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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第二章 『爆炎のプリンセス』
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第二章2 『新たな同居人』

 2025年4月27日・日曜日。

 ほんのり香ばしい匂いに包まれながら、翔太郎はゆっくりと目を覚ました。


 寝室の時計を見ると、午前九時。

 いつもより少し遅めの起床だが、昨晩は家まで訪ねてきた友人の引っ越し祝いを兼ねて、夜遅くまで話し込んでいたのだから無理もない。


「ふぁ〜〜っ……」


 大きなあくびをしながら、寝ぼけ眼で二段ベッドの下段から体を起こす。軽く伸びをして、顔を洗おうと洗面所へ向かおうとした、そのとき。


 ジュワッという油の跳ねる音とともに、美味しそうな匂いがさらに強く広がった。


「───ぁ」


 ふと視線をキッチンへ向けると、そこにはエプロン姿の玲奈がいた。

 黒髪を後ろでまとめ、慣れた手つきでフライパンを操るその姿は、普段の冷静な彼女とはまた違った、どこか家庭的な雰囲気を醸し出している。


(……本当にウチで暮らすことになったんだよな)


 現実感の薄い光景に、思わず再確認する。

 昨晩、玲奈の居候を許し、同じ部屋の二段ベッドで寝たことを思い出し──その瞬間、翔太郎の意識が一気に覚醒した。


(いや、待て待て……冷静に考えろ。俺、今クラスメイトの女子と一緒に暮らしてるんだよな……?)


 しかも、たった二人で。

 何気なく受け入れたはずなのに、改めて状況を整理すると、今さらながら妙に気恥ずかしくなってくる。


「おはようございます、翔太郎」


 玲奈がくるりと振り向き、優雅に微笑む。


「お、おう……おはよう」


 返事がわずかに遅れたのは、彼女の姿に一瞬見惚れたからか、それともこの状況に動揺したせいか──。


「随分と眠そうですね。朝ごはんは作っておくので、顔を洗ってきてください」


「あぁ、ありがとう」


 目がばっちり合ったせいで、無意識に視線を逸らしながら洗面所へと向かう。

 冷たい水で顔を洗いながら、翔太郎はぐるぐると渦巻く思考を必死に落ち着けようとした。


 ──氷嶺玲奈。

 彼女は正式に自分のパートナーとなった。


 零凰学園においては、一学期間、まさに一蓮托生となる関係だ。

 ただ、学園の試験におけるパートナーという意味ではなく、生活を共にするという現実が、思っていた以上に響いてくる。


「朝ごはん、できました」


 玲奈の声に、翔太郎は洗面所から戻った。

 食卓には、ふわりと湯気を立てるスクランブルエッグ、炊き立ての白米、カリッと焼かれたベーコンとサラダ。

 決して豪華なメニューではないが、朝からきちんと作られた温かい食事が並ぶ光景に、どこか胸がじんわりと温まる。


(そういえば、入学してからまともな朝飯を食べてなかったな……)


