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第二話「マーチングバンドってなに?」

 淡い光で満ちた世界の中に、ヒイロは黒いコートを纏った長身の男と並んで立っている。

 これは夢だとすぐにわかった。

 今のヒイロの視線が低く、隣の大人の腰より下にあるからだ。

 

「ねえ」


 口が勝手に動いて隣の男に声をかけた。


「なんでここにきたの?」


 これは、もしかして昔の記憶を夢に見ているのだろうか。なんだか懐かしい感じがした。


「マーチングバンドが来るんだ。私の1番好きなものだ」


 隣の男はそう言った。


「マーチングバンドってなに?」


 もう一度口が勝手に動いて尋ねた。


「複数の奏者が行進をしながら演奏するんだ。ほら、聞こえてきたぞ」


 遠くの方から、パァーッと金管楽器の音が響いてきた。

 夢だからか、一度瞬きをしたら、もう目の前に楽器隊が現れた。彼らの姿はぼやけていて、よく見えなかった。


「マーチングバンドは一人二人ではできない。たくさんの仲間がいて初めて形になる。そういうところが好きなんだ」


 隣の男が言う。


「お前も、マーチングバンドができるくらい、友や仲間を作りなさい。常に周りがお前の信頼できる者たちで、お前を信頼できる者たちで溢れるように」


「?うん」


 幼いヒイロは、男の言っていることがよく分からなかったが、とりあえず首肯した。


 男が言葉を続ける。


「多くの者たちを味方にするには、自分にとって都合の良い者だけに親しくしてもダメだ。世界には自分にとって都合の悪い者の方が多いのだから」


 男がこちらを向く。


「私と約束してほしい。弱き者や、堕ちてしまった者、折れて挫けてしまった者たちに手を差し伸べて、公正に接すると。そして、お前自身の、あるいはお前以外の悪に、何度打ち負かされようと、立ち上がり、立ち向かい続けると」


 見ていると吸い込まれそうな、深みのある漆黒の瞳が、じっとこちらを見据える。


「えー、どうしよ」


 そんな小生意気なことを言うヒイロ。


「私は平等であっても公正ではない。お前にはそうなってほしくないんだ。善き人になれと言っているわけじゃない。いざという時に、善き決断ができるようになってほしい。それが、彼女と私の願いだ。約束できるか?」


「う、うん」


 男の真剣な眼差し若干気圧されながら、ヒイロは頷く。

 男は小さく、満足そうに微笑むと、小さな頭に手を伸ばした。

 ぎこちない手つきで、すぐ壊れてしまう物でも扱うかのように、ほんのわずかな力で頭を撫でられる。


「さて」


 と、ひとしきり撫で終わった男が、楽器隊の方へ歩き出した。


「あ、ま、まって!」


 男を追いかけようとするが、足が動かない。


「私は、もう行かなければならない。彼らを連れて」


 男は申し訳なさそうに言った。

 

 男が、楽器隊の隊列に入っていくと、ぼやけていた彼らの姿がよく見えた。

 彼らは骸骨だった。真っ黒い服を身に付け、足を揃えて行進して、楽器を演奏していた。


「約束、忘れないでくれ」

「まって、まって!いかないで!」


 どうしても男に行ってほしくなくて、その後ろ姿に向かって必死に叫んだ。


「いかないでよ、×××××!!」


 ────目を、開ける。


 ……嫌な夢、見ちまったな。


 真っ白い、見覚えのない天井を見つめながら、内心呟く。

 ここはどこだろう、誰かの家なのだろうか。

 体を起こそうとした瞬間、激痛が走った。


「いてっ……!?」


 自分の声に驚く。ガラガラ声で、口の中もひどく乾いている。

 右腕が特に強く痛みが走った。左手は身体の横に置かれているが右腕は胸の上で固定されている。

 しばらく痛みに呻いていると、足音と話し声が聞こえてきた。

 扉の開く音。複数人、近づいてくる。


 ヒイロの視界に、優しそうな顔の、白髪だが若い男が映る。


 脳裏に、同じ白髪の、あの少女の姿がよぎった。


「おはよう。俺の声、ちゃんと聞こえてるかな?話せる?」


 聞こえてきた言葉が日本語で驚いた。どうみても日本人顔ではない。


「お、はようございます」

「うわ、すごい声。お水飲む?」


 頷くと、男は傍らにいた女にお水お願い、と頼み、ヒイロの頭上に手を伸ばす。何をされるのかと一瞬警戒したが、スイッチでも押したらしい。ベッドが動いて上体を起こされる。ここは病院なのだろうか。


