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雷鳴のラストピース  作者: 雨車狸
第一章 『氷結のマリオネット』
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第一章12 『実戦訓練』

 昼休みが終わり、A組の生徒たちは広いグラウンドに集まり、実戦訓練が始まろうとしていた。

 広々としたグラウンドには、中央に土の塊が盛り上がっている。


「何だアレ」


「アレは岩井先生の使う異能力の準備ですね」


「そうなの?」


「岩井先生は土の異能力を扱います。彼の場合、土から様々な有機物を作り上げて操る事が可能です」


「それは便利だな」


 よく分からなかったので、隣にいる玲奈に話を振ってみたら普通に解説してくれた。何故、これで雪村を含んだクラスメイト達が話しかけ辛そうなのか理解できない。


「A組全員、揃っているな」


 岩井の声に生徒たちが一斉に集まる。

 彼は教師という立場でありながら、いつもは気怠そうに授業を受け持ち、欠伸をしながら出席を取るという教師らしからぬ人物だ。

 だが、その目は朝のホームルームとは別人とも思えるほどに鋭く、誰もが少し緊張してしまうようなオーラを放っている。


「今日はお前たちの異能力をどれくらい使えるか確認するための実戦テストだ。内容はシンプルだ」


 そう言って岩井がグラウンドの中央にある土に手を振ると、地面が盛り上がって塊からゆっくりと巨体が姿を現し、徐々に形を整えていく。


「うわ、すげぇ……」


 孤児院にいた時は剣崎以外の異能力を見た事がなかった翔太郎にとって、岩井の能力は新鮮だった。


 土から創り上げられたのはゴーレムだ。

 人間の三倍ぐらいの大きさを誇り、岩肌のような外見が荒々しい印象を与える。

 その周囲には訓練用のバリケードや、簡易的な障害物が配置されている。


「今日はお前たちの異能力を試すための実戦テストだ。もう分かっているとは思うが、あのゴーレムを壊してもらう」


 マジかよ、と翔太郎は周囲を見渡したが、特にA組生徒たちからの反応はない。

 自分はともかく、ただの高校生にあの巨体を壊す程の力があるのだろうか。


「お前たちのランキングに応じて、ゴーレムの強さや大きさを変える。制限時間は一人一分だ。倒せなくても構わんが、もし怪我をしたら、その生徒はその場で終了する」


 倒せなくても構わないと言ったが、それがランキングの査定に入らないと言われたら嘘になるだろう。

 転入生の翔太郎を含め、この場にいる全員がそれを理解していた。


「ゴーレムの強さは大体DからC級異能力者レベルだ。今回のゴーレムの強さや大きさは、お前たちのランキングに応じて俺がその都度変更する。上位の者は強力なゴーレムと戦い、下位の者は少し弱めのゴーレムだ」


