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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章6 『試験に向けて』

 翌朝、零凰学園の教室。


 玲奈は翔太郎と二人で話しながら教室へ向かい、いつものように席に座ると、静かに授業の準備を始めた。


 だが、昨日とは明らかに違うことがあった。


「お、おはよう。氷嶺さん」


「今日も朝から自習してるの?」


 ——クラスメイトが、彼女に挨拶をしてくる。

 声をかけられた瞬間、玲奈の手がピタリと止まる。


 不意を突かれた感覚に、一瞬戸惑う。

 そんな玲奈の様子を見た翔太郎が、すぐ隣から小さく笑いながら肘で軽く突いた。


「おい、話しかけられてるぞ」


「……!」


 玲奈はハッとし、すぐに表情を整えると、昨日と同じように微笑みながら返した。


「おはようございます。そうですね、自習は毎日のようにしています。朝は静かに過ごすのが好きなので」


 それを聞いた女子生徒たちは、少し驚いたように顔を見合わせる。


「へぇ、なんだか氷嶺さんらしいね」


「前から思ってたけど、凄く落ち着いてるよね」


 玲奈は彼女たちの言葉を聞きながら、内心ふわりと温かいものを感じていた。


(……挨拶をしてもらえるのは、こんなにも嬉しいことなのですね)


 昨日、自分から勇気を出して言葉をかけたことで、こうして相手から返してもらえる。

 それが思った以上に嬉しくて、玲奈は心の中でそっと小さく息を吐いた。


 すると、近くにいた別の女子生徒が、おそるおそる口を開く。


「あの、氷嶺さん……その、ちょっと変なこと聞いちゃうかもしれないんだけど……」


「はい、何でしょう?」


 玲奈が優しく問い返すと、その女子生徒は少し頬を赤らめながら言った。


「昨日、氷嶺さんから挨拶してくれたの、すごく嬉しかったんだ。だから、今日は私たちからも……って思って……」


「……そうでしたか」


 玲奈は少しだけ目を見開いたあと、ふっと柔らかく微笑む。


「ありがとうございます。私も、皆さんとお話しできて嬉しいです」


 その一言で、女子生徒たちの表情がさらに明るくなる。


「うわっ、何か今日すごく良い日かも!」


「氷嶺さん、良かったら今度一緒にお昼とか……」


 玲奈は少し考えた後、静かにうなずいた。


「はい。今後も何かあれば、ぜひ気軽に話しかけてください」


 玲奈の返答に弾むような声が広がった。

 前まで、自ら周囲と壁を作っていた玲奈は改めて実感する。


(……翔太郎のおかげですね)


