。


 だが、仕掛けは終わらない。

 今度は天井が軋み、巨大な石の塊が上から降ってくる。


「玲奈!」


「大丈夫です、任せてください!」


 玲奈が瞬時に片手を掲げ、氷の異能力を解き放つ。

 空中に浮かんだ数本の氷剣が、落石の一点を正確に狙い、一直線に撃ち抜いた。


 氷の刃が石を切り裂き、衝撃で飛び散った破片が霜に包まれて宙で砕ける。

 煌く氷片が宙を舞い、迷宮の暗がりに淡い光を反射させた。


「今のって、完全に引き返し用のトラップだよな。普通なら進路塞がれて終わりだったぞ」


「はい。ですが、壊してしまったので少しだけ先に進めそうですね」


「助かったよ、マジで。玲奈なら何とかしてくれるって信じてた」


「ええ、任せてください。私も翔太郎に頼られるのは嫌いではありませんから」


 ほんの一瞬だけ視線が交わり、ふたりはどちらともなく微笑んだ。

 雷と氷、相反するはずの力が、この瞬間だけは絶妙に調和していた。


 玲奈の心は、まだ翔太郎の腕の中。

 鼓動は早く、けれど不思議な安心感が胸の奥に広がっていた。




 ♢




 試験開始から、既に三十分が経過していた。


 迷路の随所に設置されたモニターには、現在の進行状況がリアルタイムで映し出されている。


 参加ペアの人数、脱落者の名前、そしてゴール到達者の有無──それらすべてが一覧で表示されていた。


「まだ誰もゴールしてないみたいですね」


 玲奈が一つのモニターに目をやりながら、ぽつりと呟く。

 翔太郎もその画面を覗き込み、眉をひそめた。


「脱落、ずいぶん出てるな……。三十分でこの数か。やっぱり容赦ない試験だな」


 翔太郎がモニターを見上げ、ぽつりと漏らす。


 一覧には、すでに十数組の名前が赤字で表示されており、脱落の二文字が無情に並んでいた。


 玲奈はその中に、ある名前を見つけてふと動きを止めた。目を細め、小さく呟く。


「あの人たち、もう脱落してるんですね」


「知り合いでもいたのか?」


「……前に私に声をかけてくれた佐伯さんです。確か飯島さんとペアを組んでいました」


「佐伯と飯島? ああ、あの時の二人か」


 最近の玲奈は自分から挨拶をするようになり、物腰も柔らかくなった。この機会に玲奈と仲良くなりたいと、少し前に勇気を出して話しかけに来ていた少女たちだ。


 翔太郎も思い出したようにモニターを見直し、その名前を確認する。


「はい。あの二人のランキングも雪村くんほどではありませんが一応、二桁台です。去年の迷宮型の試験にも慣れてるように見えましたけど……まさか、こんなに早く」


 玲奈の声には、驚きと、わずかな違和感が滲んでいた。

 ただ単に脱落したというには、不自然な早さだった。


「何かトラブルでもあったのか?」


 翔太郎が軽く眉をひそめる。

 玲奈は黙って首を横に振ったが、その目はモニターを離れようとしなかった。


「……理由は分かりません。ただ、ちょっと……嫌な感じがします」


 小さくそう呟いた玲奈の横顔は、普段よりもほんの少し、険しく見えた。

 翔太郎はそれを見て、そろそろ気を引き締めるべきかと思いながら、足元に視線を戻す。


「で、また行き止まりか。何回目だ?」


「七回目です」


「とりあえず、この行き止まりどうする?」


「もうこの際、壊して進んでしまうのもアリだと思います」


「トラップの破壊はともかく、コースの破壊ってルール上アリなのか?」


「グレーゾーンだと思いますけど、手間と面倒を省くには一つの手だと思います。そろそろ遠回りも限界です」


