妖刀迅譚
この世界の凡てを反射しそうな程の黒板張りの床が伸びる。木目の波紋が浮ぶ水面に写し出された四本の脚が進みゆく。
惣一郎と尚久は御当主に拝謁べく、朝方である筈なのにやけに薄暗い『奥座敷』へと向う廊下を進んでいた。
夜の水面は奥にある空間の雰囲気を代弁するかのように二本の脚に吸い付き、歩みを遅らせようとする。
ここに来て何度目かの雰囲気に気圧される感覚とは別の「圧」に見舞われながらも青年は黒漆の鏡をスルスルと進んでいく人影を追い縋る。
九間にも満たない筈だが、昨日の道程にも等しい旅路を遂げ二人はそこへ辿り着いた。
これまでの『芸術』とは一転、黒漆塗に黄金の引手を設えた無骨な帯戸が来訪者を一瞥するかのように待ち受けていた。
板戸はその奥の存在を映し出すかのように、全身に伸し掛かる重圧を以て二人を出迎える。
無意識に喉が鳴る。
熾士は戸を軽くノックする。
「秋月です。」
「入りなさい」
艶やかな声が板戸の裏側から響く。
戸を開けた先に見えたのは燭台や違い棚等最低限の調度品を残し、削ぎ落された空間。そして自分の十数年の時間如きでは量ることが出来ない『格』を身に纏う総領。
『格』を身に纏い、気品の溢れる所作で上座に座っているのは惣一郎よりも少しばかり年上と見受けられる青年であった。
熾士は正座になり頭を深々と下げる、それに倣うように新入りも傅く。
「熾士秋月尚久、只今参りました。」
「御苦労。さて、そちらの者は」
重々しい声が降り注ぐ。挨拶を促され、頭を垂れたまま恭しく、緊張から簡潔に名乗る。
「惣一郎と申します。近江国から参りました。」
「霊迅衆総領、源嶋孝尭である。」
全身から放たれている厳粛な雰囲気に気圧される。脳髄に刃物を直に宛てられたような妖との相対時とは全く異質の張り詰めた空気が一帯を侵食する。
息をのむことすら忘れ、毛先から爪先まで緊縮する中で、数瞬経った頃合いを図ったように御当主は頬を緩ませ、
「…さぁ、堅苦しい口上はさておき、まず、頭を上げていいよ。遠路はるばる吾々、霊迅衆へと加わってくれる決断を下してくれてありがとう。」
菩薩の様な微笑みを向け、語り掛ける。
(……!?)
天と地が入れ替わったかのようなギャップに大いに面食らっていると、総領は微笑みを崩さずに続ける。
「あまり肩肘張るのは好きじゃなくてね」
「はっ、はあ・・・」
「惣一郎君、我々霊迅衆は君の家族含めて歓迎するよ。」
「事情は尚久からの鷹文で伝わっている。君の家族を守ろうという心意気、非常に素晴らしい。」
「ありがとうございます」
この御仁と組織の懐の深さに感動しつつ心からの謝意が零れる。
「それでだ、」
緩めた頬を引き締め、霊迅衆総領は座を正し問う。滞りなく進むと思われた空気はぴしゃりと先程の空気へと立ち返る。
「改めて問おう、君は霊迅衆に入って何を志す?」
和やかだった空気が一瞬でひりつく、総ての思考すらも見据えるような面持ちで景孝は続ける。
「先日君が経験したように、妖と相対することは文字通り、死と隣り合わせであることは解るね?」
「妖との戦闘で実際に命を落とす者も多数いる。先程まで隣で歩いていた仲間も瞬きの間に喪うこともある。」
「我々が身を置くのは凄惨で悲惨な地獄だ、生半可な覚悟で挑めるものではない」
「それでも君は霊迅衆を志すかい?」
「承知の上です。」
迷いなく答える、一昨日そのことについてはふみたちと話す中で改めて認識させられ、そのことを承知の上で赦しをもらったのだから迷いなどは奮い棄ててきた。
「ふむ、そして君はここに至る決断をしたときに、御父上の遺言に突き動かされて決断をしたと伝わっている。」
「はい、父のその言葉に後押しされました。」
「霊迅衆に身を置き、刃を振るうことは即ち、死に半身を置くような生命のやり取りだ、君はその『遺言』に縛られ、生命を賭して戦うのかい?」
「その決断は本当に君の意志によるものか?」
(俺は…)
一瞬の沈黙。
紡ぎだした言葉を携え、総領の瞳を見つめる。そこには心情や雰囲気、過去。この場の凡てを見透かすような眼差しがあった。
この人の前では下手に飾り立てた言葉はまるで意味を為さない。この人の御前で嘘は通用しない、つけない、自分の心情からあふれ出す言葉のみが必要である。
