嫁入り旅二日目 ~青い水鳥~ <前編>
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「嫁入り旅 二日目」のお話です。
「困ったもんだねえ……」
「はい……」
敷物貸しの老女が、げんなりした顔でイルを見下ろしていた。
イルは、敷物の上に横たわり、気持ちよさそうに寝息を立てている。
シシルスランガは、大きくはない体をさらに小さくして、老婆の隣に立っていた。
「お天道様もずいぶん上ってきたってのに、こりゃあ、簡単には目を覚ましそうにないね」
「イルどのは、夜明けまで起きていたのですが、家路を急ぐ人で道が混んでいるから、少し待ってから帰りましょうと言い出して――。ずっと歩いて旅をしていたから、疲れがたまっていたのでしょうね。うとうとしながら横になったと思ったら、ぐっすり眠ってしまわれたのです」
夕べはあれほど多くの人が集っていた神殿の前庭も、今は閑散としていた。
不届き者が落としていった果物の皮などを、神官たちが片付けていた。
老婆とて、早く敷物を回収して家に帰りたいに違いない。
シシルスランガは、ひざまずくと遠慮がちにイルの体を揺すった。
「イルどの、イルどの。敷物屋さんも困っておられます。どうか、起きてくださいな」
「だめだめ! そんなやり方じゃ、かえって心地よくなっちまうよ! 眠りこけて起きそうにないやつを起こす方法は、と――。そうだ! あれだよ! 昔っから決まっている!
娘さん、ちょっと、耳を貸してごらん。いいことを思いついたよ!」
老婆は、おかしそうに笑いながら、シシルスランガの耳元に口を寄せた。
老婆の話を聞くや、たちまち耳まで真っ赤になったシシルスランガは、自分でもびっくりするような大きな声で叫んでいた。
「で、できません!! わ、わたしとイルどのは、夫婦でもなければ結婚を約束しているわけでもありません! そ……、そんなことをするわけにいかないのです!!」
「なんだ! そういう仲じゃないのかい?! あたしゃ、てっきり――」
「んんん~……」
小さなうめき声を発すると同時に、さっきまで起きる気配もなかったイルが、がばっと体を起こし、素早く敷物の上に立ち上がった。
眠っていても彼は、自分の役割を忘れていたわけではなかった。突然耳に飛び込んできたシシルスランガの叫び声が、あっという間にイルを覚醒させた。
そして、呆然としているシシルスランガを庇うように老女の前に立つと、起きたばかりとは思えぬはっきりとした口調で言った。
「だ、大丈夫ですか、シシル様?! お婆さん、用があるなら俺に言ってください!」
シシルスランガが、何をどう説明すればよいか困っていると、老婆は、抱えた敷物をゆさゆさと揺らしながら大声で笑い出した。
「ハッハッハッ! まるでお姫様を守る騎士気取りだね! 今の今まで、鼻提灯を膨らませて寝こけていたくせに! 兄さん、敷物を返してもらうよ、さっさとどいとくれ! あんたの忠義に免じて、追加のお代はとらないからさ!」
あわててイルが敷物から離れると、老婆は手早くそれをたたみ、他の敷物と一緒に抱え上げた。
去り際にシシルスランガの方を見ると、片目をつぶってニヤリと笑った。
どうやら、彼女は、二人の関係をまだ疑っているらしかった。
「すみません、シシル様……。俺が、うっかり寝過ごしちまったから、お婆さんに嫌味まで言われることになって……。本当に、申し訳ありませんでした。急いで宿へ戻って、マトヴァリシュを引き取り出発しましょう。今から出ても、予定の時刻には間に合います。心配いりません」
「ずっと歩きっぱなしでしたもの、イル殿は疲れているのではありませんか? どこかで馬子と馬を雇って、王都まで乗っていくわけにはいかないのでしょうか?」
「いやいや、そんなもったいないことはできません! 大丈夫です! ぐっすり眠りましたから、すっかり元気になりました! 王都まで走れと言われれば、全力で走りますよ!」
大きく腕を振り走る真似をするイルを、シシルスランガは、笑いをこらえながら見ていた。
