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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第一章 『氷結のマリオネット』
30/93

第一章22 『鳴神翔太郎VS氷嶺凍也(中編)』

「玲奈!」


 翔太郎が叫ぶと同時に、凍也が放った巨大な氷柱が猛然と翔太郎と玲奈に向かって突進する。

 息を呑んだ玲奈が驚きと恐怖で目を見開く。


 玲奈が思わず身体が固まったその瞬間、翔太郎は彼女を一瞬で抱き寄せた。


「──きゃっ!」


「ちゃんと掴んでろ!」


 その声には迷いがない。

 翔太郎の声が響くと同時に、巨大な氷柱が急速に二人に迫る。

 だが、翔太郎は瞬時に反応し、玲奈をお姫様抱っこするように優しく抱き上げた。


 全身を雷で纏い、地面を蹴ると、まるで空気を裂くようにその場を離れる。

 氷柱が間一髪で二人のすぐ目の前を通り過ぎ、瞬時に背後の大地に激しく突き刺さった。


 氷柱が背後で爆風のように炸裂し、凍也の放った攻撃が激しく爆音を轟かせて破壊的な力を解き放つが、翔太郎と玲奈はその中に残ることはなかった。


 翔太郎はそのまま玲奈を抱え、数十メートル先へと着地する。

 地面が軽く揺れ、彼の足元に小さなひび割れが走った。


「信じられねぇ。俺を攻撃するだけならまだしも、凍也のやつ──妹を巻き込む事を何とも思ってないのか」


 翔太郎は瞬時に後方へと着地し、その衝撃を受け止めながら玲奈を優しく下ろした。

 息をつきながら、目を見開いて凍也の方向を振り返る。


「大丈夫か?」


「はい、私はなんとか。鳴神くんは?」


「俺もかすり傷一つすらない。だけどアイツ──」


 その言葉には、さすがに驚きが滲んでいた。

 翔太郎の本来の目的は第一に玲奈を連れ出すことあり、今まで彼女を守るために行動した。


 しかし、凍也はついに一線を越え、玲奈を巻き込んで自分に向かって攻撃を加えてきたのだ。


 その冷徹さに、翔太郎の胸に一瞬だけ不快感が走ったが、それをすぐに振り払う。

 だが、確実に心の中で一つの警鐘が鳴っているのを感じていた。


「ここにいてくれ。今の凍也は確実に俺に容赦しない。巻き込まれるかもしれないから一回離れていた方が良い」


 翔太郎の静かな声が、玲奈の耳に届く。

 彼の言葉には、絶対的な自信と揺るぎない決意が滲んでいた。


 しかし、それでも不安を拭えなかった。


「ですが、相手はあの兄さんです。いくらあなたが強くても、さすがに一人では──」


「さっき言ったばかりだろ。俺だけを見てろって」


「ぁ──」


 その言葉とともに、あの時の翔太郎の眼差しが脳裏に蘇る。

 まるで全てを受け止めるような深い瞳。

 どんな困難の中でも決して折れない、強く真っ直ぐな意志。


 玲奈の頬が熱を帯び、思わず視線を逸らしてしまう。


「大丈夫。ちゃんと全部なんとかするから、信じて待ってて」


 優しくも頼もしい声音。

 玲奈ははっと翔太郎を見上げた。


 ──信じてもいいのだろうか。

 いや、あの手を取った時点で答えは決まっていた。


 彼は、ここから連れ出すと言った。

 彼は、私の居場所を作ると言った。

 なら、もう彼を信じるしかないではないか。


「……はい」


 玲奈の小さな返事に、翔太郎は満足げに頷くと、雷を纏ったまま疾風のごとく駆け出した。


 玲奈はその背中を、胸を高鳴らせながら見つめていた。


(私、今までこんな風に誰かを信じたことってありましたっけ……?)




