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嫁入り旅一日目 ~奔星祭~ <前編>

「オーヒーーッ!」


 マトヴァリシュが突然大きな声で鳴いたので、驚いたシシルスランガは、鞍から落ちそうになった。


 暖かな日差しに包まれ、ずっと平坦な道を進んできたので、いつのまにかうとうとしてしまっていたようだ。

 慌てて姿勢を正し、伸び上がって辺りを見回すと、路肩の木の下に人がうずくまっているのが見えた。

 

 イルは、手綱を放して、すでに木の下へ駆け寄っていた。

 シシルスランガも、急いで下馬し後に続いた。


「お爺さん、どうしたんですか? どこか具合でも悪いんですか?」


 しゃがみ込んでいる老人のそばに座り、麻袋から水筒を取り出しながらイルが尋ねた。

 シシルスランガは、イルが老人を抱き起こすのを手伝った。


「あ、ありがとうよ……、お若い方……。隣村からニンジンや芋を運んできたのだが、急に腰が痛み出してね……」


 老人の後ろには、大きな籠がひっくり返っていて、あたりには籠からこぼれ出たニンジンや芋がいくつも散らばっていた。

 シシルスランガは、鼻息を荒くしてじぃっとこちらを見ているマトヴァリシュをひと睨みしてから、急いでそれらを拾い籠の中へ放り込んだ。


 イルが手渡した水筒の水を飲み、老人は、ようやくひとごこちついたようだった。

 イルの肩に掴まりながら、何とか立ち上がったが、背を伸ばすと腰が痛むらしく、近くの木にもたれかかって立っていた。

 

