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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
37/93

第二章3 『十傑同士の諍い』

 零凰学園にとある男女が校門を抜けた瞬間、騒めきが走った。


 それまで他愛のない雑談を交わしていた生徒たちの声が一斉に途切れる。

 誰もが目を疑った。

 まるでありえないものを見たかのように。


 鳴神翔太郎と氷嶺玲奈が、並んで登校して来たのだ。


 氷嶺玲奈とは十傑の一人であり、誰とも組まない孤高の存在。

 その名が呼ばれれば誰もが一歩引く、異能試験においては特に関わることのない存在だった。


 それが、よりにもよって推薦生である鳴神翔太郎と共に現れた。


 誰かが喉を鳴らした。

 誰かが持っていたスマホを落とした。

 誰かが、ありえないものを見る目で二人を凝視していた。


「おい。あの二人、一緒に登校してきたぞ」

「やっぱり電子生徒手帳の通知って……」

「……嘘だろ? あの氷嶺が?」


 誰かが小さく呟いたが、それに同調するかのように学園内の空気がざわめき始める。


 無理もない。

 翔太郎は学園の成績ランキングでは底辺に位置し、実際に実力を見せつけたA組以外では特に目立つ存在ではなかった。

 それに対し、玲奈は学園でも頂点に近い存在だ。

 二人の間には、誰がどう見ても埋めようのない差がある。


 だが、電子生徒手帳の通知は偽りではない。パートナー試験における契約は正式に成立している。


 それでも、まだ信じられない。

 あの氷嶺玲奈が、本当に彼をパートナーとして選んだのか──。


 その疑念を抱えたまま、2年生の大半が二人に視線を向ける。


 沈黙が学園全体を包み込んでいた。

 廊下ですれ違う生徒たちは、二人の姿を目にするたびに動きを止める。小声で何かを囁き合いながら、興味と疑問が入り混じった視線を向けてきた。


 だが、玲奈は何も気にしていない。

 無言のまま、まるで周囲の反応など取るに足らないものだと言わんばかりに、静かに教室へと向かっていく。


 しかし、翔太郎は違った。


 玲奈と並んで歩いているだけで、鋭い視線が四方八方から突き刺さる。

 まるで、ありえない光景を目撃してしまったかのような、好奇と困惑が入り混じった視線が、息苦しいほどに降り注ぐ。


 背中を伝う冷たい汗。

 無言のまま歩みを進めるが、確かに感じる。

 異様なまでの視線の重さを。


 翔太郎は、隣にいる玲奈に思わず小さく呟いた。


「なぁ」


「なんですか」


「いや、なんか……視線、感じないか?」


「前も同じやりとりをしましたね」


「あの時とは比にならないだろ……」


 玲奈は特に表情を変えず、淡々と言った。

 確かに以前も注目を浴びることはあった。

 だが、今回はまるで違う。


「理由は察しがついています。パートナー契約の件でしょう。契約が成立すれば生徒情報に通知が届きますから、私たちが組んだことは既に周知の事実になっているかと」


「まあ、やっぱりそうだよな」


 先週までなら、翔太郎と玲奈がパートナー契約をしていない事もあって、推薦生が十傑の女子の周りをうろついているとしか思われていなかった。


 だが今は違う。

 明確にパートナーとして玲奈と契約を結んだことが、学園中に知れ渡っている。


 視線の圧に耐えきれず、翔太郎は無意識に玲奈との距離を取った。