 普段はどこまでも冷静沈着な玲奈が、こんな時に限って意外に脳筋じみた発言をするものだから、翔太郎は苦笑するしかなかった。


 冷静さを取り戻した玲奈がそう言った時、その声にはいつもの理性的な響きが戻っていた。

 だが、その奥には、今の違和感を決して忘れていない冷たい光が宿っていた。


 玲奈の声には、冷静ながらもモニターに向けたわずかに疑念の色が滲んでいた。

 そんな彼女をよそに、翔太郎は目前の石壁に視線を戻す。


 しかし、モニターに映る不穏な脱落状況、そして進路を阻む行き止まりの数々。

 この迷宮は、ただの知恵比べでは済まされない何かを、二人に突きつけているようだった。


「玲奈の方針に従うよ。破壊するって言うなら、それもショートカットになるかもしれないし」


「分かりました」


 翔太郎の声に応えるように、玲奈は通路の先にある壁に向き直った。

 静かに息を整えると、その掌に輝く氷の異能力が集まっていく。


 鋭い氷柱が空気を裂き、厚い石壁に突き刺さる。

 一瞬の静寂の後、氷が内部から壁を侵食し、石ごと砕け散った。


 崩れた先に現れたのは——真っ暗な、底の見えない奈落。


「……え?」


「ちょっ、マズい——っ!」


 踏み出したその足が、虚空を踏み外した。

 玲奈の身体がふわりと宙に浮く。その瞬間、時間が一瞬だけ凍ったかのような錯覚。


 次の瞬間、翔太郎の視界に電撃が奔った。


「雷閃っ!」


 雷の音が爆ぜる。

 閃光と共に翔太郎が地を蹴った。

 思考より先に、身体が反応していた。

 閃く速度で玲奈の腕を掴み、そのまま抱きかかえるように引き寄せる。

 二人の身体は支えもなく空中へ放り出された。


 重力が引きずり落とそうとする中で、翔太郎は冷静だった。

 むしろ、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。


「玲奈、次!」


「……っ、はい!」


 玲奈は動揺を押し殺し、一点に手を翳す。

 風が肌を撫でる感覚、翔太郎の鼓動、そして自身の異能力の流れ。

 一瞬の集中で空気中の水分を凝縮させ、冷気が指先から走る。


 氷晶が音もなく空間に浮かび、足場となる薄い氷の板が出現した。


 翔太郎は一切減速せず、その足場に片足で着地。

 体重を預けるのは一瞬。

 反発を得ると同時に再び跳ねるように飛翔した。


「もう一枚、左上に!」


「展開します——!」


 玲奈が腕を突き出す。

 翔太郎の軌道と角度を瞬時に計算し、予測通りの位置に冷気を凝縮。

 その精密な能力の制御によって、新たな氷の足場が空中に浮かび上がる。


 翔太郎は一歩先を読み、その氷を踏みつけた。

 雷光が瞬き、空中に雷と氷の軌跡が交互に閃く。

 まるで天空に浮かぶステージを駆け上がるかのように、二人は奈落の罠を跳躍で突き抜けていく。


「……すみません、私の判断ミスです」


 緊迫の中、玲奈の声だけがわずかに沈んだ。

 だが、目は逸らさない。

 指先は次の足場の展開に向けて動いていた。

 彼女は知っている。

 翔太郎のスピードを読み切れなければ、今度こそ落ちると。


「気にすんなって。練習通り、氷で足場作って空中移動出来たんだし」


 翔太郎は余裕を見せながらも、絶えず周囲を観察していた。

 どの角度からの反発が最適か。

 どこまで加速できるか。

 その判断力と反応速度は、雷そのものだった。


「次でラストだ。跳ぶぞ!」


「了解です!」


 玲奈が息を詰め、指先から一気に冷気を放つ。