 最近の翔太郎の朝食は、カップ麺か菓子パン、コンビニかスーパーのおにぎりのどれか。

 自炊するのも面倒で、適当に済ませるのが当たり前になっていた。


「わざわざありがとな」


 感謝の言葉を口にすると、玲奈は少しだけ得意げに微笑んだ。


「いえ、居候させてもらっている身なので、これぐらいのことはしますよ」


 玲奈は当たり前のように言うが、彼女が氷嶺家を出た後、学園側から女子寮の入寮を拒否されたせいで住む場所を失っていたことを考えると、その言葉には少し引っかかる。

 無理矢理連れ出した手前、翔太郎が責任を取る形にはなったが、それでも彼女が家事を率先してやってくれるのは正直助かる。


「助かる。洗い物は俺がやっておくよ」


「ありがとうございます。じゃあ、いただきましょうか」


「いただきます」


 二人並んで箸を取り、温かい朝食を口に運ぶ。

 玲奈が同じ部屋で生活することに、まだ完全に慣れたわけではない。

 それでも、こうして誰かと朝食を囲むのは、翔太郎にとって久しぶりで──どこか、くすぐったいような心地よさがあった。


「誰かと朝ごはん食べるのって、すごい久しぶりな気がする」


 呟くように言いながら、翔太郎はふと、孤児院での朝の光景を思い出す。

 わいわいと賑やかな食卓、小さな子供たちがパンをかじりながら笑い合う姿──それが当たり前だった日々も、今では遠いものになっていた。


 あの場所を出て、もう一ヶ月。

 ずっと一人で朝食を取ることにも慣れていたつもりだったが、こうして誰かと向かい合うと、その温かさがじんわりと胸に染みた。


 その言葉に、玲奈は少し驚いたように目を瞬かせる。

 そして、ふっと柔らかく微笑んだ。


「私も、です」


 玲奈もまた、家族と食卓を囲んだ記憶などほとんどなかった。

 氷嶺家では、形式上の食事はあれど、誰かと穏やかに言葉を交わしながら取るものではなかった。


 父や兄は仕事や用事で席を外すことが多く、使用人が用意した料理を黙々と食べるだけ。

 時折自炊をすることもあったが、それはただ空腹を満たすための作業でしかなかった。

 温かいはずの料理も、どこか味気なく感じる。

 それが玲奈にとっての食卓だった。


 だが今、目の前には食事を味わい、何気ない会話を交わす翔太郎がいる。

 温かい料理を前に、誰かとこうして言葉を交わしながら食べる──それだけで、食卓が今までとまるで違うものに思えた。


「いつも家では自分で作ってたのか?」


 翔太郎が箸を動かしながら尋ねると、玲奈は少し考え込むように視線を落とし、それから静かに答えた。


「いえ、氷嶺家には多くの使用人がいて、基本的に食事の支度は彼らが担当していました」


 そう言った玲奈の声は淡々としていたが、どこか遠いものを振り払うような響きがあった。


「けれど……兄さんから言われて練習はしていました。他の名家に嫁ぐ予定だった、元許婚でもありましたしね」


 翔太郎はふと玲奈の表情を窺う。

 彼女の横顔は落ち着いていたが、どこか無理をしているようにも見えた。

 練習していたという言葉に含まれた意味を、彼は察する。


「そっか……大丈夫か?」


「そんなに思い詰めた顔はしないでください」


 短く返しながら、翔太郎は玲奈が今までどんな気持ちで料理をしてきたのかを思う。

 ただの食事ではなく、義務として、あるいは命令としてこなしていた時間。

 それはきっと、翔太郎が思う料理とは違うものだったのだろう。


「確かに命じられてやりましたが、自炊を覚える為にも必要な事だったと認識しています。現にこうして他の人の家にお邪魔している際に役に立ってますから」


 だが今、彼女は自分の意思で料理を作り、自分の意思でここにいる。

 その事実が、玲奈にとってどれほどの意味を持つのか──それを考えると、翔太郎は無性に、この食卓を大切にしたいと思った。


「今度は俺も手伝うよ。ずっと玲奈に任せっぱなしってのも悪いしな」


 翔太郎がそう言うと、玲奈は少し驚いたように目を瞬かせた。


「本当に出来るんですか?」


「なんだよ、その疑いの目は」


「いえ……翔太郎って、普段コンビニやスーパーで買い食いしている印象が強くて。自炊しているところを見たことがなかったので……」


「まあ、確かに学園じゃ買ったもんで済ませることが多いし、家でも適当に食べることがほとんどだったけどな。でも、全くやったことがないわけじゃないぞ?」


「そうなんですか?」


 玲奈が少し興味深そうに身を乗り出す。


「一人暮らしする前は、みんなの食事を手伝ったりもしてたしな。簡単な料理なら作れると思う」


「……そうだったんですね」


「ファミレスに初めて行った時に言ったろ。和食系はよく作るって。ただまぁ……一人暮らし始めると、やっぱり手を抜き始めるというか」


 玲奈はどこか納得したように頷くと、ふっと微笑んだ。


「じゃあ、今度一緒に作りましょう。居候している身なのに、あなた一人にやらせる訳にもいきませんから」


「いやいや、そんな気を遣わなくても良いって」


「気は遣っていません。住まわせてもらってる立場として当然のことをしているまでです」


 玲奈の言葉に、翔太郎は少しだけ笑みを浮かべた。


「そっか。じゃあ、今度の休みに買い出しにでも行くか」


「そうですね。食材が無いと何も作れませんし」


 翔太郎が味噌汁の椀を手に取りながら何気なく問いかける。


「玲奈は確か辛いものが好きって言ってたな。四川料理とか」


「よく覚えてますね。氷嶺家はよく偉い方々の会食にも使われるので、出張してきた料理人の方に振る舞ってもらったことがあります」


