第三話「断ってもいいけど」
翌日。朝からヒイロは質問攻めにあった。
暦はいつだの、国の一番偉い人は誰だの、戦争やら大きな災害がいつあっただの。
小一時間ほど答えたのち、粘土板に指を這わせるクラウに告げられた。
「君の出身世界はガイア1だな!」
「ガイア…1?」
クラウの説明によると。
ヒイロのいた世界、そして今いる世界以外にも、無数の世界があるらしい。世界はそれぞれナンバリングされていて、その中でも一番最初に発見された世界が、ガイア1と呼ばれている。
「歴史とか地理とか、基本は違うものなんだけど、たまによく似通っている世界があるんだ。さっき質問したのは、君がどの世界の人間なのか、特定するため」
クラウは粘土板を持ち上げ、指先でとん、と叩いた。
「君の出身世界も分かったし、次の説明に移るね。
昨日もちらっと言ったけど、俺たちはコスモス。半神と転移者で構成された英雄の集まりだ。ヘラス全体の秩序を守ってる」
そう言うと、クラウは椅子を引き寄せて座った。
「ヘラスにはたくさんのポリス──国がある。基本的にはみんな自分のところのことしか考えてないし、狂暴な怪物も出る。そこで、ポリスとポリスの間に立って仲裁したり、怪物を退治したりするのがコスモス」
「国連みたいなもの……ですかね」
「まあ、イメージは近いかな」
軽く笑うクラウの横顔を、ヒイロはぼんやりと眺める。
ミノタウロスとの死闘が、頭をよぎる。
あんな凶暴な怪物を、退治するのが仕事?すでに一度やって大怪我してるのに?
「その、英雄に、なれるんでしょうか。俺が……俺なんて、ただの──」
「それは、これから分かることだ」
躊躇いがちなヒイロの言葉に、クラウがキッパリと答えを被せる。
「転移して間もない転移者と、子どもの半神は、英雄になるための訓練所に通う。君も退院したらそこに通うことになる。強制的に」
「強制的に?断れないってことですか?」
「断ってもいいけど、即刻奴隷になるよ」
ははは、とクラウは笑うが、目が笑っていない。冗談ではなさそうだ。
「訓練所は三つのクラスに分かれる。下級、中級、上級だね。まずは下級クラスで訓練を積んで、昇級試験を受けて、最終的に卒業試験に受かったら、晴れて英雄の仲間入り。けど、定期試験に落ち続けたり、素行が問題視されると──」
「されると?」
「転移者の場合は奴隷落ち。ははは」
目が笑っていない。
「英雄は、半神と転移者のどっちか、なんですよね?クラウ先生はどっちなんですか?」
これ以上この話をするのは気が滅入りそうだったので、話題を変えようと、クラウに尋ねる。
「半神だよ、父の名はアポロン。アポロンは光明、医療、弓矢、予言、音楽、詩なんかを司る神だ。」
クラウは、右手を伸ばすと、何もない虚空から銀に光る弓を出現させた。
その光景に、息を呑む。
「半神は、親の権能を一部受け継いでいる。神賦術と呼ばれる、特別な力だ。俺たちアポロンの血族は、弓が上手かったり、怪我や病を癒すことができたりする」
「すげぇ、異世界っぽい」
きらきらと輝く弓を前に、出てきたのは安直な感想だった。
「お、いい反応。やっぱ魔法とかない世界からの転移者はこういうの珍しいんだね」
そう言うと、クラウの手から弓がふっと消える。
「他にもなんか、そういう、魔法みたいなのできるんですか!?」
「え、まあ、うん。それなりには」
前のめりになり、他にも見せてくれと目で訴えかけるヒイロ。
ヒイロの姿勢に、クラウが少し引き気味になっていると────
コン、コン、と扉が叩かれる。
「ちょうど来たな、入って」
