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「――いやァ、悪かったね、クロ。巻き込んじまってさ」


 招かれざる客を全て片付けると、姐さんは悪びれない口調でそう言った。


 彼女が鈴を鳴らすと、欧州風の侍女服を纏った少女たちが音もなく現れる。

 彼女らは眉一つ動かさずに、散らばった死体や肉片、血だまりを片付けると、一礼して去っていく。まるでからくり仕掛けのようなその姿に、僕は斬り合っていたときよりも余程肝が冷えた。


 ……相変わらず、姐さんは底知れないなあ……。


「というか、姐さん。わかっていて僕を使ったでしょう。大方、僕が姐さんの所に向かっているのを先に知って、潮を合わせたんじゃないですか?」


「あ、やっぱりバレる?」


「そりゃあわかりますよ。しかも、あんな連中に<奇跡>まで使って……」


 姐さんが起こした<奇跡>――あの理外の現象は、この日の本においては呪術や陰陽術などと呼ばれる類のものだ。

 僕にはそれらを操ることはできないけれど、伝え聞く限りでは行使に体力や精力を消耗するとか、寿命を縮めるとか……なんにせよ、良い噂は聞かない。


 けれど姐さんはフンと鼻を鳴らして一蹴する。


「いいんだよ。ああいう手合いは潰せど潰せと湧いてくるからね、定期的に見せしめにしておかないとならない」


「そういうものですか」


「ただでさえ、二年前の戸籍整備からこっち、表を堂々と歩けないような後ろ暗い連中がひっきりなしに<裏>に流れ込んでくるんだ。最低限、ここの大将は誰なのかを教えてやらないと、猿山以下の混沌(かおす)になっちまうだろう?」


「壬申戸籍、ですね……」


 新政府が一昨年から作成を進めている、壬申戸籍。日本全土の人間を政府が把握し政を円滑に行うための礎とする――なんて聞こえはいいが、素性を暴かれたくない者にとっては厄介極まりない政策だ。