 だが、その瞬間──


「……なんで離れるんですか?」


 玲奈がピタリと歩みを止め、むくれた顔で翔太郎を見上げた。

 不機嫌そうに少し眉を寄せるその表情に、思わず目を逸らしてしまう。


「いや、なんか気まずいし」


「あなたが気まずくなる必要はありません」


 玲奈はふっとため息をつくと、意図的に少し大きな声で続けた。


「私たちはパートナーなのですから」


 その言葉が、教室に向かう生徒たちの間に波紋のように広がる。

 誰もがその場で足を止め、二人のやり取りに聞き耳を立てた。


「ちょ、ちょっと玲奈さん? そんなにハッキリ言わなくても──」


 翔太郎が狼狽するが、玲奈は気にする様子もなく、当然のように距離を詰めてきた。


「それとも、私と組んだのが不本意でしたか?」


「いや、そういう訳じゃ……」


「なら、もう少し自覚を持ってください。あなたは私のパートナーなんですから」


 玲奈の言葉は冷静そのものだが、その声音にはわずかに熱がこもっているようにも感じられた。

 周囲の生徒たちは息を呑む。


 先週までの玲奈とは明らかに違う。

 誰に対しても冷淡で、関心を示さなかったはずの彼女が、今は自ら翔太郎との距離を縮めている。


 張り詰めた沈黙の中、誰もが確信した。

 ──これは、ただの気まぐれでも間違いでもない。

 氷嶺玲奈は、本当に鳴神翔太郎をパートナーに選んだのだ。その事実が、周囲の生徒たちに突きつけられた瞬間だった。


 翔太郎が空けたはずの距離を、玲奈は一気に詰めた。

 しかも先ほどよりも近い。


 気のせいではない。

 肩が触れそうなほどの距離感に、翔太郎は思わず身を引きかけたが、それよりも周囲の視線の方が強烈だった。まるで、何か信じがたい光景でも見たような顔をしている。


 ──いや、実際に見ているのだろう。


 氷嶺玲奈が自ら距離を詰め、まるで親しい相手に向けるような態度を取っている。

 彼女は他の生徒たちのざわめきなど気にも留めず、ただ翔太郎だけに向かって話しかける。


「そういえば、朝から眠そうですね」


「え? そうか?」


 不意に向けられた柔らかい声音に、翔太郎は一瞬戸惑う。


「昨日、深夜アニメが見たいとか言って夜更かししたせいですか?」


 玲奈が少し呆れたような、それでいてどこか楽しげな表情を浮かべる。


「あー……まあ日付が変わるまでは起きてたっけ」


「録画すれば良かったじゃないですか」


「一人暮らし始めたてで、まだレコーダー買ってないんだよ。サブスクとかも入ってないからリアタイで見るしかなくて」


「異能試験本番まであと四日なのに、随分と余裕ですね」


 玲奈の口調は咎めるようでありながらも、どこか柔らかい。

 まるで本当にどうしようもないですねと言いながら、許容しているような響きを持っていた。


「組むの遅かったし、今更焦っても仕方ないでしょ。それに本番当日は頼りにしてるんだからな、相棒」


「ええ、任せてください。あなたも私の足は引っ張らないでくださいね。翔太郎」


 玲奈がくすっと微笑む。

 冷淡で鋭い空気を纏っていたはずの彼女が、まるで信頼する相手に向けるような穏やかな表情をしている。


 その瞬間、周囲の空気が凍りついた。


 玲奈の声に、仕草に、翔太郎への態度に。

 誰もが驚愕し、信じられないものを見たように息を呑んでいる。


 この距離感、この雰囲気。

 事情を何も知らなければ、ただの親しい友人同士としか思えない。

 だが、それだけで済ませていいのだろうか?


