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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章4 『昼時』

 昼休み。

 学食のテーブルにて、玲奈がじっと翔太郎を見つめていた。翔太郎は黙々と食事をとっていたが、その視線に気づいた瞬間、口元がぎこちなくなった。


「あなた、馬鹿なんですか?」


 玲奈の一言で、翔太郎は思わず箸を止め、目を丸くした。


「え? あ、いや……」


「私以上に煽ってどうするんですか! 危うく彼、異能力発動するところでしたよ!」


 玲奈はテーブルに手を叩きつけるように言い放った。

 周りの生徒たちがその瞬間にちらりと視線を向け、驚いた様子で二人を見守った。


「だって、影山が……」


「なんか、私に『辞めろ──玲奈』とか格好つけて言ってましたけど、自分の方が状況悪化させてますよね?」


 玲奈がジト目で一歩も引かずに言うと、翔太郎はますますしどろもどろになった。


「ごめん! ほんとに、あそこまで影山が怒るとは思わなかったんだもん!」


「俺の方がお前よりも強いよ?みたいなニュアンスの言い方されたら、誰だって怒ります!」


 玲奈は手を顔にあてて、ため息をつきながら言った。

 翔太郎は少し黙り込んで、顔を下げた後、必死で言い訳をしようとしたが、何とか冷静を取り戻そうとしていた。


「だって、影山はよく分かんないけど俺に怒ってたんだし、玲奈が代わりに戦って怪我とかするよりは、俺に怒りの矛先が向いた方が良いかなって」


「人の心配をするのは結構ですが、あなたがそれで余計に状況を悪化させてどうするんですか? 自分の身を危険に晒す必要なんて、全く無いでしょう?」


「まあ、そうだな……確かに俺が軽率だった。ごめん」


「全く……ちゃんと反省して下さい。異能試験前に無駄な揉め事とか冗談じゃないですからね」


「自分だって影山に異能力使おうとしてたくせに……」


「何か言いましたか?」


「いえ、何も」


 翔太郎は玲奈の冷徹な視線に圧力を感じ、急に気まずくなったので、とりあえず目の前の牛丼を口に放り込み一気にかき込んだ。

 食べ終わると、丼をトレーに載せて立ち上がる。


「俺、ちょっとジュース買おうと思うんだけど、なんか買ってきて欲しいやつとかある?」


「普通に麦茶をください」


「オッケー」


 翔太郎は軽く答え、食器をまとめて一度深く息をつく。

 玲奈の説教から解放されるのが嬉しいわけではないが、ここにいるのも気まずいと思っていた。


 そのまま、トレーを片手に食堂の出口を目指して歩き出す。


 その背中を、学食のテーブルに座っていた一つのグループの目が追っていた。

 まるで翔太郎がどこに向かうのか、何をするのか、無言のうちに調べ上げるように、少し遅れて、それぞれが何も言わずに彼の後ろをついて行き始めた。




 ♢




「デッドガードって、島でこの自販機にしか売ってないんだよな……」


 翔太郎は呟きながら、校舎裏にひっそりと佇む自販機を見つめた。ここは学食から少し歩いた場所にあり、周囲には人影もない。

 校舎と自転車の駐輪場の間に位置し、まるで意図的に目立たないように置かれたその自販機は、翔太郎にとっては特別な場所だ。


 そして、デッドガードとは彼のお気に入りのエナジードリンクの一つだ。

 広大な学園島で唯一、この自販機にしか売っていないレア商品でもある。

 学園内にあるなら、今のうちに買っておこうという考えが頭をよぎった。


「玲奈は麦茶って言ってたよな……」


 翔太郎はついでに玲奈の分も頼んで、さっさと購入ボタンを押す。

 財布に残るスクールマネーを確認しながら、彼は少し溜息をついた。


 金額はわずかで、手元に残っているのはほんの少しだけ。引っ越しの際に振り込まれた生活費で、なんとかやりくりしているものの、どう考えても家賃すら賄うのは厳しい。


 剣崎からは「スクールマネーの制度があるんだから、さっさと十傑にでも入って何とかしろ」と言われていたが、それがあまりにも無責任に感じていた。


 翔太郎は無理してでも生活費を工面しなければならないが、正直なところ、そのやりくりの難しさに絶望すら感じていた。特に、もし居候の玲奈がスクールマネーを持っていなかったら、どうなっていたのかと想像すると心底不安になる。


「やばい。今のままだと、本当に玲奈のヒモになっちまうぞ」


 それでも、今は目の前の現実をなんとかしなければならない。

 翔太郎は、無理にでも笑顔を作り、買った飲み物を手に持ちながら、玲奈の元へ戻る決心を固めた。


「ん?」


 翔太郎が振り返ると、突然、数人の男子生徒が自販機の周りに集まり、彼の動きを封じるように近付いてきた。


 その中の一人が、じっと翔太郎を見つめながら、鼻で笑った。


「よう、推薦生。ちょっと面貸せよ」


「まあ断ったところで、強制的だけどな」


 彼らの声色に込められた侮蔑は、明確に翔太郎の立場を見下すものだった。そんな彼らの態度にクラスメイトである雪村を思い返していた。


 翔太郎にとって見覚えのない顔だが、どうやらA組の生徒ではないらしい。

 彼らはおそらく他のクラスの生徒で、推薦生という立場が不満だったのだろう。


「何か、俺に用か?」


 一人の男子が、鼻を鳴らして続ける。


「電子生徒手帳の通知を見た。氷嶺玲奈とパートナー組んでいるって言うのは本当か?」


「うん、本当だけど」


 翔太郎は何てことない調子で答えると、周囲の男子たちは一斉に冷たい視線を向けてきた。

 視線の先には、氷嶺玲奈に対する憧れと、彼女と繋がったことに対する強い嫉妬が交錯していた。


(なんかコイツら雪村たちに似てるな。玲奈って、男運はともかくとしてやっぱりモテるのか?)


