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内乱の記憶

 その後は、二人でビヤーリの塩漬けをつまみに、しばらくの間ルーペヤ酒の盃を重ねた。話題は、自然とシシルスランガのことになり、イルは気になっていたことを口にした。


「俺が孤児で、オンターラ爺さんに育てられたってことを話すと、たいていの人は、『可哀想に』とか『たいへんだったね』とか言うんですが、シシルさんは、『そうですか』としか言わなかったんです。シシルさんは、いったいどういう境遇の方なんですか?」


 スロダーリャは、第二十八王子のことを調べながら、シシルスランガについても、各国を回る旅芸人や隊商の中に紛れ込ませた間諜から報告を受けていた。


「シシルスランガ様の母上は農家の娘で、ペルシノナの果樹園で働いていたときに、果樹の花を見に来たスードウコティヤ四世に見初められたそうだ。

高い身分や大きな財力をもつ後ろ盾がいなかったので、妃としての地位は低かったようだな。シシルスランガ様は、王女とはいえ、けっして贅沢な暮らしをしてきたわけではないのだよ。

八歳で母上を亡くし、身の回りの世話をしていた老侍女も先日亡くなったそうだ。だから、そなたの話を聞いて、自分と似たような身の上だと思われたのさ」

「そういうことでしたか――。何だか親しみやすいお方だなあと思ったのは、そのせいだったのかもしれませんね――」


 しんみりとした心もちになり、二人は客で溢れかえった「気の荒い雌牛亭」を出た。

 スロダーリャは、王宮へは戻らず、碧玉門近くの自宅へ帰って行った。

 イルは、マトヴァリシュを連れて、耳掃除や読み書きの稽古をする子どもらが待つ「男の宿り場」へ戻って行った。


 そして、シシルスランガは――。

 「女の宿り場」の家で、明日持って行く行厨(べんとう)の準備をしていた。

 侍女たちが買ってきてくれた材料を刻んだり味付けしたり――。

 久しぶりに老侍女の笑顔を思い出し、シシルサランガは幸せな気持ちになった。


 翌朝、夜明けと共に目覚めたシシルスランガは、空が晴れ渡り、野遊びにぴったりの一日が始まったことを確かめると、いそいそと行厨の仕上げをした。

 行厨を入れたかごを手に提げ、約束の刻限に待ち合わせの場所である碧玉門に行くと、イルがマトヴァリシュと一緒に、にこにこしながら待っていた。

 王都の西端に位置するプルミーマの森へ向かって、二人と一頭はてくてくと歩き出した。


 *


 スロダーリャは、久しぶりに実母である第十五妃のもとを訪ねていた。

 スロダーリャの妹にあたる二人の王女を次々と嫁に出し、第十五妃は、気心が知れた侍女たちと共に悠悠自適な暮らしをしている。

 彼女は、白孔雀宮の中でも、見晴らしや日当たりの良い部屋を与えられているが、それは、スロダーリャの働きのおかげであると思っていたので、娘が臣下となっても親密なつきあいを続けていた。


「母上は、第二十八王子様やその母であられるお妃様のことを、何かご存じではありませんか?」

「第二十八王子というと、あなたが四歳ぐらいの頃に生まれているはずね。アラバクハーデが、生まれた頃かしら――」


 アラバクハーデは、スロダーリャのすぐ下の妹で第二十七王女である。

 一昨年、第十五王妃の遠い親戚である、大陸一の織物商人の息子のもとへ嫁いだ。


「あの頃は、悪戯盛りのあなたや生まれたばかりのアラバクハーデの世話が忙しくて、ほかのことには一切気が回らなかったわ。

それに、中央山脈の向こうのメンジザバール王国で内乱が起きて、物が手に入りづらくなっていたの。王宮といえども、なかなか厳しい暮らしを強いられた時期だったわね」


 メンジザバール王国では、国王が病に倒れた途端、王弟と王太子の間に後継者を巡る争いが勃発した。

 国土を二分し、激しい戦いが繰り広げられ、ついには一つの国に二人の王が並び立つ事態となった。

 周辺国は、難民を受け入れ、密かに民間の交流を続けながら内乱の収束を待った。


「五年前、王弟殿下とそのご子息、そして内乱の黒幕と噂された王弟妃のヴァルタティクサ様が、次々と流行病で亡くなり、王弟派は一気に勢いを失いました。

元王太子で現国王であるタハトイルリリム三世が、国の統一を成し遂げ善政を敷いたこともあって、現在メンジザバール王国は急速な復興をとげつつありますよ」

「喜ばしいことね。当時は内乱の拡大を恐れて、中央山脈を越え、たくさんの人々が我が国や隣国へ逃げてきたの。それらの人々の中には、貴族や王族も混じっていたそうよ。

逃走の途中で命を落とした人やどこかに攫われてしまった人もいたようだと、難民村の視察に出かけた陛下が仰っていたわ」


 第十五妃の言葉によって、ある考えが、閃く稲妻のようにスロダーリャの心をよぎった。


 ブーヴァンゾ三世が、国境の視察に出かけて娘を拾い王宮へ連れ帰った頃、メンジザバール王国では内乱が起きて、国を脱出する者が相次いでいた――。

 国王が王宮へ連れ帰った娘も、そういう難民の一人であったのではないだろうか――。

 ただの娘ではない。おそらくは、その生死や行方が、戦況に大きな影響を与えるであろう、高い身分や地位にある重要な人物――。

 だからこそ、娘の名前を記録することもはばかられたのだ。ということは――。


「さすが我が母上、わたしが向かうべき方向をお示しくださるとは! ありがとうございます! さっそく文書庫へ行き、メンジザバール王国について調べて参ります!」

「何だかよくわからないけれども、あなたの役に立てたのならよかったわ、スロダーリャ。仕事熱心なのもいいのだけれど、あなた、だれか良いお相手はいないの?

そう言えば、先日、王宮の薔薇園での茶会へ警護に来ていたニルマカーラ隊長が、あなたのことをとても褒めていたわ。彼は、どうかしら? 家柄も仕事も……、ちょっと、スロダーリャ、最後まで話をお聞きなさい!」


 残念ながら、スロダーリャの耳に第十五妃の言葉は届かない。

 すでに彼女の心は、文書庫へ飛んでいってしまったから――。

 衣の裾をひるがえし、舞うように回廊を進んでいくスロダーリャを見て、侍従や侍女たちは、「スロダーリャどのが溌剌(はつらつ)としているのなら、今日の白孔雀宮は安泰だ!」と思いながら、立ち止まって目礼した。


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