 相手が異性である以上、ただの友情以上の何かがあるのではと考えさせられる。

 特に、玲奈の態度がそう思わせるのだ。


 あの氷嶺玲奈が、誰よりも翔太郎に心を開き、柔らかな表情を浮かべている。

 まるで、信頼できる特別な誰かに向けるような眼差しで。


 ──この光景を、誰が予想できただろうか。


「……マジかよ」


「本当に……氷嶺玲奈なのか?」


 誰かがぽつりと呟く。

 しかし、それに反論する者はいない。


 あの冷徹で、近寄りがたいオーラを纏っていた彼女が、今目の前で見せているこの姿はまるで別人だった。

 言葉もなく立ち尽くす生徒たちの間に、信じられないという感情が渦巻いていく。


 あの孤高の十傑が、翔太郎にだけは心を許している。

 それを目の当たりにしたクラスの面々は、衝撃のあまり思考すら追いつかず、ただその光景を呆然と見つめることしかできなかった。




 ♢




 教室に足を踏み入れると、すぐに視線が集まる。

 まるでその瞬間、時間が止まったかのような感覚。

 だが、玲奈はそれを気にすることなく、まるで日常の一部かのように歩き続けた。


 そして、目が合った生徒のひとりに、彼女は微笑みながら言った。


「おはようございます」


 その声はいつもの冷徹なものではなく、柔らかな温かさを帯びていた。


「お、おはよう。氷嶺さん」


 話しかけられた女子生徒は完全に驚いていた。

 一瞬、クラスの空気が静まり返る。

 玲奈が、誰かにこうして挨拶をするなんて。


 今まで彼女は、どんなに周囲の人々が集まろうとも、目を合わせることすらせず、無視し続けてきた。

 あの氷嶺玲奈が、まさか自分から挨拶をするなど、先週までの彼女の想像もできなかったことだ。


 だが、今日は違った。

 翔太郎と一緒に教室に入るや否や、玲奈の姿勢が変わったのだ。

 その冷徹さは微塵も感じられず、むしろ自然な落ち着きが感じられる。

 目の前にいるのは、ただの十傑の冷たい存在ではなく、隣に座る翔太郎と対話を交わす一人の生徒でしかない。


「玲奈……」


 思わずその変化に気づいた翔太郎が、ちらりと横を見やる。


「なんですか?」


「お前、挨拶しただけでこれだけビックリされた目で見られるって、普段どんだけ態度悪かったんだよ」


「別に悪かったわけじゃないですけど」


「自覚無いんかい」


 思わず隣で野暮なツッコミを入れる翔太郎。

 その言葉に、玲奈は少しだけ眉をひそめて、軽く肩をすくめた。

 それでも、目尻が少しだけ柔らかくなるのを翔太郎は見逃さなかった。


 二人はそのまま並んで席に着く。

 周囲の生徒たちは、最初の衝撃から立ち直ったのか、すぐに視線を外して談笑を始める。

 だが、その中でも二人の間に流れる空気に変化が生じたことに気づいている者は多い。

 好奇の目が、やはり途切れることなく二人を追い続ける。


「ていうか、休学の件って学園側にどう話を付けてるんだ?」


 凍也から解放されたとはいえ、表向き学園側に玲奈が家出している事は知られていない。

 翔太郎は何気ない口調で尋ねると、玲奈は少し考えてから答えた。


「単純に私が個人で学園に掛け合いました。昨日、女子寮に訪ねた時に、そのついでで」


「なるほど。じゃあ、もう学園に普通に行っても良いんだな」


「ええ。誰かさんのおかげで、もう面倒な保護者から無理矢理休学させられる事も無くなったので」