 だが翔太郎は、その感情を特に気にするでもなく、平然と顔を向けた。


「なぁ、お前みたいな推薦生の落ちこぼれが、どうやって氷嶺さんとパートナーの契約を済ませたんだ?」


「え、落ちこぼれ?」


 男子の一人が眉をひそめながら、声を荒げた。

 突然吐かれた暴言に思わず面食らうが、他の男子たちも口々に言葉を投げつけ、翔太郎に向けた悪意を隠すことはなかった。


「推薦生ってだけで、俺らみたいな一般生には到底届かない存在なのに……1162位のお前が氷嶺さんと組むなんて間違ってると思わないか?」


「そう? 頼んだら普通にOK貰ったけど」


 あくまで事実だけを伝えたが、翔太郎が何か答えるたびに、向こうのグループから不満の声が上がる。


「俺ら、氷嶺さんみたいな完璧な人に憧れてるんだよ。あの人は去年の試験、一人で全て突破して十傑に成り上がってるのは知ってるよな?」


「まあ、それなりには」


「だったら何でお前みたいな、推薦で入っただけのゴミクズと組んでんだよ」


(ゴミクズ呼ばわり……)


 完全に初対面でこの言われようである。

 男子たちの言葉は、単なる嫉妬と憎しみにまみれているようで、あまりに露骨過ぎる彼らの態度に、思わず翔太郎も乾いた笑いが出そうになった。


(うーん……何で俺に絡んでくるのって、こんなのばっかなんだろう? 普通に仲良くしたいんだけどな)


 彼らの態度は、単なる羨望と憎しみが入り混じったもので、挑発のようにも感じられる。

 彼自身は別に玲奈に対して手を回した覚えはないし、こんな質問をされる理由もわからなかった。


 大人数で囲んでいることをいいことに、彼らはどんどん言いたい放題を言っていた。

 挑発と圧力を掛け続けながら、翔太郎をまるで自分たちの遊び道具か何かのように扱っているようだ。


「なあ、教えてくれよ。氷嶺さんに近づく方法、何か裏技でもあるのか? 教えてくれれば、半殺しで済ませてやるからよ」


 だが、これ以上関わるのも面倒だと思い、翔太郎は口を開いた。


「半殺しする前提かよ。てか、そんなこと聞いてどうすんだ?」


 男子たちはそれぞれ微笑を浮かべて、続けた。


「この中の誰かが、新しく氷嶺さんと組む。少なくとも1162位のお前よりも、試験で結果を出せるのは間違いないだろうしな」


 翔太郎は息を呑んで、思わず少し考え込んだが、すぐに無駄だと気づく。

 ここで何を言っても、この連中は納得しないだろう。


「別にそっちが何を思ってるかは知らないけど、俺が玲奈とパートナーになった理由なんて、玲奈本人に普通に頼み込んだだけだよ」


 翔太郎はあくまで真実を伝えた。

 言い訳の余地もなく、ただその事実を言い切る。


 だがその真っ直ぐな一言に、男子たちは一瞬戸惑った表情を見せた。

 しかし、それも一瞬のこと。

 すぐに顔を歪め、再び態度を変えずに言葉を投げかけてきた。


「普通に頼み込んで、あの氷嶺さんが頷く訳ねえだろ!」


「あの人はなんでも一人で済ませちまう人なんだよ。十傑じゃなくたって、きっと単独参加した筈だ!」


 男子の一人が皮肉たっぷりに言った言葉が、翔太郎に向けられる冷徹な目線に乗っかる。

 その声は、疑いと嫉妬の色を隠しきれずに震えていた。


「絶対汚い手使ったんだろ。何か裏があるに決まってる」


「そうでなきゃ、十傑が推薦生のゴミクズを相手にする訳ねえもんな?」


 別の男子たちも口を開く。

 彼の声もまた、翔太郎の言葉を完全に受け入れる気はなく、根深い不満が隠しきれない。


「いやいや、本当に何もしてないって。ただ最初の方は断られてたけど、この四月中に頑張って声かけ続けたら、ようやくOKもらっただけだよ」


 翔太郎はあくまで淡々と話す。

 しかし、彼のその言い回しは聞き手次第では、まるで諦めずにアプローチしたら、告白のOKをもらったかのような軽やかなニュアンスで伝えられた。

 そんな風に語られる氷嶺玲奈との関係が、彼らには耐えられないことだろう。


 男子たちはその言葉にますます怒りが湧いてきたのか、ますます翔太郎に圧をかけてきた。


「勘違いしてんじゃねえぞ、推薦生風情がよぉ!」


 一人が声を荒げた。

 周りの男子たちも無言でその言葉に同調して、さらにその空気が悪化していった。


「だいたい、お前みたいな推薦生が、あんなすごい氷嶺さんと組んでるのが気に入らないんだよ」


「推薦で入っただけのゴミクズが、あの氷嶺さんと……」


「ほんと調子乗ってんじゃねえぞ」


 それぞれが次々と翔太郎に対して不満をぶつけてくる。完全に感情的になり、冷静さを欠いた野次と罵声が飛び交う。


「マジかよ。推薦生ってこの学園でそんなに嫌われてたのかよ」


 悲しさよりも先に、ここまで清々しく嫌われているとむしろ驚嘆すら覚える。

 何をすれば、ここまで推薦生が嫌われるなんて環境になるのだろうか。

 そして、翔太郎を睨み付けていた内のその一人が単刀直入に言い放った。


「単刀直入に言うけど、氷嶺さんとパートナー解消しろ」


「はぁ?」


「はぁ?じゃねぇよ。自分でも釣り合ってないって分かってんだろうが。十傑の足引っ張るぐらいなら、見てるこっちも気分悪いから自分から解消しろって言ってるんだ」


 その一言に、男子たちの眼差しが一斉に翔太郎に向けられる。

 圧倒的な数の力で迫られ、言葉に力が込められていた。


「玲奈に言われたならまだ分かるけど、なんで無関係の人の言う事聞く必要があるんだよ」


 男子たちの要求は、もはや強要とも取れる命令に変わっていたが、翔太郎はまるでそんな命令が存在しないかのように、動じることなくその場に立ち尽くしていた。


「この数に囲まれて随分と余裕だな、推薦生よぉ!」


「お前みたいなやつに、氷嶺さんのパートナーなんて相応しくないんだよ!」


「ランキング四桁台なんかが、あんな完璧な氷嶺さんと一緒に試験受けて、甘い汁を吸おうとしてるのが許せないんだよ!」


 別の男子が続けて冷たい声で言った。

 その目には、嫉妬と憤りが交錯していた。


(どう収集付けるんだ、これ……)


 翔太郎は、もう何も言わずにその場で立ち尽くしていた。

 その言葉が翔太郎の耳に入るたび、彼の心の中で、冷徹な思考が広がっていった。

 この男子たちの言葉は彼の目にはただの戯言にしか見えなかった。

 逆に、あまりに露骨で清々しいほどの差別と誹謗中傷に、翔太郎は一周回って感心しているレベルになっていた。


(ここまで嫌われる推薦生って逆に凄いな。よっぽど学園でなんかやらかした奴がいたのか?)


