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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
39/92

第二章5 『日常の変化』

 放課後。


 買い物袋を手に提げながら、翔太郎と玲奈は並んで歩いていた。

 昼頃はどこか表情の固かった玲奈も、帰り道の途中からはいつもの落ち着いた様子に戻っていた。


「やっぱり夕方でも、少し暑くなってきましたね」


「だな。まだ5月に入ってないのに、もう夏って感じだ」


 他愛もない会話を交わしながら、二人は自然と足並みを揃えて翔太郎の住むアパートへと向かう。

 今日は夕飯の食材を買い足しにスーパーへ寄り、そのまま帰宅する流れになっていた。


「じゃあ、俺ドア開けるよ」


「両腕塞がってますよね? 私、合鍵ありますから大丈夫ですよ」


 そう言うや否や、玲奈はすっと鞄から合鍵を取り出し、慣れた手付きで鍵を開けた。

 まるで何年もここで暮らしている住人のような手際の良さに、翔太郎は思わず変な声を漏らす。


「荷物重くない?」


「大丈夫です。むしろ、両腕塞がっている翔太郎の方が重いんじゃないですか?」


「いや俺は男だし、別に良いんだよ」


 そんな風に軽く言いながら、玲奈はさっさと中へ入っていく。

 翔太郎も続いて部屋へ入りドアを閉めた。

 玄関には玲奈用のローファーが既に並んでいるのを見て、改めて妙な感覚に陥る。


(本当に……すっかりうちに馴染んでるな)