クラウの言葉に従い入ってきたのは、ヒイロより少し年上に見える青年だった。中肉中背。黒髪が少し伸びている。くたびれた印象の顔つきだが、その奥の目は人懐っこい雰囲気だ。荒い織りの麻布のような服に、焦げ茶のズボン。簡素な腰紐。足元はサンダル。クラウと比べると、どこか庶民的というか、言葉を選ばずに言えば下の立場の人間に見えた。
しかし、それよりもヒイロにとって重要で、目を奪う要素があった。
「日本人……!?」
クラウもノアも、日本人離れしていて、端正な顔立ちだ。一言で言うと顔が良い。
だが、目の前にいる青年の顔は、ヒイロの見慣れた日本人顔をしていた。
「ガク。来てくれてありがとう。彼がヒイロだ」
青年の顔がこちらに向いて、パッと輝く。
「うおー!ホントに日本人だ!初めまして、俺は古村楽。ガイア3出身です、よろしく!」
差し伸べられた手を握り返す。
「よ、よろしく……ガイア、3?」
「うん、地球。日本。東京。ガイア3はガイア1とほぼ一緒の世界なんだよ。知ってるでしょ?富士山とか、寿司とか、TDLとか」
軽い口調で言いながら、楽はベッドに歩み寄る。どこか、距離の詰め方に慣れている。
「ガクはジーン──君をここに連れてきた男の奴隷でね」クラウがさらりと言う。「そいつの勧めもあって、今日からしばらく、君の身の回りの世話を頼むことにした」
「ど、奴隷?」
聞き慣れない言葉が、やけに生々しく響いた。
「まあ、その辺の話はまた後で。とりあえず、よろしくな。ヒイロ──いや、ヒロ!ヒロって呼ぶわ。なんかあったらいつでも頼ってくれよな」
親指で自身をビシッと指しながら、楽が言う。何故かニックネームも命名される。
「じゃ、俺は他の仕事があるから、この辺で失礼するよ」
クラウが椅子から立ち上がる。
「昼過ぎにもう一度様子を見にくるけど、それまでに体調の変化があったら、遠慮せずに呼んでね。あと、病室の外にも出ていいけど、必ず二人以上で。出歩いていいのは医療棟の敷地内までだ。いいね?」
「はい」「了解でーす」
クラウが出て行き、扉が閉まる。部屋に残るのは、ヒイロと楽だけになった。
「せっかくだし、少し外の空気でも吸いに行かね?」
暫しの沈黙を破ったのは、楽だった。
「いいね、行こう」
せっかく異世界に来たのだから、外を見てみたいという欲求が湧いた。それに、ずっと同じ部屋にいるのも、気が滅入る。
楽に手を貸してもらいつつ、ベッドから立ち上がった。
◆◇◆
病室の外は、長い廊下だった。半分外というべきか、病室の反対側は、壁が無く、一定間隔を空けて一列に並べられた柱の間に、ヒイロより頭一個分上くらいまでの高さ、格子状の木の窓が置かれている。眩しい陽光と、涼しい風が流れ込んでくる。
二人で廊下をゆっくりと歩く。きょろきょろ周りを眺めながら歩くヒイロに、楽は歩調を合わせてくれる。そのまま階段を降りて、扉を押し開けた。
外に出ると、庭園のような広場が広がっていた。
木の柵で覆われており、背の低い木や、見慣れない花が咲き、噴水や観葉植物や遊具が置かれている。遠くに、高い柱が一本。さらに石壁が見え、その向こうには、青い空が広がっている。人はまばらだ。
その辺のベンチに腰掛ける。
空を見上げると、一定の速度で移動する物体が見えた。
「あれは……」
「飛行機だよ。異世界から乗り物ごと転移してくる場合もあってさ。飛行場が南東の方にあって、よく飛んでる」
「へ、へえ」
若干の沈黙。
「その、奴隷だって言ってたけど」
噴水の水音を聞きながら、ヒイロから切り出す。
「えっと、大丈夫?酷いこととか……されてたり?」
「あっはは!全然ないよ、そんなの。
俺、三年くらい前にこっち来て、訓練生だったんだけど、訓練についてけなくて奴隷落ちしちゃったんだ。でも、奴隷っていっても体罰とかは一切なくてさ、まあ仕事できないと叱られたりはするけど。で、しばらくはコスモスの奴隷として働いてたんだけど、一年前にジーン──今の主人に拾われてさ。雇用形態は断然今の方が良いな。給料もいっぱいもらえるし、休日も増えたし」
