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 ……柔らかい。


 何か柔らかいものに包まれている。

 暖かくて、柔らかくて、心地よい。


 その正体を確かめるべく、俺は目蓋を持ち上げて。


「……お、嬢様……?」


「……おはよう、鉄之助」


 上下逆さのお嬢様が、僕を見下ろしていた。

 ……いや違う。僕がお嬢様に膝枕されていた。


「何をしてるんです、こんな時間……に……」


 そう訊ねかけて、はっと気づく。

 彼女の服装が僅かに乱れている。

 首筋には焼き(ごて)を押し付けたかのような、赤く腫れあがる痛々しい痕と、そして細い傷口。


 それを見た瞬間に、僕は自分の罪を知る。


「……また、やってしまいましたか。僕は」


「……」


 沈黙が肯定していた。

 記憶を探れば、おぼろげながらも思い出せる。


 詳しくどうしただとか、何を言ったかだとか、細かいことはわからないが……彼女の身体を、ただ僕の衝動のままに蹂躙し、あまつさえ取り返しのつかないことになるところだった、という実感だけが残っていた。


「……申し訳ありません」


 自己嫌悪が押し寄せてくる。


 何をやってるんだ、僕は。

 守るべき主をこの手で傷つけるなんて、最低だ……。


 けれどお嬢様は、そんな僕の額に手を置いて、そっと撫でた。


「……いいのよ、鉄之助。私が、貴方に殺されに来たのだもの」


「ですが……それは僕が、自分を……ッ」


「貴方の事情はわかっているわ。そのうえで、私は自分の意思で貴方の部屋を訪れたのよ?」


「…………お嬢様は、お優しすぎます」


「まさか」


 僕の言葉に、お嬢様は一瞬だけ表情に陰を落とした。


「……浅ましくて、ずるい女よ。私は」


「……」


 しばらく、沈黙が横たわる。


 僕とお嬢様の間には、いくつもの複雑な事情や感情が雁字搦めのように巻き付いていて。

 こんなにも近くにいるのに、時折ひどく遠く感じられた。


 やがて、お嬢様がぽつりと呟く。


「………どうしても、行くの?」


「はい。行かなくては、ならないんです」


「……そう。なら…………」


 ぎゅっと目を瞑り、眉根に皺を寄せる。

 次に眼を開いたとき、そこに宿る光は僕の憧れたひとのそれとそっくりで……そのくせよく見ればあの人とは違う、どこか優しく儚い色彩を帯びた瞳で、告げる。


「――ならば、勝ちなさい、鉄之助。必ず勝って、無事に私のところへ帰ってきなさい」


「――はい。僕の全てに懸けても」





 日も落ち切った夜更け。

 帝都の細い裏道を、二人の男が歩いていた。

 共に二本差しの侍だ。


「…………ってえ塩梅よ。どうや、けったいな話やろ」


「くははは、そりゃあ傑作じゃあ!」


 大声で笑いあう二人の足取りは乱れている。

 おまけに頬は紅潮し、目尻もとろんと下がっていた。

 誰が見ても明らかなほど、酒精に酔っているのだ。


「そういえば、お主。嫁っこを貰うそうやないか」


「なんじゃ、誰に聞いたんじゃ」


「アホウ、とっくに噂になっとるわ。随分な器量よしを見つけたらしいのお」


「……チッ。からかうんじゃなか」


 舌打ちする男だったが、その頬はだらしなく緩んでいる。

 そんな彼の肩をばんばんと叩きながら、もう一人の男が豪快に笑った。


「ほんに羨ましいわ。どこでそないな女子と知り合ったんじゃ」


「なぜ教えないかんちゃ」


「そら俺だって……おっと」


 新婚の男を囃し立てていた男の状態がぐらりと揺れる。

 狭い裏道を歩いていたということもあり、その拍子に通りすがった外套姿の男と肩がぶつかった。


「おお、すまんの。怪我は……」


 そこまで言って、言葉尻を途切れさせる男。

 男の連れが不審そうに振り返った。


「なんじゃ、何しとるがか……!?」


 振り返った男の視線の先。

 もう一人の男の胸元から、白刃が生えていた。


「――ッ、なんじゃあああっ!?」


 彼とて腐っても二本差しの侍である。

 咄嗟に腰の得物を抜き放つ男の前で、串刺しにされた男がどさりと(くずお)れる。


 その奥から這い出るようにして、外套を纏い、唐傘を目深に被った男がぬっと姿を現した。

 彼の右手には反りの浅い刀が握られており、その刃は新鮮な血に濡れている。


「何者じゃあ、きさん!」


「――その訛り。土佐藩士、藤岡録朗(ふじおかろくろう)で間違いないな」


「……まさか、きさん……きさんが噂の辻斬りかあああああッ」


 正体を看破した藤岡が、一気呵成に踏み込む。

 白刃が唸りを上げ、外套男の頸動脈目掛け迫るが――。


「――遅すぎる」


 がいいいんっ!