 その感覚が翔太郎に余裕の態度を与え、男子たちの罵声や圧力がいっこうに彼に響くことはなかった。


「お前らあれか。もしかして、玲奈のファンクラブ的なやつ? 悪いけど、誰に何言われても契約を解消する気はないよ。せっかく見つかった相棒だしな。こっちから頼んだのに、自分勝手に解消したら玲奈に失礼だろ」


 翔太郎は呆れたように頭を掻きながら言い放つ。

 だが、男子たちはますますヒートアップし、ますます言葉を荒げていく。


「お前への心象なんてどうでも良いんだよ!」


「この人数相手によくそこまで余裕な態度取れるな、お前!」


 一人の男子が憤りを爆発させると、周りの男子たちもその勢いに引き込まれる。

 今や翔太郎を取り囲んだ男子たちの目は、まるで一斉に彼を引き裂こうとするかのように鋭い。


 翔太郎は冷静に肩をすくめ、言葉を選びながら提案した。


「じゃあさ、異能試験の結果見て判断してくれよ。実力が全てのエリート校なら、そこで結果を出せば、お前たちも認めてくれるんだろ?」


 彼はこの状況をなんとか収めようと、試験の結果で全てを証明すれば、少なくとも論理的には納得できるだろうと考えていた。

 だが、その提案が帰ってきたのは、さらに激しい罵詈雑言の嵐だった。


「ふざけんな! 推薦生って時点で、お前の立場はもう終わってんだよ!」


「ガタガタ言ってねぇで、今すぐパートナー解消しろって言ってんだゴラァ!」


 声が上がる度に、男子たちの圧力が増していく。

 翔太郎が提案をしても、もはや彼らは耳を貸す様子もなく、その言葉には一切の理性が欠けていた。

 彼の目には、ただ自分たちの感情を吐き出すことしか考えていない姿が見えていた。


(もう何を言っても無駄か)


 内心では呆れ、同時に冷静さを保つ自分に少しだけ感心しつつ、翔太郎は再び肩をすくめた。

 何とか収めようとしたが、相手の態度はますますエスカレートし、彼の心情が少しずつ冷めていく。


「マジかよ、詰んでるじゃん。もう何しても好感度上がんないの?」


 翔太郎は半ば諦めの表情を浮かべて呟いた。

 だが、その瞬間、一人の男子がとうとう耐えきれずに翔太郎に手を伸ばした。


「いい加減にしろよ。どこまで俺たちを舐めてりゃ気が済むんだ?」


「推薦生の分際で、こいつ……!」


 その男子は、翔太郎の肩を掴むと、思い切り力を込めて引き寄せようとする。

 その手には明らかな怒りと、無理にでも事を荒立てようという意志が込められていた。


 男子の目には、翔太郎に対する強烈な敵意が宿っている。周囲の男子たちは、その行動を支持するかのように見守り、まるで翔太郎が耐えきれないことを期待しているかのようだった。

