襲撃者との対決
突然話し声が聞こえてきたので、シシルスランガは、近くにあった大きな酒樽の陰に隠れた。
<そろそろいいだろう。薬が十分に効いてくる頃合だ>
<本当に、詰所の牢にいるのだろうな?>
<ああ、連れて行かれるときに顔を見た。間違いない、あれは王子だ>
<命を奪うのではなく、連れ帰れというご命令だ>
<まだ、使い道が決まっていないのだろう。人質にするか、傀儡にするか――>
<家臣団の到着も近い。何としても今夜やり遂げよう>
二人の男が話をしていた。
使っている言葉は、大陸の共用語でもチューロデーサ語でもなかった。
この王宮内でシシルスランガが初めて耳にする、メンジザバール語だった――。
(なぜ、このような場所で、メンジザバール語を話しているの? ところどころ、良く聞こえないところがあったけれど、詰所にいる人を連れ出す話をしているようだったわ。それは、イルさんのことかしら?)
サクティマラタック王家の王子や王女たちは、将来外国へ行くことが決まっているので、幼少時から外国語をいくつか学ぶことになっている。
シシルスランガは、大陸の共用語や嫁ぎ先のチューロデーサ語のほかに、メンジザバール語も学ばされた。
中央山脈を挟んでいるとはいえ隣国ではあるので、必要になることもあるのだろうと考えていたが、その知識が思わぬところで役に立った。
動き出した二人の後をつけて、シシルスランガも警備隊の詰所へ向かうことにした。
男たちは、しなやかな身のこなしで、足音も立てずに進んでいった。
彼らは、間諜とか間者とか、ときには刺客とか呼ばれるたぐいの人間なのかもしれなかった。
厨房に一番近い通用門である豊麗門がなぜか開いていて、二人はその横を通り過ぎるとき、門の外に向かって何らかの合図をした。
門の外で、灯りがちらちらと揺れた。二人には、協力者がいたのだ。
近くには馬か馬車が控えているらしく、馬の鼻息や蹄の音が微かに聞こえてきた。
シシルスランガは、暗がりを選んで慎重に二人の後を追った。
ようやく二人は、警備隊の詰所がある別棟の前にたどり着いた。
詰所の扉の前では、隊士が一人座り込んで眠っていた。
隊士は、二人が近づいて体を探っても、ぴくりともしなかった。
二人は、隊士の腰から鍵束を外して、詰所の中へ入っていった。
シシルスランガは、迷った末、詰所がよく見える植え込みの中で待つことにした。
(命は奪わずに連れ帰ると言っていたわ。ここにいれば、あの人たちが目的の人物と一緒に出てくるのが見えるはず。もし、それがイルさんだったら……)
その後どうするかは、考えていなかった。
だが、連れ出されようとしているのが誰であろうと、見過ごすわけにはいかなかった。
メンジザバール語で交わされていた会話からは、陰謀の気配が濃厚に感じられた。
シシルスランガは、嫁いでくるときに父から賜った懐剣を衣服越しに握りしめ、心を落ち着けながら、男たちが詰所から現われるのを待った。
ほどなく、三人の人物が詰所から出てきた。
二人に前後を固められた人物は、布で口を塞がれ、両手を縛られていた。
その人物の足には、囚人用の重りがつけられていて、歩みはひどく遅かった。
(イルさん!?)
背格好が少し違うようにも思えたが、服は、碧玉門で捉えられたときにイルが身につけていたものに間違いなかった。
一瞬躊躇した後、シシルスランガは、懐剣を構え三人の前に飛び出していった。
<お待ちなさい!>
刀を構えた人物から、メンジザバール語で話しかけられたことで、男たちに緊張が走った。
<だ、誰だ!? おまえは!?>
<な、なんで、メンジザバール語で!?>
<良からぬ企みに、その者を利用してはなりません! ここから連れ出すことを許すわけにはまいりません!>
<どうやら、おまえ、俺たちの計画を知っちまったようだな?>
<めんどくせえ! この小僧も一緒に攫っちまおう!>
シシルスランガの出で立ちから、男たちは、彼女を夜回りの見習いの少年と勘違いしたようだった。
前に立つ男が、懐から短刀を取り出すと、シシルスランガに向かってきた。
若い頃は妃や王女たちの警護をしていた老侍女直伝の素早い身のこなしで、男の刃を避けたシシルスランガは、次の攻撃に備え身構えた。
相手が隙を見せれば、狙いを定めこちらから斬りかかるつもりだった。
「グエッ!」
「グァオッ!」
ほぼ同時に、二つの呻き声が聞こえた。
たった今、シシルスランガに襲いかかってきた男が、目の前に倒れていた。
こぶし大の石が側に転がっている。
誰が投げたのかはわからないが、暗がりの中、見事に男の顔に命中したようだ。
振り返ると、もう一人の男も地面に倒れていた。
牢から連れ出されてきた人物の縛られていたはずの両手は、なぜか自由になっていて、どうやらその人物が男を殴り倒したらしかった。
「あなたは、イルさん……、では、ないよう……、ですね?」
近くで見ると、イルの服を着た別人で、彼よりもずっと頑強な体つきをしていた。
その人物は、口を覆っていた布を急いで外すとシシルスランガに声をかけた。
「シシルスランガ様、お怪我はありませんか? わたくしは、王宮警備隊の隊士で、カルチェパルと申します。石を命中させたのは、あちらにおりますバルバフィクサです」
先ほどまで、詰所の扉の前で寝こけているとしか見えなかった隊士が、今はすっくり立ち上がり、右手で石をもてあそんでいた。
シシルスランガは、すっかり混乱して、そこに立ち尽くしてしまった。
塀の外では、馬のいななきにかぶさるように、人々の怒号が飛び交い、さらには激しい剣戟の響きまでもが聞こえてきた。
しばらくすると、松明を掲げた人々が、詰所に向かって駆けてきた。
険しい表情で真っ先にシシルスランガの元へ駆けつけたのは、ニルマカーラだった。