 耳障りな金属音が路地に響く。


「ば、馬鹿な……」


 手にした刀を呆然と眺める藤岡。

 その刀身は半ばからぽっきりと折れ、無残な姿を晒していた。


 自失する藤岡に、外套の男が近づく。

 ざり、と草履が土を踏む音に藤岡が我に返るが、時すでに遅く。


「――まずは、その邪魔な腕からだ」


 凶刃が、藤岡の右腕を切り飛ばす――


 ――はずだった。


「…………誰だ、貴様は」


 洋装を纏った青年が、手にした刀で外套男の一撃を受け止めていた。





「――逃げてください」


「……し、しかし」


 まごつく藤岡に怒声を浴びせる。


「いいから早くッ」


 彼が踵を返して去っていくのを、視界の隅に捉えながら、僕は刀を引いて鍔迫り合いを解いた。


「……お前が、噂の辻斬りだな」


「……その服装。警視庁の人間か」


「いいや、違う」


「……どうやって俺を嗅ぎつけた?」


 矢継ぎ早の詰問。

 無論、答える義理などないが……隠し立てする理由もない。

 油断せず敵の刀身に視線を固定したまま、口を開く。


「……お前の犯行には、一見すると規則性がなかった」


 最初の被害者は、金貸し屋の一家だった。

 第二の被害者は大蔵省の侍、第三の被害者はありふれた浪人。

 第四の被害者は子供を連れた女。第五の被害者は第二の事件と同じく役所勤めの侍。

 そして第六の被害者は、二人の警官。


 概して、職業も、年齢も、性別すらバラバラだ。

 だから最初は、ゆきずりの犯行ではないかと思わされた。


「だが……そうじゃなかった。お前が狙っていたのは、元薩摩・長州・土佐藩士。その中でも、六年前の戦争に参加した連中だった」


 六年前。

 京都から北海道までを戦火で舐め尽くした、戊辰戦争。

 辻斬りが狙っていたのは、その戦争に新政府軍として参加した武士とその縁者だったのだ。


「だけど、それだけじゃまだわからなかった。どうやってお前が、薩長土佐の人間を……その中でも、六年前の戦争に参加した者だけを特定していたのか」


 だから、天草姐さんに会いに行った。

 彼女の所を訪れたのは、単に素性の知れなかった被害者の情報を集めるためだけではなく……<裏の帝都>を仕切る彼女が、どれだけ噂の辻斬りを危険視しているかを目で測るためだった。


 そして――天草花蓮は、この件に関して躍起になって(、、、、、、)いなかった(、、、、、)


