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 見渡す限り一面が火の海だった。


 燃えているのは伏見の町。

 僕たちが命を賭して守ってきた京の都だ。


 それが今、灰となって消え失せようとしている。

 僕は顔を汚す煤と返り血を拭うことも忘れて、その光景を見下ろしていた。


「……どうして」


 京の南、八幡(はちまん)の男山。

 その麓に新撰組は布陣していた。


 いや、布陣と言えるほど立派なものじゃない。

 落ち延びた、というのが正しい表現だろう。


「どうして、こんなことに」


 僕の隣に立った土方さんは、答えない。

 ただ腕を組み、仁王立ちしていた。


 装備の差。錦の旗。他藩の裏切り。将軍の逃亡。

 僕ですら敗因をそれほど思いつくのだ、土方さんの脳内にはずっと多くの要因が浮かんでいるはずだ。

 けれど土方さんはその全てを語らず、代わりにこう訊ねた。


「……何人、死んだ?」


「わかりません。ただ、二十名は下らないかと」


 誰が死に、誰が脱走し、誰が生きて身を潜めているのか。

 それすらも曖昧になるほどに、僕たちは疲弊していた。


「……そうか」


 土方さんはぎゅっと目と瞑った。

 僕の見間違いかもしれないけれど、その表情はまるで涙を堪えているようだった。


「……そうか」


 血の滲むような口調で繰り返す。


「……っ」


 叶うのならば、今すぐにこの人の手を握り、体に触れ、抱き締めたい。

 互いの命を確かめ合い、互いの鼓動に縋り合いたい。

 全身を貫くそんな衝動を、必死に堪える。


 すぐ近くに他の隊士たちがいる。

 それに、今の土方さんに必要なのは、甘い時間ではないだろうから。


「これから、どうしますか。僕らは……新撰組は、どうなるんでしょうか」


「決まってるだろ」


 今度は、ひと呼吸の間もなく応える土方さん。

 瞼を上げ、京の町を舐め尽くす炎を記憶に焼き付けるように凝視して。


「戦うのさ。どこまでもな」


 怨嗟と覚悟の焦熱を宿した鳶色の瞳。

 それはまるで、《鬼》のようだった。





「――っ! はあっ、はあッ!?」


 弾かれたように目を覚ます。

 体が熱い。酷く喉が渇いている。


「っ、はぁ、くっ」


 自室は闇に包まれている。

 深夜の静寂に、荒い呼吸の音だけが響く。


「……はあ、はあ、ふぅーっ」


 深呼吸を繰り返して、肩を落ち着かせる。


 嫌な夢だ。この六年間、僕を苛み続けてきた過去の夢。

 最近は頻度が減っていたのだけれど。


 ……原因はわかっている。

 辻斬りの事件に触発されたせいだ。

 ちらつく沖田さんの影が、鬼の気配が、過去を思い出させる。


「……」


 もう一度寝台に横になるも、眼が冴えて寝られそうにない。

 仕方なく僕は体を起こし、机の上の蝋燭に火をつけた。

 その明かりを頼りに、高橋さんから貰った資料を広げる。


 ……どうせ寝付けないのなら、考え事をしていたほうがマシだ。


 既に目を通し終えた資料を、もう一度頭から眺めていく。

 殺された警官の、出生から始まる来歴。性格。財力。懸念点。

 資料を一文一文確かめていくけれど、残念ながら手がかりになりそうな情報は見出せない。


 こうして無駄かもしれない資料とにらめっこしているくらいなら、僕も町を見回ったほうがまだ辻斬りに近づけるだろうか……いや。

 斎藤さん……藤田さんは頭も切れるし、勘も僕なんかよりよほど鋭い。その彼が気づいた……とまではいかなくても、何か重要な情報が含まれ得ると直感したからこそ、この資料をくれたんだ。


