第二章1 『アリシア・オールバーナーの独白』
──どうして、私ばかりが、こんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
いつからだっただろう。
私の人生が、こんなにも冷たく、残酷なものになったのは。
生まれてすぐ、母親に捨てられたこと?
それとも、赤ん坊の頃からあの白い壁と鉄格子に囲まれた施設で、モルモットにされたこと?
──あるいは、大好きだった親友が、私の目の前で黒焦げになって死んだあの日のこと?
……違う。きっと全部だ。
私は最初から、そういう運命だったんだ。
人間の姿をした、異能力を生み出すための器。
人権もなく、感情も許されず、ただ異能力の覚醒だけを求められた存在。
──でも、それでも、私にはまだ希望があった。
隣に、カレンという幼馴染がいてくれたから。
彼女は私のすべてだった。
生きる意味だった。
「大丈夫、アリシア。私がいるから」
「いつかきっと、ここを出ようね」
そう言って、私の手を握ってくれる。
食事の時間も、就寝前も、薬物投与の直後で吐き気に襲われている時も。
カレンだけは、ずっと泣きじゃくる私の隣にいてくれた。
施設の研究員たちは私たちを道具としか見ていなかったし、他の子供たちも自分は実験動物なのだと心に刷り込んでいたが、カレンだけは違った。
彼女の存在だけが、私を人間でいさせてくれた。
──それなのに。
ある日、私は覚醒した。
異能力を発現することに成功し、研究員たちは歓喜し、私は成功例と呼ばれるようになった。
その日から、私は毎日異能力を使うことを強要され、さらなる強化処置を受けるようになった。
──そして、最悪の瞬間が訪れた。
カレンと一緒にいるとき、私の能力が暴走した。
凄まじい熱量の炎が、私の身体から爆発するように噴き出した。
「──アリ、シア……?」
次の瞬間、カレンの身体に炎が襲いかかっていた。
「やだ……っ、助け……アリシアぁ……っ!」
耳をつんざく悲鳴。
皮膚が焼け爛れる音。
髪が燃え上がる匂い。
「違う!違う!! カレン、逃げてっ!!」
叫んでも、もう遅かった。
カレンは──私の目の前で、黒焦げになった。
「あ……あああああああああああああああ!!!!!」
焼けた皮膚が崩れ、剥がれ、骨が露出し、カレンの身体は塊と化していく。
目の前にあるのは、人間の死体だった。
さっきまで手を繋いでいたカレンの、炭化した亡骸。
「……ぉ、ぶぇ……」
吐き気が込み上げた。
でも、嘔吐することすら許されなかった。
私の足元には、カレンの焼けた死体の一部が転がっていたから。
──私が、殺した。
「……っ、あぁ、あああああああああああああ!!!」
狂ったように叫んだ。
喉が張り裂けそうになるほど泣き喚いた。
でも、カレンはもう目を開けることはなかった。
私はこの手で──最も大切な親友を焼き殺したんだ。
その日を境に、私は完全に壊れた。
研究員たちは、そんな私に笑いながらこう言った。
「素晴らしいよ、12番。君の異能力は我々の想定をはるかに超えている」
「13番の死は惜しかったが、代わりに君という成功例が誕生した」
「彼女は、君という天才を創り上げるための尊い礎となったのだ」
「おめでとう。今日から君が、爆炎のプリンセスだ」
私は吐きそうになった。
でも、吐くことすら許されなかった。
研究員たちはカレンの焼けた亡骸をゴミのように焼却処分し、私は何事もなかったかのように次の実験に連行された。
あの日から、私は人間をやめた。
爆炎のプリンセス?
何、それ?