 翔太郎は無言でその手を軽く払いのけ、冷静な目を向ける。


「──やめろよ」


 翔太郎の声には冷徹さが宿っていたが、内心ではすでにこの連中の反応に対して一切の興味を失っていた。

 ただ、今の状況を収束させるためだけに、最小限の抵抗を見せただけだった。


「出来れば、誰も怪我させたくない」


「なんだと!?」


 だが、その男子は翔太郎の言葉に引き下がることなく、むしろ勢いを強めようとする。

 翔太郎がさらに冷たい目で見つめたその瞬間だった。




「──君たち、そこまでだよ!」




 凛とした、まるで花のように透き通った声が校舎裏に響いた。


 その場の空気が一瞬にして凍りつく。

 全員が声の主に視線を向けると、廊下の向こうから一人の少女がゆっくりと歩いてくる。

 肩までの銀髪を揺らし、翠色の瞳を真っ直ぐに向けたその姿は、まるで風に舞う白椿の花のようだった。


「やべ、第七席だ……!」


「なんでこんな所に──!?」


 ──零凰学園十傑、第七席・白椿心音。

 その名を知らぬ者は、この学園にはいない。


 屈託のない笑顔を浮かべた彼女の姿は、一見すればスタイル抜群の可愛らしい少女に見える。

 けれど、その華奢な体に秘められた実力と肩書きが、男たちの神経を鋭く刺激していた。

 彼女が現れただけで、周囲の男たちに明らかな動揺が走り、空気が一変するのを翔太郎は感じた。


 彼女の静かで穏やかな問いかけ。

 だが、その声にははっきりとした威圧感があった。

 内部生の男子たちは反射的に背筋を正す。


「な、なんだよ……急に現れてよ」


 声を震わせながら、男子の一人が強がるように言う。


「何って、そのまんまの意味だけど? 鳴神くんのこと、こんな大人数で囲んで何してたのかな?」


 心音はいつもの調子で天真爛漫に笑ってみせる。

 けれど、その瞳には冷ややかな光が宿っていた。


 可愛らしくて天真爛漫。

 そして実力と人間性も兼ね備えてる。

 それが白椿心音という少女の周囲からの評価である。

 しかし、今はその無邪気さが逆に恐ろしさを感じさせた。


「仲良く話してたんだよ、なぁ?」


 男子たちは顔を見合わせて、慌てて頷く。


「あ、ああ!そうだよ!な? ちょっと話してただけで──」


「学園内で喧嘩を起こされるのは、十傑としても見過ごせないかなー。今すぐ双方、拳を収めるべしだよ」


「い、いや……別に喧嘩してたわけじゃねえよ。ちょっと話してただけで──」


「そう? 見たところ、君たちが鳴神くんに一方的に絡んでるように見えたけど? そこんとこ、どうなの? 鳴神くん」


「鳴神も言ってやれよ。俺たち交流を深めてただけだってな」


 口調こそはフランクだが、彼らの態度は十傑の心音に対して余計なことは喋るなと言わんばかりの表情だった。


「……そうなのか?」


 しかし、それに気付かない翔太郎がぽつりと呟いた。


 天然な彼は、心音が助け船を出してくれたことにまるで気付いていない。

 どう答えるべきか考える素振りすらなく、ただ聞かれたままに事実を言葉にする。


「まぁ、玲奈とのパートナーを解消しろとかなんとか言われたな」


 瞬間、男子たちの顔が怒りで歪んだ。


「て、てめぇ……!」


「余計なことベラベラ喋りやがって……!」


 男たちの視線は、明らかな敵意を帯びて翔太郎に注がれる。それでも翔太郎は相変わらず飄々とした顔のまま、首をかしげた。


「なんだよ? 心音に聞かれたから、正直に答えただけだろ」


 まるで悪気がない。

 けれど、その無自覚さこそが男たちの苛立ちをさらに煽っていた。


「チッ、マジでムカつく田舎モンが……」


「推薦生のくせに調子乗りやがって……」


 抑えきれない悪意が、歯の隙間から漏れ出す。

 それは劣等感と嫉妬が入り混じった、醜い感情の塊だった。


 彼らにとって、翔太郎は最も許せない存在だった。

 編入試験すら受けず、特待枠でこの学園に入った田舎者。

 それでいて、氷嶺玲奈という十傑の美少女をパートナーにしている男。


 その上、いくら絡んでも、まるで意に介さないどころか天然で煽り返してくる始末。

 ──彼らの矮小なプライドが、翔太郎の存在そのものを拒絶していた。


「へぇ〜……そうだったんだ」


 ふいに、心音が楽しげに声を上げる。


 しかし、その笑顔の裏に滲む気配は明らかに先ほどまでとは違っていた。

 柔らかく笑みを浮かべながらも、その瞳は鋭く男たちを射抜いている。


 心音が掌を大きく叩いて視線を戻した。


「そっかそっか。正直に言ってくれてありがとう。実はね、私も君たちの会話を途中からだけど聞いてたんだ。君たち、推薦生に対する偏見で、無意味に鳴神くんに絡んでいただけでしょ?」


