自傷少女を変えたあの夜。
文房具にも、凶器となり得るものがある。コンパスの針は、失明させるには十分。鉛筆も同様だ。
なによりカッターは、包丁と分類が同じ刃物である。耐久性に問題があるにしろ、先端が鋭利であることに変わりはない。下手を打てば、命にも関わる。
「……充希、もうあの日から一年なんだな」
「……うん」
修哉と充希は、幅広の河川にかかっている橋で二人並んで立っている。雲に隠れることなく、満月が二人を照らす。水面に、影が落ちていた。
充希が、おもむろにカッターを取り出した。刃先はカバーに入ったままだ。
「これ……だよね……。私が、頼っちゃってたもの」
刃を一段、二段とせり出していく。鮮血の塊に、銀色が浸食されていた。
充希の左腕には、細長く平行に何本も傷跡が残っている。一年も経っていると言うのに、痕はくっきりとついているままだ。
「一年前も、こうやって夜の橋でこうやってたっけ」
そう言って、腕に切り傷を付ける仕草をした。
「……あの時、修哉と会えてなかったら……。どうなっちゃってたのかな……」
闇夜に一人女の子が立っていて、銀に光るものが見えたその瞬間から、修哉の体は動き出していた。
「カッターを払い落としてくれて、淡々と傷口の手当をしてくれて……」
リストカットをするくらい、精神が追い詰められているのだ。感情的に言い合っても、何の解決にもならない。状態が悪化でもすれば、本末転倒になってしまう恐れがあった。
「『知らない人でも、こんな私に生きる価値があるって言ってくれてる』。そう思うだけで、バカらしくなってきた」
修哉と充希は、別々の高校に通っていた。それでもお互いの電話番号を交換し、細々とやりとりをしていたのである。
「……ええい、こんなの!」
勢いそのままに、充希がカバーをかけたカッターを橋の上から投げ捨てた。河川敷の岩にぶつかり、真っ二つに砕け散った。
因縁をきれいさっぱり消し去った彼女の顔は、どこか晴れやかだった。憑き物が落ちたようで、爽やかな笑顔がこぼれている。
「……修哉。私と……付き合ってください」
充希が、頭を下げた。手には、ハートのシールで留められた恋文が握られていた。
落とさないようにと慎重に手に取った修哉は、心が飛び跳ねるのを隠してテープを外した。
『こういう形で伝えるのも恥ずかしいけど、私は修哉のことが好きだよ。『あのとき助けてくれたから』とかじゃなくて、修哉の優しいところが好き。付き合ってください』
思わず、涙が流れてきた。充希は、そこまでして修哉を想ってくれていたのだ。
「よろしくお願いします」
自殺願望がはやった少女と、ただ自己を大切にして欲しかった少年。一年という歳月をかけて、二人の絆は深まっていった。
今夜は、生涯で一番心躍る夜となった。
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