 それが示す事実は一つ。


「……お前、<裏>の人間は探せないんだろう」


「――――」


 沈黙。

 しかし、奴が外套の奥で不快気に身じろぎするのがわかる。


「<裏>にも薩長の連中はわんさかいる。それこそ、六年前の戦争の後、食いっぱぐれた連中が……なのにお前はそいつらを斬らず、<表>に住む相手だけを狙った」


 それは何故か。簡単だ。

 <裏>に住む人間が持っていないものが、この辻斬り事件においては欠かせないから。


「――戸籍。お前は壬申戸籍を手掛かりに、標的を見定めていた」


 語るも悍ましい、悪魔的な手法だった。


 壬申戸籍。

 そこには帝都に住む者の名前や家族構成、生まれや過去といった個人情報が詳細に記されている。

 この男はその情報を手掛かりに、六年前の内戦に参加した元攘夷志士たちを斬り殺していったのだ。

 時には彼らを用心棒に雇ったからというだけの理由で、雇い主の一家すらも皆殺して。


 無論、到底許されることではない。

 本来、天下泰平の政を行うために用いる戸籍を、殺人に用いる発想の転換は、戸籍制度それ自体を揺るがしかねない。


 更に、見過ごせない点がもう一つ。

 戸籍を参照できる人間は政府の上役に限られる。

 つまり、この男の犯行は、上層部に共犯者がいることをも示唆しているのだ。


 これらの事実が明るみに出れば、新政府の信頼は大きく損われるだろう。


「そこまでわかれば、あとは簡単だ。お前に戸籍の内容を流している人間を見つけ、そこから芋づる式にお前を捕まえればいい」


「……馬鹿な。そんなことが、できるはずが……」


「その馬鹿をできる人間が、この世にはいるんだよ。だから、僕はこうしてお前を見つけた」


 勝安芳海舟。

 かつて幕府軍の最高位にいた彼は、未だ政府中枢に強大な影響力を持つ。

 彼の人脈と権力を以てすれば、内通者を特定し監視の下で泳がせることは、簡単ではないにしろ不可能ではなかった。


「年貢の納め時だ、辻斬り……いや、人斬り。これ以上、新撰組の……沖田さんの名は汚させやしない」


 刃の切先を突き付ける。

 外套の男はしばらく黙り込んでいたが、やがてくぐもった笑いを吐き出した。


「……く、く、くく。そうか。どうやら俺の所業は、とうとう市政の噂を越え、明確な恐怖の対象と成ったらしいな」


「……それがお前の目的か? 人々を恐怖に陥れることが」


「――違うッ!!」


 突如、激昂。

 外套の男は身を捩りながら叫ぶ。


「貴様にはわからねぇだろう! この俺の憎しみが! 骨髄まで達したこの恨みがッ! 貴様如きに――わかってたまるものかッ」


 男が激しい身振りで慟哭する。

 その拍子に、被っていた唐傘がはらりと落ちた。


 その下から現れたのは、どんよりと落ち窪み、濁り切った瞳。

 凸凹した禿頭と、巌のような顔面には、無数の縫い目や傷跡が刻まれていた。


「……俺の名は黒野仁造くろのにぞう。元、庄内藩士(しょうないはんし)よ」


「……庄内藩」


 庄内藩と言えば、出羽国でわのくに(山形県)に位置する、日本海に面した地域である。

 戊辰戦争において旧幕府軍側につき戦った一藩であり、類稀なる精強さで知られていた。

 常に劣勢だった旧幕府軍の中で唯一、庄内藩は明確な大敗を喫することなく、勝勢の内に降伏・講和を行うことに成功したのだ。


「……その庄内藩士が、何故このような真似をする。復讐か? しかし、庄内藩は旧幕府軍の他藩に比べ、軽い処罰で済まされていたはずだが」


「どおおおおでもいいんだよ、そんなこたァ!」


 ぶん、と黒野が刃を振るう。

 唾を飛ばしながら、血走った目でぎょろりと僕を睨み据える。


「俺ァ戦になるからと、日の下中を巻き込む大戦(おおいくさ)になるからとこの身を捧げた! どんなことでも受け入れた、なんでもやった、糞以下のことでもな! だが戦争が終わると、どうだ! 俺を受け入れてくれるところなんてありゃあしねえ! しまいにゃ言うに事欠いて、『武士の時代は終わりだ』などと抜かしやがるッ」


「……そうか。つまり、貴様は……」


「――そうだ」


 なりふり構わず怒鳴り散らしていた黒野が、ぴたりと静止する。

 奇妙に落ち着き払った声で、彼は己の目的を明かした。


「俺は、戦争が起こって欲しいのだ。このまま平和なんてまっぴら御免だ」


 とんでもない男だ。

 自分の価値を失わないためだけに、戦を引き起こそうとしているのか。


「わかるだろう? 新撰組の名前を持つ人間が、人斬りを始めたら! 標的が新政府軍の人間だと気づいたら! 世間はどうなる! 愚かな、生温い政府の役人どもはどう思う!? 怯え、戸惑い、恐れ、荒ぶり――殺られる前に殺るしかねえ、そう思うだろう! そうすりゃ戦争だ! 戦争するしかねえッ。この戦いは、まだ終わってなんかいやしねえんだッ!! 俺たちは――」