 男子たちの顔が強張る。

 心音はふわりと笑みを浮かべたまま、男子たちの目の前まで歩み寄る。


「そ、そんなこと……!」


 再び翔太郎が首をかしげる。


「心音もそんなに目くじら立てなくていいって。玲奈とパートナーを解消しろって言われたこと以外は、特に何もされてないし」


 男子たちの顔がますます引きつった。


 悪意のある言葉を散々ぶつけたのに、当の本人はまるで気にもしていなかったのだ。

 それどころか、今の言葉はまるで、この程度の絡みなんて大したことじゃないとでも言っているようだった。

 彼らにとってそれは、何よりも屈辱的なことだった。


「……チッ、くだらねぇ」


「十傑が推薦生の肩を持つのかよ……」


 悔し紛れの悪態を吐く男子たちに、心音は一歩前に出る。その立ち居振る舞いはまるで咲き誇る花のように気高く、何より美しかった。


「十傑が推薦生の肩を持つかどうかじゃなくてね──私はただ、気になることは気になるって言ってるだけなんだよ?」


「……」


「鳴神くんに謝ろっか?」


「……おい、お前ら引き上げるぞ」


 心音から謝罪を促されるも、集団の内の一人がバツが悪そうに言い放つ。

 それについて行く男子たちは謝罪をする事なく、ぶつくさ言いながら舌打ちをし、恨めしそうに翔太郎を睨みつけて去っていった。


 騒ぎが収束し、再び静寂が訪れる。

 翔太郎は短く息を吐くと、軽く後頭部を掻いた。


「何だったんだ、あいつら?」


 ぽつりと零れたその声には、本気で首を傾げるような無頓着さが滲んでいた。


 絡まれていたという自覚すら薄いのか、それとも単に気にしていないのか。

 その鈍感さに、心音は呆れたようにため息をつく。


「もう。あれで特に絡まれてないとか、本気で言ってるの?」


「ん? いや、別に殴られたわけじゃないしな」


「そういう問題じゃないし」


 頬を膨らませて抗議する心音に、翔太郎はどこ吹く風といった顔で肩をすくめる。


 悪意に晒されてもどこまでも自然体で、まるで他人事のように流してしまう。

 その天性の鈍感さと図太さは、たぶん無意識に身につけた処世術なのだろう。


 ──だけど、それが余計に内部生の彼らを苛立たせることに本人は気づいていない。


「今回は鳴神くんは何も悪くないけど、一応、相手の怒りを煽るような言い方や態度はダメだからね? 余計に面倒ごと増やすだけだし」


 心音は少し困ったように眉を下げ、諭すように言った。

 その声音はあくまで優しく穏やかだったけれど、どこか母親のような響きがある。


「煽ってたつもりはないけどな」


 ますます首を傾げる翔太郎に、心音はふっと笑いながら肩をすくめた。それを本人がまるで意識していないのも、彼らしいというべきか。


「まあ絡まれてたように見えたなら、一応助かったよ。ありがとな」


 ぽつりと呟くと、心音は肩に手を置いて満面の笑みを浮かべた。


「どういたしまして。困った時はお互い様でしょ?」


「あんまり困ってるつもりはなかったけどな」


 翔太郎は苦笑する。

 確かにさっきの自分の態度が余計に火に油を注いでいたのかもしれない。


「でも、ありがとう。心音」


「うんうん。もっと私に感謝していいんだよー?」


 無邪気なその言葉に、翔太郎は自然と頬を緩ませた。

 ──この少女は、玲奈やアリシアともまた違う。


 どこまでも真っ直ぐで、誰にでもフランクで、天真爛漫で自由な存在。

 だからこそ、人を怒らせることなく、すっと懐に入り込んでしまうのだろう。

 それがかえって、彼女の十傑という肩書きに対する信頼を裏打ちしているのかもしれない。


 入学当初、翔太郎は最初に玲奈へパートナーを申し込んだが、あっさり拒否されてしまった。

 次に心音へ打診に向かったものの、彼女は試験で上位を狙うため、既に同じクラスの十傑第九席・アリシアと組んでいた為、引き下がったのだ。


「鳴神くん、ちょっと話さない?」


「え?」


 微笑みながら、突然の心音からの一言。


「一応、俺、人待たせてるんだけど」


「大丈夫。聞きたいこと聞いたら、すぐ終わるからさ」


「それなら、まぁ……」


 翔太郎は手にしたデッドガードのペットボトルを握り直す。


 それを見た心音も自販機にて全く同じものを購入した。彼女の手にも同じくデッドガードが握られている。


「あ、デッドガードじゃん。心音も飲むのか?」


「まあね。私、これを買いに来たんだよね。学園で売ってる所はここ以外無いし」


 学園島ではここの自販機でしか買えないエナジードリンク。

 甘味の強い独特な味で、好き嫌いが分かれることから学園内でも飲んでいる生徒はほとんどいない。


「好きなのか?」


 翔太郎の問いかけに、心音は目を瞬かせた後、くすっと口元を緩めた。


「うん、割とね。めっちゃ甘いのと辛いのが両立してるのがクセになるって言うか」


「意外だな。女子は炭酸飲料よりも、ミルクティーとか飲んでそうな感じするけど」


「そういうの、ちょっと偏見じゃない?」


 悪戯っぽく目を細めながら、心音はペットボトルを軽く掲げる。


「鳴神くんこそ、好きなんだ?」


「ああ。ここの自販機にあるの知ってから、たまに飲んでる」


「ふふっ。私たち、ちょっと趣味合うのかもね?」


 からかうような笑みを浮かべながら、心音は自販機の前からベンチへと翔太郎を誘った。

 彼女の屈託のない態度に翔太郎もつい肩の力を抜いて、その後をついていく。


 ベンチに並んで座ると、心音は改めて手にしたデッドガードのキャップをカシュッと開け、ひと口。

 翔太郎もそれに倣って口をつける。


「で、聞きたいことって何だ?」


「単刀直入に聞くけど、鳴神くんって本当に氷嶺さんとパートナー組んだんだよね?」


 どこか信じられないような表情の心音。


 翔太郎は2年生から転入してきたため、玲奈が1年生の時どんな生徒だったかは知らない。

 しかし、わざわざ心音がこうして確認しに来るくらいなのだから、玲奈が誰かとつるむこと自体がかなり珍しいのだろう。


「そうだな。頼んだらOKしてもらった」


「でも、最初に頼んだ時は断られちゃったんだよね?前に図書館ではそう言ってたし」


「まあな。でも、その後に色々あってな」


 フードの女や凍也との諍いについては特に話す理由もないので、適当に濁す。

 すると心音は興味津々といった様子で翔太郎に向かってぐいっと前屈みになった。


 彼女の豊満な双丘が主張されて思わず目を逸らす。

 しかし、心音の翠色の瞳が至近距離でじっと翔太郎を逃すまいと覗き込んだ。


「え、何それ。すっごい気になるんだけど!」


「いや、そんなわざわざ話すほどのモノじゃないって」


「だって、あの氷嶺さんがだよ? しかも相手が転入生の男の子って言うんだから、今一番学園中から注目されているコンビって言っても過言じゃないよ」


「過言でしょ。玲奈のパートナーが無名の推薦生って時点で、心音とアリシアの十傑コンビに比べたらだいぶ話題性薄いんじゃないか?」


「いやいや、私とアリシアは普段一緒にいるから特にそんな風には思われないんだって。氷嶺さんの場合は、ほら……いつも一人でいるイメージが強いからねー」


「あいつ、どんだけ周りからコミュ障だって思われてるんだ……?」


 ぼそっと漏れた翔太郎の独り言に、心音はくすくすと笑いながら缶の飲み口を指でなぞる。


「ま、そういうのも含めて鳴神くんと氷嶺さんのコンビは目立ってるんだよね」


 風みたいに軽やかで、どこまでも自由な少女の笑顔。

 けれど、その目の奥にはどこか探るような光がわずかに宿っていた。


「確かに、いきなりランキング四桁台の推薦生が十傑と組み始めたら、経緯知らない奴らは驚くか。しかも十傑の中でも、玲奈は誰とも組まないから余計に」


 あくまで他人事のように言い放つ翔太郎。


 周囲からの評価など気にする様子はない。

 けれど、少なくともA組の視線は入学当初よりも柔らかくなっているのを感じていた。


 ゴーレムを瞬殺したことや、雪村との諍いを目の当たりにした生徒たちは、翔太郎の実力を無視できなくなりつつある。

 パートナーの玲奈の態度も手伝ってか、少なくとも今のA組で翔太郎に正面から喧嘩を売るのは影山くらいのものだった。


 ただ、それが自分の評価の変化によるものかどうか──翔太郎自身は深く考えることもなく、静かにペットボトルを傾けた。


「そりゃそうだよ。で? 本当に何も無いの?」


「なんだよ。何も無いの?って」


「だから、ほら……結構噂してる人もチラホラいるんだよ? 鳴神くんと氷嶺さんが付き合ってるんじゃないか、とかさ」


 心音がペットボトルを回しながら、何気なく口にした言葉に、翔太郎は思わず苦笑する。

 自分と玲奈が付き合っている──そんな話、初耳だった。


「マジで言ってんの?」


「マジで言ってるよ。クラスの女子とか、他のクラスの子も結構噂してるよ? なんか、朝の二人の雰囲気がそれっぽいって」


「えぇ……そうかな?」


 思わず鼻で笑いつつ、翔太郎は内心危機感を覚える。

 まさかそんな噂が立っているとは思わなかった。

 せっかく氷嶺家から解放して自由になれた筈なのに、自分といきなりそんな噂を立てられたら、玲奈も学園で不自由な思いをしかねない。


「いや、別に何も無いからな? 俺たちは、ただのパートナーだよ」


「ふぅん?」


 心音はあくまで軽いノリで相槌を打ちつつ、どこか意地悪そうにニヤッと笑ってみせる。


「でもさ、氷嶺さんって、今まであんまり誰かとつるむタイプじゃなかったじゃん? それなのに鳴神くんとは普通に話してるし、朝の噂話とか結構怪しいし……だから、みんながちょっと気になるのも分かるんだけどね」


「それはなんて言うか、今までの玲奈の態度が問題だな。 あいつ、どんだけ人と接してなかったんだよ……」


 頭を抱えそうになった。

 人付き合いの良さそうな心音ですら、玲奈はあまり人と関わらないという認識を持っている。彼女が気楽に話せる人間は本格的に翔太郎のみなのかもしれない。


「でもさぁ、ホントのところどうなの? 鳴神くんの方から、ちょっとぐらい氷嶺さんのこと意識したり……とかは?」


「いやいや、無いって」


 翔太郎は即答した。


「そもそも玲奈って、そういうの興味あるのかどうかも分からないんだよな。俺も、別に玲奈をそんな風に見てないし」


 完全に興味本位で聞いた心音。

 それ以上詮索するつもりはないのか、デッドガードを啜りながら軽く肩を竦める。


「でもさぁ、正直羨ましいけどね。鳴神くんって氷嶺さんと普通に話せるじゃん? 私なんて入学してからほとんど話したことないし、他の子も同じ感じだし……やっぱり話し掛けづらいんだよね、あの子」


