第六話「やるだけやってみるよ」
ヒイロ達青チームは森の中をしばらく進んで、小川のほとりに旗を立てた。
「早速作戦会議をしましょう」
先ほど声を上げてチームを先導した少女が言った。
「進行は隊長のこの私、知恵と軍略の女神アテナの娘、アレティナが行います。異論があれば挙手を」
「特になし、頼むわね、アレティナ」
魔女が被っているようなとんがり帽子の少女が首を横に振る。
「ありがとう、リーナ。とは言ってもルールに制限も多いから、やることは部隊分けくらいね。攻撃部隊の人選だけど──」
「あー、悪い」
カルシノンが手を挙げる。
「俺とノアとヒロは同じグループにしてくれないか?」
「……じゃあ、三人には旗の守りを任せるわね。前衛は──」
カルシノンがヒイロを見て目配せする。いらない気遣いだ。
「じゃ、役割を決めよう」
集団から少し離れて、カルシノンは二人にそう告げる。
「俺が前衛で、索敵しつつ敵を正面から止める。ノアは側面のカバー。ヒロは──」
「囮、とか?」
自虐混じりの冗談のつもりだったが、二人とも首を傾げる。
「いや、普通に戦ってくれていいけど」
「囮なら、私がやりますが」
ノアがさらりと言うものだから、ヒイロは思わず言葉を詰まらせる。
「い、いやいや。ノアが囮って……そっちのほうが不味くないか?」
「私は、頑丈なので」
少しだけ口角を上げて、右の義手から刃を展開するノア。なぜか誇らしげだ。
「とりあえず、ヒロは俺ら二人の援護兼、最終防衛ラインだ。頼むぞ」
「りょ、了解」
その後部隊分けが終わり、リーナと呼ばれた魔女っ娘が杖を振る。
すると、味方の装備の色が青を基調としたものに変わった。
「これで同士討ちせずに済むね」
笑顔でサラリと怖いことを言う。
暫くすると、空気を切り裂いて、夜空色の稲妻が落ちる。合図だ。
英雄候補達が、それぞれ森の奥深くへと消えていく。
ヒイロは振り返り、青い布切れを見上げた。
川のせせらぎと、虫の声だけが聞こえる。風が旗を揺らす度、胸の奥もじわりと揺れる。
ノアが、横合いからそっと口を開く。
「ヒロさんは、あの時、一人でミノタウロスを倒したでしょう?」
「……運が良かっただけ、だよ」
それでも、とノアは続ける。
「もしあのとき、ヒロさんがミノタウロスを倒せなければ、今日こうして一緒に戦うことはできませんでした。だから、とても嬉しく思います」
相変わらず表情は薄いが、言葉だけは痛いくらい真っ直ぐで、嘘偽りないことが伝わってくる。
ノアは、自分のことをちゃんと名前で呼んでくれる。ミノタウロス殺し。英雄気取り。ジーンの情夫。そんなラベル無しに。
ノアの前でだけは、ちゃんと胸を張って立っていたい。ミノタウロスの時みたいに、偶然じゃなくて、自分の意思で剣を振るって、勝利を勝ち取りたい。そう思った。
「まぁ、やるだけやってみるよ」
自分に言い聞かせるように呟くと、カルシノンがにっと笑った。
「いいね、その顔。じゃ、青チーム最後の門番ヒロ、頼りにしてるぜ」
「プレッシャーかけないでくれ」
「期待、しています」
ノアの小さな一言が、何よりも重たく、けれど不思議と心地よい重さで、ヒイロの背中にのしかかる。
やがて、遠くから武器や防具がぶつかる音や、雄叫びが聞こえてくる。
剣を鞘から抜き、構える。いつでも来い、心の中で叫ぶ。
数分後。
「いや、めっちゃ暇じゃん。全然来ないじゃん」
つい口から愚痴がこぼれる。
「まあ、すぐこっちきたらぼろ負けしてるってことだからな。伏兵が抜け出てくるかもだから、警戒は怠るなよ」
カルシノンが言って、肩越しに森の奥をちらりと見やる。
「伏兵、ねぇ……そう都合よく──」
そこまで言いかけた刹那。
空気が変わった。ほんの少しだけ。静電気が起きるみたくピリピリする。
違和感を覚えて口に出す前に、轟音と共に稲妻が走る。上から下にではなく、木陰から、カルシノンへと。
カルシノンは一メートル以上吹き飛び、気絶した。
「カルシノン!!」
名前を叫び、近寄ろうとする。が、しかし。
──死の予感。
ミノタウロスとの戦い以来の、あの直感。しかも、これはかわせないと確信してしまう。
バチバチと音を立てて、先ほどよりも弱い雷撃が飛んできて胸に当たり、ヒイロの体が吹き飛ぶ。激痛が走った。
「ヒロさん!」
ノアがヒイロの元へと駆け寄ろうとするが、そばの茂みから影が飛び出し、ノアへと襲いかかる。
