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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
序章 『雷鳴のファーストステップ』
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序章4 『滅亡』

 逃げた。

 ひたすら逃げた。

 決して離れないように妹の手を引きながら。


 逃げてしまった。

 何もできない無力な翔太郎は、皆を助けられる力を持つ陽奈を連れ出して逃げた。

 その事に罪悪感はあっても後悔は無い。

 何故なら、彼にとって、妹の命は他の誰よりも重かったからだ。


「はぁ……はぁ……!」


 走る間に汗と呼吸が乱れる。

 村を出たところで特に宛がある訳でも無い。

 それでも、必死に逃げて走った。


 走って、走って、走って。

 せめて、夜空に燃え盛る炎柱が見えなくなる距離にまで辿り着きたかった。


「お兄ちゃん」


「大丈夫だ、絶対に連れ出してやるから」


「うん……!」


 陽奈が強く頷いた瞬間、爆音が空に響いた。

 炎と共に上がるのは落雷と閃光。

 つい数十分前までは真っ暗だった夜空が何度も昼のように明るくなった。


 もう誰の悲鳴も聞こえない距離まで来たのか、走って逃げる二人の耳にはお互いの荒い呼吸しか聞こえなかった。


 もうかれこれ数十分は走っている。

 足が悲鳴を上げつつも、翔太郎は必死になって陽奈の手を握ってひたすら走る。

 口の中の渇きを感じながら、必死に喉を潤すように唾を飲み込んだ。


 炎の揺らめきが辺りを赤黒く照らし、息をするたびに焼け焦げた空気が肺を刺す。

 次の一瞬、陽奈の足が茂みからはみ出た木の枝に引っかかったように見えた。


「きゃっ!」


「陽奈!」


 短い悲鳴とともに、陽奈が前のめりに倒れ込む。翔太郎が反射的に手を伸ばした瞬間、自分もバランスを崩して前方に飛び出す形になった。二人はそのまま地面を蹴り飛ばし、坂道に転がり落ちる。


 転がりながら、視界がめちゃくちゃに回転する。土の感触が腕や頬に無慈悲にぶつかり、体中に鋭い痛みが走った。

 何度も地面に叩きつけられ、肺から息が強制的に絞り出される。必死に手を伸ばすが、空を掴むばかりで何も掴めない。


 やっとのことで転がりが止まると、体中に打撲の痛みが広がっていた。息を整える暇もなく、翔太郎はすぐに陽奈の方に目を向けた。土まみれになりながらも彼女は涙目で震えていた。