 同居してまだ三日目だ。

 最初は女子寮に入れなかった彼女に、家出を勧めた責任で住まわせてるみたいな感覚だったはずが、今ではすっかり自然になりつつある。


 テーブルの隅に置かれた玲奈のヘアブラシ。

 浴室に並ぶ彼女のボディソープとシャンプー。

 洗濯機の中では、自分のTシャツと玲奈の下着が普通に混ざって回っていたりする。


 本来ならもっと意識するはずなのに、孤児院で年下の女子と暮らしていたこともあってか、異性と暮らしていることに、不思議と居心地の悪さはなかった。


 むしろ、妙にしっくりきている自分がいることに、少しだけ戸惑ってしまう。


「どうかしました?」


「え?」


「先程から玄関で立ち尽くしてますよ。冷蔵庫に食材入れますから、荷物置いてください」


「……うん」


 促されて、翔太郎は慌てて買い物袋を渡す。

 玲奈は手際よく食材を仕分けし、冷蔵庫に片付けていく。


 なんか主婦っぽい動きの玲奈を見て、何とも言えない気持ちになりながら、翔太郎はそそくさとリビングへ向かう。

 いつもの流れでマットに腰掛け、何気なくテレビのリモコンを手に取った。


『都内各地で発生した連続放火事件について、現場からの中継です──』


 流れてきたニュースに、玲奈も冷蔵庫を閉めた足でリビングへ入ってくる。

 彼女は何気なく隣のソファに腰掛けた。


「放火事件ですか」


「みたいだな。しかも、異能力者の仕業だってさ」


 画面には焼け焦げた建物の映像と共に、現場検証中の警察の姿が映し出されている。

 火の回り方が異常に早く、通常の火災とは明らかに異なる痕跡が見られることから、異能力犯罪の可能性が高いとのことだった。


「……凄い燃え方してんな。誰だか知らないけど、酷い事するもんだ」


「えぇ。異能力を持つ人が増えれば、悪用する人も増えるのは必然です。皮肉な話ですが」


 玲奈の言葉は冷静だったが、どこか他人事とは思えないような感情も滲んでいた。

 彼女自身も異能力者である以上、こういったニュースは他人事では済まされないのかもしれない。


「関わるようなことがなければ良いけどな」


「そうですね。……ただ、翔太郎の場合は自分から面倒ごとに首を突っ込みがちだと思いますが」


「……否定できねぇ」


 リビングにはニュースの音声だけが響く。

 けれど、翔太郎はふと隣に目をやり、何気なく目に入った玲奈の姿にまた小さく思う。


 同居を始めてまだ三日目。

 けれど今や、買い物をして、帰宅して、一緒に夕飯の準備をして──そんな日常が、まるで最初から当たり前だったように感じてしまう。


「すっかり馴染んだな。お互いに」


「何ですか?」


「いや、何でもない」


 本当に、何なんだろうか。この感じは。

 翔太郎はぼんやりとテレビを見つめながら、そんな事を思わずにはいられなかった。




 ♢




 入浴の時間は、翔太郎にとって一つの難関だった。

 夕飯を済ませ、洗い物も終えると、自然な流れで玲奈がシャワーを浴びに行く。


 別に彼女に特別な感情があるわけではない。

 翔太郎はあくまでも、友人として、学園のパートナーとして、同居人として、彼女と接しているつもりだった。


 ──けれど、それはそれとして。

 同じ屋根の下で、同級生の女子と二人きりで暮らしているという事実は、やはり内心で微妙な意識を生んでしまう。

 しかも、間取り1LDKの部屋には脱衣所が存在しないという状況が、さらに翔太郎を妙な気分にさせていた。


 バスルームは、玄関からすぐ近くの洗面所の先にある。

 その為、玲奈が入浴している間、うっかりドアの前を通りかかったり、万が一にも出くわしてしまうことだけは避けなければならない。


 意識し過ぎかもしれないが、シャワーの音が微かにリビングまで聞こえる度に、どうにも落ち着かなくなる。

 頭では分かっているのに、無意識に足取りが慎重になり、目線すらも意識的に逸らしてしまう。


 だから翔太郎は、玲奈が風呂に入っている間は絶対に鉢合わせないように、洋室に避難するのが通例になっていた。

 買った漫画を読んだり、スマホをいじったり、学園の課題を適当に片付けたり──とにかく、彼女が出てくるまでの時間をなんとかやり過ごす。


「なんていうか……こういう時、やっぱり男って損だよな」


 ほんの数日前までは、こんなことを気にする必要なんてなかった。

 けれど、今は違う。


 まだ、始まって三日目の同居生活。

 それでも彼女がすっかりこの部屋に馴染んでいることを思うと、翔太郎は妙な実感を覚えてしまう。


 ──シャワーの音が止まった。


「……っと、そろそろか」


 瞬間、翔太郎は姿勢を正し、視線を意識的に窓の外へ向ける。

 このままリビングに戻ると、タイミング的にちょうど鉢合わせしかねない。

 かといって、あからさまに避けるような素振りを見せるのも、変に意識しているみたいで嫌だった。


 万が一、入れ違いで顔を合わせてしまったら──と考えるだけで、妙にソワソワしてしまう。

 だから翔太郎は、出来る限り自然に過ごしつつ、玲奈が風呂から出るタイミングだけは避けるようにしていた。


 ──しかし、そう思った矢先だった。


「お先に失礼しました」


「うおっ!?」


 不意に聞こえた声に、思わず変な声を上げてしまった。

 振り返ると、洋室の扉を開けた玲奈が、深々とお辞儀をしている。


「すみません、長くなってしまって……。お風呂、どうぞ」


「あ、うん」


 それだけ返すのが精一杯だった。

 ──自然と、目が逸らせなくなる。


 バスタオルで髪を拭きながら、玲奈はまだ少し湯気を纏っているように見えた。

 普段通りのラフな部屋着に着替えているのに、髪が濡れているだけで妙に色っぽく映るのは、きっと錯覚だろう。


 首筋を伝う水滴が、鎖骨の辺りへと流れていく。


「はぁ……気持ち良かったです」


 濡れた髪を掻き上げながら艶かしく呟く玲奈の姿を見た瞬間、翔太郎は思わず喉を鳴らしそうになった。


(初めて会った時から思ってたけど、改めて見ると玲奈ってめちゃくちゃ美人なんだよな……)