 岩井が指差した先には、自在に形を変えるゴーレムが立っている。恐らく現在進行形で岩井が操っている事で、形を変えているのだろう。


「最大でもB級異能力者レベルの強さとなるが、無理だと判断したらすぐに言え。強さと大きさを1段階落とす。順番は零凰学園のランキング順だ」


 生徒たちは、今日の訓練に臨む心構えを新たにする。それぞれのランキングに応じて試される力をどう発揮するか、全員がその重圧を感じていた。


「まず最初に影山」


 岩井が、第六席である影山龍樹の名前を呼び上げたが、数秒経ってもその姿は現れなかった。


「影山はどうした?」


 岩井が不審そうに周りを見回す。すぐ近くにいた女子生徒が困った様子で答える。


「昼休みまでは教室にいたんですけど……」


「またサボりか、アイツ」


 誰もがその発言を確認し、苦笑いを浮かべた。影山の素行の悪さは学園内でも有名だ。岩井は一度、苛立たしそうに頭を掻きながら名簿を再確認し、ため息をつく。


「なら順番を繰り上げる。氷嶺、お前が一番最初だ」


「はい」


 隣に座っていた玲奈は冷静に立ち上がる。

 普段の黒髪を下ろした姿とは違い、今日は体育のために髪をポニーテールにまとめていた。

 ジャージ姿の彼女がグラウンド中央に歩み寄り、岩井が作り上げたゴーレムの前に立つ。


「氷嶺の順位は10位で、零凰学園十傑の一人だ。当然、ゴーレムの強さも授業内で最大のものとする」


 岩井の言葉が響いた瞬間、彼は土を自在に操り、ゴーレムの体が驚異的に変貌を始める。


「あれ、大丈夫な奴か?」


 思わず翔太郎の口から心配の声が漏れた。

 既に大きな岩の塊だったゴーレムが、さらに巨大化し、強靭な岩肌がさらに固まり、見る者を圧倒する存在感を放ち始めた。


「準備はいいか?」


「いつでも」


 岩井がストップウォッチを手に取り、スタートの合図を待つ。

 その手がカウントダウンを始め、ゴーレムが動き出す瞬間、玲奈の目が鋭く光った。


 ストップウォッチが押された瞬間、玲奈は一歩前に踏み出し素早く手を翳した。


「────ッ!」


 玲奈の素早い動きに思わず誰かが声を漏らした。


 空気が瞬時に凍り付いた。

 巨体を包む氷が広がり、ゴーレムの硬い岩肌が一瞬で白く染まっていく。


 だが、玲奈はそのまま静かに横に手を振った。

 瞬間、凍ったゴーレムが音を立てて爆散する。


 激しい音と共に、ゴーレムの巨大な塊は四散し周囲に冷気が広がる。


 クラスの生徒たちは一瞬、声も出せないほどの驚きの表情を浮かべていた。空気が凍りつくような静寂が広がり、次の瞬間、爆音が響いた。

 目の前のゴーレムが完全に消し飛び、何も残らない。


 クラスの生徒たちは一瞬、何が起きたのか理解できない様子で立ち尽くしていた。

 目の前でゴーレムが爆散し、白く凍った岩の塊が粉々に飛び散ったその瞬間、周囲の空気すら凍りついたかのようだった。

 氷の冷気が一気に広がり、クラスメイトたちはその場で硬直する。

 驚きと恐れ、そして敬意が混ざり合った表情が一斉に浮かんだ。


「前よりずっと化け物じゃねーか……」


「……あんな速さで岩井先生のゴーレム倒した奴、今までいたか?」


「私、今何が起こったのか全然分かんなかった」


 数人が呆然とその場で声を漏らすが、言葉にならない驚きが彼らの表情に刻まれていた。

 玲奈の力の圧倒的な速さと威力に、誰もが心底驚かされていたのだ。


「へぇ」


 翔太郎は、まるで他人事のように軽くそう言った。

 周囲の反応を背に、彼はその凄まじい力に感心しながらも、冷静にその場の光景を観察している。

 自分の中で確信していた通り、玲奈の力は本物だ。


 確かにこの力ならば、フードの不審者に対して自衛できると断言していた彼女の説得力が増す。

 翔太郎はこれを見て、あくまで一つの能力に過ぎないと割り切りながらも、玲奈の持つ実力に対する尊敬の気持ちもどこかで感じていた。


 末席とはいえ、これが十傑。

 周囲の様子から見ても、玲奈がこの学園で頭一つ抜けた存在であることが伝わってきた。

 あれだけの技術を一瞬で見せつけられれば、誰もがその実力に圧倒されるだろう。


 翔太郎は他の生徒たちの反応に気を取られることなく、冷静にその結果を評価していた。


「4.2秒だ、氷嶺。昨年よりもタイムが大幅に上がったな。戻って良いぞ」


「ありがとうございます」


 岩井がストップウォッチを見ながら告げる。

 その言葉に玲奈は一度頷き、素早く元の位置に戻って腰を下ろした。


 玲奈の表情には特に感慨もなく、まるで日常の一環のようにその場を後にする。

 冷静であり、余裕すら感じさせる彼女の態度に、周囲の生徒たちは再び驚きの声を漏らしていた。


 その時、玲奈は翔太郎にちらりと視線を向け、少しだけ目を細めた。

 その表情には、少し悪戯っぽい光が宿っている。


「明日の迎えは必要ありませんよ」


 まるで自分の力を示し終えたことで、翔太郎がこれ以上自分に関わってくることを防ごうとしているかのように、その言葉を口にした。


「確かに凄いな。前にファミレス行った時には聞かされてたけど、本当に氷の異能力者だったのか」


 翔太郎は自然にそう呟くと、玲奈が首を傾げた。


「名字から大体推測できませんか?」


「まあ確かに」


 翔太郎が頷きながら答える。

 その通り、この世界の異能力者の名前にはよく能力に関連するものが多く、名字がそのまま能力の起源として示されることも少なくない。

 例えば「鳴神」なら雷。「氷嶺」なら氷といった具合にだ。

 もちろん、全ての異能力者がそうではないが、歴史の長い名家にはその傾向が強くあることが多い。


「なるほど、氷嶺玲奈か。確かにその名前からして納得だな」


 翔太郎はしばらく彼女を見つめ、再びその力を少しだけ評価しながらも、自分の冷静な視点を崩さなかった。


「続いて、17位の雪村真」


 岩井の声が響くと、次に呼ばれたのは雪村の名前だった。

 翔太郎は一瞬、目を細めてその名を聞いた。

 雪村は、このクラスの中でも影山龍樹や氷嶺玲奈に次ぐ実力者だという話を聞いたことがあった。17位という順位は、十傑の背中が見えるほどの実力を持つことを意味している。