 僕とお嬢様も例外ではなく、壬申戸籍には登録していない。

 だからといって、これといった不利益を被ったこともないし……。


「……さて、大分横道に逸れちまったが。聞きたいのは、“噂の辻斬り”について、だったね?」


 口直しとばかりに、まだ蒸留酒の残るグラスを傾ける姐さん。

 僕は予め決めていた言葉を投げた。


「ええ、ですが……姐さんにお聞きしたいのは、三度目の被害者になった浪人についてです」


「……へえ。それだけでいいのかい?」


「はい」


 はっきりと頷く。

 姐さんは「けっ」と毒づいた。


「しけてやがんねェ。その程度の情報じゃあ、酌させるくらいが精々じゃないの」


「貴女に頼りすぎてはいけない、というのが土方さんの教えですから」


 姐さんと初めて面識を持ったかつての日、僕の隣には土方さんがいた。

 その時に口酸っぱく、彼女には注意するよう言われたのを今でも覚えている。


 天草花蓮という女性は甘い蜜だ。

 彼女は便利すぎて、ついつい頼りたくなってしまう。

 そうして頼みごとを繰り返すうちに、いつしか気づけば彼女無しではいられなくなり、唯々諾々と阿るだけの道具へと堕とされる。

 それが彼女の手管だと土方さんは教えてくれた。


 だから僕は、彼女に決して過度の要求はしない。どうしても彼女の力が必要な時は、常に適切な対価を支払うよう心掛けていた。


 それをわかっているから、姐さんは猫のごとく唇を吊り上げる。


「もっと欲しがってもいいんだよ? アンタが望むのならどんな情報でも、ゆっくり語って聞かせようじゃないか」


「そうしたが最後、後が怖すぎますね?」


「なあに、大したことはないさ。ただ一晩、アタシとゆっくりのんびり過ごしてくれるだけでいい」


 わざとらしく身をくねらせて、しなをつくる姐さん。

 地味な修道服の上からでもわかる豊満な肢体の陰影、酒気を帯びて上気した肌。

 長い睫毛を伏せ、潤んだ瞳にはわかりやすい篭絡の気配が宿っている。


 僕は尻を浮かせて、姐さんから気持ちぶんだけ距離を開けた。


「……そして身も心も委ねた先には、姐さんの奴隷としての未来ですか」


「さあ? ひょっとすると、クロがアタシを骨抜きにする、なんてことも有り得るんじゃないかい?」


「……試すのは止めておきます」


「残念だ」


 姐さんはそう言ってからからと笑う。

 妖しげな空気を霧散させ、普段の中性的な親しみやすい気配に戻ると、修道服の胸元から一枚の紙切れを引っ張り出す。


「って、どこに仕舞ってるんですか、どこに」


「どこってアンタ、見ればわかるだろう? おっぱいだよ」


「そういうことではなくてですね……まあ、いいです」


 受け取った紙片は暖かく、やや湿っている。

 努めてその触感を無視し、そこに書かれている内容を確かめた。


 それは辻斬りに斬られた浪人の詳細な情報だった。

 おそらく僕がここを訊ねてくる前から、彼女は僕の要件と、そこから僕がどの程度まで情報を求めてくるのか、ということまでを見抜いていたのだ。


 ぞっとするような洞察力と手際の良さ。

 つくづく敵に回したくはない人だ……と考えつつ、紙片に目を走らせて。


「……なるほど。助かります」


「なにか掴んだって顔だね」


「これから、裏取りをしようと思います」


 グラスの底に、僅かに残っていた蒸留酒を飲み干す。

 そして席を立とうとして――「ちょっと待った」。


「な、なんです?」


 腕を伸ばして僕の肩を押さえた姐さん。

 彼女は左手で、グラスをくいくいと左右に振って見せる。


「折角、久しぶりに呑んでるんだ。もう一杯くらい、いいだろう?」


「……」


 脳内でそろばんを弾く。

 貰った情報と対価との収支を勘案して……僕は折れた。


「……一杯だけですよ?」


「よく言った!」


 歓声を上げる姐さんのグラスにとぷとぷと琥珀色の液体を注ぐ。

 今度は僕も姐さんにお酌をしてもらい、示し合わせたようにグラスを傾ける。

 燻したような香りが鼻腔を満たし、心地よさに頬が緩んだ。


「どうした? 随分と初心な反応をしやがるじゃないの」


「実は最近、ご無沙汰でして。家に酒を置くと、お嬢様が興味を示してしまうので」


「いいじゃねえか、別に。土方の娘も、もうそれなりの歳頃だろう?」


「駄目ですよ、まだまだお嬢様は……」


 ごく軽くとはいえ酔いの入ったところに振られたお嬢様の話題。

 僕は自然と饒舌に語り出してしまう。


 そして舌の滑りがよくなれば、その分酒も進むのが道理。

 いつのまにやら干したグラスが再び満杯になった時にはもう、それをおかしいと思えるだけの判断力は失われていた。


 当然、姐さんがにやりとほくそ笑んだことにすら気づけなかった……。





「…………うぐ……」


 どっぷり日の沈み切った夜更け。

 探偵社の入り口の前で、僕はズキズキ痛む頭を抱えて呻いた。


 完全にやってしまった……。


 姐さんの口車に乗せられ、二本目の(びん)を干したところまではぎりぎり覚えているけれど、それ以降の記憶がぷっつりと途絶えている。


 気づけばこうして服装を乱し、体を酒精に火照らせたまま、いつの間にやら探偵社まで戻ってきていた。


 あの抜け目ない姐さんのことだ、そうと気づかせないように護衛をつけてくれているとは思うけれど……失態だ。辻斬りの潜む今の帝都で、記憶がなくなるほど見境なく泥酔するなんて。


 ……いや。

 辻斬りの件が、なかったとしてもだ。


「……」


 探偵社の中は暗く、既に明かりは消えている。

 どうやらお嬢様はもう寝ているようだ。


「……これは明日、謝らないとなあ……」


 げんなりとしつつ、足音を殺して入り口に近づく。


 決して隠れたいわけじゃない。

 お嬢様を起こすのが忍びないだけだ。


 ……ホントですよ?