 彼と過ごすうちに、少しずつ自分も変わってきているのだと。

 そう思いながら、ふと隣を見ると——翔太郎がどこか生暖かい目でこちらを見ていた。


「……何ですか?」


 思わず玲奈が問いかけると、翔太郎は気の抜けたような声で答える。


「別に?」


「……」


 玲奈はじっと翔太郎を見つめる。

 どう考えても何か言いたげだったのに、はぐらかされたのが引っかかる。


「言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってくれないと困ります」


 そう言いながら、ほんの僅かに頬を膨らませる玲奈。

 その微かな表情の変化に、彼女にも、ようやく自分以外の友達できそうで良かったと内心安堵した。


 しかし、それ以上に驚いていたのは周囲の女子生徒たちだった。


「氷嶺さんが、ほっぺ膨らませてる……」


「普段と全然違うね……」


 思わず顔を見合わせた女子生徒たちは、興味津々といった様子で二人のやり取りを見守る。


 玲奈と翔太郎の間には何か特別な空気がある——そんな確信めいたものを感じながらも、どう切り出すべきかと迷っていた。


 すると、一人の女子生徒が恐る恐る手を上げるような仕草をしながら、遠慮がちに口を開いた。


「あの……氷嶺さんって、鳴神くんといる時だけちょっと雰囲気違うよね?」


「そうそう、なんていうか……表情が柔らかいっていうか?」


 その言葉に、玲奈は小さく瞬きをした。

 自分では意識したことのない指摘だった。


「え? そうなんですか?」


 そう言って、玲奈は自然と隣に座る翔太郎の方を見る。


「俺に聞かれてもな」


 翔太郎も同じように首を傾げる。

 そのシンクロした反応に、女子生徒たちは更にザワついた。


「いや、なんか……すごく仲良さそうだなぁって……その、もしかしてそうなんですか?」


 女子生徒が意味深に言葉を濁しながら尋ねると、翔太郎と玲奈はまたしても同時に首を傾げた。


「「……ん?」」


 ——まるで噛み合わない。


 女子生徒の言いたいことがよく伝わっていなかったのか、二人は心底不思議そうに彼女たちを見た。


 玲奈の隣にいる翔太郎をちらちら見ながら、女子生徒たちは妙に気になる視線を向ける。

 玲奈はそんな彼女たちの様子を見て、首を傾げながら淡々と答えた。


「私は翔太郎とパートナーを組んでいるので、一緒に行動することが多いだけです」


「そ、そうなんだ」


 それから玲奈は女子生徒たちと数分ほど談笑し、満足した彼女たちは微笑みながら自分の席へと戻って行った。


 その時、玲奈が何かを思い出したように翔太郎に向かって声をかけた。


「……あ、翔太郎に渡しておくものがあります」


「ん?」


 翔太郎が少し驚いて彼女を見返すと、玲奈は無表情のまま、サッと自作のプリントを取り出して彼に渡した。


「パートナー試験の前に、あなたの学力をある程度把握しておいた方が良いかと思って、自作しました」


「何これ」


 翔太郎はプリントを受け取ると、表紙に書かれた『学力テスト』という文字に目を向け、さらに中身をちらりと確認した。

 様々な科目から詳細な問題が並んでいるのが目に入る。


「ちょっと待って。何このテスト?」


「7教科21科目から、あなたの選択授業に合わせて作成しました。試験前にパートナーの実力を確認するために、やっておいたほうがいいと思ったので」


 玲奈の声は淡々としているが、目の前の翔太郎をしっかりと見ていた。

 その目にはほんの少しの期待も感じられる。


 玲奈の目は真剣そのもので、翔太郎に対する信頼のようなものがにじみ出ていた。その気配に翔太郎は思わず苦笑してしまう。


「笑ってる場合ですか。私はあなたの学力がどの程度なのか知らないんですよ?」


「この学園に転入してくるぐらいだし、それなりに出来る方だと自負してるぞ」


「と言っても、まだ新学期に入ってから定期テストを受けていないので、私は知りません」


「まぁ、それもそうか」


「難易度は、高校一年生までの範囲に調整しています。パートナー試験では、1日目の筆記試験と二日目の異能アスレチックが影響しますので、学力面と戦闘面の両方が出来たことに越した事はありません」


