神の計らいであるならば
スロダーリャが、自分の憶測も交えながら、これまでのいきさつを話し終えた頃には、すでに朝を告げる小鳥の声が、木立のあちこちから聞こえ始めていた。
イルは、捕縛され衣服を剥ぎ取られた後、ニルマカーラから合い言葉だけを教えられ、この離宮に閉じ込められたのだった。
中には立派な着替えや食事が用意されていて、囚人というよりは賓客のようなもてなしぶりだったが、人の気配は一切なかった。
事情もよくわからないので、服だけは着て、誰かが現われるまで待ってみることにした。
スロダーリャの話で、ようやくなぜ自分がここにいるのかはわかったが、まだまだ半信半疑のイルは、スロダーリャに確かめずにはいられなかった。
「まだ、何だか夢を見ているような感じなのですが――、俺は、親もわからぬ孤児ってわけじゃなくて、メンジザバール王国の国王陛下の子どもだってことなんですね?
それから、シシルさんが嫁いできた『第二十八王子』というのは、本当は俺のことだったという話ですよね?」
「ああ、そうだ――。イル、そなたには、いろいろと苦労をかけてしまったが、そなたの命を守ろうと深謀遠慮した末、陛下がお決めになられたことなのだ。どうか許して欲しい。
そして、シシルスランガ様、第二十八王子についてきちんとした説明もせず、あなたを不安にさせてしまったことを心からお詫びいたします。
しかし、今や全ての問題は解決しました。明日には到着するメンジザバール王国の家臣団に、お二人を正式な許婚としてお披露目するつもりです。
お二人の、そしてメンジザバール王国の将来のためには、隣の大国であるチューロデーサ王国とサクティマラタック王国が、お二人の後ろ盾として国情に目を光らせているということを知らしめておく方が良いのです。
お二人とも――、もちろん、異論はございませんよね?」
王弟派の残党を捉えたことで、チューロデーサ王国はメンジザバール王国に対し、圧倒的な優位に立つことになった。
この状況であれば、家臣団が何を言おうと、大国の王女であるシシルスランガこそ、王太子の許婚として最も相応しい人物だと押し切ることができるだろう。
偶然とはいえ、襲撃者の出現は、チューロデーサ王国の発言力を強めること繋がった。
スロダーリャが早馬を出して、スードウコティヤ四世の元へ届けさせた書状の返書も、昼までには届くはずだ。
返書には、シシルスランガが、メンジザバール王国の王太子妃となり、王国の平和と発展に寄与できることを心から喜んでいるという言葉が書かれているはずだった。
何もかも、スロダーリャの計画通りに進んでいる――、と思われたのだが……。
「それは、できません!!」
イルとシシルスランガが同時に叫んだ。
二人とも噛み付きそうな顔で、スロダーリャの方へ身を乗り出していた。
「シシルさんをそんな危険な国へ連れて行くことはできません! 俺は、シシルさんには、美しいものをたくさん見て、美味しいものをたくさん食べて、毎日たくさん笑っていて欲しいんです! 人の命を狙ったり陰謀を企んだりする連中がうようよいるところになんか、絶対に行かせるわけにはいきません!」
「わたくしは、第二十八王子様とひっそりと穏やかに暮らすために嫁いできました。そんな、いずれは国王になられるような方の妃になれる立場ではありませんし、教育も受けてはおりません。イルさん、いえイル殿下は、お国に戻りお立場に相応しいお妃様をお迎えになるべきです。わたくしなどが出る幕ではありません!」
二人の言葉を聞いて、スロダーリャは唖然とした。
てっきり二人が、手を取り合って喜びの涙を流すものだと思っていたのに――。
「まったく、お姉様ときたら――」と言って笑い合う、カンドラーマとサムジャサナの顔が目に浮かんだ。
スロダーリャは、ブルブルッと首を横に振った。
「お二人とも、互いのことを思いやるのは結構ですが、本当にそれでいいのですか? ご自分の幸せを良くお考えになってみてください。
イル……、イル殿下は、シシルスランガ様と一緒に楽しく食べたり笑い合ったりする男性が、ご自分以外の誰かでかまわないのですか? シシルスランガ様は、国の思惑で嫁がされてきたお妃が、つまらなそうな顔でイル殿下のお隣にいることを許せるのですか?」
「……」
萎れてうつむいてしまった二人を優しく見つめながら、スロダーリャは最後の一押しをすることにした。
執務室にこもり、手近にいた侍従や侍女に奇異な顔をされながらも聞きだした、たくさんの恋の知識を無駄にしてはならない。
「これは、神の計らいによる運命の恋なのです! ケダパータの池の青い水鳥も、見晴らしの丘に吹き上げてくる爽やかな風も、ウパティヤカーコの花の甘い香りも、恋する者を祝福してくれていたのです。
お二人が結ばれることで、メンジザバール王国は、さらに政情が安定し内乱が再発する懸念もなくなることでしょう。お二人で、互いを思いやることの大切さを、彼の国の人々に身をもってお示しになればよろしいのですよ!」
スロダーリャが目の前にいるというのに、いつの間にか二人は手を取り合い、うっとりと見つめ合っていた。
「神の計らいによる運命の恋」――、その言葉の持つ抗いがたい甘美な響きは、二人の迷いを吹き飛ばしてしまったようだ。
「後ほど朝食を携えて参上いたします。しばしの間、お二人でご歓談ください。それでは、わたしはこれで――」
二人が聞いていないことを承知の上で、静かに挨拶をすませると、スロダーリャは離宮の外へ出た。
眩しい朝の光の中に、誰かが立っていた。
「ニルマカーラ!? どうして、そなたがここに!?」
「どうしてって……、たぶん、馬は一頭いらなくなるのではないかな……、と思いましたもので。王宮警備隊の馬ですから、わたしが引き取りに来ました」
「一人で歩いてここまで来たのか?」
「そうですよ。まあ、不届き者どもを捉えることもできましたし、なかなか気分の良い早朝の散歩でありました」
「ついでに、この離宮の周囲を見回ってくれていたのだろう?」
ニルマカーラは答える代わりに、ニヤリと笑った。
スロダーリャもそれ以上は言わず、ニヤリと笑い返した。
二人は黙って馬に跨がり、離宮を後にした。
その朝、メンジザバール王国の家臣団の先触れが、王宮へ到着した。