 玲奈は机に肘をつき、顔を手で支えながら翔太郎に微笑んだ。

 その笑顔は、どこか甘えたようで、今までの彼女の冷徹さとは真逆のものだった。


「そりゃ、その誰かさんには感謝だな。玲奈が学園に来れて良かった」


「はい。そうですね」


 しばらくして、教室のドアが雑に開き、担任の岩井が気怠そうに入ってきた。

 それに伴って、二人の会話は途切れ、教室の空気がピンと張りつめる。

 岩井は黒板の前に立つと、無駄に大きな声で言った。


「それじゃ、今から出席を取るが……雪村は今日も欠席か?」


 岩井は雪村の席をちらりと見て、取り巻きたちに視線を送った。しかし、誰も雪村の様子を知らない様子だった。


 雪村真。

 1年生の頃から氷嶺玲奈に言い寄っていたが、高い実力と不良じみた態度、そして数多くの取り巻きを従えているため、零凰学園の中ではスクールカーストが高い存在だった。

 しかし、先週の月曜日に翔太郎に圧倒され、その後は学園に顔を出していない。


「彼が心配なんですか?」


 玲奈がふと翔太郎に向かって聞いた。

 雪村の席を見ていたのが気付かれたようだ。


「いや、まあ……俺、一応当事者だし」


 翔太郎は先週の出来事を思い出していた。

 雪村に絡まれた挙句、圧倒的に力の差を見せつけてしまった。

 あれ以来、雪村が学園に来ていないのも当然だろう。


「彼の自業自得です。翔太郎が気に病む理由はありません」


「そうかもしれないけど、雪村が俺に怒ってたのは事実だし……」


 彼は正直なところ、雪村の反応に心配していた。

 以前から因縁を付けられていたし、雪村が現在どうしているのかが気になっている。


「だったら尚更です。もし彼が学園に来て、まだ翔太郎に何か言うようであれば、私が代わりに抗議しますから」


 その言葉にはまるで躊躇がなく、力強さすら感じられた。


「いや、しなくていいから」


「何でですか。私じゃ頼りにならないんですか?」


「そういう話じゃなくて、多分玲奈が絡むと余計に話が拗れるというか」


「むっ、聞き捨てなりませんね。私では雪村くんに言い負かされると?」


 そういう問題ではない。

 ただでさえ、雪村は翔太郎と玲奈の距離が近い様子を不快に思っているのだ。パートナー契約を結んだことを知ったら、何をしでかすのか分かったものではない。


「雪村が来た時は俺が何とかするよ。別に玲奈を軽んじてる訳じゃないから」


 玲奈はしばらく黙って考え込むと、少し頬を膨らませてから笑った。


「分かりました。あなたがそう言うなら、私は静観します」


「悪いな」


 翔太郎は安堵した表情で、彼女の言葉を受け入れる。

 その瞬間、玲奈が少し目を細め、何とも言えない表情を浮かべて彼に言った。


「ただし、私が静観するのは、あなたがしっかり自分の力で対処できるときだけですからね。どうしようも無くなったと判断すれば、あなたの許可なく勝手に割り込みますから」


「うっ……分かったよ。なるべく自分でなんとかするから、心配しないでくれ」


 二人が雪村の現在について話しているうちに、出席確認はすでに進んでいたらしく、岩井が次に目を向けたのは影山の席だった。


「何だ。今日はサボりじゃないのか? 影山」


 岩井が声をかけると、影山は気だるげに肩をすくめた。


「まぁな。異能試験も近いところだし、そろそろ遊んでられなくもなったしな」