 玲奈は静かに答え、そのまま翔太郎にプリントを手渡す。

 翔太郎は少しため息をつきながらも、決して拒むことなく、それを受け取った。


「もしかして俺って勉強出来ない奴って思われてる?」


「授業中に携帯弄ってる癖によくそんな台詞が出てきますね。勉強できるイメージがありません」


 玲奈の冷静な指摘に、翔太郎は思わず肩をすくめた。


「まあ、それは否定しないけどさ……授業聞かなくても困ったことないんだよな」


「はい?」


 玲奈が眉をひそめると、翔太郎はプリントをパラパラとめくりながら、どこか面倒くさそうに答えた。


「授業の内容は大体わかってるし、前に通ってた高校もテスト前にちょっと復習すれば十分だったしな。だから適当に流してるだけだ」


 玲奈はじっと翔太郎を見つめた。

 彼の言葉がただの強がりや言い訳ではなく、実際にそれが可能なタイプの人間であることを思い出して、ほんの少しだけ目を細める。


「……本当にそうなら良いのですが、適当にやって実際の試験で失敗するようでは困ります」


「分かってるって。ちゃんとやるよ」


 翔太郎はため息混じりに言いながら、玲奈が手渡したプリントを改めて手に取る。

 その分厚さに若干げんなりした様子を見せたが、逃げるつもりはないらしい。


「にしても、わざわざこんなの作ってくれるとはな。なんか悪いな」


「いえ、パートナーですから当然です。それに、私としてもあなたの実力を把握しておきたかったので」


 玲奈の真っ直ぐな言葉に、翔太郎は少しだけ苦笑した。

 彼女の言葉に打算はなく、本気で彼のことを気にかけているのが伝わってくる。


「そっか。じゃあ、せっかく作ってくれたし、ありがたく受け取るよ」


 そう言って、翔太郎はプリントを片手で軽く持ち上げてみせた。


「……翔太郎が真面目に勉強するところ、少し興味があります」


「おいおい、そんな珍しい生き物を見るみたいな目をするなよ」


「だって、普段そんな素振りを見せませんから」


 玲奈はどこか納得がいかない様子で小さくため息をつく。翔太郎はそれを見て苦笑しながら、プリントを机の上に置いた。


「んじゃ、パートナー試験のためにも、ちょっと本気でやってみるか」


「ええ。期待しています」




 ♢




 昼休み。

 玲奈は静かに昼食を広げながら、ふと翔太郎の方を見る。


 彼は机の上にプリントを並べ、特に焦る様子もなく淡々と問題を解いていた。

 周囲の生徒たちは昼食を取ったり、友人同士で談笑したりしている中で、彼だけがまるで別の空間にいるかのような集中力を発揮していた。


「……意外と真面目に取り組むんですね」


 朝は面倒くさそうにしていたものの、一度手をつけると驚くほどの速さで問題を解いていく。しかもペースは一貫していて、迷いもほとんどないように見える。


 そして、昼休みが半分ほど過ぎた頃だった。


「はい、全部終わったぞ」


 翔太郎は軽く伸びをしながら、プリントを玲奈の方に滑らせた。


「え……」


 思わず玲奈は目を見開く。


(こんなに早く……?)


 彼女が作ったテストは、7教科21科目から問題をバランスよく組み込んだもので、決して簡単なものではない。

 普通の生徒なら、どんなに優秀でも1時間以上はかかるだろう。


 玲奈は驚きを隠しつつ、淡々と解答を確認し始めた。

 ──しかし、チェックすればするほど、彼の解答は正確だった。


 玲奈は一枚、また一枚とプリントをめくる。

 数学の複雑な計算問題も、英語の長文読解も、すべて理路整然と解かれている。

 僅かに間違いがあったのは数問程度。


「……九割近い正答率ですか」


「どうだ? これである程度は、俺も勉強できる奴だって分かったんじゃないか?」


「そうですね。まさか、これほどとは思いませんでした」


 玲奈は正直に感嘆する。


 彼が適当に流しているように見えて、実際にはしっかりと学力を身につけていることが証明された。それどころか、かなりの高水準である。


 雷の異能力だけでなく、学力まで零凰学園で十分通用する水準。彼の推薦が通ったのは、歴とした実力である事を改めて思い知らされた。


 玲奈は軽く息を呑む。


 零凰学園は、異能力の才能だけではなく、学力の高さも求められる名門校だ。

 筆記試験の難易度も高く、並の生徒が軽々と突破できるものではない。彼の戦闘力の高さは知っていたが、まさか学力の面でもここまで優秀だとは予想していなかった。


「最初から言っただろ? 授業聞かなくても困ったことはないって」


「確かに、疑いようのない学力ですね」


 玲奈は頬に手を当て、少し考え込む。


「ですが、あなたのようなタイプが増えると、推薦生に偏見を持っている多くの生徒たちは困るでしょうね」


 玲奈は淡々とした口調で言いながら、答案用紙を見つめる。その表情には、どこか複雑なものが滲んでいた。


「推薦生に偏見を持ってる奴ら、か」


 玲奈は淡々と言葉を続けながら、改めて翔太郎の答案用紙を見つめる。


「推薦組は実力よりコネだの、異能力頼りだのと噂する人は少なくありません。特に筆記試験を突破して入学した一般生の中には、推薦生をあまり快く思っていない人もいると聞きます」


