第一章4 『氷嶺玲奈という少女』
「自己紹介も済んだし、鳴神も着席だ。お前の席は一番奥の席だな。丁度一つ空いてるだろ」
岩井が投げやり気味に指差した先は、クラスの一番窓側の奥。
翔太郎はその席に向かうと、クラスの生徒たちが一斉に視線を向けているのに気づいた。
それもその筈だと、席に着いてから理解した。
翔太郎の席は、零凰学園十傑の第十席・氷嶺玲奈の隣だったからだ。
「鳴神翔太郎です。よろしく」
「……どうも」
二人の会話はそれだけであった。
席に座ると、少しの間沈黙が流れる。
翔太郎は軽く横目で玲奈を見たが、彼女は隣に翔太郎が座った事で視線を窓から教室のホワイトボードに移した。
その無表情で無機質な様子に、翔太郎は少しだけやりにくさを感じた。
玲奈の姿勢は完璧に整っており、まるで無駄なエネルギーを一切使わないかのように静かな存在感を放っている。
しかしその冷徹な雰囲気に、翔太郎は次第に気まずさを感じ、話を続けるのを躊躇った。
横目でちらりと見た彼女の容姿に改めて気気付く。
長く流れるような黒髪、スレンダーで引き締まった体形。
彼女の顔立ちは非常に美しく整っているが、それをあえて飾ることなく、化粧やアクセサリーなどの余計なものを一切つけていない。
目を引くのは、彼女の瞳の色──澄んだ青色がまるで深い海のように広がっており、冷たい雰囲気が更に引き立っていた。
こんなに綺麗なのに、まるで人と接することに興味がないような空気が漂う。翔太郎は、無言の空気に押しつぶされそうになる自分を感じていた。
♢
翔太郎が席に着くと、岩井が再び立ち上がり、教室内を見渡してから声をかけてきた。
「鳴神の紹介も終わったし、始業式終わりで悪いが、5月の異能試験について話すぞ」
岩井が生徒たちの視線を集めると、軽く咳払いして話を続ける。
異能試験という聞き慣れない言葉が翔太郎を困惑させた。恐らく、学園で行われる定期試験のようなものかと噛み砕いたが、他の生徒たちを見ると去年に経験があるのか慣れたように説明を聞く姿勢をとっていた。
「5月に行われる異能試験『パートナー試験』についてだ。まず準備期間として4月30日までに、同じ学年の生徒、別クラスでも構わないからパートナーを一人選んでもらう」
翔太郎は少し考えながら聞いていた。
この異能試験の全体像がイマイチ掴めていないが、どうやらパートナーを決めることが試験の第一歩らしい。
「今回はパートナーと組んで、GW前の二日間、試験に取り組むことになる。その間、試験の内容に沿った課題を二人でこなさなきゃならない。もちろん、ペアとして連携しないと、合格するのは難しい」
岩井が言った後、クラスの生徒たちがざわめき始める。
翔太郎もその試験の内容について少し不安を覚えたが、続けて岩井が話を続けた。
「ただし、零凰学園の十傑は例外だ。この学年で十傑に選ばれたのは五人。五人は試験においてパートナーを組むこともできるが、単独での参加が許されている。このクラスで言えば、影山、氷嶺の二人はパートナーを組むことも一人で参加することも可能ってわけだ」
翔太郎の視線は自然と、隣の玲奈へと向かった。
玲奈は翔太郎の視線に特に反応することなく、岩井からの試験説明を聞き続けている。
「試験内容だが、基本的には高校の学力テストと実戦アスレチックの二つとなる。指定された場所で実際に異能を使い合うから、ただの技術だけじゃなくて、どれだけパートナーと連携して強さを発揮できるかが重要だ。もしお前らがパートナーともうまくやっていければ、試験の成績も上がるだろうな」
「……」
「鳴神。そう言えば、お前はもうこの学園の端末は貰っていたか?」
「端末って電子生徒手帳のことですか?」
「ああ」
零凰学園の電子生徒手帳は引っ越し先のアパートに置いてあったものだ。
予め、剣崎にも絶対に持って行くように念を押されていたので持って来ていた。
「鳴神が既に持っているのなら説明する手間が省ける。他の生徒も知っている通り、この電子生徒手帳には全校生徒の名前と所属クラス、そして今年の一学期のランキングが載ってある。これらの情報を参考に試験のパートナーを決めるのも良いだろう」