 先程の玲奈のゴーレムよりは若干小さく感じるが微々たる範囲だ。

 相変わらず、巨体であることには変わりはない。


 雪村が少しだけ振り向き、翔太郎と玲奈の方を見た。

 その目は一瞬、冷たい感情を漂わせていたが、すぐにゴーレムへと視線を戻す。

 何を考えているのかは分からないが、すぐに集中を取り戻したようだ。


 岩井がストップウォッチを手に取ると、雪村はその瞬間に異能力を解放した。

 玲奈と同じく、非常に素早い動きでゴーレムに対峙したのだ。


 雪村の手から、小規模ではあるが冷たい吹雪が発生した。

 氷の粒が空を舞い、瞬く間にゴーレムの表面を覆っていく。

 その吹雪は、まるで雪嵐のようにゴーレムの巨体を凍りつかせた。

 ゴーレムの動きが鈍くなり、その硬い岩肌に白い結晶がびっしりと付着していく。


 そのまま、雪村はその氷で固められたゴーレムを吹雪で宙に浮かせると、一気に地面へと叩きつけた。

 衝撃と共にゴーレムが地面に激しく激突し、凍りついた表面が割れ、粉々に砕け散った。


 その力の強さに、周囲の生徒たちは再び驚きの声を漏らしていた。

 先程の玲奈の力と同じく、雪村もその実力を遺憾なく発揮したのだ。


「雪村って、玲奈と同系統の能力者なんだな」


 翔太郎が呟いた言葉に、玲奈は少しだけ眉をひそめてから答えた。


「似たようなものですが少し違います」


 彼女は静かに言葉を続けると、ゴーレムの破片がまだ冷気を漂わせている地面を見下ろしながら、雪村の能力について説明を始めた。


「彼は『雪』や『吹雪』を操る能力者。私が『氷そのもの』を操るのと似ていますが、実際にはかなり違います。氷の方が規模も威力も高く、対象の芯まで凍らせる事を得意としていれば、雪の能力は使い勝手そのものに重点を置いています」


 翔太郎が首を傾げると、玲奈はそれに答えるように手を軽く振ってみせた。


「例えば、私の氷は冷気で対象を一気に凍らせて圧縮する事ができます。威力も高くて、場合によっては一撃で破壊する事も可能です。ですが、彼の吹雪の場合は対象を一人ではなく複数人を相手取る事が可能です」


「なるほど」


 翔太郎は頷いて、玲奈は続ける。


「彼の雪は、細かい粒子状で操作範囲が広いのが特徴です。威力自体は氷に劣りますが、相手を動けなくしたり、戦局をコントロールするのが可能になります。氷はその分威力の加減が難しく、消耗も激しいので」