先程の高務が言っていた「心のままに・・・」。
理性・外聞、それらによって編み込まれた言葉にはその眼、魂から逃れる術無し。
一息つき、発せられた空気とともに紡がれたそれを解き、孝尭へとぶつける。
「俺の住んでいた村は、戦火によって人・物全てが一夜で失われました、」
「悲しい思いをする人は自分たちが最後でいいんです。誰にも同じ思いは味合わせたくないは無いんです。」
「安全で安らかな他の道もあったはずです。でも、それでも必ず、その暮らしの中のどこかで俺はこの手で救えた人がいるんじゃないかって後悔することになるでしょう。」
「平穏の中で死んでいった家族や村の皆の顔が浮かぶと思います。」
「俺を庇って死んだ両親は、後悔の無いように生きろと言っていました。」
「俺は自分の意志でここにいます、父の言葉は俺の魂に、人生に進むべき道を照らしてくれたんです。」
「守ってくれた家族、一緒に居てくれた家族、皆に恥じないように決めた道を歩きたいんです」
「なるほど、その道というものが茨の棘で敷かれていたとしてもかい?」
「信じる道があるならばどこまでも征きます。その覚悟はできています。」
「君の様な志を持つ者を私は待っていたよ」
総領は引き締めていた頬を緩ませ言葉を続ける。
「家族含めた諸々の手続きはこちらで済ませよう」
「これから、私たちは同志だ。」
「改めて、『惣一郎』。霊迅衆へようこそ」
「君の活躍を心から期待しているよ。」
「はっ!!」
「尚久、彼の諸事は君に一任してもいいかい?」
「御意。」
御当主はすっと立ち上がり、上座の襖に向かって歩き出す。その背中を二人は礼を以て見送る。
と思いきや、御大は歩を留め新入りに向き直る。
「惣一郎」
「はい?」
「家族の皆さんに宜しくね」
「はい、ありがとうございます!」
板と額が付くほどに深々と頭を下げ、超然たる青年を見送る
今度こそ孝尭は奥の間へと姿を遷す。
惣一郎は板戸が閉まって尚も身に余るほどの感謝の念と、穏やかな表情や気品溢れる所作の中に確かにある超然ぶりに頭を上げることすらままならず額を下げ続けた。
「いい決意表明だったな」
「ありがとうございます」
奥座敷を出て、晴れて霊迅衆の一員となることが出来た惣一郎は熾士に連れられ、挨拶周りや諸々の手続きをするため『泰松舘』のあちらこちらを廻っていた。やはりと言うべきか、朝方に案内された時に想像していたよりもこの屋敷は何回りも広大である。今、一人でこんなところに放り込まれたら夜が明けるまでに門から出ることなどまず出来ないだろう
改めて早い所この街やここについて慣れておかないととんでもないことになりそうだ
「孝尭様にも驚いただろう?」
一歩半前を歩く尚久から声を掛けられる。
「はい…、孝尭様っていつもあのような方なんですか?」
「あぁ、まだ若いにも拘わらず当主としての御働き、何もかも見据える聡明さ、そして結界術の大家とまで来た。あの彼処まで超人だとこっちが怖くなる…」
「はっ、はぁ…」
・・・確かに自分よりも少し若い身空でこの組織の長を務めているのだから相当優秀な人であるとは思ってはいたがこの熾士にそこまで言わしめるとは…
実際、あの雰囲気か自信か話し方なのかは判りかねるが引き込む何かがある。そんなこと思いながらも数分しか話していない彼に対して畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
挨拶回り、戸籍の作成等の最低限必要な手続きを済ませ、門を潜ったのは日が沈み始めた頃合いであった。しかし、まだ入隊に必要な諸事はまだまだ続くという。これから向かうのは、内街のメインストリートから少し外れた惣一郎一行が住む家よりもさらに広い一軒家。
熾士曰く、霊迅衆に入ると各所との関わりが生まれることがある、そんな時に名字を持たないままでは何かと不都合があるかも知れない。また、新しい生活に慣れるまでや、困ったことやあったときの手助けになる存在となるように、苗字を持たない者は『後嫡』と呼ばれる後見人が付き、その苗字を名乗る手筈となっている…とのこと。
