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 くろがね探偵社から東に歩いて二刻(一時間)ほど。

 最初の事件現場、錦屋(にしきや)は、一軒の両替屋……つまるところ、金貸し屋だった。


 大通りに面した錦屋の看板は無残な真っ二つ。

 暖簾の奥に、人の気配はまったくない。

 既に警視庁の捜査が入った後だからだろう、惨劇の痕跡は洗い落とされており、一見はただの真新しい屋敷のようだが……近づいてみれば、まだ微かに血の匂いが漂っていた。


「……誰も、気にも留めないのね」


 お嬢様が、周囲を見渡してぽつりと呟く。

 通りを行き交う町人たちは、誰も錦屋には目もくれない。

 何事もなかったかのように笑い合い、商いに精を出している。


 まるでこの屋敷だけが時間の流れから切り離されてしまったようだ。


「こんな町の真ん中で、辻斬りが起きたっていうのに。皆、びっくりするくらい普通に暮らしているわ」


「そんなものでしょう」


 昔、京に居た頃を思い出す。

 あの頃の京では、流血沙汰がざらだった。


 幕府の転覆を目論む、長州をはじめとする諸藩の不逞浪士。

 彼らを取り締まる、新撰組や見廻組みまわりぐみ

 僕らは連日のように血で血を洗う抗争を繰り広げ、時には已む無く一般人が巻き込まれるような事態に陥ることさえあった。


 けれど、そんな以前の京ですら、昼間は人の波で賑わっていた。

 どれだけ怯え、恐怖を舌に乗せようとも、実際に家や店を畳んで京から逃げ出そうとする町民は少なかったのだ。


「人間は、鈍感なんです。たとえ長屋の隣で人斬りが出ても、自分や、自分の大切な人が実際に斬られるまでは、どこまでいっても他人事でしかないんです」


 そしてそれは、僕ら新撰組にもあてはまった。


 長州の幹部を何人も斬った。不逞浪士の隠れ家を何軒も改めた。

 時には、裏切り者の同志を手に掛けたこともあった。

 けれど僕ら隊士は、近藤さんや土方さん、沖田さんたちが死ぬことなんて有り得ないと、なぜかそう思ってしまっていたんだ。


「……之助。鉄之助」


「っ」


 はっと我に返る。

 鳶色の瞳が、心配そうに僕を覗き込んでいた。


「すいません。ちょっと考え事をしていました」


「……そう。取り敢えず、手の力を抜いてくれないかしら。少し痛いわ」


「あっ!?」


 いつの間にか、お嬢様と繋いだ右手に強く力を籠めてしまっていた。

 慌てて彼女の手を離すと、白い手の平にうっすらと赤い跡が残る。


「お、お嬢様……申し訳ありません」


 平身低頭する僕に、お嬢様はわざとらしく手を翳して、


「ああ痛い。ねえ、すごく痛いわ、鉄之助」


「すぐに何か冷やすものを用意します」


「そんなの要らないわ。だって痛いのは手ではなくて心だもの」


「……なら、どうすればよろしいでしょう」


 僕の失態にかこつけて大袈裟に振舞っているのだとわかってはいても、原因が僕にある以上、抗弁の余地はない。

 ただ裁きを受け入れる構えの僕に、お嬢様は猫のような笑みをつくった。


「そうね……。そういえば、そろそろお昼時ね? そして丁度いい具合に、向かいに甘味処があるわね?」


「……まだ朝食から三時間少々ですが」


「何か言ったかしら、鉄之助?」


「いいえ、何も」


「ならいいわ。ほら、鉄之助? わたし、お団子が食べたい気分だわ」


 跳ねるような足取りで甘味処へと向かうお嬢様。

 僕はその小さな背中を追いながら、内心でそっと感謝の念を呟いた。


「すみませーん。二人でお願いします」


「はあーい」


 お嬢様が淑女らしからぬ大声で席を頼むと、店の奥から元気な返事が響く。

 間もなく出てきた、着物に前掛け姿をした給仕の女性は、まずお嬢様の赤い髪に物珍しそうな視線を送り、次いで僕を見て、はっと顔を強張らせた。


「お、お役人さまでしたか! お待たせして済みません、こちらの席へどうぞっ」


「ああ、いえ、違います、新政府の者ではありません。畏まる必要はないですよ」


「ですがその、めりけん風の恰好は――」