 ♢




「気でも触れたかよ。玲奈は妹なんじゃないのか」


 翔太郎の声が鋭く響く。

 彼はすでに凍也の目前に迫っていた。


 だが、凍也は冷たい目を向けたまま、静かに吐き捨てるように言う。


「アイツは僕の命令ではなく、お前を信じた。その時点で、アイツは氷嶺家の背信者だ。どう罰を与えようが当主たる僕の自由だろ」


「玲奈が背信者ならそれで良いじゃん。裏切り者なんか家から追い出しちまえよ。玲奈だって家から出たがってるんだし、お互いに利害が一致してWin-Winじゃね?」


「──黙れ!」


 凍也の感情が一気に爆発した。


「本当に癪に障るガキだな、お前は……!」


 冷気を孕みながら、怒りと憎悪を滲ませている。


「玲奈は僕の所有物なんだ。僕がどう扱おうが、お前には関係ない。故に、玲奈は家から出さないし──お前を潰して、侵入者として学園に通報してやる」


 その言葉に、翔太郎の目が細まった。


「やれるもんならやってみろよ」


 静かな言葉とは裏腹に、彼の全身が稲妻を帯び、周囲の空気がピリピリと震え始める。


「俺はアンタを倒して玲奈を連れて行く。言っておくけど、先に仕掛けたのはそっちだぞ」


 雷光が弾け、辺りを閃光が駆け巡る。


「それに、仮に俺を侵入者として通報したところで、玲奈が俺の味方になる以上、アンタの主張だけが通ることはない」


 雷鳴と氷嵐。

 二人の間の空気が、張り詰めた刃のように研ぎ澄まされていく。


 戦いの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。




 ♢




 鳴神翔太郎の能力は、主に二つ。

 ──紫電と雷閃。


 紫電とは、体内に蓄電した雷を放出する、極めてシンプルながら強力な技だ。

 速度、威力、射程の三拍子が揃い、近距離戦から遠距離戦まで対応可能。攻撃だけでなく、遊撃や防御、牽制にも活用できる汎用性の高さが特徴だ。

 その圧倒的な性能ゆえ、零凰学園の異能力者ですら、この技一つで大半を撃破することが可能だった。


 もう一つは雷閃。

 雷閃とは、雷のエネルギーを体内に蓄え、瞬間的に身体能力を増強する技である。

 翔太郎が高速移動する際に用いるのがこの力であり、紫電と並んで彼の十八番と言える。

 彼が先程、玲奈を抱えた際の驚異的な速度や、授業でゴーレムの背後を取った時、さらには雪村たちを一掃した際も、この雷閃を使用していた。


 しかし、紫電とは異なり、雷閃は体内にエネルギーを留め続けなければならない。

 その状態で激しい動きを繰り返すと、集中力を削がれ、コントロールが難しくなる。

 結果として、蓄えた雷を放つだけの紫電に比べ、雷閃ははるかに消耗が激しい。


 六年の鍛錬で極めたのはこの二つだけ。

 鳴神家は焼かれ、異能の指南書も失われたため、翔太郎は剣崎と共に独学でこの力を編み出した。


「凍也。アンタがなんでそこまで玲奈を縛って苦しめるのか、俺には分からない」


 翔太郎はじっと凍也を見据えた。

 その声には怒気はない。

 しかし、まるで雷雲が静かにうねるような、張り詰めた気配が滲んでいた。


「何だと……?」


 凍也の眉が僅かに動く。


「だってそうだろ。兄貴なら、まず最初に考えるべきなのは妹の幸せなんじゃないのか?」


 翔太郎は一歩踏み出した。


「玲奈がどう生きたいか、何を望んでるか、ちゃんと考えたことがあるのか? 玲奈の気持ちを無視して、家の為だの何だのって、アンタの都合を押し付けてるだけじゃないのかよ」