マトヴァリシュが寂しがっているかもしれないと、二人は急いで宿へ戻ったのだが、宿屋の厨房から出た野菜クズや果物で腹を満たしたロバは、「オーヒーーッ」と、満足そうに鳴いて二人を出迎えたのだった。
*
二日間にわたるシシルスランガの嫁入り旅も、いよいよ終わりを向かえようとしていた。
二人の目の前には、チューロデーサ王国の王都の入り口を示す、石と鉄でできた巨大な門が建っていた。
シシルスランガは、マトヴァリシュから降りると、目礼しながらイルと共に門をくぐった。
「ここから王宮までは、どんなにゆっくり歩いても、一時もかかりません。門番の従僕に使いを頼んで、王宮へシシル様の到着を知らせてもらうことにします。ちょっと待っていてください」
そう言うとイルは、一人で門番の詰所に入っていった。
シシルスランガは、マトヴァリシュの手綱を手に、門から続く大通りを眺めていた。
石が敷かれた広い道を大勢の人が行き交い、王都はたいそう賑わっていた。
何人かの若い娘が、青い羽根でできた髪飾りをつけているのを見て、シシルスランガは、以前、老侍女から聞いた話を思い出した。
チューロデーサ王国の王都には、ケダパータの池という澄んだ水が湧く池があり、その周囲は美しい公園になっている。
池の畔には、季節によって、宝石のように煌めく青い羽根をもつ小さな水鳥が集まることがある。
小鳥が頭にとまれば、愛する人と結ばれるという言い伝えがあり、王都の若い娘たちは、鳥を寄せるために青い羽根の髪飾りをつけて池へ出かけるという。
髪飾りをつけた娘が何人もいるということは、今が池に小鳥が集まる季節だからだろう。言い伝えはともかく、生き物が好きなシシルスランガは、ケダパータの池でしか見られないという青い水鳥をどうしても見ておきたくなった。
王子妃として王宮に入ってしまったら、ケダパータの池に行く自由などないだろう。
これが、水鳥を見られる最初で最後の機会かもしれなかった。
どうやって話を切り出そうかと悩んでいるうちに、イルが戻ってきた。
「お待たせしてすみません、シシル様。今、使いが王宮へ向かいました。到着する頃には、スロダーリャ様がお迎えの準備を整えてくださっていると思います。
さあ、マトヴァリシュにお乗りになってください。通り沿いの店など覗きながら、ゆっくり王宮まで参りましょう!」
「オーヒーーッ!」
イルは、元気に嘶いたマトヴァリシュの鼻面を撫でながら、シシルスランガから手綱を受け取った。
すぐにもマトヴァリシュに乗るかと思えば、シシルスランガは、うつむいたままじっと立っている。やがて、両手を胸元に当て大きく息を吐き出すと、すまなそうな顔でイルに言った。
「あの……、ここから、ケダパータの池は遠いのでしょうか?」
「えっ? ケダパータの池ですか? う~ん……、遠くはないですが、王宮へ行くには少し回り道になってしまいますね」
「そう、ですか……」
シシルスランガが、あからさまにがっかりした顔をしたので、イルは大いにあわてた。
道行く人から、おかしな目で見られているのではないかと思い周囲を見回して、彼は気がついた。若い娘たちの多くが、青い鳥の羽の髪飾りをつけていることに――。
王都で暮らすイルには、その意味するところがすぐにわかった。
「そうか! ケダパータの池に青い水鳥が来ているのですね。もう、そんな季節か――。今年は、いつもの年より早いかもしれないなあ。まあ、それならば、せっかくですからケダパータの池に寄ってから王宮へ行きましょう!」
「えっ!? でも、それでは、お約束の刻限に間に合わないのではないですか?」
「大丈夫、ぎりぎり間に合います。それにもし遅れても、ニルマカーラ隊長にルーペヤ酒を一壜おごれば、たぶん許してくれると思います。そうと決まれば、さっさとマトヴァリシュに乗ってください。急ぎましょう、シシル様!」
「は、はい!」
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
後編も、本日中に投稿します。