「だから使い勝手って事か。玲奈の能力って燃費悪いのか?」


「私を普通の氷の能力者と一緒にしないでください。あくまで今のは種類別としての解説で、もちろん使い手によって異能力の効果は大幅に変化します」


「威力・速度・範囲の氷と、微調整可能で燃費の良い雪と言ったところか」


「その通りです」


 玲奈は淡々と答えると、再びゴーレムの破片に目を向けた。


「雪の異能は威力で押すよりも、状況に応じて効果的に操るのが得意です。使い方次第では、氷以上に厄介な能力になります」


 あれだけ教室で大きい態度なのも頷ける。

 やたら玲奈を気にかけるのは、同系統の能力者というのもあるのだろうか。


 雪村は仲間達に囲まれて元の位置に戻る。


 その後、雪村は仲間たちに囲まれ、元の位置に戻っていった。

 彼の後ろ姿には、少し得意げな表情が見て取れ、周囲の生徒たちがその成功に賞賛や拍手を送っている。


 その後、他の生徒たちが順番にゴーレムとの対戦を行っていく。


 最初に試験を受けたのは、17位の雪村と同じように中堅の実力を持つ生徒たち。

 彼らは雪村ほど派手な技を使うわけではないが、順調にゴーレムを倒していく。

 皆それぞれの異能力で個性を見せつけたが、玲奈や雪村と比べるとその実力は圧倒的な物足りなさを感じた。


 数名の生徒が怪我をしてしまう場面もあり、岩井がすぐに試験を中断させて治療を施していた。

 それでも、全体的にはスムーズに進み、残るは翔太郎のみとなった。


「最後はお前だ。1162位、鳴神翔太郎」


 岩井が淡々と告げると、クラスの生徒たちは一様に冷ややかな視線を送った。


 誰もが彼の実力など最初から期待していない。

 むしろ、どんな無様な姿を晒すのか見物だとでも言わんばかりの雰囲気だった。


「やっと終わりか……」


「まあ、どうせすぐ終わるでしょ」


「ちょっとは頑張れよー、推薦生」


 本来なら一番に揶揄いそうな雪村が黙っているのもあって、取り立てて嘲笑する者こそいなかったが、どこか見下したような言葉があちこちから聞こえてくる。


 そもそも翔太郎は推薦生。

 本来なら超難関の編入試験を突破して入学すべきところを、特別枠で招かれた存在だ。

 それだけでも反感を買うには十分だったが、問題は彼の態度だった。


 普通なら少しは肩身の狭い思いをしてもいい筈だが、翔太郎はどこか堂々としている。

 しかも、隣の席というだけで十傑の氷嶺玲奈に妙に絡んでいる。

 学園の空気感や暗黙の了解を理解しているクラスメイトの誰もが、推薦生が転入直後から実力もないのに十傑の女子に取り入ろうとしている、と考えているのも無理はない。


 そんな空気が漂う中、玲奈だけが翔太郎をじっと見つめていた。

 彼女は特に表情を変えず、ただ観察しているだけのようにも見える。


 一方、翔太郎は特に周囲の視線など気にも留めず、ゆっくりと前に進み出た。

 そして目の前に立つゴーレムを見上げる。


 それは今までに比べて、明らかに小さかった。


 先ほどまでの巨大なゴーレムとは違い、翔太郎とほぼ同じくらいの人型サイズ。

 初めて挑戦する者にはこの程度で十分、という岩井の判断なのだろう。


「これ、だいぶ小さくないっすか」


 何気なく呟いた翔太郎の一言に、クラスの空気が一瞬止まる。


「お前のランキングに合わせてあるんだから、丁度いいだろ?」


「むしろそれでも無理なんじゃない?」


 わざとらしく囁く声が聞こえる。

 しかし、翔太郎はそれにも気を留めず、軽く肩を回しながら岩井に向かって言った。


「もう少し大きくても大丈夫ですよ」


 その瞬間、クラスの生徒たちの視線が一気に集中する。


「一応、俺含めて学園側はお前の実力を測り兼ねてる。現状、1162位なら適正レベルのゴーレムではあるが、それでも変更するか?」


「はい。多分、玲奈や雪村ぐらいの大きさでも大丈夫だと思いますけど」


 翔太郎の言葉がグラウンドに響いた瞬間、クラスの反応は大きく分かれた。


「アイツ、マジで言ってんのか?」


「冗談だろ?」


 ある者は驚き、信じられないものを見るような表情を浮かべる。

 思わず笑いをこぼす者もいれば、呆れたようにため息をつく者もいた。


「推薦生のくせに、どこまで見栄を張る気なんだか」


「つーか、氷嶺や雪村と同じサイズとか、自分の実力わかってんのか?」


 明らかに馬鹿にするような声があちこちから聞こえた。

 中には「まあ、どうせすぐ泣きを見るだろ」とニヤニヤしながら腕を組む者もいる。


 しかし、そんなクラスメイトたちとは対照的に、玲奈はただ翔太郎を見つめていた。


(……本気? それともただの虚勢?)