「ごめん、お兄ちゃん……」


「あ、ああ……俺は大丈夫だ。陽奈の方こそ、怪我は無いか?」


「ううん、痛くない。お兄ちゃんが守ってくれたから」


「守るって言ってもクッション代わりぐらいだよ。行こう、早くしないと追いつかれるかも」


「やっぱり、私の能力で移動した方がいいんじゃないかな。一応雷の力で高速移動が出来ないこともないと思うけど」


「ダメだ。大輝兄さんの戦いを見た感じ、アイツら雷の能力を感知してたっぽい。陽奈は力が強いんだし、ここで使って察知されたくない。地道に足で逃げてくしかないと思う」


「そう……だね、昼間ならまだしも、夜だと確かに目立つかも」


「ごめんな。陽奈にはいつも負担かけるな」


「負担なんて思ってないよ! むしろ、翔太郎お兄ちゃんは……一人で逃げられたのに、こうして連れ出してくれてる」


 土まみれの翔太郎の手を掴むと、陽奈は震えながら抱きつく。今、目の前に最愛の兄が確かに傍にいる事を強く感じ取った。


 鳴神家の新当主にして稀代の天才と言えど、まだ九歳の幼子。

 精神的には翔太郎よりも弱くて当然だった。


「ごめんなさい、私のせいでこんな事になって」


「陽奈のせいなんかじゃない!」


「────っ」


「さっき約束しただろ。陽奈が望むなら、俺がどこまでも連れて行くって」


 彼の力強い言葉に頬から涙が溢れた。


「もう鳴神家とか関係ない。力が強いとか、当主とかもどうでも良い。陽奈は俺の妹だ。兄貴が下の妹守るのなんか、当然なんだよ」


 意地悪な上の兄弟たちも、無関心な両親も、陽奈に重荷を背負わせる全てが今はいない。

 例え、力が無かったとしても妹を連れ出すぐらいのことは翔太郎がやらなければならない。


「行こう。せめて山の麓まで降りて、近くを通った人に助けてもらおう」


 翔太郎が陽奈の腕を引っ張って立ち上がろうとした瞬間、背後から冷たく鋭い声が響いた。


「こんな所に居たのか。鳴神陽奈」


「「──っ!」」


 背中にぞっとする寒気が走り、二人は恐る恐る振り返った。

 黒いフードを被った大柄の男だ。声質的に30代半ばから40代前後で、不気味な雰囲気を全身に纏う男は標的を見つけた事に歓喜していた。


 鳴神家の本家を襲撃しに来た三人のフードの男とは違う人物だったが、翔太郎の本能が命の危機だと叫んでいる。


「もう片方は……ああ、鳴神翔太郎か。本当に一般人並みの力しかないのか?」


「陽奈!今すぐ逃げろ!」


「残念だけど、それは無理な相談ね」


 男から陽奈を逃がそうと近くに落ちていた木の棒を反射的に掴んで向けたが、背後から妖艶な声を発するフードを被った女が現れた。


「鳴神陽奈ちゃん、こうして見ると本当に可愛らしくて幼いわね。この子が鳴神家の現当主だなんて実物見るまで信じられなかったわ」


 前後から囲まれ、二人は背中合わせになる。

 陽奈は翔太郎の焦る息遣いを強く感じ取っていた。元々彼はただの小学生並みの力しか無い。

 相手が鳴神家の本家を襲撃し、なおかつ互角以上に渡り合う実力者ならば、瞬きの間に命を奪われてもおかしく無い状況下だった。


 兄は自分を彼らから逃がそうと必死になって連れ出してくれた。

 こうなってしまった時、翔太郎を守ってあげられるのは誰だろうか。


「──私しか、いない」


「陽奈……?」


 翔太郎の目の前で、陽奈が一歩前に出る。

 小さな体は恐怖に震えているように見えたが、その瞳には強い決意が宿っていた。彼女は翔太郎を振り返り、ほんの一瞬だけ優しい笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん、絶対私から離れないでね」


 その言葉と共に、陽奈と翔太郎の周囲から青白い稲妻が走り出した。空気がバチバチと震え、周囲が瞬時に明るく照らされる。


「なるほどね、あの兄弟たちより強そうなのは強ち嘘でもないみたい。 良いわねぇ、お兄ちゃんを守るために可憐なあなたが必死に戦おうとするの、とても素敵よ」


「うるさい! お兄様と私に近付くな!!」


 翔太郎への呼称を「お兄様」と普段の鳴神家当主として戻すと、彼女の中で何かスイッチが入ったかの様に周囲の稲妻が更に強まった。


「九歳にして鳴神家の現当主となった神童。ボスが狙いを付けるのも分かる。間違いなく最強の能力者の一角になる素質を秘めている。襲撃があと5年遅ければ、誰にも手をつけられなくなっただろうな」


「──死ねっ!」


 巨大化した稲妻が轟音を鳴らしながら、辺りを吹き飛ばした。傍にいた翔太郎はただ見ている事しか出来ず、吹き飛んだ際に巻き上がった砂埃から顔を守るように腕を上げた。


 周囲の大木やコンクリートを滅茶苦茶にしながら、翔太郎以外の全てを吹き飛ばそうと陽奈の全身から青白い閃光が放たれる。


 フードの男女ふたりはその雷の威力に一瞬だけ目を見開き、反射的に身を引いたが、その体に迫る稲妻の閃光から完全には逃げ切れなかった。衝撃が彼を弾き飛ばし、彼らの周りの地面が焦げて煙を上げる。