「お前が気合いを入れて学園に来るのは珍しいな。出席日数が足りなくなって、十傑を落とされるのが怖くなったか?」


 岩井が半ば皮肉を込めて問いかけると、影山は少しだけ目を細め舌打ちをした。


「まさか。学園側は俺の実力を知らない訳じゃねぇだろ? それに俺は理由もなくサボったりしねぇよ。アンタら教師も分かってんだろ?」


 その言葉にはどこか強気な響きがあった。

 影山の自信は揺るがないらしい。


「……まぁ、そういう事にしておこう」


 岩井は渋々納得した様子で、そのまま次の生徒の出席確認を始めた。


 その瞬間、影山はふと目を向け、翔太郎が座っている方向に視線を送った。


「──っ」


 その視線には明らかに敵意が込められていた。

 翔太郎はその視線を受け止め、無意識に眉をひそめる。

 玲奈はその違和感を感じ取ると、すぐに立ち上がり、影山に向かって鋭く言った。


「なんですか? 何か翔太郎に用でもあるんですか?」


「お、おい。玲奈」


 翔太郎を睨み付けた影山に対し、いきなり立ち上がって抗議する玲奈に、周りのクラスメイトたちは驚きの表情を隠せなかった。

 彼女がこのような態度を取るのは、ほぼ初めて見ることで、教室の空気が一瞬凍りついた。


 玲奈が普段、他の生徒たちに無関心で、いつも一人で過ごしている姿を見ていた彼らには、この反応が全く予想外だった。

 翔太郎の隣に座っていた玲奈が、影山に向けて堂々と反論している姿に、誰もが目を見開いていた。


「別に何でもねぇよ。あ? それとも、お前の方こそ俺に何か用でもあるのか?」


 影山は玲奈の反応に苛立ちを見せ、顔を歪める。

 だが、その言葉に対し玲奈は一切引かない。


「あなたに興味なんてありません。今、明らかに翔太郎に対して失礼極まりない態度でしたよね?」


 玲奈の声は冷徹で、感情が一切入り込んでいないように響く。

 クラスメイトたちは目を見開き、息を呑んで見守る中、影山は一瞬黙り込むが、すぐに反論した。


「ふん。身に覚えがねぇな」


 影山の言葉に玲奈は冷徹に無言で立ち続け、彼の態度を受け流す。


「それとも俺が推薦生に視線を向けて、何か問題でもあるのか? 十傑末席のテメェ如きが俺の行動にいちいち指図してんじゃねぇぞ?」


 推薦生という言葉を強調する影山。

 彼の挑発的な言葉に、玲奈の目が鋭くなる。

 一歩も引かず、毅然として言い返す。


「問題あります。翔太郎は私のパートナーです。あなたが不快な視線を向けて来たのですから、私は抗議する義務があります」


 その言葉に、影山は一瞬黙った。

 教室の中に、玲奈の言葉が響いた。

 彼女が自分の立場を強調し、影山に立ち向かう姿に、クラスメイトたちは改めてそのギャップに驚きの表情を浮かべている。


「……ククッ。お前、本当に氷嶺玲奈か?」


 影山がわざとらしく笑いながら呟くと、その笑い方には冷ややかな、何とも言えない含みがあった。

 玲奈の顔には疑問の色が浮かぶ。


「何がおかしいんですか?」


「そりゃおかしいだろ。先週まで休学してた奴がいきなり学園に現れたと思ったら、推薦生とパートナー組んで、今は俺に喧嘩をふっかけて来てんだぜ?」


 影山はあえて大きな声で言い放った。

 その言葉には不信と軽蔑が混ざり、周囲のクラスメイトたちもそれを聞いて、顔を見合わせた。

 教室の空気が一気に張りつめるのを感じる。