 誰にともなく言い訳しながら、僕はおっかなびっくり戸を引いて――。


「――――」


 絶句。

 戸を開けてすぐ目の前。

 通路を塞ぐように仁王立ちしているお嬢様と視線がぶつかった。


 腕組みをして僕を見下ろすお嬢様の唇に、薄氷のような笑みが浮かぶ。


「……あら。誰かと思えば鉄之助じゃない。こんな時間だもの、てっきり押し入りの類かと警戒して損したわね」


「……すみません、お嬢様」


「ああ、けれど、おかしいわね。鉄之助は、昼過ぎには帰ると書置きしていたはず。なのに今は……ねえ、何時かしら?」


「……二十一時を回ったところでしょうか」


「じゃあ、貴方は鉄之助ではないわね。本物の鉄之助はもうとっくに帰ってきているはずだもの」


「……あの、お嬢様」


「こんなにそっくりな別人がいるなんて、驚きだわ。双子の兄弟? 狐狸の化け術? それとも鉄之助の皮を被った妖怪変化の類?」


「……すみません、どうかその辺で。僕が悪かったですから」


「……」


 お嬢様は口を噤む。

 前髪の落とす影が彼女の表情を覆い隠す。

 居心地の悪い沈黙が僕たちの間を漂った。


「……よ」


 やがて、ぽつり、と。

 お嬢様が小さく、本当に掠れるほど小さく呟いた。


「……心配、したのよ。鉄之助」


「……はい」


「どれだけ待っても、帰ってこないから。貴方に何かあったんじゃないかと」


「……はい」


「貴方の腕前は、知っているけれど。それでも、すごく、心配、したのよ」


 そう言うお嬢様の声は、震えていた。


 いや、声だけじゃない。

 よく見れば、押さえつけるように腕組みした身体もまた、ふるふると震えている。


 僕は頭を深く下げる。

 酩酊などとうに吹き飛んでいた。


「……すみませんでした、お嬢様。世話役にあるまじき失態、如何様にも」


「……」


 お嬢様は、強い感情を堪えるように険しい顔でぎゅっと目を瞑り。

 暫しして、重々しく唇を割った。


「……そうまで言うのなら、はっきりと説明してもらおうかしら。ねえ、鉄之助。貴方、一体どこで何をしていたの?」


「知り合いの伝手を頼って、事件の調査をしていました」


「けれど貴方、お酒臭いわよ?」


「知人に言いくるめられ、呑まされまして」


「ふうん。本当にそれだけかしら」


「誓ってそれだけです。決して遊び歩いたりなんてことは」


 記憶は一部不確かだけれど、嘘はついていないはずだ。

 これ以上、お嬢様に不義理は働けない。

 正直に、ありのままに答える。


 けれどお嬢様は胡乱気な顔つきで、何故か僕の顔をぴっと指で示した。


「なら――鉄之助。貴方の頬についている、その口紅はどう説明するのかしら?」


「は、い――?」


 一体全体、なんのことだろう?


 疑問符を浮かべつつ、反射的に頬を撫でる。

 すると右手に、確かに赤いものが付着していた。


 ……天草姐さん、何やっちゃってくれてるんですか……!


「……で? 鉄之助。当然、納得のいく説明は貰えるのよね?」


「……」


「まさかとは思うけれど、私を放っておいて、女遊びに現を抜かしていたというのなら……私にも考えがあるわよ?」


 眉根をぴくぴくと痙攣させ、先ほどまでとは違い、怒りに肩を震わせるお嬢様の後ろに、僕は夜叉を幻視してしまって。


 ああ、この迫力は、親譲りだなあ……。


 現実逃避気味にそんなことを思った。


 その後、一刻以上もかけた釈明でも、誤解を完全に晴らすまでには至らず。

 僕は一晩中、疑いの眼差しを向けられるのだった。


 ……誤解、だよね?





