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第十八話「ご案内〜!!」

 結局のところ、カロンがヒイロたちの正体に気づくことはなかった。舟は無事、ステュクス川を渡りきった。止まった瞬間、ノアがパッと手を離して一足先に降りる。

 バレなかったことに安堵し、アポロンに感謝しつつ、ヒイロも岸に降り立った。

 その瞬間、世界の相が変わった。

 空は変わらず赤いが、どこまでも続いていた地平線は、低い山々に遮られていた。ごつごつとした岩山が連なり、その向こうに何があるのかは見えない。地面には、ところどころ灰色の花が咲いている。


 そして──目の前には、幽霊の長蛇の列があった。


「……うわあ」


 ヒイロは思わず声を漏らした。

 何百人、いや、何千人いるのか分からない。灰色の幽霊たちが、延々と列を作っている。その両脇には見張りが立っていた。

 骸骨の兵士だ。白い骨の上にボロボロになった鎧を纏い、盾と槍を持っている。列が乱れると、槍で威嚇して整列させている。


 列は三つに分かれていた。

 一番右の列が、やけに進みが早い。左側の二列は同じ速度で、遅い。

 列の最後尾の頭上には、看板が浮いている。右端と左端に、一つずつ。看板には共通語コイネーででかでかと文字が書かれているが、なんと書いてあるかはヒイロには読み取れなかった。


 振り返ると、カロンは何も言わずに既に舟を出発させて、離れた距離にいた。このステュクス川を慣れたものだと言わんばかりにすいすい進んでいく。

 無愛想だなあという感想と、これを何万回と続けていればそうもなるか、という感想が同時に浮かぶ。


 再び列の方に目を向けて


「よし、行きましょう」


 と、歩き始める。


「列が三つ……どれに並ぼう?」

「ようこそ冥府へ!」


 突然の、場違いと思えるほど明るい声に驚いて顔を上げる。

 頭上に、髑髏が浮いていた。両手で抱えられるほど大きな頭蓋骨。

 髑髏は三人の目の前に降りてきて、カタカタと顎を鳴らして愛想を振り撒く。


「ワタクシ、案内人を務めております、プシュコポンポスと申します。御三方は、冥界は初めてでいらっしゃいますか?」

「…………」

「ってこりゃ失敬。初めてに決まってますよね。御三方ともお顔が暗かったので、小粋なジョークを挟ませていただきました。いや〜それにしてもこんな陰気臭いところに何千年もいると心が荒んでしまいますよねえ。ワタクシも上司、あいや元上司のヘルメス様と共に世界中を駆け回っていた頃はそれはそれはもう輝かしい日々で────」

「ちょ、ちょっとストップ」


 ヒイロは慌てて手を上げた。髑髏が喋り続けるのを遮る。


「えっと、君の身の上話も気になるけど、今は色々聞きたくて……あの列のこととか」


 髑髏がぴょこんと跳ねた。

 

「はっ!これはこれは申し訳ございません。ワタクシ、魂の導き手としての役割を忘れておりました。恥ずかしさのあまり死んでしまいそうです!」

「生きてるんだ……」


 ヒイロは思わず呟いた。髑髏なのに。


「それで、ああ、案内ですね。御三方はステュクス川を渡ってきましたね。生者の領域と死者の領域の境となる川。川の向こう。皆さんが歩いてきた荒野も冥界ですが、ここから先はいわば真の冥界、冥府になります」


 髑髏は空中でくるりと回転し、長蛇の列を指し示した。


「まずここまで来た方々は選んでいただきます。『審判』か、『無審判』か」

「選ぶ?」

「ええ、あそこの看板に書いてあるでしょう?左の二列は審判待ち、つまりは裁判を受けていただきます。裁判所では生前の行いを裁き、それに応じた場所へと送られます。ほとんどの方は特別善いことも悪いこともしないので、大体アスポデロスの野へ行くことになりますがね。

