第一章16 『逆恨みの吹雪』
五時限目に行われる組み手とは、要するに異能力を用いた模擬戦闘である。
公式には実戦異能訓練と呼ばれ、戦闘技術の向上を目的とした授業の一環だ。
当然ながら、これはあくまで模擬戦であり、本気で殺した時点で即座に失格。
その場合、学園からの強制退学は免れず、さらに過失致死罪として裁判にかけられることになる。
──ただし、死なない限りの話である。
基本的なルールはシンプルだ。
どちらか一方が気絶するか降参を宣言した瞬間、戦闘は終了。
その結果が授業の査定に反映される。
戦いの形式は自由で、生徒個人が人数設定を決めることができる。
一対一、一対多、多対多 など様々な形式が可能であり、ランキング上位の生徒を倒せば、それだけ査定評価も高くなる。
言い換えれば、強者を狙い撃ちして勝利すれば、短期間で大きく評価を上げられる。
一方で、負ければ当然査定は下がるうえ、実力差のある相手に挑めば、容赦なく叩きのめされるリスクもある。
結果として、戦闘に自信のある生徒ほど積極的に戦いを挑み、逆に自信のない生徒は慎重に立ち回る傾向にあった。
「本当に良いのか、鳴神」
五時限目、実戦異能訓練の時間。
グラウンドにて、翔太郎が雪村たちとの一対多を選んだことに、岩井が渋い顔をしながら確認してくる。
「もう同意済みですよ」
翔太郎は淡々と答えながら、手続きを進める。
その様子を見ていたクラスの面々の間では、すでに賛否が分かれていた。
「はは、マジかよ。推薦生サマ、死にに行くようなもんじゃん」
「これは公開処刑だな。どこまで耐えられるか見ものだ」
外野から明らかに面白がっている連中がいる。
彼らの視線には期待と嘲笑が入り混じっていた。
推薦生のくせに調子に乗った末路を見せてやれ、とでも言いたげな様子だ。
一方で、冷静な生徒たちの中には、今回の組み手をやり過ぎと感じる者も少なくなかった。
「いくら何でも、人数差ありすぎだろ……」
「そもそも、雪村たちは普段から突っかかりすぎなんだよ。こういう私怨を授業に持ち込むの、どうなんだ?」
「ていうか、雪村たちってあんなに汚かったか?」
懐疑的な声もあちこちから聞こえるが、雪村たちはどこ吹く風で薄笑いを浮かべている。
「ルールはルールだろ。本人が望んだんだ。だったらやるしかねぇよな?」
雪村が嘲るように肩をすくめると、周囲の笑い声が広がる。
その中心で、翔太郎はただ静かに、戦いの準備を整えていた。
♢
時は遡ること昼休み。
学園の一角にある人気の少ない空き教室。
雪村を中心に、彼とつるむ数人の生徒が円卓を囲むように集まっていた。
「──で、どうする? 雪村くん」
隣の生徒が椅子の背にもたれながら、机に足を投げ出す。
「推薦生のヤツ、まんまと乗ってきたわけだけど」
そんな言葉に、雪村は鼻を鳴らした。
「別にどうもしねぇよ。こっちは最初から潰すつもりだったろ? とはいえ、アイツの実力は未知数だ」
雪村は指をコツコツと机に打ちつけながら、慎重な口調で続けた。
「玲奈が倒したのと同じ大きさのゴーレムを軽々とぶち壊してた。迂闊にやり合って、こっちが返り討ちなんてことはごめんだからな」
「雷の異能力を使うのは確定してるな」
別の生徒が、苦々しく言葉を継ぐ。
「あと、有り得ないぐらい速い」
「ゴーレムと戦ってる時も、一瞬で後ろに回ってたよな」
「十中八九、身体能力を強化するタイプの能力だろうな。雷を纏ってるあたり、神経伝達を加速させるとか、筋力を電気で強化するタイプ……割とオーソドックスじゃねえか?」
雪村は顎に手を当て、冷静に分析する。
「だったら──正面からの殴り合いは避けるべきか」
「おいおい、ビビってんのかよ」
「バカ言え。確実に勝つための策を考えてるだけだ」
慎重派の一人が鼻を鳴らし、挑発した生徒を睨みつける。
「問題は、どこまで本気でやるかだな。アイツがどの程度の力を隠してるか分からねぇ以上、いきなり総攻撃を仕掛けるのはリスクがある」
「じゃあ、どうすんのさ。雪村くん」
