文書庫の老門番
スロダーリャが、第十五妃の部屋を訪ねていた頃――。
そして、二人と一頭が仲良くプルミーマの森を目指して歩いていた頃――。
文書庫の老門番のもとを、消炭色のマントを羽織った意外な人物が訪ねてきていた。
二人は、門の手前の石段に腰を下ろし、古い友達のような親しさで話しこんでいた。
「ラトヤンスカよ、本当に、まもなくメンジザバール王国から書状が届くのだろうな?」
「ええ、陛下。現国王が国を一つにまとめてから、子飼いの間諜をつかって、亡くなったことになっているタハトイルリリム三世の前妃は、国境を越えチューロデーサ王国へ逃れ、密かに王子をお産みになったという話を流しておきました。その後さらに、前妃は亡くなられたが、王子は無事に成長しチューロデーサ王国で暮らしているという話も――。
内乱平定後に娶られた現妃との間には、王女様がお一人お生まれになっただけです。彼の国は、国王といえども一夫一妻を貫くお国柄。タハトイルリリム三世の体調やお年を考えれば、この先、王子様がお生まれになる確率は決して高くはありません。
王子の生存を確認し、メンジザバール王国へ連れ帰るため、迎えの家臣団をつかわしたいという書状が、今日明日のうちに到着するはずです」
内戦勃発当時、王太子だったタハトイルリリム三世は、身重だった妃を彼女の出身国であるアリエージ首長国へ逃がそうと考えた。
中央山脈を越え、チューロデーサ王国かサクティマラタック王国へ入り、港から船を使って脱出させる計画だった。
妃は、僅かな従者と共に密かに王宮を出発した。
しかし、中央山脈を越える手前で、王弟側の刺客に追いつかれた。
付き添っていた兵士や侍女たちは散り散りになり、妃は行方知れずになってしまった。
刺客は中央山脈を越え、チューロデーサ王国内まで踏み込もうとしたが、たくさんの兵士を従えて、ブーヴァンゾ三世が国境の視察に訪れていたため、諦めて引き返したのだった。
国へ戻った刺客たちは、王弟に王太子妃は谷底へ飛び込んだと報告した。
その後、チューロデーサ国内に新たな追っ手が現われることもなかったし、妃の行方を調べるため間諜が送り込まれることもなかった。
メンジザバール王国において、妃は内乱で亡くなったものとされたのだった。
「美しいお方でしたな、ザーラハムーラ様は――。身重でなかったら何も知らぬ振りをして、ご自分のお妃にするつもりだったのではないですか、陛下?」
「馬鹿を言うな! わしは確かに艶福家だが、そんな節操のない男ではないぞ。ザーラハムーラ様には安心してお子を産んでいただきたかったし、お子の健やかな成長を心から願っておった。残念ながら、お子を産んで間もなく、ザーラハムーラ様は亡くなられてしまったが――」
国境近くの森の岩窟に隠れていたザーラハムーラ妃を見つけたブーヴァンゾ三世は、彼女が隠し持っていたアリエージ首長国に宛てたタハトイルリリム三世の書状を見ると、すぐさま王宮へ連れ帰ることを決断した。
そして、旅を続けることが難しくなったザーラハムーラ妃に、チューロデーサ王国で子を産むことを勧め、自分の新たな妃と偽って、彼女を王宮の奥の小さな離宮に匿った。
秘密を共有し妃の世話を引き受けたのは、国王の信頼厚く野心の欠片もない、まもなく退任する予定であった三人の老家臣たちだった。
有能な侍従であり、間諜たちの取締役でもあったラトヤンスカ。
料理人でありながら武術にも秀で、国王の遠征先には必ず同行したダーニマンチェ。
表向きは夜警として働いていたが、王の専属の警護人でもあったオンターラ。
臨月が迫ると、三人は地方の村を訪ねて口の堅い産婆を探し、目隠しをして離宮へ連れてきた。
仕事がすんだ後は、多額の報酬と共に目隠しをして、産婆を元の村へ戻してやった。
ザーラハムーラ妃は、元気な男の子を無事に産み落としたが、そののち体調を崩し半年後に亡くなった。
「あの頃は、まだメンジザバール王国の内乱が終結する見通しも立たず、王子の存在を公にすることもできませんでした。とりあえず、陛下の第二十八王子として、誕生日を三か月ほどずらし出生の記録を作り、王子の身の安全を図ることにしたのでしたな」
「ああ。もし、王弟派がメンジザバール王国の実権を握るようなことになれば、王子は間違いなく命を狙われることになっていただろうからな。王子を守るためには、ああするしかなかったのだ」
「ようやく、真実を明らかにできる時が来たということですな――」
「ああ、タハトイルリリム三世とザーラハムーラ妃を知る者が見れば、王子が二人の血を引く者であることはすぐにわかる。メンジザバールから迎えが来たなら、すぐにも第二十八王子と対面させ、ザーラハムーラ妃の最後の願いを叶えるつもりだ」
いまわの際に、ザーラハムーラ妃は、ブーヴァンゾ三世に頼んだのだ。
いつの日か、必ずや王太子が真の国王となり、メンジザバール王国に平和を取り戻すはずだ。その日が来たら、国王に王子を引き合わせてやって欲しいと――。
王弟派の主要人物が次々と病に倒れ、結果的にタハトイルリリム三世が国を統一することになったのは、もしかすると、ザーラハムーラ妃がおのれの命と引き替えに呪いでも掛けたためかもしれなかった。
妃が亡くなった今は、それを確かめるすべもなかったが――。
「それで、もし迎えが来たら、シシルスランガ姫のことはどうなさるおつもりですか? まだ、婚姻の儀がすんでいないわけですから、王子と一緒にメンジザバール王国へ行かせるわけにもいきますまい」
「まったく間が悪いことよ! こうなっては、メンジザバール王国の許可なく、婚姻の儀を執り行うわけにもいかん。もしかすると、むこうは、すでに跡継ぎの王子に相応しい別の婚約者を用意しているかもしれないからな――。
まあ、そのときこそ、シシルスランガ姫には、わしの第六十七妃になってもらい、スードウコティヤ四世に許しを請おう!」
「陛下!」