 右の列は裁判を受けず、そのままアスポデロスの野に直行します。千年ほど前にできた制度ですね。待ち時間が長すぎるという苦情が多くて」


 髑髏は、再び三人の方に向き直る。


「で、どちらにします?審判を受けるか、受けないか」

「ええと……」


 ヒイロは二人の顔を見る。

 宇禅は無言で頷いた。判断を任せる、という意味だろう。


「ジーンから、聞いたことがあります」


 ノアが耳打ちをしてくる。


「冥王の宮殿は、アスポデロスの野を越えた先にあると。ここは右の列に行くべきだと思います」


 ノアの言葉に頷く。裁判を受ければ、生者ということが露見するかもしれない。月桂冠があっても、裁判官の目は誤魔化せないかもしれない。


「無審判のほうに行くよ」

「なるほど!承知しました。無審判の列に御三方、ご案内〜!!」


 髑髏が嬉しそうに弾んだ。

 三人は、無審判の列に加わる。

 幽霊たちは、誰も何も喋らない。ただ、前へ前へと進んでいくだけ。


 骸骨の兵士がこちらを見た──気がした。

 ヒイロは息を止めた。だが、兵士は特に反応せず、また別の方向へ視線を向けた。

 月桂冠が、効いている。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 列は立ち止まる暇なく進んでいく。左二列からは離れ、山に向かって歩いていた。

 前方に、山を貫く巨大なトンネルが見えてきた。


 その時──低い唸り声が響いた。

 ヒイロは凍りついた。

 トンネルの入り口に、何か、いる。

 巨大な、黒い影。

 それは犬だった。

 ただし、見上げるほどの大きな犬。全身が黒い毛に覆われ、筋肉が盛り上がっている。

 そして、頭が三つ。

 前の世界の、さまざまな作品で見てきた、冥府の番犬。

 ケルベロスだ。

 列を跨ぎながら、鼻をひくひくと動かし、何かを嗅いでいる。


 なんとなく、嫌な予感がした。あれは、死者たちの匂いを嗅ぎ分けているのかもしれない。月桂冠の効力は匂いまでカバーしてくれているのか?


 三つの頭が、一斉にヒイロたちを見た。

 グルル、という低い唸り声。それは、明らかに警戒の声だ。

 ケルベロスが一歩、また一歩と近づいてくる。

 刀に手を伸ばす宇禅を手で押さえつつ、ヒイロは、手を腰の短剣に伸ばした。

 カルシノンの言葉を思い出す。


『ケルベロスは光るものが好きだから──』


 巨体が、二メートル前まで迫る。

 短剣を鞘から抜いて、まっすぐ上へ掲げた。

 刃が、青白く光る。

 三つの視線が、一箇所に集まった。

 大きく腕を振ると、ケルベロスの頭もそれに合わせて左右に動く。

 そして──思いっきり、遠くへ放り投げた。

 短剣が空中で回転し、光を弾きながら飛んでいく。

 

「ワン!ワン!」


 ケルベロスが吠えた。いや、吠えたといるより、喜んだ。

 太い四つの足で地面を蹴り、短剣を追いかけて駆け出す。地響きが起こり、幽霊たちが揺れた。


「今だ!」


 ヒイロが叫んだ。

 三人は列から飛び出してトンネルへ走った。

 骸骨兵士たちが一斉にこちらを向いた。幽霊の緩慢な動きとは全く違う、素早い足取りで三人を追う。だが、トンネルに入ると、内部までは追いかけてこなかった。管轄が違うのだろう。職務に忠実な、いい兵士だ。


 それでも三人は足を緩めず走った。ケルベロスの遠吠えが聞こえてきたからだ。


 トンネルは照明が一切ないのに、外と同じ明るさだった。のろのろと歩く幽霊たちを押し退けながら走る。

 トンネルを越えると、三人ともその光景に思わず立ち止まってしまった。

 そこは花畑だった。

 先ほども見た、あの灰色の花が所狭しと咲き乱れている。風もないのに、微かに揺れている。

 ところどころに、黒い木が、まるで墓標のように突っ立っている。

 そして、その色を失った春の中を、数えきれないほどの幽霊たちが彷徨っていた。ある者は立ち止まって空を仰ぎ、ある者は目的もなく円を描くように歩き続けている。その表情は驚くほどに平坦だ。

 ただ、ぼんやりとしている。まるで、時間という概念を失ったかのように。


「……これが、アスポデロスの野」


 ヒイロは小さく呟いた。


「ええ」


 ノアが答えた。その声は、どこか遠くから聞こえるように感じた。


「ほとんどの死者が、ここに来ます。ここで、永遠に過ごします」

「永遠に……」


 ヒイロは、改めて周囲を見渡した。

 ここが、普通の人々がその人生の果てに辿り着く終点。

 静かで、穏やかで──そして、絶望的なまでに虚無だ。


「行きましょう」


 宇禅が静かに言った。


「ここで立ち止まっていても、何も変わりません」


 ヒイロは頷いた。

 三人は、灰色の花を踏みしめながら駆け出した。


「それにしても、ヒロ君の咄嗟の機転には驚かされました」


 しばらく走り、ケルベロスが追ってこないのを確認してから立ち止まり、呼吸を整える。そんな小休止の最中に、宇禅が口を開いた。冥界の空気にもだいぶ慣れたのか、その声には地上にいた頃の穏やかさと落ち着きが戻っていた。