 だからきっと、このどこかに重要な手掛かりが……。


「……ん」


 ふと、資料のとある一点に目が留まる。


 殺された二人の出身が、それぞれ土佐藩と長州藩であるという部分。

 普段なら、気にも留めないだろう項目だ。

 けれど、新撰組時代の夢を見たせいか……少しだけ気になった。


 ……念には念を、か。


 僕は資料を机の端に寄せ、引き出しから新しい紙を取り出す。

 そして手紙をしたためるべく筆をつけた。





 翌朝。

 僕は郵便局へ寄って手紙を出すと、その足で調査に向かった。


 お嬢様は、今日は同行していない。

 いつも通り寝起きでぐずったのをいいことに、簡単なさんどうぃっちと『昼頃には帰ります』という書置きを残してきた。今頃は寝台でぬくぬくと惰眠を貪っているだろう。


 勿論、お嬢様を連れていないのには理由がある。

 本来、僕の役目はお嬢様の世話役なのだから、彼女のそばに控えていなければいけないのだけれど……今から向かうところは、決して治安がいいとは言えない。


 帝都の下町、さらに入り組んで日の届かない下層の部分。

 大手を振って通りを歩きにくい者たちが跋扈する、いわば<裏の帝都>。

 そんなところにお嬢様を連れて行きたくはなかった。


「……」


 長屋を所狭しと並べた、迷路のような道を進んでいく。

 薄暗く埃っぽい路地を、視線を下げ、背を丸めて目立たないように歩いていると、まるで自分が野良犬になったような錯覚さえしてくる。


 けれどこの土地で余計なトラブルを避けるにはこうするのが一番いい。

 <裏帝都>で大見得を切って騒ぐのは、馬鹿か世間知らずと決まっているのだ。


 表通りでは差しているだけで威力を発揮する腰の大小も、ここではせいぜい虫除け程度の意味しかない。もっとも、それすら持たない人間など、ここでは百歩と歩けないのだけれど。


 やがて、目的地に到着する。

 小汚い一軒の長屋、その一室の前にやってきた僕は、建てつけの悪い戸をがらりと開いて中に足を踏み入れた。


「……なんの用だ?」


 中にいたのは、禿げ上がった四十過ぎの男。

 無精髭を生やし、ごろりと寝そべって、いかにもならず者といった風体。


「姐さんに会いに来ました」


 僕がそう告げると、彼はぴくりと眉を動かす。

 しばらくじっと僕の顔を眺めてから、おもむろに腰を浮かす。そして、つい今まで座っていた黴臭い畳に手を掛け、引っぺがした。


 すると――その奥には、黒々とした闇がぽっかりと口を開く。

 <裏の帝都>、その地下へ続く隠し階段だ。


「……入りな」


「ありがとうございます」


 僕はお礼もそこそこに、足早に階段へ続く穴に身を滑らせた。


 こうした地下への入り口は、裏の帝都のあちこちに点在しているらしい。

 当然、僕はその全てを知っているわけではなく、ここはそうした入り口のほんの一つ、氷山の一角に過ぎない。


 全ての入り口の所在を知り、管理しているのはこの世でただ一人だけだ。


「……」


 階段を下っていくと、やがて広々とした空間に出た。

 蝋燭の明かりに浮かび上がる、特徴的な装飾の施された壁面。

 どうやってこの地下まで運んできたのか、背もたれのついた長椅子が整然と並ぶ。

 天井は見上げるほど高く、微かに風の流れる音が木霊する。


 地下にあるという一点を除けば、それは紛うことなき教会(ちゃあち)だった。

 そして、空間の中央前方。

 十字の彫刻をしつらえた祭壇に、妙齢の女性が腰かけていた。


「……お久しぶりです、姐さん」


 声を掛けると、彼女は読んでいた分厚い聖書から顔を上げた。

 黒い修道服のヴェールの奥で、にたりと意地悪く笑う。


「よお。相変わらず辛気臭い面してんな、クロ」


 明け透けな物言いに、僕も苦笑を返す。


「天草姐さんこそ、お変わりないようで」


 天草(あまくさ)花蓮(かれん)

 裏の帝都において最も影響力を持つ女傑である。


 無数の博徒や浪人を従え、違法の賭場や薬物、武器に金貸し、帝都のありとあらゆる黒い取引に関わっているとさえ言われるその女性は、異国の混血人(はぁふ)に特有のくすんだ金髪を揺らして立ち上がる。