 初めて二人でファミレスに行った際に教えてもらった話だ。

 あの時の彼女は、前の無機質な雰囲気と違い、今のように朗らかな笑みを浮かべて話しかけてきたことを今でも覚えている。


「そういえば、翔太郎は甘いものが好きと言っていましたね」


「まあな」


「よく学園でも、メロンパンとかシュークリームとか買って食べてましたしね」


「そんなとこ見られてたのか……」


 玲奈はくすっと微笑む。


「買い出しに行く際に、一緒にデザートでも買いましょうか。幸い、スクールマネーは沢山持っているので」


「マジ? それは良いな。俺も、出来ればもっとスクールマネー欲しいんだけどな……。1162位ってランキングが一学期までにどこまで上がるかだけど」


 翔太郎がぼやくと、玲奈は小さく笑ってから、少し考えるように箸を置いた。


「スクールマネーは月初めに、ランキングに応じて支給される制度です。額は大体1万から10万程度ですが、十傑ともなるとそれ以上もらえることが多いですね」


「そんなに違うのかよ。そりゃ、みんなランキングの順位を気にしたり、上がり下がりに必死になる訳だ」


「ええ。上を目指せば、それだけ学園内での生活が快適になりますから」


 玲奈は落ち着いた口調で説明を続ける。


「それに加えて、異能試験などで上位に入賞すると、50万から100万ほどのスクールマネーが支給されることもあります。十傑はそういった試験で上位常連なので、月の収入だけで一般の学生とは大きな差がつくんです」


「つまり、お小遣いが欲しければ、試験で結果を出せってことか」


「そうですね。まあ翔太郎なら、異能試験で上位を狙うのはそこまで難しくないと思いますが?」


 玲奈がじっとこちらを見てくる。

 その目には迷いがなかった。


 一昨日の夜、凍也と戦った時もそうだった。

 彼女はただの観戦者ではなく、翔太郎の実力をしっかりと見極めた上で、何の疑いもなくその力を認めている。十傑である自分以上に強いと、もしかすると確信しているのかもしれない。


 それだけではない。

 彼女はフードの女から身を守るためだけではなく、翔太郎と共にいることを自ら選んだ。

 そして今も、ただの同居人ではなく、彼の役に立ちたいという意志を持っている。


 翔太郎は口元を拭いながら、少し肩をすくめた。


「まぁ、考えとくよ。金のために戦うってのもなんか違う気がするしな」


「そういうものですか?」


「俺はあくまで自分の目的のために強くなりたいんだよ。スクールマネーはあれば便利だけど、それが第一優先にはならない」


 玲奈はふっと微笑み、手元の食器を片付けながら言った。


「翔太郎らしいですね」


「そうか?」


「ええ。でも、買い物に行く以上、何か欲しいものがあれば言ってください。多く持っている私が出しますから」


「いや、さすがにそれは悪いって」


 翔太郎は少し顔をしかめた。

 まるで働く女に養われるヒモみたいじゃないか、と思ったのだ。

 いくらスクールマネーの所持額に差があるとはいえ、全てを彼女に頼るのは男としてどうかと思う。


 しかし玲奈は、そんな翔太郎の微妙な表情には気づいていないのか、淡々と続ける。


「遠慮しないでください。どうせ今後の食事は私も食べるんですから、共同出資みたいなものですよ」


 玲奈の言葉に、翔太郎は短く息をついた。

 玲奈の性格を考えれば、彼女は本気でそう思っているのだろう。

 スクールマネーは余るほど持っているし、居候している以上、自分が支払うのが当然だと考えている。


 それに──彼女は、翔太郎のために何かをしたいのだ。

 ただ保護される存在ではなく、彼の力になりたいと思っている。


 その気持ちを無碍にするのも、なんだか申し訳ない。


「……じゃあ、ちょっとだけ頼ろうかな」


「ええ。必要なものがあれば、遠慮なく言ってくださいね」


 玲奈は満足そうに微笑みながら、朝食の片付けを続けた。




 ♢





 4月28日・月曜日。

 5月に行われる異能試験『パートナー試験』の契約期限まで、残り三日。


 すでに大半の2年生はパートナーを決めており、未契約の生徒は十傑か、頼れる相手がいない者、あるいは推薦生という悪評によって敬遠されている者に限られる。


 契約状況は電子生徒手帳で確認でき、自分の組み合わせはもちろん、他人のペアも一覧で見られる。

 単独参加が許される十傑のメンバーも例外ではない。


 2年生の十傑は五人。

 今回の試験で参加するのも、その五人のみ。


 第七席・白椿心音は第九席のアリシア・オールバーナーと組み、十傑同士のペアということで、一躍優勝候補の筆頭に。

 第六席・影山龍樹は誰とも契約せず単独で参加。

 第八席は単独での参加資格を持ちながらも、同じC組の生徒とペアを組んでいる。


 そして残るは第十席・氷嶺玲奈。

 彼女は1年時から一貫して誰とも組まずに試験を突破し、2年進級と同時に十傑入りを果たした猛者だ。


 可憐な容姿に優秀な成績を持ちながら、誰にも心を開かず、冷たい態度で他者を寄せ付けない──まさに孤高の存在。

 今回の試験では十傑の単独参加にペナルティがないため、当然、彼女も一人で挑むと誰もが思っていた。


 だが──




『氷嶺玲奈(10位)&鳴神翔太郎(1162位)のパートナー契約が成立しました』




 電子生徒手帳に通知されたその一文は、零凰学園の生徒たちに衝撃を与えた。

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