「まぁ、いるだろうな。別に俺は気にしないけど」


 翔太郎は肩をすくめながら答えた。


「私は、彼らのそういう考え方が正しいとは思いません」


 玲奈は静かに首を振る。


「推薦で入学したからといって、皆が皆、学力が低いわけではありませんし、そもそもこの学園では実技の重要度が高いのですから、異能力の優秀さを基準にするのも当然のことです」


「おっ、やっぱり玲奈は俺の味方か?」


「……というよりも、能力の形は人それぞれ違うのですから、そこに優劣をつけること自体が無意味だと思うだけです」


 玲奈は淡々とそう言いながらも、翔太郎の答案を見直し、ふっと小さく笑った。


「それに、あなたのように実力の高い推薦生がいることが分かれば、少しはその偏見も和らぐかもしれませんね」


「それはつまり、俺がしっかり学園で活躍出来るって周りにアピールしろってことか?」


「いえ、別にそういうわけでは……ただ、あなたが思っている以上に、学力面の評価もこの学園では重要ですから」


 玲奈は少しだけ困ったように言った。


「パートナー試験でも筆記の成績が影響する以上、今のあなたの学力なら何も問題はありません。ただ授業中の態度については、もう少し気をつけたほうがいいかもしれませんね。授業中に携帯をいじるのは、さすがに目立ちますから」


「……確かにそれもそうだな。俺が短慮だった」


「まぁ、それはさておき……これであなたの学力が十分であることが確認できました」


 玲奈は改めて答案をまとめながら、どこか安心したように頷いた。


 零凰学園には、一般試験を突破した学生と、試験を受けずに学園側から入学を認められた推薦生が共に学んでいる。

 しかし、推薦生の中には学業を疎かにする者も少なくなく、それを理由に一般生からの偏見を受けることもある。

 特に学力に自信のある一般生ほど、推薦生は異能が強いだけで努力をしていないと見下す傾向が強かった。


 玲奈自身、そうした偏見に加担するつもりはなかったが、実際のところ、推薦生の中には筆記試験を苦手とする者が多いのも事実だった。


 だからこそ、翔太郎に対しても多少の疑念を抱いていたのだが——


「あなたは異能力だけではなく、学力面でも零凰学園で通用する水準に達しているんですね」


「最初から言っただろ?ある程度勉強出来るって」


「確かに、疑いようのない結果でした」


 玲奈は素直にそう認めると、ふっと微かに微笑んだ。

 翔太郎はそれを見て、少し意外そうに目を細めた。


「なんだよ、その顔」


「いえ、ただ単純に、少し安心しただけです」


「安心?」


「はい。パートナーとして、あなたがどの程度の実力を持っているのか、把握しておきたかったので」


 推薦生というだけで見下されることの多い学園の中で、翔太郎が異能の実力だけでなく、学力面でも十分に優秀であることが分かったのは、玲奈にとって嬉しい誤算だった。


 学園には、推薦生だからという理由だけで彼を見下す者がいるだろう。

 しかし、その中にどれだけの者が、翔太郎と同じだけの成績を取れるだろうか?

 彼の結果を目の当たりにした今、玲奈は確信していた。


 玲奈は改めて翔太郎の答案を見つめながら、小さく息を吐いた。

 翔太郎自身は特に気にしている様子もなく、いつも通りの気楽な態度を崩さない。それが、余計に彼の余裕を感じさせた。


(この人は、本当に掴みどころがないですね……)