表札には『戸津崎』とある。
熾士は戸を叩くとその向こう側から
「はーい」
と些か勝気そうな声が聞こえる。
「秋月だ、兼房殿はおられるか?」
「あら、熾士様!いらっしゃい!」
戸を開けた女性は彼を見るなり、声を上げる。
「今呼んでくるね!」
屋内へ姿を消し、代わりに現れたのは白髪混じりの初老の男性であった。
「戸津崎兼房といいます。惣一郎、これからよろしく」
兼房は皺の入った顔でにこやかに告げる。
「惣一郎と言います。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
深々と頭を下げる。兼房は肩をすくめて
「今から私達は家族、余計な遠慮はいらないよ」
今後は家族全員がこの人の後見を受け、苗字を持っていなかったみよ、太助、ちよ、次郎、かねが『戸津崎』を名乗ることになる。
「彼が件の燧士で、鷹文で送ったように明後日に到着予定の五人の事も頼む」
「もちろんです」
「じゃあ、今夜は頼むよ」
「承知しました。」
「さぁ、ご飯にしようか!話はそこで聞こう」
居間に通され、並んでいたのは目を奪われんほどの御馳走であった。魚、肉など明らかに自分の食事何か月分かの食卓に食らいつく。
これまで数年間、味わうことのできなかった「御馳走」に舌鼓を打つ。
「美味しそうに食べるね~」「こんな御馳走、久しぶりです…」
「そうかそうか、遠慮せずに食べていいからな~」
「こっちが妻のかね、そしてこっちが息子の兼時。」
勝気そうな女房と、家長に似て優しそうな同年代くらいの男性が挨拶する。
「よろしくね!」「よろしく~」
「…さて、どんなことがあったのかは御当主と熾士殿から伺ってはいるよ。これまで本当に大変だったね。」
「君たちの『家族』について聞かせてくれないかな?これから君たちの事を知っていきたいからね」
二日前に尚久にしたようにこれまでの経緯を説明する。説明を終えると一家一同目に涙を浮かべこちらを望んでいた。
「…本当にこれまでお疲れ様、頑張ったね」
「本当に家族が大事なんだね」
「はい、血は繋がってないですけど最高の家族です…」
「彼らの事も私たちに任せてくれ、生活に慣れるまで全力で協力させてもらうよ。」
「ありがとうございます!」
「何かあったら私たちに何でも言ってほしい」
「これからは血は繋がってはいないとはいえ、家族なんだからな」
「はい、ありがとうございます!」
「いい食べっぷりだね!それとまだまだお替りもあるからね!」
「はい!いただきます!」
優しさに心打たれながらも美味さに促されるまま箸を進め、『団欒』は過ぎていく。
一通り、食べ終わり食後の茶を飲んでいた。
「私はそこの通りで反物屋をやっているんだ、昼はそこにいるから何かあっても無くても頼ってね」
「はい、家族ともどもお世話になります。」
「惣一郎、改めてこれから宜しくね」
「そうそう、これを熾士殿から預かっていたんだった」
そう言い終わるや否や兼房は一冊の本を懐から取り出す。萌葱色の表紙には『霊迅衆 妖術初歩手引』とある。
「これを読んでおくようにだって、明日までに最初の二項だけでも覚えとけって…」
「ありがとうございます」
受け取ってひとまずパラパラと捲っていると、前からどこか不穏な言葉が飛んできた。
「まぁ…とにかく頑張ってね… 私達から言えるのはこれしかないけど…」
神妙な面持ちをした家長の言葉とともに、この場にいる皆が惣一郎に目線を向ける。それは眉が寄り悟るような、それでいて何処か惣一郎を見ているのか遠くを見ているのかよく判らないものであった。
「…?、ありがとうございます」
この時点の彼は何も知らない、その眼差しがどんな意図のものであったかを…
「おはよう」
「おはようございます」
昨日と同じく家の前まで迎えに来た熾士は着くなり問いかける。
「早速確認していこう、妖とは?」
「妖とは、一般的に妖怪と呼ばれる存在である。それらは『威列』という基準によって八段階に各付されている。『威列』は上から、甚位、特位、一位、準一位、二位、準二位、三位、四位」
「……では、妖力とは?」