「凄い……」


 思わず翔太郎は感嘆の声を漏らした。

 本家に居た間は何度も陽奈の異能力を見る機会があったが、それにしても規模も破壊力も他の兄弟とは桁違いだ。

 普通の人間なら、まともに浴びればまず間違いなく感電死しているであろう威力。周囲一帯を吹き飛ばした陽奈は息継ぎをしながら翔太郎を見つめた。


「お兄ちゃん、大丈夫!? 怪我とかない!?」


「う、うん。陽奈が俺を避けてくれたおかげで、全然平気だよ」


「良かった!」


 ギュッと抱き着いて兄の存在を確かめる。

 何よりも大切な温もりがそこにある事に、陽奈は安堵感で胸を撫で下ろした。


「ハッピーエンドなところ悪いけど、まだ誰も死んでない」


 先ほどの男でも女でもない、別の女。

 三人目のフードを被った女が他の二人を庇うように前に出ており、間違いなく直撃したはずの二人は全くの無傷だった。


「遅い、今まで何をしていた」


「少し村に残っていた残党を片付けていた」


 男がそう告げると、静かに気怠げな声で新たに現れた女が呟いた。


「遊びは終わり」


 次の瞬間、庇われた二人の内の女が一瞬で姿を消し、二人の背後に回り込んだ。妖艶な声を発した女の瞳が冷たく輝き、鋭い蹴りは翔太郎の脇腹にめり込んだ。


「がっ‥‥!?」


「お兄ちゃん!」


 翔太郎の小さな身体は何メートルも吹き飛ばされ、地面に転がりながら血反吐を吐いた。

 それを見た陽奈が怒りのまま再び能力を発動しようとしたが、その声はすぐに男の低い声によってかき消された。


「鳴神陽奈。お前をボスのところに連れて行く」


 男は陽奈の目の前まで近付いて手をかざし、術らしきものを発動した。暗い波動が陽奈を包み込み、彼女の瞳が次第に黒ずんでいく。


「あ、ああああああああああああっっ!!!」


 翔太郎は薄れる意識の中、陽奈が叫んでいるのが聞こえた。何をされているのか分からないが、とにかく凄く苦しそうに辛そうに声を上げる妹を見て涙が溢れる。


「や、めろ……」


 陽奈は一瞬のうちに意識を失い、フードの男へと倒れる。彼女を抱き止めた男は膝を抱え上げ、そのまま踵を返していった。


「ねぇ、鳴神翔太郎はどうするの?」


「放っておけ。どうせ使い道にならん」


「……鳴神陽奈は回収したし、早くボスのところに行こ。もう眠いし帰りたい」


「待、て……!」


 痛む脇腹を抑え、咳き込みながら翔太郎は立ち上がった。陽奈ですら全く敵わなかったフードの連中に、ただの子供が敵う道理など全く無いが、それでも立ち上がるしか無かった。