 冷たい夜気が漂う庭園の中で、翔太郎の言葉だけが鮮やかに響いた。

 凍也の表情は微かに歪んだ。


「……くだらない戯言を」


 彼は呆れたように吐き捨てるが、その声はどこか揺れていた。


「くだらなくなんかねぇよ」


 翔太郎は凍也の目を正面から捉え、まるで雷撃のような鋭さで言い放った。


「最近の玲奈は、一度でもアンタに向けて笑ったことがあるのか?」


 沈黙。

 凍也の瞳がかすかに揺らぐ。


 妹の笑顔──それを思い返そうとするが、浮かんでくるのは冷たい視線ばかりだった。

 怯え、従いながらも、どこか遠ざかるような表情。


 かつては違ったはずだ。

 玲奈は自分を兄として慕い、無邪気に笑っていた。

 いつからだろうか──彼女の顔から、あの温かい笑みが消えたのは。


 凍也の奥底にあった何かが揺らぎかけた、その瞬間。


「……黙れ」


 その声は、まるで凍りついた刃のように冷え切っていた。


「──凍りつけ!」


 凍也が叫ぶと同時に、空気が一瞬にして凍りついた。


 轟音とともに冷気が爆発し、あたり一面が白く染まる。

 大気中の水分が一瞬で凍結し、足元の地面すら瞬時に氷に覆われていく。


 翔太郎は即座に後方へ跳び、全身に雷を帯電させた。


「お前に、何が分かる!」


 凍也の声は怒りに震え、彼の周囲に渦巻く氷の嵐はさらに勢いを増していく。


「玲奈は氷嶺家の一員だ。そこに自由など必要ない。玲奈が僕の言葉に背くなら従わせるしかないんだ。お前も玲奈も、そんな簡単な事が分からないのなら、力づくで言うことを聞かせるまでだ!」


 彼が静かに手をかざすと、周囲の温度が急激に下がった。

 凍てつく空気が渦を巻き、白銀の霧の中から鋭利な氷が瞬時に形を成していく。


「──氷狼たちよ!」


 その言葉とともに、巨大な狼が氷塊から生まれた。

 全身が澄み切った蒼氷で覆われ、鋭い牙と爪が冷気を帯びて鈍く光る。

 赤く輝く氷の瞳が翔太郎を捉えた瞬間、三体の氷狼が咆哮とともに一斉に飛びかかる。


 凍也の異能力が完全に解放された。

 氷嶺の名にふさわしい絶対零度の力が、この場を一瞬にして戦場へと変えていく。


 翔太郎はその場から一気に跳躍し、雷閃を纏って疾風のように駆け抜けた。

 氷狼たちの爪が僅かに地面を裂くが、彼の速さには到底追いつけない。


「ちょこまかと……!」


 凍也が苛立ちに顔を歪める。

 彼にとって氷狼は確実に獲物を仕留める狩人の牙のはずだった。

 しかし翔太郎の動きはあまりに速く、狼たちが喰らいつく隙さえない。


 だが、凍也もそれを想定していた。


「だったら、逃げられないようにしてやるよ」


 手を振り上げた瞬間、上空から無数の氷の礫が降り注ぐ。

 さらに、翔太郎の行く先に巨大な氷柱が次々とせり上がり、進路を塞ぐ。

 氷狼たちは誘導するように動き、逃げ場を奪いながら追撃を仕掛けていく。


 凍也の戦術は単純明快でありながら、極めて効果的だった。

 使い魔による猛追撃と遠距離からの氷の攻撃。

 死角はなく、包囲された獲物には確実に逃げ道を潰す布陣。


 しかし、それでも翔太郎の速度は圧倒的だった。


 雷閃を纏った彼は、氷柱の障害を一瞬で見極め、最適なルートを選びながら縦横無尽に駆け抜ける。

 氷狼が喰らいつこうとする刹那、僅かな時間差でそれを躱し、まるで雷光が舞うかのように戦場を駆け巡った。


「ちっ……! いい加減鬱陶しいんだよ!」


 焦燥を滲ませる凍也。

 しかし、翔太郎は静かに笑みを浮かべたままだった。


「確かに思ったよりも凄いな。アンタの異能」


 翔太郎の目が鋭く光る。

 戦況を制するのは、より速く、より冷静な方──その事実は変わらない。


 ただし、それでも翔太郎は凍也の力を高く評価していた。


 確かに、十傑の玲奈が従うだけのことはある。

 造形の速度、攻撃範囲、そのどれもが零凰学園の生徒たちとは比べ物にならない。


 特に厄介なのは、彼の造り出した動物が単なる氷の塊ではなく、まるで意志を持ったかのように動き回ることだった。

 もしも凍也を潰したとしても、氷狼たちは崩れるまで狩りをやめないだろう。

 戦況を支配する力と異能の完成度は、雪村たちとは別格だった。


(やっぱり名家の当主ってのは伊達じゃねぇな)