 片方は今まで、誰とも関わらずにクラスで孤立していた玲奈。

 そしてもう片方は、関わって来た相手を全て病院送りにしている影山。

 翔太郎を巡った二人の十傑の言い争いはクラス中に緊張感をもたらせる。


「先に翔太郎に不愉快な視線を送ったのは、あなたの方でしょう?」


「知らねえって言ってんだろうが。俺よりもお前の変わりように心底気になってんだぜ、氷嶺? えらく、そいつがお気に入りになったんだなってよ」


 影山は笑いながら言ったが、その目は決して笑っていなかった。

 玲奈がかつての冷徹な彼女ではなく、翔太郎に対して明らかに柔らかい表情を見せることに対する不快感が、その言葉の隅々に滲み出ていた。


 玲奈の表情がぴくりと反応する。

 普段の冷徹で無表情な彼女が、これほど感情を露わにすることは稀だ。

 しかし、影山の言葉には明らかに不快感がにじみ出ており、それを受けた彼女の目が一層鋭くなる。


「お気に入り、という意味はよく分かりませんが、彼は私の友人です。友人に悪意を向けている人がいれば、私も不快な気分になります」


「友人ねぇ?」


 どこか含みのある笑い方をする影山。

 何がおかしいのだと憤る玲奈。

 そして固唾を飲んでそれを見守る翔太郎と他のクラスメイトたち。


「テメェ、去年の事件を忘れた訳じゃねぇだろうな?」


 影山の声が一段と低く、冷たく響く。

 その言葉に玲奈は一瞬動きを止めた。

 影山は額に青筋を浮かべ、眉をひそめて彼女を睨みつけている。

 その姿はまるで自分が正義で、玲奈が不当なことをしているかのように感じさせた。


「……」


 玲奈は何も言わず、影山の目をじっと見つめた。

 冷徹な表情を崩さず、その視線を返すだけだった。

 しかしその無言の姿勢こそが、影山をさらに苛立たせていた。


「もちろん、忘れてなどいません。ですが、その件と翔太郎は全く関係がありません」


 玲奈が静かに答えると、影山は鼻で笑った。


「いいや、関係大アリだね。その点、雪村の奴はやり方は馬鹿だったが、よく分かってるぜ。推薦生なんて、本来侮蔑され嘲笑されるべき存在なんだよ。底辺なら底辺らしく下だけ向いてりゃいいのに、普通にクラスに溶け込もうとしてんのが気に食わねえんだよ」


 ──去年の事件?

 ──推薦生に関係がある?

 よく分からないワードが飛び交い、翔太郎の頭にはさらに疑問符が浮かぶ。


 影山の目線が翔太郎に向けられる。

 まるで彼が存在するだけで不快だと言わんばかりに。

 その目線を受けた翔太郎は、無意識に身体を硬直させ、背筋がピンと伸びた。

 玲奈もその目線に気づき、反射的に翔太郎の肩に手を置いた。


「俺が誰にどんな態度を取ろうが俺の勝手だ。それに解せねぇのはお前の方だぜ、氷嶺。すっかり推薦生なんかに絆されやがってよ」


 影山の言葉は吐き捨てるように、玲奈の心に突き刺さった。

 心の奥で何かが爆発しそうになる。


「……あなたの態度の全てが不快です。全て撤回して、翔太郎に深い謝罪をしてください」


 玲奈の言葉は冷静でありながらも、凛としていた。

 影山は少し驚いたように目を見開くが、それをすぐに隠して再び冷ややかな笑みを浮かべた。


「この際、認めてやるよ。確かに鳴神を睨んだのは事実だ。だが、手を出した訳じゃねぇ。それなのに何故お前はそこまで鳴神を庇う? パートナーを組んだ理由もよく分からねえしよ」