 少しだけ目を細め、彼の表情を観察する。

 だが、そこに焦りも緊張もない。

 ただ自然に、当然のように言っただけのように見える。


 一方、雪村は興味なさげに鼻を鳴らし、肩をすくめた。


「本人が良いって言ってんだから、余計な茶々入れんなよ。どうせ無理なら勝手に潰されるだけだろ」


 軽い口調ながらも、その言葉にはどこか冷ややかな響きがあった。

 彼の言葉に、クラスの何人かがクスクスと笑い、まるで翔太郎の失敗を期待するような雰囲気が広がる。


「ま、それも見物だな」


「派手にやってくれよ、推薦生」


 そんな声が飛び交う中、岩井が腕を組み、少しだけ渋い表情を浮かべた。


「外野の野次はともかく、一応、担任としては推奨しかねるな」


「まあ、怪我しても自己責任ってことで。それに、多分大丈夫ですよ」


 翔太郎が気にした様子もなくそう答えると、岩井は小さく息をついてから手をかざした。


 すると、翔太郎の前のゴーレムがみるみるうちに成長していく。

 その巨体は隆起し、玲奈や雪村が相手をしたものと同じ規模へと膨れ上がった。


 それを見たクラスの生徒たちの間に、再び騒めきが広がる。圧倒的な土の巨体を見た瞬間、誰もが半ば確信したように、翔太郎の敗北を予想していた。


「これでどうだ?」


 岩井の問いに、翔太郎は軽く頷いた。


「うん、まあこれなら」


 その何でもないような態度が、グラウンドの空気を微かに歪ませる。

 一瞬の静寂の後、誰かが小さく笑い、その波が次第に広がっていった。


 まるで、無謀な挑戦に向かう滑稽な道化を眺めるかのような視線。

 この場の誰一人として、翔太郎がまともに渡り合えるとは思っていない。


 それも当然だった。

 推薦生。

 学園の試験すら受けていない部外者。

 氷嶺玲奈に媚びへつらい、立場を守ろうとするだけの存在。


 その評価が覆る未来など、誰も想像すらしなかった。

 ただ一人を除いて。


 少女は知っている。

 少年が戦える力を持っていることを。


 昨夜、あの雷の力を見せ付けられた。

 認めたくはないが、あの時確かに彼に助けられた。

 あの状況では、自分一人では対処しきれなかったかもしれない。

 それを、彼はまるで当然のように覆してみせた。


 その事を思い出すたびに、心の奥が少しだけ騒つく。


 だが、それを表に出すつもりはない。

 仮に彼がどれほどの実力を持っていようと、それとこれは別の話だ。


 周囲のクラスメイトたちは、翔太郎のことを推薦生と見下し、一見すると無謀な挑戦を嘲笑っている。

 それが当然の空気だった。


 もし昨夜の出来事を知らなければ、自分も無謀だと思っていただろう。

 けれど——


「……口だけじゃないって所を見せてください」


 自分の中にある好奇心を誤魔化すことなく、玲奈はただ静かにその光景を見つめる。

 そして、岩井がストップウォッチを構えて合図を出した。


「始め」




 ♢




 合図が鳴った瞬間——翔太郎の姿が、掻き消えた。


 誰かがようやく彼を捉えたときには、すでにゴーレムの背後。

 まるで空間そのものが入れ替わったかのように、唐突に。


 誰もが息を呑む。

 ゴーレムすら、状況を理解できていない。


 だが、その巨体はまだ倒れてはいない。


 翔太郎は迷いなく踏み込み、静かに右足を振り上げた。

 その瞬間、足元から雷光がほとばしる。

 青白い稲妻が空気を裂き、身体を駆け巡る感覚。


 そして——爪先から雷の速度の蹴りが放たれる。


 硬質な岩に触れた刹那、その場にいた誰もが時間の流れが歪んだように感じた。

 亀裂がゆっくりと広がる。

 砕けた破片が宙に舞い、雷の残光がその断面を照らす。