引越しの荷物整理に時間がかかって、電子生徒手帳は一度も開いていないことを言うのは辞めておいた。
「というわけで、しっかりと考えてパートナーを選んでおけよ。試験の詳細は電子生徒手帳の方にも記載しておく。必ず全員一読はしておくように。今日のホームルームは以上だ。各自解散してくて構わない」
そう岩井は締めくくり、教卓を降りて行った。
今のが終わりの挨拶なのかと思ったが、アレが岩井大我の平常運転なのか、彼が教室から去った後、様々な方向から談笑する声が上がった。
翔太郎は岩井の言葉を聞き終えると、頭の中がぐるぐると混乱し始めた。
電子生徒手帳をよくチェックしておくべきだった。
そうすれば、今日の始業式前に第一体育館が分からないなんてことは無かっただろうし、学園からの早めに来るように言われていた通達も目を通していただろう。
「異能試験ってこれか?」
電子生徒手帳を開くと「学園情報」「生徒情報」「試験情報」「学園島マップ」「ランキング順位」など数々の項目が出て来る。
その中で試験情報の項目を開くと、詳細が綴られている。
5月異能試験『パートナー試験』
・開催日は5月1日、5月2日の二日間。
・種目は1日目は学力テスト、2日目が実戦形式のアスレチック。
・各生徒は必ず4月30日までにパートナーを探し、お互いの同意を得て、パートナー契約を電子生徒手帳にて行う。このパートナー契約は一学期終了まで続く。
・例外として零凰学園十傑は単独の参加も許可される
・十傑以外の生徒でパートナーを期間内まで見つけられなかった場合は、試験当日にペナルティが課せられる。
・本試験で基準点を満たさなかった場合、退学処分となる。
「……退学処分!?」
小声だったが、思わず声が漏れた。
周囲を見渡すと、試験結果次第で退学処分になる事は全員知っているのか、特に動揺している様子はない。クラス内で仲の良さげな生徒同士は既にパートナー契約を完了している程だ。
異能試験という言葉自体は聞いたことが無いが、まさかこれほどの意味が込められているとは思っていなかった。
「おい先生、マジで何も聞いてないぞ……」
改めて推薦者である剣崎からの説明不足を嘆いた。
せめて、学園に入学させる前にこういう試験があると教えてくれるべきではないのか。
翔太郎の認識では精々普通高校の授業に、そこに異能を用いた訓練があると考えていた程度だ。
試験でミスをすれば退学という重すぎる処罰。
だが裏を返せば、それだけレベルの高い学園だということも理解させられる。
転学前の自分の認識の甘さが招いた失態だった。
とはいえ、圧倒的に人脈が無い翔太郎はそもそも誰と組めば良いのか分からない。
強いて挙げるなら、隣のB組の白椿心音。
心優しい彼女ならば、単独での参加を許されている立場であっても、転校生の自分を気遣ってパートナーを組んでくれるかもしれないと一瞬考えた。
それに高いレベルとなると、必然的にパートナーも優秀な生徒の方が良い。その点で見ても、十傑の面々はそれ以外の生徒にとっても有用な存在であることに間違いなかった。
(十傑の面々……)
隣をチラ見した翔太郎。
氷嶺玲奈はクラスメイトたちと談笑する事なく、翔太郎と同じく電子生徒手帳の試験の説明を読んでいる様子だった。
翔太郎の視線に気付いた彼女と目が合った。
じっと見られていた事に関して不快に感じたのか、すぐに冷たい声で返答してきた。
「……何ですか?」
初対面だというのに、心音と違って棘のある口調だった。翔太郎は少し困惑しながらも、気軽に質問を続ける。
「えっと、確か十傑の人だったよな? 今日の朝、心音の近くに座ってた」
「そうですけど」
その短い返事に、翔太郎は一瞬、言葉を選んだ。玲奈がそのまま無関心そうに手帳の画面を再度見つめるので、話を続けることにした。
「じゃあ、さっき岩井先生が言ってた試験って一人で参加するのか?」
玲奈は少し面倒くさそうに肩をすくめた。