 彼女が恐る恐るといった様子で、僕の服装……洋風のスラックスと真白いシャツ、腰の二本差しに言及する。


 確かに、維新から八年が経ったとはいえ、未だ洋服は大衆文化として根付いているとは言い難い。

 洋服を着ているのは専ら、新政府の官僚や大商家の上役などに限られる。


 けれど僕は、もちろんそのどちらでもない。


「この服装は、僕の個人的な趣味といいますか……。兎に角、立場のあるような人間ではないので、お気になさらず。僕はただのしがない探偵屋ですから」


「本当よ。同じ商い人同士、頭を下げる必要なんてないわ」


「は、はあ……」


 給仕の女性は、半信半疑といった硬い表情で頷く。

 僕らのことを、大商家に近しい親類縁者か、あるいはお忍びの役人か何かだと勘ぐっているのかもしれない。


 まあ、そのほうがこちらとしても都合がいいのだけれど。


「とりあえず、注文を頼めますか? お嬢様にお団子をふた――(ここでお嬢様からおねだりの気配)――いえ、みっつ。それから二人分のお茶を」


「承りました!」


 ぱたぱたと店の奥に引っ込んでいく店員の後ろ姿を見送る。

 彼女の背中が完全に見えなくなると、縁台に座ったお嬢様がぽんぽんと隣を叩く。

 早くそこに座れ、ということだろう。

 言われるがままに腰を下ろすと、彼女はだらりと体重を預けてきた。


「はあ、疲れたわ。こんなに歩いたのは久し振りね」


「まだ一件目なのにその調子では、今後が思いやられますが」


「大丈夫よ。歩けなくなったら、鉄之助におぶってもらうから」


「僕はお嬢様の世話役であって、乗り物ではないのですが……。というか、そのつもりならせめて、お団子の本数を抑えるなどの配慮は無かったんです?」


「無いわね。『貴方の個人的な趣味』でこんな下着をわたしに着させているのだもの、疲れたらおぶるくらいなんてことはないでしょう?」


「ここでそれを持ち出しますか……」


 相変わらず言葉の端を拾って、揚げ足を取るのがお上手だ。

 それは聡明の証拠でもあるのだから、僕としては従者を苛めるためではなく、もっと役立つ武器として能力を生かして欲しいのだけれど。


「甘味処のおなごに、洋装の機能性や先進国の文化を模倣する重要性を説いたところで仕方ないでしょう。だからわかりやすく趣味と言っただけですよ」


「じゃあ、探偵社をわざわざ偽洋風建築で建てたり、家具を欧州製で揃えるのも?」


「……勿論、実益を見越してのことです」


「……ふうん? でも、おかしいわね。わたしが貴方から貰った写真には、洋装を着ているのは貴方ではなくて――」


 ぎくり。

 僕は話の矛先に不穏な気配を感じて、慌てて口を開こうとするけれど。


「――あのお。お団子とお茶をお持ちしました」


 まるで見計らったかのようなタイミングで、給仕の女性が団子を運んできた。

 がたりと勢いよく立ち上がり、彼女が目を白黒させるのも構わず、ひったくるようにお団子とお茶の乗ったお盆を受け取る。


「ああ、ああ! ありがとうございます。ほら、お嬢様、お団子ですよ」


「……まったく、仕方ないわね。今日のところは、これくらいで勘弁してあげる」


 お嬢様はため息をついて、気を取り直すようにお団子へ齧り付いた。


「恐れ入ります……ああ、お嬢さん」


「はい、如何しました? 追加のご注文でしょうか」


 踵を返そうとする給仕さんを呼び止める。

 振り返った彼女に、僕は努めて爽やかな笑顔を浮かべて、


「いえ、そうではないのですが。よろしければ、少々話し相手になっていただけませんか? なにぶん、この辺りには疎いものでして……もちろん、他のお客さんが来るまでの間で構いませんので」


「え……っと」


 すると、なぜか少し頬を赤らめた彼女は、ちらっと横目でお嬢様を見た。


「その、私は構いませんが……よろしいんですか?」


 それが僕とお嬢様、どちらに向けられた言葉だったのかはわからないけれど……少なくともお嬢様は既にお団子に心を奪われており、こちらの話は碌すっぽ耳に入っていない様子だったので、僕は苦笑しながら答えた。