「――もういい」


 僕は自分でも驚くほど冷えた声色で、黒野の台詞を遮った。


 もう、充分だ。

 こいつには、微塵も同情の余地はない。


 僕が改めて刀を構えると、黒野は唇をいびつに歪めた。


「誰だか知らんが、貴様が来てくれて嬉しいぞ。貴様のお陰で、俺の計画はまた一歩進んだと証明できた」


 そう嘯きながら、黒野が左手を腰にやる。

 鍔鳴りの音と共に、二本目の白刃が抜き放たれた。


「……二刀流か。宮本武蔵を気取るつもりか?」


「ただの真似事かどうかは、お前がその身で確かめてみるんだなあああッ」


 次の瞬間、刃が頭上に降ってきた。

 僕は咄嗟に刀で受けようとして、


「――!」


 寸前で身を捻り、回避に切り替える。

 ぶん、と寒気のするような風切音が、頭のすぐ横を通り抜けていく。


 即座に迫った横薙ぎの二撃目を大きく飛び退って躱すと、黒野が意外そうな顔をした。


「――ほう。ただの馬鹿ではなさそうだ」


「……」


 汗がじっとりと手のひらに滲むのを意識する。

 脳裏に浮かぶのは、襲われた男の見事に折られた刀だ。


 つい先刻、僕は黒野の一撃から彼を守るために受けを選択したが――あの一撃ですら、実は刀を取り落としてしまいそうなほどの衝撃が両腕を襲っていた。


 まさに剛剣。

 黒野の本分はその常人外れな膂力から繰り出される、兜すら割ってしまいそうな豪快な剣戟だ。


 しかもあの時の黒野は、間違いなく本気ではなかった。

 全力を出した黒野の攻撃を刀で受ければ、最悪そのまま刀ごと斬られかねない。


 面倒な相手だ。

 そこいらの武士や浪人では相手にならないのも頷ける。


 だが……。


「……そんなものか?」


「……何だと?」


「そんなものか、と訊いたんだ」


 黒野が例の辻斬りならば、出来るはずなのだ。

 あの新撰組きっての天才、沖田総司の秘剣――同時に三度の突きを繰り出す絶技、『三段突き』が。


 あの技は類稀なる才能と、音すら切り裂くほどの剣速と、何より筆舌に尽くしがたいほどの高い技量がなければ成立しない。

 だがこの数合打ち合っただけでも、黒野にそれだけの技巧が備わっていないことははっきりと確信できる。


 奴の剣は速度と技巧よりも、力で強引に押し切る類の、示現にも似た剣だ。


 つまり――何かタネがある。


「あるんだろう、隠し手が。それを早く見せてみろ。さもなくば――もう斬るぞ」


 俺の宣告に、黒野はぶるぶると肩を震わせた。

 怒りを堪えているのかと思ったが、そうではなく。


「…………く、くく、くくくくくくッ。いいだろう、いいだろうよォ」


 ごりゅ、ごきゅん、ぼりゅん。

 狭い路地に、耳障りでおどろおどろしい、肉の蠢く音が響く。


 果たして、数秒の変身を終えた黒野の胸元からは。

 見るに奇怪な、三本目の腕が生えていた。


「……それがお前の、三段突きの正体か。お前……異形兵(いぎょうへい)かッ」


 異形兵。

 それは戊辰戦争の前後で歴史の表舞台に姿を現した、最も深い闇のひとつ。


 血で血を洗う内戦は、新政府軍、旧幕府軍の両陣営に、ありとあらゆる戦力を必要とした。

 それは常ならぬ方法までも及び、遥か平安の世から連綿と続く呪術、陰陽術や、外国(そとくに)の怪しげな薬術、黒魔術まで、鍋の底を浚うように無数の手段が試行された。


 その結果、いくつかの方法は結果を出し――理の外にある存在が産みだされ、あるいは歴史の陰から引っ張り出された。


 それらを総称して、異形兵。

 人であって人でない、人間離れした者たちを、人々は畏怖と嫌悪を込めてそう呼んだのだ。


「……俺ぁよぉ。戦争が永遠に続くから、勝ち続けるためだからって聞いてよぉ、怪しげな坊主共の呪いに手を貸したんだ。それが今じゃあこの様だ! こんな体で商いが出来るか? 畑が耕せるか? どうなんだよ、ええッ!?」


 遂に正体を現した黒野。

 怒りと嘆きを隠そうともせずに、煮えたぎった口調で続ける。

 理外の三手を掲げ、月に向かって吼えるその姿はまさに悪鬼羅刹そのものだった。


「しからば俺は戦を起こす。もう一度、あの戦争を起こすのさ。戦の中でしか、俺ぁ生きられない。だから俺は――新撰組の名を継いで、新しい《鬼》になったのさァッ!!」

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