 最後の氷の足場が高所に出現するのとほぼ同時に、翔太郎が着地。

 全身の雷力を一瞬で脚部に集中させる。


「──疾風迅雷!」


 雷の爆発が背後で炸裂し、圧縮された推進力が二人を光の矢のように射出した。

 まるで風景のほうが流れていくようなスピードで、二人の身体が迷宮の縁を超える。


 ——ドン。


 衝撃とともに、ついに対岸の安定した通路へと着地。

 床が一瞬だけ軋み、雷の余韻を震わせる。


 息を切らすことなく、翔太郎は即座に背後を確認。

 氷の足場は役目を終え、奈落へと砕けて落ちていく。


「完璧な回避だったな。……にしても、性格悪いトラップだよ。俺と玲奈じゃなかったら、多分アレ、無理だぞ」


「すみませんでした。私があそこで壊そうなんて言わなければ……」


 玲奈が項垂れかけるが、翔太郎は軽く肩を竦めて笑う。


「だから、そんな気にしなくて良いって。現に結構高い場所まで登ってこれたんだし、逆にショートカットになったんじゃね?」


 玲奈は翔太郎の腕の中でわずかに身じろぎした。鼓動はまだ早く、手の中には彼の体温が残っている。


 それでも、彼女の目は真っ直ぐに彼を見上げて囁く。


「でも……いえ、ありがとうございます」


 翔太郎はその視線を真っすぐに受け止めると、軽く息を吐いて前を向いた。


「礼はゴールしてからにしろよ。まだまだ先は長いんだ」


「はい」


 玲奈は小さく息を整えながら、翔太郎の腕の中で微笑んだ。

 緊張がほどけかけたその刹那——




「その通りだ。油断するのは、ゴールの後にしな」




 ゾクリ、と肌を撫でるような冷たい声が響いた。

 次の瞬間、床に伸びたふたりの影が波打つように蠢き、そこから何かが這い上がる。


「ッ!?」


 視界の端で黒い異物が立ち上がる。

 まるで闇が形を得たかのように、細長く、歪で、滑らかに動くそれは、人型のようで人ではない。

 無数の触腕を持ち、ひとつの意思をもって翔太郎と玲奈に害意を向けてきた。


「影の異能力か!」


 翔太郎はすぐさま玲奈を背後に下ろし、前に出る。

 だが敵の出現は完全に奇襲だった。

 影の一体が地を這うように迫り、腕のような部位を槍のように伸ばす。


「翔太郎、下がって!」


 腕に抱えられている玲奈が即座に異能力を発動。

 空気中の水分が圧縮され、槍の軌道に氷の壁を展開する。

 だがその氷は影の槍に一瞬で突き破られ、破片が飛び散った。


「ナイス反応、玲奈!」


「でも一撃じゃ止まりません。あの異能力は──」


 玲奈は正体を知っているのか、能力について言及しようとした時、更に影が伸びてくる。


 翔太郎は地面を蹴ると同時に、自身の異能力を解放した。

 雷閃が靴裏に集中し、身体を流れる電流が反射神経を限界まで引き上げる。


「影を実体化する異能力者か。実体があるなら、ダメージも通るってことだな」


 次の瞬間、雷光と影が交差した。


「紫電!」


 翔太郎の放った雷撃が一体の影を正面から捉え、爆音と共に吹き飛ばす。

 だが、すぐに第二、第三の影が足元と壁から姿を現し、まるで連携するように包囲を狭めてくる。


「数が多い……!」


 玲奈は咄嗟に手を広げ、連続して指先から氷の矢を放つ。

 空気の水分が急激に奪われ、気温が一気に下がった。

 氷の矢が一体の影を貫き、床に磔にするが、それも数秒と保たずに溶けていく。


「囲まれてます!」


「分かってる! ちょっと早く移動するぞ!」


 目を見交わす二人の呼吸は、戦いの中でもぴたりと合っていた。