「妖力とは、心臓付近より出づる力。一定値を超えると妖が見えるようになり、刀士はそれを制御、変化、付与、強化することで妖を討つ」
「覚えられているようだな、詳しいことは実践形式で教えていく」
「だが、今の君の身体では妖力を制御できない、ましてやこれからの修練で間違いなく死ぬ。」
とんでもなく物騒なことが聞こえてきたような気もするが
「早速だが、今から修練を始める。」
特訓は始まった。
午前中は走り込み、外街の外周を走るというシンプルなものである。
つい先日まで晩飯のためにも仕事が長引いた折には幾つかの野山を駆けていたため、ある程度は付いていくことはできるだろう。そう思い、熾士について脚を力強く踏み出す。
(――――甘く見てた。いや、舐めすぎてた…)
走り始めて一刻半、未熟者は地に伏せていた。
最初のうちは食らい付いて行けていた。しかし、休憩なしで周囲七里の街を延々に走り続ける彼の肺は悲鳴を上げ、脚は生まれたての仔鹿よりも酷くプルプルと震える。口の中は土と仄かに血の風味が漂う。
試練は舐めた考えを持った愚か者に対して潰れた蛙の如き醜態を晒すことしか許してはくれなかった。
先程、「死にかねない」と言われた事は嘘でも脅しでもなく本気で言っていたことに戦々恐々しつつ、身体か頭のどこかで途轍もなく嫌な予感を受け取り、脚を叩き無理やりにでも立ち上がる。
既に熾士との間には考えることを諦めるほどに周回差を付けられている。そして、これまで勝手に休憩を取ろうとして、既に三回程木刀で強めに突かれている。
こんな体たらくを見られでもしたら、打ち据えられ、井の底の藻屑になりかねないのは火を見るよりも明らかだ。
当の本人の追い越していく顔は如何にも涼しい顔であり、影は瞬く間に遠くへ消えていく。そろそろ木刀が井の中に叩き込まれても不思議ではない時間であった。
昨日の戸津崎家一同が送ってきた視線の正体が「憐憫」ということを遅まきながら知った蛙は、木刀を持ちし鬼への恐怖を抱きつつ、これまでの放浪生活ですっかり板についた「我慢」を引きずり出し弱々しく足を踏み出す。
「ヒュゥ…………ヒュゥ…………」
それから二刻後、ふらふらになり、最後には走っているかもわからないような状態ながらも執念と恐怖のみで何とかやり抜く。息も絶え絶えになり、口からは喘鳴にも近い呻きしか出てこなかった。道に倒れ伏す彼の頭に人影が近づく。
「これを毎日やってもらう、二月もすれば慣れるだろ」
熾士は涼しい顔をしてそんなことをサラッと言ってのける。
(んな無茶な…)
一回休憩を挟んだが脚は暫くは動きそうにもない。こんな苦行を毎日やれというのは非常に気が滅入る。しかし、辛くも逃げ道は崩された、いや、そもそも端からそんなものはない。高を括っていたことに猛省しつつ出された昼飯をこれまで食べたことのない量を平らげる。
日が天辺へと昇り上がった頃、内街の外れにある修練場にて木刀を投げ渡される。
「最低限刀は振るえるようだが、我流にはどうしても癖が染みつく」
「これからその『癖』を抜く」
午後からの修練は形、素振りと藁打ちそれの繰り返し。
剣術においても完全に我流、ド素人に産毛が生えたような拙さである。鹿山家のような剣術を習うような身分でもなし、士族の真似事で刀を振るうより前に村から焼き出されたため碌にやってこなかった。
熾士曰く、癖が身体に染み付いていおり、無駄が多く隙が生じやすい。早急に改善する必要がある。故に尚久の動きを真似て木刀を振り、巻藁を拵えた人形に一動作ずつ確認しながら叩き込む。
ただただ同じ動作をひたすらに続ける単調さにおいては午前とは異なる辛さがある。構えや姿勢が乱れると木刀で軽く小突かれるため、おちおち気を抜いてはいられない。
「腰が引けてる、こう打ち込むんだ!」
「はい!!」
何百本程こんなやり取りのもと打ち込んだのだろうか、熾士はようやく待ち侘びた言葉を発する。日は稜線に半分姿を隠している。
「よし、今日はここまで。明日も同じ事やるから、今日は確りと休めるように」
「はい……ありがとうございました……」
片付けの後、門の外まで送られ、ようやく特訓地獄から解放された。
(初日からいくら何でもやりすぎだろ・・・)