 衝撃が全身へと波及するにつれ、ゴーレムの体は揺らぎ、そして崩壊した。


 あまりにも速く、それでいて滑らかな動作。

 まるでスローモーションの映像を見せられているかのような錯覚。


 クラス中が沈黙する。

 誰もが翔太郎の立つ場所を見つめていた。


 ただ、微かに漂う雷光の残滓だけが、その一撃の余韻を物語っていた。


「タイムはどうですか?」


 翔太郎は周囲の騒然とした空気など気にも留めず、当然のようにタイムの確認を求めた。


 岩井は崩れ落ちたゴーレムを一瞥し、気怠げな仕草でストップウォッチを掲げる。


「2.6秒だ。氷嶺を超える素晴らしい成績だぞ、鳴神」


 その瞬間、教室全体の空気が凍りついた。


「……は?」


 誰かが信じられないといった声を漏らす。


 クラスメイトの視線が一斉に翔太郎へと向けられる。

 推薦生が、1162位が、十傑のタイムを超えた。


 一部の生徒は呆然とし、何が起こったのか理解できずにただ立ち尽くしていた。

 それまで見下していた者たちほど、目を疑い、唇を引き結ぶ。


 玲奈はそんな周囲の動揺をよそに、ただ翔太郎を凝視していた。

 2.6秒。

 自身のタイムより、1秒以上速い。

 それがどういう意味を持つのか、玲奈が一番よく知っている。


「……っ」


 手元が震えていることに気づき、玲奈はそっと拳を握った。

 ──けれど、現実として彼はやってのけた。


 翔太郎はそんな周囲の様子をどこ吹く風といった様子で、ゆっくりとクラスメイトたちの方へと戻っていく。


「ほら、大丈夫だったでしょ? どこも怪我してないし」


 気軽に掛けられた言葉が、場違いなほど軽く響いた。


 誰もすぐに言葉を返せない。

 玲奈をはじめ、クラス全員が沈黙し、ただ翔太郎を見つめていた。

 まるで——何か、とんでもないものを目の当たりにしたかのように。


「今のゴーレム、柔らかかったんじゃね?」


 意地でも認めたくなかったのか、クラスの誰かがそう呟いた瞬間、沈黙に包まれていた教室の空気が揺れた。


「そうだよな、だって2秒だぞ? そんなバカな話──」


「──少し黙れよ、お前ら」


 突然響いた怒声に、クラス全員が驚き、そちらを振り向く。


 雪村真——彼の表情は怒りに歪み、手を握りしめたまま、ゴーレムが崩れた場所を睨みつけていた。


「お前ら馬鹿か? あのゴーレムが柔らかいだぁ? 違う、あれは……俺が挑んだ奴と全く同じだった……っ!」


 彼の怒声が教室に響く。

 言葉を吐き出すたびに、胸の奥が焦燥で焼けるようだった。

 認めたくない。

 推薦生を、自分よりも上だと認めるなんて──


 苛立ちを抑えきれず、舌打ちをする。

 拳を握る両手に、吹雪の力が宿っていた。

 周囲の生徒たちは黙り込んだまま、そんな雪村の様子を見つめる。


 彼の言葉と態度が何よりの証明だった。

 推薦生だからと見下していた相手が、あまりにも圧倒的な実力者だった。


「何だ、まだ納得できないのか?」


 岩井は無表情で、ただ淡々とクラスを見渡した。


「鳴神に対するお前たちの反応は理解できるが、事実として言っておく。あのゴーレムは氷嶺が4秒台で崩したものと全く同じだ。サイズも強度も何も変わらない。それを踏まえた上で言うが、鳴神のタイムはクラスで一番だ」


 誰かが反論しようと口を開きかけたが、岩井の冷静な視線に圧倒されて言葉が出なかった。


「2年生に進級しても、未だにエリート気分が抜けていないお前たちにとって、外部から推薦で来た鳴神はいい薬だっただろう? この学園では結果が全てだ。お前たちがどう思おうと、鳴神はこの試験で最速のタイムを記録した」