 雷光が再び弾けると同時に、翔太郎は玲奈を抱えながら影の包囲網を真正面から突き破る。


「玲奈、足止め!」


「展開します!」


 彼女の異能力が発動し、凍てついた衝撃波が前方に走る。

 空気ごと凍りついた通路の一部が、影の動きを一瞬止めた。


 翔太郎はその隙を見逃さず、雷をまとって迷宮の先へと駆け出した。

 後方から追いすがる影たちの呻き声が、迷宮の空気を震わせていた。


 追撃の気配が完全に遠ざかるまで、翔太郎は雷閃を維持したまま迷宮の通路を駆け抜けていた。

 一定の距離を確保したと判断すると、ようやく速度を落とし、静かな空間に身を止める。


「ここまで来れば、さすがに追ってないだろ」


 慎重に足を止めた翔太郎は、腕に抱えていた玲奈をそっと地面に降ろした。

 玲奈も無言のまま着地し、周囲を素早く確認する。

 ひとまず敵の気配はない。


「玲奈、大丈夫か?」


「はい。少し力を使いましたけど、特に問題ありません。翔太郎こそ、あれだけの雷閃を連続で使用して大丈夫なんですか?」


「まあ、雷の異能力は結構燃費が良いからな。特に今のところは大丈夫」


 冗談めかして笑う翔太郎だったが、視線は真剣そのものだった。

 さっきの影——アスレチックのトラップではない。

 明らかに誰かの意思を持った攻撃だった。


 直前の二人の会話に割り込んだ、あの声の主が。


「あの影は間違いありません。異能力による攻撃です」


「だろうな」


 玲奈は一歩、翔太郎の隣に並びながら、低く静かに告げた。


「あの能力は影を実体化し、攻撃や防御に転用出来ます。さらに、自身を影と一体化させて高速移動すら可能にします」


 一見、雷で身体能力を強化する翔太郎の能力と、氷を造形して多彩な攻防を繰り出す玲奈の能力を融合させたような複合型。


「あんな異能力を扱える人物は、学園にただ一人——」


 言葉の途中で、翔太郎の目が鋭くなる。

 何せ、翔太郎にも心当たりのある人物だったからだ。


 この学園における最強の十人。

 零凰学園・十傑。

 一席から五席までは上級生である3年生が独占し、残りの六席から十席までを2年生の5人が着いている。


 つまり2学年における最高順位は第六席。

 この学年でトップの成績を誇る人物だ。


「名字から何となく能力の概要は推測してたけど、もしかしてお前も名家育ちか?」


 翔太郎は暗闇の廊下に向かって声を投げかける。

 先ほど、自分たちが複数の影の強襲から逃げ出した場所だ。




「零凰学園・第六席。影山龍樹」




 彼らのクラスメイトにして、学園のアウトロー的存在。


 ワインレッドの髪は長めの前髪を下ろしつつも、サイドは刈り上げられたツーブロックになっており、ラフな印象を与える。


 鋭い切れ長の目元と端正な顔立ちは、一見すれば都会のモデルのようでもあるが、その胸元に覗く割れた胸筋や、ジャージの着崩し方が与える雰囲気は、どこか危うさを感じさせた。


 名前を口にした瞬間、空間の奥から微かな気配がにじみ出た。


「よう。よくわかったな、鳴神」


 声は低く、冷ややかで、どこか底の見えない色を帯びていた。迷宮の通路の奥——影が最も濃く落ちる場所から、一人りの少年が現れる。


 影山龍樹。

 その名を知る者なら、彼の出現がただの偶然でないことをすぐに察するだろう。


 玲奈が、一歩前に出て言葉を紡ぐ。


「先ほど、モニターを見たときからおかしいと思っていました。試験開始から三十分で、あれほどの数が脱落するなんて、いくらアスレチックの難易度が上がってると考えても早すぎます」


