8ネタめ! 私がペンネームを好きな理由
他に、幾つか候補はありました。
おはようございますか、こんにちわ、あるいはこんばんわ!
歌川 詩季です。
「戸籍名」ぢゃないです。
仕事以外、ほとんど、ひとと交流しないので。
むしろ、こっちが「本名」じゃないかって気がします(笑)
だから、あちらをあえて「戸籍名」と呼びますが。
自分の「戸籍名」。好きじゃないひとって、けっこういるのでしょうね。
血統からつけられる苗字とともに、うまれて最初に、他人に勝手につけられるものですから。
両親からもらった名前なんだから、大事にしろって、ことばもききます。(名づけ親が、ほかにいるかも!)
両親からもらった、からだなんだから。
両親からもらった、才能なんだから。
両親からもらった、境遇なんだから。
わからんでもないですけど。
感謝するとともに。それとつきあっていくのに、苦労も、ともなうものではないのでしょうか。
それが好条件なら。めぐまれてるのに、ぜいたくだ! と、言われてしまいますが。
私も、そこは感謝しています。
行動に反映できていないだけで。
そこを、語り出すと。エッセイが、フルでふたつ、みっつ描けてしまうので、ここらへんで。
ともかく「戸籍名」って、その「両親からもらった」あれこれをひっくるめて、象徴するもの。自分が、自分として形成される以前の、「型」「枠」の名前なんじゃないかなって。
それを、ベースにして、うまく人間形成をしながら、成長できればいいんですが。
私に、それは無理でした。
じゃなきゃ、こんなエッセイ、描いてませんて(苦笑)
感謝はしても、もてあましたり。
それを、ずるく、利用するしかしてこなかったから。
だから、自分の「戸籍名」なんて、好きなわけがない。
下の名前を、好きなひとから「ちゃん」づけで呼ばれるのは好きなだったですけど(笑、恋愛脳!)。
だから、このサイトに投稿するちょっとまえ。漫画のネームを描きはじめてから、ペンネームを使うようになりました。
作詞家としての、サインネームではなく。
物描き(そんな、たいしたものではない)としての、私の人格の象徴として。
まあ、この名前にするまでに、いくらかの二転三転は、ありましたが。
気に入ってるんですよ、この名前。
仲良くなったり、大好きになった先生がたが、呼んでくれるようになりました。
はじめはペンネームなんて、名乗るのも恥ずかしくて。「偽名」みたいなものだったんですけど。
呼んでくださる、先生がたのおかげで。
「歌川 詩季」は、ちゃんとした、私の名前になりました。
「戸籍名」ではなくても「偽名」ではない。
うまれもって手にした、条件の象徴ではなく。
私が、望んで選んだ姿を、あらわすための名前。
だから、きっと。
ほんとの意味での、私の「本名」は「歌川 詩季」なんです。
ちゃんと「戸籍名」も使いますよ(笑)
でも「本名」は、こっち。
「戸籍名」=「本名」なんて、勝手に決めるな!
みなさんも「戸籍名」とは、ちがうけど、って断ったうえなら。「本名」は、好きな名前を名乗っていいんだと、思います。
もちろん「戸籍名」こそが「本名」のかたが多いでしょう。
そもそも、ペンネームや芸名を使われるかたって、そこまで多くはないのかも。
「両親からもらった」ものを、ベースにして。うまく人間形成をしながら、成長してきたかたがたには、それ以外の「本名」は必要なかったり。
ペンネームや芸名を使うにしても、あくまでそれは「偽名」「別名」だったり。
どれか、ひとつが「本名」ではなく、複数の「本名」を使いわけることも。
——そう考えると、名前ってなんなんだろう?
哲学っぽいこと、考えるのって、このエッセイではない気がする(笑)
とにかく、私は「歌川 詩季」です!
気がむいたら、そう呼んでください。
これは、私が、望んでかたちづくった姿の名前。
まぎれもない「本名」なのだから。
非採用の名前は、キャラクターの名前に使うと思います。