私は、人殺しのモルモットだ。
──だから、泣く資格も、後悔する資格も、私にはない。
そう思い込もうとした。
でも、夜になるとカレンの焼け焦げた顔が夢に出てきて、何度も私を責めた。
「どうして助けてくれなかったの?」
「どうして私を焼いたの?」
「どうして、私だけが死ななきゃいけなかったの?」
許されるわけがなかった。
私は、カレンを焼き殺したんだから。
──本当に、私の人生は呪われているんだ。
そう思っていた矢先、私をあの地獄から救い出してくれたのは、ローフラムおじいちゃんだった。
おじいちゃんは、当時のドイツ最強の異能力者。
あの施設を問題視した政府が、ドイツの異能力者たちを派遣した。襲撃を受けた施設が崩壊し、私たちはあの場で全員処分されるはずだった。
だけど、目の前に現れたおじいちゃんは、私を抱きかかえて言ったんだ。
「大丈夫だよ。もう怖がらなくていい」
信じられなかった。
こんな私を、助けてくれる人がいるなんて。
でも、おじいちゃんは本当に私を人間扱いしてくれた。
一緒にご飯を食べて、一緒に買い物に行って、番号ではなく名前を呼んでくれた。
──アリシア、と。
ただそれだけのことが、どれだけ温かく、どれだけ幸せなことだったのか。
私は初めて、生きていて良かったと心から思えた。
けれど──また私は、大切な人を失った。
小学校の卒業式の日。
帰り道、遠くから見えた煙。
燃え盛る家。
フードを被った集団。
そして、私を庇うように立ちはだかったおじいちゃんの姿。
「ダメだ、アリシア……ここにいては……」
目を見開いた瞬間、爆炎に包まれた家。
はっきりと聞こえた骨の砕ける音、焼け焦げる肉の臭い。
私を守るためにおじいちゃんは……
「いやだ……! お願い、目を開けてよ……!」
声は枯れるまで泣き叫んだ。
でも、おじいちゃんは目を閉じたまま動かなかった。
あの時の、炭のように黒く焦げた姿。
腐った肉の臭い。焼き尽くされた家と、大切な人の骸。
──まただ。また私のせいだ。
カレンだけじゃない。
おじいちゃんまで……私と関わったせいで死んだんだ。
「私を、置いていかないでよ」
泣き叫んでも、願っても、祈っても。
もう二度と、あの優しい声は聞けなくなった。
私はまた、大切な人を失った。
──結局、私は呪われているんだ。
私と関わった人間は、みんな不幸になる。
カレンも、おじいちゃんも、私が傍にいたせいで死んでしまった。
だから、もう誰とも関わっちゃいけない。
誰かと友達になったり、誰かに優しくされたり、そんなの全部、私がまた不幸を呼ぶだけだ。
私はもう、誰とも関わらずに生きていくべきなんだ。
……なのに。
日本に来てから、おじいちゃんの弟子であるフレデリカと共に、オールバーナー家の別荘で暮らし始めた。
あの惨劇から逃げるようにしてたどり着いた場所。
そこで、私はまた間違えてしまった。
高校に入学した日、彼女──白椿心音に出会った。
誰もが陰気臭い私を避けていた中、彼女だけは何の躊躇いも無く声をかけてきた。
「ねえ、一緒にお昼食べよ?」
差し伸べられた手は、信じられないほど温かくて、優しかった。
その手を取ってしまった瞬間から、私はまた取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
心音は、カレンに似ていたから。
私を真っ直ぐに見つめて、何の打算もなく手を差し伸べてくる姿は──あの日のカレンと、重なってしまったから。
「……私と一緒にいると、不幸になるよ?」
何度も何度も、自分に言い聞かせた。
また同じことになる。私は心音を守れない。
カレンみたいに、きっと彼女も──でも、彼女は私を否定した。
「え?何の話? 私、別にアリシアと一緒に居て不幸だって思ったことなんて、一度も無いけど?」
そんな訳ないのに。
私は誰かを幸せになんて、できやしないのに。
それでも、彼女は変わらず笑顔を向けてくれる。
それが嬉しくて、温かくて、また間違えてしまいそうになる。
この幸せを求めてしまいそうになる。
それから一年後、あの少年と出会ってしまった。
馬鹿みたいに真っ直ぐで、無神経で、私のことを勝手に友達扱いしてくるあの男。
最初は鬱陶しかった。関わりたくなかった。
他の人と同じで、誰かと接するのが怖かった。
でも──気づけば私はまた……。
……違う。私は絶対に、彼と仲良くなっちゃいけない。絶対に。
だって、私は呪われてるんだから。
私と関わった人間は、みんな不幸になる。
カレンも、おじいちゃんも──次は、他の誰かが死ぬかもしれない。
怖い。彼が私に優しくするのが怖い。
私と一緒にいて、笑いかけてくれるのが怖い。
また、同じことになるかもしれないから。
私のせいで、いつか誰かが死んでしまうかもしれないから。
それでも──心の奥底では、求めてしまっている。
誰かと手を繋ぎたい。誰かと一緒に笑いたい。
誰かと「普通の関係」を築きたい。
だけど、それを望んではいけない。
私はそれに値しない人間だから。
「……どうして、私ばかりが、こんな目に遭わなきゃいけないんだろう……」
誰か、答えてよ。
ねえ、カレン……。
ねえ、おじいちゃん……。
私はまだ、生きていてもいいの……?
──いつか、誰かがこの手を取ってくれると信じている。
でも、その希望は虚しいことを知っている。
私の願いは、きっと誰にも届かないから。
それでも。
心のどこかでまだ、期待してしまう。
誰かが、私の空っぽの心を無理矢理埋めてくれることを。
誰かが、私を抱きしめてくれることを。
……そんな奇跡、私には起きないと分かっているのに。
でももし、その奇跡を起こしてくれる人がいるのなら──今度こそ、その人を絶対に失いたくない。
だから。
だからもう、近づかないで。
私なんかに、優しくしないで。
お願いだから、私の傍にいないで。
──私がまた、誰かを不幸にしてしまう前に。