「そりゃあ変わらないとも。信じる者は救われるのさ」


「姐さんの場合、救われるから信じる、でしょう?」


「当たり前だろ?」


 姐さんはごそごそと祭壇の内側を漁り、でん、と蒸留酒の(びん)を引っ張り出す。


「とりあえず、一杯やろうや」


「……まだ昼前ですよ?」


「だから?」


「……はぁ。ほどほどにさせて下さいね」


 姐さんに本気で付き合うと、僕は絶対に酔い潰されてしまうからなあ。


「そりゃクロの態度次第だな?」


「はいはい。お酌しますよ」


 姐さんがグラスをふたつ取り出す。

 僕は姐さんのグラスをなみなみと蒸留酒で満たし、続いて手酌で自分のグラスに半分ばかり注いだ。


「乾杯」


「乾杯」


 かちんとグラスをぶつけ合い、同時に口をつける。

 濃厚な酒精を嚥下すると、かっと胃が熱くなった。


「……それで、いったい何の用だい。まさか、顔を見せに来ただけってことはないんだろう?」


 僕が一口味わう間に、グラスの三分の一ほども下してしまった姐さんが問う。

 相変わらずのざるっぷりに感心しながらも、僕は探るような視線でもって返す。


「姐さんのことです。訊かずともわかっているんじゃないですか?」


「なんだ。本当にアタシに会いたくて来たのかい」


「違いますね?」


「可愛くねえなあ。海の底まで沈めちゃうぞ?」


「姐さんが言うと冗談で済まないので勘弁してください……」


 姐さんがその気になれば、気に入らない人間の一人や二人をこの世から消してしまうのに一晩とかからないだろう。

 (かぶ)いた風体とは裏腹に、彼女はそれだけの力を有している。

 剣や槍の腕前とはまた違う、人脈や財力、権力という力だ。


「ったく。土方の娘と暮らすようになって、少しは女心をわかるようになるかと期待した時もあったが……いつになっても唐変木だね、アンタは」


「これでも日々、努力はしているつもりなんですがねえ」


「例えばどんな?」


「お嬢様の肌や髪を綺麗に保つための食事ですとか、気が乗らないお嬢様のやる気を引き出す方法ですとか」


「そりゃあアンタ、女心じゃなくて飼育……まあ、いいさ。あまり変なことを吹き込んで、半端な軟派師みたいになられても困るからね」


「天地がひっくり返ってもあり得ないと思いますが……」


 ちびりと舐めるように蒸留酒を含み、唇を湿らせてから。

 僕は本題に入る。


「今日は、“辻斬りの噂”について、姐さんの知恵をお借りしたく」


「……“沖田の亡霊”、か」


 姐さんの纏う雰囲気が変わる。

 絡み癖のある似非修道女から、裏帝都の女帝のそれへ。


「その噂については、アタシらもまだ調査中でね。全貌を捉えてはいないが……どうもこの一件はクサい」


「……」


「根拠はないが、厄ネタの臭いがしやがる。はっきり言って手を引くのが賢明だ」


「ですが、こちらにもそうはいかない事情がありまして」


「……ま、そうだろうね」


 深く息を吐いた姐さんは、それ以上の忠告を押し留めるようにグラスを煽って。

 天井を見上げ、ぽつりと呟いた。


「話を聞いてやってもいいが……生憎と、今日はちょっとばかし立て込んでてねぇ」


「はい――?」


 お天道様も高いうちから酒に耽る人間の台詞か? と思うも束の間。

 つい先ほど僕が入ってきた教会の扉が、再び弾けるように開け放たれた。


「――テメェが天草花蓮か? あァ!?」


 誰何する男の後ろから、それはもうぞろぞろと湧き出す野卑な身格好の男たち。

 二、四、六……総勢九名からなる闖入者たちは、飢えた目つきで僕と姐さんを交互に見た。

 各々の手に握られた短刀が、剣呑な金属光沢を放つ。


「姉さん、この人たちは? ご友人には見えませんが」


「これがツーカーに見えるって奴は、まず間違いなくヤクをやってるね。どう見てもご挨拶って面じゃあない」


「なァにをくっちゃべってやがんだ、えぇ? テメェ、状況わかってんのか!」


 先頭の男が口火を切ると、仲間たちが追従し思い思いに喚きたてる。

 そのどれもが耳を覆いたくなるような、口汚い罵詈雑言だった。


「うわあ。姐さん、大人気じゃあないですか」


「これも偏にアタシが美しすぎるせいか。全く、美人は罪だねえ」


 姐さんはそう宣うと、男たちに向かい言葉を投げ掛ける。


「――あァ、その通り。アタシが天草花蓮だ。それでお前らは――あぁ、いいよ別に、お前らの自己紹介なぞ要らん要らん。どうせお前らも、アタシの首が欲しいんだろ?」


