嫁入り旅一日目 ~奔星祭~ <後編>
「ああっ……、あの、何となく予想はしてましたけど……」
「たぶん、ご主人は、イルどのとわたくしを夫婦だと思われたのですね……」
二人の前には上等な掛け布に覆われた、たいそう寝心地の良さそうな大きな寝台が一台だけあった。
「シシル様は、旅の疲れもあるでしょうから、ここでゆっくりお休みになっていてください。俺は、居酒屋でも回って時間をつぶしてきます」
「いいえ、ずっと歩いていたイルどのの方がお疲れのはずです。わたくしは、馬屋につないだマトヴァリシュの様子を見てきます。あそこには、敷き藁もありましたし――」
しばらくの間、二人は相手のことをいたわり、寝台を使う権利をしつこく譲り合った。
だが、実は二人ともさほど疲れてもおらず、眠いわけでもないらしいということに気づき、一緒に町へ出かけてみようということになった。
一番疲れていると思われるマトヴァリシュを馬屋で休ませて――。
町は、奔星祭に浮かれる人々で大いに賑わっていた。
いたるところで篝火が焚かれ、居酒屋からは楽しげな笑い声や歌声が聞こえてきた。
イルは、シシルスランガの隣にぴったり貼り付き、あたりに目を配っていた。
連れ立って歩いていると冷やかされることも度々あったが、イルはにっこり笑い返すだけで相手にしない。
それでも、人を押し分けて店に入る勇気はなくて、二人は屋台で買った温かな飲み物を手に、早々に神殿の前庭に行き着いてしまった。
真夜中まで一時以上あるというのに、前庭はすでに人でいっぱいだった。
「そこのお二人さん! 腰が冷えると体に毒だよ! 敷物を借りないかい?」
手織りの敷物を何枚も抱えた老女が、元気に声をかけてきた。
イルは麻袋の中から金入れを取り出し、老女の言い値通りに借り賃を支払った。
そして、神殿の屋根がよく見える場所を探し、石畳の上に借りた敷物を広げた。
二人は、少し距離を取り、その上に並んで座った。
それだけで少し気恥ずかしくなったイルは、照れ隠しに思いついたことを口にした。
「な、流れ星を見るだけでしょうに、ず、ずいぶんとみんな楽しそうですね?」
すぐ近くに母親と座っていた八つぐらいの女の子が、イルの言葉を聞きつけると呆れた顔で言った。
「お兄さん、何にもわかってないね! 奔星祭ではね、星と一緒に天から降りてきた魂が、あたしたちの願いごとを聞いて、天に戻ったとき神様にそれを伝えてくれるんだよ。神殿は、神様に一番近い場所だから、みんなここに集まってくるんだ」
「へえ? 流れ星に願いごとをすれば、それを神様に伝えてもらえるのか? そりゃあ、ありがたいことだな」
「そうだよ、お兄さん。だからね、星が流れるのをぼうっと見てちゃだめ。どうしてもかなえて欲しいことを、一生懸命お願いしなくちゃ。でもね、欲張っちゃだめだよ! 本当にかなえて欲しいことを一つだけ、何度も何度もお願いするんだよ」
「わかったよ。よく考えて一番かなえたいことをお願いするよ! 教えてくれてありがとうよ、お嬢さん!」
女の子は、イルに「お嬢さん」と呼ばれ気をよくしたのか、ポケットから小さくて香りの良い果実を一つ取り出し、そっと彼に手渡した。
そして、彼の耳元に顔を近づけると、小さな声で言った。
「タッキラーサの実だよ。二人で分け合って食べると、幸せを分け合える仲になれるんだってさ――。あたしには、まだそんな人はいないから、お兄さんにあげるね」
女の子は、意味ありげな目線をシシルスランガに向けてから、母親の隣へ座り直した。
イルは、果実を二つに割って、一方を何も言わずにシシルスランガに渡した。
そのとき、まわりの篝火が一斉に消され、あたりが真っ暗になった。
まもなく最初の星が、神殿の屋根の上の夜空を横切った。
*
たくさんの星が流れ、たくさんの魂がこの世界へ戻り、たくさんの願い事が伝えられた。
東の空が微かに明るみを帯び始めた頃、多くの人々は祈り疲れ、静かに眠りについていた。
イルとシシルスランガは、相変わらずほんの少し離れて敷物の上に座っていた。
シシルスランガは、そっと欠伸をかみ殺しながらイルに尋ねた。
「そろそろ奔星祭も終わりでしょうか?」
「そうですね。流れる星の数が、すっかり少なくなりましたからね」
