馬に乗った花嫁
最終話となります。よろしくお願いいたします。
昼過ぎに到着したメンジザバール王国の家臣団は、全部で五十名ほどだった。
まとめ役を務めていたのは、メンジザバール王国の副宰相で、タハトイルリリム四世の乳兄弟にあたるループタッドという人物だった。
ザーラハムーラ王妃をよく知る彼は、謁見の間でイルことイルマプール王子と対面した途端、大粒の涙を零しその場にひれ伏した。
「なんという喜び! このお方は、陛下とザーラハムーラ前妃の間にお生まれになった王子様に間違いございません。
チューロデーサ王国で立派にお育ちになっていることがわかり、お目にかかれる日を心待ちにしておりました。イルマプール様、あなた様を慎んでメンジザバール王国へ王太子としてお迎えいたします」
後先が逆になったことは気にもとめず、ブーヴァンゾ三世は、ザーラハムーラ妃から預かった、アリエージ首長国に宛てたタハトイルリリム三世の書状を、証拠の品としてループタッドに手渡した。
そして、はるばる中央山脈を越えてきた家臣団をねぎらい、ザーラハムーラ妃との約束を果たし、イルマプール王子を帰国させられる日が来たことを喜んだ。
その後は、国王に代わりスロダーリャが、これまでの経緯をまとめた文章を、情感を込めて読み上げた。
メンジザバール王国の家臣団だけでなく、同席したチューロデーサ王国の家臣や王家の人々も、溢れる涙を拭うことも忘れ話に聞き入った。
「最後にもう一つ、めでたき知らせがございます。先日、イルマプール王子との婚儀のために、隣国サクティマラタック王国より第二十六王女シシルスランガ様が、お越しになられました。シシルスランガ様、お出ましください!」
謁見の間の隣室から、二人の侍女にかしずかれたシシルスランガが姿を現した。
チューロデーサ独特の繊細な刺繍が施された、華やかな礼装を身にまとったシシルスランガの美しさに、謁見の間に集まっていた人々から響めきが起こった。
ブーヴァンゾ三世が、すこしだけ残念そうな顔をしたので、スロダーリャは国王の足を軽く蹴飛ばしておいた。
<サクティマラタック王国の第二十六王女、シシルスランガでございます。不束者ですが、何とぞよろしくお願いいたします>
美しい発音のメンジザバール語で、にこやかに挨拶をしたシシルスランガは、たちまち家臣団の心を掴んでしまった。
満足そうにその様子を見守っていたスロダーリャは、スードウコティヤ四世からの書状を掲げ、ゆっくりと家臣団に示しながら言った。
「この縁談は、メンジザバール王国の内乱に心を痛めたチューロデーサ、サクティマラタック両王国の国王陛下が、平和な未来を願って取り決めたものでございます。このように、サクティマラタック王国の国王陛下は、シシルスランガ様が貴国の発展に寄与できることを喜んでおり、おそらくは、そのためならいかなる助力も惜しまぬおつもりです。
幸いお二人は、互いを慕い、深い愛情を感じ合う仲となられております。シシルスランガ様は、イルマプール様のためならば、いまだ王弟派の残党が良からぬ企みを繰り返すメンジザバール王国へも、怯まず嫁ぐと仰ってくださいました。よもや、メンジザバール王国にこの縁談に異を唱える方などおられませんよね?」
スロダーリャの厳しい物言いに、家臣団は「ははあ」と声を揃え、深く頭を垂れた。
王宮で騒ぎを起こした連中については、事前にループタッドからチューロデーサの法に従い、厳重に処罰してかまわないという言質を得ている。
また、彼らの証言により、今回の襲撃を計画した者が王弟妃ヴァルタティクサの弟で、長らく行方をくらましていたセウルバグーグ元内務副大臣であることもわかっていた。
彼は、襲撃の失敗に気づき、王都を出てサクティマラタック王国との国境へ逃れようとしたところをチューロデーサ国境警備隊に見つかり、すでに取り押さえられたとの連絡が届いていた。
スロダーリャは、全員まとめて絶海の孤島グージラソルタージャ島へ送り、絶壁に作られるウミツバメの巣の掃除をさせるつもりでいる。もちろん、生涯をかけて――。
その晩は、盛大な宴が開かれ、イルマプールとシシルスランガの旅立ちを祝った。
ラトヤンスカやダーニマンチェも王宮に呼ばれ、イルマプールとの別れを惜しんだ。
二人は、オンターラやダーニマンチェの妻が眠る霊園のある神殿で、墓守をしながら本当の余生を過ごすということだった。
顔馴染みの文書庫の門番がラトヤンスカだとわかり、スロダーリャは何となく老人たちの企みを察したが、にこにこ顔の二人を見て細かいことを問いただすのはやめた。
そして、長い長い務めをようやく終える彼らに、離れた場所からそっと頭を下げた。
その二日後、メンジザバール王国の家臣団と共に、イルマプールとシシルスランガは、多くの人々に見送られチューロデーサの王宮を出発した。
あまりにもほほ笑ましい二人の姿は、その後も人々に長く語り継がれることになった。
*
その少し前のこと――。
「ええっ!? イルマプール様は、馬にお乗りになれないのですか!?」
「そんなに驚かないでくださいよ! 俺にとっての馬は、荷車を引かせたり、誰かを乗せて手綱を引いたりするものだったんです。自分が乗るなんて、とんでもないことです。俺は、マトヴァリシュを連れて行列の後から着いていきますよ」
共有語で交わされた二人の会話の中身を知った家臣たちは、大いに慌てた。
王子がロバを引いて歩いてついてくるなど、あり得ない話である。
途中で中央山脈を超えるため、馬車を使うことは難しく、みんな頭を抱えてしまった。
そもそも、内陸にあり、起伏に富んだ地形のメンジザバール王国では、馬は重要な交通輸送手段で、人々は幼い頃から乗馬の稽古を始める。
大人になって、馬に乗れない者などいないのだ。
王子が歩いて移動するとなれば、家臣たちも当然下馬しなければならない。
ループタッドが腹をくくり、家臣団全体に下馬するよう命令を下そうとしたとき、シシルスランガが、さも嬉しそうに言った。
「それならば、力がありそうな馬に鞍を二つつけてもらって、わたしと一緒に乗っていきましょう! イルマプール様は、後ろの鞍にお乗りになってくださいな。わたしが手綱を持ちますから、しっかりわたくしに掴まっていてくださいませ!」
メンジザバールの王宮には、異国で育った王子を王太子として迎えることに、不安を口にする家臣も少なからずいた。
しかし、もはやそんな心配はいらないようである。
メンジザバール語を流暢に話し、馬を巧みに操る花嫁は、人が良く気のいい王子をけなげに支え、内乱で傷ついたメンジザバール王国に幸せをもたらすに違いない――。
シシルスランガとは、「涼しい風」――。
イルマプールとは、「清らかな水」――。
少しばかり熱く乾いたメンジザバールの地を、優しく癒やしてくれそうな名前の二人だった。
仲睦まじく笑い合う二人を乗せた馬の後ろに従いながら、ループタッドは王国の明るい未来を確信していた。
* * * お し ま い * * *
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
何とか本日中に完結できました。誤字報告や数々の応援ありがとうございました。