「……ほう?」


 影山が口角をわずかに上げる。

 だが、瞳の奥は冷めきったままだ。


「しかも、脱落した生徒の多くが推薦生の生徒でした。佐伯さんと飯島さんは、どうやらただの不運だったようですけど」


 玲奈の態度は静かで無表情だったが、その推測は当たっていたのか影山は鼻で笑い、嘲るように続けた。


「不運? いや、違うな。あいつらは敵を庇うような真似をした。それが全ての理由だ。だったら俺に潰されるのも当然だろ?」


 彼の口調は残酷なまでに平坦で、それが余計に言葉の棘を際立たせていた。


「俺のターゲットはあくまで推薦生。極力他の奴に手は出したくなかったんだけどな。佐伯たちも馬鹿な奴らだ。潰し合いの試験にフェア精神を説いてくるとは思わなかったぜ」


 玲奈の顔がかすかに歪む。

 影山に対する敵意が、その瞳に滲んでいた。


 だが、翔太郎がその隣で一歩前に出る。

 冷静な声で、推測を挟む。


「なぁ、ちょっと確認していいか?」


 影山が眉をひそめる。


「あ?」


「今の話の流れからすると——三十分で脱落者が急増して、脱落者の大半が推薦生だった。そしてお前がその場にいた……つまり、やったのはお前ってことでいいんだな?」


 影山は笑った。

 いや、嗤ったと言うべきか。


「だったらどうする?」


 挑発するように両腕を広げ、ゆっくりと構えを取る。


 その背後から、いくつもの黒い影が這い出し、形を持ち始める。


 剣のように尖ったもの。

 触手のように蠢くもの。

 獣のように四つ脚で唸るもの。

 ──まるで意志を持つかのように、影たちは翔太郎と玲奈を睨みつけていた。


 だが、翔太郎は微動だにせず、肩をすくめて言い放つ。


「別にどうも? 大半は知らない生徒たちだし、むしろライバル減らしてくれてラッキーだって思ってるくらいだよ」


「……へぇ、随分と余裕じゃねえか。推薦生を狙って潰したのが俺だって分かっているなら、何故俺がここに来たのか分かってない訳じゃねぇだろ?」


 影山が興味深そうに翔太郎を見やる。

 その目には試すような色が浮かんでいた。


 緊張が、空気をさらに張り詰めさせていく。

 その中心に、三人の異能者が静かに対峙していた。


 影山の狙いは鳴神翔太郎。

 理由は分からないが、彼が推薦生という存在に対し、私怨を持っているのは明らかだった。

 巻き込まれる翔太郎からすれば溜まったものでは無いが、それでも彼は影山をそれ程脅威に感じてはいなかった。


「にしても残念だったなぁ、鳴神。そして氷嶺。ゴールまであと少しだってのに、こんな所で脱落とは本当に同情するぜ」


 影山の口調は芝居がかっていて、どこか楽しげですらあった。

 だが、その挑発に翔太郎は鼻で笑い返す。


「同情か。俺も一つだけ言っておこうかな」


 翔太郎が前に出て、視線を真っすぐ影山へ向ける。

 目の奥には、どこか余裕すら感じさせる鋭い光が宿っていた。


「俺もお前には同情してるよ、影山。せっかく他の推薦生を片っ端から血眼になって探して潰して回ったっていうのに──」


 言葉を一度切り、にやりと不敵に笑う。


「ゴール目前で自分も脱落とか、本当に可哀想だと思わないか?」


 その瞬間、玲奈が小さく吹き出した。

 いつもは控えめな彼女の笑い声に、わずかに皮肉の色が混じっていた。


「あなたは相変わらずですね」


 相手が誰であれ、全く恐れていない翔太郎の目に、玲奈は安堵しきったように微笑んだ。


 二人の姿を見て、影山の目が細くなる。

 何も言わない。

 ただ、無表情のまま、僅かに口角だけが引きつった。

 彼の周囲をうごめいていた影たちが、ぞわりと形を変えながら膨れ上がる。


 静かな怒気が、空気をわずかに震わせる。

 影山の感情が無表情の奥でじわりと沸騰し始めたのを、翔太郎は正面から受け止める。


 だが怯む気配は一切ない。