「簡単な話だ。時間を稼げばいい」
雪村の言葉に、取り巻きたちは眉をひそめた。
「時間?」
「そうだ。お前らも知っている通り、俺の“ホワイトブリザード”を発動するまで、お前ら六人で鳴神の足止めをする」
彼は不敵に笑いながら、指を立てた。
「俺の吹雪に触れた能力者は、動きが鈍って、そのまま凍りつく。アイツの強みはスピードだが──そのスピードを奪っちまえば、ただの的だ」
雪村の言葉に、一同の表情が変わる。
「なるほどな……確かに、それならアイツを封じられる」
「けど、それまでに全員やられたら意味ねぇだろ」
「だからこそ、お前らは倒される前にできる限り鳴神の動きを制限しろ。遠距離攻撃で牽制するのもいいし、チームワークを活かして挟み撃ちにしてもいい。とにかく俺が準備を整えるまで、耐えりゃいいんだよ」
雪村は余裕の笑みを浮かべながら続けた。
「お前らがその気になれば、そのまま倒してもいいしな?」
その言葉に、取り巻きたちはニヤリと笑い合う。
「まあ、どっちにしろ、五時限目には鳴神翔太郎がただの推薦生だって証明してやるよ」
その宣言とともに、空き教室には含み笑いが響き渡った。
♢
組み手を始める少し前のことだった。
「──なあ、雪村。やっぱり、辞めておかないか?」
静かに放たれた翔太郎の言葉に、その場にいた雪村たちは一瞬、面を食らった。
しかし、すぐに理解が追いつくと、彼らは顔を見合わせて大笑いを始める。
「おいおい、今さら逃げんのかよ、推薦生サマよぉ?」
「ゴーレムを二秒でぶっ壊した奴が聞いて呆れるな」
「さすがに七人相手じゃ、ビビって声も出ねぇか!」
取り巻きたちが次々と好き勝手に言い放つ。
そんな中、雪村は片手を上げて制した。
「テメェ、何か勘違いしてねぇか? これはそもそも勝負じゃねぇよ」
雪村の目が冷たく細められる。
「誅罰ってやつだ」
「誅罰?」
翔太郎は眉をひそめる。
「俺、何かそこまでされなきゃならないほど、悪いことでもしたのか?」
「自覚がねぇ奴ほどタチが悪いんだよ。現に、テメェのせいで玲奈は学園を休んでんだろうが」
「……」
その言葉に、翔太郎は小さく息を吐いた。
(……結局、そういう話か)
玲奈の休学理由は、どうやら凍也の吹き込んだデマによって、すっかり歪められてしまっているらしい。
だが、彼らにとってそれが事実かどうかなど、もはやどうでもいいのだろう。
──推薦生である翔太郎が気に食わない。
本来なら、推薦生など入試も受けずに零凰学園に入ってきたのだから、自分たちよりも下の存在であるべきはずだ。
しかし、翔太郎は授業内で巨大ゴーレムを二秒で倒す実力を持ち、しかも十傑の氷嶺玲奈と毎日のように行動を共にしている。
その事実が、高いプライドを持つ彼らの不満を煽るには十分すぎた。
特に、雪村真の敵愾心は群を抜いている。
彼は転入直後から気安く玲奈に声をかける翔太郎に対し、クラスの空気を読むよう圧をかけてきた。
今思えば、それは玲奈への淡い恋心ゆえの行動だったのかもしれない。
──だが、玲奈本人には相手にされていない。
むしろ彼女は、雪村の知らぬところで翔太郎と親しくなっており、明らかに他の生徒に対する態度と違うのが見て取れた。
その事実を認めたくなかったのかもしれない。
「そうか」
翔太郎は軽く首を回しながら、呆れたように言う。
「玲奈が学園を休んでるのは、俺のせいだって決めつけてるみたいだけどさ……その話の出どころ、ちゃんと考えたことあるのか?」
翔太郎の問いに、雪村は鼻を鳴らした。
「俺たちは先週の金曜に、玲奈の兄貴に言われたんだよ! お前が玲奈に言い寄ってるせいで、あいつが迷惑してるってな!」
(……なるほどな)
翔太郎は小さく息を吐くと、今度は雪村ではなく、取り巻きたちに視線を向けた。
「じゃあ、兄の凍也がそう言ったから俺を責めてるってことか?」
「……は?」
「それで、雪村が"玲奈のため"だって言うから、俺を潰そうって話になったんだろ?」
「何が言いてぇんだよ」
淡々とした言葉に、雪村が苛立ったように反論する。