 そんな感想を抱きながらも、翔太郎の表情はどこか楽しげだった。


「じゃあ、俺も真似してみよっかな」


 軽く肩を回しながら、余裕すら感じさせる笑みを浮かべる。

 その態度が凍也の神経を逆撫でする。


「……何?」


「ほら、お前の狼って結構しつこいからさ。対抗策を試してみるよ」


 そう言って翔太郎は両手を握り合わせ、指先から雷光を迸らせると、正面に突き出した。


「──紫電変換、雷狼」


 瞬間、バチバチと弾ける雷の奔流が獣の形を成す。


 純粋な雷のエネルギーが蠢き、四足の獣として形を取った。

 鋭い稲妻の牙を光らせ、雷の狼たちは翔太郎の意思に応じるように駆け出した。


 次の瞬間、雷狼たちは狙いを定め、翔太郎を追い続ける氷狼へと纏わりつくように襲いかかる。


「なっ──」


 凍也が驚愕する間もなく、雷狼たちは氷狼の体へと絡みつき、内側から電撃を放出した。

 轟く雷鳴とともに、氷狼は細かい氷片となって砕け散る。


「僕の異能を、瞬時にコピーしただと……!?」


 驚愕から一気に怒りへと転じる。


 コピーと言っても、これは異能力の応用だ。

 そして、それは翔太郎の鍛え抜かれた観察眼が雷の力と合わさって初めて成立する驚異的なものである。

 紫電を応用した造形ならば、翔太郎の得意分野であった。


「お前っ……!」


 怒号とともに、凍也は鋭く手を振り上げた。


 砕け散った氷の破片が瞬時に収束し、鋭利な翼を持つ隼へと変貌する。

 まるで生きているかのように羽ばたき、凍気を纏った爪を煌めかせた。


「俺が壊した氷が……復活した……?」


 翔太郎が驚愕する間もなく、凍也の声が鋭く響く。


「氷の異能力がどういうものか、思い知らせてやる!」


 氷の隼が甲高い鳴き声を上げた瞬間、疾風のごとく翔太郎へと急襲する。


「今度は空中戦かよ」


 翔太郎は呆れたように肩をすくめると、即座に雷閃を纏い、稲妻の爆発的な推進力で跳躍した。


 雷光の軌跡が空を裂く。

 しかし──凍也の口元がわずかに歪む。


 氷の隼は、翔太郎を上回る速度で翔太郎の背後に迫る。

 鋭い氷翼が裂帛の勢いで襲いかかり、極寒の刃が肌を切り裂こうとしていた。


「──あと1秒遅いな」


 翔太郎の姿が一瞬掻き消えた。


 雷光の残像が空を裂き、翔太郎はまるで舞うように高度を変えながら、ジグザグに軌道を組み立てる。

 隼の爪がすんでのところで空を切るたび、稲妻の余波が閃光の残滓を散らした。


「狙いは悪くないけど、まだ俺の方が速いみたいだな」


 翔太郎は僅かに口角を上げながら、肩を軽く回した。


 対して、凍也の表情が僅かに歪む。

 苛立ちを隠せないまま、彼は手を振るうと、周囲の冷気が急速に収束していく。


「その生意気な面を、今すぐ苦痛に歪めてやるよ」


 氷の粒子が瞬時に形を成し、純白の隼が次々と生み出される。

 翼を広げ、鋭利な爪を構えた三羽の氷隼が翔太郎の周囲を旋回しながら、一斉に襲いかかった。


「この数は避けられまい!」


「試してみな」


 翔太郎は悠然と呟くと、両手を組み合わせて雷を収束させる。

 紫電が弾け、圧縮された電流が奔流となり、彼の周囲に数体の雷狼を生み出した。


「──紫電変換、雷狼」


 稲妻の身体を持つ狼たちが地を蹴ると、雷撃の残光を引きながら飛び出していく。


「行け!」


 命令とともに、雷狼たちは疾風のごとく駆けた。

 氷隼との衝突。

 雷光と冷気がぶつかり合い、爆発的な衝撃波が周囲に広がる。


 瞬間、隼の一羽が電撃に貫かれ、砕け散る。

