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I love you  作者: 海の民
一 語りえること
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一・一 

「素晴らしき哉、人生!」


 ヤケクソで叫んだ僕の悲痛な声は、トスカーナの澄み切った空に吸い込まれた。


 イタリアは素晴らしい国だ。美しい街、とこしえの歴史、雄大な自然、開放的な気候。特に中部のトスカーナ州などは格別で、穏やかな陽光に照らされた雲がまだらに影を落とす一面のブドウ畑に、ぽつりと建つ古めかしい民家や小さな教会、そしてそれらを繋ぐように細い道が地平線の先まで続いている。かような光景は、騒々しい現代にあってここだけが中世のありし様をほぼ完璧に残していると言えよう。


 だからだろうか。

 この辺りにガソリンスタンドが一つも存在しないのは。


 僕は未舗装の砂利道に座り込み、傍らで動かなくなってしまった相棒を眺める。


 このイタリア旅での僕の足は、空港近くのレンタルバイク屋で最も安く貸し出していたこのオンボロバイクである。エンジンは整備されていないし、キックスターターは五回蹴ってもかからないし、走ればガタガタと揺れてブレーキの効きもすこぶる悪い。正直ロクでもないものを掴まされたというのが本音だ。ただ、慣れればそれなりに言うことを聞いてくれるくらいの素直さはあるから、辛うじて道端に捨てないでいられた。


 そんな相棒が、たった今動かなくなった。どうやら空腹でもう一歩も動けないということらしい。そうは言ってもこのド田舎にガソリンスタンドなどあるはずもなく、予備のガソリンタンクはケチって付けなかった。つまるところは立ち往生というやつだ。クソったれ。こんなことなら金なぞ渋らなければよかった。


 思えば移動手段をバイクにしたのが間違いだった。人生を終える場所はイタリアにしようと決めたはいいものの、どうして僕はあの時バイクを選択してしまったのだろうか。これでアペニン山脈を越えるのは少々厳しかろうに。こんなことになるなら大人しく鉄道にでもしておけばよかった。そう思いつつ、こうして後悔することももうすぐできなくなることを考えるとこれもまた悪くないもののように感じられる。眩しすぎる日差しの下で汗を流しながら、時折吹く風の涼しさに感動するこの瞬間は、人生最後の思い出としては上出来だ。もっとも路頭に迷うなんていうのは良い思い出とは言えないであろうが。


 僕は小さく溜息を吐く。

 さて、これからどうしたものか。


 一、助けを呼ぶ。

 難しいな。この国に知り合いなんていないし、そもそもスマホを持っていない。


 二、ヒッチハイク。

 無理だろう。この片田舎で、謎のジャップとオンボロバイクを一緒に乗せてくれる聖人がそう都合よく捕まえられるとは到底思えない。そもそもこの辺りに来てから車なんて一回も見ていないのだから、成功するしないの以前に親指を立てることすらできずに終わるに違いない。


 三、押して歩く。

 不可能ではないが、できる限り避けたい選択肢だ。この夏空の下、どこまで続くかも分からぬ細道を延々とバイクを押しながら歩くなどもはや修行以外の何物でもない。これは最後の手段としよう。


 四、周囲の民家にガソリンを貰いに行く。

 これも不可能ではなかろう。この辺りの住民は皆農家だろうから、なにかしらの重機のエンジンオイルを備えていてもおかしくはない。しかし慣れない異国の地でエンジンを求めて見知らぬ人の家に突撃するというのは少々気後れする。やりたいかと言われればノーだ。


 はてさて、本当にどうしたものだろう。


 ポケットからスキットルを取り出して水を一口。地中海特有の乾いた風が凪いだ草の海を走りぬけ、鮮やかな緑が一斉にざわめいた。


 その時、遠くからエンジンの音が聞こえてきた。


 重機であろうか。

 いや違う。近づいて来るこの音の正体はきっと車に違いない。


 僕はすぐに立ち上がり、音のする方角を見る。やはり車だ。しかも運のいいことに軽トラである。ああ神よ、僕は無神論者を自負しているが、今だけはあんたを信じてやってもいい。僕はトラックに向けて親指を上げた。


「こんなところでヒッチハイクなんて珍しいねえ、アンタ中国人か?」

 トラックが僕のそばで止まり、窓から顔を出したのは小麦色の肌をした金髪の美人だった。

「いや、日本人だ」

「へえ、アジア人はみんな同じに見えるよ」

「欧米人だって、お互いさまだろう」

 イタリア語で返事をする。わけあって勉強する時間は無限のようにあったので、自分で言うのもなんだが僕のイタリア語力はかなり高い。

「それもそうか。んで、アンタの横にあるそのバイクはどうしたんだ?」

 そう言って彼女は傍らの相棒を指さす。

「実はさっき空腹で倒れた。油を寄こせと言って聞かないんだ」

「なるほどそれで。それで、どこまで行く気なんだい?」

「ヴェネツィアだ」

「本当かい? 奇遇だね。ちょうどアタシもその辺りに行くところだよ。いいだろう、ヴェネツィアまで送ってやる」


 ああ、なんと親切な女性だろう。こんな素性の知れぬアジア人を乗せてくれるとは。いやはや、人生というやつは本当に何が起こるか分からないものだ


「なんてこった。ありがたい話だ。助かるよ」

「いいってことよ。さ、早くそいつを荷台に乗っけな」

「グラッツェ、お言葉に甘えさせてもらおう」


 僕はすぐに壊れかけのオンボロを荷台に押し上げ、助手席に乗り込んだ。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

これからも続きを投稿していきますので、しばらくの間お付き合いください。

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