第一章2 『始業式』
2025年4月7日。
今日は零凰学園の始業式の日だ。
幼くして故郷を滅ぼされた少年・鳴神翔太郎は、剣崎大吾という男に拾われ、つい先月までは孤児院に所属していた。
しかし、突如として剣崎の推薦で零凰学園に転校することになり、わざわざ地方から上京して来たのだ。
「ある意味、念願の一人暮らしは叶ったんだんけどな」
もちろん、施設の子供たちは大切だ。
とはいえ、もう思春期もとっくに過ぎている翔太郎は将来について考える様になった。
無論、夜空の革命を倒すことを諦めて一般人に戻るつもりはない。
彼が考えているのは、組織を倒した後の話だった。
復讐で生きている訳ではない翔太郎は、組織を倒した後は独り立ちして当初の夢だった町医者を本格的に考えるようになっていた。
「にしても、俺、手持ちのお金無いし、ちゃんと仕送り送ってくれるんだろうな……?」
あの孤児院は決して裕福な環境ではなかった。
そもそも翔太郎の引越し費用と住居の手配で、そこそこの資金を使っているはずだ。
翔太郎は4月に入った直後に改めて剣崎に問いただしたが、彼の言葉は「まあ、お前なら何とかなるよ」の一点張りだ。
具体的なことは一切何も言わず、昔から適当なことばかりを言っている剣崎を信じて良いのかは微妙だったが、とにかく学園に入学すると決めた以上は何とかするしかないだろう。
聞けば零凰学園はアルバイト禁止との事だ。
自分で稼ぐ手段が無い以上、先が思いやられる。
翔太郎は学校へ向かうバスの中、流れゆく街の景色をぼんやりと眺めていた。
昨日、初めて東京に足を踏み入れたときは、ただただ圧倒された。
見渡す限りの高層ビル、行き交う見たこともない車の数々、そして途切れることのない人の波。
自分がいた世界とはまるで別の場所に来てしまったような気がした。
そんな都会の喧騒を窓越しに見つめながら、翔太郎はこれから始まる新しい生活に思いを巡らせる。
「零凰学園……本当に来たんだな」
バスを降りた翔太郎は、目の前に広がる景色を見上げる。
零凰学園は、東京からバスを乗った先にある海沿いの学園島に位置している。
広大な敷地を誇るその島は、まるで一つの都市のようだ。
学生専用の商業施設が立ち並び、日用品や食料品はもちろん、カフェやレストランまで揃っている。希望制の寮も完備されており、学園での生活に不自由することはないだろう。
だが何より圧巻なのは、学園の中心にそびえる超巨大な本校舎だ。
10階建てのその建物は遠目からでも圧倒的な存在感を放ち、まるで異能の象徴としてそびえ立つかのようだった。
隣には歴史を感じさせる5階建ての旧校舎が佇み、その周囲には体育館が3棟、大規模な運動場、そして異能力の訓練施設まで完備されている。
学園というより、一つの都市のような場所だが、翔太郎の住まいはこの島ではない。
彼が生活するのは、学園島からバスで30分ほどの東京都内にある3階建てのアパートの一室。
学園の寮ではなく、そこから通うことを選んだのは、高額な寮に入れさせるだけのお金が無く、完全に剣崎のお財布事情によるものだ。
初めて目の当たりにする零凰学園の全貌を前に、翔太郎は改めて実感する。
自分は本当にここに来たのだ、と。
♢
完全にしくじったと後悔した。
翔太郎は学園内を歩きながら、まだ時間に余裕があると思っていた。
新しい場所に来た興奮と好奇心に駆られ、自然と足は校内を探検する方向へ向かっていく。
最初に目にしたのは巨大な本校舎。
中に入ると、まるで迷路のように広がる廊下や、豪華なカフェテリアに圧倒されながらも、次第に興奮を抑えきれず歩き回るうちに、他の学生たちが元気な笑顔を見せながら移動しているのを見て心が少し軽くなった。
「そういえば、始業式って8時30分からだったよな」
学園内の構造を把握し、校舎を抜けて裏庭の時計を見上げた時だった。
「えっと……8時24分っと。ん?8時24分?」
翔太郎は突然、時計を見て驚愕した。
集合場所は第一体育館。
確か、30分程前に集合するようにバスのアナウンスに言われていたはずだったが、すっかりその時間を忘れていた。