「そうか? 別に最初から普通だった気もするするけど」


 確かに最初は面倒そうな顔をされた時もあったが、特に彼女から無視されたことはない。

 今は普通に会話できるし、並んで歩くのも違和感が無くなった。

 当初は十傑に媚びへつらう推薦生だと、周囲の視線も冷たかったが、先ほどの男子たちも然り、今ではむしろ、周囲から羨望の眼差しが混じり始めている。


「一つ聞いても良いか?」


「ん? なに?」


「さっきの男子たちの反応見て思ったんだけどさ、やっぱり玲奈ってモテるのか?」


 ふと、口をついて出た。

 特に深い意味は無い。単純な興味である。

 けれど、心音はもしやと目を輝かせた。


「おっ、なになに? もしかして鳴神くんも、氷嶺さんのことがちょっと気になる感じ?」


「違うって。ただ単純に、玲奈の周りからの評価を聞きたいだけだよ」


「あはは、そういうことね。んー、実際のところどうなんだろ。彼氏がいるとかは聞いたことないけど……でも、氷嶺さんのことが好きだって言ってる男子は結構いるみたいよ?」


「マジか」


「うんうん。だって美人だし、頭良いし、強いし、クールだし……まあ性格はちょっと冷たい感じあるけどね」


「そこはハッキリ言うんだ」


「いや、実際そうじゃん。話しかけても『それで、用件は何ですか?』とか言われるし……でもそういうのが逆に良いって言う男子もいるしね。ツンデレみたいな感じで」


「玲奈の冷たい態度にも、ちゃんと需要あったんだな」


 軽い気持ちで聞いたつもりだったが、意外にも玲奈がそれなりにモテていることを知り、翔太郎は妙に納得する感覚を覚えた。


 雪村の件を例に出しても分かりやすいだろう。

 美人で十傑の一人ともなれば、自然と注目を集める立場になる。加えて異能力の強さも際立っているのだから、憧れる男子も少なくはないはずだ。


 彼女と付き合えるなんてことになれば、それだけで学園内では相当なステータスになるだろう。


「じゃあ、もしかしてそんな玲奈とパートナー組んでる俺って、めちゃくちゃ目の敵にされてるのか?」


「今頃気付いたの? さっきの男の子たち見たら一目瞭然でしょ」


「……まあ、そうなるよな」


 心音は同情したように苦笑しながら、ペットボトルを口に咥える。

 それで会話は終わるかと思いきや──ふと、翔太郎は隣に座る彼女を見つめた。


「ん? なに?」


「……もしかしてさ、心音も結構モテたりするのか?」


「……え?」


 不意に振られた話題に、心音の表情が一瞬固まった。


「さっきの玲奈の話を聞いて思ったんだけど、心音も十傑で、美人だし明るいし、友達も多そうだから普通にモテるんじゃないか?」


「え、えぇ……?」


 思わず目を丸くする心音。

 けれど翔太郎は本当に何気ない顔で言っている。

 特別な意図があるわけではなく、ただ純粋な興味から口に出しただけだ。


「実際、学園の男子から告白された事とかあるだろ?」


「え、あ、いや……まあ……その、ちょっとは……」


 途端に心音の口調が歯切れ悪くなる。


「やっぱりモテるんだ」


「べ、別にそういうのは……!」


 慌てて手を振る心音だったが、隠し切れない動揺が表情に滲んでいる。

 実際、彼女は学内でもかなりの人気があり、告白の数もそれなりに受けている。だが、そういう話題になるとあまり触れたがらないのが心音の性格だった。


「確かに心音って初対面の俺にも普通に体育館まで案内してくれたし、実際話しやすいし、可愛いし、そりゃモテるよな」


「ちょ、ちょっと待って!? 可愛いとか普通に言わないでよ、恥ずかしいから!」


「いや、事実は事実としてちゃんと言わないとさ」


「だから、そういう事を平気な顔でさらっと言うのがダメなの!」


 心音は思わず顔を赤くして抗議する。

 自分が可愛いと言われることには、なんとも言えない照れがあって、どうしても反応してしまう。

 だが翔太郎は、そんな彼女の反応にも気づかずに、ペットボトルを傾けて中身を飲み干していた。


 下心無しの素直な感想だと分かるからこその反応である。

 心音は顔を隠すように、髪を指で弄りながら言う。翔太郎は全く意に介さず、飲み終えたペットボトルを手に持ったまま首をかしげた。


「あれ? でも待てよ」


「な、なに?」


「そういえば、心音って彼氏とか作らないのか?」


「……っ」


 心音の反応が一瞬遅れたのを見逃さなかった翔太郎は、意地悪く笑いながら言った。


「玲奈と俺の関係、いろいろ聞いてきたくせに、自分のこと教えないのはズルくない?」


 その一言に、心音は完全に赤面した。

 まさか、そんなことを突っ込まれるとは思わなかったからだ。


「違うの。別にそういうのが面倒とか、興味ないとかじゃなくて……その、ほら……」


「ほら?」


「好きでもない人と付き合っても意味ないじゃん?」


「……あー、まあ確かにな。付き合うならちゃんと好きな人じゃないと、どうせ長続きしないよな」


 翔太郎はどこか納得したように頷く。


「そ、そうそう!」


 心音は勢いよく頷く。

 ──が、その直後、ふと我に返って内心で頭を抱えた。


(いや待って……。なんかこれ、まるで私が好きな人がいるみたいな言い方じゃん……)


