オルダス・ハクスリーと一秒の長さ。
「一日が25時間になったとして、その違和感に気づくことができるかな?」
「どういうこと?」
「そのままの意味で。毎日一時間伸びてるんだけど、時計とかは少しずつズレてるだけってこと」
「感覚的な問題だね。まあ、一時間くらいなら意外と気付かないかもよ?」
「どうして気づくことがないと思う?」
「まあ人間は一秒を正確に測る力は待っていないからね。」
「でもさ、一秒を正確に図ろうとしたらそれは可能なわけじゃん?」
「SIだったらセシウム原子時計だっけか?」
「それもいいけどさ。振り子を......えー、Let me see。0.99mくらいにしてさ、5度くらいでやれば一秒くらいじゃあない?」
「その程度の実験なら子供にもできるね。そして、だとして何?」
「いやね、今もしも世界中の時計の一秒を狂わせたがっている愉快犯がいたとしたら一般人に気づくことってできないと思わない?また相当に可怪しい科学者ならそうもないだろうけど。」
「なんのためにそんなことがされるわけ?」
「愉快犯だって。」
「なるほど、つまりなに。自らがもらっている情報は果たして正しくないのかもっしれないってこと?」
「っていうよりも気づかなければ、不自然に思わないならそれでもいいよねってこと。一日が長くなったらたくさん遊べるしたくさん寝れる。」
「人はより多く飢えてより多く悩むだろうね。」
「ネガティブだ。もっと楽しく考えよう。」
「それで、あなたはどうすればいいと思ってその話をしてるの?」
「今言ってくれたけど、なにかが変わってることにも気付かなければ意外と良し悪し何方にも働くよね。」
「そういうことになるね」
「だから、意外とそういうものってすでに世の中に溢れているのかもよ?って思ったわけ」
「まあバランスが取れているなら現実のようなものね。創作なら集団催眠とか記憶操作とかの部類に近いのかな」
「結果としてはそうかもね。うん、あり得る。誰にもそれが気づくことができてないなら面白いことこの上ないね。」
「例えば人の指が五本になったときとかね。」
「......本気で言ってる?」
「さあね。でもあなたの好きなオルダス・ハクスリーはそう思ってないんじゃなかった?」
「”人間はものごとを当然のこととして受けとめる才能だけはほとんど無限大だ”。『Ends and Means』四章での言葉だったかしら。まあ皮肉として受け取れば私の考えとは反対だけどさ、才能が無限大であることは事実でしょう?そう思ったからそう残したわけだ。」
「小賢しいね。」
「言葉を自由に解釈するのも人の力であり権利だと思うよ。」