 何でもないように見えて、やたらと意識してしまう。

 ただ、同居人が風呂から上がっただけ。

 それだけのはずなのに、心臓の鼓動が少しだけ早くなっているのを自覚してしまう。


 ふと、玲奈が翔太郎をじっと見つめていることに気づいた。


「……私、どこか変ですか?」


「え? 変って何が?」


「いえ……さっきからその、視線を感じたので」


「あ、いや、違う。そういうんじゃなくて」


 髪をタオルで押さえながら、玲奈はどこか戸惑うように首を傾げた。

 その仕草すら、無意識に翔太郎の目を引いてしまう。


 彼女は視線を感じて、ほんの少しだけ頬を染めて俯いた。それがまるで、見られていることを恥ずかしがっているように見えて、翔太郎は内心焦る。


 たった数日前までは、こんなこと意識するはずもなかった。

 けれど今は、何気ない仕草や、普段見せない表情が妙に胸をざわつかせる。


「その……髪の毛変じゃないですよね?」


 玲奈が、指先で濡れた髪をいじりながら、申し訳なさそうに問いかける。


「大丈夫だって。別に変じゃないし、いつも通り綺麗だから」


「──っ」


 玲奈が、ピクリと肩を跳ねさせる。


「あ、あの……っ」


 不意に視線を泳がせたかと思うと、彼女は喉の奥で言葉を詰まらせた。

 まるで、自分の耳を疑っているかのように。


 そして次の瞬間。


「~~~~っ!」


 まるで悲鳴のような、けれどかろうじて声にならないような、妙な音が漏れた。


「え、何その声」


「なんでもないです」


 顔を真っ赤に染めた玲奈は、慌てふためきながら両手を軽く振る。

 だが、すぐに気付いたように動きを止めると、髪の毛をタオルで押さえながらモジモジと指先をいじり始めた。


「……綺麗、ですか」


 声はか細く、蚊の鳴くような音量だった。

 タオルで髪を押さえる仕草もぎこちなく、明らかに動揺しているのが分かる。


 本当に無意識だった。

 ただ、玲奈の髪が湿って光を反射し、普段よりも艶やかに見えたから。

 いつもの清楚な黒髪が、しっとりと肌に張り付き、その色香にほんの一瞬目を奪われただけ。

 何気なく綺麗と言っただけで凄い気まずい雰囲気になってしまった。


 玲奈が、おそるおそる視線を上げる。

 目が合った瞬間、反射的に目を逸らした。

 翔太郎はなんとか平静を装いつつ、少しだけ声を柔らかくして言った。


「まあ、それだけ長いと乾くのも時間かかるだろうし、風邪はひかないようにな」


「……はい」


 玲奈は俯いたまま、小さく頷く。

 まだ頬は赤いままだった。

 変な空気を振り払うように、翔太郎はベッドから立ち上がった。


「じゃあ、俺風呂入ってくるから」


「……いってらっしゃい」


 玲奈の声は、どこかいつもより控えめで。

 翔太郎が背を向けた瞬間、小さく息を吐く音が聞こえたような気がした。


 それからシャワーを浴びながら、翔太郎はぼんやりと天井を見上げる。


 三日目の同居。

 それだけなのに、どうにも落ち着かない。

 玲奈の赤くなった耳を思い出し、翔太郎はシャワーの勢いを強めた。

 ──こんなんで、これから先大丈夫なんだろうか。




 ♢




 さらに問題なのは、就寝時間である。

 翔太郎と玲奈の生活リズムはほとんど同じで、大体22時から23時の間に眠る。

 ただし、寝床は洋室に設置された二段ベッドである。


 翔太郎が下で、玲奈が上。


 本来なら一人暮らし用のシングルベッドを置くつもりだったのだが、引っ越し直前に剣崎が一人暮らし祝いと言い出し、ベッドを通販で注文してくれたことがあった。


 ──しかし、何をどう間違えたのか、届いたのは二段ベッドだった。


『いやいや、間違えたんなら今すぐにでもクーリングオフしようぜ。先生』


『別にいいだろ、どうせ値段も大して変わらないし。第一、二段ベッドなら施設で慣れてるだろ?」


『一人暮らしなんだったら、普通にシングルで良いだろ』


『誰か泊まりに来た時、床に寝かせる気か?』


 ──そんなやりとりを経て、今に至る。

 結果的に、今となってはこの二段ベッドも買っといてよかったと思うほどには役立っていた。