「ッたり前ェよ! テメェを殺せば〈裏帝都〉はそっくりそのまま俺たちのモンだ。観念して胴体とお別れしなァ!」


 ……こんな典型的な連中が、まだいるんだなあ。


 きっと最近〈裏〉に来たばかりなのだろう。

 〈裏〉をある程度弁えている人間なら、そんな荒唐無稽な夢想に身を委ねたりはしないだろうに。


 他人事のような感想を抱いていると、不意に腕に柔らかく温かい感触。

 何事かと我に返れば、姐さんが僕の右腕を抱き寄せ、わざとらしくしなだれかかっていた。


「きゃあっ、こっわーい☆ 助けてよぉ、ハニーっ」


「……なんの真似ですか」


 思わず半眼で尋ねる。

 彼女は僕にしか見えない角度で小さく舌を出し、


「でもハニーなら、あんなヤツラなんて楽勝だよね♡ さっさと片付けて、一緒に楽しいこと、したいなぁ、なーんて……きゃッ、言っちゃった☆」


 男たちの額に青筋が浮いた。それはもう、ビキビキと。


「――ぶッ殺せえええぇぇェェェエエエエエエッ!!」


 怪鳥の如き金切り声を上げて、短刀を振りかざした男たちは突進した。

 僕は溜息をつくと、姐さんの胸元から腕を抜き、そのまま左腰に走らせた。


「――――しィッ」


 鋭く呼気、滑るように抜刀。勢いのまま上に振り抜くと、頂点で刃先を返して斬り下ろす。

 一拍置いて、袈裟懸けに体を断たれた骸が二つ転がった。


「……ッ、んだらぁアアっ」


 一瞬だけ怯んだ様子の後続は、しかし後には退けぬと勢い込んで飛び掛かってくる。

 大上段に落ちてくる短刀を弾き返し、がら空きの胴を薙いだ。零れた臓物が湯気を巻く。


 そのまま刀に体を寄せて前に出ると、別の男の脳天目掛けて切っ先を落とす。

 男は辛うじて僕の刀を受けると、鍔迫り合いの態勢のまま叫んだ。


「い、今だッ、今のうちにコイツを――」


 皆まで言わせず、僕は刀を僅かに引いた。

 重心を崩され蹈鞴を踏む男の鼻先に、握り締めた柄頭を横殴りに叩き込む。

 ぼぐり、と鼻骨が砕ける鈍い音。

 悲鳴と鼻血を噴き出す男の喉を、返す刀で深々と切り裂いた。


 僕が修めている剣術、天然理心流は実践特化の殺人剣である。

 お高くとまった道場剣術では忌み嫌われるような体術や組手術、殴打や脛払いなどの行為にも一切の躊躇はなく、敵を斬り生き残ることのみを至上とする。


 その狂気的なまでの剣術観こそが、新撰組を壬生の狼たらしめたのだ。


「……な、なんだコイツ。一瞬で四人も……とんでもねえぞ!?」


 瞬く間に半分近くの仲間を斬られ気色ばむ男たち。

 対照的に、僕は内心が冷え切っていくのを感じていた。


 彼らは精々が博徒に毛の生えた程度の腕前だ。

 たとえ多勢に無勢だろうと、相手取るに何の痛痒もないほどに。

 (いわん)や、かつて京の都で日夜相手にしていた不逞浪士たちや、長州の叛徒たちとは比べるべくもない。


 こんな連中をいくら斬ったところで、とてもじゃないがこの恨――。


「――っ」


 今、僕は何を考えていた?


 雑念を消し去ろうと頭を振る。

 その一瞬を衝いて、頭目らしき男が僕の脇をすり抜けた。


「――ッ、テメェさえ殺せば……ッ!!」


 姐さんに迫る男の背中は斬ってくれと言わんばかりだ。

 けれど残りの四人が一斉に僕へ押し寄せてきてしまい、手が回らない。


「――姐さん!」


 僕が油断したせいで、姐さんが……!


「――」


 焦る僕と、勝利の予感にほくそ笑む頭目の男。

 それらを透徹した瞳で見やった姐さんは、修道服のいずこからともなく、小さな十字架の彫刻を取り出した。


 まさに刃がその白い肌に食い込まんという刹那。

 彼女は十字を掲げ、小さく呟く。


「――主よ、護り給え」


 ――閃光、轟音。


 効果は劇的だった。

 頭上から落ちてきた雷が――ここは地下だというのに――過ちなく頭目の男を打ち据え、須臾の間に黒焦げの肉塊へと変貌させたのだ。


「…………」


 絶句する荒くれものたち。

 僕もまた、久方ぶりに目にする姐さんの<奇跡>に目を奪われる。


 ぶすぶすと異音を発する死体から視線を外した姐さんは、凡そ服装に似つかわしくない、捕食者という表現がぴったりな笑みを浮かべた。


「さあ、選ばせてやろうじゃないか――アタシに灼かれるか、クロに斬られるか。アタシは慈悲深いんだ」

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