 だが、そんな彼と共に過ごす時間が妙に心地よいと感じてしまう自分がいることに、玲奈はまだ気付いてはいなかった。




 ♢




 4月30日・水曜日。

 パートナー試験の前日。


 学園内はいつにも増して活気に満ちていた。

 この日は多くの生徒が、翌日の試験に向けた最終調整として、学園島内にある各訓練施設やグラウンドをフル活用し、パートナーとの異能力の連携や個々の強化に励んでいた。


 当然、翔太郎と玲奈も例外ではない。

 二人は玲奈の十傑としての権限を活用し、学園内でも限られた者しか使用できない高度な訓練施設を予約していた。

 そこは耐久性の高い特殊な素材で作られた専用フィールドを備え、通常の訓練場では制限されるような高火力の異能力も、ある程度の自由度を持って使用できる場所だった。


 こうした施設は、特にランキングの上位を目指す生徒たちが好んで利用する傾向がある。

 実際に周囲を見渡せば、見知った顔ぶれの中には、次期十傑入りを狙う者や、今回の試験で上位に食い込もうと意気込む実力者たちの姿もあった。


 彼らの視線には緊張感と闘志が滲んでいる。

 試験前日ともなれば、もはや互いに競い合うライバル同士。

 仲間意識よりも、いかにして自身が優位に立つかを考える者が多いのも、零凰学園の熾烈な競争の一端だった。


 そんな空気の中、翔太郎と玲奈は運動着に着替え、並んで訓練場へと足を踏み入れ、合わせ練習を行なっていた。


「あのさ、異能アスレチックってどんなところなんだ?」


 訓練場で軽く体を動かしながら、翔太郎が何気なく尋ねた。

 玲奈は一度手を止め、少し考えるように視線を上げると、端的に答える。


「簡単に言えば、異能力を駆使して突破する障害物競走のようなものです」


「障害物競走?」


「ええ。広大なフィールドに、異能力を前提とした様々なギミックやトラップが仕掛けられています。コースには飛び石や狭い足場、急勾配の坂、動く足場などの物理的な仕掛けがあるのはもちろん、異能力を使わなければ突破できないゾーンも存在します」


「異能力前提のトラップか。去年もこういう試験があったのか?」


 翔太郎が興味深そうに問いかけると、玲奈は少し考えた後、去年の試験を思い出しながら話し始めた。


「はい。去年は2人1組ではなく、学年全体でどのぐらいの生徒がゴールまで迎えるかをクラス対抗で競うレースのようなものでした。例えば、一定範囲に足を踏み入れると強力な風の異能が吹き荒れるエリアや、炎が噴き出す障害、特殊な結界が張られた迷路などがありました」


「随分えぐい仕掛けばっかだな。下手したら大怪我もんだぞ。それ、本当に生徒が突破できるのか?」


「もちろん脱落者も多かったです。ただし、異能アスレチックは単に能力の強さを競うものではありません。むしろ重要なのは、どれだけ効率的に突破するか。コースには複数のルートが用意されていて、自分の異能力や身体能力に合ったルートを選ぶことが求められます」


 玲奈は手元のタブレットを操作し、異能アスレチックのコース概要を表示した。

 去年の試験で使われたフィールドのデータが映し出される。


「去年の試験では、最短ルートは複雑な空間ギミックを突破する必要がありましたが、その分距離は短縮できます。一方で、比較的シンプルなルートも存在しましたが、そこを選ぶと結果的に長い距離を移動しなければならなくなります」


「なるほどな。結局、どう攻略するかは自分の異能力次第ってわけか」


「その通りです。ちなみに、今回の試験は単独ではなくパートナーとの連携が前提になっています。十傑以外の生徒はお互いの異能力をどう組み合わせて進むかが、攻略の鍵になります」


 玲奈はそう言いながら、改めて翔太郎に視線を向けた。


「翔太郎の雷の異能力は瞬発力に優れています。高低差のあるギミックや、素早い判断を求められる場所では特に有利でしょう。加速や移動系のギミックを突破する際には、あなたの力が必要になります」


「つまり今回は俺が先行して、突破口を開いていく感じか」


「ええ。ただし、無理に突っ込むのは危険です。私の氷の異能力は足場の確保や防御に向いています。翔太郎の機動力と私のサポートをうまく組み合わせれば、より安全かつ効率的に攻略できるはずです」