 慌てふためく心音をよそに、翔太郎は全く動じることなく、飲み終えたペットボトルを自販機の隣に設置されているゴミ箱に捨てて、立ち上がった。


「まあ、とにかく俺と玲奈は普通にパートナー組んだだけだからさ。もし噂してる人を見たら、出来れば心音の方から、あの二人は違うって言ってもらえると助かる」


「……あ、うん。それは確かにそうだね。なんかごめんね。興味本位で色々詮索するような真似しちゃって」


「いや別に気にしてないって。むしろ、心音と話したことで、玲奈が周りからどう思われてるのか何となく分かったような気がするし」


「あはは、そう言ってくれると助かるよ」


「じゃあ、俺そろそろ行くわ。待たせてる人いるし」


 翔太郎は笑いながら立ち去ろうとしたが、その時、心音が背中を向けて歩き出す翔太郎に向かって、元気よく声をかけた。


「ねぇ、鳴神くん!」


 翔太郎が振り返ると、心音は明るい笑顔を見せて続ける。


「鳴神くんも周りから色々言われてるみたいだけど、私ちゃんと応援してるから! 今週のパートナー試験、お互い頑張ろうね!」


 その真っ直ぐな言葉に翔太郎は一瞬驚いたが、真剣な眼差しと、心音の明るい声に思わず心が温かくなるのを感じた。


「おう!」


 軽く手を振りながら、翔太郎は元気よくその場を後にした。

 心音の笑顔が、何となく温かく感じられて、心の中で少しだけ元気をもらった気がした。


 正面を向いて、角を曲がろうとした瞬間だった。


「うぉっ!?」


 思わず変な声が出た。

 曲がろうとした瞬間、待ち人である玲奈が丁度角を曲がってきたのだ。


「玲奈?」


「随分遅かったので迎えにきました」


「ああ、悪い。待たせたな」


 変な連中に絡まれたり心音と話していた間に、かなり時間が経ってしまったようだ。

 頼んでいた麦茶を受け取った玲奈は、軽くそれを確認した後、翔太郎の奥にいる心音に視線を移した。


 その視線が交差すると、心音は思わず小さく手を振って、笑顔で声をかけた。


「あ、こんにちは。氷嶺さん!」


「どうも」


 玲奈は無表情のまま淡々と返す。

 その冷たさに、心音は少し驚きつつも、もう少し慎重に接するべきだったのか、と内心で反省した。


 翔太郎はそのやり取りを見て、先程の心音とのやり取りを思い返す。

 話していた中にも出ていたが、やはりこの無愛想な話し方は少しずつ変えて行った方がいいかもしれないと翔太郎は考えていた。


 少し苦笑しながらも、ふと思い立って耳打ちした。


「せっかく向こうから挨拶してくれたんだから、もうちょっと愛想よくしてやれよ」


 翔太郎が冗談めかして言うと、玲奈は無表情のまま、ゆっくりと彼に顔を向ける。

 目の奥には出会った当初のように、何の感情も映っておらず、まるで氷のような冷たさすら感じさせた。


 少し目を細めた彼女は、どこか棘を含んだ言葉を返した。


「彼女と話していて遅くなったんですか?」


「え? まぁ、ちょっと話したけど……もしかして結構時間経ってたか?」


 軽く苦笑しながら翔太郎は首を傾げるが、玲奈は答えず、ただじっと彼を見つめたまま無言を貫く。

 その視線が刺さるようで、ようやく翔太郎も少し気まずそうに後頭部を掻いた。


「ごめん、待たせたよな。すぐ戻るつもりだったんだけど、ちょっと心音と話し込んでてさ」


「そうですか」


 玲奈は淡々とそう返すだけだった。


 場の空気が微妙に重くなる。

 そして、その微妙な空気は後ろにいる心音にも確実に伝わっていた。


「氷嶺さん?」


 なんとか雰囲気を変えようと、心音が愛想笑いを浮かべながら玲奈に声をかける。

 確かに、興味本位で翔太郎を引き止めた自覚があったからだ。


「知ってると思うけど、私の名前────」


「白椿心音さん、ですよね」


 玲奈が静かに言葉を遮った。

 声のトーンは一定で、感情の起伏がまるで感じられない。


「もちろん知っていますよ。同じ十傑ですし」


 玲奈は機械的な口調で言い放った。

 表情は相変わらず無機質で、視線もまるで刺すように冷たい。


「あ、うん。ありがとね」


 微妙な違和感を覚えながらも、心音は無理に明るいトーンを保つ。

 ここで気まずい空気を作りたくなかった。

 努めて明るく返したものの、その声には少し引きつった笑みが混じっていた。


「翔太郎とは、ここで何を?」


 玲奈の視線が、心音と翔太郎の間を冷たく往復する。

 まるで尋問のような響きに、心音は反射的に肩をすくめた。


「あ、えっと……ここまで、飲み物を買いに来たところでたまたま会ってさ。そのままつい話し込んじゃったっていうか!」


 気まずさを誤魔化すように、心音は頭を抱えて照れ笑いを浮かべる。

 事実、何か意図があったわけでもなく、偶然話が弾んでいただけだった。

 しかし、この空気はどうにも重たすぎる。


「ごめんね! 鳴神くんが待たせてた人って、氷嶺さんだったんだね」


 なるべく軽い口調で謝罪する。

 けれど、玲奈の表情は依然として硬く、感情の欠片すら見えない。


「別に気にしていません」


 玲奈は短くそう返す。


「そっかぁ、なら良かったよ」


 それでも、言葉の裏に滲む冷え冷えとした雰囲気は消えない。むしろ、それがさらに場を重苦しいものへと押し下げていく。


「おい、玲奈。なんか喋り方に威圧感が出てるぞ。心音も別に気にしなくていいからな?」


「う、ううん! 別に私は大丈夫だよ!」


 彼女の言葉にどこか違和感を感じた翔太郎が注意して心音に謝ったが、その瞬間に玲奈は二人の視線の間を覗き込んで言い放った。


「お二人は、随分と仲が良いんですね」


 玲奈の声が、ふいに響いた。


 まるで温度のない、冷え切った機械的な口調。

 しかもお二人はという言葉の選び方に、どこか他人行儀な響きがあった。


「まあ、それなりにはな。俺が転校してきた時、色々学園のこと教えてもらったし」


 翔太郎は特に気にも留めず、あっさりと答える。

 彼にとって心音は、転校初日に学園のことを教えてくれた恩人であり、翔太郎が学園内で気軽に話せる数少ない生徒の一人だ。

 だからこそ、こうして軽く言葉を交わすことに特別な意味など持っていなかった。


「そうだったんですね」


 玲奈は淡々と返す。


「私は翔太郎から、そういうことを聞かれたことがなかったので、少し意外でした。ただ……学園のことでしたら、隣の席の私に聞いておけば済む話だったのでは?」


「え? あー、まあ確かにそうだけどさ」


 翔太郎は苦笑いを浮かべながら頭を掻く。


「でも、転校初日の時って、玲奈はあんまり俺に話しかけてくれなかったじゃん。最初の頃なんて、めちゃくちゃ警戒されてたし」


「それは……そうですが」


 玲奈は一瞬だけ言葉を詰まらせる。