 氷の破片が四方に弾け、冷気となって霧散した。


「それくらいで終わると思うなよ」


 凍也の冷笑が響く。

 砕けた氷片が瞬時に再構築され、僅かな時間も置かずに新たな隼へと変貌していく。


「マジか。手癖悪ぃな」


 翔太郎は苦笑しつつも、鋭い眼光を向けた。


「少しでも破片があれば、それを組み直して何度でも作り直せるってわけか。ただでさえ空気中の水分も凍らせられるなら厄介だな」


 彼は拳を握りしめると、紫電を纏わせた。


「だったら、作る暇も無いほど速く潰せばいいってことだな」


 雷の脈動が皮膚の下で弾け、殺気を帯びた雷撃が拳の周囲に蠢く。


「お前の造形と俺の走りのどっちが速いか、純粋なスピード勝負だな。さぁ──もっと速く踊ってみせろよ」


 その挑発に、凍也の顔が引き攣る。


「言われなくてもな……!」


 怒号とともに、氷の隼たちが一斉に翔太郎へと襲いかかる。

 冷気を纏い、鋭利な爪と翼で敵を斬り裂かんと迫る。


「遅い」


 紫電が瞬いた。

 次の瞬間、翔太郎の姿が掻き消える。


 雷光の残像を引きながら、彼は瞬時に高度を変え、ジグザグに動きながら空を駆ける。

 隼が僅かに遅れて追い縋るが、雷光の速さには到底及ばない。


「まだまだ……!」


 凍也が更なる氷の奔流を解き放とうとした瞬間、翔太郎の拳が電撃を纏い、氷の隼へと突き出された。


 ──雷撃が炸裂する。


 拳が触れた瞬間、衝撃波が弾け、轟音とともに氷の隼が粉砕される。

 続く電流が残った隼たちを瞬時に飲み込み、すべての氷が砕け散った。


「なっ……」


 凍也の目が見開かれる。

 その直後、破片となった氷が冷気となり、静かに夜空へと溶けていった。


 月光を受けた氷の粒子が、淡い光を放ちながら宙を舞う。


「綺麗……」


 そのあまりに幻想的な光景に──思わず、玲奈の声が漏れた。


 戦場のはずなのに、場違いと思えるぐらい息を呑むほど美しい。

 凍也の冷気と翔太郎の雷撃がぶつかり合った結果、夜の空に氷晶が浮かび、まるで宝石のように輝いている。


 しかし、それ以上に玲奈が目を奪われたのは──翔太郎の圧倒的な強さだった。


 あれほど余裕を持って凍也を翻弄する者を、彼女は見たことがない。

 そして、あれほど焦る凍也を見たのも初めてだった。


 彼女は思い返す。


 ──初めて鳴神翔太郎が、あのフードの女に向けて異能力を発動した時。


 あの瞬間、胸の奥に微かな予感があった。


 そして、ゴーレムの授業。

 彼が悠然と雷撃を纏い、圧倒的な力で制圧したあの光景を目の当たりにした時、確信に近づいていた。


 この少年は、ただの生徒じゃない。

 彼はきっと──兄よりも強い。


 それは決して、血の繋がった兄を軽んじるわけではなかった。


 凍也の強さはよく知っている。

 氷嶺の名を持つ彼の異能は、幾多の戦いで磨かれ、練り上げられたものだ。

 その戦闘技術も造形速度も、十傑の玲奈が一番に認めるほどに優れている。


 けれど、それでも──翔太郎の前では、それすら霞んで見えた。


「やっぱり……」


 玲奈は静かに呟いた。

 見ているだけで分かる。


 彼はどんな相手にも怯まない。

 どれほど強大な力を前にしても、決して揺らがない。


 鳴神翔太郎という男は、異能の技術や戦闘の巧拙を超えた領域にいる。

 そして、その圧倒的な力を前にしても尚、彼はどこか余裕を持ち、楽しむように戦っている。

 そんな存在を、玲奈は今まで見たことがなかった。


(私の勘は、間違ってなかった)