「ホントに……異世界なんだ、ここ」
「そうだぜ。しかも中世ヨーロッパ風異世界じゃなくて、古代ギリシャ風異世界」
古代ギリシャ風異世界。
楽の言葉で、先ほどの会話を思い出す。クラウは自分の父がアポロンだと言っていた。詳しくはないが、確かアポロンはギリシャ神話の神様だったはずだ。
「そうなの?ここ」
「ああ。俺もあんまし前の世界の古代ギリシャには詳しくないけど、地理とか文化とか風習とか、そっくりらしい。神様もな」
「じゃあ、ゼウスとか、ポセイドンとか、いるってこと?」
「おーいるいる、まあ会ったことはないけどな」
「すげー。やっぱ魔法とかもあんの?」
楽と雑談を交わす中で、ふと、疑問に思ったことを口にしてみる。
「おーあるよ、あるある。あれ、ていうかヒロはまだ分かってないんだな。自分の祝福」
「祝福?」
「そう、俺らみたいな転移者に、神々から与えられる力のことだよ。普通、こっちに来た時に使い方も頭にインストールされてるんだけど、ヒロはそうじゃないみたいだな」
「へー、そんなのあるんだ。楽はどんな力なんだ?」
「俺?いやいや、ダメダメ。奴隷は基本祝福使っちゃダメだから。まあどうしてもっていうなら見せてあげなくも───」
突如として、甲高い、サイレンのような音が響き渡る。
「え、なにこれ」
「緊急時の警報だ。なにがあった?」
楽が怪訝な顔をする。
『こちら本部。研究棟から実験動物が逃走!!医療棟方面に向かっている!!付近の非戦闘員はすぐに避難せよ!!繰り返す、研究棟から実験動物が──』
聞こえてきた放送の内容に、二人で目を合わせる。
「なんか、避難しろとか言ってるけど」
「だな」
周囲を見回すと、まばらにいた他の患者が逃げていく。
重い羽ばたき音が聞こえてくる。
「なんか聞こえてね?」
「聞こえてるな」
音の発生している場所へ恐る恐る目を向けると、翼の生えた、巨大な獅子が宙を舞っていた。
声を上げようとして、身体に衝撃が走る。楽に突き飛ばされたのだ。
次の瞬間、ヒイロの鼻先を獅子の爪が掠める。猛烈な勢いで突っ込んできた獅子は、手応えが一切ないと気づくと、首を左右に振る。
一瞬の逡巡。
獅子がこちらを向く。どうやら仕留めやすい方を選んだらしい。
咆哮と共に飛びかかってくる。
時間がゆっくり過ぎていく。
ミノタウロスの時と同じ、死の予感。あと数秒もせず、自分は牙を突き立てられる。噛まれた箇所から、鮮血が勢いよく迸り、強靭な前脚で首をへし折られ、絶命する。そうなるのはごめんだ。
思い切り後ろへ跳んだ。身体の痛みを無視して、着地のことなど一切考えずに。
夜空が、獅子に降り注いだ。
眩い光を放つ宵闇色のそれから、瞼を閉じて目を守る。次いで、爆音が耳朶を打つ。肌が、静電気が起きているみたくピリピリする。
耳鳴りが収まって、急いで起き上がり、目を開ける。何が起きたんだ?
ヒイロの眼に、頭部を失い倒れ伏した獅子と、一人の男が映る。
白い髪に、浅い褐色の肌。膝まで届く外套の裾が、まだ残る風に揺れている。背は高く、鍛え抜かれた体付きは服の上からでも一目で分かる。
「よう、新入り。賑やかな朝だな」
低くよく通る声が、庭園に落ちる。
ヒイロは、声を失ったまま、その男を見上げていた。
助かった、という安堵よりも先に、得体の知れないものが、胸の奥に膨れ上がる。
さっきまでそこにあった「死」が、形を変えて立っている。
そんなおかしな連想をしてしまうほど、その男は危険で、自分とは“格の違う存在”に見えた。