イルも欠伸をこらえながら、シシルスランガに答えた。
イルが口の中で繰り返し唱えていた願いごとが気になっていたシシルスランガは、不躾かと思いながらも彼に問いかけずにはいられなかった。
「あの……、イルどのは、何をお願いしたのですか?」
「えっ!? あ、ああ……、そりゃあ、第二十八王子様とシシル様が、お幸せになられますようにって……」
「まあ……、わたくしの幸せをお願いしてくださったのですか?」
「当たり前じゃないですか! シシル様を無事に王宮へお届けするのが俺の仕事です。お届けしたのち、シシル様には、王宮で王子様と末永くお幸せに暮らしていただきたいと思っています」
ちょっと頬を熱くしながらイルが胸を張って言うと、シシルスランガは、恥ずかしそうに微笑んでうつむいた。
吹き寄せてきた夜明け前のひんやりとした風が、二人の熱をほどよく冷ました。
「ところで、シシル様は何をお願いされたのですか?」
「わたくしは……、この世界が、もっともっと平和になりますように――とお願いしました」
そう言うとシシルスランガは、中央山脈がそびえ立つ方角へ目をやった。
山脈の向こうにあるメンジザバール王国では、王位を巡る内乱がようやく終結し、国情も安定しつつあった。新国王のもと、着々と復興も進んでいる。
しかし、内乱中に隣国のチューロデーサ王国やサクティマラタック王国へ逃げ出した人々の多くは、まだまだ安心できない祖国へ、すぐには戻れずにいた。
幼い頃からシシルスランガを愛で、たくさんのことを教え育ててくれた老侍女は、メンジザバール王国の生まれだった。
母国を懐かしんでいたが、内乱のため、とうとう再びその地を踏めぬまま亡くなった。
シシルスランガは、今夜降りてきた星が、老侍女の魂も運んできてくれた気がしていた。
(婆や、わたしの願いを神様にお届けしてね――。メンジザバール王国が平和になって、婆やが育ったコッカ谷の村にも、穏やかな日々が訪れることを祈っているわ。いつの日か、婆やが教えてくれたグオングアを持って、コッカ谷へ行くことがわたしの夢よ――)
チューロデーサ王宮で、どんな運命が自分を待ち受けているのか――、嫁入りが決まってから今日まで、人には言えない暗く冷たい思いを抱え、シシルスランガは暮らしてきた。
嫁いだが最後、王宮に閉じ込められ、二度とそこから出してもらえないかもしれない。
異国から来た姫が、そのような扱いを受けることはけっして珍しくはない。
だが――、今、目をきらきらさせながら、彼女の言葉を聞いている青年の存在が、こちかぜのようなぬくもりで、彼女の冷え冷えとした心を温めてくれていた。
(イルどののような人が育った国ですもの。チューロデーサ王国は、心優しい人々が穏やかに暮らす素晴らしい国に違いないわ。きっと、第二十八王子様だって――)
シシルスランガが、期待を胸に見上げた空を、小さな明るい星が流れていった。
すると、それを見たイルが叫んだ。
「おおっ! 今の流れ星、薄い青色をしてましたよね! オンターラ爺さんの瞳の色にそっくりだ! きっと爺さんの魂が乗っていたに違いありません! 爺様―っ! 俺はここですよーっ! 俺の願いを必ず神様に伝えてくださいねーっ! いや、俺の願いよりシシル様のでっかい願いの方を先にお願いしまーす! この世界をもっともーっと平和にしてくれるよう頼んでくださいよーっ!」
夜空に向かって手を振るイルを、周囲の人々がクスクス笑いながら見ていた。
だが、迷惑そうに文句を言う者はいなかった。
なぜなら、イルの言葉は、この場に集まった全ての人々が心に思っていたことだったから――。
地平線が輝き始めていた。
流れ星は、もう一つも流れてこない。
奔星祭は終わったのだ――。
星に乗って降りてきた魂たちは、人々の願いを神の元へ運ぶため、朝の光と共に再び天の扉へと帰っていく。
眠いはずなのに、晴れ晴れとした顔で朝焼けの空を見つめるイルを、不思議な親しみを感じながら、シシルスランガはじっと見上げていた。
チューロデーサ王国での嫁入り旅の二日目が、希望と共に今、始まろうとしていた――。
嫁入り旅の一日目は終了です(お話の中では、二日目が始まっていますが)
「嫁入り旅二日目 ~青い鳥~」(仮)も近々投稿しますので、また、お付き合いいただければ幸いです。