ノアは影の一撃を義手で受け止め、そのまま茂みの向こうへと押し込まれていった。
「楽しい逢引きの最中に失礼するよ」
稲妻が飛んできた木陰から、抜き身の剣を持ったゼウクシアが姿を現す。
川を渡り、ヒイロに突っ込んでくる。
急いで起き上がり、剣を構える。
「旗はあっちだぞ」
「今は後回しだ。生意気な新人クンに躾をしなくちゃね」
剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。
とてつもない重み。見た目に似合わない怪力だ。
腹を蹴られ、吹き飛ばされる。
急いで起き上がり、盾を外して投げつける。
が、あっさりと剣で弾き飛ばされる。
一息で距離を詰められる。
剣を振るって応戦するが、ヒイロは今日剣を持ったばかりの初心者。ゼウクシアの剣筋は、軽やかに、しかし確実にヒイロの身体を傷付けていく。頬や腕、胴を浅く斬られ、出血し痛みが走る。
おかしい。これだけ一方的な斬り合いなのに、致命傷は一つもない。
ゼウクシアも、その瞳には余裕が浮かんでいる。
わざと殺さず、痛めつけているのだ。ヒイロは確信した。
「なんだ、この程度?」
ゼウクシアが攻め手を止め、高らかに叫ぶ。
「せっかくだから、自己紹介でもしようか。僕の名はゼウクシア・イストロス。天を統べし神々の王、雷霆持ちしゼウスと、イストロス家のマルゲタの娘。我が神賦術は雷!」
ヒイロに細い指先を向ける。ほんの少しだけ死の予感がして、小さな稲妻が迸る。
急いで避けようとするが、間に合わない。鋭い痛みが全身を駆け巡る。立っていられず倒れ込んで、叫び声を上げる。
けらけらと笑い声が響く。
「無様だね。さあ、立ちなよ。まずは腕を斬り落とす。お次は足。雷で全身灼いてから、首だ。野蛮人ごときがこれ以上でかい顔できないようにたっぷりと痛めつけてから──殺してやる」
殺してやる。
ころしてやる。
コロシテヤル。
その一言を聞いた瞬間、心臓が強く脈打った。
脳が冴え渡り、視野が広くなり、相手の挙動がよく見えるようになる。
痛みは消え、力が溢れてくる。
全身から、あの黒いモヤが立ち昇る。
ぎゅっと剣を握り直し、素早く立ち上がる。意表を突かれたゼウクシアが、半歩下がった。
(殺してやる、か)
「やってみろよ。お前に俺は、殺せない」
口と体が勝手に動いた。
真っ直ぐ敵に向かって突っ込む。
ゼウクシアは再び指先を向けて、稲妻を放つ。が、虚を衝かれたせいで、ワンテンポ遅れる。更には狙いもずさんだ。
死の予感に従い右に避けると、雷が真横を通過していく。
「なにっ」
驚くゼウクシア。その間も、足を動かすことをやめない。
剣を横薙ぎに一閃するゼウクシア。だが、死の予感によって刃がどこを通るか分かっていたヒイロは、体を屈めて懐に飛び込んだ。
ミノタウロスの時のように、黒いモヤがゼウクシアの体、腰から肩にかけた直線に集まる。
そのまま、モヤを撫でるように一閃。
「カッ──!?」
空気の抜けるような音がゼウクシアの口から漏れ出る。
まだ終わりではない。
斬り上げた剣を翻し、首に叩きつける。
ごとり。音を立てて首が落ち、転がる。斬った箇所からは血が勢いよく噴き出て、ヒイロの体を染めていく。
血と一緒に黒いモヤが噴き出て、ゼウクシアの身体を包み、そして消えた。ゼウクシアの身体が倒れる。
死んだ。殺した。仮の身体とはいえ、人を。
呼吸を忘れていたかのように肺が苦しくなり、何度も激しく息を吸って、吐く。剣を杖代わりに跪き、ゼウクシアの遺体を見る。
首のない身体が、夥しい量の血を撒き散らしながら、ぴくりとも動かない。さっきまで耳障りなほどよく通っていた声も、もう戻ってこない。血の匂いが、鼻につく。
「そうだ、ノア!」
ノアのことを思い出し、消えていった方向へ走る。今は別のことで頭をいっぱいにすべきだとヒイロは思った。
ノアはすぐ近くで、槍を持った男と戦っていた。
男は長身で、筋肉が盛り上がった腕から、容赦なく槍を繰り出している。鋭い突きが、次々とノアの体を貫かんとばかりに迫る。
だが、ノアは一歩も引いていなかった。
右の義手から伸びた刃と、左手の短剣。二本の刃が、舞うような軌跡で穂先を弾き、受け流していく。
大振りは一切ない。必要ない。ほんの数センチだけ動いて、槍の線をずらし、自分の体からそらす。
放たれた横薙ぎの槍を、ノアは上体を僅かに傾けてかわした。紙一重の回避。すり抜けながら、懐へと飛び込む。義手の刃がしゃらりと鳴り、男の喉元を捉えた。