だが、翔太郎は取り合わず、今度は取り巻きたちに視線を向けた。
「それで、お前らも雪村が言うから、俺を潰そうって話になってるんだろ?」
その瞬間、一瞬の沈黙が落ちる。
何かが胸の奥に引っかかるような感覚──だが、それを認めるのはプライドが許さなかった。
「お前らの行動に、自分の意思なんて一つもない。なんでそんな無駄な真似を雪村と一緒になってやってるんだよ。結局、ランキングが自分より上の奴の言いなりになってるだけじゃん?」
その言葉が決定打となった。
「はぁ!? 何言ってんだ、テメェ!」
「俺たちが雪村の腰巾着だって言いてぇのかよ!」
「そんなわけねぇだろ!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴る取り巻きたち。
翔太郎は肩をすくめ、静かに息を吐く。
「そうか。だったら──今から俺に勝てば、雪村の言いなりじゃないって証明できるんじゃないか?」
「クソが……! やっぱりムカつくな、こいつ!」
完全に売り言葉に買い言葉だった。
理屈ではなく、感情で動かされるままに、彼らの怒りは頂点へと達する。
流石にここまで言われて、雪村も黙ってはいられなかった。
翔太郎へ敵意を募らせながら、ゆっくりと前へ進み出る。
「お前がどう言おうと、玲奈がどう思っていようと関係ねぇ。俺たちは最初から、お前をぶっ潰すつもりでいるんだよ」
「これでも最初に忠告してあげたんだけどな」
「……あ?」
翔太郎は短く息を吐き、静かに言った。
「さっき、俺が戦うのを辞めようって言ったのはさ、別に負けるのが怖いからじゃないよ」
「じゃあ、なんだってんだよ?」
「よくよく考えたら、七人まとめて気絶させたら、保健室のベッドが足りなくなるなって思ったんだよな。わざわざ増やす必要のない怪我人を増やしたら、学園側も迷惑だろうし」
『……は?』
一瞬の静寂。
次の瞬間、取り巻きたちが一斉に爆発した。
「テメェええええ!!!」
「どこまでもナメやがって!」
「ぶっ飛ばすぞ、推薦生!!」
「潰せ!!」
怒号と殺気が一斉に翔太郎へと向けられる。
普通に考えれば、これは完全な煽りだった。
だが、翔太郎本人にその自覚はない。
彼はただ、素直に思ったことを口にしただけなのだから。
「もう説得は無理そうだな」
静かに拳を握ると、翔太郎は目の前の七人を見据えた。
──そして、組み手が始まる。
だが、その始まりと同時に、試合はほぼ終わっていた。
「……なっ!?」
その声は誰のものか、すぐには分からなかった。
戦っている当人たちか、観戦していた岩井や他の生徒たちか。
だが、その声が漏れた時にはすでに遅かった。
グラウンドには、雪村以外の全員が倒れ伏せていた。
何が起きたのか理解できない。
その光景を目にした雪村は驚愕の表情を浮かべ、翔太郎を信じられないものを見るかのような目で見つめていた。
「安心しろよ雪村。全員、軽度の電気ショックだ。威力的には通販のスタンガンを当てたのと同じぐらいだよ」
翔太郎の言葉が冷静に響くが、その顔には余裕が漂っている。
まるで、この一瞬の出来事が予測通りだったかのような、淡々とした表情だ。
戦いが始まった瞬間、翔太郎はその場から雷を纏い、ほぼ一瞬で消えた。
取り巻きたちはその反応に追いつけず、まるで地面に引き寄せられるように、勢いよく倒れ込んだ。
「動いたのと同時にアイツらの首元に微弱な電気を当てただけだよ。もちろん、後遺症は絶対残らないように調整してあるから安心しろ」
翔太郎は言いながら、倒れた取り巻きたちを一瞥した。
全く動じることなく、彼の視線には何の焦りもなく、ただ冷徹なまでの余裕が宿っている。
その瞬間、雪村の胸中に、言いようのない焦燥と恐怖感が渦巻く。
「……バカ、な」
全身に冷や汗が流れ、目の前の状況が現実だと認めたくないかのように、雪村は後ずさりながら言葉を詰まらせた。
彼の脳裏に浮かぶのは、翔太郎がその異能力をどれだけ軽々しく使ったか、そしてそれがどれほど恐ろしいものかという事実だった。
