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I love you  作者: 海の民
二 少年時代
3/43

二・一

 坊ちゃんが損をこうむったのは親譲りの無鉄砲という話だが、ならば僕が悩まされてきたのは親譲りの頑固さと偏屈さであろう。


 幼稚園にいた時分、上手く隠れすぎたせいで誰にも見つけてもらえず、そのことに腹を立てて、誰かが見つけるまでは死んでも出ぬぞと一晩中隠れていたことがある。小学校に上がってからはますます悪化し、悪戯の説教に反省するどころかむしろしつこく反論しては親や教師を困らせるといった、どうにも手の付けられない悪ガキとして少年期を過ごした。一度道を決めてしまえば、たとえそれが地獄へ通ずる蛇の道であると分かっていても引き返すことのない頑固さと、何者にも変えることのできない鋼の意志を持ちあわせた僕は、それはもうとんでもない意地っ張りの大うつけだったのである。あの頃の僕ならば、石で口を漱ぎ川の流れを枕にすることとて可能であったに違いない。そんな僕が丸くなったのは中学時代からだが、その時面倒を見てくれた恩師には、お前はよく言えば常人とはかけ離れた根性の持ち主、だが悪く言えばどうしようもなく意固地な阿呆だ、とよくからかわれたものだ。


 中学二年の頃、打ち込めるものもなく空虚に時が過ぎていった一年坊時代に焦燥感を抱き、物書きにでもなってみるかと一念発起して小説を書きだしたのはいいものの、猿でも書かぬような駄文しか書けぬ怪文書製造機に僕は成り果た。それでも不毛な根性と持ち前の偏屈さでずるずると高校二年まで執筆という名の愚行を続けたほどには僕の頑固っぷりはひどいものであったわけだが、僕がそれだけ執筆を続けられたのにはわけがある。それはひとえに彼女のおかげだ。あるいは彼女のせい、と言うべきか。

こんなどうしようもない僕に付き合い、作品と銘打たれた奇妙な単語の羅列たちをいつも嬉しそうに読んでくれたとある少女。


 幼馴染であり親友。

 僕のファム・ファタール。


 名を古賀栞という。


 古賀栞といえば、僕の地元ではちょっとした有名人だ。それは彼女の容姿に起因する。いつの時代でも美しいというのはそれだけで人目を引くものである。栞は確かに美しかった。古馴染みの欲目ではなく本当に、素晴らしい容貌であった。美人というよりは、いにしえの表現だが美少女であり、さらに失われし太古の言葉を用いるならばマドンナ的な存在であった。そんな彼女と僕が知り合ったのは、もう随分と昔のことになる。


 初めて栞と出会ったのは、僕がまだ若干七歳の時だった。その頃の僕は幼いながらに反骨精神の塊で、エルヴィス・プレスリーもかくやと思われるロックの精神の体現者であった。僕の一人称が「僕」なのも周囲が「俺」を使っていることに対する反抗である。晴れの日には外で遊ぶ児童らを尻目に教室で本を——それも低学年向けの冒険小説を斜に構えて一切読まず、もっぱら江戸川乱歩のような高学年向けの本を——読みふけり、雨の日には教室で室内遊びに興じる友人たちの制止も無視して泥んこの校庭で一人走り回っていた。


 栞を見つけたのも、そうやって一人遊具の上に佇んでいた時のことである。


 晴れなら外で、雨なら内でという既存の体制の破壊者になれたと勝手に満足して誇らしげに校庭を見下ろしていると、プールの塀のそばに生えた木の真下に何やら白いものが見えた。何かと思って目を凝らすと、それはどうやら白い服を着た人らしい。このしみったれた学校にも自分のような既存のシステムへのプロテスタントがまだいたのかと嬉しく思った僕は、一目散にその人影へと走り寄った。だが近づいてみると、それは崇高な理念の同志でも何でもなく、ただの泣きはらした顔を浮かべた弱弱しい少女であった。それが栞だった。


 今思えば、あれはファーストコンタクトというよりはむしろワーストコンタクトであったのだろう。


 栞はジメジメとした土の上に座り込み、木の幹にもたれ掛かって泣いていた。よう、と横から声をかけてみる。すると彼女はライオンを見つけたガゼルのように大げさに体を震わせて、怯えた目つきでこちらを見てきた。それは綺麗な青色だった。その愛らしい顔と艶やかな濡羽色の長髪を見て、なるほどこれがいわゆる黒髪の乙女というやつかと感嘆したことを覚えている。


 好奇心に身を任せてここにいる理由を尋ねてみると、彼女はしばしの懐疑と葛藤の末に自身の境遇について語りだした。聞けば彼女は僕の一つ下の学年で、クラスの男子からの執拗な嫌がらせに耐えかねてここへ逃げてきたのだという。その話を聞いて、僕の心に込み上げてきたのはあろうことか喜びであった。恐らくはこういうところが、僕が偏屈と言われる所以なのであろう。僕は彼女のことを、自分と同じ学校社会におけるアウトローであるとみなし、新たなる同志との出会いに歓喜した。次いで込み上げてきたのは怒りだ。当時の僕が好んでいたフレーズは義理人情と粋であり、このような可愛い少女を一人雨の校庭に追いやって泣かせるとはなんと無粋で義理人情を解さぬことかと僕は憤慨した。栞から所属のクラスを聞き出すと、僕は単身その教室へ乗り込んでいった。


 三組の教室は部屋遊びをする一年坊たちで騒々しかった。僕は事前に栞から聞いていた情報を頼りに彼女に嫌がらせをした男子と思われる者たちを片っ端からぶん殴っていった。酷いことをしたものだ、と今では思う。なにせいきなり見知らぬ上級生が乗り込んできて自分たちをボコボコにするのだ。当時の一年生からすればさぞかし怖かったことだろう。まったく本当に申し訳ない。


 その後僕は駆けつけた先生の手で空き教室にぶち込まれ、感情の高ぶりが落ち着くとすぐ担任にこってりと絞られた。結局のところ、栞に対する少年たちの意地悪の原因は可愛い子にはちょっかいをかけたくなるという、男子児童にありがちな愛情表現であったそうだ。それからすぐに、栞は少年たちと和解できたと、本当にありがとうと、屈託のない笑みで僕に感謝をしに来た。僕は何だか体がむず痒くなって、大したことはしていないとぶっきらぼうに答えた。


 この一件があった年、僕は二年のやべーやつとして少しばかり有名になるのだが、ともかく栞との関係はこれが始まりだった。


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