 むしろ、余裕を漂わせて、軽く肩をすくめる。


「影って足元から伸びてるんだろ? その能力は便利かもしれないけど、踏み場所を間違えると足元すくわれるぜ?」


 決戦の火蓋が、音もなく切って落とされた。


 影山の右手がゆっくりと持ち上げられる。

 それに呼応するように、足元の影がぐにゃりと蠢き、蛇のような異形の腕を形作っていく。


「──言いたいことはそれだけか、鳴神」


 声と同時に、影が地を這い、石畳を突き破りながら飛びかかってきた。


「玲奈、行くぞ!」


 翔太郎が即座に玲奈の腰を抱え上げ、その身ごと宙に跳ぶ。

 直後、影の触手が地面を裂き、さっきまで二人が立っていた場所が粉々に砕け散る。


「はっ!」


 玲奈が左手を一閃する。

 空気中の水分を瞬時に凍結させ、白く濃密な霧を周囲に撒き散らす。

 視界が白に染まった瞬間、翔太郎は無言で走り出した。


「くだらねぇなぁ! そんなもんで──」


 影山が笑い、地面から腕ほどの太さの影を複数発生させ、竜巻のように周囲を撫で払う。

 冷気の煙幕は一瞬で引き裂かれ、露わになる視界。


 だが——そこに、翔太郎たちの姿はない。


「チッ……!」


 わずかに唇を歪め、影山は舌打ちする。


 遠く、迷宮の奥——複雑に入り組んだ通路の先に、二人の背中が小さく見える。

 翔太郎が玲奈を背負ったまま、雷光の軌跡を残して一直線に駆け抜けていた。


「あんな啖呵切っておいて逃げる気かよ。情けねぇな、これだから推薦生のゴミクズはよぉ」


 影山はため息を吐いて、静かに自身の影に沈み込む。

 その姿は次の瞬間、地を這う黒い流れと化して、猛然と加速した。


 迷宮の壁を削るほどのスピード。

 影の本体が床や天井に張り付きながら、異様な軌道で翔太郎たちに迫る。


 速度で言えば、翔太郎の雷閃と全く同じだ。


「翔太郎のスピードについて来てる!?」


「マジかよ」


 こればかりは本当に予想外だった。

 速度だけなら、高校生など足元にも及ばず、S級能力者である剣崎にも引けを取らない自信があったのだが、全く変わらない速度で影山も付いてきている。


「足止めします!」


 翔太郎に抱えられた玲奈が背後に向かって、勢いよく吐息を放つ。

 次の瞬間、細長い廊下一帯に大きな氷壁が生まれた。


「次の分岐はどうすれば良い?」


「右に進んでください! この構造だと左は高確率で行き止まりです!」


 玲奈の指示を受け、翔太郎が右に大きく跳ねるように曲がる。

 直後、天井からトラップである巨大な鉄格子が落ちてきたが、翔太郎は雷を脚に集中させ、瞬間的に加速して強行突破。


 次の瞬間──バキィッ!と何かが割れる音が背後から響いた。


 翔太郎が僅差で鉄格子の下をすり抜けると、後ろから迫っていた影が玲奈の仕掛けた氷壁に直撃し、鈍い打撃音を響かせた。


 だが、影山の動きは止まらない。

 続く鉄格子をすり抜けるように影の本体がうねり、再び翔太郎たちに迫っていく。


(予想よりもずっと速いな。さすがは2年生最高順位って言ったところか)


 翔太郎の瞳が鋭く光る。


「このまま、振り切る!」


 雷が軌跡を描き、氷が足元を補強する。

 スピードと正確さ、そして意思の強さが重なった瞬間——鳴神翔太郎と氷嶺玲奈は、影すらも振り切る連携で、迷宮を駆け抜ける。


「少しはやるじゃねぇか、鳴神」


 後方で影の奔流が止まり、影山が姿を現した。息を乱すことはないが、その目だけが苛立ちを滲ませていた。


「雪村たちを一方的にぶっ飛ばしたってだけの事はある。ようやく潰し甲斐のある推薦生が出てくれて嬉しいぜ」


 静かに呟くと、再び影に溶けて、なおもその背中を追い続けた。

 ──彼らの戦いはまだ、終わらない。

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