 そう確信した瞬間、玲奈の胸の奥に、初めて感じる感情が芽生えた。


 ──この人なら、どんな強敵にも立ち向かってくれる。

 ──どんな局面でも、きっと勝ち抜いてくれる。

 彼に対する絶対的な信頼が、玲奈の中に生まれていた。


 その一瞬の静寂。

 翔太郎の足が夜空から落ちる。


 冷気が月明かりを受け、白銀の光を散らしながら揺らめいた。

 翔太郎はその中を疾風のごとく駆け抜け、地面に着地した刹那──既に凍也との距離はゼロに等しかった。


「……っ!」


 凍也の目が驚愕で見開かれる。

 反射的に氷の造形を発動しようとするが、その思考すら翔太郎の速さには追いつけない。


「──雷閃!」


 電光が瞬時に奔り、翔太郎の拳が鳩尾へとめり込む。


 激しい衝撃とともに、凍也の全身が弓なりに仰け反った。

 息が詰まり、目の焦点が揺らぐ。

 視界が白く染まり、口から短い呻き声が漏れた。


 雷閃が炸裂した瞬間、凍也の意識が一瞬途切れた。


 しかし、その間にも翔太郎の拳から放たれた雷の衝撃は凍也の全身を貫き、反動でその身体を地面へと叩きつける。

 鈍い音とともに凍也の身体は地面に衝突し、その勢いのままバウンドする。


「──ッぐ……!」


 意識が戻るより早く、凍也の身体は数メートル先まで無残に吹っ飛ばされ、ようやく動きを止めた。

 地面を抉るように転がった彼の口から、荒い息が漏れる。


 全身が痺れ、手足に力が入らない。

 視界が暗くなりかける中で、聞こえたのは翔太郎の冷静な声だった。


「玲奈を解放しろ。約束できるなら、これ以上は何もしない」


 はっきりとした、容赦のない言葉。

 だが──


(……ふざけるな)


 凍也の中で、静かに燃え上がるものがあった。


 氷嶺家の名。

 氷嶺家の血。

 そして氷嶺家の誇り。


 己はこの名を背負い、生きてきた。

 生まれながらにして長男として、当主としての責務を与えられ、それが自分の宿命だと信じてきた。


 それを、たかがどこの馬の骨とも知れぬ男に、自分だけの人形を解放しろなどと命令されるとは──


(ふざけるな……!ふざけるな!お前ごときに、僕の……僕の全てを!!)


 握り締めた拳が震える。

 身体の痛みも、雷に焼かれた神経の痺れも、もはやどうでもよかった。


 目の前の男に対する憎悪が、全身に力を漲らせる。


「……まだ」


 呻くように言葉を絞り出しながら、凍也は震える腕を地面につき、ゆっくりと上半身を起こした。


 まだ終わっていない。

 こんなところで倒れてたまるか。

 こんなガキに、自分の全て否定されてたまるか。


「はは……ははははっ……! あーはははははっ!!」


 狂気じみた笑い声が、氷の嵐と共に戦場を包み込む。


 凍也の周囲に広がる白銀の冷気は、まるで生き物のようにうねり、地面を凍らせながら空へと昇っていく。温度の低下は尋常ではなく、周囲の景色が一瞬で極寒の世界へと変貌していった。