 しかし、室内を見回して、ヒイロは現在地の認識を改める。

 右を向けばすぐ壁で、大きな両開きの窓がある。窓は縦長で、木の格子にガラスがはめ込まれている。壁は二層に分かれていて、下の層は橙一色。上の層は白とクリーム色の中間のような色あいの石煉瓦が交互に積まれており、継ぎ目からは灰色のモルタルが少しはみ出ている。さらに、二つの層の中間寄りにある石煉瓦の上には、橙色の帯の上を二匹の蛇がうねうねと絡まっているような紋様が描かれている。

 左を見れば、病院でよく見る仕切りのカーテンは無く、代わりに木製の衝立が置かれている。向こう側からは人の気配がしない。どうやら他に患者はいないらしい。

 中央では、先ほどの男ともう一人、別の男が会話している。二人の服装は、昔見た外国のファンタジー映画に出てきそうな格好だ。二人ともワンピースっぽい上下一体型の白い服を着ているのは共通していて、白髪の男はその上から、長くて大きな薄緑色の布に頭を通して、腰の辺りでベルトで固定している。肩には聴診器が掛けられている。

 天井を見上げれば、蛍光灯などの電気の照明ではなく、シャンデリアと形容すべきなのか、陶製の鉢状の物が鎖で吊るされており、煌々と火が揺らめいているのが見えた。


 ここは日本ではない。少なくとも。

 気絶する前の記憶と合わせて、ヒイロは確信した。

 女が戻ってきて博物館に置いてありそうな、茶色い陶器のカップを持ってきた。

 右手は胸元で固定されているため、仕方なく左手で受け取る。手渡されたそれをゆっくりと口に運んだ。

 人生で一番美味い水だと思った。


「起きたばっかりで悪いんだけど、色々説明したいんだ。いいかな?」

 

 白髪の男の声に頷く。


「よし、じゃあまずは自己紹介しよう。俺の名前はクラウ。君は?」

「ヒイロです」

「ヒイロね。ヒイロは、『異世界』って言葉、分かるかな」

「……分かります」

「うん、いいね。実を言うと今君がいるここは──」

「異世界、なんですよね?日本じゃなくて」

「そう。残念ながら、帰る手段はない」


 帰る手段が、ない。

 ヒイロは現代日本で生きる、一般的な──少なくとも、彼自身の認識では──男子高校生である。巷で流行りのアニメや漫画は一通り知っているし、その中に所謂「異世界モノ」もある。だが、自分が異世界転移してもう2度と帰れないことになるとは夢にも思っていなかった。

 ヒイロの頭の中に、親しかった友達や、彼の家である養護施設の人たちの顔が浮かぶ。

 だが、ヒイロはそれらを鋼の意思で頭から無理やり追い出し、姿勢を正す。大事なのはおそらくここからだ。


「俺たちは、自分たちをヘレネスって呼んでいて、ヘレネスの暮らす地をヘラスと呼んでいる。そして、君たちみたいな転移してきた人をこう呼んでる。転移者バルバロイってね。

 君たちは選ばれたんだ。ヘラスの神々に」

「選ばれた……。何のために?」

「英雄になるために」

「英雄……」


 口の中が渇いていくのを感じる。水がもう一杯欲しくなってきた。


「俺たちはコスモスと呼ばれる組織に所属している。今いるこの病室は、コスモスの本拠地、ティリンスにある。コスモスの英雄は大まかに2種類に分かれる。神の血を引く半神ヘミテオスと、神から祝福されし転移者バルバロイだ。もう一度言う、君は、選ばれたんだ」


 選ばれた。神々。英雄。


 目を瞑ると、クラウの言葉が幾重にもなって反響し、脳内を駆け巡る。

 更にそこに、日本にいた頃の「現実」が、再び浮き上がってくる。

 養護施設の古い建物。小さな部屋。安物の勉強机と布団。アルバイト。嫌な客。友達との馬鹿騒ぎ。カラオケ。彼女の笑み。

 今も、すぐそばにある気がしてくる。

 しかし、もう遠くに行ってしまった。手の届かない場所まで。代わりにすぐそこにあるのは、馬鹿げた言葉と、受け入れ難い真実だ。


「いきなりこんなことを言われて混乱しているだろう。けど、これが現実だ。君はこれから、英雄候補として、訓練所に通うことになる。けど、まずは療養だ。しっかり休んで傷を治すんだ」