 特に、玲奈がこの部屋で一緒に暮らすとなった際には尚更だ。


「あの……私、リビングで寝袋使うので……」


 それは、玲奈が翔太郎の部屋に泊まることを決めた初日の夜。

 引っ越しの荷物を運び終えた後、彼女は鞄の中から折りたたんだ寝袋を取り出したのだった。


「寝袋? 床で寝たら身体痛めないか?」


「ですが、翔太郎の部屋でお世話になるわけですし……私が新しくベッドを買ってスペースを埋める訳にも行きませんから」


 そう言いながら、玲奈は申し訳なさそうに寝袋を広げる。

 その手つきは、まるで住まわせてもらっている人間として、当然の立場と言わんばかりだった。


「いやいや……年頃の女子がずっと寝袋ってのも──」


 さすがに、リビングで寝袋生活をさせるのは気が引ける。

 それに、生活でキツい思いをさせる為に氷嶺家から連れ出した訳でもないのだ。


「あのさ、玲奈が大丈夫なら、俺と一緒のベッド使ってもいいよ」


「……え」


 完全に善意からそう勧めたのだが、玲奈は信じられないものを見るかのように目を見開き、みるみる顔を赤くしていった。


「さ、さすがにそれは……」


「どうした?」


「いくらなんでも、まだお付き合いもしてない男女が同じベッドで寝るのは……。ほら、そういうのって、もっとこう……段階を踏むべきというか。というか、まだ私たちそんな関係じゃ──」


「い、いや違うって!」


 慌てて言葉を遮り、翔太郎はぶんぶんと手を振った。


「俺と一緒のベッドってそういう意味じゃなくて、二段ベッドだから上段が空いてるって話!」


「あっ」


 玲奈の動きがぴたりと止まる。


「……二段ベッド?」


「そう! 俺の隣じゃなくて、上! 洋室開けるからよく見てほら!」


 玲奈はようやく状況を理解したらしく、真っ赤な顔のまま、洋室のベッドを見上げる。

 確かに二段ベッドの上段は無人で、すぐにでも使える状態だった。


「あぁ……」


 玲奈は恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、両手で顔を覆う。


 学園での冷静沈着な彼女とはまるで別人だった。

 案外抜けてる面もあるんだな、と翔太郎は思わず呆れながらベッドのフレームに寄りかかる。


「その、二段ベッドだから同室で寝ることにはなるけど、玲奈に寝袋使わせるの可哀想だし、一緒の部屋を気にしないんだったらって思って」


「うぅ……」


 玲奈は恥ずかしさを引きずったまま、小さく呻く。


「でも、いいんですか? 翔太郎の方こそ、私と同じ部屋だと寝辛くありませんか?」


「別に気にしないよ。むしろ玲奈は女子だし、こっちが気遣うべきだと思ったんだけど」


 普通なら、いくらなんでも同級生の男子と同じ部屋で寝るのは抵抗があるだろう。

 だから、断られるかもしれない──と、翔太郎は半ばそう思っていた。


「……本当にいいんですか?」


 ところが玲奈は目を輝かせ、食い付くように返事をした。


「あ、うん。玲奈がいいなら別にいいけど……」


「助かります。実は、寝袋は覚悟してたんですけど、正直、床で寝る生活を続けるのはちょっとキツいかなって思ってました。ずっとベッド生活だったので」


「そ、そっか」


 ホッとしたような玲奈の表情を見て、翔太郎は内心少し拍子抜けする。

 てっきり異性と同じ空間で寝るなんて、と躊躇されるかと思いきや、玲奈はあっさりとベッドの話に飛び付いたのだ。


「……じゃあ、これからは私、上の段を使わせてもらいますね?」


「ああ。好きに使ってくれ」


「ありがとうございます!」


 ぱぁっと顔を明るくさせた玲奈は、嬉しそうにベッドの上段を確認する。

 そしてふと、ぽつりと漏らした。


「……良かった。いきなり寝袋で寝るのは……寒いし、ちょっと心細かったかもしれません」


「そりゃそうだよな」


 その言葉を聞いて、翔太郎は胸の奥がチクリと痛んだ。


 元々、家を出て行く決断をするだけでも相当な覚悟がいるはずだ。

 それを受け入れて、さらに床で寝るなんて、身体的にも精神的にもキツいに決まっている。


(……まぁ、二段ベッド買っといて、結果的に良かったって事か)