 普段は気怠げな岩井だが、あまりに残酷な正論が痛いほどにクラスに響いた。

 特に、自分がその実力を持っていないことを痛感している者たちには、この事実が余計に重くのしかかる。


 玲奈は無意識に唇を噛んだ。

 翔太郎の雷の力。そして圧倒的な速度に圧倒され、彼がこの学園で堂々としている理由をようやく理解した。

 推薦生として蔑まれても気にせず、十傑メンバーにも臆せず接する自信は、まさにその実力に裏打ちされていたのだと。


 一方で、雪村は明らかにその場の空気に不満を抱えていた。

 彼は視線を逸らしながらも、内心では激しく沸き立つ怒りを抑えきれずにいた。


「有り得ねぇ。あんな奴が……!」


 結果は出ている。

 それでも、雪村の胸中には翔太郎に対する軽蔑と、彼の推薦という立場に対する反発が渦巻いていた。

 特に、玲奈が翔太郎をじっと見つめているのが気に食わない。


「……何であんな奴に」


 嫉妬心が雪村の胸を締めつけ、彼の視線は無意識に翔太郎に向けられた。

 だが、その視線にはただの憎しみだけでなく、玲奈の視線が翔太郎に注がれていることへの苛立ちが含まれていた。


 玲奈が翔太郎に向ける関心、それを不安定な感情で見守る雪村の心情は、深いところで交錯していた。


 岩井が、クラスを見渡した後、再びその淡々とした口調で続ける。


「これ以上の問答は無意味だ。タイムがはっきりした以上、文句はないな?」


 その一言で、教室は静まり返った。

 クラスメイトたちはその現実を受け入れざるを得なくなり、言葉を失った。




 ♢




 授業が終わり、放課後の教室内はしばらく静まり返っていた。

 岩井の言葉がクラスの心に重くのしかかり、誰もが自分の立場を改めて感じているようだった。

 生徒たちは、わずかな違和感を抱えつつもそれぞれの席に散らばり、静かな空気が支配していた。


 玲奈は机に肘をつき、窓の外をぼんやりと見つめていた。

 翔太郎の実力はもはや疑いようのない事実となり、彼がただの推薦生ではないと、ようやく心から納得する。


 ちらほらと帰る生徒が増え、教室内の人間も徐々に減っていく。

 そんな中、翔太郎は時計を見ながら玲奈に話しかけていた。


「帰りの車って何時に来るんだ?」


「……」


「玲奈?」


 玲奈はどうやら話の内容に集中できていない様子で、視線をどこか遠くに向けている。

 彼女は自分が感じていることに整理がつかないまま、ふと声を出した。


「あなた、随分と強かったんですね」


 翔太郎は、玲奈の言葉に少しだけ驚いたように反応するがすぐにいつもの軽い調子で答える。


「そうか? まあ、相手は能力者じゃなくてゴーレムだったしな。それに学園に来る前にはたっぷり鍛えられて来たから」


 玲奈は、翔太郎の答えに再び疑問を感じた様子で、無意識に質問を口にしていた。


「鍛えられてた?」


 翔太郎はその質問に、少しだけ思い出しながら答える。


「ああ、異能力を教えてくれた先生がいてさ。その人、かなりスパルタだったんだよ。何度も命の危機を感じたし、大怪我をしたこともあるけど……今では感謝してるんだ。あんな指導を受けたからこそ、今の俺があるって思ってる」


 玲奈は少し驚いた様子でその話を聞きながら、翔太郎に向ける視線を一瞬だけ逸らした。

 彼の過去に何があったのか、そしてそれが今の彼を作り上げたことを、少しだけ理解した気がした。


「あなたがあれほど不審者を捕まえると言った自信がどこから来ていたのか、今なら分かります。そして、十傑である私を本気で護衛しようとしていることも」


「ん? まあ、そうだな。理解してもらえて良かったよ」


 話がよく見えてない翔太郎であったが、玲奈が納得した様子だったのでとりあえず頷いておいた。


「とにかく今日は何時に車が来るんだ?」


「学園島に行くまでの道に事故が発生したらしく、爺やが現在渋滞に巻き込まれているようなので、16時半ぐらいだと思われます」


「分かった。それなら俺も待ってるから」


「朝も言いましたが、必要ありません」


「少なくとも戦力にはなるって分かってもらえたと思うんだけど」


「そういう話じゃありません。単純に煩わしいだけです」


「えぇ……なんか授業終わってから機嫌悪くね?」


 玲奈は一瞬、口を閉ざした。

 翔太郎の言葉に反応はしなかったが、内心では自分の苛立ちを整理しきれていなかった。

 彼女にとって、何もかもが自分の予想を超えていく。

 翔太郎の実力も、彼の不器用な気配りも、すべてが予期せぬ出来事だった。

 それが不安を掻き立て、そしてどこか気恥ずかしい気持ちにさせる。


「……別に機嫌が悪いわけじゃないです」


「本当に?」


「本当です」


 翔太郎はそう言って、玲奈の顔を気にしながら軽く肩をすくめる。

 その様子がちょっとした和やかさを感じさせるが、玲奈は相変わらず彼からの視線を避けた。


 しばらく沈黙が続いたが、ふと翔太郎が話題を切り出した。


「そういえばさ」


「なんですか?」


「玲奈って、普段家で何してんの?」


「家で、ですか?」


 何気ない質問に、玲奈は少し考え込む。

 自宅での生活を思い返してみると、そこには日々の訓練と勉強があるだけで、特に変わったことはなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、ふと彼女は口を開いた。