 クラウがそう言うと、病室の扉が3回叩かれる。

 どうぞ、とクラウが言い。扉がきい、と音を立てて開く。


 入ってきたのは、白だった。


 真っ白な髪。日に焼けていない白い肌。うっすらと灰色がかった、氷のような淡い瞳。無表情に近い顔立ちなのに、不思議と目を引く美しさがあった。

 年は、ヒイロと同じくらいか、少し上か。歩くと、束ねられた髪が、肩口でさらりと揺れる。膝下までの白いワンピースのような服の上から、簡素な前掛けをしている。袖から見える右腕は、金属製の義手。その手には、包帯の束が抱えられていた。


 ヒイロが気絶する寸前に見た、あの少女だ。


「ノア、お疲れ様。ちょうど来てくれて良かった。彼、起きたよ。名前はヒイロ」


 ノア、と呼ばれた少女は、ずっと枕元まで歩いてきた。足音はほとんどしない。ヒイロの顔を、じっと覗き込む。

 間近で見ると、瞳の色は本当に不可思議だった。光の加減で、雪の上に落ちた影のような淡い灰色にも、薄い青に見える。


「……お加減、いかがですか」


 丁寧な言葉遣い。抑揚は薄いが、冷たいわけではない。そんな印象だ。


「ノアは君を見つけてくれたんだよ。ミノタウロスとやり合った後にね。それで、この娘の師匠が君をここまで運んだんだ」

 

 クラウが補足する。


「そう、だったんですか。ありがとうございました」


 ヒイロが頭を下げると、ノアはすっと手を伸ばし、ヒイロの肩を優しく押さえた。


「まだ、あまり動かないでください。縫ったところ、開きます」


「えっと……ノア、さん」

「ノアで、いいです」


 短くそう言って、近くの机に包帯の束を置く。

 

「包帯、ここでいいですか?ドクター」

「ああ、ありがとう」


 ノアが下がると、入れ違いにクラウがそばまで来て、右腕の包帯を慣れた手つきで取り替える。

 包帯の下は、思っていたほど酷くはなかった。ただ、見ていて面白いものでもない。


「君がここに運ばれてきた時は驚いたよ」


 暫しの沈黙ののち、クラウが話し出す。


「見つけた時に怪我をしてる転移者バルバロイは珍しくないんだけど、まさかミノタウロスと戦って勝ってるとはね。右腕は結構酷い怪我だったんだけど、ノアの応急処置も良かったから、ささっと縫って終わったよ」

「俺の怪我を治療してくれたのってクラウさんだったんですか」

「うん、俺だよ。これで良し……と」


 包帯を巻き終えて、クラウは満足そうに頷いた。

 

「そろそろ俺たちはお暇するよ。聞きたいこととか、やらなきゃいけない手続きとかたくさんあるけど、続きは明日にしよう。今はとにかく、ゆっくり休んで」


 ヒイロは浅く息を吐き、クラウとノアに視線を向ける。自分がこうして生きているのは、目の前の二人のおかげだ。


「あの……二人とも、本当にありがとうございました」


 ヒイロの言葉に、クラウは穏やかな笑みを浮かべ、ノアも静かに頷く。

 二人が部屋から出ていく。ヒイロは瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。

 異世界に放り込まれて、一人きり。もう二度と故郷には帰れない。ミノタウロスと命懸けで戦い、挙げ句の果てには英雄になれ、ときた。

 戸惑いも、混乱もまだある。それでも、自分を見つけてくれたノアと、治療してくれたクラウ。二人の優しさが胸の内に沁みる。それは、張り詰めた心をそっと解きほぐしてくれるように思えた。

 夢を、約束を、思い出す。

 自分はもう、手を差し伸べられた。この世界で、約束を守ることが、()()()に言われた生き方が、果たしてできるだろうか。

 ただ、生きている証が、ヒイロの肺を出入りしていた。

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