「どうですか、少しは歩けますか? 籠を背負うのは……、とても無理そうですね」

「腰が痛くては、マトヴァリシュに乗るのも難しいですね? どういたしましょう?」


 老人に行き先を尋ねたところ、この少し先にある大神殿のそばの宿酒場だというので、イルはそこまで彼を背負っていくことにした。

 シシルスランガは、老人を背負ったイルに手を貸し、籠をマトヴァリシュの背にくくりつけると、手綱を引いて後ろを歩き出した。

 老人は疲れていたのか、しばらくするとイルの背で眠ってしまった。


「すみません、シシル様。何だかおかしなことになってしまいまして――」

「いえいえ。ご老人の行き先が宿屋だったなんて、宿を探す手間が省けて助かったではありませんか――。良いお方と巡り会えたことを、神に感謝したいくらいですわ」

「でも――、どんな宿だかわかりませんよ?」

「フフフ……、どんな宿でも、敷き藁ぐらいはありますでしょう?」

「そりゃあ、それぐらいはあるでしょうが――」

「たった一晩ですもの、それで十分ですよ!」


 マトヴァリシュの鼻面を撫でながら、シシルスランガが微笑んだ。

 籠を積んでも鞍の上には座れるので、イルは、ロバに乗ってはどうかとシシルスランガに勧めたのだが――。


「籠の野菜だけでも重いのに、わたくしまで乗ってはマトヴァリシュが可哀想です。わたくしは手綱を引いて歩いていきます」


 そう言って彼女は、頑としてマトヴァリシュに乗ろうとしなかった。

 イルは、文句も言わず、にこにこしながらついてくるシシルスランガを見て、(シシル様は、ちょっと変わったお姫様だな)と思った。


 いくら子沢山なサクティマラタック王家の二十六番目の王女でも、お姫様はお姫様だ。

 匙より重い物は持ったこともなく、風や雨にも当たらずに生きてきたのに違いない。

 それが、先ほどからニンジンや芋を拾い集めたり、籠を抱えてロバに積んだり、薄紅色の布靴が汚れるのも気にせず、当たり前のようにイルを手助けしている。

 その上、重くなるとロバが気の毒だから、自分はロバには乗らずに歩いて行くと言う。


 嫁入りに付き添ってきた従者は、たった三人――。

 彼らは別れを惜しむこともなく、シシルスランガをイルに託すと、役目は終わったとばかりにさっさと帰っていってしまった。

 どういうわけかチューロデーサ王国からの迎えも自分一人で、ずいぶんと簡単なものだったから、向こうのことばかりを悪くは言えないのであるが――。

 とうのシシルスランガはというと、そういう状況を嘆いたり怒ったりすることもなく、楽しんでいるようですらある。


 なんとも不思議な姫様ではあった。

 変わっていて不思議ではあるが、優しくて感じの良い姫様でもあった。

 王宮までの二日間の旅は、考えていたよりも愉快なものになりそうだな――、とイルは思った。


 *


「おお、そこじゃ、そこじゃ! あの建物じゃよ! 助かったぞ、お若い方々!」


 いつの間に目を覚ましていたのか、老人が大きな声を出して指さしたのは、大神殿の門から程近い場所に建つ、立派な店構えの宿酒場だった。

 驚いたイルの後ろで、シシルスランガの小さな笑い声が聞こえた。

 「ほら、心配することなんてなかったでしょう?」と言っているようだった。


「お若い方、下ろしてくれるかな? 安心したら急に厠へ行きたくなった。わしは、庭の厠へ行ってくるから、先に宿屋へ声をかけておいておくれ」

「厠へ? それなら、そこまで背負っていきますよ」

「いやいや、あんたの背中で少しばかり眠ったら、すっかり腰は良くなった。一人で行けるよ」


 下ろしてやると、老人はすたすたと中庭の奥へ歩いて行ってしまった。

 ふらつきもせず足取りも確かだったので、今度はシシルスランガも目を丸くした。

 イルが、宿屋の扉を開け家人を呼ぶと、主人と思われる中年の男が姿を現した。

 男は、イルのいかにも旅人らしい格好を見て、すまなそうな顔で言った。


「申し訳ないが、今夜は『奔星祭(ほんせいさい)』なものでね、空いている部屋はないんですよ。ほかの宿をあたってください」

「えっ!? あっ……、いや、その……。俺は、王都で便利屋をしているイルって者なんですが、こちらへニンジンや芋を届けにきたお爺さんが、腰を痛めて道で難儀をしていたんで連れてきました。ニンジンや芋は、どこへ運んでおけばいいですか?」

「ニンジンや芋? 爺さんが? そんなことを頼んだ覚えはないんですが……」

「おかしいなあ……。お爺さん、何か勘違いしているんですかね?」

「あなたが会ったのは、どんな爺さんでしたか?」


 宿屋の主人に尋ねられ、イルは思いつくままに老人の容貌や服装を説明した。

 イルの話を聞くうちに、宿屋の主人の顔つきが少しずつ変わり始めた。

 そして、老人が庭の厠へ行ったことを伝えると、主人は慌てて厠へ向かった。

 何やらおかしなことになってきたなと思いながら、イルは主人を追いかけた。

 シシルスランガは、マトヴァリシュを連れてイルの後に続いた。

 

 妙なことに、厠には誰もいなかった。

 中を確かめた宿屋の主人は、小さな布帽子を手にして厠から出てきた。


「それ、お爺さんが被っていた帽子ですわ!」


 シシルスランガの言葉を聞くと、主人は、「やっぱりな」と呟きながら顔を歪め、泣き笑いのような表情になって言った。


「あなた方が会ったという爺さんは、たぶん、去年亡くなったうちの親父です。ご存じかと思いますが、奔星祭は、年に一度、開いた天の扉から、死者の魂が星に乗って降りてくるのを迎える祭りです。

うちの親父は、せっかちな男でしたから、一番たくさんの星が流れる今夜を待たずに、先に降りてきちまったんでしょう――。

この帽子は、親父と一緒に墓に埋めたはずなんですが、自分が降りてきたことを知らせるために届けに来たんでしょうかね?」


 イルもシシルスランガも、何も答えられなかった。

 二人は、確かに老人と言葉を交わし、彼を助け起こして水を飲ませた。

 イルは、老人を背負い、その重さを感じながらここまで運んできた。

 シシルスランガも、野菜の詰まった重い籠をマトヴァリシュの背に乗せて――。


 だが――、気づけばマトヴァリシュの背には、鞍が乗っているだけで、いつのまにか籠は消えてしまっていた。


 夢でも見ていたような気分になって、イルとシシルスランガは顔を見合わせた。

 死者と関わったかもしれないのに、二人とも恐ろしい目にあったとは思っていなかった。

 老人の安らかな寝顔を思い浮かべると、むしろ、死者の魂を家へ送る手伝いができて良かったという気持ちになっていた。

 そんな二人の胸の内を察したのか、主人もほっとしたような笑みを浮かべ話を続けた。


「宿屋の方はいっぱいなんですが、母屋の客間は空いております。お二人は、親父をここまで連れてきてくださった恩人だ。ぜひ、そちらにお泊まりください」


 主人のありがたい申し出に、二人は揃ってうなずいた。

 奔星祭への期待で沸き返る宿酒場で食事をご馳走になり、その後、母屋の客間へ案内された。

 

「星は、神殿の屋根のあたりへ、真夜中頃に降り注ぎます。それはそれは美しいものです。一寝入りしてから、神殿の前庭へお出かけになるといいですよ。今夜は、どこの店も一晩中開いております。神殿周りにはささやかな市も開いております。それでは、どうぞごゆっくり――」


 何の悪気もない様子で、主人は部屋を出て行った。

番外編までお付き合いいただき、ありがとうございました。

<後篇>も本日中に投稿する予定です。

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