「あ、気に障ったならごめん。いや、なんか全然分からなくてさ、こっちに来たばかりで」
翔太郎は少し苦笑しながら答えるが、その態度に玲奈の無愛想さが変わることはなかった。
玲奈は画面に目を落としたまま、簡単に説明を始める。
「パートナーがいない場合、単独で参加することになります。十傑は例外として、単独でも参加できますが。あなたはパートナーを決めないと、当日にペナルティが課せられますね」
「やっぱりそうなのか……」
翔太郎は少し考え込みながら、頭の中でパートナーを決める必要性を感じ始める。
「パートナー選びの基準ってどうすれば良いか分かったりする?」
玲奈は再び目を逸らし、簡潔に答える。
「あなたの好きに決めればいいんじゃないでしょうか。別に条件はないですが、相手の実力に合わせないと試験に意味がありません」
「実力に合わせるってことは、強い人は強い人同士と組んだ方が良いってことか?」
「一般的にはそうですね」
目は合わせてくれないが質問にはちゃんと答えてくれるんだな、と咄嗟に口から出そうになった。
「あなたが誰と組むのは自由です。転校初日で大変だとは思いますが、頑張ってください」
その一言で会話はほぼ終了となり、玲奈は再び手帳の画面に目を戻した。
翔太郎はあまりの無愛想さに少し戸惑いながらも、もう少しだけ会話を続けたくなる。
「えっと……まあ、色々教えてくれてありがとう。君はもう誰をパートナーにするとか決めたのか?」
「いえ特には」
翔太郎は少しの間黙って考えてから、考えに耽る。あくまでパートナーの第一希望は心音だ。
彼女と組むことが出来れば、これ以上の安心はない。ただし、目の前にいる少女が心音と同じ十傑である以上はパートナー契約において有用な存在であることも理解していた。
まだ誰とも組む気が無いのなら、チャンスだ。
ふと思いついたように玲奈に話しかける。
「じゃあさ、俺とパートナー組んでよ」
翔太郎の言葉が教室に響いた瞬間、周りの生徒たちが一斉に静まり返る。
全員がそのやり取りに注目し、教室が一瞬で静寂に包まれた。
(……あれ?)
玲奈にパートナー契約を申し込んだ瞬間、教室の空気感が変わったのを肌で感じた。
何というか、非常に居心地が悪い。
周囲を見渡すのも億劫になり、もう一度玲奈に視線を向けた。
玲奈はその発言に特に驚くこともなく、まるで冷静に対応するようにすぐに答えた。
「お断りします」
「え」
「パートナーは決めていませんが、それは単独で参加するという意味です。十傑が特例として単独参加を認められている以上、今回の試験ではその特例を使います」
「とはいえ、試験の査定とか考えたら一人で参加するより二人で色々やった方が……」
「私は、あなたと組むメリットがありません」
いや、ごもっともだ。
確かに、いきなり見ず知らずの転校生にパートナーの打診を受けて、ノータイムで首を縦に振るのは度が過ぎたお人好しだけだろう。
「まあ、確かにそうだよな。ごめん」
玲奈は静かにその言葉を受け流し、特に表情を変えることなく、淡々と答える。
「いえ、気にする必要はありません。転校初日で試験が通達されて不安になる気持ちも分からなくはないので」
その言葉は彼女なりの気遣いなのか、優しさなのかは判断が付かないが、翔太郎は少し気が楽になったような気がした。
だが、クラスメイトたちは二人の会話に注目し続けている。
彼らの視線がじわじわと圧力となって感じられる。
どこかで「転校生が第十席に話しかけた」といった話題が立ち上がりそうな気配を感じながら、翔太郎は少し肩を震わせる。
玲奈は引き続き、無表情で自分の生徒手帳を見つめているが、その無関心さが逆に周囲の興味を引いていることには気付いていないようだった。
翔太郎はその気まずさをどうにかしようと軽く息をつき、会話を切り上げる。
「気を遣わせて悪かった」
玲奈は小さく一礼するように頭を下げ、鞄を取って教室から去って行く。周囲の生徒たちの視線も、次第に落ち着きを取り戻し、静かな時間が教室に流れた。