 あの日、剣崎が手配ミスしてくれたおかげで、少なくとも、今は玲奈の肩身の狭さを少しは軽減できただろう。


「じゃあ、寝るか」


「はい。おやすみなさい、翔太郎」


「おう、おやすみ」


 そうして始まった、二人の共同生活。

 玲奈が上段、翔太郎が下段。

 それぞれ布団をかぶり、天井を見上げながら眠りにつく。


 最も、翔太郎はこの時まだ気付いていなかった。

 この生活が、これほどまでに意識する日々になるとは。




 ♢




(……で、問題は今ってわけか)


 翔太郎は、二段ベッドの下段で仰向けになりながら天井を見つめた。


 あれから三日。

 特に問題もなく過ごせてはいるが──やはり、同級生の女子と同じ部屋で寝るという事実だけは、どうしても意識してしまう。


 最初は「別に気にしない」と思っていた。

 だが、三日間も共に過ごしてみると、ふとした瞬間に玲奈の気配を意識してしまう。


 例えば、玲奈が髪を乾かす音とか。

 服を畳む仕草とか。

 食事のときに美味しいと微笑む顔とか──。


 無意識に、視界のどこかに玲奈がいることを前提として考えている自分に、翔太郎は気づいていた。


(……慣れって怖いな)


 そんなことを考えながら、ぼんやりと天井を見つめていると。


「翔太郎」


「ん?」


 上段から、玲奈の控えめな声が聞こえる。


「今日も、ありがとうございました。ご飯とか、お風呂とか……色々と」


「いや、別に気にすんなって。それにご飯に関しては玲奈が作ってくれたじゃん。むしろ感謝しないといけないのは、俺の方だよ」


「ですが、翔太郎が食材を買ってくれなかったら作れませんでしたし……。何より、こうして泊めてくれてることが、一番助かっています」


 玲奈の声は、どこか温かみを帯びていた。


「改めてですけど、本当にありがとうございます」


 翔太郎は、思わず天井を仰いだまま、苦笑する。


「別に、大したことしてないって」


「いいえ。私にとっては、すごくありがたいことなんです」


「そもそも、玲奈をあの家から連れ出したのは俺だ。むしろ、玲奈が女子寮に入れなくて住むところに困らせたのは俺のせいだ」


「……それでも、私はあなたに感謝しています」


 玲奈の声は真剣だった。

 少しの沈黙の後、彼女はぽつりと続ける。


「氷嶺家では、ここまで誰かに気を許すことってなかったので」


「え?」


「使用人の方々とはあまり話さなくて、やっぱり一人の時間が多かったので。だから、こうして毎日誰かと一緒にご飯を食べたり、お喋りして過ごすのが、少し新鮮で……」


「そっか」


 玲奈は元々、冷静で大人びた印象がある。

 学園でも浮ついた雰囲気はなく、周りと適度な距離を保っているように見えた。


(玲奈って、案外こういう生活に憧れてたりしたのかな……)


 ──でも、もしかしたら、それはそうしていただけなのかもしれない。


「なら、玲奈の気の済むまで、好きなだけ居ていいぞ」


「……はい」


 小さく返事をしてから、玲奈は少し笑ったような気がした。


「それにしても、最初は『寝袋でも仕方ない』って思ってましたけど……やっぱりベッドで眠れて良かったです」


「そりゃそうでしょ。床で寝るのと比べたら、段違いだって」


「はい。おかげで、これからもぐっすり眠れそうです」


 玲奈の声が、ほっとしたように緩む。


「……おやすみなさい、翔太郎」


「おう。おやすみ」


 それからしばらくして、上段から静かな寝息が聞こえてきた。


 天井を見上げながら、翔太郎は心の中で自嘲する。

 同級生の女子と二人きりの生活──。

 冷静でいられるわけがないのに、自然に過ごせるわけがないのに。


 それでも。


「……まぁ、玲奈に寝袋生活させなくて良かったよな」


 ぽつりと呟き、翔太郎は目を閉じた。

 ──何にせよ、二段ベッドがあって本当に良かったと思う夜だった。

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