 地面に走る氷の筋が、触れたもの全てを瞬時に凍らせていく。


「まさか、お前みたいな推薦生のゴミ野郎に、この力を使うとは思わなかったよ!」


 凍也の顔は、これまでとは明らかに違った。

 激情に染まったその目は、獲物を貪り食う獣のそれに近い。


「だが、光栄に思えよ、鳴神翔太郎! ここまで僕を追い詰めたのはお前が初めてだ!」


「そうか。だったら、今まであんまり高い壁にぶつかってこなかったんだな」


 静かに呟いた翔太郎に、凍也の表情が一瞬で歪む。


「その減らず口を今すぐに塞いでやるよ!」


 咆哮と共に、彼の周囲の冷気が爆発的に増幅した。


 まるで氷の嵐が戦場を支配するかのように、霧状の冷気が渦を巻き、次第にその中心から異様な光が放たれ始める。


「ははっ……はははははっ!! あははははははっ!!」


 凍也の笑いは、ますます狂気を帯びていく。


「残念だったな、鳴神ぃ! この力を解放したからには、お前の勝ち目は万が一にも訪れない!」


「……まさか」


 その瞬間、翔太郎の目が大きく見開かれる。


 確かに凍也の実力は高い。

 だが──まさか、既にそのステージにまで至っていたとは。


「セカンドオリジン、解放っ!!」


 凍也の咆哮が夜空に轟いた。


 空気の質が明らかに変わった。

 気温が急激に低下し、翔太郎の吐く息すら白く凍りつきそうなほどの冷気が辺りを支配する。


 四月の夜とは思えない。

 ──まるで真冬の極寒地帯。

 それほどまでに異常な温度低下。


 氷嶺家の血統。

 彼が背負う異能力の本質が、ついに牙を剥いた。


 光の柱が吹き上がり、それが消え去ると同時に──凍也の姿が現れた。


 漆黒の髪は真っ白に染まり、全身には冷気が纏わりつくように輝いている。

 その瞳には、先ほどまでの激情すら薄れ、代わりに圧倒的な力への陶酔が宿っていた。


 両手には、まるで絶対零度を宿すかのような氷の圧力が凝縮され、そこにあるだけで周囲の空間すら凍結させそうなほどの異様な威圧感を放っている。


「まさか、セカンドオリジンを解放できる能力者だと思わなかったよ」


 翔太郎が低く呟く。


 セカンドオリジン。

 それは、一部の異能力者だけが到達できる変身状態の名称だ。

 通常の異能力よりも遥かに高い出力を誇り、本来使用されない潜在能力を強制的に解放する。

 この領域に到達できる者と、そうでない者とでは、天と地ほどの差が生まれる。


「まずい……」


 その瞬間、玲奈の胸が強く締め付けられた。

 目の前に広がるのは、もはや自分の知っている凍也ではなかった。


 狂気に満ちたその姿に、背筋がひやりと冷たくなり、動悸が激しくなる。

 冷気が全てを呑み込み、空気そのものがひどく冷たくなったことが、玲奈の内面で一瞬にして警告を鳴らした。


「兄さん、鳴神くんを殺す気ですか!」


 恐怖から発せられた言葉は、瞬時に凍也の激しい目に突き刺さる。

 その反応を見た瞬間、玲奈は背後に迫る冷気が迫るのを感じた。


 慌てて足を踏み出すものの、その足が一歩踏み出す度に、胸の奥にひどい緊張感が走る。

 まるで空気が凍りつくように感じ、言葉が息を呑むのを待っているようだった。


「──それだけは駄目です!」


 必死に叫んだその声も、思った以上に震えていた。


 どれだけ強がろうとしても、その恐怖を抑えきれない自分に、少しだけ情けなさを感じる。

 翔太郎が戦っている中、どうしても手を貸したい気持ちが心を焦らせるけれど、それでも何かが、無意識に止めさせている。


 その時、翔太郎の声が空気を打ち破った。


「大丈夫だ。玲奈」


 その冷静な声が、玲奈の胸元に響いた。

 振り返ると、翔太郎は一切動揺することなく、しっかりとした眼差しで玲奈を見つめ返していた。

 その目には、まるで全てを見透かしているかのような冷静さが宿っている。

 心のどこかで彼が持つ強さを知っていても、今この瞬間にそれを感じると、玲奈の胸は強く動揺してしまう。


「確かに、凍也がセカンドオリジンを解放できる能力者だったのは驚いたけど……それだけだ」


 その言葉を聞いた時、玲奈は胸の中で何かが崩れたような気がした。

 この絶望的な状況で、翔太郎の言葉がまるで冷たい水のように心を冷やす。

 凍也の力、セカンドオリジンの解放──それだけでは動揺しない翔太郎。

 まるでその力すら、何の脅威にも感じていないかのように。


(彼は、こんな時でも迷わない……)


 その確信が、玲奈に少しだけ安堵を与える。

 しかし同時に、翔太郎がどれだけ落ち着いていて、どれだけ強いのかを再認識させられる。


 しかし、冷気に包まれた夜空に満ちるのは凍也の狂気。

 その狂笑が戦場を支配する。

 凍也が叫ぶ度に、周囲の空気が凍りつく。

 その中で彼の目に宿る憎しみと絶望は、まさに壊れた人間そのものだった。


「氷嶺家の敵は、僕が殲滅する!」


 その声が響く度、玲奈の心は一瞬で凍りつく。


 ただその力を目の前で感じるしかない、無力さに、玲奈は呆然とする。

 凍也の力が目の前に広がり、玲奈はそれをどうしても避けられない現実として感じるしかなかった。

 心の中で、何度も止めなければと願いながらも、手を伸ばせない自分が情けない。


 しかし──翔太郎の目には、動揺も恐れもない。

 その冷静さと、どこか浮世離れした雰囲気が、玲奈を一瞬で圧倒する。

 何もかもを包み込むその冷徹さに、玲奈は言葉を失った。

 彼は、戦うことに何の迷いも持たない。


「そろそろ決着つけようぜ、氷嶺凍也」


 その声に込められた冷静さと、どこか飄々とした雰囲気に、玲奈は一瞬息を呑んだ。

 あの絶望的な状況でさえも、翔太郎には何の恐れもなかった。


 その言葉が、玲奈の胸に確信を与えた。

 彼の冷徹さが、彼を勝利に導く。


(彼なら──)


 玲奈は再び、彼の強さを信じることができた。

 その冷静さこそが、翔太郎の真の力だと確信する。

 そして、それこそが凍也に勝つための、最も大きな武器だと感じた。

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