 影山の言葉が再び響く。

 その言葉を受けた玲奈はほんの少しだけ思考を止める。

 それでもすぐに顔をあげ、答える。


「私が翔太郎と組んだ理由を他の人に話す必要でもあるんですか?」


「別に話さなくても良いが、周りの連中は納得しねぇだろ? 普段は誰とも関わらずに試験を乗り越えてたお前が組んだんだぜ?」


 影山の口元が歪む。

 周囲のクラスメイトたちは二人の言葉のやり取りに驚き、そして彼らを見守っていた。

 クラス内の空気は一気に険悪になり、誰もが息を呑んでその結末を待っているような感じだった。


「特に説明する義理はありません。ただ、私は翔太郎のパートナーである事だけは言っておきます。あなたが気にすることではありません」


 玲奈の言葉に力強さが増す。

 翔太郎が何をしていても、何を考えていても、それは彼女には関係ない。

 あくまで彼女の意志で、彼を守ると決めたのだ。


「それに水橋さんが休学しているのは、あの推薦生本人が原因です。翔太郎に八つ当たりするのはみっともないので辞めて下さい」


 そう冷たく玲奈が吐き捨てた瞬間だった。




「──おい、発言には気を付けろよ?」




 影山の言葉は低く、威圧的に響く。

 その声に同調するように、彼の足元から黒い影が蠢き、地面に暗い波紋が広がる。

 クラスメイトたちは悲鳴をあげながら一斉に立ち上がり、恐怖のあまり後ずさりし、影山から距離を取った。

 その視線は恐怖に満ちていたが、翔太郎と玲奈は一歩も引かず、その殺気を正面から受け止めていた。


「事実を言われてそこまで怒るなんて、大人げないですね」


 玲奈が冷静に言葉を返す。彼女の声には揺るぎない自信が込められていた。

 それでも影山はを目の奥に冷たい殺気を宿らせながら、言葉を続ける。


「一回その口閉じろよ。テメェと俺の席次、どっちが上か分かってねぇのかよ?」


「たかだか数字の順番でよくそこまで強気になれますね。この際、どちらが十傑として強いのか試してみますか?」


 その瞬間、玲奈の両腕から冷気が漂い、空気が急激に冷え込んでいく。氷のような冷気が彼女の周囲を包み、息が白く凍りついた。

 その冷徹なオーラに、周囲のクラスメイトたちは目を見開き、思わず息を呑む。

 目の前で起きているこの緊張感に誰もが圧倒されていた。


 しかし、翔太郎は大事になる予感を感じ取り、誰よりも先に動いた。


「頼む。やめてくれ、玲奈」


 彼は玲奈の左手首を力強く掴んだ。

 心配そうな表情を浮かべ、彼女が引き金を引く前に止める必要があると直感したからだ。

 玲奈はその手に気づき、微かに顔を歪めた。


「止めないでください。あなたも推薦生に対する偏見は鬱陶しいと考えてるはずです」


 玲奈は強い口調で答えたが、その声には戦いたくないという気持ちも見え隠れしていた。

 しかし、彼女は間違いなく翔太郎のために戦おうとしていた。

 心の中で、彼を守ることを誓っていたからだ。


 その瞬間、翔太郎はさらに強く彼女の手首を握り、真剣な顔で言い放った。


「やめろ──玲奈」


 翔太郎の声は今まで以上に強く、必死な響きを帯びていた。

 彼の言葉が玲奈の心に深く刺さり、彼女の冷気はゆっくりと霧散していった。

 両腕に宿っていた冷気は一瞬で消え、部屋の温度も元に戻った。

 玲奈はそのまま翔太郎の顔を見つめ、しばらく黙っていたが、やがて冷徹な表情を解いて言った。


「分かりました。あなたがそこまで言うのなら、ここは引きましょう」


 その冷静な決断に、影山は一瞬、予想外の展開に驚いた様子を見せたが、それも束の間。

 彼はすぐに不満げな表情に変わり、再び挑発的な言葉を口にした。


「おいおい、さっきまでやる気だったのにビビって何も仕掛けて来ねえのか?」


「翔太郎の温情に感謝して下さい、影山くん。あなたが凍傷しなくて良かったですね」


 玲奈の冷ややかな言葉が、影山の怒りを引き金にした。

 その言葉を受けて、影山は一度笑ってみせるが、その笑みには怒りが混じっていた。


「はっ、眠てえことを──」


 影山が再び暴言を吐こうとしたその瞬間、翔太郎が手を出してそれを制した。

 冷静に、一歩前に出て影山を見据えた。


「俺に文句があるなら俺に直接言えばいいだろ? これ以上、女に喧嘩ふっかけんなよ。みっともないから」


 翔太郎の言葉が、影山の中で何かを引き起こした。

 彼は一瞬、その言葉に愕然としたような表情を浮かべたが、すぐにその視線がさらに強固なものへと変わった。