 確かに三週間前の玲奈は、誰に対しても壁を作っていて、それは転入生の翔太郎相手でも例外ではなかった。

 彼がその壁を無理矢理壊し、強引に近付いてきたに過ぎない。

 それに対して、玲奈はただ受け入れた……そういう関係だった。


「ごめんな、心音」


 不意に翔太郎が申し訳なさそうに振り返った。


「そんな訳だから、俺たちもそろそろ戻るよ。出来れば、これからは玲奈とも仲良くしてくれると助かる」


「あ、うん! もちろん! それは全然大丈夫だよ!」


 心音は慌てて明るく答える。

 けれど、その声はどこか上擦っていた。


 ちらりと玲奈に目をやる。

 ……その表情は相変わらず固いまま。

 まるで心音の存在など眼中にないと言わんばかりに、翔太郎に視線が固定されていた。


 感情の欠片も感じさせない顔。

 そんな青い瞳が一度こちらに向いた。


 心音は一瞬、身震いした。

 玲奈の視線は、明らかに自分を見据えている。

 じっとりした目つきで、無言で。


「……えっと、その……またね、鳴神くん!」


 気まずさを振り払うように、心音は無理やり笑顔を作り、翔太郎に手を振った。

 それに対し、翔太郎も朗らかに手を振り返す。


「ああ、お互い試験頑張ろうな!」


 そう言って、翔太郎は朗らかに手を振り、玲奈と並んで歩き出した。


 けれど、背後から心音の微かに上擦った声が聞こえてきたことに、翔太郎はほんの少しだけ首を傾げた。


(……なんか、気まずそうだったな)


 気のせいか、心音は最後まで玲奈と目を合わせられていなかったように見えた。

 それに、玲奈の方も翔太郎と喋る時に比べて、やけに口数が少なかった気がする。


「なあ、玲奈」


 翔太郎は隣を歩く玲奈に、少しだけ視線を向けた。


「もう少し、心音にも愛想良くしないか? 何か、向こうも最後の方は凄い気まずそうだったぞ?」


「そうですか?」


 玲奈はあっさりと返す。


「ですが、私の態度に特別な意図はありません。白椿さんが勝手に話し込んだだけですし」


「お前な……」


 苦笑しながら、翔太郎は頭を掻く。

 玲奈の無愛想さは知っているつもりだったが、今日の彼女は初めて会った日のように固い。


 さっきからずっと、あんな感じだった。

 心音が話しかけても、必要最低限の受け答えしかしていなかったし、あれじゃあ流石に相手も気を遣うだろう。


「別にさ、そんなに壁作らなくてもいいだろ。心音は普通に良い奴だし、結構話しやすいぞ?」


「……あの人とは、仲が良いんですか?」


 不意に玲奈がそう呟く。

 まるで、何かを確かめるような声音。


「え?」


 彼女の問いかけに、翔太郎はきょとんと目を瞬かせた。


「いえ、特に深い意味はありませんが、見たところ白椿さんとは、結構打ち解けている様子だったので」


「まぁ、別のクラスだけど友達だしな」


 まるで何の気なしに、翔太郎はさらりと答えた。

 本当にただの友達。

 それ以上でも、それ以下でもないと言わんばかりのニュアンス。


 けれど──


「……友達」


 玲奈の口から、今の言葉がぽつりと零れた。

 まるで、誰かに言い聞かせるように。

 あるいは、自分自身を納得させるように。

 不意に、玲奈の足がぴたりと止まった。


「どうした、玲奈?」


「……友達ですか」


 小さな声が、もう一度零れる。

 けれど、先ほどとは違う何かを帯びた声だった。


「それと、心音のことで一つ言っておかないといけないことがあったのを思い出した」


「なんですか?」


 特に気にする素振りもなく、翔太郎は平然と答える。

 その言葉に、玲奈はわずかに眉を寄せた。


「転入初日に、俺って玲奈にパートナー断られただろ? 実はあの後、心音の所まで頼みに行ったんだよな」


 玲奈の足が、ぴたりと止まった。


 彼が、他の誰かとパートナーを組もうとしていたことを知ったのは知っている。現に彼は玲奈に断られた後も、自分からクラスメイトたちに話しかけに行っていたのだ。


 だが、それでも──同じ十傑である心音に一番最初に打診したという話は完全に初耳だった。


「まあ、心音は既にアリシアと組むつもりだったから、結局は無駄骨だったけどな。その時にちょっと話し込んだから、今でも普通に話すだけで──」


「翔太郎」


 不意に、鋭い声が飛ぶ。

 その声は、わずかに強張っていた。

 俯きがちのまま、彼女の唇からぽつりと零れ落ちる。


「……私が」


「え?」


「今は私が、翔太郎のパートナーですから」


 ぽつりと漏れたその言葉に、翔太郎は一瞬きょとんとする。


「……あ、あぁ。まあ、そうだな」


 突然の言葉に、翔太郎はきょとんとした表情を浮かべながら、何を今更とでも言いたげに軽く肩を竦めた。


 玲奈の言葉は、先程から何処かぎこちない。

 まるで心の中で整理できていないものを、無理やり引きずり出そうとしているかのような口調だった。


「私が、翔太郎のパートナーですから」


 再び、玲奈は同じ言葉を繰り返した。

 その声には、どこか意地っぽさを含んでいるようにも感じられた。


「うん、だから今は玲奈と組んでるじゃん。心音に頼ろうとした事を一応報告しただけだから、そんな別に気にすることないよ」


 翔太郎はあっけらかんと軽く笑いながら答える。

 玲奈が今更そんなことを気にしていること自体が、彼にとっては少し不思議だった。


 何を今更。

 玲奈は翔太郎だけのパートナーで、相棒だ。

 そんなこと、わざわざ念を押すようなことじゃないだろう。


 けれど──


「……そうですね。これからは私だけが、翔太郎のパートナーですから」


 玲奈はまだ、強張った声音のまま、意地を張るように繰り返していた。

 その手はぎゅっと握りしめられたままで。


「行きましょう」


「あ、うん」


 翔太郎は一瞬、玲奈の様子に首を傾げたが、特に深く気にすることもなく歩き出す。


 どこかぎこちなく前を歩く玲奈の手は、まだ小さく震えていた。

 けれど、そのことに気付くこともなく、翔太郎は平然と背後を歩き続ける。


 自分だけが、翔太郎のパートナーなのだからと。

 その言葉だけが、まるで呪いのように玲奈の胸の奥で繰り返されていた。


 そして同時に、彼が他の誰かとパートナーを組もうとしていたことを知った瞬間から──玲奈の胸の中に、言いようのない疼きが広がり始めていた。

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― 新着の感想 ―
今回もすごいおもしろかったです。 読み終える度に毎回次が気になるくらい面白いです。 次回も楽しみにしてます
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