自分の存在が、この場で崩れ去った瞬間のように感じた。
「こんなヤツ、どうすればいいんだ……?」
それでも、雪村は何とか踏みとどまる。
まだ戦うしかない。
その一心で、彼は歯を食いしばって拳を握りしめた。
だが、翔太郎の冷静な表情が、心底恐ろしいものに思えてならなかった。
「関係ない奴らには退場してもらった。元々、凍也の差し金はお前だけみたいだしな」
翔太郎は淡々とそう言い、目を細めながら雪村の方を見た。
周りで倒れている取り巻きたちを指し示し、特に動じる様子もなく、むしろ冷静な目で見守る。
「雪村が納得するまで、俺は付き合うよ」
翔太郎の声が、冷徹でありながらもどこか気遣うように響く。
その気遣いが、雪村の焦燥を加速させた。
だが彼の態度が余裕を示していることを、雪村は十分に理解していた。
そしてもう、自分は後戻りできない場所にいる事を自覚してしまった。
雪村はついに決意を固めると、目を見開き、手のひらを天に向けてかざした。
「ホワイトブリザード!」
周囲が凍りつくような気配が漂う。
その空気が急激に冷たくなり、雪村の異能力・ホワイトブリザードが発動した。
白い雪の嵐が一瞬でグラウンドを覆い、まるで世界が凍りついたかのように冷徹な風が吹き荒れる。
強大な吹雪が空を舞い、翔太郎へと迫る。
「死ねぇぇぇぇ!!!」
模擬戦ということを忘れているのか、雪村の口からは決定的な殺意が宿っていた。
彼の目には血が滲むほどの怒りと、絶望的な決意が滲み出ている。
これが自身の最強の技──当たりさえすれば、翔太郎のスピードを殺せる。
作戦会議の際も、これさえ当たれば、簡単に倒せるだろうと信じて疑わなかった。
だが、その刹那──翔太郎は何の前触れもなく動いた。
「紫電」
彼の指先から放たれた紫の閃光が雪の暴風を貫き、無慈悲にそれを粉砕していく。
「────ぁ」
雪村はただ目を見開き、言葉を失った。
あれほど強力だと自信を持っていた技が、あっという間に、完璧に打ち消された。
絶対的な格付けが済んだ瞬間であった。
「な……なんで……」
息が止まりそうになる。その視界がぼやけ、目の前の光景が一瞬現実感を失った。
「もしかして、今のが一番強い技か?」
翔太郎の言葉が耳に刺さる。
冷静で、淡々としていて──それがまた、雪村の胸を締めつけた。
絶望感が雪村を包み込む。
自分の最強技が、あっけなく無に帰される──その事実が、彼の心を根本から揺さぶった。
自分の力が、翔太郎にとってはただの作業のように軽く扱われていることに、雪村は耐えられなくなり、全身が震え始めた。
「そんな……あり得ない……」
翔太郎はしばらく黙って立ち尽くしていた。
雪村の絶望の表情を見ながら、少しだけ心が痛む。
「……えっと、ごめん。そこまでショックだったんだな」
翔太郎は雪村の絶望的な表情を見て、流石に気の毒に思った。
少し反省したように眉をひそめる。
翔太郎は弱者の気持ちを痛いほど理解していた。
かつて訓練中、自分がその時できる最大限の技を放ったにも関わらず、簡単に剣崎に防がれたときの衝撃は今でも鮮明に覚えている。
自信満々に放ったその技があっさりと無力化された瞬間、自分の無力さを痛感し、心に深いダメージを受けたのだ。
だが、翔太郎には剣崎大吾という明確な目標があったからこそ、そのショックを乗り越え、ただの通過点として受け入れることができた。
剣崎はあの時、あくまで自分の成長のために存在していたから、その経験は次への糧になったのだ。
しかし、雪村はどうだろうか。
相手は師匠でもなく、強さを目指しているわけでもない。
彼にとっての相手は推薦生。自分が忌み嫌っている存在そのものである事に加え、少なくない執着心を抱く玲奈に近づいてくる者だ。
そんな翔太郎という存在が、自身の最大の力を簡単に防いだとしたら、雪村にとっては単なるショックどころではない。
絶望に近い感情を抱くのは当然だろう。
自分の存在そのものが否定されたような気持ちになるのも無理はない。