「異能訓練か勉強ですね」


「やってる事が学園と一緒じゃん」


「それが兄さんの言い付けなので」


 その言葉に、翔太郎は少し言葉を詰まらせた。

 玲奈の家庭環境について深く聞くつもりはなかったが、どうしてもその言葉に違和感を覚える。

 まるで自分の意思で動いているわけではないかのように感じられて、胸の中に微かな不安が広がった。


「テレビとか見たりしないのか?」


「ニュースなら時々見ます」


「ゲームとかは? ほら携帯ゲーム機とか、テレビに繋いでやる奴とか」


「やった事がありません」


「マジかよ」


 翔太郎は少し驚きながらも、思わず笑ってしまった。

 しかし、なぜかその光景が容易に想像できてしまう。

 孤児院にもゲームはあった。

 携帯ゲーム機はいつも取り合いになり、テレビのゲームを長時間やり過ぎて剣崎から怒られたこともあった。

 それに対して、玲奈のように普通の娯楽に触れない生活は、翔太郎には妙に新鮮に感じられた。


「今は15時半か。あと1時間ぐらいあるな」


 時計を見て呟いた翔太郎は、ふと何かを思いついたように両手をパチンと叩いた。


「そうだ。ゲーセンに行こう」


「……ゲーセン、ですか?」


「ゲームセンターの略だよ。まさか知らないのか?」


「もしかして、私今バカにされてますか?」


「いやいや、そんな事ないって。ゲームしたことないんでしょ? 迎えが来るまで時間あるし、昨日行ったセントラルモールにゲームセンターがあったから、ちょっと寄ってこうよ」


 玲奈は少し考え込んだ様子で、興味を示しながらも簡単には乗り気にはならなかった。


「でも……私、ゲームはしたことがありませんし」


「じゃあちょうどいいじゃん。やったことないなら、試しに行ってみるのも面白いと思うけど」


 玲奈はまだ迷っている様子だが、翔太郎はそのまま続ける。


「昨日はファミレス行ったじゃん。ファミレスは良くて、ゲームセンターはダメな理由ってある?」


「それは……」


「何か理由を付けてセントラルモールにずっと入りたかったんだろ? もし兄貴に何か言われたら、迎えが来るまでの時間潰しだって、俺がちゃんと言っておくからさ」


「……」


「な?」


 玲奈はしばらく黙っていたが、迷っている様子が伝わってきた。翔太郎は思わず微笑みながら、その姿をじっと見守る。


 玲奈は案外押しに弱い事に翔太郎は昨日の時点で気付いていた。

 今日を入れてたった三日間の付き合いだが、彼女がどうしても心を開きづらい理由は分かっていた。

 周囲の人々が玲奈に近寄れないのは、彼女の冷徹な態度や、十傑としての立場があるからだ。

 それに、雪村の独占的な行動が、玲奈を孤立させている要因でもあるのだろう。


 話してみれば案外普通の少女だというのに、周囲とそれほど距離があるのが翔太郎にとっては不思議でならなかった。


 玲奈が迷っているのを見て、翔太郎はさらなる一押しを決意した。


「もしかして、俺にゲームに負けるのが怖いのか?」


「はい?」


「だって本当は興味あるくせに、こんなに行くの渋るってことはそういう事じゃないの?」


「勘違いしないでください。私がいつゲームに興味があるって言いましたか?」


「昨日セントラルモールに入った時、まるで初めて来たみたいに周りをウロウロ見てたからな。その時、しっかりゲーセンをじっと見てたのを見落とさなかったぞ」


「……」


 玲奈は言葉を飲み込み、少し黙り込んだ。

 翔太郎の言葉に心の中で反論しようと思っても、実際にゲームセンターを気にしていた自分がいたことを認めざるを得なかった。

 だが、それを認めたくない気持ちが強く、なかなか口に出せない。


「兄さんが──」


「おっと、今は兄貴の話を出すのは無しだ。俺は玲奈が行きたいかどうか聞いてるんだよ」


 翔太郎は真剣な表情で言い、再度玲奈を見つめた。

 彼の目線が少し挑発的だったので、玲奈は軽く眉をひそめたが、心の中で感じていた気持ちを無視できなくなった。


「……行ってみたいです」


 玲奈は少し顔を赤くしながらも、恥ずかしそうにそう言った。

 その言葉が普段から抑圧されているであろう彼女にとっては、かなり勇気のいることだと翔太郎は感じ取った。


 言ってくれたからには応えてやるのが友達だろう。


「よし、じゃあさっさと行こうぜ。時間あるって言っても一時間なんてすぐだしな」


 翔太郎は明るく声を上げ、すぐににっこりと笑顔を浮かべた。


「……やった事が無いので、リアクションにはあまり期待しないでください」


 玲奈は少し顔をそむけたが、どこか嬉しそうに見えたのは気のせいじゃ無いだろう。

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