 纏わりつくような眠気に目蓋を擦りつつ、朝日が差し込む廊下を歩く。


 昨夜は随分と遅くまでお嬢様から詰問され続けた。

 更にはここ数日の夢見の悪さもあって、完全に寝不足だ。


 だけど、その程度で一々音を上げる訳にもいかない。

 僕はぱんと軽く自分の頬を叩くと、努めて普段通りの顔を意識して、お嬢様の部屋の戸をノックする。


「……おはようございます、お嬢様」


 もちろん、返事があるはずもない。

 これくらいでお嬢様の目が覚めるなら苦労はない。


 それでも、いつもの僕であれば、念には念を入れて数回はノックを繰り返してから部屋に入るのだけれど……今日の僕はまだ頭が充分に回っていなかったこともあって、返事を碌に待たず、さっさとドアノブに手を掛け、押し開く。


「……ちょっと待って、鉄の、す……け?」


「…………へ?」


 ――着替え途中のお嬢様と視線がかち合った。

 呆然と目を丸くしたまま固まるお嬢様。

 窓から入り込む日の光が白い肌をきらきらと輝かせる。――一分の隙も無く。

 長い髪がぱさりと掛かった胸元はなだらかな曲線を描き、その頂きには……。


「……、なんで起きてるんです?」


「――っ、そうじゃ、ないでしょうッ!? 早く出ていきなさいっ」


「す、すいません!?」


 泡を食ってお嬢様の部屋を飛び出す。

 後ろ手に勢いよく戸を閉めながら、僕は尚も首を捻った。


「……これは、夢か……?」


 まさかあのお嬢様が、自分でベッドから起き出してくるなんて……。

 信じられなさ半分、感動半分の複雑な心境でしばらく待っていると、やがて部屋の中から「……こほん。もういいわよ」と声が掛かる。


「……失礼します、お嬢様」


 改めて部屋に入ると、お嬢様のじとりと湿った視線が出迎えた。


「それで、鉄之助? 言い訳はあるかしら?」


「……いえ、その。まさかお嬢様がご自分で起きているとは思わず」


 ぴくり、とお嬢様の形のいい眉が痙攣あそばされる。


「へえ。つまり貴方は、ノックの返事も待たずに主の部屋に押し入り、あまつさえうら若い乙女の肌を見たのも、全ては私の日頃の行いのせいだと言いたいのかしら?」


「……何もそこまで怒らなくても。今更ではないですか」


「な に か 言 っ た か し ら ?」


「なんでもありません、ひかりお嬢様。今回の件、全ての責任は僕にあります。申し訳ありませんでした」


「こういう場合、貴方たちの大好きなアレに則れば、どうするのが適切なのかしら?」


 彼女の示すところ――局中法度のことだと察し、苦虫を噛み潰したような味わいが広がる。


「……切腹しろと仰せですか、お嬢様」


 あんまりだ。

 確かに士道に背く行為ではあったかもしれないけれど、その、故意ではないのだし。


「それくらいの罪悪感を持ちなさい、という話よ」


「うっ……」


 頭を下げながら呻く僕を、更に二言三言とお小言の針でちくちく刺してくるお嬢様。

 怒っているのは間違いないのだろうが、同時にどことなく楽しそうなのは僕の見間違いではないだろう。


 そうしてようやく溜飲が下がったのを見計らい、僕は彼女の真意を訊ねた。


「それで、どうして今朝に限って、ご自分で起きなさったんです? いつもならまだベッドの中でぐずっている時間ですのに」


 本心からの質問だったのだけれど、お嬢様の視線が再び氷点下に落ち込む。

 これは余計な虎の尾を踏んだか、と咄嗟に身構えるも、帰ってきた反応は予想外のものだった。


「……貴方のせいよ、鉄之助」


「僕、ですか?」


「貴方が私を置いていくから。もう一人で待つのは御免よ」


「……ああ」


 昨日のことが、まだ尾を引いていたのか。

 ぷっくりと頬を膨らませ、拗ねたように僕を睨むお嬢様。


 まったく、僕は駄目だな。

 この程度のことにも気が回らないなんて。


「――大丈夫ですよ、お嬢様。もう、お嬢様をお一人で残していったりはしませんから」


「……本当に?」


「誓って、本当です」


 僕の言葉に、お嬢様は今度こそ機嫌を直してくれたようで。


「……それなら、いいのよ。さ、鉄之助。朝の支度をお願いね? 私、お腹が空いたわ」


 微笑みと共に下された主の命令に、僕は了解を返すのだった。

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