慌てて自分の携帯を取り出して確認するが、間に合わないことを悟った瞬間、焦燥感が襲ってきた。
「やばい、初日から遅刻だ……!」
慌てて走り出す翔太郎。
すぐ近くに体育館が見えたが、どれだけ急いでもその距離感がますます焦りを倍増させる。
心の中で何度も間に合えと叫びながら、足を速めた。
「てか、広すぎるし……第一体育館ってどこだったか?」
翔太郎は校内を走りながら焦っていた。
広大な学園の中で、第一体育館の場所が全く分からない。
どこをどう進んでいるのかも分からず、ただ目の前の景色を必死に見ながら走っていると──
「うわっ!」
「きゃっ!」
勢いよく走っていた翔太郎が、急に前に現れた女子生徒とぶつかってしまった。
少女はノートと筆記用具を持っていて、翔太郎と軽くぶつかったところで、手に持っていた物を地面に落としてしまった。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
すぐさま女子生徒の持ち物を拾い、翔太郎は慌てて手を差し伸べ、女子生徒を支えようとする。
彼女は一瞬驚いた様子で目を見開いたが、すぐに微笑んで答えた。
「うん、大丈夫だよ。ありがと」
翔太郎の手を取って立ち上がった少女は、制服の埃を払うと翔太郎から持ち物を受け取った。
「君、見ない顔だね。もしかして新入生?」
「まあ……うん、そうなんだ。実は、第一体育館に行かなくちゃいけないんだけど、迷ってて」
女子生徒は少し考えた後、口を開いた。
「新入生の入学式って明日じゃなかったっけ?」
もしかして後輩だと思われてるのか?
翔太郎は頭を抱えるような気持ちになりながらも、正直に答える。
「あーえっと、俺一年生じゃなくて今年から二年生として転校して来たんだ」
女子生徒は一瞬、驚いた様子で翔太郎を見つめた。しばらく黙って彼をじっと見つめた後、思わず声をあげた。
「えっ、二年の転校生? じゃあ私と同級生か。学校側からは何も聞いてないんだけどな……」
彼女の目が大きく見開かれ、驚きと興味が入り混じった表情を浮かべている。翔太郎はその反応に少し戸惑いながらも、うなずいた。
「うん、まぁ決まったの先月だったし、ちょっと事情があって。だから、この島に来るのも初めてなんだ。広過ぎるから、ちょっと迷っちゃってさ」
女子生徒はしばらく彼を見つめていたが、すぐに微笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。
「そっか、転校生かぁ。あまり見かけない顔だから、びっくりしちゃった」
初対面でも親しげな少女の言葉に翔太郎は思わず苦笑し、少し肩の力が抜けた。
エリート校と言っていたから、正直鳴神家の兄弟のような人間たちばかりかと思っていたが、話してみると普通の人だった事に安堵する。
「じゃあ改めて。俺、鳴神翔太郎。今年から二年生として転校して来た。よろしく」
「私は白椿心音。同じく二年生だよ。よろしくね、鳴神くん」
白椿心音と名乗る少女は軽く会釈してきた。
彼女の第一印象は、翔太郎にとって非常に印象深いものだった。
彼女は銀色のボブカットの髪を揺らしながら、軽やかな佇まいがとても優雅で、どこか無邪気な雰囲気を持っていた。
彼女の顔立ちは美しく、翡翠色の瞳は大きくぱっちりとしていて、その視線には落ち着きと温かみが感じられる。端正な顔立ちに、薄く赤みを帯びた唇がほんのり微笑みを浮かべている様子が、どこか親しみやすく、誰とでもすぐに友達になれそうな印象を与えていた。
よく見ると、普通にスタイルも抜群で、特に胸元が目を引くほどに魅力的で、先ほどの初対面の相手にも親しげな様子から、男子からも注目を集めることが多いだろうと翔太郎は感じた。
特別、女子に免疫のなかった彼は邪念を振り払って心音を見る。
次の瞬間、学園内のチャイムが鳴り響いた。
呑気に自己紹介を交わし合っていた二人の顔色が一気に変わった瞬間であった。
「あ、私も遅刻しちゃってるんだよね……。体育館まで案内するから、一緒に行こうか?」
「マジで? ありがとう。凄い助かるよ」
思わぬ救世主が現れた。
ありがたい偶然に感謝して、翔太郎は急ぎ足の心音の後をついて行った。
