薔薇と茶会と婚約解消と その一
番外編の第二弾です。長くなってしまったので、今日から明日にかけ四分割して投稿します。
嫁入り旅の続き(もう少しお待ちください)ではなく、それより少し前のお話です。
主人公は、スロダーリャです。
「替え玉!? ツェリーニ様が!?」
「間違いございません。半月前、ラマイベ大公国から嫁いでこられたのは、ツェリーニ様ではなく姉君のカスタニャス様の方です」
「しかし、事前に手に入れていた姿絵にそっくりであったぞ。首の黒子の位置も――。」
「もともと大変よく似た姉妹なのです。黒子は、おそらくつけ黒子でありましょう」
ここは、「気の荒い雌牛亭」――。王都でも五本の指に入る、料理自慢の居酒屋だ。
店内では、仕事を終えた老若男女が、今日一日の疲れや憂いを癒やそうと、賑やかに酒を酌み交わしていた。
その喧騒から逃れるかのように、カウンターの端のほの暗い場所に陣取り、貴族の家の執事風の若い男と出入りの商人と思われる年齢不詳の髭面の男が、声を潜め熱心に語り合っていた。
若い男は、実は女性である。
王女として生まれたが、訳あって今は王宮で侍従として働くスロダーリャだ。
そして髭面の男は、彼女の最も信頼する間諜の一人クラハーヨ。
スロダーリャは、クラハーヨから「極秘裏にお伝えしたき事あり」との知らせを受け、王宮の外にある自宅からこの店へやってきた。
「いったいなぜ、そのような大それたことを――」
「申し上げにくいことなのですが、その……、ツェリーニ様は、お腹にお子がいらっしゃるようです……」
「馬鹿な! 第二十三王子様の婚約者なのだぞ! 相手は誰かわかっているのか?」
「大公家の下回りの女たちの話では、お抱えの若い画家ではないかと――」
「はあ?」
ツェリーニは、ラマイベ大公国の第三公女である。
大公国は、チューロデーサ王国の北方に位置する小さな国だ。
群雄割拠の時代が終わり、国家統一が進む中、小国であるにも関わらず全能神が降り立った聖なる地であることを理由に独立を貫き、今日にいたっている。
聖地巡礼者たちを主たる客とする観光業以外、これといった産業もない小国が生き残ってこられたのは、大国チューロデーサの庇護があったからこそである。
何かというと歴史と伝統を誇り、気位ばかりが高い大公国から、公女や公子を王族の嫁や婿として迎え入れ、王国は姻戚として大公国を支え続けてきた。
今回の婚姻もそうした「お決まり事」の一つで、大公国から持ち込まれたものだった。
「末っ子のツェリーニ様は、わがまま放題にお育ちの方で、この政略結婚をどうしても受け入れたくなかったようです。肖像画のモデルをしながら、いろいろと愚痴を聞いてもらっているうちに画家と――ということでしょう」
「カスタニャス様は、侯爵家に嫁いだものの一年後に夫が亡くなり、お子様もいなかったので大公家へ帰された出戻りだ。おそらく、妹を哀れみ、ご自分からすすんで替え玉役を引き受けたのだろう。
正式な手続きを踏んで、婚約者をツェリーニ様からカスタニャス様に代えることもできたはずだが、さすがに王子妃として出戻りを押し付けるのは、向こうも気が引けたということだろうね。
だからといって、替え玉として寄越すとは――。面倒なことをしてくれたものだよ」
「それが……、事態はさらに込み入ってきておりまして――」
「込み入ってきた? これ以上に?」
自分の不始末であるかのように、困り果てた顔で頭を掻いているクラハーヨの盃に、なみなみとルーペヤ酒を注ぐと、スロダーリャは話を続けるよう促した。
「ありがとうございます。実は三日前、カスタニャス様の亡くなった御夫君の弟である、ドュルクスナ侯爵家の御次男アペルジナス様が、カスタニャス様を自分の妻に迎えたいと大公家に申し出たのです。
アペルジナス様は、五年前に実家に戻されたカスタニャス様をずっと慕っておられたようです。先日ようやく十八になられ、正式に結婚を申し込まれたということです」
スロダーリャは、口の中を空っぽにしておいて良かった――と思った。
何か口に含んでいたら、間違いなく吹き出していただろう。
兄亡き後、兄の妻を弟が娶るというのは、無い話ではない。
だが、カスタニャスは今年二十四だから、アペルジナスより六つも年上だ。
噂はあっても本気で求婚してくるとは、大公家も考えていなかったのだろう。
「カスタニャス様は、そんなことになるとはつゆ知らず、妹の替え玉を引き受け我が国へ嫁いできてしまったというわけか――。しかし、事情を知らないドュルクスナ侯爵家は、簡単には引き下がらないだろうな?」
「大公様は、とりあえず時間を稼ぐため、カスタニャス様は病の床に伏していることにしたようです。しかし、侯爵家の使者が、連日見舞いの品を持って大公様の居城を訪れ、先日はとうとうアペルジナス様自らお訪ねになったとのことです」
大公家が困り果てているのは間違いない。
しかし、「いにしえより全能神の加護を受けし高貴な家柄」の人々は、けっして人に頭を下げようとはしない。
やっかいな人々だが、ここは下手に出て恩を売り、早めに解決してやるのが得策とスロダーリャは考えた。
「婚姻の儀までは、あと十日ほどだ。ぐずぐずしている暇はないな。大公家で、交渉相手になってくれそうな人物に心当たりはあるか?」
「お二人の兄上であり、大公家の御次男であるセルナス様はいかがでしょう? ノウスタージャ王国の大学で、宗教学の研究をなさっておられるのですが、急遽、帰国されました。今回の件について、何の相談もなかったことをたいそうお怒りになっているようです」
大公家にも、自分と同じような変わり者がいるとわかり、スロダーリャは苦笑いした。
跡継ぎでもないのだから、のんびりと居候暮らしをしておればよいものを、外国に渡って大学で研究者をしているというのは、いったいどんな人物なのだろう。
「わかった。さっそくセルナス様に書状をしたためよう。替え玉を差し出した事情もカスタニャス様の再婚の件もこちらはすでに把握していて、その上でなにもかも丸く収めるために力を貸すと持ちかけてみようと思う。
大公家としては、こちらが上に立つのは面白くないかもしれないが、セルナス様が、わたしが思い描くような御仁なら、きっと話に乗ってくるはずだ」
スロダーリャは支払いを済ませ、一足先に店を出た。
カスタニャスをラマイベ大公国へ帰す方法については、一つ思いついたことがあった。もちろん、素知らぬ顔でお妃教育を受けているカスタニャスに、何もかも承知している事を伝え、計画への協力を求める必要はある――。
自宅へ戻ると、スロダーリャはさっそくセルナス宛ての書状に取りかかった。