「まさか短剣を囮に使うとは。なかなか独創的な発想です」

「独創的?」


 ヒイロが首を傾げる。


「ええ、神話に語られるケルベロスの対処法は、歌で眠らせたり、菓子を与えたりですね」


 宇禅の視線が、ヒイロの腰元──短剣が収まっていたはずの場所へと、短く落ちる。


「私も、ジーンからはお菓子を与えると良いと聞きました」


 ノアが淡々と付け加える。


「ええと、あれは俺のアイデアじゃなくて、カルシノンからアドバイスをもらったんです。ケルベロスはきらきらしたものが好きだって」


 ヒイロが正直に明かすと、二人は意外そうに顔を見合わせた。


「きらきらしたもの、ですか……それは初耳ですね」


 宇禅は顎に手を当て、考え込むような表情になる。


「そうなんですか?カルシノン、なんで知ってたんだろ」


 神話に語られていない知識を、ただのいち訓練生が知っていた。そのことに対して、ヒイロの胸に微かなざらつきが走る。だが、それ以上に気になったことを二人に問い返した。

 

 

「というか、二人はどうやってケルベロスを突破しようと?」

「斬り伏せようと考えていました」

「私も、倒してしまえばいいと思っていました」

「…………」


 二人とも、意外と脳筋である。


「まあ、結果的にうまくいったので良かったです」

 

 宇禅は笑って、また歩き出した。


「あ、待ってくださいよ。俺が先行きますって」


 ヒイロは慌ててその背を追い、先頭を変わろうと歩幅を速める。ノアもまた、機械的な足取りながら無言で並走した。


 冥府の番犬をやり過ごした安堵から、ほんの僅かに空気が緩んだ、その時だった。


 ────背筋を氷の楔で打たれたような、強烈な悪寒。


「──っ!」


 本能が警鐘を鳴らし、ヒイロは弾かれたように振り返った。宇禅とノアも、同時だった。


 そこにいたのは、レルナ村の村長だった。昨晩、宿を提供してくれた恩人。名前はなんだったか、思い出せない。


 村長の様子は明らかにおかしかった。

 枯れ木のような四肢を小刻みに震わせ、見開かれた目は血走り、ぎょろりと蠢いている。まるで何かに抗っているかのように、両手を握りしめていた。

 

「う、あうお……」


 喉の奥で何かが引っかかっているような、言葉にならない声だけが漏れる。

 ヒイロと宇禅は得物に手をかけ、ノアも義手から刃を展開する。


「村長殿、どうされましたか」


 宇禅が問いかける。丁寧な語尾なのに、声は硬い。


「お……でゅ」


 掠れた声。

 焦点の合わなかった瞳が、ようやく一点に収束する──ヒイロを、まっすぐに。


「に……げ、て!」


 悲鳴のような警告が響いた次の瞬間、老人の身体が内側から爆ぜた。

 皮膚が裂ける音はしない。代わりに、空気が歪むような破裂。痩せ細って小さかった肉体が、内側から押し広げられる。骨格が組み変わり、筋肉が盛り上がり、関節が別物の位置へ滑っていく。身の丈は倍近くになり、筋骨隆々、いわおのような身体になる。ケルベロスよりは小さい。だが、こちらの方が圧がある。


 村長の顔は、もうそこにない。

 あるのは、獰猛な笑みを浮かべた、戦士の顔。


「オオオオオオオオオ!!」


 咆哮が、アスポデロスの野を揺らした。

 周囲の幽霊たちが、一斉に動きを止める。

 灰色の花が、揺れた。

 巨体が、地面を蹴る。

 ヒイロは剣を抜き、想定外すぎる闖入者に刃を向けた。

ヘレニカをご愛読いただきありがとうございます!これまで毎日更新をしてまいりましたが、話数のストックも尽きてしまったので、これからは二日に一話更新となります。申し訳ございません。代わりに一話一話のクオリティをさらに上げていくつもりです。よろしくお願いします!!

また、感想やブクマなどもぜひぜひよろしくお願いします!!!!

次は二日後の12月30日更新予定です

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