 翔太郎は玲奈の言葉を聞きながら、映し出されたコースのデータを眺める。


「俺がガンガン進んで、玲奈がフォローに回るってことか?」


「基本的にはそうですが、場合によっては私が前に出る場面もあるでしょう。特に、氷を使ってルートを作るような状況では、私の方が適しています」


「なるほどな……まぁ、経験者の玲奈がそこまで考えてるなら、玲奈の方針に任せるよ」


 翔太郎は軽く肩をすくめながらも、玲奈の解説にしっかり耳を傾けていた。

 玲奈もまた、彼の反応を見て小さく頷く。


「いずれにせよ、明日の試験では私たちの連携が重要になります。今日の訓練で、どこまで実際に動けるか試してみましょう」


「ああ、そうだな」


 玲奈は訓練場の床に指を滑らせながら、思考を巡らせていた。


「と思いましたが、一つ大きな問題があります」


「ん? なんだ?」


「私たちの異能力のタイプが全く異なる以上、私があなたの速度についていくのは難しいということです」


 玲奈の氷の異能力は戦闘においては強力だが、こういったレース系の試験では、足場の確保や障害物の凍結などのサポート向きであり、翔太郎の雷のような爆発的な瞬発力とは性質が異なる。


「パートナー試験のルールでは、二人が同時にゴールすることが求められます。つまり、どちらか一方が先行しすぎてしまうと、もう一人が置き去りになり、失格になる可能性があるんです」


 翔太郎は腕を組んで考え込んだが、すぐにあっさりと口を開いた。


「だったら、俺が玲奈を抱えて飛べばいいんじゃね?」


 玲奈は一瞬、思考が停止したように翔太郎を見つめた。


「……はい?」


「雷閃を使って空中を移動する時に、玲奈を抱えていけばスピードの差も問題にならないだろ? その間に障害物の処理とか着地の調整を玲奈の氷の異能力に任せる。そうすりゃ最速でクリア出来るぞ」


 玲奈の頬がわずかに引きつる。


「簡単に言いますけど、それはつまり……その、私を抱き上げたまま、コースを飛び回るということですよね?」


「ああ。俺が玲奈を抱えながら飛んで、玲奈が状況を把握しながら障害物を凍らせたり、着地用の氷の足場を作ったりすれば、よりスムーズに進めるはずだ」


 玲奈は言葉に詰まった。


 他の生徒に見られた状態で彼に抱えられるという状況に対して無意識に意識してしまい、妙な緊張が走る。


「それは、まぁ……その……確かに、効率的かもしれませんね……」


 自分でも少し戸惑いながらも、声の調子を整える。


「とはいえ、全てのギミックをその方法で突破できるとは限りません。場合によっては、私も自分で動く必要があるでしょう」


「まぁ、そういう場面では適宜切り替えればいいさ。でも基本的には、俺が抱えて飛ぶ方が圧倒的に速いだろ?」


 玲奈は改めてルールを思い返しながら、小さく頷く。


「確かに、去年の試験でも明確にそうした行動が禁止された例はありませんでした。パートナー同士の連携を重視する競技である以上、戦略の一環として認められる可能性は高いでしょう」