「……あ?」


 影山の怒りは、今度は翔太郎に向かっていった。

 彼の目に宿る殺気が一層強まり、まるで翔太郎をその場で引き裂きたくなるような、凶暴な意志を感じさせた。


 だが、それでも翔太郎は動じなかった。

 彼の目は冷静で、挑発に乗るつもりなど微塵もない。


「翔太郎!」


 膨れ上がった敵意を前に、玲奈が庇おうとして一歩前に出た瞬間、翔太郎はすぐに彼女の肩を抑え、安心させるように微笑んだ。


「なんか、さっきからめっちゃ怒ってるけど、俺と玲奈がお前に何したんだよ?」


 翔太郎の言葉に、影山は一瞬呆然とした。

 しかし、すぐにその問いに対して反射的に答えを返す。


「だから言ってんだろうが。推薦生が一丁前にクラスに溶け込もうとしてんのが気に食わねえってな」


 影山の言葉には、明らかに歪んだ思考が見え隠れしていた。

 彼の中で、推薦生を嫌う気持ちが強くなりすぎて、もはや理屈を超えていた。


「じゃあ俺はどうすれば良いんだよ? どういう態度を取っているのが正解なんだ?」


 その問いかけが影山に突き刺さった。

 翔太郎の言葉は、彼が掲げていた理論がいかに無意味であるかを浮き彫りにしていた。


「態度もクソもねえんだよ。底辺なら底辺らしく、下向いてろって言ってんのが分からねえのか?」


 影山の発言はもはや暴論に近い。

 彼は自分の心情に縛られすぎて、まともな論理を失っていた。

 翔太郎はその矛盾を見逃すことなく、冷静に切り返す。


「底辺ってどういう基準でモノを言ってんだよ」


「あ? 順位が四桁台の奴が何を──」


「第一、ランキングだって本当に数字の順番でしかないだろ? まあ確かに多少は実力差あるかもだけど」


「……」


「それに多分だけど、順位は下でも、戦闘なら俺の方がお前より強いよ」


 翔太郎のその言葉が最後の引き金だった。

 影山は怒りに燃え、足を踏み込んで異能力を発動させようとしたその時────。


「ホームルーム中って事を忘れんな、お前ら」


 冷徹に響く岩井の声が響いた。

 その言葉と同時に彼は指を鳴らし、教室の床に異能を行使した。

 突然、地面が波のようにうねり、影山の両腕と両足、そして口元を硬く拘束した。

 岩井の異能力にかかると、影山の体は動かすこともできず、彼の怒声だけが教室内に響き渡った。


 影山は怒りの表情を浮かべながら、岩井に向かって叫んでいたが、岩井は冷徹な目でその声を無視する。


「ここまで生徒同士の口論を止めようとしなかったのに、よく今になって出ようと思いましたね」


 玲奈は呆れたように担任教師に言い放った。

 その冷静さに対して、岩井は一瞬も反応せず、淡々とした口調で答える。


「学生同士の喧嘩は、当人たちの精神性を育む為にも極力干渉しないようにしている。ただ、異能力を発動しようとすると話は別だ。緊急時以外は授業以外で発動することを許可してないからな」


 岩井は影山の拘束を解きながら、冷徹な口調で命じた。


「影山、お前は今から職員室に来い。反省文を書かせるからな。後でしっかりと自分の行動を見直してこい」


 拘束が解けると、影山は舌打ちをしながら不満そうに眉をひそめた。

 その顔に浮かんだのは、明らかな機嫌の悪さだった。

 そして、彼は手を振り払うようにして教室の床を蹴り飛ばした。

 その音が教室の静寂を破り、クラスメイトたちは一瞬、身をすくませる。


「クソが」


 影山は舌打ちしながら、机を蹴り飛ばしてその場を離れた。

 彼の背中からは怒りと不満が滲み出ていた。

 反論することもなく、ただ足音だけが強く響く。

 岩井の冷徹な目がその後ろ姿を見送り、特に気にする様子もなかった。


 その後、岩井は何事もなかったかのように教室を見渡し、冷静に言った。


「それじゃ、全員席に戻れ。出席を続ける」


 クラスメイトたちはようやく一息ついた様子で、それぞれ自分の席に戻った。

 騒動が収まったと思いきや、教室の中は依然としてピリッとした空気が漂っていた。

 翔太郎と玲奈はまだ少し緊張したまま、ただ静かにその場に立っていた。

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― 新着の感想 ―
今回もすごい話が面白かったです。 どんどん引き込まれていって続きがすごい気になります!
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