「ええ、是非。実は先ほどから、気になっていたことがあるのです」


「……?」


「向かいの錦屋さんについてなのですが……」


 出来る限り自然な口調で切り出す。

 それでもやはりと言うべきか、給仕の顔がぴくりと引き攣った。

 無理もない。見知らぬ洋装の侍に、すぐ向かいの家で起きた辻斬り事件について訊かれれば、警戒するのは当然だろう。


 僕は先手を打って、とぼけた口調で続ける。


「たまたま近くを歩いていたら、物騒な噂を耳にしたもので「まぐまぐまぐ」。お恥ずかしい話なのですが、僕はこうして大小を差してはいるものの「まぐまぐまぐ」あまり腕っぷしには自信がなく……自衛の為にも「まぐまぐまぐ」事情をお聞かせ願い「まぐまぐ」……お嬢様。もう少しゆっくりお食べになっては?」


 まるで栄養を必死に蓄える冬眠前の栗鼠のように食い意地を張るお嬢様に、流石に呆れた声色で注意する。


 けれどお嬢様は「いいじゃない、別に」と全く意に介した様子もなく、僕はやれやれと肩を竦めた。


 そんな僕らのやり取りを見ていた給仕のお嬢さんが、くすくすと笑う。

 僕とお嬢様の馬鹿なやり取りが幸いして、彼女は少し緊張が解れたようで。

 僕の隣――お嬢様の反対側にさらりと腰掛けて、上目遣いで微笑んだ。


「なるほど、事情は分かりました。それで、何をお聞きになりたいのですか?」


「そうですね……」


 彼女の人馴れ――もっと言えば男慣れした仕草にちょっとどきりとしつつ、僕は頭の中でいくつかの確かめるべき事項を浮かべていった。





 こうして僕らは事件現場を巡り、情報を集めていった。



 第一の現場、錦屋。

 代々江戸の下町で店を構えてきた老舗で、亡くなった主人は六代目だったそう。

 金貸しは恨みを買いやすい職業だが、錦屋は低金利に加え、貧しい人には利子無しで金を貸し出すこともあるなど人情派で通っており、むしろ周囲から親しまれていた。

 けれど辻斬りの凶刃により、主人から幼い息子、番頭に用心棒といった奉公人まで、屋敷の中にいた人間は皆殺し。

 屋敷からは金品が持ち去られていたが、それは大量に保管されていた資産の一部だけであり、金目的の押し入りではないとのこと。

 甘味処のお嬢さんも、青天の霹靂だと悲しそうに語っていた。


 第二の現場は錦屋からかなり離れたとある裏通り。

 斬られたのは大蔵省の侍だ。

 元は長州藩の勘定方に勤めていた、実直で真面目な男だったらしい。


 三度目の餌食になったのは、名も知れぬ浪人。

 居酒屋でしこたま安酒を呑んだところを狙われ、抵抗する間もなく突き殺された。


 その他、第四、第五、第六の事件も含め、辻斬りの現場はそれぞれ江戸に散り散りに分布しており、規則性は見い出せない。

 被害者も裕福な商人から侍に警官、貧乏浪人、果ては子連れの女にまで及んでいる。

 全ての事件に共通点する点は、事件が全て人目の少ない夜中に行われていることと、胸を三度突かれて殺されていることだけ。



「……解せませんね」


 夕暮れの茜色に染まる通りを歩きながら呟く。

 僕の背中に担がれたお嬢様がぴくりと身じろぎした。

 彼女はすっと僕の耳元に唇を寄せる。


「何が解せないのかしら」


「何もかも、です。犯人の動機も、目的も、まだ何もわかりません」


「辻斬りと言うくらいだもの。単に目についた人間を手に掛けているだけではないのかしら?」


「その可能性も、もちろんありますが……」


 むしろ現状、手持ちの情報から推測する限り、彼女の意見が最も真実味を帯びる。

 理性がそう告げる一方、本能――勘がそうではないと叫んでいた。


 まだ情報が足りない。あるいは、僕は何かを見落としている。


「それに、甘味処のお嬢さんが最後に教えてくれた話も気になります」


 店を発とうと会計をする僕に、まるで隠れるように――あるいは恐れるように、ひっそりと囁いた彼女の台詞が耳に残っていた。


『これは、ウチの常連さんから聞いた話ですが。辻斬りを遠目に見た彼いわく、その姿はまるで、《鬼》のようだった、と』


 鬼。

 その単語には、どうしても敏感になってしまう。

 まさか、とは思うけれど……いや……。


「……あの甘味処には、もう一度足を運ぶ必要があるかもしれませんね」