翔太郎は一瞬、彼の立場になって思いを馳せるが、すぐにその考えを振り払う。
自分がどれだけ心を痛めたかを理解したところで、それを雪村にどう伝えるべきかを考えた時、どうしても言葉が出てこなかった。
翔太郎は雪村の姿を見て、思わず深いため息を漏らした。
彼の心情があまりにも痛々しく、さすがに気の毒に思い過ぎたようだ。
「これ、続けますか?」
翔太郎は岩井に向かって軽く声をかけた。
彼の戦い方を見ても、周囲の野次馬たちと違い、岩井は何も反応しなかった。
彼は一貫して冷静で、翔太郎の立ち回りに対しても特に感情を露わにすることなく、淡々と答える。
「気絶か降参が戦闘終了条件だ。他はすでに気絶している。雪村が降参すればそれで終わりだ」
翔太郎はその言葉を聞き、しばらく黙って雪村に目を向けた。
戦いが不必要に続くこと、そして無駄に彼を傷つけることを彼は心配していた。
「雪村、もう辞めよう。これ以上はお互いにとって意味のない争いだ」
だからこそ、優しく降参を促した。
「もう勝負は着いた」
だが、雪村はその言葉を無視し唇を噛み締めた。
顔を歪めながら、血がにじみ出ているのが見える。
それでも、雪村はただ黙って立ち尽くすのみだ。
そして次の瞬間、雪村が声を荒げた。
「……今更引ける訳ねぇだろ!」
その声は怒りと憎しみで震えていた。
雪村は顔を真っ赤にして叫び、肩を震わせながら進み出た。
目は狂気を帯び、翔太郎の存在そのものを否定するかのような凄絶な表情をしていた。
「今さら後には引けねぇんだよ! 俺はぁ!!」
雪村の目には決して引き返さない覚悟と、理性を失った憤怒が宿っていた。
その時、彼の中で何かが完全に切れてしまったようだった。
「全部お前が悪ぃんだよ! お前が余計なことしなきゃ、玲奈は普通に学園に来てたし、俺たちもこんなことする必要はなかった!」
逆恨みの矛先は、ひたすら翔太郎に向かっている。
雪村の心にあった不安、嫉妬、そして自らの存在価値を守るための必死さと醜さがその言葉に込められていた。
「推薦生なんて、本来ならこの学園にいる資格なんてねぇんだよ。努力して入った俺たちの方が上に決まってる。なのに、お前がその枠を壊しやがった……!」
その言葉はどこか自暴自棄に近かった。
雪村は、かつての自分が築いた全てを否定されてしまうかのような恐怖を感じていた。
「お前を認めちまったら、推薦なんて関係なく、強い奴が正義だって認めることになる。それじゃあ、俺たちが積み上げてきたものはどうなる? 玲奈の隣にいるべきなのは、俺じゃなくてお前だってことになるのかよ?」
拳を強く握りしめ、雪村はその瞳に執念を滲ませながら翔太郎を睨みつけた。
その顔は歪み、目には狂気すら感じられる。
「そんなの、認められるわけねぇだろ……! だったら、もう理由なんて関係ねぇ! 俺がお前をぶっ潰す。それ以外はあり得ねぇ!!」
その一言に、雪村は完全に自分を突き動かしていた。
彼にとって、今の翔太郎はその存在自体が許せない。
何が何でも、この瞬間を乗り越えなければ自分が壊れてしまうという思いで、全てをかけた戦いを挑む決意を固めていた。
彼の憎悪を真正面から受けた翔太郎は、少しだけ黙ってから、冷静に口を開いた。
「俺がこの学園に来てからずっと分からなかったのはそれだ。なんでお前がそんなに怒っているのか、全く理解できなかった」
雪村の目が一瞬鋭く光った。
「何を──」
「だって、そうだろ? 推薦だろうが、入学して同じ学園の生徒になったんなら、立場はみんな同じだろ。玲奈だって、普通に話しかければちゃんと返してくれたし、お前が諦めて勝手に距離を取っていただけだ」
翔太郎は言葉を続ける。
「お前は自分から人を拒絶しておいて、そうやって自分の思い通りにならないと駄々を捏ねてるだけだろ。俺が何したって、単純に気に入らないった理由で喧嘩を吹っかけた時点で、お前は自分から人と分かりあう事を拒否したんだ」
その言葉に、雪村の表情がみるみるうちに歪んだ。