館から放たれた新参は脚を縺れさせつつ、慣れぬ道を少し迷いながらも家に着く。
鎹を外し、戸を開くとそこには、箱膳が置いてある。囲炉裏には鍋が掛けられており、中から腹の呻りを促すような湯気を立ち昇らせていた。箱の天面には書置きがある。
「今日はお疲れさまでした、これを食べて英気を養ってください。」
戸津崎家からである。卓の上には恰もこの時間に帰ってくることを見越したかのように温かい食事が置いてあった。
家路に迷うことにすらも見越されていたことを思うと少しばかり釈然としないことも無いが、このような心遣いは渡りに船どころか豪華絢爛極まる安宅船で来訪してくれたようなものである。
こんな昨日初めてであったばかりの独り者すらにも親切にも手を差し伸べてくれる彼等の意に深く感謝しつつ、手早くこれまた見越して用意されていた風呂で汗や泥まみれの身を清める。今日の湯は木刀で強めに突かれた体にやけに染みる。
風呂から上がればよい感じに暖かさを持つ夕飯が今か今かと待ち侘びている。彼らの準備の良さに少々の気後れを感じながらも、やはり、これまでで食べたことのないほどの量の食事を摂り、布団に落ちるとまたもや意識を手早く手放した。
次の日も家の前まで熾士が襲来し、連行、特訓。昨日と何一つ変わることのない地獄が用意されているだけであった。午前の走り込みでは地に伏せ、硬質の歓迎を受けないよう半ばヤケクソ気味に気力一本で食らいつく。一転、午後の打ち込みにおいては集中・精確性に精神を引き締める。
古今東西何れにおいても基礎を身に付けねばその先へと進めぬことは世の摂理。故に自らを極限に追い込むことにより筋力、体力増強、剣術といった基礎の基礎をより身に付けるという算段で徹底的にそれを仕込まれている。そんなことは言われずとも重々承知している。
だが、あまりにも慣れない現状、兎にも角にも過酷すぎる。日が落ちる頃には身も心も使い古しの拭き布の如くボロボロになり大門を潜る。
かくしてボロ雑巾は今日も今日とて誠に有難いことに準備されている湯に傷跡を沁みさせ、大飯を食らい、蒲団に意識を沈める。
そんなことを繰り返すこと二日、この日もまた木刀から逃れ、クタクタになりながらも巻藁に腹立たしいほどまでに耳障りの良い打音を響かせる。一刻ほど打ち込んだ頃合いだろうか、数刻先になるかどうかも判らない待ち侘びた言葉が舞い降りる。
「今日はここまでだ、」
「へ?」
まだ日は高い、遠い未来の稜線を遠く望んでいた惣一郎は反射的に素っ頓狂な声を滑らせる。
「あの……予定していたよりも大分早いようですが…」
「予定だと今日、御家族が着くんだろ、折角だから迎えに行ってこい!」
「はい!ありがとうございます!!」
「ついでに明日は休みにして戸津崎家に挨拶に行って来るんだ。ただし、自主的な鍛錬は怠らぬように」
「はい!!」
家族の迎えに行けるだけでなくまさかの翌日の休みを賜った青年は踊り狂いたいほどの衝動を秘め、疲れがまるで無いような稚児の様に、駿馬のような足回りで門を潜り抜ける。
ここ三日の地獄とは打って変わった優しさに背を押された足取りはこの一週間、数年の中でも一際軽いものであった。この絹はなにも地獄に舞い降りた安息という名の蜘蛛の糸・・・だけというわけではないだろう。
家に飛び込むなり汗まみれ・泥まみれの身に水を被り簡易的にではあるが身を清める。身を乾かし、着替えて居を発つ。
家から大通りまで四分ほど、そこから外街南門『朱雀門』まで直進。その十数分も今の惣一郎にとって果てのない道のりではあった。未だかつてない数日の家族と離れた生活を経て彼の脚は再会の二文字という両輪によって回され、先日の暴君もかくやの軽やかさで通りを駆ける風となる。
数分走っただろうか、赤々とした楼閣が見える。疲れなど見えぬ脚はさらに速度を上げる。
門の全容が見えるのとほんの少し時間をおいて十四人の一団が見えた、先輩となった燧士と「家族」が楼閣の下で待っている。
青年は穏やかさと真昼の陽光のような満面の笑みを混ぜ合わせ、彼等へと駆け寄る。
遅くなってしまって大変大変申し訳ございません!!!!m(__)m
次回は一か月以内に出します(土下座)