 陽奈を守れないぐらいなら、この先を生きたところで────。

 手のひらから微弱な電気を纏って構える。


「精々、静電気程度の威力ってところか。あのまま倒れておけば、死ぬ事など無かったものを」


「ごめんねぇ、坊や。妹ちゃん守りたい気持ちはよく分かるんだけど、格の差を考えた方が良いかもね。今寝ててくれたら──命までは取らないからさ」


「っ!?」


 先ほど翔太郎を蹴り飛ばした女が瞬時に距離を詰めると、彼の脳天に凄まじい速度で打撃を放つ。眉間に轟音が鳴り響き、翔太郎は一瞬にして意識を失った。




 ♢




「……ぁ」


 生きてる。


 痛みで頭を抑えながら、目を覚ました翔太郎は暗い山道の中一人で寝そべっていた。

 気絶する前のことを思い出そうと眉間を寄せた瞬間、強烈な痛みと共に額の隙間から微量の血液が零れ落ちた。


「陽奈は……?」


 声を出そうとしたが、かすれた喉からはほとんど音が出なかった。身体中が痛みで麻痺し、足元は不安定に揺れている。

 意識を失っていた時間は分からないが、状況は明らかに最悪だった。


「ひ、な……陽奈は……!? 陽奈ぁ!!」


 暗い山道の中、必死に叫んだ。

 陽奈はフードの男に抱えられ、翔太郎はもう一人の女に殴られて意識を失った。

 奴らは陽奈をボスの元へと連れて行くと言っていたはずだ。


 そこからの事はよく覚えていない。

 ただひたすら、我武者羅になって走った。

 足が千切れそうな痛みを訴え出しても、それすらも無視して息を乱す。


 暗い山道だったのだが、走っていく内に熱気と共に明るくなっていく。

 そこでようやく気付いた。

 ここは鳴神家があった集落の成れの果てだと。


 ひたすら妹の名前を叫んだ。

 目の前で連れて行かれた。守ると、連れ出すと言ったはずだったのに、何も出来なかった。

 少年の悲鳴に似た絶叫は燃え盛る集落の中で、ただ虚しく響き渡る。


「──────ぁ」


 そこで見た。

 見てしまった。

 六人のフードを被った男女が、仰向けに寝転んでいる少女を見下ろしていた。


 生きているのか、死んでいるのか分からない。

 ただ目の前の彼らが、自分とは全く格の違う生命体だという事と、寝転んでいる少女が自分の妹だということだけは分かった。


「ひ、」


 妹の名前を叫ぼうとした瞬間、男の一人が少女の胸元を手刀で貫いた。

 翔太郎は喉まで干上がっていた叫び声が一気に枯れ始めるのを感じた。男は貫いた手刀を一気に引き抜くと、赤黒い『ソレ』を取り出した。


 駄目だ、返してくれ。

 ソレが無いと妹は────。


 誰がどう見ても即死だと分かる一撃だったのに少年はひたすら現実逃避を続ける。信じられない光景を間近で目撃し、脳が理解を拒む。


 彼らのうちの一人が虚な目で涙を溢す翔太郎に気付いて一瞥した。

 まるで取るに足らない羽虫でも見るような瞳だった、これ以上この場にいたら、自分も陽奈のようになってしまうかもしれないと直感した。


「ぁ、ぁあ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!」


 気が付くと翔太郎は自分でも気付かない程に絶叫して、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら彼らの元から走って逃げていた。




 ♢




 どうして。

 どうしてこうなったんだ。


 燃え盛る村の中をただひたすらに走り続ける。

 周囲からは悲鳴やら断末魔やら、耳を塞ぎたくなるような叫び声が蔓延する。


 少年はひたすら走った。

 死にたくなかったから。


 つい一時間前までは家の隅で静かに座り、兄や姉の罵声を浴びていた。

 父や母は落ちこぼれだと言い続け、そんな両親に育てられた兄たちも真似するように落ちこぼれの少年を嘲笑っていた。


 こんな日常にも慣れ、最早浴びせられる暴言の数々に何とも思わなかった時期だ。今更、家族に対してどうこう言うつもりは毛頭無い。



 ──ただ、妹だけは違った。



 一族の中で歴代最強の潜在能力を生まれ持った妹は次期当主と目掛けられていた。

 そんな妹だけは少年を落ちこぼれと扱うことはなく、一人の人間として対等に接してくれた。


 家族の中で唯一信頼できる人間。

 そんな大切な妹が──目の前で殺された。


 村に上がっていた炎が徐々に鎮まっていく。

 時刻は真夜中。今日は満月という事もあって、雲一つない夜空が輝いて見えた。


 だからこそだ。

 炎が鎮まり返り、全てが無に帰した村がかえって凄惨に見える。


 その惨状を見て、ただひたすら叫んだ。

 無力で、無能で、死にゆく家族を助けられず、滅びゆく村を眺める事しかできなかった。


 ただひたすらに叫ぶ。

 ただ、ひたすらに──────。





 この日、日本最古にして最強の雷の異能力者一族『鳴神家』は、ただ一人生き残った少年・鳴神翔太郎を除いて、全滅した。

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