2ネタめ! 私が、ひとから好かれるのをあきらめた理由
どっちかって言うと(言わなくても)嫌われ者。
私は。ひとから好かれません。
このサイトの先生がたは、よくしてくれて。
そんなことないよ、とか。
わたしは好きだよ、って言ってくれるかたまでいます。
嬉しい。
その気持ちをむげにするわけでは、ないのをわかってもらいたいのですが。
もちろん、身のまわりにも、いますよ、そういうひと。
でも、「そういうひと」がいるか、どうか、ではなく。
私が、「そういう人間」か、どうか。「ひとから好かれる人間」か——なのです。
ほら、おいしくないたべものでも、「おいしいよ、わたしは好き」って、本心から言ってくれるひともいるでしょう。
でも、そのたべものの本質は「おいしくないたべもの」。
そんな意味で。
私は、ひとから好かれる人間では、ありません。
子供のころは、みんなに好かれる人気者になりたかったんでしょうね。
でも、いまの私は、まるで違う。
いや、いいんですよ。
あたりまえだもん。
だって、私は、ひとから好かれる努力をしていないから。
美男・美女。
うらやましいですか?
容姿だけでも、好かれちゃうこともあるでしょう。
でもね。
あのひとたちだって、がんばって、それを維持してるんですよ。本人が、苦労してる実感があるかは、おいといて。
ぐうたらにしてたり、自堕落にしてたら、美貌も崩れます。
あのかたたちも、自分の美貌が武器なだけに、それを失う恐怖はおおきいんじゃないかな。
容姿じゃなく、性格や、ふるまいが好かれるかたなら、なおさら。
好かれるためなのか、自分があいてを好きだからなのかは、わかんないですけど。
「好き」のために、がんばってらっしゃるはず。
すごいなあ。
でも、私は、そんな努力はしていない。
なのに、好かれたいの?
なに。むしのいいこと、言ってんの?
それは、ずるいでしょ!
だから、わたしはひとから好かれる人間ではありません。
ひとから好かれる人間に、なりたいとも思いません。
ひとから好かれる努力を、できないから。
やらない、いいわけなのも知ってます。
きっと。ここでいいわけしちゃうことこそ、「できない」人間の、その正体なんでしょう。
でも、しかたない。
怠惰って部分は、責められてしかるべき。
だけど、それ以上に。
手にいれたいもののために、費やさなきゃ。
両方、できるひとも、いるはず。
かたほう、あきらめた私は、怠惰で無力です。
だからこそ、受け容れなくちゃ。
私が、ひとから好かれる人間ではないのは。
自分が、怠惰で、無力で。
ひとから好かれる努力を、しないから。
だから、そのぶん。
私は、私の手にいれたかったものに、必死ですがりつきました。
それが、叶うなら、ひとから好かれる人間じゃなくてもいいや。
こんな私に、好意をくださるひとへの感謝は嘘じゃないです。嘘じゃないもん。
好きですって、つたえてある人間には、好かれたいですよ。
叶わないのは——悲しいのか、寂しいのか、悔しいのか、ごちゃまぜでわかんない。
あーあ、あのひとに好かれたいなぁ。
でも、その努力もしていない人間が、言う資格なんてないのです。
それでも。
「わたしは好きだよ」と言ってくれる、ひとのことばと、そこに込められた気持ちは、大事にして。
ひとから好かれる人間ではない自分を。
怠惰で。
無力で。
いいわけしながら。
やっていくしか、できない。
そんな人間。
それが私です。
じゃあ、ひとから好かれない人間でも、しかたない。
きょうも、詩を描こう!
きのうは、すげえの描けたぞ!
小説も描こう!
エッセイもどきも描こう!
マンガのネームも描こう!
へたっぴなイラストも描くぞ!
曲を描いて、へたっぴな歌も歌え!
きっと、それで生きていける。
たりないぶんは、今、「わたしは好きだよ」って言ってくれてるかたたちが、もう、くれているから。
ありがとうございます。
さすがに、それなしじゃ無理!
——あれ? あきらめきれてない? (笑)
んでも、やっぱり好きって言われると嬉しい!