 出来ればもう少し詳しい話を、給仕の女性だけでなく、彼女の言うお得意様とやらに直接聞いてみたい。

 そんな考えの一言だったのだけれど、お嬢様は少し誤解をしたようで。


「そんなにあの甘味処が気に入ったの? 確かに、あの給仕の女の人、明るくて可愛らしいひとだったもの、ね?」


 ぎゅう、と彼女が腕に力を籠める。

 すると当然、彼女の上半身が僕の背中に激しく押し付けられる。


「お嬢様。腕から力を抜いていただけませんか」


「あら、どうしてかしら」


「お嬢様のせいで心臓が高鳴って仕方がないのです」


「へえ。珍しく素直なのね」


「もちろんですとも。なにせ命の危機ですから――お嬢様がそれ以上力むと、僕の首が完全に絞まってしまいますね?」


「……このまま縊り殺してやろうかしら」


 ぶつぶつ文句を言いつつ、腕の幅をきゅっと狭める。

 恰好だけ見れば、本当に僕を絞殺しようとしているみたいだ。


「お嬢様は勘違いをしていらっしゃいますよ。僕はただ、もっと詳細な辻斬りの話を聞きたいと思っただけです」


「……疑わしいわ。随分といい顔をしていたようだし」


「怪しまれないようにするための処世術ですよ、お嬢様」


「ふん」


 もっとも、お嬢様とてそんなことはわかっているはず。

 だからこそあのとき、空気を壊すようにお団子を無理矢理頬張ったりしたのだから。


「……理屈では正しいとわかっていても、納得できないこともあるわ」


 見透かしたような一言。


「そうですね。じゃあ、僕を絞め殺しますか?」


「やめておくわ。今貴方を失ったら、家まで帰れないもの」


「その家にも、もう着きますけどね……おや?」


 見慣れたくろがね探偵社の社屋。

 公官庁以外では珍しい、偽洋風建築に構えた門の前に、人影が一つ。

 近づいて見れば、人影は警邏の制服を纏っていた。


「こんばんは。高橋さん、でしたよね」


「お疲れ様ですっ、市村さん。……え?」


 びしっと型通りの敬礼をつくる高橋さんは、僕が背負った荷物の正体に気づいて唖然とした。


「あの、そのお嬢さんは……大丈夫なのですか?」


「ああ、気にしないで下さい。ちょっと疲れているだけなので」


「は、はあ……」


 はっきり顔に「意味が分かりません」と貼り付ける高橋さん。

 絶妙な表情のまま、脇に提げた鞄から封筒を取り出す。


「こちら、藤田警部からの差し入れです」


「……なるほど。ありがたく受け取らせていただきます」


 封筒は軽く、薄い。

 見なくても中身の見当はついた。辻斬りに殺された二人の警官に関する資料だ。

 大手を振って調査をできず、かといって僕に依頼をしたと悟られるわけにもいかない彼なりの助太刀といったところだろう。


「それでは、当方は職務に戻りますのでっ」


「ありがとうございました。藤田さんにも、よろしくお伝えください」


 背を丸めて去っていく彼の足取りは重いものだった。

 辻斬りが潜む夜の街を警邏するのは、警官といえども――いや、だからこそ滅入るのだろう。

 夜間は戸を閉めておけばいい町民とは違い、彼ら警官は、いつ自分に凶刃が及ぶか分かったものではないのだから。

 その辻斬りが沖田さんの亡霊だの、《鬼》だのと噂されているとなれば猶更だ。


 いや、それどころかひょっとすると。

 高橋さんは態度に出さないだけで、斬られた警官が彼の近しい人だったとか……なんてことも、あり得ない話じゃないのだ。


「……」


 半ば無意識に唇を噛んだ。

 一刻も早く、犯人を見つけなければならない。

 僕はそれをわかったつもりでいて、実は全然わかっていなかったのかも、と思ったのだ。


 相手が何者だろうと、僕や藤田さんとどんな因縁があろうと、そんなこととは無関係に、辻斬りに怯える人や、大切な人を斬られた人がいるということを。

 そして、このままではそんな人が増え続けるということを。

 当たり前のはずなのに、忘れていたんじゃないのか。


「――鉄之助。貴方が責任を感じる必要はないのよ」


 背中のお嬢様が、こつん、と僕の後頭部に額を当てた。


「……わかっています」


 僕は吐き出すようにそう返した。

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