♢
「やばい……もう始まってるよ」
心音がドアを覗き込んで、焦りながらその言葉を口にした。
翔太郎もその後に続いて、ドアの隙間から会場の様子を見たが、すでにセレモニーが始まっている様子だった。
急いで中に入ると、体育館の端には教職員と数名の生徒がすでに座っており、その席は明らかに普通の生徒たちとは一線を画していた。
どう見ても特別な位置に座っている人々ばかりだ。
心音がそんな列に近付くので思わず面を食らったが、振り返って「こっちこっち」と言うので、何も言わずに着いて行った。
「心音、遅い」
会場内で軽く注意を促す声が響いた。
席に座っていた金髪の外国人が、心音に向かって少し厳しげに言い放った。
「ごめんね、アリシア。ちょっとお母さんの病院から連絡があってさ。長くなって話し込んじゃった」
心音は申し訳なさそうに謝り、理由を説明するが、その言葉を言った後もどこか少し気まずそうにしていた。その口調からは、少し慌てた様子も感じ取れた。
アリシアと呼ばれた金髪の女性が黙って座ったまま、心音の後ろに立ち、隣に座る翔太郎に視線を向けた。
すると、その視線には少しの警戒心が含まれていた。彼女は翔太郎をじっと見つめ、何かが違うと感じたようだ。
「その人、誰?」
アリシアが、少し控えめにだが明らかに疑問を投げかけてきた。
その視線が翔太郎に向けられると、心音は少し困ったような表情を浮かべた。
「ん? ああ、今日から学園に転校して来た鳴神翔太郎くん。転校生だから、一応私たちと同じ席で良いかなって」
心音は相手の疑問を解くために、軽く説明を加えるが、言葉の端々には翔太郎への少しの配慮と、彼が初めて来た学園での立場への気遣いが感じられた。
心音は翔太郎に軽く微笑んだ後、再び小声で話し続ける。
「まあ、今日はもう遅れちゃったし、座ってもらうだけでいいと思うよ。」
それでもアリシアは、翔太郎に対して訝しんだ表情を見せるが、特に何も言わず、しばらく無言で彼を見つめていた。
「おい、良いのか? 俺もこんなところに座って」
「何も説明されてなかったの? 転校生はクラスの配属がまだ決まってないから、教職員側の席に座るのがルールなんだよ」
「何も聞いてない」
いや、本当に何も聞いていない。
早めに来るべきだったともう一度後悔する。
というか、剣崎も学園側も転入手続きを済ませたのなら、そういった通告は予めしておくべきなのではと思い馳せる。
しかし、そんな考えは突然、壇上からの声によって中断された。
「それでは2025年度新学期の零凰十傑にご起立していただきましょう。零凰十傑、起立」
壇上に立つ教師の声が、教室全体に響き渡る。
翔太郎はその言葉に反応して、思わず顔を上げた。
周囲の生徒たちも一斉に反応し、数秒の静寂の後、隣の生徒たちが一気に立ち上がり、堂々と壇上に向かって歩き始めた。
翔太郎は一瞬目を疑った。
「え、零凰十傑って……」
「ごめんね、鳴神くん。詳しいことはまた後で説明するから」
そう言った心音は立ち上がって、隣にいるアリシアと一緒に堂々と壇上に向かっていった。
壇上へと向かう十人の姿が周囲の注目を集める中、教職員以外の人間で列で唯一残された翔太郎はその場にぽかんと座っていた。
心音もアリシアも、まるで自然なことのように振る舞っていたが、翔太郎の心の中では大きな動揺が広がった。
「あの二人が……零凰十傑って?」
頭の中では疑問が渦巻いていたが、その疑問に答える暇もなく、壇上では既に十人の生徒たちが並んでいる。
心音とアリシアも、その中に含まれている。
翔太郎はその光景を見上げながら、ただただ圧倒されるばかりだった。
「どういうシステムなんだろう……」
彼の頭の中で、少しだけ冷静さが戻ってきたものの、どうしても答えが出なかった。
零凰十傑という言葉が指し示す意味、そしてその座にいる生徒たちのレベル。そこから導き出される言葉と言えば────。
──学園内における実力順。
心の中でぼんやりとその答えに思い至ったが、確信は持てなかった。
周りの生徒たちは既に理解しているのか、その姿に釘付けになっており、翔太郎はただ黙ってその光景を見つめるしかなかった。