目には怒りと憎しみが燃え上がり、今にも爆発しそうだった。
「──黙れぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
その言葉の後、雪村は一瞬で冷静さを失い、感情が爆発したように叫び声を上げた。
彼の周囲にはすでに凄まじいまでの圧力が生まれ、その力が彼を包み込んだ。
雪村は、今まで抑え込んできた感情を一気に爆発させようとする。
「くたばれ、鳴神ぃぃぃぃぃ!!!!」
雪村は無我夢中でその力を解放しようとした。
彼の異能力が極限まで高まり、空気が震え、周囲の温度が急激に下がった。
ホワイトブリザード。
雪村の最大の技が更に威力を増して、再度発動しようとしていた。
だが──。
その時、翔太郎はほんの少しだけ冷静にその動きを見据えていた。
「それは悪手だぞ、雪村」
翔太郎は無表情のまま、雪村の発動した異能力を見つめた。
そして、次の瞬間、雪村が放とうとした吹雪が空中で霧散した。
全身を包み込む冷気が逆流し、雪村は自らの力で体を支えることができずに膝をつく。
「な、なんで……?」
訳が分からないといった表情の雪村は顔を歪ませ、力尽きたように倒れこむ。
その目は、完全に絶望に染まっていた。
翔太郎は冷ややかな目で彼を見下ろした。
「俺も昔、経験がある。実力以上の異能力を瞬間的に発動しようとすると身体が負荷に耐えられなくなる。異能力は余程の才能が無い限り、ゼロの状態から覚醒は出来ない」
彼はその事を誰よりも理解していた。
どれだけ強い力を持っていても、それを使うだけでは決して勝者にはなれない。
自分を制御できる者だけが本当に強くなれる。
才能が無く、無理矢理努力と執念だけで戦える力を得た翔太郎にとって、それが当然の事実だった。
自滅という形で力尽きて地面に伏せながら、雪村はただ悔しさと無力感に沈んで気を失った。
「勝負アリだな」
淡々とした声で岩井が言った。
その目は一切の感情を含まない冷徹なものだった。
雪村が倒れたその瞬間、戦いは終わった。
「鳴神、お前に一つ話がある」
翔太郎は少し驚いた顔をして答える。
「何ですか?」
「先ほど、雪村はお前に対して明らかに殺意のある状態で技を放とうとした。俺もガス欠だと見抜かなければ、あの時点で無理やり勝負を中断させていただろう」
翔太郎は何も言わず、岩井の言葉を静かに聞いた。
「どうする? 模擬戦のルールで、雪村は我を忘れて本気でお前を殺そうとした。鳴神次第で、雪村には然るべき処分を学園側から与えるが」
一瞬の沈黙が漂う。
翔太郎はほんの少し考えた後、穏やかな表情で返答する。
「別に何もしなくても大丈夫ですよ。俺は何とも無いんで」
「いいのか?」
「はい。それに、岩井先生だって、雪村があの技を実力的に打てないって分かってたから、動かなかったんでしょ? 担任教師が介入しなかったんだから、わざわざ学園側を動かす程のことじゃ無いと思います」
翔太郎は少し皮肉を込めて言った。
岩井の態度に対して心の中で疑問が湧いていたからだ。
生徒同士が目の前で命のやり取りをしていたにも関わらず、何も感じていないかのように冷静に振る舞っている彼を見て、翔太郎は教師としての責任感を疑っていた。
岩井は翔太郎の皮肉に気づいたのか、怠そうに頭を掻きながら、周囲の生徒に指示を出す。
「おい、黙って見てる奴らは何人か雪村たちを保健室まで運んでくれ。授業は一時中断だ」
その命令に従い、これまで固唾を呑んでやり取りを見守っていた生徒たちが動き出す。
まるで演技のように無機質な空気が漂う中、岩井はその場にいられないというように振る舞い、足早にその場を離れようとしている。
翔太郎は、その姿を見ながら小さく呟く。
「あれが本当に教師か……?」
あまりに岩井の無関心な態度に、少なからず不信感を抱く。
生徒たちの命や心情にもう少し配慮を持ってもいいはずだという思いが胸を締め付けた。
こうして、波乱の模擬戦は後味の良い結果とは言えず、幕を閉じるのであった。