薔薇と茶会と婚約解消と その四
「茶会での騒動により、チューロデーサ王家から婚約の解消を言い渡され帰国したツェリーニ様は、この先良い嫁ぎ先が見つかる見込みもないので、お抱えの画家との結婚が許されました。
カスタニャス様は、病も癒え元気になられ、今は、アペルジナス様の花嫁となる日を指折り数えて待っているそうです。表向きは、いちおうそういうことになりました。
そして、今回の件では、チューロデーサ王国に多大な迷惑をかけたということで、両国国境地帯にある、ウニステセッド谷での薔薇栽培事業へ協力したいという大公家からの文書が、まもなく王宮へ届くはずです」
「ご苦労だったね、クラハーヨ。これで、本当に何もかも決着がついたわけだ。薔薇栽培は、いずれ大きな収益を生む事業に育つことだろう。大公国にも、十分な取り分を用意するつもりだ。歴史と伝統を重んじるのは勝手だが、時代に乗り遅れ、いつまでもチューロデーサ王国のお荷物でいられても困るからね」
いつもの「気の荒い雌牛亭」の店内――。
スロダーリャとクラハーヨは、事情を知る二人だけで、ひっそりと祝盃を挙げていた。
ひとしきり酒とつまみを楽しんだ後で、クラハーヨは声を潜めて、スロダーリャから依頼されていた別の案件について話し始めた。
「その――、お問い合わせのあった例のお方の件ですが――。間違いなく、ノウスタージャ王国の大学で宗教学を学んでおいででした。
しかし、どうやらそれは隠れ蓑でありまして、そこには神の特別な加護を受けた人々が集まっているのではないかとの噂がございます。もう少し調べてみないと、はっきりしたことは申せませんが――」
「神の特別な加護というと、『神通力』の持ち主かもしれないということか? フフフ……、あのときは、『神足通』でも用いたのかな――。どおりで、来るのも去るのも速いはずだ!」
スロダーリャは、クラハーヨに、引き続きセルナスの様子を探るように命じた。
「神通力」の持ち主とは、また、とんでもない人物と知り合ってしまったものである。
書状にも、何か特別な仕掛けがしてあったかもしれない。燃やしてしまって正解だった。
それに、いつまでもこの件にばかり関わってもいられない。
スロダーリャには、次の仕事が控えている。
「近いうちに、今度はサクティマラタック王国から、第二十六王女様が嫁いでこられる。そちらの情報もしっかり集めておいてくれ。
今回のようなしくじりを繰り返したくはない。わたしも文書庫に通って、いろいろと調べてみよう。そして、わたしが自分で、姫君の迎えに行くことにするよ」
二人はようやく寛いだ顔になり、新しいルーペヤ酒を一壜、主に頼んだ。
*
「えっ!? お、俺一人で、姫様をお迎えに行くのですか?」
「そうだよ。見ての通り、わたしは腰を痛めて外出どころではない。わたしの名代として、イルに国境まで花嫁を引き取りに行ってもらいたいのだ」
スロダーリャに仕える侍女に呼ばれ、イルは慌てて白孔雀宮の執務室へやってきた。
来てみれば、いつも仕事に追われ座る暇もないと嘆いているスロダーリャには珍しく、どっかりとソファに腰を下ろし、侍女が入れた茶をのんびりと飲んでいた。
そして、いきなりイルに、サクティマラタック王国の王女を迎えに行くよう命じたのだった。
「スロダーリャ様が、お出かけにはなれないご様子だということはわかりましたが、ほかの侍従や侍女どのに頼むことはできないのですか?」
「おおぜいで出かけたのに、一番大事なことを見抜けなかった連中だ。ただでさえ今回は、いろいろと訳ありの婚姻なのだ。彼らには、とても任せておけない。
それに、少々事情があって、婚姻の儀が執り行われるまで、あまり姫の存在を知らしめたくはないのだよ。万事良く気が利くイルが、一人でひっそり出かけて、目立たぬように姫様を連れてきてくれないか?」
積み上げたクッションへ寄りかかるように座り、しきりに腰をさすっているスロダーリャを見ながら、人の良いイルは、すぐに心を決めた。
「承知しました。えーっと、馬車とか馬はどういたしますか?」
「王都からは、歩いても一日ちょっとの距離だ。姫様にも歩いていただこう。もし、馬や馬車に乗っておいでになったらお返しして、できるだけ人目につかぬように王都までお連れしてくれ」
「わかりました」
イルは、あえて細かい事情は聞かないことにした。
嫁いできたことを公にしたくないというのは、よほどの理由があるからだろうが、イルがそれを知る必要はない。イルの役目は、無事に姫を王宮まで連れてくることだから――。
スロダーリャは、懐から一枚の紙を取り出しイルに渡すと言った。
「これが姫様の姿絵だ。よく見てから出かけるのだよ。隅の方に、わかる限り姫様の体の特徴も書いてある。必ず、本人であることを確かめて連れてきてくれ。出発は明後日だ」
「安心してお任せください! 必ず、無事に姫様を王宮までご案内いたします」
それからの二日間、素直なイルは、暇があれば絵を眺め、姫の姿を頭にたたき込んだ。
あまりに熱心に絵を見ていたので、それに気づいた者が、「おやおや、とうとうイルにも好きな娘ができたのかい?」と冷やかすこともあったが、曖昧に笑って誤魔化した。
そして、二日後――。
国境に向かって出発するときには、姿絵を見なくても、そっくりな絵が描けるほどに、イルの心には姫の姿がしっかり焼き付けられていたのだった。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
「薔薇と茶会と婚約解消と」は、これにて完結です。
番外編は、少しファンタジー色を出したくて、おかしな人(?)を登場させてしまいました。
「嫁入り旅 二日目」も準備中です。お付き合いいただければ幸いです。