男が膝から崩れ落ちると、彼の手から力なく槍が滑り落ちた。
ヒイロは、ただ立ち尽くしていた。
助太刀するつもりで走ってきたのに、足が地面に貼り付いたみたいに動かない。
(なんだ……あの動き)
先ほどの命懸けの戦いが、茶番に思えるほど、目の前の少女の戦いは整っていて、綺麗だった。
(……すげぇ)
喉の奥からこぼれた感想は、それだけだった。
ノアが、こちらに気付く。
「ヒロさん。ご無事で、良かったです」
息一つ乱れていない。戦闘の直後とは思えない、いつも通りの淡々とした声音。
見惚れてた、なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
ヒイロは剣を握り直し、ようやく一歩だけ、遅れて前に出た。
「ノアも、すごい戦いだった」
それしか言えなかった。さっき自分がしたことも、目の前でノアが見せた戦いも、頭の中でうまく言葉にならない。
「ゼウクシアさん、倒せたんですね。すごいです」
「ああ、うん。なんか必死にやってたら運良く勝てた」
「運なんかじゃ、ありませんよ」
抑揚のない声だが、その一言がじわりと胸に染み込む。
ゼウクシアを斬った手に、まだ重みが残っている気がするのに、その重さが少しだけ変わる。気持ち悪さだけではない、別の何かに塗り替えられていく感覚。
「そっか……ありがと」
短く返して、剣を鞘に収める。柄を握る手が、さっきよりも少しだけ落ち着いていた。
「とりあえず、旗のところに戻ろうか。カルシノンも心配だし」
二人で来た道を引き返す。戦いの余韻に包まれた森の空気は、さっきよりも静かだった。遠くから聞こえていた怒号も、金属のぶつかり合う音も、いつの間にか減っている。
旗が見える場所まで戻ってきたところで、空が瞬いた。
宵闇色の稲妻が、森の上空で弾ける。胃の底に響くような低い雷鳴が、遅れて木々の間を駆け抜けた。
「終了の合図です。勝ちましたね」
ノアが空を見上げて呟くと同時に、足元からふっと力が抜けるような感覚が走る。仮想の肉体が解け、本来の身体へと繋ぎ直される、ぞわりとした感触だ。
闘技場の森が、薄くかすみ始める。
次の瞬間、ヒイロの視界は白く弾けた。
さっきまでの森は跡形もなく、代わりに円形の観客席と、広い青空が目に入る。白い砂地の上には、両チームの訓練生がそれぞれ固まっていた。
ジーンが観客席から立ち上がり、ヒイロ達の前まで跳ぶ。
「双方、よく戦った!今回の勝者は青チームだ」
青チームから歓声が上がる。肩を叩き合う音と、安堵の笑い声が砂地に弾けた。
その輪には入らず、ヒイロは自分の手のひらを見下ろしていた。
「静かに」
ジーンの声に、はっとして顔を上げる。
「勝った負けたで浮かれるのもいいが、講評の時間だ」
訓練生、全員が姿勢を正す。
「赤チーム。全体的に攻撃に意識を割きすぎだな。守り役が上手く連携できていなかった」
赤チームから小さなどよめきが起き、数人が気まずそうに目を伏せる。
「あと、ゼウクシア。伏兵として敵陣地を奇襲するのは悪くない作戦だが、そこで勝てなきゃ意味がない。結果として守りが薄くなって旗が取られてる。もっと全体を見て行動しろ。個人的な感情を優先させるな」
名指しされて、ゼウクシアは唇を噛み、悔しそうに俯いた。反論はしない。ただ拳だけが、強く握り締められている。
「青チーム。アレティナの指揮は上出来。全体的にバランスも良かった。あと──ヒロ」
「……は、はい」
名前を呼ばれるとは思わず、少し返事が遅れる。みんなの視線が一斉に刺さるのを、肌で感じた。
「よく勝った。あの局面、お前が負けていたら勝者は違った。正直、負けると思ったよ。それくらい実力差のある戦いだった。ゼウクシアと真正面からやり合って勝てるやつなんて、中級どころか上級クラスにもそうはいない。本当によくやった。これでお前も英雄候補だ」
「……ありがとうございます」
出てきた言葉は、自分でも驚くほど小さかった。
それ以上何か言ったら、変に浮かれていると思われそうで、口を閉じる。
表情も極力いつも通りを装う。だが頬のあたりがじんわり熱くて、ちゃんと隠せている自信はない。
(英雄候補……か)
心の中で、そっとその言葉を反芻する。
剣の血も、体につけられた傷も、綺麗さっぱり消えている。
ただ一つ、胸の奥にだけ、今日の戦いの重みが残っていた。