「じゃあ、やるしかないな」


 翔太郎はあっさりと結論を出した。

 玲奈はまだ少しだけ躊躇いがあったが、勝つためには最適な策を選ばなければならない。


「……分かりました。では、一度試してみましょう」


 そうして、二人は”抱えて飛ぶ戦法”を実践することになった。




 ♢




「とまぁ、こんな感じだけど……どう?」


 数時間後。

 訓練所のスタート位置に戻り、翔太郎は抱き抱えていた玲奈を下ろしながら、彼女の様子を伺った。


 アイディアを出したのはあくまで翔太郎だが、今回の試験は玲奈の方針に従うと最初から決めている。彼女がノーと言えば、この案は即座に却下するつもりだったのだが……。


「はい。最初は少し不安もありましたが、実際にやってみると、かなり効率良く進めることが分かりました。私の想定よりも遥かに良かったです」


「初めて合わせたのに、案外上手くいくもんだな。こんなにスムーズに行くとは思わなかった」


「そうですね」


 予想以上に上手くいった事が幸いした。

 翔太郎と玲奈の異能のタイプは全く異なるが、走る速度に合わせて氷の足場を出現させるタイミングや、二人の息遣いなどは完全にシンクロしていた。


「初見であんなに上手く合うとは私も思いませんでした。翔太郎の動きが柔軟で非常に助かります」


「だろ? 何事も試してみなきゃ、分からないもんさ」


 二人の間に一瞬の静寂が流れる。

 目の前で浮かび上がった氷の足場が崩れ、二人はゆっくりと地面に降り立った。


「明日は筆記試験ですが、対策を立てる時間も無いので、二日目のアスレチックはこの方針で行きましょう」


「おう。頼りにしてるぜ、相棒」


「ええ、こちらもそのつもりでいますから」


 玲奈の微笑みと共に試験の方針が決まる。

 やはり、彼女がパートナーで良かったと改めて感じた。こちらの意図を汲んでくれる上に、常に冷静に状況判断を行い、最善の方針を立ててくれる。


 その時、彼女の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、翔太郎はふと視線を感じて顔を上げた。


 何かか直感的に──今感じた視線が気になった。


 翔太郎は、ほんの一瞬だけ視線に反応した。

 これまでの訓練や戦闘での反応とは異なり、ただ何となく、何かが視線を投げかけてきていることに気づいた。


 それは瞬間的なもので、正体が何なのかはすぐに分からなかった。

 しかし、気配を感じるのは初めてではない。訓練や戦闘では、しばしば他者の気配や視線に敏感になったことがある。

 それが今、ここで起きたのだ。


「ん……?」


 目線を追っていくと、遠くに、長くて艶のある金髪をポニーテールで一つに結んでいる、外国人の美しい少女が立っているのが見えた。


 彼女は無表情で、少し離れた場所からこちらをじっと見つめていた。

 その緋色の瞳はどこか冷静で、ただ静かに観察しているような雰囲気を漂わせている。


 第九席のアリシア・オールバーナー。


 零凰学園の十傑の一人。

 今回のパートナー試験でも、彼女は第七席の白椿心音と組んでおり、十傑同士の組み合わせでトップを狙っている最有力候補だ。


 その静かな観察者の存在に、翔太郎は少しだけ違和感を覚え、自然と目を向けた。

 目が合った瞬間、アリシアの緋色の瞳が鋭く一瞬だけ輝く。


「……」


 目が合った瞬間、アリシアの瞳は一瞬だけ鋭く光り、それを隠すようにすぐに視線を外した。

 その仕草に、翔太郎はほんの少し違和感を覚える。


「……あれは、アリシアか?」


 翔太郎は、アリシアが目を逸らした瞬間に軽く言葉を漏らすと、玲奈がそれに反応した。


「どうかしたんですか?」


 玲奈が不思議そうに訊ねてきたが、翔太郎は少しその場を見つめ、そしてすぐに何も言わずに視線を戻した。

 彼の心にはまだ、アリシアの態度が残っていたが、口に出すことはなかった。


 一呼吸おいてから、再び玲奈の方を見つめる。


 彼の中で何かがもやもやとした気持ちを引き起こしていたが、それでもその話題に関して詳しく言及することはなかった。


「……あそこにいるのは第九席のアリシアさんですね。彼女に、何か気になることでもありましたか?」


「いや、別に。ちょっと見られてる気配を感じたからさ」


「……私から注意しておきましょうか?」


 先日の影山の件を思い出したのか、玲奈の顔が無表情になる。彼女の冷たい声が響いたが、翔太郎はあっさりとその提案を否定した。


「いや、わざわざそこまでしなくて良いって。影山みたいに悪意がある訳でも無さそうだし」


「分かりました。翔太郎がそう言うのなら、心配ありませんね」


 二人の間に静かな空気が流れる。

 だがその静けさの中でも、翔太郎は少しだけアリシアの動きが気にかかる。彼女の行動の一つ一つには、何か意図があるように感じられてならなかった。

 ただ、今はそれを口にする必要もないと判断した。


「とにかく、試験前に余計なことは気にせず、明日の準備を最優先にしましょう」


 玲奈がそう言うと、翔太郎はようやくその静けさを受け入れたように頷く。


「そうだな」


 アリシアの視線は今も翔太郎の背中に突き刺さっているような気がしたが、それを気にしている暇はない。


 試験は明日と明後日の二日間。

 彼らは、自分たちが次にすべき事をはっきりと見据えていた。

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― 新着の感想 ―
次の話がすごい気になる終わり方ですごい面白かったです! 次回も楽しみにしてます 今後もご自分のペースで描き続けてください 応援してます
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